
画像は、那須烏山市小河原に所在する「行屋古墳」です。
荒川右岸の低位段丘面に築造された古墳で、南東に蛇行する荒川とその沖積地に面する地点に立地しています。
径約20m、高さ2.5mほどの円墳で、現存するのはこの古墳1基のみであるようです。

ここは、訪れる前に草刈りが行われたらしく、墳丘をよく観察することができたのは運が良かったかな、と。
立地的には塚である可能性も感じられるところですが、学術的な調査は行われていないようなので真相はわかりません。。。

墳丘上の様子。
葺石があったのかな?
まさか残土の山だったりして。。。
<参考文献>
南那須町史編さん委員会『南那須町史・資料編』
人気ブログランキングへ
- 2023/11/06(月) 23:52:08|
- 那須烏山市の古墳・塚
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
![旧南那須町「久保前古墳」]](https://blog-imgs-166.fc2.com/g/o/g/gogohiderin/2023110519542688e.jpg)
画像は、那須烏山市藤田に所在する「久保前古墳」 です。
荒川左岸の段丘延辺部に築造された比較的大きな円墳で、個人の敷地内の屋敷森に存在することからか墳丘には盗掘の痕跡もなく、非常に良好に残されています。
規模は東西25m、南北27m、高さ3m前後です。
現在5基が残存する大和久古墳群の林先支群や、かつて7基の古墳が存在したとされる、現在の大和久学園の敷地内にあたる寺田支群の存在を考えると、久保前古墳は大和久古墳群と繋がっていて同一の古墳群なのではないか?とも考えてしまいますが、この久保前古墳の周囲には古墳の存在はなく、大和久古墳群の終焉後に最後の首長墓として築造された単独墳であると考えられているようです。
うん。確かにこの地域ではかなり立派な古墳。。。

私が最初に訪れた日は古墳の所在地がよくわからず、季節が夏で草ボウボウである可能性も想定できましたし、あまり深追せずに諦めました。
その後、今年5月6日の「ブラリなすから」の古墳巡りに参加、さらには今年9月30日の文化財巡りにも参加して、無事に古墳を見学することができました。
久保前古墳はきれいに整備されて古墳の全貌を把握しやすい状況ですが、個人の敷地内にあるので当然ながら個人的に訪れれば土地の所有者の許可は必要です。勝手には入っちゃいかんですよ。。。

墳丘裾には那須烏山市による標柱が建てられていますが、解説文などは書かれていないようです。。。

墳頂部には小祠があり、それに伴い墳頂部と墳丘東に若干の改変が見られる以外は、ほぼ原形を保っているのではないかと思われます。

祠の周りに河原石があって、まさか石室の石材じゃないよな?と感じますが、少なくとも大規模な盗掘は受けていないようですし、関係ないのかな。。。
後世まで残して欲しい、立派な古墳ですね。
<参考文献>
南那須町史編さん委員会『南那須町史・資料編』
人気ブログランキングへ
- 2023/11/05(日) 20:31:15|
- 那須烏山市の古墳・塚
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0

前回に引き続き、今回も那須烏山市南大和久に所在する「大和久古墳群」、その第3回となります。
今回は、密集して存在する1号墳から4号墳までの4基の古墳からは若干離れた、5号墳を紹介しようと思います。
というわけで、最初の写真は5号墳の墳丘を北西から見たところです。
前方後円墳である1号墳から東に約150mに位置する古墳で、この5号墳も前方後円墳である可能性が考えられているという疑惑の古墳です。

南から見たところ。
墳丘の状態から、残存する前方部の一部であると考えられているようです。

墳頂部の様子です。
特に祠が祀られているようなこともないようです。

驚きのこの写真!
土地の所有者の旦那様に声をかけて見学させていただきました。
1、2枚目の高まりが写真の左奥にあたるのですが、なんと、後円部にあたると思われる位置には円形を呈する石積みが存在します。
想像力豊かにすると、かつてはここに後円部の高まりがあり、その土留めのためにこの石が敷かれていた、と妄想することもできます。

