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古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

さいたま市見沼区「稲荷大明神」

さいたま市見沼区 23 稲荷大明神(無名称の塚)

 今回は、さいたま市見沼区染谷に所在する塚のお話です。

 この塚は、さいたま市教育委員会より発行された『さいたま市の塚調査報告』に記載された情報のみを頼りに現地を訪れました。
 とはいえ、同書の本文中にはこの塚についての記述はなく、「富士塚以外の塚」の項にある「第二表 さいたま市内の富士塚以外の塚」という一覧表に記載されている情報のみです。

 この一覧表には、規模について「径13.0m×10.3m、高さ0.6m」と、塚上にあると思われる「稲荷大明神」石祠(文化六年 1809)」という情報しか記載されていません。
 ただし、所在地については「染谷××××番地」と、一応正確な番地が記載されています。
 旧番地の住居表示ですので、所在地が突き止められずに苦戦する可能性も考えられますが、行ってみればなんとかなるだろうと思うようにして、わりと楽観的に訪れました。笑。


 そして、この区画であろうと想定して訪れた敷地の角地には、コンクリートに囲まれた塚状地形が!

 「ソーラ見ろ!あっさり見つかったぜ!」
 と、バシャバシャ写真を撮りまくっていたのですが。。。

 よくよく考えると、あれ?稲荷大明神の祠はどこかな。。。?


さいたま市見沼区 23 稲荷大明神(無名称の塚)2

 塚上には何基かの石碑が存在しますが、稲荷の石祠は見当たりません。

 『さいたま市の塚調査報告』には、塚上には稲荷大明神の祠があることしか書かれていませんので、馬頭観世音の石塔が存在する時点で、この塚ではないのではないかという状況です。

 ほかに塚があるのかな?


さいたま市見沼区 23 稲荷大明神(無名称の塚)3

 そこに偶然、走ってきた車が私のすぐ背後に止まりました。
 チャンス!このお家の人かもしれない!ということで、稲荷大明神の祠と塚の存在について訪ねてみたところ、「あ、ここがうちの実家なんだけど、それは実家の敷地の中にあるやつだョ」というお返事。

 「うわー!なんてラッキーなんだ!」とびっくりしましたが、不思議なことに、さいたま市内では何度もこういうことがあったんですよね。。。


さいたま市見沼区 23 稲荷大明神(無名称の塚)4

 これが稲荷大明神の塚です。
 鳥居が建てられており、その奥にこんもりと小高い塚の上に祠が祀られています。


さいたま市見沼区 23 稲荷大明神(無名称の塚)5

 土地の所有者の方と、「図書館で調べて、さいたま市の塚調査報告という本を見てきたんですー」みたいな会話をしたのですが、「そんな本にうちの稲荷が載せられているなんてまったく知らなかったよ」ということでした。
 調査員(学芸員?)が実際に現地を訪れて調査しているのかと思っていましたが、そうでもないのかな?

 私にとってはこの場所は「塚」という認識なのですが、土地の所有者にとっては「うちのお稲荷さん」であって「塚」ではないわけですよね。
 「塚って何?この土盛り?」みたいな感じで微妙に会話がかみ合わないことがあるのが面白いなと思います。


 土地の所有者の方には、お休みの日に時間をいただいて見学させていただきました。
 まったくもって少数派な趣味にお付き合いいただいて申し訳ないです。笑。
 ありがとうございました。。。

<参考文献>
さいたま市教育委員会『さいたま市の塚調査報告』


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  1. 2022/01/17(月) 23:58:43|
  2. 埼玉県の古墳・塚
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さいたま市見沼区「富士山」

さいたま市見沼区 14 南中野・富士山1

 画像は、さいたま市見沼区南中野の「十王尊」です。
 かつては現在地より南に位置していたようですが、のちにこの地に移され、近年では「十王様」と呼ばれて親しまれています。

 十王尊の縁起には諸説あるようですが、一説には天正十八年(1590)、岩槻城落城の際、秘仏が敵方に渡るのを恐れ、井上、堀江両氏により当地へ移されたといわれています。

