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古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

「横海道北1号塚」と「お鷹塚」

「横海道北1号塚」1

 画像は、府中市武蔵台1丁目、府中エンジニアリングセンター内に所在する「横海道北1号塚」を南から見たところです。『東京都遺跡地図』には「府中市№10遺跡」の名称で登録されており、塚の名称は記載されていないようなのですが、発掘調査が行われた際に、この地域のかつての小字名から「横海道北1号塚」と命名されています。

 この塚の発掘調査は平成19年(2007)に行われています。塚の規模は、東西約18.5m、南北約21m、高さ約2.2mで、地表面下には深さ約1mの埋没部分が存在することから、本来の高さは約3.2m以上表面規模もさらに大きなものであるようです。黒褐色土のみで構築された塚は方形の形状を呈する可能性が考えられており、これは国分寺市の「尼寺跡北方の塚」や、世田谷区の「砧大塚」といった中世の修法壇と考えられている遺構と類似しているようです。
 構築土は5期にわたって積まれています。1~4期にかけての中央部付近には敷石面が存在しており、また掘り込みには火を焚いた痕跡が存在します。塚の性格としては確定は出来ないものの、修法が行われた壇として15世紀から16世紀に(修正の後半に)築造された塚ではないかと考えられているようです。
 (当日は府中エンジニアリングセンターにて許可を得て見学させていただきました。ありがとうございました。)


「横海道北1号塚」2

 塚上の雑草が円形に萎れていて、まるでUFOの着陸痕のようです。
 政府の陰謀かな。笑。


「お鷹塚」

 この横海道北1号塚の周辺には、他にも複数の塚が存在したといわれています。
 南東側には「お鷹塚」と呼ばれる塚があり、さらにこのお鷹塚と横海道北1号塚の間にも、もう1基の大きな塚が存在したといわれています。合計3基の塚が密集して存在していたということになります。

 「お鷹塚」は昭和30年代にはまだ存在しており、昭和32年(1957)作成の地図にはこの塚は記されています。この当時は、江戸時代の尾張候の鷹場の西端を示した塚であるとも古墳であるとも考えられており、昭和34年(1959)に東京史談会長の菊池山哉氏の指導により発掘調査が行われています。
 この発掘のようすは、昭和35年(1960)に発行された甲野勇著『武蔵野を掘る』に記されていますが、同書によると「(前略)丘の上から見ると、府中市東芝の大工場の少し手前、道路の西側に古墳らしい盛り土がある。もとは三つあったが今は二つしかない。このなくなった一つを先年発掘して見たが、結局は骨折り損のくたびれもうけ、掘れども掘れども土ばかりで古墳かどうかもわからなかった。近年のこりの大きな一つの発掘されたが、これも前同様からっぽだったそうである。」と記されています。
 この記述からすると、このお鷹塚は少なくとも古墳ではなかったのかもしれません。


 実は最近、素晴らしき出会いがあり、尾張藩の御鷹場に詳しい方に、多摩地域に存在した尾張藩(尾洲)の御鷹場境界杭についてお教えいただくチャンスに恵まれました。
 江戸時代の江戸周辺の村々は全て幕府の鷹場として指定されており、尾張家の鷹場は北多摩から埼玉県南部まで広大な地域に及んだそうで、明和7年(1770)頃には鷹場の区域を示す石杭が建てられました。
 この石杭は、土で盛られた塚の上に建てられていたようですが、私は不覚にもこの「御鷹場塚」の存在はまったく見落としていました。
 人見村に建てられた杭の位置は人見街道沿いの若松町4丁目あたり。次の府中本町の杭は浅間町1丁目。そして番場の杭は宮西町1丁目、現在の京王線府中駅の西側あたりです。つまり、尾張藩の御鷹場の境界は、横海道北1号塚のある東芝府中の事業所のはるか南側であり、「お鷹塚」が御鷹場境界杭の建てられた「御鷹場塚」ではないのかもしれません。
 
