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古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

前橋市 朝倉・広瀬古墳群 おまけ「駒形神社」と「御嶽塚」

前橋市駒形町 駒形神社1

 朝倉・広瀬古墳群の見学を終えてから後日、駒形神社を参拝しました。
 
 この神社の鎮座地は、古墳時代の旧利根川本流の右岸に位置しており、かつては広漠たる原野の中にこの駒形神社一社のみがあり、駒形大明神と称されていたそうです。

 位置的に朝倉・広瀬古墳群の南東端にあたりますが、ひょっとしたら数多くの古墳に囲まれた神社だったかもしれませんよね。(ちなみに前回取り上げた「経塚古墳」は南に600~700mほどの地点に所在します。)


前橋市駒形町 駒形神社2

 本殿の様子です。

 祭神は「保食命」で、勧請年月は元亀元年(1570)と伝えられています。
 勧請年月は元亀元年(1570)と伝えられており、神仏混淆(神道と仏教が合体した信仰)の時代には天台宗泉蔵寺に属していました。その後、慶安年間(1648〜1651)頃に社殿を改築、「別当 山伏修験本明院」として駒形の氏神として祀られるようになったそうです。

 宝暦7年(1752)にも社殿を改修、現在の社殿は明治37年(1905)に新築されたものです。
 明治40年(1907)12月、本社境内末社三社(八坂社・稲荷社・秋葉社)並びに町内字高島鎮座琴平神社とその末社四社(八坂社・稲荷社・秋葉社・菅原社)及び町内字桃井鎮座の雷電神社とその境内末社三社(八坂社・三峰社・諏訪社)を駒形神社に合併しました。

 大正3年(1914)10月9日に群馬県より神鐉幣帛共進神社に指定されて村社となり、昭和27年(1952)12月、宗教法人駒形神社となりました。その後、平成17年(2005)10月に社殿新築百年祭の記念行事が盛大に行われました。(駒形神社由緒書より)

 また、この神社にある「駒形牛頭天王の獅子頭一対」は昭和57年(1982)4月26日に前橋市の重要有形民族文化財に指定されています。


前橋市駒形町 駒形神社3

 境内社である「駒形伏見稲荷神社」です。

 本社のみならず、この駒形伏見稲荷神社の御朱印もいただきくことができます。御朱印は、境内前の宮司さんの自宅でいただけます。


前橋市駒形町 駒形神社4

 この神社を取り上げた理由の一つは、この御嶽塚の存在です。
 御嶽山三柱大神と石祠が、わずかに盛り上がった塚の上に祀られています。

 ままままさか古墳の痕跡では?と一瞬びっくりしましたが、う〜ん、古墳じゃないかも。。。


前橋市駒形町 駒形神社5

 塚を背後の北側から見たところ。
 う〜ん。やっぱり古墳とは関係ないかな。。。


前橋市駒形町 駒形神社6

 御朱印をいただきました.゚+.(・∀・)゚+.

 駒形神社のものと駒形伏見稲荷神社のもの、2種類いただきましたが、まずは駒形神社の御朱印です。

 この日は、折り畳み自転車でキコキコ走り回りましたが、奥様に「お気をつけて〜」と声をかけていただいて、とっても癒されましたー。


前橋市駒形町 駒形神社7

 駒形伏見稲荷神社の御朱印です.゚+.(・∀・)゚+.

<参考文献>
現地説明板


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  1. 2021/06/14(月) 01:57:33|
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前橋市 朝倉・広瀬古墳群その13「経塚古墳(上陽村第34号古墳)」

経塚古墳2

 画像は、前橋市東善町に所在する「経塚古墳」です。

 総社歴史資料館や大室はにわ館で配布されている小冊子、『朝倉・広瀬古墳群』にはこの古墳は掲載されていないので、学術的には朝倉・広瀬古墳群に属してはいないのかもしれませんが(属しているのかもしれませんが。笑。)、広瀬川右岸に築造された古墳ということで、見学に訪れました。


経塚古墳1

 この経塚古墳は、昭和48年9月24日に前橋市の史跡として指定されています。この古墳の所在地は前橋市東善町経塚乙737番地とあり、古墳の名称が字名となっているようですので、かなり古くから知られた存在であったようです。

