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古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

芳賀町「後久保古墳」

芳賀町035「後久保古墳」1

 今回は、芳賀町東水沼に所在する「後久保古墳」の探訪記録です。

 古墳は野元川右岸の宝積寺台地上の東端に位置する前方後円墳で、芳賀町の記念物(史跡)として指定されています。
 古墳の道路を挟んで西側は宇都宮市で、宇都宮市側にもう1基円墳が存在したようですが、こちらは宅地化により消滅しているようです。。。


芳賀町035「後久保古墳」2

 ここも前回の別所大古墳群同様に何年か前までは雑木林でしたが、現在は樹木は伐採されて見学しやすい状況です。
 墳丘西側の道路沿いには、「後久保古墳」の標柱と芳賀町教育委員会による説明板が設置されています。


芳賀町035「後久保古墳」4

 後 久 保 古 墳

 大字東水沼字溜池地内の中にある本墳は、野元川右
岸の宝積寺段丘上に位置する前方後円墳である。
 この古墳は、全長四十八米、後円部径二十六米、同高さ
六・四米、前方部幅二十四米、同高さ五・六米で前方部が
やや低く、南西に面して築造されている。
 墳丘からは、埴輪片が採集されている。埴輪祭祀が六世
紀末ころに消滅すると考えられることから類推すると、
築造年代は、六世紀後半の比較的新しい時期であると考
えられる。
 かつて昭和四十年代まではこの付近一帯は雑木林で覆
われていて、その保存状態がきわめて良好である。現在
は、本墳の東から北側にかけて畑地、西側が道路に次い
で清原台の住宅街(宇都宮市)、南側は林である。
 なお、本墳から北部数百米にまたがる一帯は、縄文時代
の遺跡、遺物が発見されており、古くより格好の住居地
であったと考えられる。
                 芳賀町教育委員会




芳賀町035「後久保古墳」5

 南西から見たところ。
 左が前方部、右が後円部という状況です。

 前方部と後円部の高さはほぼ同じで、くびれ部のくびれがあまり無いのが印象的です。


芳賀町035「後久保古墳」6

 南東から見たところ。
 古墳からは埴輪片が採集されています。


芳賀町035「後久保古墳」7

 墳丘上で前方部から後円部を見たところ。
 墳丘が見事に残されています!


芳賀町035「後久保古墳」8

 後円部から前方部を見たところ。


芳賀町035「後久保古墳」9

 墳丘上の樹木は伐採されてとても見学しやすいし、墳丘自体もきれいに残されているので、最近古墳巡りを始めたという方にもお勧めの古墳です。


LRT.jpeg

 宇都宮市側には、最近開通したLRTが通っているんだけどさ。
 沿線に何にも無いじゃん、と思っていたけど、この後久保古墳があるじゃん、と気がついた。
 清原地区市民センター前駅か、グリーンスタジアム前駅あたりで降りてこの後久保古墳の見学に行くってのもアリかもしれないとは思う。

<参考文献>
芳賀町教育委員会『芳賀町遺跡分布調査報告書』
芳賀町『芳賀町史 資料編 考古』


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  1. 2024/02/28(水) 20:14:25|
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芳賀町「別所台古墳群」

芳賀町057「別所台古墳群」

 今回は、芳賀町下高根沢に所在する「別所台古墳群」の探訪記録です。

 この古墳群は、野元川右岸に広がる宝積寺台地の舌状に張り出した台地延辺部に位置しています。
 昭和37年に芳賀町教育委員会により実施された遺跡分布調査では9基の円墳が確認されていたようですが、宅地造成により多くは消滅しており、現在は2基の円墳が残存するのみです。

 決して大きな古墳群ではありませんが、道路沿いに「別所台古墳群」と書かれた標柱が設置されているのが芳賀町らしいところで、標柱や説明板が設置されていない古墳なんてあったかな?と思うぐらいですよ。。。


