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古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

「南入経塚(経塚・天王山・弾中塚古墳)」その2

 さて、今回紹介するのは、ほんの十数年前まで存在していたという塚。
 西東京市住吉町5丁目の「南入経塚」です。

 この塚は以前に一度、令和元年(2019)9月2日の『古墳なう』で取り上げましたが、この時すでに開発により塚は消滅しており、跡地の写真を公開したのみでした。
 しかし、その後なんと!たきしーた氏により、往時の南入経塚の姿を収めた写真をご提供いただきました。今回は、残存する南入経塚の姿を公開します!


西東京市「南入経塚」1

 1枚目の写真は、平成19年(2007)10月の南入経塚です。

 すぐ隣にまで宅地化の波が押し寄せてはいるものの、まだ塚は良好に残存しているようです。

 この塚は古くから経塚、天王山、弾中塚などと呼ばれ、古墳ではないかとする説もあったようです。
 しかし、平成20年に行われた発掘調査の結果、周溝等の付帯施設が発見されなかったことから、少なくとも塚は古墳ではなく、また、経典なども出土しなかったことから、経塚であることも確認されなかったようです。
 ただし、これも最近になって知ることができたのですが、昭和43年発行の『郷土誌「保谷」4号』に掲載されている座談会の記録の中にこの南入経塚の記述が見られ、塚は大正時代に一度発掘が行われており、この際に南無妙法蓮華経の経文を書いた石が出土したといわれているそうです。

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西東京市「南入経塚」2

 同じく、平成19年(2007)10月の南入経塚です。

 ちなみに、江戸時代の地誌『新編武蔵風土記稿』には「鐘塚 村の北にあり 経塚 村の南にあり 相伝うこの二つの塚は、隣村小榑村妙福寺開山日延聖人改宗の日、経文及び鐘をこのところへ埋め、その上へ塚を築きたる」とあり、昭和10年に書かれた『武蔵保谷村郷土資料』にも「昔は塚の上に一本の古松が生えており、人びとは御経文が埋めてあるのだといった」と記されています。

 大正時代に出土したという経石の所在はわからなくなっているようですし、平成20年の発掘調査の時点でこの経石が全く残されていなかったというのも不思議な気がするのですが、これらの状況証拠からすると、少なくとも南入経塚が古墳である可能性はなく、経塚である可能性が極めて高そうです。


西東京市「南入経塚」3

 写真は、翌年の平成20年(2008)6月の南入経塚です。
 発掘調査の真っ最中という貴重な写真です。
 写真の左端に、まだ一部が残存する塚の姿が見えます。

 実は、私が最初にこの塚の見学に来たのは平成22〜23年頃だったと思います。当時にGoogleマップで確認すると、杭で囲まれて塚が保護されているように見えたのですが、実際に訪れてみると平らに整地されていて塚はなく、「あれ?ここじゃなかったのかな?」ということになったのですが、あれは発掘調査が終わった後だったのですね。。。


西東京市「南入経塚」4

 同じく、発掘調査の真っ最中の写真です。

 小さな女の子がじーっと遺跡の様子を見つめているのがとても興味深いです。
 何が気になっているんでしょうかね。笑。

A8.net


西東京市「南入経塚」5

 塚の跡地の現在の様子です。
 左隅の、地下に降りる通路のあたりが南入経塚の跡地ということになります。

 古墳は存在しないとされる西東京市内において唯一残存する塚だったのですが、破壊されてしまった現実は返す返すも残念でなりません。。。

<参考文献>
保谷市『保谷市史〈別冊 1〉保谷の石仏と石塔』
保谷市史編さん委員会『田無市史 第四巻 民俗編』
公民館だより編集室『西東京市公民館だより』


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  1. 2020/06/26(金) 20:22:50|
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「二つ塚」

「二ツ塚」1

 画像は、小平市上水本町2丁目の、旧鎌倉街道が玉川上水の緑地にかかる「鎌倉橋」を南から見たところです。

 この橋の西側あたりには、昭和の初期頃まで小さな塚が2基存在したといわれており、この橋の手前の地名は「二つ塚」と呼ばれていました。
 この二つ塚は、国分寺市のこの街道沿いの一里塚からちょうど一里の地点にあり、かつては旅人に道程を知らせた旧鎌倉街道十三塚のうちの一つであったといわれています。
 残念ながら、民家の敷地内にあった塚はいつしか開発により姿を消してしまったようですが、「二つ塚」の名称は地名に残されているようです。