くびれ部北側あたりに、後円部を崩した際の残土の山ではないか?という高まりがあり、そこには石室を構築していた石材ではないか?とも考えられる河原石が散在しています。
いや、もちろんすべては妄想なわけで、残存する高まりが円墳である可能性も否定はできませんし、ただの塚である可能性だってあるわけで、学術的な調査が行われてみないと真相はわからないわけなのですが、ただ現状の状況からして前方後円墳だったのではないかという妄想は広がりますね。。。
旦那様との雑談の中で、「最近野生動物の活動が活発だから気をつけろよ?」みたいな話をお聞きしました。
見学したのは、「ブラリなすから」の史跡巡りに参加した頃なので、5月の前半だったと思います。
それで、「確かに、つい先日も栃木市内の山中で古墳を巡っていた際、3頭のシカがすぐ近くを走り抜けていって肝を冷やしました。」みたいな話をしたら、「真名子だろ?」と即答されて「なな、なんでわかるんですか?」みたいな会話になりました。
いや、本当に真名子だったんですが、ひょっとしたら農家の方々だけに伝わる情報網でもあるのかな?とか妄想して楽しくなりました。。。
あちこちで古墳巡りをしていて、野生動物に気をつけろという話はたくさん聞きましたが、それでも山の中の古墳は突撃するしかありませんし、暗くなる前に切り上げるしかないですよね。。。

こちらはところ変わって、「寺田支群」の所在地周辺の様子です。
現在の大和久学園の敷地内には、かつて7基の古墳が存在しており、調査報告書も残されています。
写真の周辺では、昭和34年の大和久学園の建設の際に栃木県立烏山高等学校郷土史研究クラブによる発掘調査が行われ、1〜5号墳までの5基の円墳の存在が判明しています。

古墳は調査後にすべて削平されているはずなのですが、駐車場に古墳かのような築山が存在しており、びっくり。
今年9月30日の文化財巡りではここが駐車場になっていたので、すぐ横に車を止めて撮影しましたが、古墳ではないんでしょうね。多分。

築山の様子。
報告書には分布図が掲載されていなかったので、当然ながら5基の古墳の正確な位置まではわかりません。
駐車場に位置していた古墳だけが壊されずに残された、なんてこともありそうじゃないかと思いますが、謎です。。。

その後、昭和60年には、立正大学考古学研究室による発掘調査が行われ、2基の円墳が調査されています。
写真は、2基の古墳が所在したとされる周辺で見かけた、

こちらは、「原の前支群」周辺の現在の様子です。
古くは数基の古墳の存在が確認されていますが、現在ではすべて消滅。
古墳の姿を見ることはできません。
昭和44年に2基の古墳の調査が行われたそうですが、報告書は未刊行で、残念ながらすべての資料は散逸してしまったようです。
<参考文献>
南那須町史編さん委員会『南那須町史・資料編』
人気ブログランキングへ
- 2023/10/30(月) 18:45:47|
- 那須烏山市の古墳・塚
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0

前回に引き続き、今回も那須烏山市南大和久に所在する「大和久古墳群」、その第2回となりますが、今回は1号墳の南に近接する3基の円墳を紹介しようと思います。
最初の写真は、「大和久古墳群林先支群2号墳」です。
北東方向から古墳群に向かうと、最初に視界に入るのがこの2号墳になるかと思います。
墳丘は良好に残されており、南北径は約8m、東西径は約9m、高さ1.5mという小円墳です。
ここも、私が最初に訪れたときはかなり草ボウボウだったのですが(夏だったし仕方がないけど)今は草が刈られて墳丘全体が見渡せる状況になりました。。

2号墳の墳丘裾には「那須烏山市指定文化財・大和久古墳群」と書かれた標柱が設置されています。
が、解説文は無し。
このあたりもこれから整備されていくといいですよね。。。

墳頂部には特に祠が祀られていることもなし。
また石室が露出することもなし。
盗掘を受けたような様子もなく綺麗な墳丘です。

こちらは3号墳を南東から見たところ。
荒川沿いの崖に最も近接した古墳で、崖崩れが起こったら古墳も崩壊してしまいそうです。
規模は、南北径は約8m、東西径は約9m、高さ1.7mという小円墳です。
こちらも墳丘遺存状況は良好で、盗掘痕も見られません。

今年9月30日の文化財巡りの様子。
3号墳に向かう参加者です。
この日のために、栃木県立博物館名誉学芸員の柏村氏が4基の古墳の草刈りを行ったそうで、すべての古墳の墳丘が確認できるようになりました。。。