芳賀町057「別所台古墳群 東の古墳」1

 「別所台古墳群1号墳」を南から見たところ。
 ちょっと前までここは雑木林だった気がするのですが、現在は樹木が伐採されてとても見学しやすい状況です。

 ただし、ひょっとしたらこれから宅地化が始まるとか、太陽光パネルが設置されるとか古墳が消滅に向かっていく可能性もありそうだし、油断は禁物です。。。o(`ω´ )o

 
芳賀町057「別所台古墳群 東の古墳」2

 同じく1号墳を西から見たところ。
 墳丘上を重機が走り抜けた跡が残されているのが残念な感じです。

 直径は13.5mの円墳で、台地の斜面に造られているため、北側の高さは0.3m、南側の高さは約2.4mと異なります。


芳賀町057「別所台古墳群 西の古墳」1

 こちらは「別所台古墳群2号墳」を南西から見たところ。
 1号分の西南西約30mに隣接する円墳で、直径約15.5m、高さは北側で約0.4m、南側で約2.3mです。
 埴輪や葺石といった外表施設は見られないようです。。。


芳賀町057「別所台古墳群 西の古墳」2

 墳丘上には祠が祀られて多様ですが、もはや残骸といった状況。
 どこかに合祀されているのかな。。。

 墳丘南側には凹みがあり、おそらく盗掘を受けていると思われます。



 ちなみに、この2基の西側に「和讃塚古墳」という古墳が存在するようなのですが、この古墳はどこにあるのかよくわからないまま、あきらめて帰宅してしまいました。
 この和讃塚古墳は円墳で、別所台古墳群と隣接していることから広義の別所台古墳群を形成しているとも考えられているそうで、つまりはこの和讃塚古墳を含めると、別所台古墳群は円墳10基からなる古墳群ということになるようです。

 和讃塚古墳、どこにあったんだろう。。。



 というわけで別所台古墳群、2基ともに見学しやすい古墳ではありますが、消滅しないよう祈ります。。。

<参考文献>
芳賀町教育委員会『芳賀町遺跡分布調査報告書』
芳賀町『芳賀町史 資料編 考古』


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  1. 2024/02/26(月) 21:11:49|
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益子町「田中古墳群1号墳」と「同2号墳」

益子町「田中古墳群1号墳」1

 今回から、益子町七井に所在する「田中古墳群」を3回に分けて紹介しようと思います。

 真岡鉄道七井駅の北西約1.2km、小貝川右岸の丘陵上に築造された古墳群で、8基の古墳により構成されており、現在は5基が残存します。

 画像は「田中古墳群1号墳」で、南北に伸びる農道から東に入った雑木林の中に存在します。
 規模は径約10m、高さ約2mの円墳で、非常に良好に残されています。


益子町「田中古墳群1号墳」2

 同じく1号墳の墳頂部の様子です。
 まるで鳥居の役目を果たすかのような大木にしめ縄が張られていて、二十三夜供養塔が祀られています。


益子町「田中古墳群1号墳」3

 1号墳の二十三夜供養塔です。


益子町「田中古墳群2号墳」

 こちらは「田中古墳群2号墳」で、1号墳のすぐ東に隣接しています。

 田中古墳群、次回に続きます。。。

<参考文献>
益子町『益子町史 第一巻 考古資料編』
益子町教育委員会『益子町遺跡地図』


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  1. 2024/02/13(火) 23:27:10|
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芳賀町「首無し地蔵塚古墳」と「郷境の塚古墳」

芳賀町042「首無し地蔵塚古墳」1

 今回は、芳賀町稲毛田に所在する「首無し地蔵塚古墳」と「郷境の塚古墳」という2基の古墳の探訪の記録です。

 この2基の古墳は、小貝川の支流である大川の右岸に広がる微高地上に築造された円墳です。
 大川まで60mという至近距離に位置しており、大川にかかる橋の西側の古墳へ向かう道路の入り口に「首無し地蔵塚古墳」と書かれた立て札が立てられています。

 芳賀町の古墳にはいつもなんらかの形で表示がなされていて、わかりやすい感じ。。。(o‘∀‘o)*:◦♪


芳賀町042「首無し地蔵塚古墳」2

 南東から見た首無し地蔵塚古墳です!
 