 十王尊は縁結びの仏様として信仰され、2月と8月の16日の祭礼日には、その年に縁結びをした花嫁が正装をして良縁を得た御礼に参拝する習わしがあり、戦前までは露店や見世物が出て大変な賑わいであったそうです。
 また、下の病いや婦人病等に霊験があらたかであり、縁日に「みながわ(薄い筵のような敷物)」を受けて帰り、敷いて寝ると病が治ったといい、その時には新しい「みながわ」を二枚奉納し御礼したといいます。

 さて、この境内にも1基、「富士山」と呼ばれる塚が所在します。


さいたま市見沼区 14 南中野・富士山2

 画像が「富士山」です。

 十王尊境内の南東部にあり、規模は東西10m、南北13m、高さ2mで、すり鉢を伏せた形状を呈していますが、一部は切り崩されています。

 古墳を流用した可能性はないのかな。
 さいたま市内に所在する富士塚や浅間塚は、古墳流用説がほとんど存在しないんですよねー。。。


さいたま市見沼区 14 南中野・富士山3

 塚には「浅間宮」の石碑が祀られています。

 参道や石段等は存在しませんのでどちらが正面なのかはよくわかりませんが、祠の向きや、塚の頂部に向かった窪みの形状からして、こちらが正面かな?という画像です。


さいたま市見沼区 14 南中野・富士山4

 頂部に祀られている、安政五年(1858)建立の浅間宮の石碑です。
 

さいたま市見沼区 14 南中野・富士山5

 塚の東側にある稲荷社です。


さいたま市見沼区 14 南中野・富士山6

 塚の南西の裾部に祀られている甲子社です。


さいたま市見沼区 14 南中野・富士山7

 大宮市指定文化財
 天然記念物
 十王尊の大イチョウ
             所在地 大宮市大字南中野九九二番地
             指 定 昭和五十年二月七日

 イチョウはソテツなどとともに最も古い植物の一つです。雌雄異
株で雄花の花粉が風で飛ばされて雌花につき、九月頃授精します。
成長が非常に早く、強健で病虫害はほとんどなく、耐火性も優れて
います。
 この十王尊の大イチョウは、たくましく根をおろし、まっすぐに
伸びた主幹が地上十メートル付近から四方に展開し、枝張りは美
しい均衡を見せています。樹勢もたいへん良好な雌のイチョウで、
秋には葉が黄色に色づき、たくさんのギンナンを実らせます。
 十王尊の前を通る道は、かつての岩槻城に通じる古道で、十王尊
は岩槻の武将が祀ったとの伝えがあります。
   樹齢  推定約250年
   樹高  25,00m
   幹回り  3,55m
   根回り 10,40m
               平成十年三月 大宮市教育委員会


<参考文献>
さいたま市教育委員会『さいたま市の塚調査報告』
現地説明板


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  1. 2022/01/16(日) 21:08:56|
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さいたま市見沼区「御嶽山塚」

さいたま市見沼区 21 南中丸・御嶽山塚1

 画像は、さいたま市見沼区南中丸に所在する神明社です。

 当地の開発は大島・加畑・倉波・見富・矢部など八軒によって行われたといわれ、いずれも十八、九代を数えることから、その時期は中世末期までさかのぼると考えられています。
 古くから「向の神明様」と呼ばれており、創建に関する伝えはないものの、矢部一家や大島一家といった旧家によって祀られてきたことから、村の開発の当初に、これら旧家の先祖たちによって創建されたものであるとされています。

 祭神は天照大神で、本殿には両部神道で天照大神が日向国に下生した時の姿といい、大日如来の化現したものともいう雨宝童子像を奉安します。


さいたま市見沼区 21 南中丸・御嶽山塚2

 神明社本殿の様子です。

 明治六年(1873)に村社に列しています。
 明治後期に南中丸の四社(神明社二社、八幡社、白山社)を見富家の屋敷鎮守に合祀することになったものの、氏子の間から反対する声が上がり、合祀は一時回避。その後、明治四十年()に中山神社へ合祀されますが、社殿は旧地に残されたまま祭祀も継続して行われたそうです。

