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古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

「神送り塚」

「神送り場」

 画像は、府中市西原町2丁目の、「神送り塚」と呼ばれる塚が所在したとされる地点です。
 この塚に関する詳細は不明ですが、せっかく巡った塚の跡地をしっかりと書き留めておこうという企画です。
 横街道から道が二股に分かれる三角地となっている場所で、例えば悪病が流行った際に、悪病を村外に送り出すような、何かしらの儀式が行われたのかな?と妄想してしまいますが、宅地化が進んだこの場所に、塚の痕跡は見られないようです。

 東八道路を杉並区内から西に向かうと、東八道路自体は、新府中街道と交差する「西原町一丁目」交差点までで終わっていて、そこから先は未だ開通していないという状況です。ただし、今後が建設工事は進み、いずれは甲州街道の「国立インター入口交差点」で日野バイパスとつながるようですので、この地域の景観もかなり変わるかもしれません。。。
 発掘調査が行われて何か新しい発見があるならば、それが一番楽しみですヾ(o´∀`o)ノ

<参考文献>
府中市教育委員会『府中市内旧名調査報告書 道・坂・塚・川・堰・橋の名前』


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  1. 2020/04/05(日) 21:03:17|
  2. 府中市/その他の古墳・塚
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「神明塚」

「神明塚」1

 「神明塚」は、府中市押立町に存在したとされる塚です。
 道路の改修工事によりほとんどが破壊されており、学術的な調査が行われなかったとこから性格のわからない塚なのですが、畑の三角地にわずかに痕跡が残されているようです。

 この塚について、府中市教育委員会より発行された『府中市内旧名調査報告書 道・坂・塚・川・堰・橋の名前』には、
 昭和6年頃、疫病神のたたりがあるといわれ、調べてみると、もとここにあった神明山竜光寺を現在地へ移した後、神明様とり残したせいだろうということになった。そこで昭和6年2月に神明様の石を竜光寺境内へ移した。その後も塚と松の木はあったが、第二次大戦後、台風で倒れたので切倒した。さらにのち、都で道幅を拡げる時、塚の真中を通すのでならした。現在は3坪程の塚跡が認められる。
 と書かれています。


「神明塚」2

 画像が、「3坪程の塚跡」とされる、神明塚の残存部分と思われる高まりです。
 塚の真ん中が道路になったということからして、かつてはかなり大きな塚だったのではないかとも考えられますが、残念ながら現在はわずかな塚の痕跡が残るのみです。


「神明塚」3

 画像の鳥居のところが木村神社で、その奥が竜光寺です。
 『府中市内旧名調査報告書 道・坂・塚・川・堰・橋の名前』には、「神明様の石を竜光寺境内へ移した」とあるのですが、神明様の「石」がどんな石なのか、また竜光寺境内のどこに移されたのかわからず、見学することはできませんでした。
 思えば、木村神社の小さな石の祠がそうだったのかな…?

<参考文献>
府中市教育委員会『府中市内旧名調査報告書 道・坂・塚・川・堰・橋の名前』


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  1. 2020/04/04(土) 23:46:35|
  2. 府中市/その他の古墳・塚
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「亀井塚」

府中市「亀井塚」1

 府中市内には、立川段丘上の府中崖線沿いに白糸台古墳群、高倉古墳群、御嶽塚古墳群という3つの古墳群が存在しています。現在までに60基以上の古墳が確認されており、その多くはこの『古墳なう』でも取り上げてきました。
 また、古墳以外にも、かつては数多くの塚が存在したといわれています。府中市教育委員会より発行された『府中市内旧名調査報告書 道・坂・塚・川・堰・橋の名前』には36基もの塚が取り上げられています。このうちでは、墳墓として造られたものが最も多く、他に民間信仰に関係したものも多くみられるようです。
 この調査報告書では、名称のないものや名称のわからない塚は残存する塚も含めて未掲載としていますので、実際にどのくらいの数の塚が存在したかを把握することは困難なのですが、私は府中市内の塚についてはこの報告書を元に探訪しました。この『古墳なう』でまだ紹介していない塚も、さらに全て取り上げていこうと思います。