 ただし、『武蔵府中の民族』296ページに、この地域のお鷹場についての記述が見られ、「(前略)三鷹から国立までを結ぶ、甲州街道の北側に、尾州家のお鷹場があり、四境に杙が打たれていた。府中刑務所の西北、横街道と川越街道の交叉する地点の北側、雑木林の中で、南堺に当たるお鷹場の堺杙が、伏せ倒れていた。国分寺市の本田町の本多龍雄さん(明25生)が見つけた。いま府中郷土館に納まっている。瓦キチと呼ばれ、国分寺文字入り瓦の蒐集ではこの人に及ぶ者がなかったという、多摩史談会の古参の一人である。「従是東西北、尾張殿鷹場」と刻んである。三尺くらいの塚であったという。文政年中までのものは木標だったらしい。幕末の頃は、本田村あたりは、雉子や野兎もたくさんいたそうである。」と書かれています。
 「お鷹塚」の堺杙が発見されているということからすると、ひょっとしたらやはり「お鷹塚」は「御鷹場塚」だったのかもしれませんが、もちろん、どこかの杭を移動してきたものという可能性もあるかもしれませんし、今のところ真相はわかりません。

 というわけで、画像は「お鷹塚」の跡地かもしれないあたり。
 わずかな塚状の盛り上がりがみられるのですが、塚が残存するはずの昭和20年代の空中写真と見比べると位置にズレがあるようですので、塚の痕跡というわけではないのかもしれません。
 空中写真では、この画像の地点から西側にも大きな円形の塚らしき形状が見られるのですが、痕跡はまったく見られません。。。


 思うのですが、この時代に行われた発掘調査の記録を読むと、古墳ではないかと期待されて発掘が行われたものの、内部に遺構が存在しない「塚」であることが判明して関係者ががっかりする、というパターンが少なくないようです。この時代における研究者の関心はやはり埋葬施設などの遺構を有する古墳であり、掘ってみて古墳ではなかった場合は「ハズレ」的な受け止め方で、当時は塚の重要性はあまり理解されていなかったのかもしれませんね。いや、わかりませんが、あくまで素人の印象としてです。笑。。。

<参考文献>
北野晃『武蔵府中の民族』
府中市教育委員会『府中市内旧名調査報告書 道・坂・塚・川・堰・橋の名前』
府中市教育委員会・府中市遺跡調査会『府中市横海道北1号塚の調査』
現地説明版


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  1. 2020/04/05(日) 20:22:59|
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「せんげん山」

せんげん山

 画像は、府中市武蔵台2丁目に所在する「せんげん山」を西から見たところです。
 『東京都遺跡地図』には、府中市の遺跡番号31番の”時代不明の塚”として登録されています。

 この塚については、古くは江戸時代の地誌に記述が見られ、『江戸名所図会』には国分寺の西方に富士見塚があることが記載されています。その地の小名がせんげん山であることから、武蔵台2丁目に所在するこの塚が「せんげん山」であると考えられているようです。
 塚は昭和23年(1948)に甲野勇氏らにより調査が行われており、この塚を古墳ではないかと考えていた甲野氏らは石室の探査のために本邦初の試みとなる電気探査を行っています。この調査のようすは『武蔵野』第31巻に「国分寺せんげん山古墳の記」として報告されていますが、同書には「電流を地下に通じてその抵抗を計り、これに基いて地下の状態を検索推知する方法で、従来もっぱら鑛床の探知に用いられてものである。」とあり、この結果、地下4mから6mのあたりから感知された微弱な抵抗を確認するため、発掘調査が行われたようです。

 当時の発掘の記録によると、規模は高さ約5m、底辺の長さ約24mの方形の塚で、盛土は踏み固めたように堅い黒土に古瓦を含まれており、これを掘り進めると粘土質の赤土の面が現れ、これをさらに掘り進めると南北約2m、東西約1mの楕円形の塚が検出されています。更にこの塚の内部には南北約1m、東西約50cmの小形の塚が造られており、この中からは錆びた鉄片と骨粉らしきものが発見され、一部には腐食した板らしき平らな面の痕跡と繊維の塊が掘り出されているそうです。そして、この塚は「国分寺の建立と相去ること余り遠くない時期に」築造された古代人の墳墓であると推測されたようです。

