
わりと最近、この古墳の横の道を車で通り過ぎました。
「あ、あれ?なんかいつもと風景が違うな?」と感じて、「げ!まさか古墳がなくなってる?」と思って振り返ったら、墳丘自体は残されていましたが、墳丘上の樹木が伐採されて丸裸になっていました。笑。
古墳がなくなっちゃったかとびっくりしましたが、むしろ見やすくなったわけだし、写真撮りを撮らなきゃ、というわけで、次に近くを通る際にはちゃんとカメラを持参しました。笑。

元々は前方部を西に向けた前方後円墳だったのですが、前方部が削平されて現在はまるで円墳のようです。
古墳の詳細は、前回の記事を読んでみてくださいね。
【このブログの過去の関連記事】
http://gogohiderin.blog.fc2.com/blog-entry-1332.html (2017年11月17日号「笹塚」その2)
前方部は消滅しましたが、後円部はとてもきれいに残っていますね。

な、なんか墳丘上に重機の跡が見られますな。。。

以前はこの古墳の墳丘上は森でした。笑。
それはそれで厳格な感じがして古墳らしいのですが、そうなるとやはり真夏の見学はなかなか厳しいですからね。
これから暖かくなったらまた草ボウボウになってしまうかもしれないし、見学は今がお勧めかも。。。

墳頂部には、三日月様と千勝様の祠が祀られています。
さっそく参拝します。

こちら側に前方部が伸びていたはずですが、痕跡は見られませんね。。。

墳頂部の様子です。

これは2014年8月の写真です。
真夏だったから古墳には登りませんでした。。。笑。

こうして、状況が変わってきたなという古墳もちょくちょく見かけます。
引き続きコツコツと更新します。。。
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- 2023/03/22(水) 21:49:02|
- 宇都宮市の古墳・塚
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画像は、下野市国分寺に所在する「山王塚古墳」です。
全長は90mと推定される前方後円墳で、下野市の遺跡番号377番に登録されている古墳です。
6世紀末から7世紀小島の築造と推定されています。

右手前が後円部で、左奥が前方部という状況です。
当日は土地の所有者の方に声をかけて見学しました。
古墳についてお聞きしたのですが、「山王塚」の名称からしてどこかに山王さまが祀られているものと思い込んでいましたが、「いや、なにも祀られていませんよ」というお返事。笑。
墳丘上はかなり草ボウボウだったこともあり、無理して登りませんでした。。。

全長は90mほどで、二段に築造された大型の前方後円墳であったとされていますが、墳丘は全体が満遍なく削平されて小さくなっているような印象です。
埴輪や葺石は見られないものの巨大な横穴式石室が確認されています。
<参考文献>
下野市教育委員会『下野市遺跡分布図』
しもつけ歴文カード『山王塚古墳』
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- 2023/03/19(日) 20:13:47|
- 下野市の古墳・塚
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画像は、下野市国分寺に所在する「丸塚古墳」です。
栃木県の史跡として指定されているこの古墳は、下野市内でも古くから知られた存在で、畑の中にポッカリと浮かぶ、お椀を伏せたように半円を描く大きな墳丘は一際目立ちます。
早速近寄ってみましょう!

墳丘南東側裾部に、「史跡丸塚古墳」と刻まれた石碑と、下野市教育委員会による説明板が設置されています。
件指定史跡 丸塚古墳
丸塚古墳は、7世紀のはじめごろに築造された、
栃木県を代表する大型円墳です。墳丘は、2段に
つくられ、墳丘の第一段の平坦面(基壇)の幅が
広いのが特徴です。
墳丘の大きさは、墳丘第一段の直径が66m、
第二段の直径が42m、墳丘第一段目からの高さ
が約6.5mあります。
この古墳の埋葬施設は、横穴式石室で、墳丘の
南面に開口しています。遺体を納めた玄室は、凝
灰岩の大きな一枚岩を切り組んだ技法で構築され
ています。また玄門は、この一枚岩の中心をくり
ぬいて造られており、優れた石材の加工技術がう
かがえます。
平成18年度に実施した発掘調査では、石室の
床面付近から約70点のガラス小玉が出土しました。
下野市教育委員会

