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古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

「末長向台古墳群」

「末長向台古墳群1号墳(口明塚)」

  さて、今回紹介するのは、川崎市高津区末長所在の「末長向台遺跡」です。
 この遺跡内からは、これまで行われた発掘調査により6基の古墳が確認されており、「末長向台古墳群」と呼称されています。

 まずは「末長向台古墳群1号墳」です!
 画像は、高津区1丁目に現存する、北から見た「口明塚」です。
 かつては、「口明塚」と呼ばれる大きなマウンドがこの場所に残されていたようですが、その後開発が進み、現在は、川崎上下水道局中部サービスセンターの敷地内のわずかな一角に残されるのみです。小さく盛られた塚の上に「口明塚」と刻まれた石碑と、お地蔵様が祀られています。発掘調査により検出された「末長向台古墳群」の6基の古墳のうち、唯一痕跡の残る古墳といえるかもしれません。

 平成17年に、この口明塚の道路を挟んで北側にあたる、末永向台遺跡第二地点の発掘調査が行われ、古墳の周溝が検出されたことから、この「口明塚」が古墳であったことが確認されています。
 古墳の復元外径は30m前後、内径は20mほどの円墳で、土師器坏や円筒埴輪片が出土しており、5世紀第4四半期から6世紀第1四半期の築造と推定されているようです。


「末長向台古墳群1号墳(口明塚)」

 塚上に建てられている「口明塚」の石碑です。
 この古墳の名称からして、おそらく往時の古墳は石室が開口していたのではないかと想像できますが、ひょっとして、まだこのわずかな敷地の地中に主体部の痕跡が残されているのではないかと想像すると、ちょっとワクワクしますね。
 この画像は平成12年に撮影したもので、当時、水道局のスタッフの方にお願いして石碑の正面から撮らせていただきました。お仕事中に煩わせてしまって、本当にありがとうございました。
 それにしても、訪れてから7年後に公開しているようでは、古墳「なう」の看板に偽りありですよね。。。実はこの時期に、当時使っていたパソコンを崩壊させてしまって、それまで撮影した多くの古墳画像を消失してしまったのですが、この画像は救い出すことができたという、貴重な画像なんです。


「末長向台古墳群2号墳」

 「末永向台2号墳」はだいたいこのあたり。
 平成19年(2007)に行われた調査により確認された古墳です。縄文時代の集積土坑、土坑、陥し穴や平安時代の竪穴住居跡とともに、古墳時代後期の古墳の周溝が検出されています。外径20m、内径14.79mを測る陸橋付(ブリッジ付)の円墳で、主体部は墳丘が完全に削平されており、検出されなかったようです。
 1号墳に続いて新たな古墳が確認されたことにより、清水谷古墳、法界塚古墳から西福寺古墳との間に多数の古墳が築造されていたことが明らかになっています。


「末長向台古墳群3号墳」

 「3号墳」はだいたいこのあたり。
 平成19年(2007)4月から5月にかけて行われた発掘調査により、縄文時代の土坑、陥し穴、平安時代の竪穴住居跡とともに古墳の周溝が検出されています。現在は集合住宅が建てられており、古墳の痕跡は見当たりません。。。


「末長向台古墳群4号墳」

 画像の中央の集合住宅の辺りが「4号墳」の所在地です。
 画像手前あたりに見えるように、この一帯はまだまだ畑地として使用されている土地も少なくないようですし、今後の調査次第ではかなり多くの遺跡が発見される可能性も感じられます。遺跡が集中している場所で畑地をみるとワクワクしますね。。。


「末長向台古墳群5号墳」

 「5号墳」はだいたいこのあたり。
 昭和60年(1985)に発刊された『鎗ヶ崎遺跡発掘調査報告書』には、この周辺に存在した古墳の可能性のある塚について、次のような記述が見られます。

 口明塚より東へ80mのところに高さ1.5m、径5m位のマウンドを持つものが昭和30年代まで存在していた。同じく川野芳郎氏の言によれば、それは低い小さなもので裾の方に竜の髭が植えられ、うえの方に玉石がいくつか置かれていたと言う。関東の霊山である大山に関係した供養塚みたいなもので大山講などで参拝に行く時に先づこの塚を拝んでいったものだとの話であった。その地点は高津区末長506番地で、これも一応地点を示した。

 この塚と5号墳が同一のものかは、塚が消滅してしまった今となっては確認することは不可能ですが、同書に掲載の分布図からするとこの供養塚が5号墳である可能性は十分に考えられそうです。昭和初期にはまだ多くの古墳の痕跡が残されていたのかもしれませんね。。。


