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古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

七輿山古墳群 その1「七輿山古墳」ー国指定史跡ー

「七輿山古墳」

 最初にこの七輿山古墳を訪れたのは7~8年ほど前の真夏で、汗みどろでバテバテになりながら散策しました。
 その際に、この七輿山古墳と白石稲荷塚古墳が桜の名所であることを知り、以来ずっと、3月下旬から4月初旬の桜の咲くあたりに訪れたい!と機会をうかがっていました。笑。
 今年ついに念願叶い、7~8年越しで、満開の桜が咲き乱れる壮大な七輿山古墳の姿を見ることができました!

 画像は、群馬県藤岡市上落合に所在する「七輿山古墳」を南東から見たところです。
 前日までは八分咲きという状況だったらしいのですが、ちょうど私が訪れた4月6日の土曜日に満開となったそうです。(バッチリ読み通りだったけど、でも運が良かったー。)


「七輿山古墳」

 画像は南から、つまり真横から見た七輿山古墳です。
 墳丘が大きすぎて真横からでは全体像を捉えることができないのですが、左側が前方部、右側が後円部です。それにしても、巨大な墳丘一面を覆う桜のなんと美しいことか。。。

 この古墳は、昨年の2月下旬~3月下旬にかけて、最先端のデジタル三次元測量や地中レーダー探査(GPR)を活用した調査が、非破壊で行われています。実は私、ひょんなことから1年ほど前にもこの七輿山を訪れたのですが、ちょうど測量調査を行っている真っ最中で、墳丘上にはテープが張り巡らされて、学生さん達が忙しなく動き回っていました。
 この調査により、墳丘の構造は三段築成で、地面の下には墳丘を覆っていたとみられる葺石が残っていることが分かり、規模は従来考えられていたより5m大きい全長約150m超だったことも判明。全長も幅も広がったようです。
 また、横穴式石室は、後円部南側の入り口から中心部に向かっており、レーダーが深さ6メートル以上は届かないことから正確な大きさは判明しないものの、少なくとも入り口から長さ十メートルの石室の一部を確認。仮に石室が中心部まであった場合、かなり大規模な石室である可能性もあるそうです。


「七輿山古墳」

 画像は、南西から見た七輿山古墳です。
 七輿山古墳の築造年代は、その形状から推定6世紀の第2四半期(525~550)と絞り込まれており、この古墳が天皇に近い人物の墓に匹敵することから、被葬者はヤマト王権の直轄地である緑野屯倉を治める使命を帯びた有力者、または大きな力を持った豪族、上毛野氏の誰かだったのではないかと推測されているようです。


「七輿山古墳」

 この古墳の後円部の先端は一部削られていて、おびただしい数の首の無いお地蔵さまが立てられています。
 私、初めて訪れたのは夕暮れ時で、しかも周囲に見学者がまったくなく独りだったこともあって、この光景には凍りつきました。。。
 これは、明治時代の廃仏毀釈に関連するものといわれているようです。
 廃仏毀釈は、神道と仏教を分離させて神道を国教とすることを目指す明治政府の方針ににより、「神仏分離令」が発せられます。これにより、全国各地で必要以上の、寺院の施設、仏像、仏具の破壊、焼却が行われたようです。
 この七輿山古墳の首無し地蔵は、一説には、江戸時代の寺と農民の紛争が背景にあるのではないかともいわれているようですが、切断された石像の首は、古墳の堀の中に投げ捨てられていたそうです。

 七輿山古墳には複数の説明板が設置されているのですが、この首無し地蔵に関する詳しい解説も付け加えて欲しいなと思いました。。。


「七輿山古墳」

 後円部の墳頂にも首の切られた釈迦三尊像が。
 ああ、恐ろしや。。。


「七輿山古墳」

 釈迦三尊像の周辺に大きな石が露出しているのですが、埋葬施設が隠されているのでしょうか。。。


「七輿山古墳」
 
 後円部から前方部を見たところです。
 多少崩れてはいるものの、築造当時の形状をはっきりと見て取ることができます。

 説明板は、古墳の東側と北側の2箇所に設置されているようです。
 後円部東側の説明板には次のように書かれています。

 国指定史跡
  七 輿 山 古 墳
所在地 藤岡市上落合831-1ほか
所有者 国ほか
 この古墳は、周辺の地形を利用して造られた三段築成の前方後円墳です。大
きさは全長146m、後円部径87m、前方部幅106m、前方部と後円部の
高さは16mです。
 四回にわたる範囲確認調査で墳丘の周りに内堀・中堤帯・外堀・外堤帯・埴
輪列が明らかになりました。また、前方部前面にはコの字状に三重目の溝が巡
っています。出土遺物は円筒埴輪、朝顔型埴輪のほかに人物•馬•盾などの形象
埴輪があります。特に、円筒埴輪は七条凸帯を有し、径50cm、高さ1.1mの
大型品です。古墳の埋葬施設は不明ですが、出土遺物から六世紀前半に造られ
たものと考えられます。
                           藤岡市教育委員会