 そしてその後、平成25年(2013)1月に塚の保存を目的とした確認調査が行われており、塚の表面から1メートルに満たない深さで黒土に類似した積み土が現れたことから人為的に築かれた塚であることが確かめられています。また、その黒土の中には武蔵国分寺の瓦が混じっていたことから、奈良・平安時代以降に築造されたことも判明しているようですが、具体的にいつ築造されたかは明確にはならなかったようです。

 この塚の南には「横海道北1号塚」があり、東方の、市境の国分寺市側には「国分寺尼寺跡北方の塚」が残存しており、どちらも方形の塚で「修法壇跡」であると推測されているようです。
 やはり国分寺崖線上に古墳は存在せず、確認できるのは塚ばかりという状況ではありますが、むしろこの地域に宗教的な塚が密集することはとても興味深いです。。。


武蔵台遺跡公園1

 塚の近くの住宅街の一角にひっそりと武蔵台遺跡公園が存在します。
 近くにある国分寺跡が有名すぎるからか、この遺跡公園はあまり目立たない印象がりますが、心落ち着くなかなか良き公園です。。。


武蔵台遺跡公園2

 公園内の覆屋の中に、武蔵台東遺跡で発掘された「柄鏡形敷石住居跡」と呼ばれる縄文時代中期の住居跡が移されて公開されています。


武蔵台遺跡公園3

 かなりリアルにいい感じ。。。

<参考文献>
甲野勇「國分寺せんげん山古墳發掘の記」『武蔵野』第31巻 第1号
府中市郷土の森『あるむぜお』


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  1. 2020/04/04(土) 21:15:18|
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「神おくり塚」

「神送り場」

 画像は、府中市西原町2丁目の、「神おくり塚」と呼ばれる塚が所在したとされる地点です。
 この塚に関する詳細は不明ですが、せっかく巡った塚の跡地をしっかりと書き留めておこうという企画です。
 横街道から道が二股に分かれる三角地となっている場所で、例えば悪病が流行った際に、悪病を村外に送り出すような、何かしらの儀式が行われたのかな?と妄想してしまいますが、宅地化が進んだこの場所に、塚の痕跡は見られないようです。

 東八道路を杉並区内から西に向かうと、東八道路自体は、新府中街道と交差する「西原町一丁目」交差点までで終わっていて、そこから先は未だ開通していないという状況です。ただし、今後が建設工事は進み、いずれは甲州街道の「国立インター入口交差点」で日野バイパスとつながるようですので、この地域の景観もかなり変わるかもしれません。。。
 発掘調査が行われて何か新しい発見があるならば、それが一番楽しみですヾ(o´∀`o)ノ

<参考文献>
府中市教育委員会『府中市内旧名調査報告書 道・坂・塚・川・堰・橋の名前』


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  1. 2020/04/03(金) 21:03:17|
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「神明塚」

「神明塚」1

 「神明塚」は、府中市押立町に存在したとされる塚です。
 道路の改修工事によりほとんどが破壊されており、学術的な調査が行われなかったとこから性格のわからない塚なのですが、畑の三角地にわずかに痕跡が残されているようです。

 この塚について、府中市教育委員会より発行された『府中市内旧名調査報告書 道・坂・塚・川・堰・橋の名前』には、
 昭和6年頃、疫病神のたたりがあるといわれ、調べてみると、もとここにあった神明山竜光寺を現在地へ移した後、神明様とり残したせいだろうということになった。そこで昭和6年2月に神明様の石を竜光寺境内へ移した。その後も塚と松の木はあったが、第二次大戦後、台風で倒れたので切倒した。さらにのち、都で道幅を拡げる時、塚の真中を通すのでならした。現在は3坪程の塚跡が認められる。
 と書かれています。


