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古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

宇都宮市 東谷古墳群 最終回 「東谷神社」

東谷神社1

 今回は、東谷古墳群散策の大トリ、ということで、宇都宮市東谷町に所在する「東谷神社」を参拝しました。


 東谷神社は、宇都宮インターパークのジョイフル本田の西方200mほどの田園の中に鎮座します。
 日光街道のバイパスである新4号国道や北関東自動車道の開通、そして宇都宮インターパークにより、周囲の景観は大きく変貌しましたが、それでもこの一帯は今も変わらぬ一大農業地帯です。


 地元では「高尾さん」と呼ばれて親しまれている神社で、主祭神は高龗神(たかおかみのかみ)という、水を司る神様です。境内社には高尾神社(高龗神)、大杉神社(大物主命)が祀られています。

 無事に東谷古墳群を散策することができた感謝を込めてお参りしました。


東谷神社2

 東谷神社の鳥居です。


 実は、この神社の西側にはかつて塚があり、その塚上に稲荷様や虚空蔵様などが祀られていたそうです。
 それが耕地整理のために双子塚古墳に移されており、ちなみにこの社は、「城護り稲荷」と呼ばれて親しまれたそうです。

 一大古墳群である東谷古墳群の真っ只中にあるこの東谷神社に塚が存在したといわれると、やっぱりこの塚は古墳だったのではないか?と妄想が広がってしまいます。

 神社を訪れる理由が「古墳、ないかな?」みたいなのはちょっと不謹慎かもしれないよなあと思いながらも、境内をウロウロと散策してみました。。。


東谷神社3

 東谷神社社殿の様子です。

 境内を見渡したところでは、特に古墳に関係するような高まりは見られないようなのですが、社殿の建つ場所が若干盛り上がっているようにも感じられます。


東谷神社4

 背後に回り込んでみると、社殿が建てられている場所がはっきりと高まっている様子が見られます。

 ひょっとしたら、幾度となく社殿が建て替えられたことによりその都度削られて小さくなってしまったもので、やはりここは古墳の跡地なのではないか!と、妄想が広がります。。。


東谷神社5

 社殿西側の様子です。

 塚があったとしたらこのあたりかなあという妄想地点。

 この周囲に用水路が流れていて、その用水路がこの場所を取り囲むように弧を描いているのが、ここが塚の跡地ではないかという妄想理由です。

 ま、もちろん気のせいである可能性も高いわけですが。。。


東谷神社6

 用水路の様子。
 もしここが塚の跡地ではなく、もっと西側の離れた地点が跡地であるとすれば、すでに田園となっていて痕跡は見られません。

 古墳、あったのかな。。。


東谷神社7

 境内社です。
 塚っぽくわずかな高まりになっています。笑。

 東谷古墳群はまだまだこれから調査が続くと思います。
 全貌が明らかになるのが楽しみですね。

<参考文献>
栃木県神社庁『栃木県神社誌』
吉野益太郎『今昔雀宮』


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  1. 2021/07/20(火) 23:04:41|
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宇都宮市 東谷古墳群その11 「輪たご塚」

未登録 輪たご塚1

 「東谷古墳群」の中で、かつて最も東にあったといわれる古墳が「輪たご塚」です。

 かつて、「車塚古墳」から約300メートル東方に雑木林があったそうです。周囲は戦中、戦後に開拓した畑地で、その雑木林の中に「輪たご塚」と呼ばれる古墳が存在しました。

 規模は直径約10m〜15mほどで、高さは約2〜3mほどの小円墳であったようです。

 実は、古くはこの雑木林の中にあった古墳が本当の「車塚」で、現在残存する「車塚」は「権現塚」と呼ばれていたようです。そして、墳頂に愛宕様の小祠があったことから、車塚の車輪の形から名をとって「輪宕塚」となった、というのが真相のようです。



 画像は、現在の「車塚」から東方に約300mほどの場所です。

 一帯は農地となっており、この周辺にそれらしき雑木林は見られません。残念ながらこの輪宕塚の所在地を突き止めることはできませんでした。。。


未登録 輪たご塚2

  「東方300メートル」の地点とはかなり距離があるのですが、南東に500メートルほどのあたりに、ちょっとした雑木林が見られます。
 ひょっとしてここだったかな?