 古墳は、田んぼの中に浮島のように浮かんでおり、標柱と説明板が設置されている様子も確認できるのですが、古墳の場所まで到達するための道がなく、どこから行くんだ?と迷いました。

 結局草むらの中をかき分けて進みましたが、田んぼに水が張られていたら到達できなかったかも。笑。


経塚古墳3

 古墳は学術的な調査は行われていないため、墳丘全体に葺石が存在することはわかっているようですが、正確な古墳の形状や規模、埴輪の有無は不明で、主体部は横穴式石室が想定されているようですが、これも未確認であるようです。

 ちなみに『群馬県古墳総覧』には、規模は直径約30mの”円墳”と記載されています。

 古くからこの地域は「経塚」と呼ばれていることから、古墳は経塚に転用されて信仰の場所として使われてきたことが推測されています。

<参考文献>
群馬県教育委員会『群馬県古墳総覧』
現地説明板


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  1. 2021/06/11(金) 23:58:55|
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前橋市 朝倉・広瀬古墳群その12 「上陽33号墳」

上陽33号墳1

 朝倉・広瀬古墳群シリーズも今回でその12。
 画像は、前橋市山王町に所在する「上陽33号墳」です。

 総社歴史資料館や大室はにわ館で配布されている小冊子、『朝倉・広瀬古墳群』を参考にすると、広瀬川右岸の台地上に北西から南東にかけて細長く分布する「朝倉・広瀬古墳群」の中で、南東端に位置する古墳ということになります。


上陽33号墳2

 南から見た上陽33号墳です。

 実際に現地で見学した印象は、墳丘の南西側が削られてその断面に石垣が積み上げられている様子から、かつてはこの石垣の先に前方部が伸びていたのではないか?と感じたのですが、これは勘違いで、古墳は直径33m、現状の高さ2.9mの円墳であるようです。

 昭和10年頃には周囲に周溝が確認されていたという記録も見られるそうなので、円墳で間違いないのかも。。。


上陽33号墳3

 墳丘裾部に説明板が設置されていました。

 「ぐんま食と歴史文化財団」による助成と地権者、(株)測研の協力により設置された説明板で、史跡として指定されている古墳以外にも、こうして民間の手による説明板が建てられているのが素晴らしいですね。。。


上陽33号墳4

 墳丘頂部から北東側を見下ろしたところです。

 この上陽33号墳は学術的な調査が行われたことがなく、詳細は不明なのですが、墳丘上部が削平され、西側が緩い傾斜に形を変えられているそうです。
 それで、前方部が削平された前方後円墳に見えたのですね。笑。


上陽33号墳5

 墳丘斜面に微妙な大きさの穴が開けられていてびっくりしました。
 これまでにも何度かこうした光景を目にしましたが、モグラにしては穴が大きすぎるし、キツネかタヌキが巣穴にしているのかな?

 主体部は横穴式石室が想定されているようですが、現状は未確認です。
 墳丘には葺石が存在します。

 墳丘面からは円筒埴輪や朝顔型埴輪の小破片が確認されており、また墳丘面に榛名山噴火で噴出した角閃石安山岩が確認されることから、6世紀中頃以後の築造と推定されているそうです。。。

<参考文献>
前橋市教育委員会事務局文化財保護課『群馬の古墳時代はここから始まった!! 朝倉・広瀬古墳群』
現地説明板


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  1. 2021/06/09(水) 23:32:15|
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前橋市 朝倉・広瀬古墳群その11「山王金冠塚古墳 (上陽14号墳)」ー前橋市指定史跡ー

山王金冠塚古墳(上陽14号墳)1

 朝倉・広瀬古墳群シリーズその11。
 今回は、前橋市山王町1丁目に所在する「山王金冠塚古墳」の探訪の記録です。

 画像は、古墳の北側のつばき公園から撮影した金冠塚古墳の全貌です。
 左が前方部、右が後円部という前方後円墳です。


山王金冠塚古墳(上陽14号墳)2

 画像は、後円部側を見たところです。

 古墳は全長52mの前方後円墳で、二段築成ですがその上段部分がほぼ失われており、遺存状態はあまりよくなかったようです。しかし、明治40年に行われた発掘調査により豪華な副葬品が大量に発見されたことから、古墳の範囲のほとんどが保存されたそうです。

