
画像は、府中市西府町2丁目にある「武蔵府中熊野神社古墳」を北から見たところです。府中市の遺跡番号36番の古墳です。
「武蔵府中熊野神社古墳」は四角い墳丘の上に丸い墳丘が重なった形に造られた「上円下方墳」です。この形式は、古墳時代終末期に造られるようになった、全国的にも珍しい形の古墳です。
多摩川流域では、4世紀末に大田区や世田谷区で前方後円墳や円墳が造られていき、その後5世紀末から6世紀にかけて府中周辺でも円墳が造られるようになります。この古墳の南東には「高倉古墳群」が、南には「御嶽塚古墳群」が、さらには西方には国立市の「下谷保古墳群」が形成されています。熊野神社古墳は、これらの古墳群から離れたところに造られた独立墳です。
この古墳は、三段築成の上円下方墳という希有な墳丘形態であり、「版築工法」による強固な墳丘の構築方法と葺き石の存在、横穴式石室直下掘り込み地業、また国内外に類例のない七曜紋が施された鉄地銀象嵌鞘尻金具が出土していることなど他の古墳にはない特質が認められることからから、この古墳の被葬者は在地の有力者でありながら、後の多摩郡を監督した郡司層につながる有力者であったと考えられているそうです。

今年は、東京都内でも記録的な大雪となっていますが、雪の上円下方墳の写真を撮りたいと思って出掛けてみました。バスは運行中止で電車も遅れていましたし、雪の降り積もった歩道を歩くのは大変でしたが、東京で雪の古墳を見るというのもなかなかありませんし、楽しい見学となりました。画像は、熊野神社古墳を南東から見たところです。
墳丘は、お正月に飾るお餅のようになっています。笑。

画像は一昨年に撮った画像で、熊野神社古墳を南西から見たところです。墳丘の下段の葺き石の色が途中で変わって見えますが、奥の色の濃い部分の石は、実際に古墳の築造の際に使われた石なのだそうです。

画像は、夜の「武蔵府中熊野神社古墳」を東から見たところです。毎年秋には「武蔵府中熊野神社古墳まつり」が開催されており、ジャズや雅楽のコンサートや古墳パレードなどが行われています。夜には古墳がライトアップされ、幻想的な上円下方墳の姿を見る事が出来ます。2013年は、10月19〜20日にかけて行われました。

画像は、整備される以前の熊野神社古墳です。この古墳は、近世の地誌類にも記述は見られず、近年までは中世以降に築造された塚ではないかと認識されていました。平成8年(1996)に、明治時代の文献の中に石室内に入った記録が発見されたことにより、古墳であると認識されるようになったそうです。
復元された古墳よりも、こちらの方がある意味古墳らしいかもしれませんね。
<参考文献>
府中市教育委員会/府中市遺跡調査会『武蔵府中熊野神社古墳調査概報』2005
財団法人 たましん地域文化財団『多摩のあゆみ第137号 特集 多摩川流域の七世紀代古墳』
現地説明板
- 2014/02/16(日) 05:30:58|
- 府中市/武蔵府中熊野神社古墳
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画像は、府中市西府町2丁目にある「武蔵府中熊野神社古墳」を南東から見たところです。
この武蔵府中熊野神社古墳は、多摩川左岸の立川段丘平坦地、府中崖線から北に約500mの地点に立地する、7世紀後半に築造されたと推定される上円下方墳です。府中崖線の縁辺部に沿って南方約400mに存在する”御嶽塚古墳群”、南東約1,200mに存在する”高倉古墳群”とは立地的に分離していて、2005年に発行された「武蔵府中熊野神社古墳 調査概報」では、”孤高的な存在”と表現されています。全国的にみても、この古墳以外には天文台構内古墳(三鷹市)、石のカラト古墳(奈良市)、清水柳北1号墳(沼津市)、野地久保古墳(福島県白河市)と、全国では5例しかない貴重な古墳なのだそうです。
この古墳の墳丘は、1段目が約32m四方の正方形で高さ約50cm、2段目が約23m四方の正方形で高さ約2.2m以上、3段目が直径約16m、高さ約2.2m以上の円形を呈する3段築成の古墳です。復元高で、高さ約6メートルを測ります。2段目と3段目には礫を用いた葺石が認められたそうで、きれいに復元されていました。平成17年7月に国史跡に指定されています。

ほんの20年程前までは、中世以降に作られた塚か神社の裏山だと思われていたそうです。平成6(1994)年度に行われた地中レーダー探査により、墳丘内部に何らかの巨大構造物が確認され、また平成8(1996)年度には、明治時代の文献(府中市郷土館編1978)のなかに石室内に入った記録が発見され、古墳と認識されるようになったのだそうです。
貴重な遺跡が保存されるか破壊されるかは紙一重なのかもしれませんね。

熊野神社本殿・拝殿も府中市指定文化財となっています。府中市教育委員会による説明板には次のように書かれています。
府中市指定文化財
有形文化財(建造物)熊野神社本殿・拝殿
指定 平成二〇年五月三〇日
熊野神社本殿の建築年代は、虹梁絵様や彫刻等の構成が簡素であ
ることなどから十八世紀前半と考えられます。本格的に施工された
屋根の柿葺も造営当時の状態を良くとどめており、江戸時代中期の
府中周辺地域における社殿の形態が良好な状態で保存されています。
また、拝殿の建築年代は、室内の長押上の壁に掛けられた木板、
虹梁上の中備下の墨書及び虹梁絵様から十九世紀前半と推定され
ます。特に向拝部分は、十九世紀の華やかな装飾を今にとどめてい
ます。
本殿及び拝殿ともに、江戸時代中期から幕末における神社建築の
造形をよく現している、市内でも数少ない貴重な建築物です。
平成二十一年八月
府中市教育委員会


平成23年(2011年)には、古墳に関する資料を展示する施設として、武蔵府中熊野神社古墳展示館が建てられていて、石室から発見された鞘尻金具のレプリカなどが展示されています。また、現地に保存整備されている古墳の石室は埋め戻されていて中に入ることができないのですが、古墳の石室を原寸大で復元した石室復元展示室が隣接してあり、受付で懐中電灯とヘルメットを借りると実際に中に入って石室の内部の様子を見学することができます。


最初に訪れた時の古墳の周囲は宅地に囲まれていたような記憶があるのですが、展示館が建てられてからの2度目の訪問では、一部の宅地が更地になっていました(写真左)。3度目の訪問ではその更地が発掘調査されていて、シートの隙間から遺跡が垣間見えていました(写真右)。
<参考文献>
府中市教育委員会/府中市遺跡調査会『武蔵府中熊野神社古墳調査概報』2005
現地説明板
- 2012/09/10(月) 23:16:46|
- 府中市/武蔵府中熊野神社古墳
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