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古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

「南入経塚(経塚・天王山・弾中塚古墳)」

西東京市「南入経塚」

 「南入経塚」は、旧保谷市にあたる西東京市住吉町5丁目に所在した塚です。『東京都遺跡地図』には西東京市の遺跡番号7番の塚として登録されています。
 残念ながらすでに消滅した塚で、画像は、跡地周辺に建てられた説明板に掲載されていた、往時の南入経塚の姿です。

 この塚は、白子川の最源流部微高地の縁辺部に立地しており、昭和の時代頃までは周囲は畑地となっていたものの、墳丘上は雑木や雑草が生い茂っており、塚は良好に残されていたようです。
 塚は古くから「弾中塚」、「経塚」と呼ばれていました。江戸時代の地誌、『新編武蔵風土記稿』には「鐘塚 村の北にあり 経塚 村の南にあり 相伝うこの二つの塚は、隣村小榑村妙福寺開山日延聖人改宗の日、経文及び鐘をこのところへ埋め、その上へ塚を築きたる」とあり、昭和10年に書かれた『武蔵保谷村郷土資料』にも「昔は塚の上に一本の古松が生えており、人びとは御経文が埋めてあるのだといった」と記されています。
 そして、昭和51年の『保谷の石仏と石塔(一)』では『新編武蔵風土記稿』を引用したうえで、「経塚の由来は、あるいは正しいのかもしれない。しかし、経塚から経文が出土しない限り、断定はできない」としており、さらには昭和62年の『保谷市史 通史編I 考古』で、「各地において古墳の発掘調査に際し、後世になってから、その墳丘を利用して中世の墳墓が設けられたり、経塚が造営されていたりあるいは経文が埋められていたりする例が数多く発見されている。したがって、経塚との伝承があったとしても、実際に経塚、あるいは経石の埋納があったにせよ、それをもってただちに経塚と断定することはできない。だからといって、この塚が古墳であるとも断定はなし難いが、墳丘の形状からみるならば、その可能性は十分にあるといいうる。いずれにしても、それは発掘調査によって決定されるべきであろう。ここではいちおう、古墳(円墳)としておくことにしたい。」と、墳丘の形状や墳頂部に平坦地があることから、古墳ではないかと考えられていたようです。


西東京市「南入経塚」

 塚の跡地周辺の現在の様子です。
 東西に走る西武池袋線と南北に走る伏見通りの立体交差となっている場所で、塚は発掘調査が行われたのちの平成20年に消滅。現在は、跡地に西東京市により設置された説明板が建てられています。
 画像の中央のあたりに説明板が見えますが、実際の塚はこの説明板の西側あたりに存在したようです。

 発掘調査の結果、周溝等の付帯施設が発見されなかったことから少なくとも塚は古墳ではなく、また、経典なども出土しなかったことから、経塚であることも確認されなかったようです。
 説明板によると、この地がかつての下保谷村と上保谷村の境にあり、また、信仰する宗派の境でもあること、古道(横山道)沿いにあることから、塚それ自体がシンボルとなるような「境塚」であったと考えられているようです。
 実際に現地を訪れてみると、塚の跡地は立体交差となっている伏見通りとは微妙にずれているようにも見えるのですが、塚を壊さなくても保存することができたのではないかとも考えると、消滅してしまったことは残念です。。。


西東京市「南入経塚」

 塚に建てられていた3基の石塔は、現在は下保谷3丁目の「福泉寺」に移設されています。
 画像の右は、元文元年(1736)の「題目塔」、左は建立不詳の「題目馬頭観音塔」で、題目塔には大梵天王・帝釈天王が刻まれており、塚は「天王山」とも呼ばれていたそうです。


