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古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

「旧陸軍調布飛行場 白糸台掩体壕」ー府中市指定史跡ー

「旧陸軍調布飛行場 白糸台掩体壕」ー府中市指定史跡ー

 前回に引き続き、今回も東京都内の掩体壕ということで、府中市内に現存する「旧陸軍調布飛行場 白糸台掩体壕」の探訪の記録です。

 この掩体壕は、甲州街道と西武多摩川線が交差する、甲州街道の南側に史跡公園として整備されて保存、公開されています。平成20年(2008)11月27日には府中市の文化財として指定されています。
 画像は、北西から見た白糸台掩体壕です。


「旧陸軍調布飛行場 白糸台掩体壕」ー府中市指定史跡ー

 南西から見た白糸台掩体壕です。

 敷地内に設置された説明板には、当時の様子がかなり詳細に書かれています。
 以下は、説明板に書かれている「調布飛行場」についての解説です。
 
調布飛行場
 調布飛行場は、昭和13(1938年)に東京府によって、東京府北多摩郡多磨村(府中市)・調布町(調布市)・三鷹村(三鷹市)にまたがる約50万坪の広大な土地に計画され、農地や寺院などの民有地を買収する形で進められました。昭和16(1941年)4月に官民共同の飛行場として設置されましたが、同年8月には陸軍専用の飛行場として使用されることになり、帝都防空の拠点として「飛行第244戦隊」が置かれ、三式戦闘機「飛燕」など多数の戦闘機が配備されました。戦争末期には、鹿児島県の知覧基地への中継点として、特攻隊の訓練も行われました。
 終戦後は進駐軍に接収され、飛行場西側の府中市域には、軍に野菜などを供給するための「調布水耕農場」が建設されました。その後、昭和39(1964年)の東京オリンピック開催に伴い、代々木にあったアメリカ軍居住用施設がこの地に移転し、「関東村」と呼ばれました。関東村は、昭和49年(1974年)12月にアメリカ軍より全面返還され、跡地には大学・病院・福祉施設などが建設されました。
 平成13年(2001年)には、「東京都調布飛行場」として正式開港し、現在は伊豆諸島方面への空の玄関口として小型機が運航されています。



「旧陸軍調布飛行場 白糸台掩体壕」ー府中市指定史跡ー

 三鷹市の掩体壕は内部が塞がれていましたが、この白糸台掩体壕は内部も見学することができます。画像は、柵の外から撮影した掩体壕内部の様子です。
 現代の感覚からすると、あまり良い材料が使われていないなという印象ですが、やはり物資が不足した戦争末期の築造ということもあり、粗悪な資材が用いられていたようです。

 以下は、説明板に書かれている「掩体壕」についての解説です。

掩体壕
 アメリカ軍による本土空襲の激化に伴い、残り少ない貴重な戦闘機を空襲から守り、隠しておくための格納施設が、全国の軍用飛行場周辺に作られました。この施設のことを一般的に「掩体壕」と呼んでいます。コンクリート製の屋根のあるものを「有蓋掩体壕」、周囲を土堤で囲ったのみで屋根がなく、上は木や草で作った覆いをかけたものを「無蓋掩体壕」と呼び、区別しています。
 調布飛行場周辺では、昭和19年(1944年)6月から9月にかけて、有蓋約30基・無蓋約30基、あわせて約60基の掩体壕が作られました。建設は陸軍と建設業者が中心となり、地元住民や中学生も作業に動員されました。
 有蓋掩体壕は、①饅頭のように土を盛り、よく固める ②その上に紙やムシロ、セメント袋などを敷き、柱や梁の部分は板枠で型をとる ③鉄筋を置いてコンクリートを流し込む ④コンクリートが固まったら、内部の土を掘り出して上にかぶせ、草木などで偽装する といいう手順で構築されたと考えられます。労力も物資も乏しい戦時下に、粗悪な資材を用いて、きわめて短期間のうちに造られたものである、といえます。また、こうして造られた掩体壕だけでは数が足りず、格納しきれなかった飛行機は、浅間山や多磨霊園、下石原八幡神社、調布市飛田給方面などの樹木の茂った場所に設けられた「分散秘匿地区」まで運ばれました。
 かつて全国に1000基以上作られたといわれる掩体壕ですが、その多くは既に取り壊され、現存しているものも、経年による劣化や開発工事などによって、消滅の危機にあるもが少なくありません。



