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古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

「掩体壕 大沢1号2号」

「掩体壕 大沢1号号」

 今回は久しぶりにちょっと脱線!
 東京都内に残る、掩体壕を紹介します。

 第二次世界大戦の戦況が悪化の一途をたどる昭和19年(1945)、アメリカ軍の本土空襲の本格化により、調布飛行場周辺にはコンクリート製の有蓋掩体壕約30基と、土塁と竹でコの字型に造った無蓋掩体壕約30基の合計60基が短期間に造られました。
 掩体壕とは、残り少ない戦闘機を米軍の空襲から守るためのもので、この掩体壕の中に戦闘機を隠しました。都内では三鷹市内に2基、府中市内に2基、練馬区内に1基が残るのみです。(ちなみに日本全国には約100基の有蓋掩体壕が残されているそうです。)

 三鷹市の2基は武蔵野の森公園内に整備、公開されています。
 画像は南側の1基、「掩体壕 大沢1号」です。


「掩体壕 大沢1号号」

 正面から見た大沢1号。
 入り口は塞がれていて、表面には当時掩体壕に格納された「飛燕」のイラストが描かれています。慎重に格納しないと翼の先っちょをぶつけてしまいそうですね。
 周辺には、当時の調布飛行場の門柱や高射砲陣地跡も残されているようですので、戦争遺跡巡りをしてみるのも良いかもしれません。。。


「掩体壕 大沢1号号」

 背後から見た掩体壕の様子。


「掩体壕 大沢1号号」

 敷地内に設置された説明板と、左側は「掩体壕に格納されていた戦闘機 飛燕」と称する、掩体壕に格納された状態の掩体壕と飛燕の、縮尺1/10のモニュメントが設置されています。

 以下、説明板に書かれている「調布飛行場」についてのついての解説です。

調布飛行場
 調布飛行場は、昭和13年(1938年)に、東京府北多摩郡調布町・三鷹村・多磨村(現在の府中市)にまがたる約50万坪の土地に計画され、畑・家屋・寺・墓地などを半強制的に買収して造られました。工事は、昭和14年(1939年)に東京府と逓信省航空局・陸軍省の予算で着工しました。基礎工事には府中刑務所の受刑者や中学生が動員されました。16年の4月には、南北方向に1,000mと東西方向に700mの2本の滑走路と格納庫などが完成しました。初め、予備国際飛行場と航空試験飛行場・陸軍訓練飛行場として使用するはずでしたが、陸軍が全面的に利用することになり、首都防衛のため、戦闘機「飛燕」を中心とした陸軍飛行部隊が配置されました。太平洋戦争の戦況が悪化する昭和20年(1945年)頃には日本本土空襲のため飛来する米軍のB29爆撃機や艦載機の空襲で、飛行場や近くの高射砲陣地が爆撃され死傷者が出ました。またこのころには、特別攻撃隊(特攻隊)の訓練と九州知覧基地への中継地にもなりました。戦後、飛行場の西側の一部には、「進駐軍」(アメリカ占領軍)が消費する野菜を栽培する「水耕農場」が建設されました。
 現在では伊豆大島・新島・神津島への空の玄関口として小型機が運行されています。調布飛行場の周辺には、戦時中に利用していた門柱・掩体壕・高射砲台座などが市民団体の努力で残されています。



「掩体壕 大沢1号号」

 掩体壕と飛燕のモニュメント。

 以下は、説明板に書かれている「飛燕」についての解説です。

掩体壕に格納されていた戦闘機「飛燕」
 「飛燕」は川崎航空機製で、ドイツのダイムラーベンツの技術をもとに、国産化した液冷エンジンを搭載した戦闘機です。
 エンジン出力は1,100馬力で、最高時速590km/hで飛行でき、航空能力に優れ昭和18年(1943年)に陸軍の主力戦闘機として正式採用されました。調布飛行場には、首都防衛のため「飛行第244戦隊」に「飛燕」が配備されました。昭和20年(1945年)、B29爆撃機による本土空襲が激しくなるなか果敢に迎撃しましたが、物量に勝る圧倒的なB29爆撃機の攻撃で戦死者が出て、あまり戦果を挙げることができませんでした。最後は、「体当たり」戦術で抵抗しました。戦況がますます悪化するなか、「本土決戦」のため貴重な飛行機を温存するため「掩体壕」に格納されるようになりました。
 また鹿児島県知覧町の「特攻平和記念館」には、当時の飛燕が保存されています。