 雑木林の中を散策することはしませんでしたが、ちなみにこのあたりは宇都宮市ではなく上三川町に属するようです。。。

 この角度から見ると、雑木林自体が前方後円墳のように見えてしまいますが、これは妄想ですね。笑。


宇都宮市「無名の消滅古墳」

 ところ変わって、ここは笹塚古墳から南に200〜300メートルほどの地点。
 このあたりにも1基、古墳があったようです。

 昭和59年に発行された『鶴舞塚古墳』7ページの「東谷古墳群配置図」にははっきりとその位置が記されていますので、かつてのその存在は間違いないと思われますが、名称や由来、出土品などの伝承、またどういった経緯でいつ壊されてしまったのかなどなど、詳細は不明です。。。

<参考文献>
吉野益太郎『今昔雀宮』
宇都宮市教育委員会社会教育課『鶴舞塚古墳』


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  1. 2021/07/18(日) 19:35:46|
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宇都宮市 東谷古墳群その10 「小笹塚」

未登録 小笹塚(仮称)

 車塚の北方、30メートルほどの地点にも小さな古墳が1基あったといわれています。

 直径約10m、高さ2mほどの小円墳で、地元の人には「小笹塚」と呼ばれていたようです。



 この古墳には多くの祟りの伝説が残されていたようです。

 鎌倉時代の分治五年(1189)、源頼朝は宇都宮朝綱、足利義兼、小山朝政、長沼宗政、結城朝光、阿曽広綱らを率いて奥州征伐採に踏み切ります。
 この清軍にあたったといわれる結城氏か小山氏が、いずれかの隊を先道とするために荷駄等を整理させ、その折にその旗下にあった某将はこれを受け、帰城の際までということで、この小円墳小笹塚を目標に荷物数個を埋めさせました。
 しかし、その後の合戦により隊は全滅。荷物は掘り出していないということになりました。そしてその荷物は「金銀財宝」ということになり、いつの世か誰かが盗掘にかかったそうです。

 ところが、掘る人掘る人が目的を達しないまま、途中で熱病にかかったり発狂したりして不幸な最期を晒しました。これにより、誰ともなく「小笹塚には怨霊がいる、祟りがある」といわれるようになったそうです。

 そして、この小笹塚自体も、昔の土地の所有者がこの塚を撤去しようとして削平にかかったことがあったそうです。
 掘り進んでいくと、塚の中ほどに棺のようなものがありました。よく調べてみると、この棺の上に錆びた鉄剣がぐさりと差し込んであったので、地主は驚いてそのまま埋め戻しましたが、数年後にこの人は亡くなってしまったそうです。



 画像は、小笹塚の跡地周辺の様子です。

 右側に見える木立が車塚古墳で、その左側の農地となっているどこかに小笹塚が存在したと思われます。

 何か痕跡が残されていないかと周囲をウロウロと散策しましたが、すでに削平されてしまったのかまったく痕跡はなく、現在は畑地として使用されているようです。


未登録 小笹塚(仮称)3
 出典:国土地理院ウェブサイト(https://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=216186&isDetail=true)

 画像は、国土地理院ウェブサイトより公開されている、昭和22年10月25日に米軍により撮影された、車塚古墳の所在地周辺の空中写真です。
 わかりやすいように周辺を切り取っています。


 中央に見える円形の影が車塚古墳で、その右側、前方後円墳の前方部のような形状の林の中が車塚古墳群の4基の円墳の所在地です。

 車塚古墳のすぐ北西に隣接して高まりらしき小さな影が見られますし、さらには車塚から少々離れた北側に、畑のあぜ道が円形を呈した場所があり、こちらが古墳の跡地か?とも妄想したくなります。

 『今昔雀宮』の記述からすると、昭和の半ば頃までは塚は残されていたのではないかと思われます。
 果たしてこれが古墳の跡地なのか確かめるすべはありませんが、戦後の空中写真にそれらしき小さな円形の影が見られるところは興味深いです。


未登録 小笹塚(仮称)2
 出典:国土地理院ウェブサイト(https://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=439420&isDetail=true)

 画像は、国土地理院ウェブサイトより公開されている、昭和43年5月1日に国土地理院により撮影された、車塚古墳の所在地周辺の空中写真です。やはりわかりやすいように周辺を切り取っています。


 北西に隣接した小さな影はすでになくなってしまっているようですが、北側の影は、むしろ円形の影がはっきりと見られます。小笹塚の跡地はここなのかな???
 (ちなみに、画像左下に見えるのは「権現塚古墳群」の2基です。車塚の南に見える円形の木立は古墳ではありません。。。)


未登録 小笹塚(仮称)4
 出典:国土地理院ウェブサイト(https://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=1012722&isDetail=true)