「末長向台古墳群6号墳」

 「6号墳」はだいたいこのあたり。
 末長向台古墳群では、「口明塚(1号墳)」以外に古墳の痕跡は見られないようですが、今後、多くの未確認古墳が発見される可能性も高く、とても興味深い地域です。
 調査の進展が楽しみです。

<参考文献>
高津図書館友の会郷土史研究部『鎗ヶ崎遺跡発掘調査報告書』
有限会社 吾妻考古学研究所『末長向台遺跡第2地点・末長向台古墳群』
有限会社 吾妻考古学研究所『末長向台遺跡第3地点・末長向台古墳群』
川崎市教育委員会『末長向台遺跡第5地点』


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  1. 2019/06/24(月) 23:29:02|
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「十三坊塚の道標」

「十三坊塚の道標」

 前回に引き続き、今回も川崎市内の十三塚について取り上げようと思います。

 神奈川県は多くの十三塚が築造された地域であり、昭和59年(1984)に発行された『十三塚 ―現況調査編―』掲載の「十三塚保存状況等一覧表」によると、日本全国でも三番目に多い、26箇所に確認されています。川崎市内でも7箇所に十三塚が所在したといわれており、麻生区の五力田と東京都稲城市平尾の境界付近には、現在も一列に並ぶ十三塚が現存します。

 画像は、川崎市宮前区神木本町4丁目に現存する「十三坊塚の道標」です。
 この角度から見ると、盛り上がった塚状地形の裾部に石碑が建てられているように見えるのですが、実際には、宅地化が進んだ地域の中にあって、この一角だけが東西に20~30mほどの細長い敷地として残されています。敷地内はびっしりと篠竹が生い茂っていて内部がどんな形状となっているのか謎ですが、ひょっとしたらこの藪の中に十三塚のうちの何基かが残されているのではないかと期待が膨らみます。

 この十三塚について、『新編武蔵風土記稿』の中に記述が見られないかと調べてみましたが、上作延村の項に「十三坊原 村ノ西南丘上ノ平地ヲ云此邊長尾村ノ續キニシテカノ村ニテモ此地名ヲ唱ヘヌレト文字ヲ十三本原ト(?)テ唱ヘモオノツカラコトナリ名義ハ二村トモ傳ヘヲ失ヒテ詳ナラス或ハ十三佛ヲ供養セシ跡ナリト是ニヨレハ十三坊ト記ス方マシナランカサレト巨樹十三本アリシ地ト云傳説モアレハ今何レテ是ナルヘシトモ定メカタシ」と書かれていました。上作延村の西南、ということですから、これが十三坊塚についての記述とみてよいのではないかと思われます。
 ここから東に400~500mほどの地点には「上作延南原古墳」、北西に400~500mほどの地点には「長尾古墳」が現存します。古墳ファンにとってはとても気になる十三塚です。。。


「十三坊塚の道標」

 この台地はかつては十三坊台と称され、王禅寺道から溝口、府中方面に向かう道路が分岐する、交通の要衛であったといわれています。
 画像の、文化12年(1815)建立の道標を兼ねた庚申塔には、「東 二子道」、「西 王ぜんじ道」、「北 ふちう道」と刻まれています。

<参考文献>
千秋社『新編武蔵風土記稿 横浜 川崎編1』
柿生郷土史料館『柿生文化』
神奈川大学日本常民文化研究所『十三塚 ―現況調査編―』
川崎市宮前区役所『宮前区歴史ガイドまち歩き 10 王禅寺道』


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  1. 2019/06/19(水) 22:09:26|
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「十三坊塚(十三菩提古墳・野川南台和田古墳)」

「十三坊塚(野川南台和田古墳No.142野川南耕地)」

 今回は、川崎市宮前区野川に所在する「十三坊塚」の探訪の記録です。

 この十三坊塚は、県営野川南台団地の南側に1基のみが残存するという状況であるようですが、かつては13基の塚が並んでいたとも伝えられています。
 江戸時代の地誌『新編武蔵風土記稿』には「十三本堂」の名称で取り上げられており、「中程ナリ又十三菩提トモ十三本塚トモ呼リ古ハ古塚十三アリシト云今ハ其狀ノミ殘レリ中古此所ヨリ甲冑ノ朽シモノヲ掘出セシト云」と記されています。
 朽ちた甲冑が出土したという記述は、やはり古墳を連想させる興味深い伝承ですが、発掘調査は行われていないようなので、塚の性格についてはよくわかりません。新田義興の家臣の墓という説、武器の隠し場所説、災厄除け説等、諸説あるようですが、現状は十三仏信仰に因むものと考えられているようです。