 周囲は水田や畑地となっていることから、墳丘南側から西側にかけての裾部は作平されているようです。
 残存する墳丘の規模は、南北16.5m、東西12.5m、高さは2.2mで、葺石や埴輪などの外表施設は伴わないようです。

 出土遺物などの伝承もなく、古墳の築造年代は不明とされています。


芳賀町042「首無し地蔵塚古墳」3

 西から見たところ。


芳賀町042「首無し地蔵塚古墳」4

 北西から見たところ。


芳賀町042「首無し地蔵塚古墳」5

 以前、上稲毛田に所在する「火振塚古墳」の回でもふれましたが、この地域には「芳志戸左門「という有名な大泥棒がいました。

 同情心の強いこの塚の地蔵尊は、村人が可哀想だからどうにかあの残忍極まる芳志戸左門をひどい目にあわせてやろうと思っていて、ある夜、装束を変えて一丈二尺もある大入道となって現れ、手足は太く、毛は針の如く、一丈五尺もある鉄の棒を持って出掛けました。
 そこで地蔵尊は、ついに芳志戸左門と出逢ってしまいます。

 「今日こそは勘弁ならん!この鉄棒で叩き殺してやる!」と息巻きますが、左門もさる者。
 坊主覚悟せよと秋水一閃!
 太刀を鋭く打ち下ろすと地蔵の首は火の玉となって空高く飛び去ってしまいました。

 翌朝、ここを通りがかった農夫は、石地蔵の首が下に落ちて血だらけになっているのを見つけてびっくりしたそうです。
 それで、ここは首なし地蔵といわれるようになったそうです。


 当日お参りしたところ、墳丘上の地蔵にはちゃんと首があるんですよね。
 ただし、この地蔵はかなり新しいようだし、左側の五輪塔の残骸の中に首のない地蔵らしき石像物が見られるるので、これが伝説の首なし地蔵なのかもしれませんね。
 わからんけど。。。


芳賀町060「郷境の塚古墳」1

 こちらは「郷境の塚古墳」を北東から見たところ。
 個人の民家の敷地内に残存しており、首無し地蔵塚古墳からは距離にして約40mとかなりの至近距離に存在します。

 残存する墳丘の規模は、東西18.5m、高さは2.2mで、葺石や埴輪などの外表施設は伴わないようです。
 明治時代に石室が発見されており、その際に刀剣と管玉が出土しているようですが、その所在はわからなくなっているようです。
 出土遺物の実態がわからないため、築造年代の不明とされているようです。


芳賀町060「郷境の塚古墳」2

 東から見たところ。
 明治時代に発見された石室の石材が庭先に現存しているそうなのですが、当日ピンポンしてみて家の方がいらっしゃらなかったので、見ることはできませんでした。。。

<参考文献>
芳賀町教育委員会『芳賀町遺跡分布調査報告書』
芳賀町『芳賀町史 資料編 考古』
芳賀町・芳賀町史編さん委員会『芳志戸の民俗』


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  1. 2024/01/29(月) 21:41:07|
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芳賀町「伏見稲荷塚古墳」

芳賀町062「伏見稲荷塚古墳」1

 今回は、芳賀町祖母井に所在する「伏見稲荷塚古墳」の探訪記録です。

 この古墳は、五行川左岸の稲毛田台地西端に位置しています。
 入り口に「伏見稲荷塚古墳」の案内板が設置されているのは芳賀町ならではで、町内に何も設置されていない古墳なんてあるのかな?と思えるぐらい、ほとんどの古墳に説明板や標柱が設置されている印象です。

 実は、何年か前に最初に来た時には古墳の場所がわからず素通りしました。笑。
 やっぱり、今回は木の葉が落ちる冬に訪れたので看板が見やすかったのかな。。。

 古墳は個人宅にあるっぽいのですが、今は誰も住まわれていない様子だったので、敷地内を通らずに畑の畦を歩いて古墳の場所に到達しました。


芳賀町062「伏見稲荷塚古墳」2

 古墳は、墳丘上に祀られている伏見稲荷神社の工事中という状況で、なんと墳丘はガリガリ削られている様子!?