 というわけで、画像は、府中市押立町に所在する「亀井塚」です。
 塚の敷地内には正一位稲荷大明神が鎮座しており、画像のお稲荷さんのお堂の左奥が亀井塚です。
 『東京都遺跡地図』には未登録であるようですが、現在も墳丘が残される貴重な塚です。


府中市「亀井塚」2

 この塚は古くからその存在が知られており、江戸時代の地誌『武蔵名勝図会』には「右村内、百姓屋敷にあり。亀井と号する謂われは不知。塚上に板石の石碑あり。「文明十七乙巳年七月廿八日、妙徳禅尼」長二尺余。「東鑑」云「建長三年押立左近大夫資能」この人は当所に住して鎌倉将軍上に奉仕せし由、古記に出たり。住居の跡は不知。」と書かれています。ただし、塚上に立てられていたという「文明十七乙巳年七月廿八日、妙徳禅尼」と刻まれた石碑については現在は所在不明となっているようです。
 地元にはこの塚は亀井六郎の墓であるという伝承があり、塚には手を触れぬよう伝えられているそうですが、昔の人が塚を掘り起こし、神体を見たという言い伝えも残されているようです。
 この亀井塚の調査は行われていないようなので、どんな性格の塚であるのか、また残された伝承が史実であるのか詳細はわかりません。塚上に河原石が散在する状況を見ると、亀井塚が古墳である可能性はないのかな?と考えてしまいますが、今のところ、多摩川の沖積低地に古墳は存在しないようです。
 現在のこの地域は開発が進み、宅地化された住宅街の中に「亀井塚」がひっそりと残されています。。。

<参考文献>
府中市教育委員会『府中市内旧名調査報告書 道・坂・塚・川・堰・橋の名前』
府中史談会「府中市内屋敷神調査報告」『府中市立郷土館紀要 ―第八号―』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』


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  1. 2020/04/03(金) 23:13:28|
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「カネヅカ」

府中市「金塚」1
出典:国土地理院ウェブサイト(https://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=1177179&isDetail=true)

 府中市是政6丁目、現在の多摩川通りとふるさと通りが交差する「郷土の森入口」交差点周辺に存在したといわれる塚が「金塚」です。
 『東京都遺跡地図』にも未登録であり、すでに消滅してしまっていることから正確な所在地も不明で、おおよその位置しかわからなくなっている塚です。

 私が最初に府中市内の古墳を巡ったのは8〜9年ほど前になりますが、この時期には、金塚に関しては詳細も正確な所在地もわからないし、だいたい古墳じゃないんだし、ここは潔くパス!という感じでスルーしてしまっていました。
 それが、何年か経ってこの塚の周辺の戦後の空中写真を眺めていたときに、一体この形状はなんだろう?という興味深い地形を見つけました。

 画像は、国土地理院ウェブサイトより公開されている、昭和22年(1947)に米軍により撮影された、カネヅカの所在地周辺と推定される地域の空中写真です。わかりやすいように跡地周辺を切り取っています。
 昭和60年に府中市教育委員会より発行された『府中市内旧名調査報告書 道・坂・塚・川・堰・橋の名前』の付図には、往時のカネヅカのおおよその所在地が記されているのですが、この付図と見比べて、位置的にかなり近いのではないかと想定される場所に塚のようにも見える円形の地形を見つけたのでびっくりしました。
 そして、興味深いのは、塚から西に向かって土手のような直線的な地形がまっすぐに伸びています。
 見つけた当初は「どういう地形だろう?」と不思議に思いましたが、しばらくして、この地形に心当たりがあることを思い出しました。
 この場所が金塚の正確な所在地かどうかは置いといて!とりあえずこの地形が金塚だと仮定して散策してみよう!ということで、よく晴れた日曜日に出かけました。