 実際に現地で見学してみて、上段が極端に低く平べったい古墳だなあと感じましたが、そういうことだったのですね。。。

 昭和13年(1938)に群馬県より発行された『上毛古墳綜覧』には「上陽村14号古墳」として記載されており、また地元では山王二子山古墳」とも呼ばれていたようですが、この副葬品のなかに朝鮮半島製の可能性が高い金銅製の冠が出土したことから、名称が「金冠塚古墳」に統一されました。


山王金冠塚古墳(上陽14号墳)3

 後円部の裾のあたりに、「市指定史跡 金冠塚古墳」と刻まれた石碑と、前橋市教育委員会による説明板が設置されています。

前橋市指定史跡 金冠塚古墳
指定年月日 昭和61年6月6日
所 在 地 前橋市山王町一丁目13-3

 朝倉町から広瀬町、山王町にかけて、かつては、140基を超える古墳が
あったといわれています。その中で、昭和10年(1935)に行われた群馬県内
の一斉調査では上陽村14号墳として記載されています。
 山王二子山古墳とも呼ばれていましたが、金銅製の冠が出土したこと
により、名称を金冠塚古墳に統一しました。昭和56年(1981)に発掘調査
が行われ、全長52.5m、後円部の直径32.3mで、後円部に榛名山二ツ岳起源
の軽石(角閃石安山岩)を加工して積み上げて造られた推定全長5.2m以上
奥壁の幅2.5mの横穴式石室があったことがわかりました。
 大正4年(1915)に出土した金銅製冠は、古代朝鮮半島三国時代の新羅や
伽耶で作られていた「出の字」型の冠に似ていることから、このころの
朝鮮半島の文化の影響が日本にも強く現われていることがわかります。
             前橋市教育委員会



山王金冠塚古墳(上陽14号墳)4

 後円部上から前方部側を見たところ。
 やはり上段部分の高さはあまりありませんが、古墳の形状ははっきりと見ることができます。


山王金冠塚古墳(上陽14号墳)5

 前方部上から後円部側を見たところ。

 朝倉・広瀬古墳群は、開発が進んでいる地域ではありますが、日常の中に古墳が溶け込んでいるという印象で、いい感じですねヾ(o´∀`o)ノワァーィ

<参考文献>
右島和夫『群馬の古墳物語〈上巻〉ー東国の古墳と文化を探るー』
前橋市教育委員会事務局文化財保護課『群馬の古墳時代はここから始まった!! 朝倉・広瀬古墳群』
現地説明板


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  1. 2021/06/06(日) 23:00:20|
  2. 群馬県の古墳・塚
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前橋市 朝倉・広瀬古墳群その10「上陽村第12号古墳」

上陽村第12号古墳1

 朝倉・広瀬古墳群を散策中に、画像のような標柱を見かけました。

 住宅地の通り沿いの一角に建てられており、「前橋市指定重要文化財 山王の宝塔」と書かれています。
 民家の入り口に標柱だけがポツリとあるのですが、肝心の宝塔はどこにあるのか見当たらないという不思議な光景です。
 文珠山古墳や阿弥蛇山古墳から、東に200mほどの地点です。。。

 スマホで「前橋市指定重要文化財、山王の宝塔」と検索すると、前橋市の「市指定文化財一覧」という一覧表がヒット。この一覧表には宝塔の所在地が「山王町98-2」と書かれています。
 この住所をGoogleマップ検索すると、宝塔の場所は標柱の東側の民家の敷地にあたるようです。(いやホントに便利な時代で、その場でいろいろ調べることができるなんて素晴らしいですよね。今更ながら。。)

 どうにも気になってしまって、まずはぐるりとこの区画を一周してみたのですが。。。


上陽村第12号古墳2

 一覧表に記載されていた「山王町98-2」にはなんと、どうみても古墳ではないかと思しき高まりの上に宝塔らしき石造物が!
 位置的には広瀬川右岸の段丘縁辺部であり、広範囲に分布する朝倉・広瀬古墳群の真っただ中でもありますので、古墳の可能性は高そうです。