 『芳賀町史 資料編 考古』に書かれている規模「南北23.5m、東西17.5m、高さ約1.6mよりは少々小さな印象です。
 神社を祀る際に、すでに周囲も高さもかなり削られていたであろうと思われますが、墳丘裾部も直線的で、一見すると方墳かな?とも感じられますが、『芳賀町史 資料編 考古』の記述からすると、方墳とするには疑問がああるようです。


芳賀町062「伏見稲荷塚古墳」3

 東から見た伏見稲荷塚古墳です。
 まさか、削られてさらに小さくなってしまったりして。。。


芳賀町062「伏見稲荷塚古墳」4

 南から見たところ。
 墳頂部には、大正元年に京都伏見稲荷大社から分霊した祖母井伏見稲荷神社が祀られています。


芳賀町062「伏見稲荷塚古墳」5

 墳丘上の様子。

 工事が終わった頃にまた参拝に来られたらいいなと思います。

<参考文献>
芳賀町教育委員会『芳賀町遺跡分布調査報告書』
芳賀町『芳賀町史 資料編 考古』


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  1. 2024/01/28(日) 22:54:21|
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芳賀町「琴平山古墳」

芳賀町048「琴平山古墳」10

 今回は、芳賀町芳志戸 に所在する「琴平山古墳」の探訪の記録です。

 この古墳は、五行川と大河に挟まれて形成されている喜連川丘陵の西端に位置しています。

 画像は、古墳の南西側の山の麓にある道で、この道を見つけることができれば一直線に古墳へと向かうことができます。

 私がこの道の手前に車を停めてスマホと睨めっこしていたところ、地元のAKBさんという方が「どした?」みたいな感じで近寄ってきてくれて、それで道を訪ねて古墳へ迷わず向かうことができました。
 「AKB」さんというのは冗談でもなんでもなくて、○○○さんという三文字の苗字の頭だけ取るとAKBになるのですが、AKBさんには琴平山古墳の山を降りた後も、場所がわからない塚を探す際にとてもとてもお世話になったので、感謝の気持ちを込めて書き記しておこうと思います。。。


芳賀町048「琴平山古墳」1

 琴平山古墳を南西から見たところ。
 かなり大きな古墳です。

 規模は径41.2m、高さは5.1mの円墳とされています。
 谷を挟んで北に500mほどの丘陵頂部には「大塚台古墳」が所在しますが、立地や墳形、墳丘規模までかなり似通っていて、さらには埴輪や葺石がない可能性が高いところも、共通しており、両古墳ともに古墳時代中期頃に築造されたと想定されます。


芳賀町048「琴平山古墳」2

 墳丘裾部には鳥居と思しき残骸が。
 近年ずっと地震が多いですし、こういう光景は少なくないですよね。。。


芳賀町048「琴平山古墳」3

 墳丘斜面の様子。
 鳥居から墳頂部まで参道となっており、若干抉られているようではありますが、墳丘は良好に残されているように感じます。


芳賀町048「琴平山古墳」4

 墳頂部は、径9.5mと比較的広い平坦面に石祠が建てられ、琴平神社として祀られています。


芳賀町048「琴平山古墳」5

 琴平神社の祠を背後から。。。


芳賀町048「琴平山古墳」6

 参道を、墳頂部から見下ろしたところ。
 かなり大きな古墳ですよね。。。


芳賀町048「琴平山古墳」11

 画像は、琴平山古墳の南東に隣接する円墳を南西から見たところです。

 『芳賀町史 資料編 考古』には、「本墳 (琴平山古墳) の南に隣接して径19.5m、高さ1.8mの円墳が築造されている。更に、南西200mの地点には、径約10m、高さ約2.5mの円墳が所在している。両墳とも、埴輪・葺石などの外表施設は確認できない。」と書かれています。

 おそらくこの古墳は同書にある「南に隣接する径19.5m、高さ1.8mの円墳」で間違いないかなと思います。
 方角的には、琴平山古墳の南ではなく「南東側」という気がしたけれど、方位磁石を持っていたわけではないので確信はなし。。。


芳賀町048「琴平山古墳」12

 反対側に回り込んでみました。逆光だけど。
 北東側から見た、という感じかな。

 こちら側は雑草があまりなかったので墳丘が観察しやすい感じ。。。


芳賀町048「琴平山古墳」13

 墳頂部には特に何もなし。


芳賀町048「琴平山古墳」14

 『芳賀町史 資料編 考古』にある、南西200mの地点にあるという「径約10m、高さ約2.5mの円墳」がどこにあるのかわからなかったのですが、南西ではなく南東側に、古墳ではないかとも考えられる高まりを発見。
 「径約10m」はそれっぽいけど、高さは2.5mもなく、1mほどの低墳丘な古墳(古墳であれば)という印象です。