府中市「金塚」2

 府中市南町に所在する「府中市郷土の森博物館」を訪ねました。
 この博物館は、広大な敷地が公園として整備されていて、歴史的な建物なども数多く保存されています。
 実はこの博物館の敷地内に、直線的な地形について心当たる場所が存在します。


府中市「金塚」3

 画像は、府中市郷土の森園内に保存された、多摩川の旧堤防です。
 多摩川は水防困難な川といわれ、洪水と氾濫を繰り返していましたが、明治43年(1910)の洪水以降は治水三法の制定、河川土木技術の導入により連続堤防が建設されてきています。
 府中市を流れる多摩川では昭和15年(1940)前後に新堤防の建設が始まっており、それ以前の旧堤防は連続した堤防ではなく、「ナミヨケ」とも呼ばれる洪水の流れと勢いを弱めるための不連続堤防だったそうです。
 私はこの時、郷土の森博物館を訪れるのは3回目でしたが、それまで不覚にも多摩川の旧堤防の存在は流してました。
 やはりどうやら、空中写真の直線的な地形はこれですね(にやり)。。。


府中市「金塚」4

 保存された旧堤防の最も東側、先端の部分です。
 あの、空中写真の先端の円形の地形が塚であれば、この先に存在するはずです。
 ちょうど、堤防の先端が博物館の敷地の端になっていて、フェンスで仕切られています。
 たまたま円形に草が茂っていただけで、塚じゃなかったのかな?
 それともやはり、削平されてしまったのでしょうか。。。


府中市「金塚」5

 旧堤防の先端からさらに東側、郷土の森の敷地の外は駐車場となっています。
 塚が存在したとすればこのあたりではないかと思われますが、痕跡はみられません。


府中市「金塚」6

 さて、残念ながら塚は開発により削平され、消滅してしているようです。
 それ以前に、空中写真の円形の地形が「金塚」であったのかどうかについても不明で、真相はわかりません。
 
 ただし、周辺には様々な形で金塚の名称が残されているようです。
 府中用水の一流路である「新田川」にはかつて「金塚橋」と呼ばれる橋が架けられてており、この橋の由来碑が、是政6丁目の路傍に設置されています。
 この由来碑によると(『府中市内旧名調査報告書 道・坂・塚・川・堰・橋の名前』にも記されていますが)、橋の名称は小字の「庚塚(かのえづか)に由来しており、塚は「かのえづか」が訛って「かねづか」になったものといわれています。つまり、この塚は庚申塚だったのではないかと推測されているようです。塚が庚申塚であれば、当然ながら庚申塔が存在したのではないかと思われますが、この庚申塔の所在も残念ながら不明です。。。


府中市「金塚」7

 金塚は、公園の名称にも残されているようです。
 画像は「金塚桜公園」です。
 小川が流れる、牧歌的で素敵な公園です。。。


府中市「金塚」8

 なんと!公園内には塚状の築山が造られています。
 往時の金塚を意識したものなのでしょうか。


府中市「金塚」9

 金塚の周辺は、昭和30年代までは牧場だったそうです。
 そこには、多摩川から取水した農業用水路が崖線の湧水を含みながら流れており、この水路は生活用水としても利用されたそうです。
 公園内には、この用水を分水するイメージでつくられたという円筒分水が見られます。
 もはや私には前方後円墳にしか見えません。(ああ〜!あるはずのない造り出しが見える。。。)

<参考文献>
府中市教育委員会『府中市内旧名調査報告書 道・坂・塚・川・堰・橋の名前』
現地説明板
現地由来碑


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  1. 2020/04/02(木) 23:00:54|
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「新一里塚」

「新一里塚」

 府中市と国立市の境となる、府中市日新町5丁目の住宅街の一角には、1基の塚が残されています。府中市の所有となっている塚の敷地はフェンスで覆われて保存されており、塚上には大きな榎が植えられていて一里塚のような様相を呈していますが、敷地内には説明板や標柱等は存在せず、『東京都遺跡地図』にも登録されていないようです。