 太平洋戦争後にいち早く神社再建の声が上がり、昭和22年に復祀されています。
 この神社にも1基の塚が所在します。
 画像の右端にチロっと見えていますね。。。


さいたま市見沼区 21 南中丸・御嶽山塚3

 左が神明社の社殿、右が「御嶽山塚」です。

 なかなかのコンクリートでの固められっぷりです。
 塚の斜面に石碑など何も存在せず、禿山なのが異彩を放っていますな。


さいたま市見沼区 21 南中丸・御嶽山塚4

 南から見た御嶽山塚です。
 さいたま市教育委員会より発行された『さいたま市の塚調査報告』には、塚の規模、東西6.5m、南北8.5m、高さ2.5mと記されています。

 ちなみに同書にはまだコンクリート化されていない土盛りだったころの塚の写真が掲載されていますが、塚の規模自体はそれほど変わっていないか、それともわずかに小さくなっちゃったかな?というところ。

 それにしても、最近むしろこういうコンクリート化された塚に萌えるようになってきてしまった気がするのですが、まあなんというか変態ですよね。。。
 我ながら、感性が少数派すぎて分かり合う仲間はできませんわね。。。笑。


さいたま市見沼区 21 南中丸・御嶽山塚5

 後頭部の様子。


さいたま市見沼区 21 南中丸・御嶽山塚6

 塚の頂部には径1.8mの平坦面が設けられており、慶応三年(1867)建立の「御嶽山神社 八海山神社 三笠山神社」と刻まれた石碑が建てられています。


さいたま市見沼区 21 南中丸・御嶽山塚7

 境内社のお稲荷さんにもお参り。

 陽が傾いてきてしまったので、この日はここで終了。
 すっかり乗り馴れた東武野田線の大和田駅から帰宅となりました。。。

<参考文献>
埼玉県神社庁『埼玉の神社 北足立 児玉 南埼玉』
さいたま市教育委員会『さいたま市の塚調査報告』
現地説明板


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  1. 2022/01/15(土) 20:02:29|
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さいたま市見沼区「南中丸八幡神社の塚」

さいたま市見沼区 20 南中丸八幡神社・塚1

 画像は、さいたま市見沼区南中丸に所在する「八幡神社」です。

 南中丸は、芝川左岸の大宮台地上に位置しており、東・南・西の三方を見沼の低地に囲まれた農業地域です。口碑によれば、このあたりは大島・加畑・倉浪・見富・矢部などの八軒によって開かれたといわれています。
 また、字堀の内には、春日市が居城したとの伝承を持つ館跡があり、その在城年代は明らかでないが、大島家・加畑家といった旧家が春日氏の家臣の裔であるといわれています。

 この神社は、南中丸の鎮守として祀られてきた三社の神社のうちの一つで、創建に関する伝えはないものの、春日氏の居城した館があったころには当社も創建されていたと推測されています。

 『新編武蔵風土記稿』によれば、この神社は「村持」となっており、別当については記されていないものの、かつて天王様が行われていたころには、神輿を当社の東南700メートルほどの所にある西光院跡地(南中丸自治会館)に移して祀っていたことから、同院とのかかわりがうかがわれています。


