
「下平井古墳」は、日の出町平井に所在したとされる古墳で、『東京都遺跡地図』には日の出町の遺跡番号19番の古墳として登録されています。平井川右岸の段丘上に位置しており、上流には「道場古墳群」が、また下流域にはあきる野市の「瀬戸岡古墳群」が存在します。
この古墳はすでに削平された、墳丘や埋葬施設の存在しない古墳です。明治時代の開墾の際に、直刀、刀子、鉄鏃等の鉄製品や須恵器蓋、坏が出土しているようですが、古墳は学術的な調査が行われないまま消滅しています。平成7年(1995)に発行された『多摩地区所在古墳確認調査報告書』には「個人宅敷地内に石室の構築材と思われる大きな河原石が数個残っている。他に中小の礫が多数あったといわれているが、現在は残存していない。」とあり、また多摩地域史研究会より発行された『多摩川流域の古墳時代 -国府以前の様相-』には出土品について、「古墳出土と想定される遺物が土地所有者によって保管されており…」と書かれています。
画像の一角が古墳の跡地であると思われるのですが、河原石が残されているという個人宅がどこか特定できず、残念ながら出土したとされる遺物を見ることはできませんでした。。。
<参考文献>
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』
多摩地域史研究会『多摩川流域の古墳時代 ―国府以前の様相―』
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- 2017/03/04(土) 09:34:14|
- 日の出町の古墳・塚
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「道場古墳群」は日の出町平井に所在する古墳群です。『東京都遺跡地図』には、日の出町の遺跡番号22番の遺跡として「道場遺跡・道場古墳群」の名称で登録されています。秋留台地の北端にあたる、崖端に接する台地縁辺部に位置しており、平成9年(1997)の宅地造成工事に伴う調査により2基の古墳の埋葬施設と部分的に欠落する周溝が確認されています。
画像の右側あたりから検出されたのが1号墳、中央付近から検出されたのが2号墳で、この2基の古墳の周溝は全周していないことから形状は不明であるものの、隅丸方形状であったと想定されているようです。古墳の築造は、出土遺物により7世紀後半と推定されています。
この古墳の発掘当時には石室の移築が考えられていたようなので、どこかに復元されていないか調べてみたのですが、残念ながら実現はしていないようです。また、この古墳群周辺の台地縁辺部には石室の構築材と思われる川原石を畑等にまとめられている箇所が複数存在するということで、周辺をぶらぶらと散策してみたのですが、それらしき遺構を見つけることは出来ず、この周辺地域もかなり宅地化が進んでいるようです。。。
<参考文献>
多摩地域史研究会『多摩川流域の古墳時代 ―国府以前の様相―』
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- 2017/03/03(金) 00:18:05|
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