 画像の、民家と民家の間に見えるフェンス内に、この塚は所在します。
 昭和60年に府中市教育委員会より発行された『府中市内旧名調査報告書 道・坂・塚・川・ 堰・橋の名前』の「塚」の項には、この塚は「新一里塚」という名称で掲載されており、「昔の甲州街道ぞいにある塚、榎の大木がある。日本電気構内にある一里塚跡からみて、一里としては距離が短いので”半里塚”かともいう」と書かれています。
 「半里塚」とは初めて聞く名称ですが、果たしてここがかつての甲州道中で、半里塚が存在したのでしょうか。


「新一里塚」

 東から見た塚の様子です。
 フェンスで覆われた三角地となっている敷地内はわずかに塚状に盛り上がっているようです。
 昭和44年(1969)に発行された、原田重久著『国立歳事記』に、この塚に関する記事を見つけることができました。

 谷保田圃の、府中市四谷寄りー本宿用水の南側に、一筋の里道が東西に走っている。この道端に榎塚がある。
 慶長年間(1596ー1615)時の幕府が始めて江戸から甲州への道路を作ったときは、府中市分倍から谷保田圃の中を通り、西方に至って多摩川を渡り、日野万願寺に抜けていた。
 榎の木のある塚は、一里塚の名残りである。三十六町を一里とした道程は、一里塚が目安になっているが、これは、道の両側に各一基ずつ築かれ、その中間に半里塚があった。
 これが定められてから九十年ほど後の貞享年中(1684ー88)に、道筋が一部改められた。これは、府中六所宮(大国魂神社)の前を通って、本宿、谷保、立川柴崎に至る段丘上のコースをとっている。現在のハケ上の道がそれである。
 現在の甲州街道は、このあと更に道筋を北方に移したいわゆる新道だ。
 一理又は半里毎に塚をつくり、そこに榎の木を植えたのは、榎という植物が長期繁茂し、風雪に堪え得る性質をもっていたからだろう。また、旅人が、遠方からこれを眺めて、旅程を按配するに好適な巨樹となったからでもあろう。(『国立歳事記』67~68ページ)


 最初に江戸から甲州への道路を造った当時は、多摩川に近い段丘地帯に集落が点在していたことから、ハケ上、ハケ下を縫って、江戸から甲州方面に通じていたそうです。
 ということは、この塚が一里塚(半里塚)出会ったとして、「新一里塚」という名称が適当なものであるかはちょっと微妙ですね?


「新一里塚」
 
 フェンスの内部の様子です。草が生い茂っていてわかりにくいのですが、わずかながらの高まりを見ることができます。
 猿渡盛厚著『武蔵府中物語 下巻』610ページには、この塚についての記述が見られ、「本宿南新田にある一本榎塚の如きは、ただ一基のみではあるが、一里塚 としてはっきりした口碑もなく、疑わしいから、それと定めがたい」と書かれています。
 また、平成24年度の第1回府中市文化財保護報告会では、委員から「古墳の可能性はむしろ無いですか。こんな位置では無いのでおかしいですか」という意見が出ており、事務局は「可能性もあるかとは思っておりますが」と答えているという様子が議事録に記載されているようです。
 この周辺の低地では今のところ古墳は発見されていにようですが、多摩川の対岸である日野市内の低地では、「落川・一の宮遺跡1号古墳」なる六角形墳が確認されています。
 果たしてこの塚が古墳である可能性もあり得るのでしょうか。


「新一里塚」

 南東から見た「新一里塚」。
 榎の木の存在からして、見た目はとっても一里塚っぽいです。


 「新一里塚」

『国立歳事記』に掲載されていた、往時の一里塚。
 昭和の中頃までは、大きな塚が残されていたようです。
 それにしても、こんな塚がひっそりと残されているあたりは、東京もまだまだ捨てたもんじゃないですよね。。。

<参考文献>
原田重久著『国立歳事記』
猿渡盛厚『武蔵府中物語 下巻』
府中市教育委員会『府中市内旧名調査報告書 道・坂・塚・川・堰・橋の名前』


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  1. 2019/10/03(木) 23:43:35|
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