古墳なう

ご〜ご〜ひでりんの古墳探訪記

「哲学堂公園内の塚状地形」

「哲学堂公園」

 「哲学堂公園」は、中野区松が丘1丁目に所在する、一万七千坪の広大な敷地を擁する公園です。この一帯はかつては和田山と呼ばれ、源頼朝が上総国から隅田川を渡って武蔵国へ入り、松橋(現在の板橋)へ陣取った際、和田義盛が陣屋を設けたところともいわれている場所です。哲学館大学(後の東洋大学)学長であった故井上円了博士が、精神修養の公園として明治39年に創設したところで、園内には哲理門、六賢台、宇宙館といった、77場の哲学に由来するさまざまな建物や石造物、通路などが造られています。

 この哲学堂公園周辺には現存する古墳こそ残されていないようですが、かつて存在したと考えられる古墳の伝承が数多く残されています。
 妙正寺川中流域右岸では、中野区松が丘1丁目周辺に「片山東南方高塚古墳群」と称する複数の古墳の存在の伝承があり、隣接する新宿区西落合2丁目の「妙正寺川No.1遺跡」からは、発掘調査により埴輪片が出土しています。また、中野区上高田5丁目の「遠藤山遺跡」からは合計4基の円墳の周溝が検出しています。
 妙正寺川左岸では、中野区沼袋1丁目の沼袋氷川神社境内の小丘から鉄剣が出土したことにより古墳の存在が判明しており、その後方の丘陵上にも小隆起が複数存在したという伝承が残されています。そして、哲学堂公園北東には「四ツ塚」と呼ばれる4基の塚が存在したといわれており、これは「豊島塚」のひとつではないかという説もあるものの、鳥居龍蔵氏はこの四ツ塚を古墳として紹介しており、『中野区史 上巻』でも「江古田一丁目四ツ塚古墳群」の名称で古墳として取り上げています。
 そして、哲学堂公園は、この四ツ塚と妙正寺川の間の丘陵縁辺部から妙正寺川に向かう斜面上に造られていることから、立地的に古墳築造に適した場所ではないかと仮定して、かつて存在した古墳の痕跡や古墳を流用した築山の存在を求めて哲学堂公園を散策してみました。


「哲学堂公園」

 画像は、哲学堂公園内に存在する築山です。77場の哲学に由来するというスポットの内には数えられていないようですが、人工的に築かれた塚ではないかとも考えられる形状で、妙正寺川に面する台地縁辺部に所在します。現地のスタッフの方にこの塚の名称をお聞きしたのですが(たしか「梵天(ぼんてん)××」と呼んでいたように記憶していますが)、正しい名称は忘れてしまいました。。。


「哲学堂公園」

 南東側の、哲学堂公園の外からフェンス越しに見た塚のようすです。塚上に植栽された植込みがあることから、南側からでは塚の全貌は把握し難いのですが、この角度から見ると円形の塚状地形を見ることが出来ます。(古墳じゃないのかな?)


「哲学堂公園」

 塚の頂部のようす。あとから写真で見てみると、塚の頂部の平らな部分は石室の石材で、房州石が置かれているのでは?とも見えるのですが、この日は注意力が散漫で色々見逃してしまいました。。。


「哲学堂公園」

 画像は「三学亭(さんがくてい)」です。三学亭は、日本の神、儒、仏の三道の中で最も著述の多い大家として、神道の「平田篤胤」、儒教の「林羅山」、仏教の「釈凝然」の三人を祀っているそうです。井上円了曰く、「三学は三角と音相通じることから三角の意匠を用いた」としており、形状は徹底した三角尽くしとなっています。三角形の小山の三方に階段が設けられており、山の頂部には三角形の屋根を持つ三本柱の亭子があります。
 ちなみにこの山を下りたところには「尾無毛泉無白(尾に毛無し、泉に白無し)」の石柱があり、この文句は「尿」の字になり、便所を指すのだそうです。(う〜ん、よくわからない)。。。


「哲学堂公園」

 三学亭の頂部のようすです。もしこの塚が古墳であればかなり改変されているということになりそうですが、古墳を流用したものであるかどうかはよくわかりませんでした。。。


「硯塚」

 画像は、三学亭の麓に立てられている「硯塚(すずりづか)」の石碑です。井上円了が全国を巡遊中、求められて各地で揮毫した際に用いた硯を供養した記念碑で、「筆塚」と対になっているそうです。マウンドは存在せず、この碑のみが存在するようです。


