古墳なう

ご〜ご〜ひでりんの古墳探訪記

栃木県大田原市「銭室塚古墳」

栃木県大田原市「銭室塚古墳」

 黒羽の市街から南方に3キロほどの、大田原市北滝地区の那珂川左岸の段丘上に所在するのが「銭室塚古墳」です。昭和52年(1977)5月18日に大田原市の史跡として指定されている古墳で、下段径約26メートル、高さ約2メートル、上段径約18メートル、高さ約2.5メートルの二段築成の円墳です。外面から周溝を確認することはできませんが、かつて周辺の圃場整備が行われた際に幅約5メートル程の周溝が見つかったと伝えられています。6世紀頃の築造と推定されているようです。


栃木県大田原市「銭室塚古墳」

 墳丘上には、大田原市教育委員会による説明板が立てられています。かなり色褪せていて現地では読み難いのですが、次のように書かれています。

            大田原市指定文化財 史 跡 銭 室 塚 古 墳
                                 (昭和52年5月17日指定)
 那珂川左岸段丘上に立地する2段築成の円墳である。直径26m、高さは4.5mあり、ほぼ中段にテラス状の平坦
面を持つ。墳丘表面は、河原石の葺石で覆われている。埴輪等が伴っていた痕跡は見あたらない。また、原形か
らは認められないが、基盤整備時の土の観察から、幅5mほどの周溝が伴っていたといわれている。
 主体部は、南西に面して開口している河原石を乱石積みした両袖型の横穴式石室である。側壁は、わずかに銅
張りを呈し、“持ち送り”もゆるやかである。床面にも河原石を敷きつめていたと思われる。石室の規模は、玄
室長さ6.3m、玄室最大幅2.0m、奥壁幅1.4m、奥壁高さ1.45mを測る。玄室には”ほうだて石”(袖石)が左右に立
ち、その上に“まぐさ(楣)石”がしっかりと載っている、羨道部(墓道)の天井石は外されて墳丘南斜面に1個存
在している。側壁は、土砂に覆われているが、その長さは約3mほどである。
 いつの時期か盗掘を受け、石室内に遺物は見あたらない。ただ、金銀珍宝を埋めた塚と言い伝えられて銭室塚
の名が残っている。
 現在、周囲には他の古墳は認められないが、当時は数基の円墳が群集しており、この古墳もその中のひとつで
あったと思われる。
 周囲の水田には、古墳時代後期に比定できる土器片が散布しており、銭室塚古墳もこの時期に築造されたもの
と推測される。未調査の古墳であるが、円墳ではなく墳形を帆立貝式とみる考え方もある。
                                         大田原市教育委員会

栃木県大田原市「銭室塚古墳」

 墳丘南側に横穴式石室が開口していますが、入り口は土砂に埋没しており、残念ながら内部を観察することは出来ません。。。


栃木県大田原市「銭室塚古墳」

 墳丘南斜面に外された羨道部の天井石が置かれています。


栃木県大田原市「銭室塚古墳」

 墳丘の裾部と斜面部には河原石による葺石(ふきいし)が見られます。
 真夏の、青々とした稲穂の中に浮かぶ古墳の写真を撮りたいと思うのですが、なかなか機会に恵まれません。。。

<参考文献>
塙 静夫『探訪 とちぎの古墳』
有限会社 随想舎『那珂川と八溝の古代文化を歩く』 
栃木県小川町教育委員会『国指定史跡 那須小川古墳群』
現地説明版


人気ブログランキングへ

  1. 2017/06/25(日) 22:19:23|
  2. 那須町•大田原市•那珂川町
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

栃木県那須郡那珂川町「川崎古墳」―那珂川町指定史跡―

栃木県那須郡那珂川町「川崎古墳」

 「川崎古墳」は、栃木県那須郡那珂川町の武茂川と那珂川の合流地点近くに位置する古墳です。北に「北向田古墳群」、東に「三枚畑古墳群」があり、川崎古墳はこの中心的位置にある古墳です。馬頭から小川方面へ向かう国道293号線が大きく右にカーブする左手の細い道を下ると、やがて木彫りの「川崎古墳」の標識が見えてきますが、この奥の民家の敷地内に古墳は所在します。