 総社歴史資料館で入手して持ち歩いていた『朝倉・広瀬古墳群』の分布図と照らし合わせると、どうやら「上陽村第12号古墳」という名称の前方後円墳に当てはまるようです。


上陽村第12号古墳3

 さらにその場で検索してみると、なんと!あんけん氏のHP『趣味の案件』で、この宝塔と古墳について取り上げられているのを発見しました。
 やはり、この高まりは「上陽村第12号古墳」の残存部分で、塚上の石造物も「山王の宝塔」で間違いないようです。(くあ〜。偶然見つけてラッキーでしたが、事前にちゃんと調べてくるべきですよね〜。。。)


上陽村第12号古墳4

 塚の前の道路の形状も、まるで前方後円墳の痕跡かのように弧を描いていてワクワクしますが、『朝倉・広瀬古墳群』の分布図からすると、往時の古墳は東西に向いていたようなので、どうやらこの地形は偶然であるようです。。。

 今回は残存古墳の見学が目的だったし、先を急ぐこともあり、ピンポンしたりはしませんでしたが、この朝倉・広瀬古墳群はもっと深追いして探すと、色々な古墳の痕跡が各地に残されているのではないかと感じます。(ちなみに敷地内には、道路から見えない場所には説明板も設置されていたそうです)

 いずれチャンスがあれば、もう少し痕跡を追い求めてみたい地域ですね。。。

<参考文献>
前橋市教育委員会事務局文化財保護課『群馬の古墳時代はここから始まった!! 朝倉・広瀬古墳群』
現地説明板


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  1. 2021/06/05(土) 00:25:26|
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前橋市 朝倉・広瀬古墳群その9「阿弥蛇山古墳 (上陽7号墳)」

文珠山古墳と阿弥蛇山古墳

 朝倉・広瀬古墳群シリーズその9。
 今回は、前橋市山王町に所在する「阿弥蛇山古墳」です。『上毛古墳綜覧』には「上陽村7号古墳」の名称で登録されています。

 実は、前回紹介した「文珠山古墳」と今回紹介する「阿弥蛇山古墳」は、かなり近い位置に並んで存在します。
 画像の右側が文珠山古墳で、左側が阿弥蛇山古墳です。

 大きな古墳が並んでいる光景は、なかなか壮観ですよね。。。


阿弥蛇山古墳(上陽7号墳)1

 前回の文珠山古墳と今回の阿弥蛇山古墳には説明板が設置されていないようなのですが、のちに調べてみたところでは、規模は径25m、高さ4mで、墳形は帆立貝型古墳です。

 帆立貝型古墳である阿弥蛇山古墳よりも、円墳である文珠山古墳の方がはるかにデカイ(ちょうど倍!)というのも面白いなあと思いますが、墓地化されながらも造り出しの部分の形状もしっかりと残されているようです。

 画像の左側が後円部、右奥が前方部(造出し?)となるようです。。。


阿弥蛇山古墳(上陽7号墳)2

 墓地の入口部分です。

 前方部から後円部側を見たという状況です。
 文珠山古墳と阿弥蛇山古墳のどちらの古墳も、壊されずに現代まで残されたわけですが、やはり墳丘が墓地として利用されたこと大きかったのかもしれませんね。


阿弥蛇山古墳(上陽7号墳)3

 墳頂部の様子です。

 直径50mもある文珠山古墳と並んでいるので、阿弥蛇山古墳のほうはかなり小さく感じてしまうのですが、こうして墳丘に登ってみるとかなり高さがあるのに驚かされます。

 築造当時は、きっとすごい数の古墳が並んでいたんでしょうね。。。

<参考文献>
前橋市教育委員会事務局文化財保護課『群馬の古墳時代はここから始まった!! 朝倉・広瀬古墳群』


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  1. 2021/06/02(水) 19:24:25|
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前橋市 朝倉・広瀬古墳群その8「文珠山古墳 (上陽6号古墳)」