「筆塚」

 画像は「筆塚」です。「硯塚」と対になっているもので、この塚もマウンドは存在せず、丘陵斜面に石碑のみが建てられています。古墳とは無関係であると思われますが、「塚」の文字を見るとやはり気になってしまいます。。。

 公園内にはかなり多くの文化財が存在するのですが、今回はこれらの史跡には目もくれず(笑)、塚状に盛られたマウンドと「塚」と名のつくスポットのみを紹介しました。果たしてこの哲学堂公園内に古墳が存在したのかどうか、今のところその詳細は不明です。。。

<参考文献>
学生社『中野区史跡散歩』
哲学堂公園管理事務所『ガイドマップ哲学堂公園』


人気ブログランキングへ


  1. 2017/09/30(土) 00:03:13|
  2. 中野区
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

「遠藤山遺跡(二次調査) 1号墳」

「遠藤山遺跡(二次調査) 1号墳」

 画像は、中野区上高田5丁目の「遠藤山遺跡」の2次調査により検出された「1号墳」の所在地を南西から見たところです。

 この遺跡の第2次発掘調査は、平成26年(2014)に行われており、2基の方形周溝墓とともに1基の古墳の周溝が検出されています。(この古墳の名称は「遠藤山古墳群4号墳」ではなく、2次調査における「1号墳」と命名されているようです。)画像の三井文庫の建物のさらに奥が古墳の所在地となるようです。
 この1号墳は調査が行われた周溝が部分的であり、規模を正確に捉えるほどには検出されていないようですが、推定される外径は14.3m、内径9.5mで、調査当時墳丘がすでに消滅していたことから高さは不明です。


「遠藤山遺跡(二次調査) 1号墳」

 周溝内からは古墳時代後期の円筒埴輪が出土しています。画像は、中野区立歴史民族資料館で開催された館蔵品展「中野の遺跡 新発見伝」で公開されていた埴輪です。
 埴輪は口縁を南側に向けて横になった状態で周溝内から出土しており、ほぼ一個体分がまとまって発見されています。周溝の調査範囲は狭いものであったものの、円筒埴輪は7個体分程度が採集されています。6世紀中葉に埼玉県比企地方で造られたと推定されているようです。

<参考文献>
スターツアメニティー株式会社・中野区教育委員会・共和開発株式会社『遠藤山遺跡Ⅱ』


人気ブログランキングへ

  1. 2017/09/28(木) 00:36:22|
  2. 中野区
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

「遠藤山古墳群 1~3号墳」

「遠藤山古墳群 1~3号墳」

 画像は、中野区上高田5丁目の「遠藤山古墳群(遠藤山遺跡)」の所在地を南西から見たところです。

 この遺跡は、杉並区内にある妙正寺池を水源とする妙正寺川右岸の台地上に所在しており、『東京都遺跡地図』には、「遠藤山遺跡」の名称で中野区の遺跡番号57番に登録されています。平成2年(1990)に最初の発掘調査が行われており、縄文時代の炉穴、弥生時代の集落跡、古墳時代前期の住居跡とともに3基の円墳が発見されています。これらの古墳の墳丘は発掘当時にはすでに失われており、古墳の存在は想定されていなかったようですが、周溝が検出されたことによりその存在が確認されています。

 画像の建物の場所が遠藤山古墳群の所在地です。古墳は中央から右奥に向かって3号墳、2号墳、1号墳の順に、東西に並ぶように存在したようです。
 1号墳は、周溝全体の3分の2が調査されています。周溝外径は南北約15m、内径は12.5mの、陸橋部を持つ円墳で、周溝内からは縄文土器片や弥生土器片が出土しているものの、古墳に付帯する遺物は出土しなかったようです。
 2号墳は周溝全体が検出されており、周溝外径は南北約18.6m、内径は14mの、やはり陸橋部を持つ円墳です。縄文土器や弥生土器の他に、完形の土師器坏形土器1点が出土しています。
 3号墳も周溝全体が検出されており、周溝外径は南北約14.7m、内径は11.7mの陸橋部を持つ円墳であることがわかっています。
 出土した土器から古墳築造時期を推定すると。2号墳が6世紀第1四半期、3号墳が6世紀第Ⅱ四半期後半、遺物の出土のなかった1号墳がこれに先立つものとされ、1号墳⇨2号墳⇨3号墳の順に築造されたと推定されているようです。