「掩体壕 大沢2号号」

 画像は北側の1基、「掩体壕 大沢2号」です。

 こちらにも説明板が設置されていますが、内容は大沢1号の説明板と同様のものであるようです。
 以下は、説明板に書かれている「掩体壕」についての解説です。

掩体壕
 「掩体壕」とは、軍用機を敵の空襲から守るための格納庫で、目的は「本土決戦」に備えて、残り少なく貴重な飛行機を温存するためでした。
 太平洋戦争における戦況が悪化する昭和19年(1944年)頃から、コンクリート製掩体壕約30基(有蓋)と土嚢で造ったコの字型の掩体壕(無蓋)約30基の約60基が短期間に造られました。建設は主に陸軍と建設会社があたり、地元の植木組合や中学生も大勢動員されました。
 掩体壕と飛行場は誘導路で結ばれ、飛行機にロープを結びつけて人力で運びました。調布飛行場周辺には、武蔵野の森公園内の2基と府中市に2基の掩体壕が残っています。武蔵野の森公園の掩体壕は戦争の記憶を残す証拠とし、「平和への語り部」として保存しています。



「掩体壕 大沢2号号」

 西側の路上から見た「掩体壕 大沢2号」です。
 ふと、1号とは向きが逆なんだなあと思います。

 滑走路に向けて整然と並べてしまうと上空からバレてしまうから?なのかもしれませんが、当時の分布図を見ると掩体壕の向きはまちまちで、特に滑走路に向かって造られているわけではなさそうです。


「掩体壕 大沢2号号」

 府中市側にある、武蔵野の森公園サービスセンターには、飛燕のプロペラの実物が展示されています。
 このプロレラ、現在の三鷹市大沢総合グラウンドでなんと、平成21年に発見されたものなのだそうです。平成21年ってたったの10年前ですからね。びっくりしてしまいます。
 そういえば以前、足立区内の古墳巡りの際に、大戦中に撃墜されて墜落したB-29のものであるというタイヤが、農地の片隅にポツリと置かれているのを見学したことがあるのですが、この武蔵野の森公園周辺には草っ原みたいな敷地が残されているし、まだ何か出てくるかも知れませんよね。出てこないかな。。。


「飛ぶ飛行機」

 公園内にちょっとした築山があって、遠方には味の素スタジアム が見えていて、お、「これは滑走路とスタジアム」の良さげな写真が撮れるかな?とパタパタと登ってみたのです。
 ふと、隣の男性は、反対方向にカメラを構えているんだなあと思ったその瞬間。背後から、ぶうううううんと飛行機が飛んできました。


「飛ぶ飛行機」

  戦時中もね。きっと生還した飛燕がこんな風に飛行場に帰ってきたんじゃないかと思うんです。国を守るために命を懸けて戦った人たちが、今の日本を取り巻く状況を見たら、どう思うんだろう。。。


「飛ぶ飛行機」

 スタジアムと飛行機。


「飛ぶ飛行機」

 もうすぐ地面だ。


「飛ぶ飛行機」 

 無事に着陸!

 ここは、出山横穴墓群からは目と鼻の先ですしね。
 龍源寺の近藤勇の墓や、近藤勇生家跡、古民家や水車などもあって、見所は満載だと思います!
 
 次回、「白糸台掩体壕」に続く。。。

<参考文献>
武蔵野の森 公園サービスセンター『掩体壕』
現地説明板


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  1. 2019/09/16(月) 03:41:49|
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「浅間神社」

「浅間神社」

 府中市若松町には、古くから「浅間山」と呼ばれる丘陵が存在します。
 この浅間山は、前山・中山・堂山という三つの小さな峰からなり、現在は「浅間山公園」として整備されています。海抜80mと、周囲との標高差は30mほどしかない小さな丘陵ですが、多摩川対岸の多摩丘陵と同様に、古多摩川やその他の河川により周囲が削り取られ、ここだけが独立丘として残ったものと考えられています。
 古くは、近くに人見村があったことから「人見山」と呼ばれており、『新編武蔵風土記稿』によると、平地に突出して塚のような形状であったことから「人見塚」とも呼ばれていたようです。また、堂山と呼ばれる丘の頂上に浅間神社が祀られたことから、「浅間山」と呼ばれるようになっなったともいわれています。