「七輿山古墳」

 前方部から後円部を見たところ。
 古墳北側の説明板には次のように書かれています。

国 指 定 史 跡 七 輿 山 古 墳
   所在地 藤岡市上落合831-1ほか
   所有者 国・藤岡市
   指定日 昭和2年6月14日
   追加指定 平成8年9月26日
 古墳は、鏑川と鮎川に形成された舌状の河岸段丘に造られた三段築成の前方
後円墳である。大きさは全長145m、後円部径87m、前方部幅106m、前方部と
後円部の高さは16mを計る。
 4回にわたる確認調査の結果、中堤帯や外堤帯と呼ばれる土手状の堤を境に
内側と外側に周溝が巡り、三重目の溝、葺石、埴輪列が確認された。なお、
埴輪列は中堤の平坦面に2列、三重目の溝は前方部前面からコの字状に検出さ
れている。出土遺物は円筒埴輪•朝顔形埴輪•人物•馬•盾などがある。特に円筒
埴輪は径40cm、高さ1mを越す7条突帯の大型品で、貼付口縁と低位置突帯の
特徴がある。
 古墳の埋葬施設は不明であるが、出土遺物から築造時期は6世紀前半に推定
され、6世紀代の古墳としては東日本最大の前方後円墳である。
                           藤岡市教育委員会
 



「七輿山古墳」

 前方部の先端には、石組みがあります。
 この日は、どこかのタレントさんが桜を背景に撮影を行っていました。
 実は、3枚目の画像の真ん中あたりで光っているのは、スタッフが抱えたレフ板なのです。
 良い映像が撮れているといいですね。。。


「七輿山古墳」

 左が前方部、右奥が後円部です。
 くびれ部の形状がよくわかりますね。


「七輿山古墳」

 段丘がはっきりと残っています。
 桜を見学に来た人たちのよき通路となっていました。笑。

<参考文献>
『TOKYO Web』
『朝日新聞DEGITAL』
『現地説明板』


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  1. 2019/05/08(水) 22:50:36|
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稲荷山古墳群 その1「白石稲荷山古墳」-国指定史跡-

「白石稲荷山古墳」

 さてさて、今回から麗しの群馬特集!ということで、群馬県藤岡市白石に所在する「白石稲荷山古墳」の探訪の記録です。

 国指定史跡であるこの白石稲荷山古墳は、藤岡市を一望できる台地の縁辺部に築造されており、後円部の墳頂部には大きな2本の桜の木が植えられています。地元ではお花見スポットとしても知られており、満開になる4月上旬頃には多くの人が観光に訪れています。
 私が訪れたのは4月6日の土曜日でしたが、なんと!八分咲きだった桜がちょうどこの日に満開になったということで、多くの人がスマホを片手に桜を楽しんでいました。

 画像は「白石稲荷山古墳」を、台地から一段下がった南東側から見上げたところです。
 左が前方部、右が後円部という状況です。
 やはり古墳の雄大さを感じるには、台地の下から見上げなければ!


「白石稲荷山古墳」

 なんと美しき、後円部とさくら。
 この角度から見ると、壮大な一本桜に見えるのです!

 実は、私が最初にこの古墳を訪れたのは8年前の9月、つまり桜とは全く無縁な時期だったのです。当時はこの古墳が桜のお花見スポットだとは露知らず、よく調べてから訪れるべきだったと激しく後悔しましたが、以来ずっと再訪できるチャンスを狙っていました。
 なんとかギリギリ、平成最後の年にようやく満開の桜を拝むことができました。

 今回の画像、実は周囲には、多くの桜の写真を撮影している人がいるのです。
 私だけ、人の波が途切れるまでじーっと待っているわけなのですが、変な人だと思われたでしょうね、きっと。笑。