「二ツ塚」2

 画像は立川バスの停留場に残された「二つ塚」。


「二ツ塚」3

 画像は道路の名称に残された「二つ塚」。
 「二つ塚」の文字の真ん中の「つ」が、「ツ」だったり「つ」だったり、まちまちですね。。。

<参考文献>
小平市史編さん委員会『小平市史 地理・考古・民俗編』
小平市教育委員会『郷土こだいら』
芳賀善次郎『旧鎌倉街道探索の旅 1 上町・山ノ道編』


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  1. 2020/04/22(水) 20:41:08|
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「南入経塚(経塚・天王山・弾中塚古墳)」

西東京市「南入経塚」

 「南入経塚」は、旧保谷市にあたる西東京市住吉町5丁目に所在した塚です。『東京都遺跡地図』には西東京市の遺跡番号7番の塚として登録されています。
 残念ながらすでに消滅した塚で、画像は、跡地周辺に建てられた説明板に掲載されていた、往時の南入経塚の姿です。

 この塚は、白子川の最源流部微高地の縁辺部に立地しており、昭和の時代頃までは周囲は畑地となっていたものの、墳丘上は雑木や雑草が生い茂っており、塚は良好に残されていたようです。
 塚は古くから「弾中塚」、「経塚」と呼ばれていました。江戸時代の地誌、『新編武蔵風土記稿』には「鐘塚 村の北にあり 経塚 村の南にあり 相伝うこの二つの塚は、隣村小榑村妙福寺開山日延聖人改宗の日、経文及び鐘をこのところへ埋め、その上へ塚を築きたる」とあり、昭和10年に書かれた『武蔵保谷村郷土資料』にも「昔は塚の上に一本の古松が生えており、人びとは御経文が埋めてあるのだといった」と記されています。
 そして、昭和51年の『保谷の石仏と石塔(一)』では『新編武蔵風土記稿』を引用したうえで、「経塚の由来は、あるいは正しいのかもしれない。しかし、経塚から経文が出土しない限り、断定はできない」としており、さらには昭和62年の『保谷市史 通史編I 考古』で、「各地において古墳の発掘調査に際し、後世になってから、その墳丘を利用して中世の墳墓が設けられたり、経塚が造営されていたりあるいは経文が埋められていたりする例が数多く発見されている。したがって、経塚との伝承があったとしても、実際に経塚、あるいは経石の埋納があったにせよ、それをもってただちに経塚と断定することはできない。だからといって、この塚が古墳であるとも断定はなし難いが、墳丘の形状からみるならば、その可能性は十分にあるといいうる。いずれにしても、それは発掘調査によって決定されるべきであろう。ここではいちおう、古墳(円墳)としておくことにしたい。」と、墳丘の形状や墳頂部に平坦地があることから、古墳ではないかと考えられていたようです。


西東京市「南入経塚」

 塚の跡地周辺の現在の様子です。
 東西に走る西武池袋線と南北に走る伏見通りの立体交差となっている場所で、塚は発掘調査が行われたのちの平成20年に消滅。現在は、跡地に西東京市により設置された説明板が建てられています。
 画像の中央のあたりに説明板が見えますが、実際の塚はこの説明板の西側あたりに存在したようです。

 発掘調査の結果、周溝等の付帯施設が発見されなかったことから少なくとも塚は古墳ではなく、また、経典なども出土しなかったことから、経塚であることも確認されなかったようです。
 説明板によると、この地がかつての下保谷村と上保谷村の境にあり、また、信仰する宗派の境でもあること、古道(横山道)沿いにあることから、塚それ自体がシンボルとなるような「境塚」であったと考えられているようです。
 実際に現地を訪れてみると、塚の跡地は立体交差となっている伏見通りとは微妙にずれているようにも見えるのですが、塚を壊さなくても保存することができたのではないかとも考えると、消滅してしまったことは残念です。。。