栃木県那須郡那珂川町「川崎古墳」

 画像が、「川崎古墳」を北西から見たところです。右手前が前方部、左奥が後円部です。
 敷地内に設置されている那珂川町教育委員会による説明板には次のように書かれています。

    川 崎 古 墳
 川崎古墳は、馬頭町大字久那瀬字川崎に所在し、那珂川とその支
流武茂川の合流点近くの低段丘上に築造された古墳時代後期の前方
後円墳です。この周辺には、北側に北向田古墳群、その東側の丘陵
には唐の御所横穴墓(国指定史跡)を中心とする和兄・北向田横穴
墓群、東側の台地上には三枚畑古墳群などがあり、川崎古墳はその
中心的存在をなしています。
 本墳は前方部を西に向けて造られ、全長は約四九メートル、後円
部の径は約二一メートル、後円部の高さは約四・五メートル、前方
部と後円部の頂部間は約二四メートルで、前方部が約一メートル程
低くなっています。前方部幅は三〇~三五メートルと推定され、墳
丘全体に葺石が施されています。
 本墳を特に著名ならしめているのは巨大な横穴式石室で、後円部
中央から南に向かって開口し、羨道は欠損していますが玄室部は良
く遺存しています。自然石を巧みに積み上げて造ったもので、天井
と玄室奥壁には巨大な石が使われています。玄室の規模は全長が約
八・二メートル、幅は奥壁側で約一・七メートル、玄室側で約一・
六メートル、最大幅三メートルで胴張りの強い両袖型の横穴式石室
です。今のところ開口している横穴式石室では栃木県内最大級の規
模を有し、那須地方はもとより、県内でも貴重な古墳の一つです。
 昭和六三年に石室内の精査を目的に国士館大学教授大川 清文学
博士の指導で調査を行い、ガラス小玉・耳環などの装飾品、鉄鏃・
鞘尻・留金具・飾り弓金具などの鉄製品、須恵器などが出土しまし
た。このほか古銭・カワラケ・陶磁器など中世期の遺物も出土して
おり、石室は割合早い時期に開口していたようです。
                     那珂川町教育委員会



栃木県那須郡那珂川町「川崎古墳」

 画像が石室内のようすです。この古墳は、耳環の組み合わせから、少なくとも数次の追葬が想定されており、遺物の年代は6世紀後半から7世紀前半で、古墳の築造は6世紀後半の比較的新しい時期であると推定されています。そして、15世紀後半頃に石室内の主な副葬品が持ち去られ、明治期には民家の建設により墳丘が削られ、羨道部分が破壊されたと考えられているようです。


栃木県那須郡那珂川町「川崎古墳」

 石室の入り口周辺には石材らしき石が残されています。破壊された羨道部分の石材でしょうか。
 近年の調査では、古墳の周囲には幅約15メートルの堀が廻っていることや、削り出しによる長方形土壇上に前方後円墳が築かれていること、また前方部にも石室が存在することがわかっており、この石室は盗掘の形跡は認められていないようです。


栃木県那須郡那珂川町「川崎古墳」

 那珂川町の「栃木県立なす風土記の丘資料館」には、川崎古墳の横穴式石室に使用された石材の一部が展示されています。

<参考文献>
塙 静夫『探訪 とちぎの古墳』
有限会社 随想舎『那珂川と八溝の古代文化を歩く』 
栃木県小川町教育委員会『国指定史跡 那須小川古墳群』
現地説明版


人気ブログランキングへ

  1. 2017/06/23(金) 03:04:20|
  2. 那須町•大田原市•那珂川町
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:1

栃木県那須郡那珂川町「北向田古墳群」

栃木県那須郡那珂川町「北向田古墳群」

 「北向田古墳群」は、栃木県那須郡那珂川町の那珂川左岸段丘上に分布する古墳群です。8基の古墳の所在が知られており、現在7基が現存します。
 画像は1号墳の跡地周辺のようすです。昭和38年(1963)に調査が行われた後に消滅した古墳です。当時を知るご近所の農家の方にお聞きしたところでは、発掘された墳丘から河原石を積んだ石室が露出した場面が子供ながらにとても興味深かったとおっしゃっていました。。。