「旧陸軍調布飛行場 白糸台掩体壕」ー府中市指定史跡ー

 背後から見た白糸台掩体壕。


「旧陸軍調布飛行場 白糸台掩体壕」ー府中市指定史跡ー

 画像は、説明板に掲載されていた、昭和20年3月撮影という無蓋掩体壕の写真です。
 格納されている戦闘機が「飛燕」でしょうか?
 まだまだカメラやフィルムが高価だった時代でしょうし、貴重な写真ですね。

 以下は、説明板に書かれている「掩体壕」についての解説です。

戦闘機「飛燕(ひえん)」
 「飛燕」は、旧陸軍の「キ61 三式戦闘機」の愛称です。川崎航空機製で、ドイツのダイムラーベンツの技術を元に、国産化した液冷エンジンを搭載した、スリムなデザインが特徴の戦闘機です。エンジン出力は、1,100馬力、最高時速590㎞/hで、旧陸軍の戦闘機の中では、速度性能と高空能力に優れており、昭和18年(1943年)に陸軍の主力戦闘機として正式採用されました。アメリカ軍のB29爆撃機による本土空襲が激しくなる中、迎撃が可能な数少ない戦闘機のひとつであり、時には敵機に体当たり攻撃を仕掛けることもありました。



「旧陸軍調布飛行場 白糸台掩体壕」ー府中市指定史跡ー

 説明板に掲載されていた、昭和20年10月撮影という有蓋掩体壕の写真です。
 こちらは終戦後ということになりますね。
 奥に見えるのが「キ-100(五式戦闘機)」、手前が「剣」です。
 プロペラを外された姿が痛々しいです。。。

 以下は、説明板に書かれている「旧陸軍調布飛行場白糸台掩体壕」についての解説です。

旧陸軍調布飛行場白糸台掩体壕
 終戦後、調布飛行場周辺の掩体壕も、多くは取り壊され、現在は三鷹市の都立武蔵野の森公園内に2基(大沢1号・2号掩体壕)、府中市内に2基、計4基の有蓋掩体壕が残るのみとなりました。そのうちの1基が、この旧陸軍調布飛行場白糸台掩体壕(以下、「白糸台掩体壕」といいます。)です。
 白糸台掩体壕は、旧所有者が繰り返し補修を行ってきたことから、これまで良好な状態で保存されてきました。府中市では、平成18年(2006年)の平和都市宣言20周年を機に、白糸台掩体壕の保存・公有地化を決定し、平成19年12月から平成20年3月まで、その構造などを確認するための調査を実施しました。その結果、戦闘機「飛燕」とほぼ同じ規格で造られていたことが判明したほか、排水設備や砂利敷き、誘導路、実際に機体を格納していたことを示す、タイヤの痕跡などが発見され、平成20年(2008年)に市の史跡に指定しました。その後、コンクリートや鉄筋の保存修理工事を経て、平成23(2011)年度に保存整備を実施し、平成24年(2012年)3月より一般公開を開始しました。
 終戦から長い年月が経過し、戦争の記憶が風化していくなか、戦争遺跡を文化財として保存・活用していく気運は全国各地で高まっています。戦争の悲惨さや平和の尊さを次の世代へと語り継いでいくための貴重な歴史遺産として、市民の皆様と共同で白糸台掩体壕を永く保存・活用していくため、今後ともご理解・ご協力をお願い致します。
平成24年3月 府中市教育委員会



「旧陸軍調布飛行場 白糸台掩体壕」ー府中市指定史跡ー

 白糸台掩体壕を見下ろしてみたところ。

 まずいなー。何度目をこすっても巨大な円筒埴輪片にしか見えなくなってきた。
 いよいよなんとかしないと。。。


「朝日町の掩体壕」

 残るもう1基は、朝日町の住宅地にひっそりと残されています。
 私有地内に所在するため遠方からの撮影です。

 この1基は以前訪れた時は草ボウボウの薮で、掩体壕自体はよく見えない、という状況だったのですが、「古墳なうで記事にして公開しよう!」と思い立って、最近あらためて見に行ってみたところ、綺麗に草が刈られていました。
 工場なのか民家なのか、掩体壕と建物が一体化しているように見えますが、いったい内部がどうなっているのかとても興味深いです。。。