 ちなみに『芳賀町遺跡分布調査報告書』には「付近に円墳が4基存在している」とも書かれているので、他にも何基かの古墳が存在するのかもしれませんが、あまり深追いはしませんでした。

 琴平山古墳の北側はほとんど散策しなかったし、南側も深い藪となっている場所があったので、まだ他にも古墳があるのかもしれません。。。


芳賀町048「琴平山古墳」8

 この琴平山古墳のほか、「火振塚古墳」や「大塚台古墳」はたどり着くのが少々大変かも。

 『芳賀町遺跡分布調査報告書』の分布図は、琴平山古墳の位置が大幅にずれているので参考にしてはいけません。
 また、古墳の東側を南北に走るタツ街道沿いに「琴平山古墳」の立て札が建てられていて、未舗装の道が西に伸びていますが、この道も古墳の南側の方角にズレていってしまうので、まっすぐ進むと辿り着きません。

 道の途中で、右方向に道なき藪の中に進めばやがて琴平山古墳の墳丘が見えてきますが、これはちょっとハードルが高いですよね。。。

<参考文献>
芳賀町教育委員会『芳賀町遺跡分布調査報告書』
芳賀町『芳賀町史 資料編 考古』


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  1. 2024/01/27(土) 21:07:10|
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芳賀町「御嶽稲荷塚古墳 (毘沙門塚) 」

芳賀町「御嶽稲荷塚古墳」1

 画像は、芳賀町芳志戸に所在する「御嶽稲荷塚古墳」を南から見たところです。
 五行川左岸に広がる稲毛田台地の西端に位置しており、古墳の周辺は微高地となっています。

 畑地の中にポツリと大きな高まりが存在するので、すぐにわかりますね!


芳賀町「御嶽稲荷塚古墳」2

 現状の規模は東西15m、南北19.6m、高さ約2.4mです。
 周囲が削られているために方墳のようにも見えるのですが、かつては直径20mを超える円墳であったと考えられています。


芳賀町「御嶽稲荷塚古墳」3

 芳賀町の古墳らしく、墳丘南側には「御嶽稲荷塚古墳」の標柱が設置されていました。


芳賀町「御嶽稲荷塚古墳」4

 墳丘南側に石段が設けられており、参拝することができます。
 葺石や埴輪などの概評施設は確認できないようです。。。


芳賀町「御嶽稲荷塚古墳」5

 墳頂部の様子。
 左が御嶽社の祠で、右は金太郎稲荷の祠です。

 金太郎稲荷は、文久3年(1863)2月13日に伏見稲荷の別当愛染寺から「正一位戸室稲荷大明神」の勧請を受け、翌14日には神袛管領長上家を称した吉田家から「金太郎正一位稲荷大明神」を、更には翌15日に神袛伯王殿家を称した白川家から「正一位金太郎稲荷大明神」の神額の染筆を受けているそうです。
 正一位稲荷の勧請はいずれか1ヶ所からが一般的であるが、この金太郎稲荷は3ヶ所から重複して稲荷を勧請しており、これは霊験ある稲荷の威光を高めようとしたからであるそうです。。。

<参考文献>
芳賀町教育委員会『芳賀町遺跡分布調査報告書』
芳賀町『芳賀町史 資料編 考古』
芳賀町・芳賀町史編さん委員会『芳志戸の民俗』
芳賀町生涯学習課『『ふるさとこぼれ話 増補改訂版』


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  1. 2024/01/26(金) 18:30:55|
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市貝町「諏訪塚古墳群2号墳〜4号墳」

市貝町「諏訪塚古墳群3号墳」1

 前回に引き続き、市貝町市塙に所在する「諏訪塚古墳群」
 今回は、2号墳から4号墳までの3基の円墳を紹介しようと思います。

 最初に見学した「1号墳」の後は、まず東方に所在するはずの「3号墳」に向かいました。
 土地の所有者の旦那さまには、「存在はすると思うけど、しばらく行っていないしどうなっているかはわからないよ」と脅されてはいました。笑。
 やはり、1号墳の後円部裾から東を見ると、鬱蒼とした藪しか見えません。笑。