文珠山古墳(上陽6合墳)1

 朝倉・広瀬古墳群シリーズその8。
 今回は前橋市山王町に所在する「文珠山古墳」です。

 『上毛古墳綜覧』には「上陽村6号古墳」の名称で登録されている古墳で、地元では「おぼ山
とも呼ばれています。規模は全長50mと大型の円墳です。


文珠山古墳(上陽6合墳)2

 画像は、隣接する阿弥蛇山古墳から見た文珠山古墳です。
 墳丘の西側が墓地として改変されている様子がわかります。

 古墳は、平成7年に古墳土砂崩壊防止擁壁工事に伴う発掘調査が行われており、墳丘全体に河原石による葺石が敷き詰められていることがわかっています。

 墳丘斜面には人頭大程度の大きめの河原石が葺かれ、平坦面には拳大程度の小さめの河原石が配されていたそうです。さらには、墳丘斜面の最下段にやや大きめの石を配し、平坦面との変換点が形成されていたそうです。

 古墳は、4世紀中葉から6世紀初頭の間に築造されたと推定されています。


文珠山古墳(上陽6合墳)3

 墓地となっている、墳丘西側から登ってみました。


文珠山古墳(上陽6合墳)4

 墳頂部には、かなり古い墓石が並んでいました。。。


文珠山古墳(上陽6合墳)5

 墳丘が二段に築成されている様子がはっきりと残されています。


文珠山古墳(上陽6合墳)6

 墳丘斜面に残された葺石です。

<参考文献>
前橋市教育委員会 文化財保護課『文珠山古墳』
前橋市教育委員会事務局文化財保護課『群馬の古墳時代はここから始まった!! 朝倉・広瀬古墳群』


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  1. 2021/05/31(月) 18:27:53|
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前橋市 朝倉・広瀬古墳群その7 「亀塚山古墳(上陽20号古墳)」ー前橋市指定史跡ー

亀塚山古墳(上陽20号古墳)1

 今回は朝倉・広瀬古墳群シリーズその7。
 前橋市山王町1丁目に所在する「亀塚山古墳」の探訪の記録です。

 画像はこの亀塚山古墳を東から見たところで、左が前方部、右が後円部です。その形状が亀に似ていることから、地元では古くから亀塚と呼ばれてきました。


亀塚山古墳(上陽20号古墳)2

 南西から後円部を見たところです。

 古墳は全長60m、後円部径40m、高さ6.5m、前方部(造出し)長さ20m、高さ1.5mの前方後円墳で、現地説明板によると帆立貝式古墳という説もあるようなのですが、発掘調査が行われていないことから不明とされています。


亀塚山古墳(上陽20号古墳)3

 敷地内には、「市指定史跡 亀塚山古墳」と刻まれた石碑と、前橋教育委員会による説明板が設置されています。

 古墳は二段に築造され、墳丘斜面には葺石が敷き詰められ、埴輪が並べられていました。
 昭和10年に行われた調査では周溝が確認されていますが、現在は住宅建設により痕跡は見られないようです。


亀塚山古墳(上陽20号古墳)4

 後円部には石段が設けられており、登ることができます。
 早速登ってみましょう!


亀塚山古墳(上陽20号古墳)5

 埋葬施設は竪穴式と推定されているようですが、副葬品などは明らかになっていないようです。
 古墳の築造は5世紀末から6世紀初頭と推定されています。

<参考文献>
前橋市教育委員会事務局文化財保護課『群馬の古墳時代はここから始まった!! 朝倉・広瀬古墳群』
現地説明板


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  1. 2021/05/29(土) 23:34:14|
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前橋市 朝倉・広瀬古墳群その6 「前橋八幡宮(前橋市第9号古墳)」

1586 前橋市第9号古墳(前橋八幡宮)1

 今回は、前橋市本町2丁目に所在する「前橋八幡宮」の探訪の記録です。
 この神社の本殿・拝殿の土台である高まりは、古墳であるといわれています。

 前橋が城下町であった江戸時代はこの地域は連雀町といって、町人の町として賑わっており、この前橋八幡宮は総鎮守として栄えた神社です。
 現代も、群馬県の県庁所在地である前橋市の中心地に鎮座するこの神社において、社殿が墳丘上に建てられたことにより、古墳の痕跡である高まりも残されたものと考えられますが、かつて社殿の付近では埴輪片が採集されたそうなので、おそらくは古墳で間違いないと思われます。