3号墳の墳頂部。

4号墳を西から見たところ。
1号墳の前方部南に築造された円墳で、直径約10.5m、高さ約2.5mと、2号墳、3号墳より若干大きな古墳です。

2号墳横から4号墳を観察する参加者。
こちらも9月30日の文化財巡りの様子です。

さて、この林先支群の敷地内にはもう一箇所、正体不明の高まりが存在します。
北東方向から古墳群に向かうと、2号墳の手前に農道の左側、墓地の手前に高まりが存在します。
むしろこの高まりが一番気になるぜ。。。

謎の高まりを2号墳の墳丘上から見たところ。
古墳の残骸のようにも感じますが、ただの残土の山にも見えます。
う〜ん、、、古墳じゃないのかな。

荒川を挟んだ対岸、西側から古墳群が所在する段丘を見上げてみました。
大木の左側あたりに前方後円墳である1号墳、大木の奥に2号墳〜4号墳が存在します。

川って蛇行しますよね。。。
古墳群は、天狗の鼻のように突き出た先端の対岸に存在します。
もちろん、古墳時代の川の流れが現在と同じであったかどうかはわかりません。。。

お、おえおえ、滝だよ。。。
数メートルほどの小さな滝ですが、古墳群のすぐ横から流れ落ちていてびっくりしました。
<参考文献>
南那須町史編さん委員会『南那須町史・資料編』
人気ブログランキングへ
- 2023/10/29(日) 02:08:45|
- 那須烏山市の古墳・塚
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0

今回から、那須烏山市南大和久に所在する「大和久古墳群」を紹介しようと思います。
那須烏山市は、平成17年(2005)10月1日に那須郡烏山町と南那須町が合併することにより誕生した市です。
大和久古墳群は、旧南那須町にある古墳群です。
寺田、原の前、林先という3つの支群の総称で、かつては30基以上の古墳が存在したといわれていますが、現在では林先支群の5基が残るのみです。
最初の写真は林先支群に属する1基で、「大和久古墳群1号墳」です。

古墳の周囲を一周してみましょう。
写真は、北西から見た1号墳です。
古墳は前方部を西に向けた前方後円墳で、墳丘北側、前方部前端が水田造成により若干破壊されている以外は、かなり良好に残されています。
墳丘長は約30m、後円部径は推定約22m、前方部前端は推定22mを図ります。
学術的な調査は行われていないようなので古墳の詳細は不明ですが、前方部の発達は著しく、後円部と前方部の高さはどちらも約3.5mとほぼ同数値です。

南西から見たところ。
左手前が前方部、右奥が後円部です。
この1号墳のすぐ南に密集する3基の円墳もかなり良い状態で残されており、那須烏山市内でも貴重な古墳群と言えると思います。

ちなみに、最初にここを訪れたときはまだびっしりと雑草が生い茂っていて、早々に退散しました。
今年に入って地元の史跡巡りに誘われて参加したのですが、その時に「秋に草刈りをやるから、その後に見学するといいよ」ということをお聞きしていまして、それで秋の史跡巡りにも参加しました。
1号墳のみならず、2〜4号墳も綺麗に草が刈られていてびっくり。
というわけで、見学するなら今です。笑。

南から見たところ。
左が前方部、右が後円部で、墳丘を真横から見た状況です。。。

南東から見たところ。
墳丘周辺からは埴輪片が採集されており、埴輪は存在するようです。

墳丘上の様子。
前方部から後円部を見たところです。。。

これは墳丘の北西側、前方部の先端に散乱する思わせぶりな石。笑。
この古墳群は6世紀後半から7世紀にかけて築造されたと考えられているそうです。
見学したところでは大きな盗掘痕もないようですし、今後の調査の進展が楽しみな古墳群だと思います。
これからさらに整備が進めばいいなと思いますが、ゆくゆくは古墳公園として、市民の憩いの場になればいいですよね。。。
大和久古墳群、次回に続きます。
<参考文献>
南那須町史編さん委員会『南那須町史・資料編』
人気ブログランキングへ
- 2023/10/28(土) 01:51:08|
- 那須烏山市の古墳・塚
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0