「神明塚」2

 画像が、「3坪程の塚跡」とされる、神明塚の残存部分と思われる高まりです。
 塚の真ん中が道路になったということからして、かつてはかなり大きな塚だったのではないかとも考えられますが、残念ながら現在はわずかな塚の痕跡が残るのみです。


「神明塚」3

 画像の鳥居のところが木村神社で、その奥が竜光寺です。
 『府中市内旧名調査報告書 道・坂・塚・川・堰・橋の名前』には、「神明様の石を竜光寺境内へ移した」とあるのですが、神明様の「石」がどんな石なのか、また竜光寺境内のどこに移されたのかわからず、見学することはできませんでした。
 思えば、木村神社の小さな石の祠がそうだったのかな…?

<参考文献>
府中市教育委員会『府中市内旧名調査報告書 道・坂・塚・川・堰・橋の名前』


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  1. 2020/04/02(木) 23:46:35|
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「亀井塚」

府中市「亀井塚」1

 府中市内には、立川段丘上の府中崖線沿いに白糸台古墳群、高倉古墳群、御嶽塚古墳群という3つの古墳群が存在しています。現在までに60基以上の古墳が確認されており、その多くはこの『古墳なう』でも取り上げてきました。
 また、古墳以外にも、かつては数多くの塚が存在したといわれています。府中市教育委員会より発行された『府中市内旧名調査報告書 道・坂・塚・川・堰・橋の名前』には36基もの塚が取り上げられています。このうちでは、墳墓として造られたものが最も多く、他に民間信仰に関係したものも多くみられるようです。
 この調査報告書では、名称のないものや名称のわからない塚は残存する塚も含めて未掲載としていますので、実際にどのくらいの数の塚が存在したかを把握することは困難なのですが、私は府中市内の塚についてはこの報告書を元に探訪しました。この『古墳なう』でまだ紹介していない塚も、さらに全て取り上げていこうと思います。

 というわけで、画像は、府中市押立町に所在する「亀井塚」です。
 塚の敷地内には正一位稲荷大明神が鎮座しており、画像のお稲荷さんのお堂の左奥が亀井塚です。
 『東京都遺跡地図』には未登録であるようですが、現在も墳丘が残される貴重な塚です。


府中市「亀井塚」2

 この塚は古くからその存在が知られており、江戸時代の地誌『武蔵名勝図会』には「右村内、百姓屋敷にあり。亀井と号する謂われは不知。塚上に板石の石碑あり。「文明十七乙巳年七月廿八日、妙徳禅尼」長二尺余。「東鑑」云「建長三年押立左近大夫資能」この人は当所に住して鎌倉将軍上に奉仕せし由、古記に出たり。住居の跡は不知。」と書かれています。ただし、塚上に立てられていたという「文明十七乙巳年七月廿八日、妙徳禅尼」と刻まれた石碑については現在は所在不明となっているようです。
 地元にはこの塚は亀井六郎の墓であるという伝承があり、塚には手を触れぬよう伝えられているそうですが、昔の人が塚を掘り起こし、神体を見たという言い伝えも残されているようです。
 この亀井塚の調査は行われていないようなので、どんな性格の塚であるのか、また残された伝承が史実であるのか詳細はわかりません。塚上に河原石が散在する状況を見ると、亀井塚が古墳である可能性はないのかな?と考えてしまいますが、今のところ、多摩川の沖積低地に古墳は存在しないようです。
 現在のこの地域は開発が進み、宅地化された住宅街の中に「亀井塚」がひっそりと残されています。。。

<参考文献>
府中市教育委員会『府中市内旧名調査報告書 道・坂・塚・川・堰・橋の名前』
府中史談会「府中市内屋敷神調査報告」『府中市立郷土館紀要 ―第八号―』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』


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  1. 2020/04/01(水) 23:13:28|
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