 早速参拝しましょう。。。


1586 前橋市第9号古墳(前橋八幡宮)2

 社殿の高まりは、まだかなりの高さが残されているようです。

 古墳は、『上毛古墳綜覧』に「前橋市第9号古墳」の名称で登録されており、また2017年に発刊された『群馬県古墳総覧』にも前橋市の1586番の古墳として記載されており、△マークが記されて一応残存する古墳として扱われています。
 ただし、葺石や埴輪、周溝や埋葬施設といった古墳としての詳細はわからないようです。


1586 前橋市第9号古墳(前橋八幡宮)3

 南東からみたところです。
 残された形状からすると元々はかなり大きな古墳で、社殿建築により削られているものの、高さもかなりあったのではないかと思われます。


1586 前橋市第9号古墳(前橋八幡宮)4

 前橋八幡宮社殿の様子です。

 ちなみに、最初はこの左手にある建物が社務所かと思い、御朱印をいただくために待ちましたが、社務所は神社の西隣りの区画にありました。宮司さんにはとても親切に対応していただきましたが、どうやら足を悪くされているらしく、動き回るのはなかなか大変そうでした。

 御朱印は、西側の社務所に向かうのが良きかもしれません。。。


1586 前橋市第9号古墳(前橋八幡宮)5

 墳丘上の様子です。
 かなり広さがあり、往時の古墳のスケールが偲ばれます。
 仮に墳形が円墳であるとすれば、40m前後の大きな古墳だったのかもしれませんね。。。


img336.jpeg

 前橋八幡宮の御朱印です。.゚+.(・∀・)゚+.

<参考文献>
右島和夫『群馬の古墳物語〈上巻〉ー東国の古墳と文化を探るー』
現地説明板


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  1. 2021/05/27(木) 22:37:23|
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前橋市 朝倉・広瀬古墳群その5 「不二山古墳(前橋2号古墳・カチカチ山古墳)」ー前橋市指定史跡ー

不二山古墳(前橋2号古墳)1

 朝倉・広瀬古墳群シリーズその5。
 今回は、前橋市文京町3丁目に所在する「不二山古墳」の探訪の記録です。

 不二山古墳は、朝倉古墳群の北端に位置する前方後円墳です。

 昭和13年(1938)に群馬県より発行された『上毛古墳綜覧』には「前橋市第2号古墳」として登録されており、平成9年(1997)には前橋市の史跡として指定されています。


 画像は不二山古墳を東から見たところです。
 墳丘の北側や西側の一部は削られているようですが、かろうじて前方後円墳の形状は保たれているようです。


不二山古墳(前橋2号古墳)2

 不二山古墳は、JR両毛線前橋駅から距離も近く、宅地化も早かったであろうと考えられるこの地域にあって古墳の周囲にはギリギリまで民家が密接しています。(むしろ、よく破壊されずに残されたものだと思います。)

 したがって古墳の全貌を捉えるのはなかなか難しく、東側の駐車場から見学するのが良いようです。。。


不二山古墳(前橋2号古墳)3

 不二山古墳の築造は6世紀後半と推定されているそうです。

 前回紹介した、不二山古墳から南東600m程の地点に所在する「天川二子塚古墳」とは相似形の平面プランを持つことから、豪族同士の密接な関係が想定されているそうです。
 天川二子塚古墳の全長は104m、不二山古墳の全長は54.5mですから、サイズ的にはほぼ2分の1ということになるわけですね。。。