墳丘は「丸塚」の名にふさわしく、キレイに残されていますよね。
この古墳は、いわゆる「下野型古墳」と呼ばれるこの地域特有の形状を呈する古墳です。
下野型古墳の特徴として、の一つ目は、墳丘1段目の基壇面がかなり広く造られており、見た目は2段目だけが墳丘のように見え、かつては古墳の大きさをこの2段目のみが全長として測られていたそうですが、現在は基段面を含めたサイズが古墳の全長として測られています。
これ、私的には「手抜きでしょ、、、」と思っているんですが、古墳を築造する材料が足りなかったかもしれないし、人手が足りなかったかもしれないし、昔は昔で色々あったんだろうなあと思います。。。
3枚目の画像は墳丘の2段目ということになりますな。。。
ちなみに、基壇面の低くなりすぎた箇所には若干の盛土がされているそうなので、やはり木断面も墳丘の一部なのだと思います。
そして二つ目は、石室に巨大な大谷石の凝灰石の切石が用いられており、前方後円墳に限ると、石室が後円部ではなく前方部に造られています。

開口する石室の様子。
柵で覆われていて中に入ることはできませんが、中を観察することはできるようです。

石室は、一枚岩の凝灰岩を5枚使用して構築されています。
切り出した場所はわかっていないようですが、一体どうやってこんな巨石をここまで運んだのかとても興味深いです。

天井石です。

墳頂部から見下ろしたところ。
かなり高さが残されているわけですが、墳頂部には大きな撹乱はなく、築造当時の状況に近いと考えられているようです。
ちなみに墳頂平坦面の中央に直径30cmほどの穴が掘られていて、人頭大の礫が3〜5個詰められていたそうで、何の目的があったのかとっても不思議です。

北西から見た丸塚古墳です。
やっぱり、畑の中に残された古墳は見学しやすいし、良い眺めです。
藪の中の古墳ときたらホントにもう。。。

説明板に掲載されていた丸塚古墳の墳丘測量図です。
黄色い部分が基壇面ということになりますね。
<参考文献>
下野市教育委員会『下野市遺跡分布図』
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- 2023/03/17(金) 22:41:39|
- 下野市の古墳・塚
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画像は、下野市国分寺に所在する「小田坂9号墳」です。
この9号墳は下野市の遺跡番号399番に登録されています。
昭和16年の『紀元 千六百年記念古墳調査』にも記載が認められ、「国分寺村第40、41、77、78、79号墳」のうちの1基にあたるとされています。
『下野市遺跡分布図』では「消滅」とされている古墳ですが、民家の敷地内の角にわずかながら高まりが残されており、これが古墳の残存部分ではないかと感じたので、掲載しておこうという企画です。笑。

南から見たところ。
もちろん、お庭の築山とか、単なる残土の山である可能性も考えられますし、古墳かどうかはアレですが。。。
一応、分布図に記された位置とは一致しています。

高まりの様子。
<参考文献>
下野市教育委員会『下野市遺跡分布図』
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- 2023/03/15(水) 00:51:23|
- 下野市の古墳・塚
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画像は、下野市国分寺に所在する「小田坂6号墳」です。
小田坂古墳群は1号墳から9号墳まで9基の古墳で構成されていますが、実際に散策してみて見学できたのは4基のみでした。
特にこの6号墳の周辺には複数の古墳が密集していたようですが、4号墳、5号墳、7号墳、8号墳はすでに消滅しており、確認できるのは6号墳と9号墳の2基でした。

この6号墳は下野市の遺跡番号396番に登録されています。
昭和16年の『紀元 千六百年記念古墳調査』にも記載が認められ、「国分寺村第40、41、77、78、79号墳」のうちの1基にあたるとされています。
『下野市遺跡分布図』には規模、径約8m、高さ約1mと書かれていますが、現状はさらに小さくなっているようにも感じられます。。。

周辺には、葺石か石室の石材と思しき河原石が散乱していました。

すぐ横に太陽光パネルが接近しており、いずれ人知れず消滅してしまいそうな古墳です。
せめてしっかりと調査が行われるといいのですが。。。
<参考文献>
下野市教育委員会『下野市遺跡分布図』
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- 2023/03/13(月) 19:00:58|
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画像は、下野市国分寺に所在する「小田坂3号墳」と思われる高まりです。
下野市教育委員会より発行された『下野市遺跡分布図』によると、下野市の遺跡番号391番の古墳として登録されていますが、径約7m、高さ約1mとかなり小さな高まりで、同書には1号墳と同様に「東側にある小田坂用水堀跡掘削時の掘り上げ土の可能性がある。」と書かれています。