 この神社の境内には、1基の塚が存在します!
 さっそく境内を散策してみましょう。


さいたま市見沼区 20 南中丸八幡神社・塚2

 八幡神社の鳥居です。

 神社は芝川左岸の大宮台地に位置しており、周辺は宅地化が進んではいるものの、まだ農地も多く残されています。


さいたま市見沼区 20 南中丸八幡神社・塚3

 八幡神社本殿の様子です。

 塚は神社境内の北西部に所在します。
 すでに、画像の本殿に向かって左手奥にチロっと小さく見えていますな。笑。

 もっと近寄ってみましょう。


さいたま市見沼区 20 南中丸八幡神社・塚4

 規模は、東西4.1m、南北5.3mのほぼ円形を呈しており、高さは1.4mです。
 塚の頂部には「阿夫利神社」の石塔が建てられています。


さいたま市見沼区 20 南中丸八幡神社・塚5

 阿夫利神社の石塔。
 文化七年(1810)建立です。

<参考文献>
埼玉県神社庁『埼玉の神社 北足立 児玉 南埼玉』
さいたま市教育委員会『さいたま市の塚調査報告』
現地説明板


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  1. 2022/01/14(金) 20:10:45|
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さいたま市見沼区「中川の庚申塚」

さいたま市見沼区 19 無名塚(庚申塚)1

 画像は、さいたま市見沼区中川に所在する塚です。
 第二産業道路高井バス停側の、コープ大宮中川店の駐車場に取り込まれる形で残されています。

 塚の頂部には庚申塔が祀られていますので、命名するなら庚申塚ということになるでしょうか。。。


さいたま市見沼区 19 無名塚(庚申塚)2

 さいたま市教育委員会より発行された『さいたま市の塚調査報告』には、規模は径4.3m×4.5m、高さ0.7mと記載されています。
 塚の東側には石段が設けられており、参拝することができます。

 うん。いい風景だ。。。笑。


さいたま市見沼区 19 無名塚(庚申塚)3

 塚の北西側、コープ大宮中川店の駐車場側から見たところ。
 こちら側は若干削られているようです。。。


さいたま市見沼区 19 無名塚(庚申塚)4

 明治13年(1880)建立の庚申塔で、笠付角柱の青面金剛立像です。

<参考文献>
さいたま市教育委員会『さいたま市の塚調査報告』
現地説明板


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  1. 2022/01/13(木) 23:36:44|
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さいたま市見沼区「新堤の無名塚」

さいたま市見沼区 53 無名塚1

 今回は、さいたま市見沼区新堤に所在する、名称のない塚です。
 Dailycareセイジョーという薬屋さんと大宮加工という会社の建物の間に、フェンスに囲まれて保存されています。

 さいたま市教育委員会より発行された『さいたま市の塚調査報告』には塚として記載されており、規模は10m×10m、高さ2.5mです。

 塚の性格などはわかっていないようですが、塚自体は建物と建物の間でとても良好に残されています。


さいたま市見沼区 53 無名塚2

 近寄ってみました。
 素人目線でぱっと見は、「お、まるで古墳みたいじゃん。。。」と感じましたが、立地を考えるとやはり塚なのかな。。。
 
 ちなみに手前にある自転車は私のではありません。笑。


さいたま市見沼区 53 無名塚3

 西から見たところ。
 塚上にも特に石碑や祠があるわけでもないし、何の塚なのかまったくわかりません。。。


さいたま市見沼区 53 無名塚4

 塚上の切り株。
 かなりの大木が存在したようですね。。。


さいたま市見沼区 53 無名塚5

 3〜40メートルほど南方でもう1基、小さな塚を見つけました。
 『さいたま市の塚調査報告』には記載されていない、無名の塚です。


さいたま市見沼区 53 無名塚6

 北から見たところ。
 どうも、祠の中には何も祀られていないらしく、何の塚なのかは不明。
 このまま周辺の開発が進めば、消滅してしまいそうです。。。

<参考文献>
さいたま市教育委員会『さいたま市の塚調査報告』
現地説明板


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  1. 2022/01/12(水) 23:02:30|
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さいたま市見沼区「不食(ふじき)供養塔」

さいたま市見沼区「不食(ふじき)供養塔」1

 画像は、さいたま市見沼区新堤に所在する「不食(ふじき)供養塔」です。

 この場所は、さいたま市教育委員会より発行された『さいたま市の塚調査報告』に塚として記載されています。
 同書によると、塚の規模は径4.2m×4.4m、高さ0.3mという小さな塚で、現在は塚の周囲が削られて方形を呈しており、高さは0.3m以上あるように感じられます。