栃木県那須郡那珂川町「北向田古墳群」

 画像は2号墳を北から見たところです。現状の規模は東西、南北ともに一辺が10mの方形を呈しており、高さ2mです。個人の宅地内に残存しており、原形は留めていないようです。
 この周辺地域の明治時代の地籍図を確認すると、「あお地」と呼ばれる除外地が記載されており、このうちの多くは古墳であった可能性が指摘されています。すでに消滅した1号墳や残存する3~7号墳の位置にもあお地が見られ、北向田地区南端の1~7号墳の所在範囲に限っても16~17か所のあお地を確認することが出来ます。
 この周辺地域は、昭和50年代に行われた圃場整備による整地によりかつての地形は失われており、重機を使用した整地により数基の古墳が消滅したともいわれています。ちなみに2号墳と3号墳の間にも3~4か所のあお地が見られることから、かつてはかなり多くの古墳が存在したようです。


栃木県那須郡那珂川町「北向田古墳群」

 画像は、3号墳を西から見たところです。古墳群中唯一、形象埴輪や円筒埴輪が採集されている古墳で、現存規模は東西、南北ともに一辺が10m、高さ1.8mで、墳形は不明です。


栃木県那須郡那珂川町「北向田古墳群」

 画像が、北西から見た4号墳です。現存規模は東西、南北ともに一辺が17m、高さ3.5mで、現状の墳形は方形を呈しています。墳丘上には葺石を見ることが出来ます。


栃木県那須郡那珂川町「北向田古墳群」

 画像は、5号墳を西から見たところです。現存規模は東西4m、南北10m、高さは2mで、墳形は不明です。


栃木県那須郡那珂川町「北向田古墳群」

 画像は西から見た5号墳です。農道により大きく変形しているようです。


北向田6号墳1

 画像は、6号墳を西から見たところです。現存規模は東西11m、南北17.5m、高さは2.5mで、墳形は不明です。


北向田6号墳2

 画像は西から見た6号墳です。こちらも農道により墳丘の東側がざっくりと削られています。


北向田7号墳

 画像は、7号墳の跡地のようすです。この古墳は、東京電力による送電線の鉄塔建設に伴う発掘調査が行われています。規模は径約16mの円墳で、葺石が葺かれていた可能性が高く、埴輪は存在しなかったようです。埋葬施設は河原石積みの横穴式石室で、すでに盗掘にあっていたものの、太刀、小刀、刀子の破片、金銅製の耳環、碧玉、水晶、瑪瑙製の勾玉、小玉などが出土しています。


北向田8号墳

 画像は、8号墳を西から見たところです。地元では古くより「狐塚」とも呼ばれている古墳で、残存する古墳群中最大規模のこの古墳は、東西15m、南北23m、高さ約4mを測り、方墳ではないかと考えられています。墳丘上には葺石が認められるようです。
 明治時代の地籍図に見られる「あお地」は、この8号墳の所在する久那瀬地区にも存在するようです。8号墳は現在よりも若干大きく記載されており、その周囲には数ヶ所のあお地が存在します。そして、さらに東方300mの地点には直径30m、高さ5mほどの「大塚」と呼ばれる古墳が存在したといわれ、やはりこの場所にあお地が見られるようです。
 明治41年頃の北向田小学校の資料には、この大塚について「大塚=北向田小字大塚ニアリ高サ三間、周囲五十間表面ハ芝ヲ以テ蔽ハル」とあり、またこの周辺の古墳について「塚=?小字塚下ニアリ大塚ニ比し稍小形ナレドモ基数現時十七」と書かれており、この当時の北向田古墳群には計18基の古墳(らしき塚?)が存在したようです。

<参考文献>
馬頭町教育委員会『北向田7号墳』
有限会社 随想舎『那珂川と八溝の古代文化を歩く』 


人気ブログランキングへ

  1. 2017/06/21(水) 01:37:32|
  2. 那須町•大田原市•那珂川町
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