南西から見たところ。
同じように、用水堀跡掘削時の掘り上げ土ではないかと疑われている1号墳は、用水堀から多少離れた位置にありましたが、この3号墳は用水堀に隣接している状況で、確かに古墳ではないという可能性も感じます。。。

堀がきれいに残されていて、実際に見学した際には「まさか城址?」とも感じました。
いったいなんの遺構なんだろうと思っていましたが、用水堀だったのですね。。。
<参考文献>
下野市教育委員会『下野市遺跡分布図』
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- 2023/03/12(日) 18:44:28|
- 下野市の古墳・塚
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画像は、下野市国分寺に所在する「小田坂1号墳」を北から見たところです。
下野市の遺跡番号388番に登録されている古墳で、規模は東西約10m、南北約12mの不整形を呈しており、高さは約1.5mです。
東側を道路により、また北側も畑地により削られているのかな?という印象ですが、古墳であるかどうかは微妙で、『下野市遺跡分布図』には「西側にある小田坂用水堀跡掘削時の掘り上げ土あるいは自然地形の可能性もある。」と書かれています。

南東から見たところ。
立地的には思川左岸の台地縁辺部にあたり、周囲には古墳が密集しているという状況ではありますが、古墳であるかどうかは微妙で、『下野市遺跡分布図』には「西側にある小田坂用水堀跡掘削時の掘り上げ土あるいは自然地形の可能性もある。」と書かれています。

西から見上げたところ。
「××古墳群」という古墳群の名称の付け方が謎なのですが、単に字名をつけているだけなのかな???
<参考文献>
下野市教育委員会『下野市遺跡分布図』
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- 2023/03/11(土) 23:18:15|
- 下野市の古墳・塚
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画像は、下野市川中子に所在する「熊野塚古墳」です。
下野市の遺跡番号354番に登録されている古墳で、昭和16年の『紀元 千六百年記念古墳調査』には「国分寺村第37号墳」として掲載されています。

北西から見たところ。
周囲の地形からすると、本当に古墳かな?とも思えます。
わずかな高まりの上には氏神様の祠が祀られています。

規模は径約6m、高さは1.5mで、円墳であるとされています。

もちろんちゃんと参拝してきました。
下野市の古墳の写真もかなり溜まっているし、しばらくは下野市の古墳を取り上げようかなと覆っています。。。
<参考文献>
下野市教育委員会『下野市遺跡分布図』
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- 2023/03/08(水) 23:41:53|
- 下野市の古墳・塚
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前回に引き続き、宇都宮市下栗町に所在する「さるやま城古墳群」のその3。
最初の画像は、唯一の前方後円墳である「本郷山古墳」です。
画像の左手前が前方部、右奥が後円部という状況ですが、わかりませんよね。笑。
この古墳は、昭和63年4月から7月にかけて測量調査が行われており、全長47m、後円部径26m、前方部幅35mの前方後円墳で、高さは前方部が3.6m、後円部が3.4mと後円部に比べて前方部が発達した古墳であることがわかっています。

南から見た本郷山古墳。
左が前方部、右が後円部という状況で、くびれ部の辺りを写している状況でしょうか。。。
この画像はうっすらとその形状が確認できるかと思います。
葺石は確認されていないようですが、円筒埴輪の破片が採集されており、この遺物により、古墳は6世紀後半の築造と推定されています。
ちなみにこの古墳群の中では12号墳からも埴輪編が採集されているようですが、12号墳よりも本郷山古墳が先行するものであるそうです。

こちらは南東から見た本郷山古墳。
画像右側、後円部には祠が祀られていて、窪みとなっているのが参道です。
後円部は下草が少なく、比較的形状が見やすいようです。
左奥が前方部、右手前が後円部という状況です。

後円部を南から見たところ。
頂部に祠が祀られています。
さっそく参拝しましょう。

2本の大木が鳥居の役目を果たしていて、なかなか幻想的な雰囲気。

後円部上の様子。
左側が「猿山神社」、右側が「八坂神社」の祠です。

同じく後円部上の様子。
右奥の前方部がかなり高くなっているのがわかると思います。

前方部上から後円部を見たところ。
前方部側はかなり藪が激しく、全体像を捉えるのは厳しい状況です。

前方部を西から見たところ。
なかなか立派な前方後円墳が残っていますし、周囲のさるやま城の遺構もかなり良好に残されているという状況で、藪になって荒れ果てているのがなんだかもったいないなあと思ったりします。