 現地に設置された説明板によると、塚の前を走る東西の道は大宮と岩槻を結ぶ古道で、国道16号が開通するまでの主要道路であったそうです。見沼代用水東縁の半縄河岸や岩槻の町との行き来には必ず利用した道で、南は七里小学校前を過ぎて日光御成道に合流し、浦和市大門や鳩ヶ谷方面に続いています。

 そんな古道の旧馬捨場といわれる場所に、塚は所在します。。。


さいたま市見沼区「不食(ふじき)供養塔」2

 不食供養塔という石塔の存在は、この塚を見学して初めて知りました。

 無知な私は、現地近くで地元の古老の男性に「ふしょくくようとう、知りませんかー?」とか聞いてしまう始末。
 「ああ、ふじきくようとうね。」と優しくお教えいただきましたが、ろくに下調べもせずに向かってしまって、本当に不勉強で申し訳ないです。。。


さいたま市見沼区「不食(ふじき)供養塔」3

 この不食供養塔は、ほぼさいたま市内にしか存在しない、かなり希少な石塔です。

 不食供養という民間信仰は、毎月特定の日に何も食せず、3年3か月間にわたり念仏を唱える修行をするというもので、この供養塔は、江戸時代中頃の元禄十六年(1704)に新堤村の長嶋八郎右衛門が信仰の成就を記念して造立したものです。
 この信仰の詳細はわかっていないようですが、食を絶っての信仰が存在したことは確かなようです。

 旧大宮市内では、西部地区の三橋や清河寺で同様な信仰があったことが知られているそうです。。。


 ちなみに『さいたま市の塚調査報告』には「かつては高さ1メートルほどの不整形を呈する塚であり、その中央に同石塔が据えられていた。」とあり、コンクリートで囲まれる以前の土盛りの塚の写真が掲載さています。
 
<参考文献>
さいたま市教育委員会『さいたま市の塚調査報告』
現地説明板


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  1. 2022/01/11(火) 23:57:47|
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さいたま市西区「指扇の消滅した塚」

さいたま市西区 06 無名塚1

 今回は、すでに消滅してしまった塚のお話です。

 さいたま市教育委員会より発行された『さいたま市の塚調査報告』には、本文中に詳細は記されてはいないものの、64ページの「第二表 さいたま市内の富士塚以外の塚」という一覧表の6番に「指扇1287 個人宅内」として塚が掲載されています。
 規模は直径32m、高さ3mというかなり大型で、一覧表の備考欄には「竹林、塚上の木造祠内に幣束二本・狐一対をまつる」と記載されています。
 報告書の刊行は2002年ですので、少なくとも20年前にはこの塚は残存していたということになります。
 直径32mという規模からして興味をそそられたのですが、Googleマップで現地を確認してもそれらしき地形は見当たりません。おそらく塚は宅地化により削平されてしまったのではないか?と想定しましたが、なにか痕跡を見つけることができるかもしれないし、と考えて足を運びました。

 それがなんと!
 地元で声をかけた方がたまたま塚の跡地のかつての所有者の方で、塚が残存する当時のお話を色々と聞くことができました。

 このお宅の家系は古くは武士で、塚は弓の的にしていた場所であると言い伝えられていたそうです。
 つまり、塚は古墳などではなく、別の目的で造られた後世の塚であろうと想定されていました。
 宅地化にあたっては、きちんと発掘調査が行われたそうですが、この調査当時、母屋が建てられて塚の半分は削平されており、切り取られた断面はザックリと崖状になっていたそうです。
 この発掘調査では塚からは特に何も出土しなかったそうですが、塚のさらに下の層からは縄文時代の遺構が検出されたそうです。