<参考文献>
府中市文化スポーツ部ふるさと文化財課『旧陸軍調布飛行場 白糸台掩体壕』
現地説明板


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  1. 2019/09/17(火) 01:06:43|
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「掩体壕 大沢1号2号」

「掩体壕 大沢1号号」

 今回は久しぶりにちょっと脱線!
 東京都内に残る、掩体壕を紹介します。

 第二次世界大戦の戦況が悪化の一途をたどる昭和19年(1945)、アメリカ軍の本土空襲の本格化により、調布飛行場周辺にはコンクリート製の有蓋掩体壕約30基と、土塁と竹でコの字型に造った無蓋掩体壕約30基の合計60基が短期間に造られました。
 掩体壕とは、残り少ない戦闘機を米軍の空襲から守るためのもので、この掩体壕の中に戦闘機を隠しました。都内では三鷹市内に2基、府中市内に2基、練馬区内に1基が残るのみです。(ちなみに日本全国には約100基の有蓋掩体壕が残されているそうです。)

 三鷹市の2基は武蔵野の森公園内に整備、公開されています。
 画像は南側の1基、「掩体壕 大沢1号」です。


「掩体壕 大沢1号号」

 正面から見た大沢1号。
 入り口は塞がれていて、表面には当時掩体壕に格納された「飛燕」のイラストが描かれています。慎重に格納しないと翼の先っちょをぶつけてしまいそうですね。
 周辺には、当時の調布飛行場の門柱や高射砲陣地跡も残されているようですので、戦争遺跡巡りをしてみるのも良いかもしれません。。。


「掩体壕 大沢1号号」

 背後から見た掩体壕の様子。


「掩体壕 大沢1号号」

 敷地内に設置された説明板と、左側は「掩体壕に格納されていた戦闘機 飛燕」と称する、掩体壕に格納された状態の掩体壕と飛燕の、縮尺1/10のモニュメントが設置されています。

 以下、説明板に書かれている「調布飛行場」についてのついての解説です。

調布飛行場
 調布飛行場は、昭和13年(1938年)に、東京府北多摩郡調布町・三鷹村・多磨村(現在の府中市)にまがたる約50万坪の土地に計画され、畑・家屋・寺・墓地などを半強制的に買収して造られました。工事は、昭和14年(1939年)に東京府と逓信省航空局・陸軍省の予算で着工しました。基礎工事には府中刑務所の受刑者や中学生が動員されました。16年の4月には、南北方向に1,000mと東西方向に700mの2本の滑走路と格納庫などが完成しました。初め、予備国際飛行場と航空試験飛行場・陸軍訓練飛行場として使用するはずでしたが、陸軍が全面的に利用することになり、首都防衛のため、戦闘機「飛燕」を中心とした陸軍飛行部隊が配置されました。太平洋戦争の戦況が悪化する昭和20年(1945年)頃には日本本土空襲のため飛来する米軍のB29爆撃機や艦載機の空襲で、飛行場や近くの高射砲陣地が爆撃され死傷者が出ました。またこのころには、特別攻撃隊(特攻隊)の訓練と九州知覧基地への中継地にもなりました。戦後、飛行場の西側の一部には、「進駐軍」(アメリカ占領軍)が消費する野菜を栽培する「水耕農場」が建設されました。
 現在では伊豆大島・新島・神津島への空の玄関口として小型機が運行されています。調布飛行場の周辺には、戦時中に利用していた門柱・掩体壕・高射砲台座などが市民団体の努力で残されています。



「掩体壕 大沢1号号」

 掩体壕と飛燕のモニュメント。

 以下は、説明板に書かれている「飛燕」についての解説です。

掩体壕に格納されていた戦闘機「飛燕」
 「飛燕」は川崎航空機製で、ドイツのダイムラーベンツの技術をもとに、国産化した液冷エンジンを搭載した戦闘機です。
 エンジン出力は1,100馬力で、最高時速590km/hで飛行でき、航空能力に優れ昭和18年(1943年)に陸軍の主力戦闘機として正式採用されました。調布飛行場には、首都防衛のため「飛行第244戦隊」に「飛燕」が配備されました。昭和20年(1945年)、B29爆撃機による本土空襲が激しくなるなか果敢に迎撃しましたが、物量に勝る圧倒的なB29爆撃機の攻撃で戦死者が出て、あまり戦果を挙げることができませんでした。最後は、「体当たり」戦術で抵抗しました。戦況がますます悪化するなか、「本土決戦」のため貴重な飛行機を温存するため「掩体壕」に格納されるようになりました。
 また鹿児島県知覧町の「特攻平和記念館」には、当時の飛燕が保存されています。