栃木県那須郡那珂川町 「首長原古墳(しゅちょっぱらこふん)」

栃木県那須郡那珂川町「首長原古墳(しゅちょっぱらこふん)」

 画像は、那珂川町三輪字七所原に所在する「首長原古墳」を南から見たところです。直径17メートルの円墳で、個人の墓地となっているこの古墳は土地所有者の協力により史跡公園として整備され、横穴式石室が公開されています。この古墳の周湟は2重に廻っており、これは極めて稀な事例であるようです。
 周辺にはほかに6基の古墳が存在したとされ、首長原古墳と合わせて「七所原古墳群」と呼ばれています。昭和28年(1953)には、このうちの「東山古墳(通称宝塚古墳)」のトレンチ調査も行われているようですが、その後の食料増産により削平され、首長原古墳1基のみが残存しています。この7基の古墳の存在が「七所原」の地名の由来ではないかとも考えられているようです。


栃木県那須郡那珂川町「首長原古墳(しゅちょっぱらこふん)」

 画像は、首長原古墳の開口した石室付近のようすです。
 那珂川町教育委員会により設置された案内標識には次のように書かれていました。

首長原古墳

首長原古墳について
 この古墳は那珂川町三輪字七所原にあり、那珂川により形成された中位の河岸段丘上面である小川
面の東端に位置しています。周辺には7基の古墳からなる七所原古墳群があったことがわかっていま
すが、残念ながら本墳を除き消滅してしまいました。
 昭和10年代、平成4年の発掘調査により横穴式石室内から豊富な副葬品が出土したことから史跡
保護の機運が高まり、地権者の快諾を得て、保存整備を実施しました。
 首長原古墳は以前より、前後2つの塚の存在から全長約40mの前方後円墳ではないかと考えられ
ていましたが、周囲の削平により確認することができませんでした。しかし、墳丘斜面には川原石に
よる葺石がみられ、石室をもつ墳丘は直径17mの円形墳であることがわかりました。周堀は墳丘裾
をめぐる二重の周堀が確認され、県内でも極めてまれなものです。
 石室は全長5m、幅1.7m、高さ1.7mあり、その構造から無袖式川原石小口積みの横穴式石室と
呼ばれ、この裏側には川原石による裏込めがみられます。石室には天井石と呼ぶ大きな石の蓋があり
ますが、入口部の1枚を除き、全て崩れていました。奥壁の基底部には鏡石と呼ばれる大きな石が横
に3枚置かれ、床面には礫を敷き詰め、入口付近には石室のうちと外を区画する石列がみられます。
 石室入口には閉塞石が天井部まで積み込まれ、厳重に閉じていたことがわかります。石室へと通じ
る墓道は削平により石室付近のみしか確認できませんでしたが、この墓道は階段状となることが推定
されます。
 出土遺物としては石室内から大刀、鉄鏃、刀子、耳環、銅釧、勾玉、管玉、切子玉、ガラス玉など
の副葬品が多数出土し、これらは出土状況や閉塞石の状態から複数の埋葬者の副葬品と考えられます。
また、墳頂からは祭祀に使用された土師器や須恵器の甕が発見されました。
 首長原古墳はこれらの出土遺物や石室の形態から那須地域に見られる横穴式石室でも比較的古い様
相をもつものと考えられ、時期的には6世紀後半(今から約1,450年前)の豪族の墓と推定されます。

整備の概要
石 室 側壁、奥壁、裏込め部、床面、天井石は樹脂により補強し、崩落した天井石は擬石により復
    元しています。
墓 道 削平部を復元し、樹脂により表面を補強しました。
墳 丘 直径17mの円形墳丘を盛土により復元し、墳丘には本来葺石がみられますが、古墳保護の
    ため表土上に張り芝を行っています。また、周辺の削平による旧地表面との差を解消するた
    め墳丘よりゆるやかな傾斜により、景観を調整しています。
                                    那珂川町教育委員会


栃木県那須郡那珂川町「首長原古墳(しゅちょっぱらこふん)」

 画像は石室内部のようすです。
 墳丘と石室は復元されているようですが、葺石は復元されなかったようです。
 最近の私は腰に不安があり、また肩が痛かったりもするので、狭い石室内に無理矢理入ってみることはしなくなったのですが、石室内のきれいな写真を撮りたかったなと少し後悔。でも、石室内で動けなくなったら怖いし、地震がきても怖いし。。。