 塚の跡地は、画像中央の宅地となった場所です。
 手前の道が弧を描くようにカーブしており、これはかつての塚の痕跡となるようです。


さいたま市西区 06 無名塚2

 今でも、農作業中に地中から縄文時代の遺物が出てくるそうです。
 土地の所有者の方はこれを集めていて、当日見せていただきました。

 中央の石斧がいい状態ですね。。。

 おそらく、発掘調査報告書は刊行されているのではないかと思われます。が、実は私はまだ未見なのですが、、、せっかく色々なお話をお聞かせいただいて写真も撮ったのに、更新しないまま時間が経ってしまうのもアレだし、とりあえず報告書を見つけた時にはこっそりと書き換えるということにして、今わかっていることを公開してみました。

 現地では色々とお話をお聞かせいただき、楽しい時間を過ごさせていただきました。
 ありがとうございました。。。

<参考文献>
さいたま市教育委員会『さいたま市の塚調査報告』


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  1. 2022/01/10(月) 17:29:07|
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さいたま市西区「伯楽塚」

さいたま市西区「伯楽塚」1

 画像は、さいたま市西区西遊馬に所在する「伯楽塚」です。

 この伯楽塚は、どこにあるのか所在地がよくわからず、周辺をウロウロと散策する羽目になりました。
 荒川の左岸は広くゴルフ場として開発されており、その東側も広く埼玉栄高校のグラウンドとなっています。その境に細い小道があるのですが、この道の左右は木立となっていて周辺の風景がよく確認できません。

 さいたま市教育委員会発行の『さいたま市の塚調査報告』には「西遊馬2155番地」と所在地がきちんと記載されているのですが、周囲がゴルフ場とグラウンドという状況でこの番地がどこになるのかさっぱりわからず、何度も同じ場所を行ったり来たりしました。笑。
 結論として、ゴルフ場とグラウンドの境の道を北に向かい、JR埼京線の高架の突き当たって左に折れると、やがて左側のゴルフ場の敷地内に塚が見えてきます。

 う〜ん、、、塚が視界に入るところまで辿り着けずに、同じ道を行ったり来たりしていました。。。



さいたま市西区「伯楽塚」2

 画像は、東から見た伯楽塚です。

 塚の頂部には、高さ131cmとかなり大きな馬頭観音の石碑が建てられています。
 馬頭観音の石碑は馬の供養のために飼い主が建てるのが一般的ですが、この碑は大勢の人によって建てられているのが特徴的です。

 正面には蓮華座の上に馬頭観世音が浮彫にされており、裏面には、寛永六年(1853)蛇月吉日と年代が彫られています。
 この馬頭観音は地元の人々に『伯楽の碑』と呼ばれていますが、この「伯楽」とは馬医者の事で、遊馬村天ヶ島の馬医者、桑島流伊藤源司と息子の恒蔵、孫の源太郎が世話人となって造立したことからそう呼ばれているそうです。

 与野町の石工佐藤太四郎と製作者の名前も彫られており、また台石の真ん中には『助力馬持中』とあり、さらに四方に寄付金額と村名、氏名が刻まれています。その中には馬医中、馬売買中というのも見え、また遊馬村(現 さいたま市・西区西遊馬)の他に川越松郷、戸田、板橋など遠方の人々の名も見えます。

 戦前まではこの地域ではかなり馬が飼われ、台所の側に家族と共に一つ屋根の下で大切にされていたそうですが、40ヵ村以上の村々から500人を超える人々が、一分とか二朱といった寄付を寄せており、かなりの大金を捻出した人も少なくないようですが、この地域で馬が大切にされていた様子が伺えます。。。


さいたま市西区「伯楽塚」3

 塚の規模は、径11m×12.7m、高さは1.4mを測ります。

 この石碑のあたりは馬医者の屋敷跡で、碑から北西方向へ数百メートルほどの地点に荒川を渡って川越の城下町に入る千手堂の渡しがあり、その少し下流に、近郷近在の農産物や年貢米を江戸に積み出す下河原河岸があったそうです。

 指扇、大宮両方向から延びて来た川越道はこの伯楽の碑のあたりを通っており、川越の城下に行く人や河岸から船積みする荷を運んできた人など、多くの人々が行き交わっていたといわれます。