 画像は、十三坊塚を北西からみたところです。
 周辺地域にはまだわずかに農地が残されているようですが、塚の周囲は宅地化が進んでおり、塚の南側と西側は道路により若干削平されているようです。


「十三坊塚(野川南台和田古墳No.142野川南耕地)」

 画像は、南東から見た十三坊塚です。
 昭和59年(1984)に発行された『十三塚 ―現況調査編―』にもこの塚は取り上げられており、「1基現存」、「畑と道路の境界部分にあり」とあり、また規模について「南北7.4m、東西3.25m、高さ1.2m(本来は径7m前後の円形か)」と書かれています。
 さらには、現在の川崎市のHPでも、「十三坊塚」の名称で、古墳ではなく塚として取り上げており、「権六谷戸と有馬川に挟まれた南野川の台地にある塚。「新編武蔵風土記稿」には昔ここに13の塚があったとされるが、現在では県営野川南台団地の南西部に1箇所が残るだけである。」と解説されています。
 ただし、「川崎市市民ミュージアム考古学叢書2」に掲載されている橘樹郡内の古墳一覧表には、この塚を「5世紀築造?の十三菩提古墳」として掲載しており、また現在の『Googleマップ』には「野川南台和田古墳」という名称でプロットされています。
 この、十三菩提古墳や野川南台和田古墳の名称が正式な名称なのかもよくわからなかったのですが、果たしてこの塚が古墳なのか、それとも十三塚の残存する1基なのか、とても興味深い存在です。。。



「十三坊塚(野川南台和田古墳No.142野川南耕地)」

 塚の東側の裾部には、お地蔵様が祀られていました。
 訪れた当日も綺麗なお花が生けられていて、開発の進んだ現在でも地元の人に大切にされている様子がわかります。なんとか、良い形で塚が保存されることを祈ります。

<参考文献>
千秋社『新編武蔵風土記稿 横浜 川崎編1』
川崎市市民ミュージアム『川崎市市民ミュージアム考古学叢書2』
神奈川大学日本常民文化研究所『十三塚 ―現況調査編―』
川崎市宮前区役所『宮前区歴史ガイドまち歩き』


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  1. 2019/06/12(水) 23:22:04|
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「有馬古墳」

「有馬古墳」

 「有馬古墳」は、川崎市宮前区東有馬5丁目に所在する古墳です。
 宮前区の№16遺跡として登録されている古墳で、県営有馬団地の南西側、たぬき公園内に保存されています。
 画像は、この有馬古墳を南東からみたところです。
 
 『新編武蔵風土記稿』にはこの古墳について「大塚村の東にあり、よほど高き塚なり、土人も何人の塚なることを伝へず、又古の一里塚なりともいへり、それをいかにと云び此所より馬絹村の方へ古道ありて、此塚其路傍にあたりと云、されど其慥なることを知らず」とあり、古くから知られた存在ではあったものの、塚の由来等は伝えられていなかったようです。


「有馬古墳」

 埋葬施設や周溝等の詳細は不明ですが、平成元年度の実測調査により、南北径26.5m、東西径25.5m、高さ4.2mを測り、川崎市内に残存する古墳の中ではかなり良好な状態で残されているようです。


「有馬古墳」

 かつてのこの古墳の周辺は畑地として利用されていたようですが、古墳に触れるとたびたび祟りがあったことから、近寄らなかったという伝承が伝えられているようです。


「有馬古墳」

 墳頂部の様子です。稲荷の祠が祀られています。
 祟りの伝承があったからか、墳丘を覆う大木と背丈ほどもある藪で荒れ果てていたようですが、現在はキレイに整備されて、地元の人により祀られているようです。
 
<参考文献>
伊藤秀吉「川崎市の古墳(二)」『川崎市文化財調査集録 第4集』
川崎市教育委員会社会教育部文化課『川崎市文化財調査集録 第27集』


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  1. 2019/05/29(水) 23:48:13|
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「野川古墳群(野川1号墳〜3号墳・北根古墳)」