西東京市「南入経塚」

 天明元年(1781)の「題目塔」です。
 

西東京市「南入経塚」

 おまけ。南入経塚跡地の50〜60メートルほど東側、横山道沿いに残る「題目馬頭観世音塔」です。
 天保5年(1834)、明治2年(1869)の下保谷村絵図に「死馬捨場」とある場所に造立されている石塔で、供養のために建てられたと考えられています。
 この周辺地域もかなり宅地化が進んでいるようですが、こうして畑地の一角に石塔が残る風景は、なんだか懐かしい感じがしますね。。。

<参考文献>
保谷市『保谷市史〈別冊 1〉保谷の石仏と石塔』
保谷市史編さん委員会『田無市史 第四巻 民俗編』
公民館だより編集室『西東京市公民館だより』


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  1. 2019/09/02(月) 00:25:05|
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「北芝久保富士」

北芝久保富士

 画像は、現在の西東京市芝久保町2丁目、旧田無市に所在する富士塚、「北芝久保富士」を北東から見たところです。『東京都遺跡地図』には未登録につかです。
 田無で富士講がいつ成立したのかはわかっていないようですが、田無の富士講は丸嘉講で、六つの組のうちの一つである田無組の講中に入っていたそうです。


北芝久保富士

 塚を近くで見たところ。
 かつての北芝久保富士は現在よりも高く盛り上げて造られていたようですが、現在は高さ1mほどの小さな塚となっています。


北芝久保富士

 富士講中は先達に引率されて富士山に大勢で登拝して祈願をしましたが、実際に登拝できない人は近くの富士塚に参拝して、家内安全を祈願すれば富士登山したのと同じ後利益があるとされました。この北芝久保富士の塚の上にも、石造の祠が祀られています。


北芝久保富士

 この富士塚は、実はサイクリング中に偶然に見つけて「おお!田無にも古墳状の塚があるじゃないか!」とワクワクしました。笑。
 これまで何十年も生きてきて、盛り上げた土を見てワクワクするというおっさんが出来上がっているわけですが、とりあえず安上がりだし、まあいっか、と思う今日このごろです。。。

<参考文献>
田無市史編さん委員会『田無市史 第四巻 民俗編』


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  1. 2019/08/29(木) 23:06:59|
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「お塚様」

「お塚様」

 画像は、清瀬市上清戸2丁目に所在する「お塚様遺跡」を南から見たところです。『東京都遺跡地図』には、清瀬市の遺跡番号64番の「中世の塚」として登録されています。

 地元の人には「お塚さま」として知られているこの塚は、昭和50年発行の『多摩の歴史2』には「塚の周囲は数十メートルあって高さは約1メートルほど」とあり、昭和54年発行の『清瀬・田無・保谷・東久留米・東村山史跡散歩』には「直径5メートル、高さ0.7メートルの塚」と書かれており、昭和の時代に周囲を削られて小さくなっていったのかもしれません。現在は、開発が進んだ住宅地の中で更に小さくなっているようです。かつては塚上に樹木が茂っていたようですが、今では枝を切られたかつての大木が肩身を狭くしています。


「お塚様」

 画像は南西から見たお塚さまです。この角度から見ると、マンションの駐車場の一角にひっそりと残されているようすがわかります。貴重な塚ですから、しっかりとした説明板があれば良いと思うのですが、南北朝時代に新田義貞がここを通った時に、愛馬に死なれてしまったことからここに埋めて、供養したという言い伝えが残されているようです。

<参考文献>
武蔵野郷土史刊行会 有峰書店『多摩の歴史2』
江幡潤『清瀬・田無・保谷・東久留米・東村山史跡散歩』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』


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  1. 2017/11/20(月) 00:10:06|
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「下里富士(三角山)」 

「下里富士(三角山)」 

 清瀬市竹丘2丁目に所在する「下里富士」は、清瀬市と東久留米市との境を流れる野火止用水の北側に築かれている富士塚です。武蔵野に多く見られる円錐状の富士塚で、その姿から地元では「三角山」と呼ばれています。