「掩体壕 大沢2号号」

 画像は北側の1基、「掩体壕 大沢2号」です。

 こちらにも説明板が設置されていますが、内容は大沢1号の説明板と同様のものであるようです。
 以下は、説明板に書かれている「掩体壕」についての解説です。

掩体壕
 「掩体壕」とは、軍用機を敵の空襲から守るための格納庫で、目的は「本土決戦」に備えて、残り少なく貴重な飛行機を温存するためでした。
 太平洋戦争における戦況が悪化する昭和19年(1944年)頃から、コンクリート製掩体壕約30基(有蓋)と土嚢で造ったコの字型の掩体壕(無蓋)約30基の約60基が短期間に造られました。建設は主に陸軍と建設会社があたり、地元の植木組合や中学生も大勢動員されました。
 掩体壕と飛行場は誘導路で結ばれ、飛行機にロープを結びつけて人力で運びました。調布飛行場周辺には、武蔵野の森公園内の2基と府中市に2基の掩体壕が残っています。武蔵野の森公園の掩体壕は戦争の記憶を残す証拠とし、「平和への語り部」として保存しています。



「掩体壕 大沢2号号」

 西側の路上から見た「掩体壕 大沢2号」です。
 ふと、1号とは向きが逆なんだなあと思います。

 滑走路に向けて整然と並べてしまうと上空からバレてしまうから?なのかもしれませんが、当時の分布図を見ると掩体壕の向きはまちまちで、特に滑走路に向かって造られているわけではなさそうです。


「掩体壕 大沢2号号」

 府中市側にある、武蔵野の森公園サービスセンターには、飛燕のプロペラの実物が展示されています。
 このプロレラ、現在の三鷹市大沢総合グラウンドでなんと、平成21年に発見されたものなのだそうです。平成21年ってたったの10年前ですからね。びっくりしてしまいます。
 そういえば以前、足立区内の古墳巡りの際に、大戦中に撃墜されて墜落したB-29のものであるというタイヤが、農地の片隅にポツリと置かれているのを見学したことがあるのですが、この武蔵野の森公園周辺には草っ原みたいな敷地が残されているし、まだ何か出てくるかも知れませんよね。出てこないかな。。。


「飛ぶ飛行機」

 公園内にちょっとした築山があって、遠方には味の素スタジアム が見えていて、お、「これは滑走路とスタジアム」の良さげな写真が撮れるかな?とパタパタと登ってみたのです。
 ふと、隣の男性は、反対方向にカメラを構えているんだなあと思ったその瞬間。背後から、ぶうううううんと飛行機が飛んできました。


「飛ぶ飛行機」

  戦時中もね。きっと生還した飛燕がこんな風に飛行場に帰ってきたんじゃないかと思うんです。国を守るために命を懸けて戦った人たちが、今の日本を取り巻く状況を見たら、どう思うんだろう。。。


「飛ぶ飛行機」

 スタジアムと飛行機。


「飛ぶ飛行機」

 もうすぐ地面だ。


「飛ぶ飛行機」 

 無事に着陸!

 ここは、出山横穴墓群からは目と鼻の先ですしね。
 龍源寺の近藤勇の墓や、近藤勇生家跡、古民家や水車などもあって、見所は満載だと思います!
 
 次回、「白糸台掩体壕」に続く。。。

<参考文献>
武蔵野の森 公園サービスセンター『掩体壕』
現地説明板


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  1. 2019/09/16(月) 03:41:49|
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「東京都内のまいまいず井戸」

 さて、今回はちょっと脱線。
 前回紹介した「めいめい塚」にまつわる伝承として、「めいめい井戸」の話題が出てきましたが、この井戸について取り上げてみようと思います。この井戸は「まいまいず井戸」とも呼ばれており、武蔵野台地で数多く掘られた井戸の一種です。特に東京都多摩北部地域から埼玉県西部に多く見られ、これまで東京都内の古墳巡りを行う中で、たびたび見学の機会に恵まれました。
 今回はそのいくつかを紹介しようと思います。