「野川1号墳」

 さて、今回は川崎市宮前区に所在する「野川古墳群」の探訪の記録です。

 この古墳群は、影向寺台西側の台地上、南に伸びる舌状台地上に存在したという古墳群で、江戸時代の地誌、『新編武蔵風土記稿』には「古は古塚十三ありしと云、今は其状のみ残れり、中古此所より甲冑の朽しものを掘出せしと云、」と記載されています。その全てが古墳であったかどうかは、ほとんどの塚が消滅してしまった現在では知る由もありませんが、少なくとも江戸時代には13箇所の塚の痕跡が残されていたということで、この地域にかなり多くの古墳が存在したことは間違い無いようです。

 画像は、唯一残存する1基、「野川1号墳」を南からみたところです。


「野川1号墳」

 画像は、東から見た野川1号墳です。
 平成元年(1988)に発行された『川崎市文化財調査集録』には、当時行われた、古墳の調査記録が掲載されており、「高さ2.4m、径15m余りの小円墳で、裾の部分が耕作によって若干削られている他は、遺存状態は比較的良好である。古墳のすぐ脇まで、人家が押し寄せてきている。」と書かれています。この古墳の状況と規模は、現在もあまり変わらないように見受けられますが、周辺の宅地開発はさらに進んでいます。
 そして、その後の平成22年(2010)、古墳の西側にあたる、野川北耕地遺跡第2地点にて行われた発掘調査では、古墳の周溝と考えられる溝状遺構が検出されており、土師器や須恵器などの遺物が出土しています。どうやら古墳であることは間違いないようですね。


「野川2号墳」

 画像の周辺に「野川2号墳」が存在したようですが、宅地開発により残念ながら古墳は消滅しています。昭和42年(1967)に発行された『川崎市文化財調査集録』には、まだ残存した当時の2号墳の様子が記されており、「高さ3.7メートル、墳径16メートルの円墳で、西側の約四分の一は、既に私道によって切断されてしまった。」と書かれています。
 1号墳、2号墳ともに葺石や埴輪は認められなかったようです。
 この古墳は、地元の人のお話によるとなんらかの調査は行われているようなのですが、調査記録が載せられている報告書は見つけることができませんでした。


「野川3号墳(野川ゴルフ練習所前古墳)」

 「野川3号墳」は、画像の舌状台地上に所在したといわれています。
 昭和42年(1967)発行の『川崎市文化財調査集録』には、「野川ゴルフ練習所前古墳」の名称で、残存当時の古墳の様子が記されています。調査当時、かなり古墳の破壊は進んでおり、高さ2.6m、南北径16.7mの規模が残されていたようですが、元はかなり大きな古墳であったと推測されています。塚上は、南北4メートル、東西3メートルの方形の平坦地があり、20余の石塔がコの字型に配列されていたようです。
 古墳はその後、ゴルフ場の拡張により削平されてしまったようです。


「野川3号墳(野川ゴルフ練習所前古墳)」

 台地上の、3号墳の跡地の様子です。
 既に平坦に整地されており、古墳の痕跡は見られませんでした。。。


「北根古墳」

 「野川3号墳」は、1号墳や2号墳の所在地とは若干の距離があり、同じ古墳群に属していて良いものか疑問に思われるのですが、もう1基、野川古墳群に属していても良いのでは?とも思われるのが「北根古墳」です。
 この古墳は、川崎市宮前区野川に所在したとされる古墳で、昭和39年(1964)に行われた整地工事により消滅してしまったようですが、存在が確実視されており、『川崎の遺跡』には宮前区のNo.8遺跡として登録されています。

 この古墳の発掘調査は行われなかったようですが、当時の様子や遺物を実見したという新井清氏により詳細が報告されています。この記録が記載されている、昭和41年(1966)に発行された『考古たちばな』によると、古墳は鶴見川の支流である矢上川の形成谷の北側、細く南西に突き出た丘陵の突端に地形を利用して築造されており、規模は径20mほどの円墳であったとされています。墳丘の中心より北東にやや外れた場所からは直刀1振が、また墳丘の南西裾付近から土器が2点出土しています。
 この直刀は残念ながら散逸して残されていないようですが、土師器が現存しており、古墳時代初期に造られたものであると考えられているようです。
 
 画像は、北根古墳の跡地周辺の様子です。宅地化が進み、古墳の痕跡は全く残されていないようです。。。
 
<参考文献>
新井清「川崎市野川 北根古墳」『考古たちばな』
川崎市教育委員会「川崎市の古墳(一)」『川崎市文化財調査集録 3』
川崎市教育委員会「川崎市内の高塚古墳について」『川崎市文化財調査集録 24』
川崎市教育委員会生涯学習部文化財課『平成27年度 川崎市埋蔵文化財年報』


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  1. 2019/05/25(土) 02:27:07|
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