 画像は「堂山」と呼ばれる丘陵を南東から見たところです。


「浅間神社」

 実は、この場所を訪れてから5年近く経ってしまいました(『古墳”なう”』というタイトルどうなのよと)。
 府中市内の古墳や史跡をめぐって散々自転車で走り回った後の夕方、「浅間」の文字が心に引っかかって、なんとな〜く立ち寄りました。もはや足がパンパンで、「くわー!これからこの石段を登るのかョ!」と少々怯みましたが、「いや、浅間神社だし何かあるかもしれないし、写真を撮るなら今がギリギリだし!」と考えて、必死で登りました。笑。

 画像が、石段を登りきった丘陵の頂部で見た光景です。
 「げ。古墳みたいな塚がある。。。」と疲れが吹っ飛びました。


「浅間神社」

 南から見た塚の様子です。
 富士塚というよりも「浅間塚」ということになるでしょうか。

 この浅間神社の祭神は、木花開耶姫命が祀られています。
 毎年4月には、この神社のお祭りが行われているそうです。


「浅間神社」

 この丘の南西方面は分倍河原、北西方面は人見ヶ原と呼ばれる、南北朝時代に足利尊氏と新田義興・義宗兄弟の軍が両朝の命運をかけて戦った古戦場で、周辺地域には、「首塚」や「胴塚」といった合戦の戦死者を祀った塚も数多く存在したようです。深読みすると、ひょっとしたらこの浅間塚も、元々は何か別の由来のある塚を流用した可能性も考えられるかも知れません(古墳を流用した可能性はあまり感じられませんが)。

 当然ながらこの後はどんどん日が暮れて、真っ暗な中を中央線方面まで自転車で帰りました。冬は、暗くなると急に体感温度が落ちるので、自転車はなかなか厳しいのですが、最近はあまり無理はしていません。。。

<参考文献>
現地説明板


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  1. 2019/09/14(土) 23:29:59|
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「駄倉塚古墳(役場前古墳・駄倉1号墳)」その2

「駄倉塚古墳」

 画像は、狛江市中和泉1丁目所在の「駄倉塚古墳」を北東から見たところです。
 『東京都遺跡地図』には44番の古墳として登録されています。

 この古墳は、以前にも一度取り上げていますが、今年の6月頃、「松原東稲荷塚古墳」と「飯田塚古墳」の現況を見学に行った際にこの古墳にも立ち寄りましたので、最新画像ということであらためて紹介しようと思います。

 この駄倉塚古墳は、平成5年(1993)の発掘調査により周溝が確認され、直径40m前後の円墳であると推定されています。周溝からは円筒埴輪が出土しており、5世紀後半の築造と推定されています。
 6月半ばの写真ですので、かなり緑豊かな古墳となっていますね。。。


「駄倉塚古墳」

 駄倉塚古墳は、小田急線狛江駅から徒歩約2分ほどという駅前古墳で、墳丘の南側には隣接して大きなビルが建てられており、今思うとよく残されたものだと感心してしまいます。
 この記事を書いていて気がついたのですが、そういえば説明板が見当たらなかったなあと。ひょっとしてビルの内側とかにあったのかな。。。


「駄倉橋の親柱」

 かつては、この古墳のすぐ横に六郷用水が流れていて、「駄倉橋」という橋が架かっていたそうです。古墳の南側、バス通り沿いの歩道にい「だくらはし」と刻まれた親柱が残されています。

 駄 倉 橋 跡
 六郷用水に架かる駄倉橋がここにありました。
 駄倉橋は、何度か掛け替えられましたが、明治42年
に造られた橋はアーチ橋で、「めがね橋」と呼ばれ人々
に親しまれました。
 六郷用水は、慶長2年(1597)から16年かけて徳川
家康の命により代官小泉次大夫末次によって造られた
灌漑用水路で、多摩川の五本松上流辺りから取り入れ
大田区まで全長約23kmに及びます。
 この辺りの六郷用水は、昭和40年に埋め立てられ、
同時に駄倉橋も道路下に埋め立てられました。
 「だくらはし」と刻まれた親柱がその名残をとどめて
います。