 遠い道を旅して来た人は伯楽の碑の辺りで馬を止めて水を呑ませて休ませ、馬の疲れを癒し、病を治癒し、爪を切って貰う馬医者の屋敷跡だった伯楽の碑の辺りはそのような馬が列をなして順番を待っていたそうです。

 歴史あるこの川越道の馬頭観音と「伯楽塚」が、いつまでも残されるといいですね。。。

<参考文献>
「馬宮のあゆみ」刊行委員会 大宮市馬宮公民館『馬宮のあゆみ 〜荒川の流れとともに〜』
さいたま市教育委員会『さいたま市の塚調査報告』


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  1. 2022/01/09(日) 04:12:17|
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さいたま市西区「赤羽根氷川神社の富士塚」

さいたま市西区「赤羽根氷川神社の富士塚」1

 画像は、さいたま市西区指扇に所在する「指扇氷川神社」です。

 この神社の祭神は素戔嗚尊で、創建年代等は不詳ながら、日本武尊が東征の際に、一宮氷川神社の分霊を当村の守護神として祀ったと伝えられています。
 神社は荒川と鴨川に挟まれた大宮台地の突端部に低地を見渡すように鎮座しており、昭和10年代までは、その台地の裾から湧き出る清水が、干ばつでも涸れないほど豊かな水を湛えた池を形作っていたそうです。
 このことから、創建は、見沼に坐す水神を祀ったことに始まる一宮氷川神社に倣い、水源を擁する台地上に水の神として祀られたのであろうと考えられています。

 まずは早速参拝しましょう!


さいたま市西区「赤羽根氷川神社の富士塚」2

 神社の社殿の様子です。

 指扇村は、戦国期の成立とされる「市場之祭文写」に「武州足立郡遊馬郷指扇村市祭成之」とあり、このころ既に一村をなしていたことがわかります。
 この赤羽根氷川神社は、指扇領七か村の総鎮守として崇められたといわれ、明治期に村社に列格、明治40年に指扇領別所宮脇の別所八幡神社をはじめ、明治43年までに村内の八社を合祀しています。


さいたま市西区「赤羽根氷川神社の富士塚」3

 さて、この神社の境内にも、1基の塚が存在します。
 境内入口の鳥居の右側にある塚で、斜面には石が敷かれ、頂部には「牛頭天王」の石祠が置かれ、さらに南側には「雷神社」の石祠と「蒼同祖神」の石祠が祀られています。

 高さは0.6mとあまりないのですが、東西13m、南北16mと比較的大きな塚です。


さいたま市西区「赤羽根氷川神社の富士塚」4

 塚の頂部に建てられているのは、大正6年(1917)建立の「牛頭天王」の石祠です。

 あくまで素人考えではありますが、南西に300~400メートルほどとかなり近い位置では、発掘調査により古墳の周溝が確認されていますし、大宮台地の突端部という立地的にも、この周辺に古墳が存在してもおかしくはないよな?と感じます。
 古墳を流用した塚である可能性はないのかな。。。


さいたま市西区「赤羽根氷川神社の富士塚」5

 右側は明治19年(1886)建立の「蒼道祖神」の石祠。
 左側は明治19年(1886)建立の「雷神社」です。


さいたま市西区「赤羽根氷川神社の富士塚」6

 周辺には、興味を惹かれる地形がテンコ盛りです。笑。

 画像は、氷川神社から南に100mほどに位置する「荒沢不動尊」です。
 周囲を歩いてみた感じからして、人為的に築かれた塚なのではないか?古墳である可能性はないだろうか?とも感じましたが、特に古墳説を唱える文献等も見当たりません。。。
 気のせいなのかも。。。笑。


さいたま市西区「赤羽根氷川神社の富士塚」7

 画像は、荒沢不動尊の、道路を挟んで東側にある「弁財天」です。
 
<参考文献>
さいたま市教育委員会『さいたま市の塚調査報告』
現地説明板


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  1. 2022/01/07(金) 21:20:24|
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