「遠藤山古墳群 1~3号墳」

 平成28年(2016)11月から12月にかけて中野区立歴史民族資料館で開催された館蔵品展「中野の遺跡 新発見伝」では、この遠藤山古墳群から出土した遺物が展示されていました。画像はこの展示品のようすです。


「遠藤山古墳群 1~3号墳」

 坏形土器は、陸橋部付近から出土しています。これは、葬送儀礼に使われた土器が転がり落ちたと考えられているようです。中央のものが2号墳から、左右の2個が3号墳から採集されています。


「遠藤山古墳群 1~3号墳」

 1次調査からは2点の円筒埴輪片が出土しています。

<参考文献>
中野区教育委員会・中野区遠藤山遺跡調査会『遠藤山遺跡』


人気ブログランキングへ

  1. 2017/09/27(水) 00:35:42|
  2. 中野区
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

「行人塚」(片山東南方高塚古墳群?)

「行人塚」(片山東南方高塚古墳群?)

 画像は、中野区松が丘1丁目の「行人塚」の跡地と思われる地点を南東から見たところです。すでに消滅して存在しない、『東京都遺跡地図』には未登録の塚です。

 この行人塚は、前回紹介した「片山東南方高塚古墳群」に属する古墳だったのではないかとも考えられる塚で、熊沢宗一著『わがさと片山の栞』の23ページには、「原始時代の遺跡として文献に残るものは片山西南方高地の高塚式墳跡と、丘陵西側の横穴式古墳の遺跡とのことであるが、其の所在地に就ては詳かでないが、私の幼少の頃二一二三番地路傍に行人塚とて、小高い塚があったが或は夫れが、高塚式の古墳で有ったかとも思われる。」と書かれています。
 「行人塚」という名称からしてなんらかの伝承が残されているのではないかとも考えましたが、例えば祟りの言い伝えや、出土した遺物等の記録は、この地域の郷土誌からは見つかりませんでした。ただし、東方に所在する「遠藤山遺跡」からは4基の円墳の周溝が検出されており、隣接する新宿区の「妙正寺川No.1遺跡」からは埴輪片が採集されています。この行人塚が、熊沢宗一が指摘するように古墳だった可能性も十分に考えられるところではないでしょうか。
 
 行人塚が所在したとされる旧2123番地にあたる地点は、画像の道路が交差する北西角のクリーニング店のあたりと思われますが、周辺は宅地化が進んでおり、地上に古墳の痕跡は見ることは出来ないようです。。。

<参考文献>
東京都中野区役所『中野区史 上巻』
熊沢宗一『わがさと片山の栞』
妙正寺川No.1遺跡調査会『妙正寺川No.1遺跡』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』


人気ブログランキングへ

  1. 2017/09/26(火) 00:20:20|
  2. 中野区
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

「片山東南方高塚古墳群」

「片山東南方高塚古墳群」

 現在の中野区松が丘1丁目周辺には、かつては複数基の古墳により形成される古墳群が存在したといわれています。杉並区上井草より発する井草川を上流とする妙正寺川の右岸にあたる地域で、『東京都遺跡地図』には未登録となっているようですが、昭和18年(1943)に東京都中野区役所より発行された『中野区史 上巻』にこの古墳群についての記述を見ることが出来ます。
 同書の「遺跡性質一覧表」には、数ヶ所に古墳が存在したとして「片山東南方高塚墳」の名称で取り上げられており、また「遺跡遺物の現況」の項では「片山東南方高塚古墳群」の名称で、「江古田一丁目二一六五番地を中心とし、附近一帯、落合方面に連績せり。」、「遺蹟 高塚墳、哲學堂附近四ツ塚と同様の大さの由。」、「現況 湮滅、但し明治三十七年頃までは散在せし由。」と書かれています。
 記されている「江古田1丁目2165番地」という住所が、当時存在した古墳の1基の所在地なのか、それとも単に複数基存在する古墳の中心地として記載したのかは不明ですが、この番地を古地図で確認すると、かつてのオリエント写真工場の敷地に2161番地が見られることから、おそらくは現在の「妙正寺川公園運動広場」の周辺が古墳の跡地であると考えられます。画像はその妙正寺川公園運動広場を南東から見たところです。