「下里富士(三角山)」 

 塚の正面の山裾に、石造の明神鳥居が建てられています。富士塚によくあるボク石はなく、赤土が露出した塚上には樹木が茂って塚そのものがこんもりとした森のようになっています。
 石碑の数は少なく、明治12年(1879)造立の「小御嶽神社」碑が最古のもので、この種の碑は一般に塚築造の際に塚に立てられるのが普通であることから、この富士塚は文化3年(1806)から明治12年(1879)の間に築造されたことが推定されています。


「下里富士(三角山)」 

 鳥居をくぐると、頂上に登る石段が直線的に造られています。これは、従前には電光状か「く」の字状に造られていた登山道を、後にこのように直線的になおして、登りやすくしたのではないかと推察されているようです。


「下里富士(三角山)」 

 山頂のようすです。富士浅間神社が祀られています。

<参考文献>
日本常民文化研究所『富士講と富士塚』
現地説明版


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  1. 2017/11/19(日) 00:17:07|
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「中里富士」―東京都指定有形民俗文化財・清瀬市指定有形文化財―

「中里富士」―東京都指定有形民俗文化財・清瀬市指定有形文化財―

 「中里富士」は、清瀬市中里3丁目に所在する富士塚です。
 富士山は古くから信仰対象の山とされており、特に江戸時代中期には富士登拝の風潮が盛んとなりました。しかし、実際の富士登山は経済的負担が大きく、危険が伴うことから、富士登山のできない人々のために各地に富士塚が築かれました。
 東京都の有形民俗文化財、また清瀬市の有形文化財として指定されているこの「中里富士」は、円錐状に赤土を盛り上げて築いた高さ12メートルと大型の富士塚で、ボク石は存在せず、頂上への登山道は正面に電光状に設けられています。築造は、中里講社に伝わる「清瀬村中里富士講社起源」と題する文書(大正10年代の記載と考えられている)には文政8年(1825)に再築とあり、さらに「明治7年(1874)春講員ト謀リ、村富士ヲ凡七尺五寸高ク再築シ」と記されています。


「中里富士」―東京都指定有形民俗文化財・清瀬市指定有形文化財―

 富士塚の北側に設けられた鳥居をくぐると登山道は九十九折りに続き、一合目から九合目までの小さな石柱が建てられています。中里富士の石碑は、塚の規模に比べて少なく、頂上の2基と山裾に5基を数えるのみで、名所石はありません。


「中里富士」―東京都指定有形民俗文化財・清瀬市指定有形文化財―

 登山道に向かって右側山麓には、富士山麓の風穴と呼ばれる洞窟をくぐることによって安産の利益があるという胎内巡りを模して掘られた横穴が存在するそうです。当日は気がつかず、写真を撮ることなく見過ごしてしまいました。現在は閉鎖されているようです。富士登山や火の花祭りなどの講行事は現在も継続されており、武州田無組丸嘉講中里講社関係資料は東京都の有形民俗文化財に指定されています。


「中里富士」―東京都指定有形民俗文化財・清瀬市指定有形文化財―

 山頂には石製小祠が2基と石碑2基があり、このうちの明治14年(1881)造立の碑は丸嘉講と武蔵野北部一帯に広がる丸吉講の講紋を彫ってあるもので、正面中央に大日如来と思われる仏像を彫っており、明治維新の際の神仏分離の影響もこの塚までは及ばなかったようです。


「中里富士」―東京都指定有形民俗文化財・清瀬市指定有形文化財―

 毎年9月1日には「富士吉田の火祭り」の再現ともいえる「火の花祭」と呼ばれる行事が現在も行われているそうです。この行事は、講中が富士塚で経文を唱えたあと、円錐形の麦わらの山に火がつけられ、その火にあたり、灰を家に持ち帰って門口にまくと火災除けや魔除けになり、畑にまくと豊作になると伝えられているものだそうです。

<参考文献>
有坂蓉子『ご近所富士山の「謎」』
日本常民文化研究所『富士講と富士塚』
現地説明版


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  1. 2017/11/18(土) 02:25:33|
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