不二山古墳(前橋2号古墳)4

 敷地内には前橋市教育委員会による説明板が設置されています。
 ちょっと目立たないところにあるので見落としがちですが、駐車場の奥の方です。。。

前橋市指定史跡 不二山古墳
指定年月日 平成9年4月21日
所 在 地 前橋市文京町三丁目2

 上毛古墳綜覧(昭和13年群馬県発行)に前橋市第2号墳として登録されている前方後円墳である。古墳の周辺は、昭和30年頃
から宅地化が進み、周囲を住宅に囲まれている。墳丘の前方部と後円部の一部は宅地化により削られ、原形をとどめていない。
 昭和29年に群馬大学史学研究室により後円部に残る石室部の調査が実施された。その結果、石室は、角閃石安山岩を用いて築かれた
両袖形の横穴式石室で、角閃石安山岩の丸石の五面を削り、壁石として用いた互目積としており、高崎市綿貫観音山古墳の石室や総社
二子山古墳の後円部の石室と共通する。
 出土遺物の中には、冠、直刀、槍、鉄鏃、耳輪、玉などがあり、特に、冠の出土は、本市山王町金冠塚古墳に次いで二例目であり、
これらの古墳が属する「朝倉・広瀬古墳群」の重要性を際立たせる資料になっている。これらの遺物は、現在、群馬大学に保存されて
いる。

法量
全  長 54.5m 後円部径 31.5m 高さ7m
前方部幅 35m 高さ6m
石室全長 8.8m 玄室長さ4.7m
奥  壁 3.05m 前幅2.6m
羨道長さ 4.1m 奥幅1.53m 前幅1.25m
                                前橋市教育委員会



不二山古墳(前橋2号古墳)5

 墳丘に登っていいものかちょっと戸惑いましたが、登ってしまいました。

 画像は、前方部から後円部を見たところです。。。
 10年ほど前は、墳丘上にかなり木が茂っていたのですが、伐採されて見学しやすくなっていました。(*ノˊᗜˋ*)ノワーイ


不二山古墳(前橋2号古墳)6

 後円部から前方部を見たところ。
 高さはかなり残っていますね。


不二山古墳(前橋2号古墳)7

 さて、本日一番の見どころは、この河原石で造られた構造物。

 横穴式石室がかつて南向きに開口していたというのは知ってはいましたが、総社歴史資料館でいただいたパンフレットには「石室は崩れてしまったため見学はできない」と書いてあったし、石室は見られないだろうと想定して見学に訪れました。
 それが、墳丘に登ってみたところ、墳丘南側に河原石が集中している場所が!

 事前に、角閃石安山岩を用いて築かれた石室内の写真を見ていましたし、なにか変だな?と思いながらも

 「マママママジかよ!」

 と心踊らせて近づきました。。。

 「こ、これはまさか風呂?」

 河原石をコンクリートで桶状に固めて造られた構造物の背後には、麓からひいてきたらしき水道の蛇口も見えます。
 すでに朽ち果てている様子からするとかなり古いものであるようですが、ひょっとしたらこの周囲がまだ一面の農地だった頃、農作業を終えたこの土地の所有者が、小高くなったこの古墳の上で一杯やりながら露天風呂に浸かっていたのでは?
 しかも、頭の上に手ぬぐいを乗せて、鼻歌なんか歌っていたのでは?
 などと無駄に妄想してみました。

 少し傾いてしまっているので、実際、風呂桶だったらお湯が流れ出てしまいそうだし、正体不明。
 真相はわかりません。

 一応、私には風呂桶に見えた。笑。

<参考文献>
右島和夫『群馬の古墳物語〈上巻〉ー東国の古墳と文化を探るー』
前橋市教育委員会事務局文化財保護課『群馬の古墳時代はここから始まった!! 朝倉・広瀬古墳群』
現地説明板


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  1. 2021/05/24(月) 18:53:46|
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北区/赤羽台古墳群 (2)
北区/十条台古墳群 (10)
北区/飛鳥山古墳群 (9)
北区/田端西台通古墳群 (1)
北区/その他の古墳・塚 (28)
荒川区/尾久 微高地 (4)
荒川区/町屋-三河島 微高地 (19)
荒川区/南千住 微高地 (3)
荒川区/日暮里 台地上 (2)
台東区/上野台古墳群 (6)
台東区/その他の古墳・塚 (7)
墨田区の古墳・塚 (4)
練馬区の古墳・塚 (21)
豊島区の古墳・塚 (4)
文京区の古墳・塚 (10)
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新宿区の古墳・塚 (18)
千代田区の古墳・塚 (8)
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渋谷区の古墳・塚 (22)
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品川区/品川大井古墳群 (7)
品川区/その他の塚 (16)
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大田区/その他の古墳・塚 (54)
世田谷区/野毛古墳群 (24)
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世田谷区/大蔵古墳群 (1)
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