「まいまいず井戸」

 まずは、羽村市五ノ神に所在するまいまいず井戸です。
 JR青梅線羽村駅から徒歩1分という駅近物件です。
「まいまいず」とはその名の通り、カタツムリのことで、井戸に向かって降りる通路の形状から名付けられたといわれ、さく井技術が未発達の時代に、筒状井戸を掘り難い砂礫層地帯に井戸を設ける必要から、このような形態になったようです。
 地元の伝説では、大同年間(806~810)に創始されたと伝えられているようですが、形態や板碑等の出土からみて、鎌倉時代の創建と推定されています。
 う~ん、なかなかたまらないですよね、この形状。。。


「まいまいず井戸」

 井戸の底まで降りてみました。
 地表面での直径16メートル、底面の直径約5メートル、深さは約4.3メートルです。
 掘り井戸の深さは5.9メートルあるそうです。
 昭和35年(1960)の町営水道開設まで現役で使われていたそうなので、驚きですね。


「青梅新町の大井戸」

 画像は、青梅市新町2丁目に所在する「青梅新町の大井戸」です。
 規模は、東西約22メートル、南北約33メートル、深さ7メートルで、少なくとも私が実際に見学した中では最大規模の大井戸です。
 武蔵野の原野を走る「古青梅街道」と「今寺道(秩父道)」の二本の古道が交差する位置にあることから、江戸時代の開発以前から,道行く人馬の飲み水を供給する場所となっていたものと考えられているようです。18世紀途中頃まで使用されていたようですが、何らかの理由で埋没、平成3年(1991)から行われた発掘調査ののち、復元整備が行われて、現在は「大井戸公園」内にて公開されています。


「青梅新町の大井戸」

 井戸の底まで降りてみました。
 これだけ大きいと、水を汲みに行くのもなかなか大変そうですね。。。


「渕上の石積井戸」

 画像は、あきる野市渕上に所在の「渕上の石積井戸」です。
 平成4年の発掘調査により、東西5.5メートル、南北7.5メートル、深さは3.2メートルであることがわかっています。北と南に階段状の入り口が設けられ、幅60センチの道が左回りで、平坦な底まで続いています。
 青梅や羽村の井戸と比べると小振りな井戸ですが、石積みをともなう点で大変希少で、保存状態も良いようです。


「郷土の森博物館のまいまいず井戸」

 最後は、府中市南町6丁目の郷土の森博物館に復元されている、まいまいず井戸です。府中市内では、寿町でまいまい井戸の発掘調査が行われているようですが、復元にあたっては羽村市のものを参考として、螺旋状の道を敷設されているようです。

<参考文献>
現地説明板


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  1. 2019/03/28(木) 00:24:46|
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謹賀新年

新年あけましておめでとうございます。
昨年は御訪問いただき、ありがとうございました。
本年もよろしくお願い申し上げます。


侍塚

(画像は栃木県の「下侍塚古墳」です。)

  1. 2019/01/01(火) 22:32:36|
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「しもつけ歴文カード(下野市歴史文化遺産カード)」

しもつけ歴文カード

 先日、ぶらりと立ち寄った栃木県の下野薬師寺歴史館で「しもつけ歴文カード(下野市歴史文化遺産カード)」をゲット!
 下野市内には「しもつけ風土記の丘資料館」があり、また栃木県の埋蔵文化財センターも下野市にあるという状況で、まさかの薬師寺歴史館での古墳カードのゲットは、思わぬプレゼントでした。
 せっかく配布しているのに全く告知していないようなので、ここで取り上げてみます。(著作権に触れるようでしたら削除しますのでおしらせください。)

 カードは下野市内の主要古墳全8枚で、表面は画像のように古墳のイラストが描かれていいます。
 裏面には古墳についてのデータと解説が書かれています。

1 甲塚古墳
2 愛宕塚古墳
3 山王塚古墳
4 丸塚古墳
5 横塚古墳
6 下石橋愛宕塚古墳
7 御鷲山古墳
8 三王山古墳

 もし続編があるなら、やっぱり古墳の写真を掲載してほしいなあと思うのですが、何かと問題があるのでしょうかね?写真、提供するのになあ。
 ていうか、栃木の古墳の写真、かなり撮りたまってきたし、「古墳なう 栃木編」とか立ち上げちゃおうかなあ。。。

  1. 2018/05/03(木) 23:25:06|
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