 でも、せっかく許可をいただいて山に入ったのだし、何としても辿り着かねば!ということで、篠竹を掻き分けて東へ向かいます。
 という感じで辿り着いたのが、画像の「諏訪塚古墳群3号墳」です。


 うっすらと墳丘の形状が見えますよね?
 これ以上遠ざかると、藪しか見えなくなってしまうのです。。。


市貝町「諏訪塚古墳群3号墳」2

 3号墳は、径約35m、高さ2.4mほどという、比較的大きな円墳です。
 藪がなければ20秒ほどで着くのではないかと思いますが、体感的には2分ぐらいは藪をかき分けたかな?

 画像は墳頂部の様子ですが、南側に向かってざっくりと墳丘が削られていて、盗掘を受けている様子が確認できます。


市貝町「諏訪塚古墳群3号墳」3

 3号墳の墳丘裾部の様子です。
 『市貝町史 第一巻 自然・原始古代・中世資料編』にも「周囲に幅7m、深さ0.8mほどの周溝がめぐっている」と書かれていますが、実際にはっきりと周溝が残されている様子が確認できました。

 
市貝町「諏訪塚古墳群2号墳」1

 さらに3号墳から2号墳へ向かって、藪の中を北東に進みました。
 もうね、かなり必死ですよ、、、(∩・∀・)∩ キャー

 辿り着いたのが、画像の2号墳です。


市貝町「諏訪塚古墳群2号墳」2

 墳頂部の様子。
 2号墳は、径約10m、高さ1mほどの円墳で、尾根上に位置しています。
 こちらははっきりした盗掘跡はなく、墳丘はかなりキレイにに残っている印象ですね。


市貝町「諏訪塚古墳群4号墳」1

 その後、4号墳の見学のために、一度1号墳まで戻りました。
 2号墳の横に、草の少ない昔道だったっぽいケモノ道みたいなのがあって、1号墳までは比較的すんなりと戻れました。
 最初に見つけていればなあとも思いますが、まあ古墳散策はこんなものです。(´∀`*;)ゞ
 分布調査の方々は大変だろうなあとつくづく思いますけどね。。。

 というわけで、画像が「諏訪塚古墳群4号墳」です。
 肉眼で見ると、もう少し墳丘らしく高まりが見えるのですが、ホント、藪の中の写真は難しいですよね。。。

 『市貝町史 第一巻 自然・原始古代・中世資料編』に記載の規模は、径約17m、高さ約1mですが、これはかなり削平された結果であって、もっと高さはあったんじゃないかな?と思います。


市貝町「諏訪塚古墳群4号墳」2

 4号墳の、かなり大きな盗掘跡です。
 こちらもざっくりとやられちゃってますね。。。


 というわけで、見学を終えて山を降りたら、旦那さまはすでに出かけていませんでした。
 車もなかったし、、、笑。

 1号墳から4号墳まですべて見学することができました。
 4号墳もちゃんとありました!

 ありがとうございました。

<参考文献>
関澤昇『小貝川上流域の古墳』
市貝町『市貝町史 第一巻 自然・原始古代・中世資料編』


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  1. 2024/01/25(木) 20:37:45|
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市貝町「諏訪塚古墳群1号墳 (諏訪塚古墳) 」ー市貝町指定史跡ー

市貝町「諏訪塚古墳群1号墳」1

 今回は、市貝町市塙に所在する「諏訪塚古墳群」の第一回。
 「諏訪塚古墳群1号墳」の探訪の記録です。

 諏訪塚古墳群は、前方後円墳1基と円墳3基で構成されており、前方後円墳である1号墳 (諏訪塚古墳) は市貝町の史跡に指定されています。

 画像の、南流する小貝川左岸の丘陵上に立地しています。
 さっそく見学しましょう!
 