さて、ここからは本郷山古墳の周囲に点在する円墳です。
まずは「さるやま城古墳群13号墳」。
本郷山古墳のすぐ東側に隣接する古墳で、かなり鬱蒼とした藪の中に存在するため、古墳の全貌を捉えるのは難しい状況でした。
画像は、かなり近づいて撮影した状況です。。。

続いて「さるやま城古墳群10号墳」。
13号墳とそっくりですが違うんですよ。
もうね、古墳群東側の円墳はすべてボウボウの藪の中ですわ。。。

こちらはやっと見つけた「さるやま城古墳群7号墳」です。

「さるやま城古墳群2号墳」と思われる高まり。
この周辺は城跡の土塁がかなり高く積まれていて紛らわしいのですが、おそらくこれが2号墳であると思われます。
墳丘の北側は生コンの会社の敷地に切られていて、残存するのは南側の半分ほどです。

最後は「さるやま城古墳群3号墳」です。
コレも、ボウボウの藪の中をかき分けて進んで、やっと見つけました。
とりあえずは、残存する古墳の写真はここまでです。
よほどの古墳マニアでない限りは、この藪をかき分けて古墳を探す必要はないんじゃないかなと思いますが、城跡としても見どころが満載な場所でもあるので、こういう場所を整備して公園などにできればいいのになあと思ったりします。。。

最後に1枚だけ、城址の堀の写真です。
直線的に綺麗に残されていますよね。。。
都心部には城跡はほとんど残されていなかったこともあり、これまであまり深掘りすることもありませんでしたが、お城がこんなに身近にたくさんあったんだということを最近になって知りました。
深掘りすると面白いんだろうなと感じていますが、当面は浮気せずに古墳一筋ということで。。。
<参考文献>
宇都宮市教育委員会『宇都宮の遺跡』
宇都宮市教育委員会『宇都宮市遺跡分布地図』
宇都宮大学考古学研究会「宇都宮市下栗町本郷山古墳墳丘測量調査報告」『峰考古 第7号』
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- 2023/03/05(日) 23:43:07|
- 宇都宮市の古墳・塚
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前回に引き続き、宇都宮市下栗町に所在する「さるやま城古墳群」のその2。
最初の画像は「さるやま城古墳群8号墳」です。

この古墳、現地で見学すると二段築成の円墳のようにも感じられるのですが、さるやま城築造の際の土塁の残骸かもしれないし、真相はよくわからず。
さるやま城内の古墳群は、築城の際に故意に残されたものと考えられており、特に外堀沿いの古墳が残されていることから見張りのための櫓に使われたのではないかとも考えられています。
ちなみにこの8号墳は外堀沿いではありませんが、すぐ横には堀のような遺構が見られました。

墳丘南側には鳥居が建てられており、扁額には「岩室稲荷神社」と刻まれています。
また、墳頂部の覆屋の中には祠が祀られており、覆屋には「正一位稲荷大明神」と書かれています。
画像の右端(墳丘の東側)に大きな窪みがあるのがわかるでしょうか?
ここに横穴式石室が開口しています。

開口する横穴式石室の様子。
当然ながら、内部に入ることはできませんでした。。。笑。
天井石や奥壁に凝灰岩が使われており、側壁は河原石を小口積みしたものであるそうですが、開口部は狭く、内部を見ることはできませんでした。。。

こちらは9号墳です。
小さな円墳ですが保存状態は比較的良さそうです。

こちらは11号墳。
かなり大きな古墳です。
墳形は円墳であると思われますが、西側にある城跡の土塁と繋がっています。

11号墳の墳頂部の様子。
特に何もありませんでした。。。

12号墳。
こちらも比較的大きな円墳です。

12号墳の墳頂部の様子。
こちらも特に何もありません。。。
次回に続く。。。
<参考文献>
宇都宮市教育委員会『宇都宮の遺跡』
宇都宮市教育委員会『宇都宮市遺跡分布地図』
宇都宮大学考古学研究会「宇都宮市下栗町本郷山古墳墳丘測量調査報告」『峰考古 第7号』
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- 2023/03/04(土) 23:11:03|
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