「片山東南方高塚古墳群」

 画像は、妙正寺川公園運動広場を北東から見たところです。埴輪片出土地である、新宿区の「妙正寺川No.1遺跡」に隣接する地域ですが、この場所は一段高くなった台地の縁辺部にあたります。古墳築造のための立地としては、かなり適した場所だったのかもしれません。
 妙正寺川流域に墳丘が残る古墳はすでに1基も存在しないのですが、色々調べてみるととても興味深い地域です。。。

<参考文献>
東京都中野区役所『中野区史 上巻』
妙正寺川No.1遺跡調査会『妙正寺川No.1遺跡』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』


人気ブログランキングへ

  1. 2017/09/25(月) 00:06:20|
  2. 中野区
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
次のページ

カテゴリ

足立区 (14)
伊興古墳群 (4)
その他の古墳・塚 (10)
葛飾区 (13)
立石古墳群 (3)
その他の古墳・塚 (10)
板橋区 (46)
志村古墳群 (10)
その他の古墳・塚 (36)
北区 (26)
赤羽台古墳群 (2)
十条台古墳群 (2)
飛鳥山古墳群 (8)
田端西台通古墳群 (1)
その他の古墳・塚 (13)
荒川区 (28)
尾久の微高地 (4)
町屋-三河島の微高地 (19)
南千住の微高地 (3)
日暮里の台地上 (2)
台東区 (11)
上野台古墳群 (5)
その他の古墳・塚 (6)
墨田区 (3)
江戸川区 (0)
練馬区 (7)
豊島区 (2)
文京区 (8)
杉並区 (17)
中野区 (17)
新宿区 (17)
千代田区 (7)
目黒区 (8)
渋谷区 (18)
港区 (4)
品川区 (22)
品川大井古墳群 (7)
その他の塚 (15)
大田区 (94)
荏原台(田園調布)古墳群 (34)
鵜の木・久が原古墳群 (8)
その他の古墳・塚 (52)
世田谷区 (54)
都指定史跡 野毛大塚古墳 (0)
荏原台(野毛)古墳群 (13)
砧古墳群-殿山古墳群 (9)
砧古墳群-大蔵古墳群 (0)
砧古墳群-砧中学校古墳群 (2)
砧古墳群-喜多見古墳群 (13)
砧古墳群-その他 (6)
その他の古墳・塚 (11)
三鷹市 (4)
狛江市 (43)
狛江古墳群-和泉支群 (17)
狛江古墳群-岩戸支群 (3)
狛江古墳群-猪方支群 (23)
その他の古墳・塚 (0)
調布市 (55)
国領南古墳群 (2)
下布田古墳群 (16)
上布田古墳群 (7)
下石原古墳群 (2)
飛田給古墳群 (17)
その他の古墳・塚 (11)
府中市 (77)
史跡 武蔵府中熊野神社古墳 (2)
白糸台古墳群 (14)
高倉古墳群 (32)
御嶽塚古墳群 (19)
府中市内の塚 (10)
国立市 (24)
下谷保古墳群 (12)
青柳古墳群 (3)
その他の古墳・塚 (9)
立川市 (14)
稲城市 (0)
多摩市 (4)
和田古墳群 (4)
多摩市内の塚 (0)
日野市 (33)
平山古墳群 (7)
西平山古墳群 (5)
七ッ塚古墳群 (8)
万蔵院台古墳群 (4)
その他の古墳・塚 (9)
町田市 (5)
能ケ谷香山古墳群 (0)
その他の古墳・塚 (5)
八王子市 (11)
昭島市 (3)
浄土古墳群 (1)
その他の古墳・塚 (2)
あきる野市 (47)
森山古墳群 (3)
草花古墳群 (14)
御堂上古墳群 (4)
瀬戸岡古墳群 (7)
牛沼古墳群 (3)
その他の古墳・塚 (16)
日の出町 (2)
青梅市 (11)
古墳空白地域 (22)
西東京•清瀬•東久留米市 (3)
小金井•小平•国分寺市 (0)
東村山•東大和•武蔵村山市 (7)
福生市•羽村市•瑞穂町 (12)
栃木県の古墳 (13)
那須町•大田原市•那珂川町 (8)
宇都宮市•鹿沼市 (0)
壬生町•上三川町 (5)
群馬県の古墳 (0)
茨城県の古墳 (5)
神奈川県の古墳 (2)
千葉県の古墳 (1)
長野県の古墳 (6)
未分類 (2)

最新記事

最新コメント

検索フォーム

リンク

このブログをリンクに追加する

QRコード

QR