【このブログの過去の関連記事】
http://gogohiderin.blog.fc2.com/blog-entry-61.html(2012/09/28 「駄倉塚古墳」)

<参考文献>
狛江市教育委員会『狛江市文化財調査報告書 第16集 狛江市埋蔵文化財調査概報Ⅱ』


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  1. 2019/09/12(木) 23:35:51|
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「兜塚古墳」ー東京都指定史跡ー

「兜塚古墳」ー東京都指定史跡ー

 画像は、狛江市中和泉3丁目にある「兜塚古墳」を西から見たところです。
 『東京都遺跡地図』には、狛江市の遺跡番号55番として登録されている古墳です。

 この古墳は、昭和35年(1960)に調査にが行われており、径37m、高さ5mの規模の円墳と考えられていました。その後、昭和51年(1976)の調査では、東西径34m、南北系36m、高さ5mであるとされており、この26年間で墳丘は若干小さくなっているようです。
 その後、さらに詳細な調査が行われ、周溝外端まで含めた規模は径約70mとされています。ただし、墳丘南東側の等高線が西側に屈曲することから、帆立貝型前方後円墳の可能性もあるようです。
 「兜塚」という古墳の名称からして、帆立貝型前方後円墳という墳形が現実的なのではないかと思われるのですが、このあたりは、今後の調査の進展により、さらにはっきりしてくると思われます。


「兜塚古墳」ー東京都指定史跡ー

 この古墳は、昭和50年(1975)2月に「東京都指定史跡」に指定され、狛江市により公有化が進められました。周辺は閑静な住宅街として開発が進み、その一角に残されたこの古墳は史跡公園として整備、保存のうえ公開されています。
 ちなみに、公園の入り口の扉はいつも閉じられているようですが、施錠されているわけではなく、いつでも自由に見学して構わないそうです。

 早速、公園内に入ってみましょう。


「兜塚古墳」ー東京都指定史跡ー

 公園を入って左側(西側)には、「都史跡 兜塚古墳」と刻まれた石碑と、狛江市教育委員会により説明板が設置されています。
 説明板には次のように書かれています。

東京都指定史跡
 兜塚古墳
      所在地:狛江市中和泉三ー七四九
      指 定:昭和五〇年二月六日
 兜塚古墳は、昭和六二年(一九八七)と平成七
年(一九九五)に行われた確認調査により、墳丘
の残存径約四三m、周溝外端までの規模約七〇
m、高さ約四mの円墳と考えられます。周溝の一
部の状況から、円墳ではなく帆立貝形の古墳の
可能性も指摘されています。墳丘の本格的な調
査を実施していないため主体部などは良くわかっ
ていませんが、土師器や円筒埴輪が出土してい
ます。円筒埴輪の年代から六世紀前半の築造年
代が考えられています。
 兜塚を含む狛江古墳群は南武蔵で最大規模の
古墳群と推定されていますが、墳丘の形状を留
めているのは僅かで、本古墳は良好な状態で遺
存している貴重な古墳といえます。狛江古墳群
では二ヵ所の主体部が発掘調査され、神人歌舞
画像鏡、鉄製刀身、玉類、金銅製馬具などが出土
した亀塚古墳が有名です。亀塚古墳は五世紀後
半から六世紀初頭ころの狛江古墳群の盟主墳と
考えられますが、兜塚古墳は亀塚古墳の次世代
の盟主墳と考えられています。
平成二二年三月 建設
             東京都教育委員会



「兜塚古墳」ー東京都指定史跡ー

 画像は、兜塚古墳を北西から見たところです。
 狛江市内に残存する古墳の中では、おそらく一番保存状態の良い古墳です。
 どの角度から見てもきちんと円形に見えるという円墳が、東京都内では少ないのです(帆立貝型前方後円墳かもしれませんが)。