栃木県那須郡那珂川町「首長原古墳(しゅちょっぱらこふん)」

 西から見た首長原古墳。墳丘上は墓地となっています。。。
 
<参考文献>
塙 静夫『探訪 とちぎの古墳』
有限会社 随想舎『那珂川と八溝の古代文化を歩く』 
現地説明版


人気ブログランキングへ

  1. 2017/06/19(月) 03:06:17|
  2. 那須町•大田原市•那珂川町
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

栃木県那須郡那珂川町 「駒形大塚古墳」―国指定史跡―

「駒形大塚古墳」―国指定史跡―

 「駒形大塚古墳」は、栃木県那須郡那珂川町小川那珂川の支流である権津川に沿う段丘上に所在する前方後方墳で、画像はこの駒形大塚を西から見たところです。昭和54年(1979)には「那須小川古墳群」として、「吉田温泉神社古墳群」、「那須八幡塚古墳群」とともに一括して国の史跡に指定されているこの駒形大塚は、全長60.5m、後方部の高さ8mを測り、前方部は削平されているものの前期古墳の出現期に見られる撥形であることがわかっています。古墳の周囲は「駒形大塚公園」として整備されており、敷地内には那珂川町教育委員会による説明板が設置されています。

 国指定史跡 駒形大塚古墳
        昭和五十四年三月三日指定
 本古墳は北から南に伸びる段位と直角に築
造された。西向きの前方後方墳である。前方
部の墳丘を失っているが、昭和四十九年十一
月に発掘調査され、墳形と内部主体が明らか
になる。
 前方部は西側裾の先端が八の字形に前開き
する古式な形で、全長は六十四メートルであ
る。現存する後方部墳頂下一・五メートルの
ところに設けられた主体は、木炭でとりかこ
まれた内面朱塗りの木棺であり、画文帯龍虎
鏡、銅鏃、蕨手状の素環頭刀子、鉄直刀、鉄
剣、鉃斧、鉄鉋とガラス小玉など、古い時期
の副葬品である。かつ、後方墳頂下浅く、古
い土師高坏、壺などの葬祭器が出土している
など、外形、内容とも極めて重要な古式な前
方後方墳である。
 小川町は、本古墳とともに、那須八幡塚古
墳、吉田温泉神社古墳の三基の古式な前方後
方墳が存在することから、四世紀に下野では
最も早く開発され、永く繁栄した様子がうか
が割れるところである。
    昭和六十年三月一日
           那珂川町教育委員会


 後方部の西側(画像手前)には前方部の名残と思われる高まりが残されているのですが、これは原形を留めるものではないようです。


「駒形大塚古墳」―国指定史跡―

 北から見た駒形大塚古墳です。右側が前方部、左側が後方部です。
 那珂川に注ぐ権津川は、古くから氾濫河川として知られているようですが、川沿いの谷地が肥沃な沖積地であったことから古墳時代には農耕地として拓かれていたそうです。この恵まれた農耕地を背景に、地域で最初に築かれた大形前方後方墳が、この駒形大塚古墳であるとされています。


「駒形大塚古墳」―国指定史跡―

 残存する後方部は東西30メートル、南北28メートルを測り、墳丘には葺石が確認されています。墳頂部には頌徳碑と祠、鳥居が建てられており、このため若干の削平が見られるようです。


「駒形大塚古墳」―国指定史跡―

 画像は、南東から見た春の駒形大塚古墳です。手前に見えるのが、昭和54年3月13日建立の「史跡 駒形大塚古墳」の石碑です。季節の変化により全く違う姿を見せてくれるのも、古墳の見どころかもしれません。。。


「駒形大塚古墳」―国指定史跡―

 駒形大塚古墳の周辺にはかつては7基以上の古墳が存在していたといわれていますが、そのほとんどは消滅、現在は2基の小円墳が残されるのみです。画像は「駒方大塚古墳陪墳2号」を南から見たところです。陪塚とは、規模の大きな古墳の周囲に築かれている、規模のより小さな古墳を指し、陪冢(ばいちょう)とも陪墳とも呼ばれるもので、近親者や従臣を葬った墓であると考えられていました。この小円墳は、現在でも「陪墳」の名称で呼ばれており、那珂川町の史跡として指定されています。


駒形大塚倍墳三号

 画像は「駒方大塚古墳陪墳3号」を南から見たところです。この古墳も、陪墳2号とともに昭和47年(1972)9月29日に那珂川町の史跡として指定されており、標柱が立てられています。陪墳2号、3号ともに方墳ではないかと考えられているようです。