「白石稲荷山古墳」

 墳頂部の様子です。
 もう少し遅い時期を狙ってきて、舞い散る桜吹雪を撮影できたら、それもキレイだったかもしれません。

 石碑とともに、藤岡市教育委員会による説明板が設置されており、次のように書かれていました。

 国指定史跡
  白石稲荷山古墳
       所在地:藤岡市白石一三六五ほか
       所有者:飯玉神社ほか
 古墳は、鮎川左岸の上位段丘面東端に占地する前方後円墳である。大きさは
全長一七五m、後円部径九二m、くびれ部幅五〇m、前方部幅約一四八m、後
円部高一三・五m、前方部高六mである。昭和8年の調査で、墳頂部から東槨
(全長八・二m、幅九〇cm)、西槨(全長五・三m、幅四〇cm)の二つの竪穴式礫
槨が確認されている。出土遺物は鏡、直刀、装飾品類、石製模造品(石枕・刀
子・案・杵・坩・箕・釧・勾玉・屐など)などのほか家、短甲などの埴輪があ
る。
 本墳は十二天塚古墳や十二天塚北古墳を陪塚とし、五世紀前半に造られた東
日本を代表する古墳の一つで、豊富な副葬品から当時の生活文化を考える上で
極めて重要である。
                           藤岡市教育委員会




「白石稲荷山古墳」

 後円部から前方部を見たところです。
 後円部に比べて、前方部が低い形状が特徴的ですね。
 長年農地として利用されたからか、墳丘の表面がなめらかになっていて墳形がはっきりしません。


「白石稲荷山古墳]

 南西から見た白石稲荷山古墳です。
 左が後円部、右が前方部です。

 この古墳は、昨年の「七輿山古墳」同様に、早稲田大や県立歴史博物館と合同で今年2月26日~3月25日にかけて、デジタル三次元測量や地中レーダー探査による調査が行われています。昭和8年の調査は深さ数十センチまでしかできなかったものの、GPRはなんと地下6メートルまで測定できるそうです。
 この古墳は、昭和8年(1933年)に大規模な発掘調査が行われています。この際、後円部の墳頂部の東西二箇所に竪穴式の埋葬施設が確認されており、直刀や銅鏡、勾玉、家形埴輪や多数の石製模造品が出土しているそうです。
 この二箇所の埋葬施設は、墳頂部中心から外れていることから、さらに下層の中心部に、より古い年代の埋葬施設が存在するのではないかとも想定されているそうです。地中レーダー探査等の非破壊調査により、墳丘の詳細な規模や構造、未確認の埋葬施設などの解明が期待されているそうです。
 現在はまだ、詳細な調査結果は公表されていないようですが、古墳の形状や別の埋葬施設の存在により、古墳の築造時期がさかのぼる可能性もあるようです。
 昨年、「七輿山古墳」で行われた非破壊調査では、国内最大規模ともいわれる横穴式石室の存在が確認されているようですし、調査の結果が楽しみですね。。。

 この写真、実は撮影しているときは古墳の全貌をおさめているつもりだったのですが、帰宅してから空中写真で確認すると、私が撮影している場所も前方部の西角にあたっていました。。。

「白石稲荷山古墳」

 西から見た白石稲荷山古墳。
 墳丘上を歩く人影が、古墳の雄大さを物語ります。


「白石稲荷山古墳」

 北側から後円部を見たところ。
 デカイってのは良いことです!


「十二天塚古墳」と「十二天塚北古墳」

 白石稲荷山古墳の北側には、隣接して「十二天塚古墳」、「十二天塚北古墳」という2基の古墳が存在します。かつては1基の前方後円墳ではないかとも考えられていたようですが、昭和62年(1987)からの3度にわたる範囲確認調査で、別々の2基の古墳であることが判明しています。
 藤岡市のHPによると、「十二天塚古墳」は長軸36.8m、短軸26.8m、高さ2.6mの長方形墳で葺石や埴輪列が巡っています。「十二天塚北古墳」は、長軸23m、短軸22m、高さ2.2mの方墳で、竪穴式の礫槨が確認されています。十二天塚北古墳からは白石稲荷山古墳と同じ竪穴式礫槨が確認され、紡錘車、勾玉、坩などが棺外埋葬で出土しています。
 画像の右手前が十二天塚古墳、中央奥が十二天塚北古墳の所在地となるようですが、墳丘が明瞭な形で残されていないため、よくわかりません。


「白石稲荷山古墳」、「十二天塚古墳」と「十二天塚北古墳」
出典:国土地理院ウェブサイト(https://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=738742&isDetail=true)