西東京市「南入経塚」

 塚に建てられていた3基の石塔は、現在は下保谷3丁目の「福泉寺」に移設されています。
 画像の右は、元文元年(1736)の「題目塔」、左は建立不詳の「題目馬頭観音塔」で、題目塔には大梵天王・帝釈天王が刻まれており、塚は「天王山」とも呼ばれていたそうです。


西東京市「南入経塚」

 天明元年(1781)の「題目塔」です。
 

西東京市「南入経塚」

 おまけ。南入経塚跡地の50〜60メートルほど東側、横山道沿いに残る「題目馬頭観世音塔」です。
 天保5年(1834)、明治2年(1869)の下保谷村絵図に「死馬捨場」とある場所に造立されている石塔で、供養のために建てられたと考えられています。
 この周辺地域もかなり宅地化が進んでいるようですが、こうして畑地の一角に石塔が残る風景は、なんだか懐かしい感じがしますね。。。

<参考文献>
保谷市『保谷市史〈別冊 1〉保谷の石仏と石塔』
保谷市史編さん委員会『田無市史 第四巻 民俗編』
公民館だより編集室『西東京市公民館だより』


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  1. 2019/09/02(月) 00:25:05|
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「北芝久保富士」

北芝久保富士

 画像は、現在の西東京市芝久保町2丁目、旧田無市に所在する富士塚、「北芝久保富士」を北東から見たところです。『東京都遺跡地図』には未登録につかです。
 田無で富士講がいつ成立したのかはわかっていないようですが、田無の富士講は丸嘉講で、六つの組のうちの一つである田無組の講中に入っていたそうです。


北芝久保富士

 塚を近くで見たところ。
 かつての北芝久保富士は現在よりも高く盛り上げて造られていたようですが、現在は高さ1mほどの小さな塚となっています。


北芝久保富士

 富士講中は先達に引率されて富士山に大勢で登拝して祈願をしましたが、実際に登拝できない人は近くの富士塚に参拝して、家内安全を祈願すれば富士登山したのと同じ後利益があるとされました。この北芝久保富士の塚の上にも、石造の祠が祀られています。


北芝久保富士

 この富士塚は、実はサイクリング中に偶然に見つけて「おお!田無にも古墳状の塚があるじゃないか!」とワクワクしました。笑。
 これまで何十年も生きてきて、盛り上げた土を見てワクワクするというおっさんが出来上がっているわけですが、とりあえず安上がりだし、まあいっか、と思う今日このごろです。。。

<参考文献>
田無市史編さん委員会『田無市史 第四巻 民俗編』


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  1. 2019/08/29(木) 23:06:59|
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「お塚様」

「お塚様」

 画像は、清瀬市上清戸2丁目に所在する「お塚様遺跡」を南から見たところです。『東京都遺跡地図』には、清瀬市の遺跡番号64番の「中世の塚」として登録されています。

 地元の人には「お塚さま」として知られているこの塚は、昭和50年発行の『多摩の歴史2』には「塚の周囲は数十メートルあって高さは約1メートルほど」とあり、昭和54年発行の『清瀬・田無・保谷・東久留米・東村山史跡散歩』には「直径5メートル、高さ0.7メートルの塚」と書かれており、昭和の時代に周囲を削られて小さくなっていったのかもしれません。現在は、開発が進んだ住宅地の中で更に小さくなっているようです。かつては塚上に樹木が茂っていたようですが、今では枝を切られたかつての大木が肩身を狭くしています。


「お塚様」

 画像は南西から見たお塚さまです。この角度から見ると、マンションの駐車場の一角にひっそりと残されているようすがわかります。貴重な塚ですから、しっかりとした説明板があれば良いと思うのですが、南北朝時代に新田義貞がここを通った時に、愛馬に死なれてしまったことからここに埋めて、供養したという言い伝えが残されているようです。

<参考文献>
武蔵野郷土史刊行会 有峰書店『多摩の歴史2』
江幡潤『清瀬・田無・保谷・東久留米・東村山史跡散歩』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』


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  1. 2017/11/20(月) 00:10:06|
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