市貝町「諏訪塚古墳群1号墳」2

 最初の訪問時には、どこから山に入ったらいいのかわからずに迷いました。
 周囲を2周ほどして諦めたのですが、2度目の探訪の際に「諏訪塚古墳」と記された標柱を発見!
 そのお宅を訪ねて、許可を得て見学することができました。


市貝町「諏訪塚古墳群1号墳」3

 見学の前に、土地の所有者の旦那様にお話をお聞きしたのですが、
 「子供の頃は山で遊んりもしたから、2号墳と3号墳は存在を知っているけど、最近は行っていないからどうなっているかわからないなあ、、、」
 ということ。
 つまりはかなりの藪になっている可能性も大きいかな?という感じです。

 さらには、
 「4号墳はどこにあるのか見たことがないから、場所はわからない、、、」
 ということでした。

 「なら4号墳も確認してきますね」
 という感じで、モチベーション高く山に入りました。\(^o^)/

 
市貝町「諏訪塚古墳群1号墳」4

 これが「諏訪塚古墳群1号墳」です。
 南西から見たところで、左手前が前方部、右奥が後円部という状況です。

 さすがは町指定史跡、ということで説明板と石碑が建てられていました。


市貝町「諏訪塚古墳群1号墳」5

 諏 訪 塚 古 墳
 この古墳は前方部と後円部の高低差がなく、また
前方部径と後円部径の同程度で、二子塚形式の前方
後円墳であり、古墳時代末葉の形式である。
 前方部北部には一部土取りした跡があるが、原形
を留めており、極めて美しい完全墳である。本町に
は中小の古墳が二百基余り確認されているが、前方
後円墳は十基と少ない。
 前方部高3.3×径24.6m
 後円部高3.3×径24.6m
 長 さ 40.0m

 町指定記念物(史跡)
 昭和五十二年六月一日
               市貝町教育委員会



市貝町「諏訪塚古墳群1号墳」6

 説明版に記載されている規模は誤りがあるのではないかと思うので補足しておくと、『市貝町史 第一巻 自然・原始古代・中世資料編』による規模は、全長約39m、後円部径約21.4m、同高さ約3.2m、前方部幅約22.4m、同高さ約3.8mとされています。
 舌状台地先端の緩斜面に位置しており、非常に保存状態の良い古墳です。


市貝町「諏訪塚古墳群1号墳」7

 古墳を取り巻く周溝もはっきりと残されており、しかも全周するのではないかという状態の良さです。。。


市貝町「諏訪塚古墳群1号墳」8

 前方部から後円部を見たところ。
 前方部よりも後円部が約60cmほど高い状況です。。。


市貝町「諏訪塚古墳群1号墳」9

 後円部から前方部を見たところ。


市貝町「諏訪塚古墳群1号墳」10

 すばらしき、キレイな墳丘。。。
 諏訪塚古墳群、次回に続きます。。。

<参考文献>
関澤昇『小貝川上流域の古墳』
市貝町『市貝町史 第一巻 自然・原始古代・中世資料編』


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  1. 2024/01/24(水) 23:40:27|
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市貝町「関根山古墳群3号墳」

市貝町「関根山古墳群3号墳」1

 画像は、市貝町杉山に所在する「関根山古墳群3号墳」を東から見たところです。

 杉山の街並みを見下ろす丘陵延辺部に所在しており、かつては3基の古墳で構成される古墳群であったようですが、現在は1号墳と2号墳が削平され、消滅しています。

 江戸時代の地誌『地誌材料編集簿』には、江戸時代に地元の人が陪塚と思われる1基を発掘したところ、曲玉や管玉、刀剣などが出土したものの、ふたたび石棺の中に埋め戻したことが記されています。
 3号墳以外は学術的な調査が行われることなく削平されていますので、これらの遺物の所在は残念ながら、不明です。

 麓のお宅で、かつては4基か5基ほどあったのだ、という証言を麓のお宅でお聞きできまして、とても興味深いところです。


市貝町「関根山古墳群3号墳」2

 最初は西側からの接近を試みまして、丘の麓のお宅で許可をいただいて近寄ろうとしました。
 しかし、あまりに藪が深すぎて接近できず、あきらめて東側から近寄ることにしました。
 そりゃもう全身が面白いぐらいくっつき虫だらけになって、写真を撮っておくべきだったぜ。。。笑。

 『市貝町史 第一巻 自然・原始古代・中世資料編』によると規模は直径約35m、高さ5mほどの円墳で、かなり良好に残されている印象です。。。
 
<参考文献>
市貝町『市貝町史 第一巻 自然・原始古代・中世資料編』


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  1. 2024/01/23(火) 23:52:16|
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