 画像は、国土地理院ウェブサイトより公開されている、昭和35年(1960)に国土地理院により撮影された、白石稲荷山古墳、十二天塚古墳、十二天塚北古墳の所在地周辺の空中写真です。この時代にはまだ方形の十二天塚古墳と、うっすらと円形にも見える十二天塚北古墳の形状を捉えることができます。さらには、白石稲荷山古墳の前方部の形状も確認することができます。
 やはり、かなり広い前方部だったようですね。


「白石稲荷山古墳の埴輪」

 この白石稲荷山古墳と、皇子塚古墳、平井地区1号古墳が所在する毛野国白石丘陵公園のちょうど中間地点に「藤岡歴史館」があり、常設展示にて白石稲荷山の出土品が公開されています。
 画像が円筒埴輪と朝顔型円筒埴輪です。

次回、「稲荷山古墳群 その2」に続く。。。

<参考文献>
群馬県『ぐんま古墳探訪』
東京新聞『TOKYO Web』
現地説明板


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  1. 2019/04/23(火) 02:06:02|
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倉賀野古墳群 その6「安楽寺古墳」―群馬県指定史跡―

「安楽寺古墳」―群馬県指定史跡―

 「倉賀野古墳群」の最終回は「安楽寺古墳」です。
 実は、倉賀野の古墳を散策している当日、偶然にも倉賀野地区の観光?関係の方と出会いました。この日に初めて出会ったという状況にも関わらず、倉賀野の街を案内したいから車に乗れ!ということになったのですね。今あったばかりの知らない人なのに、ウソ?と思いましたが、悪い人じゃあなさそうだし騙されているというわけでもなさそうなので、(すみません。笑)それじゃあとお世話になってしまいまして、倉賀野各地を案内していただき、解説までしていただきました。私にとってのクライマックスは、故山田かまちさんの生家を訪れたあたりなのですが、それはいずれ機会があったら紹介することにして、その最後に立ち寄ったのがこの安楽寺であり、安楽寺古墳です。


「安楽寺古墳」―群馬県指定史跡―

 画像が、群馬県の史跡として指定されている「安楽寺古墳」です。
 墳丘に食い込むように本殿が建てられていてかなり削られているようですが、古墳はそれでも良好に残されているようです。境内に立てられている高崎市教育委員会による説明板には次のように書かれていました。

群馬県指定史跡
安楽寺古墳
 安楽寺古墳は七世紀末頃に築造されたと推定され、径二
〇メートル、高さ四メートルの規模を有する円墳である。
 主体部は横口式石槨と呼ばれる形式で、羨道の奥に石棺
が取り付いたような構造をしている。
 石室内部の壁面には、鎌倉時代の製作と推定される仏像
が奥壁に三体、左右の壁に二体ずつの計七体彫られてい
る。この仏像は、七仏薬師と呼ばれ安楽寺の本尊となって
おり、通常は秘仏とされているが、十二年に一度巳年に開
帳している。

所 在 地 高崎市倉賀野八六七(安楽寺)
指定年月日 昭和五六年五月六日
設置年月日 平成二五年三月二十二日
                  高崎市教育委員会



「安楽寺古墳」―群馬県指定史跡―

 北東から見た、安楽寺古墳の墳丘のようすです。石室は12年に1度だけ開帳されるとのことですが、前回の開帳は平成25年(2013)ということなので、残念ながらしばらくの間は石室を見学できるチャンスはなさそうです。。。


「安楽寺古墳」―群馬県指定史跡―

 墳頂部のようすです。
 右側の石造物の土台の石は石室の石材かな?とも思えますが真相はわかりません。
 この日は、午後には実家に帰省しなければならなかったので、見学したのは倉賀野古墳群の6基の古墳のみでしたが、色々と思い出に残る楽しい古墳探訪でした。(ブログで絶対に書くからと言いつつ時間が経過してしまいました。倉賀野遊歩学担当のW様、大変お世話になり感謝しております。楽しい思い出をありがとうございました。)


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  1. 2018/02/14(水) 21:46:46|
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倉賀野古墳群 その5「小鶴巻古墳(倉賀野町第3号古墳)」

「小鶴巻古墳(倉賀野町第3号古墳)」

 「倉賀野古墳群」の第5弾は「小鶴巻古墳」です。「大鶴巻古墳」に隣接して存在する古墳で、全長約87.5メートルと、大鶴巻古墳よりやや小型の前方後円墳です。画像は、大鶴巻古墳の後円部上から撮影したもので、左側が前方部、建物の背後に隠れていますが右側が後円部です。