「兜塚古墳」ー東京都指定史跡ー

 接写。
 こうして近寄ってみると、古墳の大きさが感じられますね。

 私は、こうした古墳公園が大好きで、野毛大塚古墳なんかは心の底から落ち着くのですが、この兜塚の公園にもゆっくりと腰を下ろせるベンチがあるといいなあと思っているというたわ言。。。


「兜塚古墳」ー東京都指定史跡ー

 墳頂部の様子です。
 さすがにある程度の広さがありますね。


「兜塚古墳」ー東京都指定史跡ー

 墳頂部には三角点の標石が置かれています。
 確か、ここが狛江市内で最も高い場所だとお聞きした記憶があるのですが、ちょっと記憶がおぼろげになってきています。。。


「兜塚古墳」ー東京都指定史跡ー

 墳頂部から北側を見下ろしてみたところです。
 かなり高さがあるのがわかります。
 周溝の痕跡らしき形状が見られます。


「兜塚古墳」ー東京都指定史跡ー

 公園を出て、南西角から見た兜塚古墳の墳丘です。


「兜塚古墳」ー東京都指定史跡ー

 南東から見たところ。
 この素晴らしき古墳が、後世に残されることを祈ります。。。

<参考文献>
狛江市教育委員会『狛江市の古墳(Ⅰ)』
狛江市教育委員会『狛江市の古墳(Ⅱ)』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』
多摩地域史研究会『多摩川流域の古墳』
狛江市教育委員会『兜塚古墳発掘調査報告書』


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  1. 2019/09/09(月) 00:34:53|
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「松本塚(?)」

 狛江市内は、古くから「狛江百塚」と呼ばれるなど、かつてはかなり多くの古墳が密集して存在したといわれています。

 昭和10年(1935)狛江村発刊の『狛江村誌』の著者であり、鳥居龍蔵氏の「武蔵野会」にも属していたという、地元狛江市内の郷土史家である石井正義氏は、昭和初年度に「狛江百塚は墳陵の一にして、此地国造国司の墳墓なり。九十九塚とも車塚とも云う。其の数多く故に百塚と呼称す」として『狛江百塚の記』という手書きの草稿をまとめています。さらにその後、子息である石井千城氏が昭和33年に補訂して、『狛江百塚』としてまとめられています。
 狛江の開発が始まった昭和の高度経済成長期以降、多くの古墳は破壊されて消滅。現在残されている古墳は十数基といわれる中、高度経済成長期以前に書かれたこの『狛江百塚』は、その後の市内の古墳の分布調査においても参考資料とされており、失われてしまった狛江古墳群の復元の手掛かりとなっているそうです。
 古くは『新編武蔵風土記稿』や『武蔵名勝図会』といった江戸時代の地誌類にも狛江の古墳について多くの記述が見られますが、これらに「百塚」という名称での記載はなく、どうやらこの石井氏の著作が百塚の名の由来となっているようです。

 ちなみに私は、この『狛江百塚』をなんとか見られないものかと探してみたのですが、少なくとも図書館に置いてあるような代物ではなく、残念ながら閲覧の夢は叶っていません。ただし、昭和???年刊行の『狛江市史』の中で、わずかながらこの狛江百塚についてふれられています。同書にはもはや聞いたことのない塚の名称がずらりと列挙されており、消滅してしまった多くの古墳の所在地や出土品、由来などが記されているようです。


「松本塚(?)」

 というわけで。前置きが長くなりましたが、画像は、『狛江百塚』にその名が掲載されている「松本塚」ではないかと考えた塚です。周囲が大きな石で囲まれていてわかりにくいのですが、若干の塚状の高まりが確認できます。
 この塚についての情報は、名称以外には全く見つけることができなかったので詳細は不明。最終的に塚の所有者のお宅をお尋ねして奥様にお聞きできたのですが、狛江通りが拡張された頃に造られたものである、という以外に塚の性格や由来は不明で、果たしてこの塚が『狛江百塚』に記載の「松本塚」であるのか、それとも単なる庭の築山であるのか、真相はわかりませんでした。。。

「松本塚(?)」

 背後から見た塚のようす。
 それにしても『狛江百塚』、チャンスがあればお目にかかりたいものです。どう書いてあるんだろう。。。

<参考文献>
狛江市『狛江市史』


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  1. 2019/09/08(日) 23:11:29|
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