<参考文献>
塙 静夫『探訪 とちぎの古墳』
有限会社 随想舎『那珂川と八溝の古代文化を歩く』 
栃木県小川町教育委員会『国指定史跡 那須小川古墳群』
現地説明版


人気ブログランキングへ

  1. 2017/06/16(金) 00:43:59|
  2. 那須町•大田原市•那珂川町
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
次のページ

カテゴリ

足立区 (4)
伊興古墳群 (4)
その他の古墳・塚 (0)
葛飾区 (6)
立石古墳群 (3)
その他の古墳・塚 (3)
墨田区 (0)
荒川区 (28)
尾久の微高地 (4)
町屋-三河島の微高地 (19)
南千住の微高地 (3)
日暮里の台地上 (2)
台東区 (11)
上野台古墳群 (5)
その他の古墳・塚 (6)
北区 (26)
赤羽台古墳群 (2)
十条台古墳群 (2)
飛鳥山古墳群 (8)
田端西台通古墳群 (1)
その他の古墳・塚 (13)
板橋区 (46)
志村古墳群 (10)
その他の古墳・塚 (36)
練馬区 (7)
杉並区 (12)
中野区 (9)
豊島区 (2)
新宿区 (0)
渋谷区 (17)
目黒区 (8)
文京区 (3)
千代田区 (3)
港区 (4)
品川区 (22)
品川大井古墳群 (7)
その他の塚 (15)
大田区 (85)
田園調布古墳群 (25)
鵜の木・久が原古墳群 (8)
その他の古墳・塚 (52)
世田谷区 (54)
野毛古墳群 (13)
砧古墳群-殿山古墳群 (9)
砧古墳群-大蔵古墳群 (0)
砧古墳群-砧中学校古墳群 (2)
砧古墳群-喜多見古墳群 (13)
砧古墳群-その他 (6)
その他の古墳・塚 (11)
三鷹市 (4)
狛江市 (43)
狛江古墳群-和泉支群 (17)
狛江古墳群-岩戸支群 (3)
狛江古墳群-猪方支群 (23)
その他の古墳・塚 (0)
調布市 (55)
国領南古墳群 (2)
下布田古墳群 (16)
上布田古墳群 (7)
下石原古墳群 (2)
飛田給古墳群 (17)
その他の古墳・塚 (11)
府中市 (77)
白糸台古墳群 (14)
高倉古墳群 (32)
御嶽塚古墳群 (19)
武蔵府中熊野神社古墳 (2)
府中市内の塚 (10)
国立市 (21)
下谷保古墳群 (12)
青柳古墳群 (3)
その他の古墳・塚 (6)
立川市 (13)
稲城市 (0)
多摩市 (4)
和田古墳群 (4)
多摩市内の塚 (0)
日野市 (33)
平山古墳群 (7)
西平山古墳群 (5)
七ッ塚古墳群 (8)
万蔵院台古墳群 (4)
その他の古墳・塚 (9)
町田市 (5)
能ケ谷香山古墳群 (0)
その他の古墳・塚 (5)
八王子市 (4)
昭島市 (3)
浄土古墳群 (1)
その他の古墳・塚 (2)
あきる野市 (47)
森山古墳群 (3)
草花古墳群 (14)
御堂上古墳群 (4)
瀬戸岡古墳群 (7)
牛沼古墳群 (3)
その他の古墳・塚 (16)
日の出町 (2)
青梅市 (11)
古墳空白地域 (19)
西東京•清瀬•東久留米市 (0)
小金井•小平•国分寺市 (0)
東村山•東大和•武蔵村山市 (7)
福生市•羽村市•瑞穂町 (12)
栃木県の古墳 (11)
那須町•大田原市•那珂川町 (6)
宇都宮市•鹿沼市 (0)
壬生町•上三川町 (5)
群馬県の古墳 (0)
茨城県の古墳 (5)
神奈川県の古墳 (2)
千葉県の古墳 (1)
長野県の古墳 (6)
未分類 (1)

最新記事

最新コメント

検索フォーム

リンク

このブログをリンクに追加する

QRコード

QR