 敷地内には小さな説明板がひっそりと建てられています。
 最初に訪れた7~8年前には気がつかなかったのですが、最近建てられ矢野かもしれません。
 この説明板には次のように書かれていました。

小鶴巻古墳
 この古墳は大鶴巻古墳と共に、五世紀後半のものと推定される前方後円墳で、倉賀野古墳群を代表する首長墓の一つでもあります。墳丘全長約87m、後円部径約50m、同高約6m、前方部は前幅約40m、同高約2,5mで、幅20mの周掘を有しています。
 後円部蓋の頂上中心部に、舟形石棺と考えられる凝灰岩製の刳抜式石棺が安置されております。その石棺の蓋の部分の既掘穴(盗掘の穴)から見ると、内部には赤色塗彩がなされているとの報告もありますが、詳細は不明です。
 前方部は現在、共同墓地、畑地となっていますが後円部高と比較して低平です。周掘は宅地化で原型の把握が困難ですが、掘が墳丘を一周していることは確認できます。出土する埴輪片は窟窯焼成で、外面に縦ハケの調整が施されています。


「小鶴巻古墳(倉賀野町第3号古墳)」

 墳丘上のようすです。くびれ部のあたりが墓地として改変されているようです。


「小鶴巻古墳(倉賀野町第3号古墳)」

 北東から、小鶴巻古墳の後円部を見たところです。


「小鶴巻古墳(倉賀野町第3号古墳)」

 後円部からくびれ部、前方部という古墳の形状に合わせて道路がカーブしているようすを確認することができます。
 古墳を追い求めていると、古墳の周囲の道路の形状が気になってしまうのですが、つまりは、古墳の形状に沿って存在した道路だからカーブしているのではないかとか、古墳を道標にしたからこそ折れ曲がっているのではないか、Yの字に分かれているのではないか、とか考えてしまうのですが、そんなのは私だけでしょうかね。笑。

 次回は倉賀野古墳群の最終回、「安楽寺古墳」に続く。。。


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  1. 2018/02/12(月) 01:26:22|
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倉賀野古墳群 その4「大鶴巻古墳(倉賀野町第2号古墳)」―高崎市指定史跡―

「大鶴巻古墳(倉賀野町第2号古墳)」

 「倉賀野古墳群」の第4弾は「大鶴巻古墳」です。
 画像のように、古墳の南西側には「史跡 大鶴巻古墳」と刻まれた石碑と、高崎市教育委員会による説明版が設置されています。この奥に見えるのが大鶴巻古墳で、左側が後円部、右側が前方部です。
 説明板によると、この古墳は、鳥川左岸の段丘上に二段に盛り上げて築造された、全長123メートルの前方後円墳です。後円部の径が直径72m、高さ10.5mであるのに対して、前方部の長さは51m、前方部幅54m、高さ6.5mと、後円部と比較して前方部の幅が狭く、未発達という特徴を持っています。


「大鶴巻古墳(倉賀野町第2号古墳)」

 東から見た大鶴巻古墳のようすです。
 前回紹介した浅間山古墳と同様に、古墳の周囲が畑地として耕作されながらも、盾型に廻る周濠の形状がよく残されているところは見所のひとつかもしれません。この古墳は、後方部と比較して未発達とされている前方部の先端が、ぽこっと飛び出たような形状になっているのはなにか意図があるんでしょうか?(茨城県で、やはり前方部に大きな突起のある前方後円墳を見に行ったことがあるのですが、同じ種類のものなのでしょうか?)


「大鶴巻古墳(倉賀野町第2号古墳)」

 南から見た大鶴巻古墳のようすです。後世に農地として使用されているために多少の墳丘の崩れは感じられますが、なんと美しい大鶴巻古墳の姿でしょうか。。。あらためて感動してしまいます。


「大鶴巻古墳(倉賀野町第2号古墳)」

 墳丘表面には、現在も河原石の葺石を見ることができるようです。。。


「大鶴巻古墳(倉賀野町第2号古墳)」

 後円部上のようすです。主体部は、発掘調査が行われていないために明らかとはなっていませんが、竪穴系の埋葬施設があったと考えられており、墳丘や周掘りの形状や採集された埴輪の特徴から、4世紀末から5世紀初頭にかけて築造されたと推測されているようです。


「大鶴巻古墳(倉賀野町第2号古墳)」

 前方部から後円部を見たところです。耕作の行われている南西側が若干低くなっているようです。
 
 次回、「倉賀野古墳群 その5」に続く。。。


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  1. 2018/02/10(土) 23:23:11|
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