 画像は、国土地理院ウェブサイトより公開されている、昭和50年3月2日に国土地理院により撮影された、車塚古墳の所在地周辺の空中写真です。

 やはり、昭和50年のこの写真でも古墳かもしれない何かがあったようにも思えますが、すでに塚が削平されて開墾されてしまった状況の中、真相を突き止めることはできませんでした。。。


 これほど多くの祟りの伝説が残されていながら古墳が削平されてしまったことはとっても残念なのですが、とりあえず今もこのどこかに金銀財宝が埋まっているかもしれないということで、気になります。。。

<参考文献>
吉野益太郎『今昔雀宮』


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  1. 2021/07/17(土) 00:21:50|
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宇都宮市 東谷古墳群その9 「羽毎(はごと)塚」

未登録 羽毎塚古墳(はごとづか)1

 ここまで、宇都宮市東谷町の「東谷古墳群」について取り上げてきましたが、残念ながら現在は削平されて消滅してしまったものの、地元の人たちに伝説として残る古墳も少なからず存在するようです。
 今回はこの消滅古墳について触れておこうと思います。


 まず最初は「羽毎(はごと)塚」です。

 現在の栃木県立宇都宮南高校の校舎北側にあったという古墳で、開田のために削平されて、現在は痕跡を見ることはできません。

 現存する空中写真でも確認できませんので正確な古墳の位置は不明ですが、現在ゲートボール場となっている小公園のあたりに所在したといわれています。


未登録 羽毎塚古墳(はごとづか)2

 ゲートボール場の様子です。

 吉野益太郎著『今昔雀宮』によると、昭和の時代にはこの周辺に須恵器、土師器、碗などの破片が散見されたようですが、私が訪れたときにはそれらしき遺物は見られませんでした。。。

 往時の古墳の規模は直径約20m、高さ2~3mほどで、かつては田んぼの畦畔に、石室を構築したと思われる玉石が散らばっていたそうですが、現代では見られなくなっているようです。


未登録 羽毎塚古墳(はごとづか)3

 地元では、この塚名は大和軍団と蝦夷の戦いの様子を物語ったものであるといわれ、弓矢の合戦がなんども続き、攻める大和軍団の矢羽根の音がものすごかったことから「羽音塚」、また大和軍団怒涛のごとく押し寄せては引く有様をものがったことから「波音塚」であるという説もあるようです。

 この「はごとづか」の名称については「羽音塚」や「波音塚」、「羽毎塚」など諸説あり、真相はわからないようですが、現在の宇都宮南高校の校舎ができる以前には、画像の校舎裏の自転車置き場付近で鉄鏃が採集されたそうですので、何らかの大きな合戦が行われたのは間違いないのかもしれません。


 伝承からすると、この「羽毎(はごと)塚」は古墳ではなかったかと思われますが、残念ながら塚の痕跡は何も残されていないようです。

<参考文献>
吉野益太郎『今昔雀宮』


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  1. 2021/07/15(木) 23:19:42|
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宇都宮市 東谷古墳群その8 「双子塚古墳」

宇都宮市「双子塚古墳」1

 今回は、宇都宮市東谷町に所在する「双子塚古墳」の探訪の記録です。

 古来より「東谷十塚」と呼ばれる東谷の古墳群に属する古墳で、県立宇都宮南高校の南に隣接する古墳です。

 元々は前方部を西に向けた前方後円墳であったようですが、明治24年(1891)に行われた小学校建設に伴い前方部が削平されており、現在は後円部のみが残されているという状況です。



 画像は、双子塚古墳を南東からみたところです。

 宇都宮市の遺跡番号224番、栃木県の遺跡番号4374番に登録されている古墳です。


宇都宮市「双子塚古墳」2

 上三川街道と亀山街道が交差する東谷交差点と現在の県立宇都宮南高校の間には、以前は東谷小学校という学校がありました。
 この東谷小学校の児童数増加に伴い、校庭が狭くなったことから隣接する双子塚古墳を崩して校庭しようということになり、前方部が削平されたそうです。

 この前方部の掘削作業は宇都宮市により行われ、馬車で次々と土を運び出したそうですが、なんの出土品もなかったことから当時の関係者をがっかりさせたようです。(ただし、古墳の周溝部分からは埴輪片や土器の破片が容易に発見できたそうです。)

 その後、小学校は東小学校として統合され、現在は校舎は撤去されていますが、昭和51年4月には北側の隣接地に県立宇都宮南高校が開校してます。


宇都宮市「双子塚古墳」3

 南から見た双子塚古墳です。
 墳丘には石段が設けられて鳥居が建てられており、いつでも参拝することができます。


 古墳は、平成29年度の調査で測量調査と周溝北側部分の発掘調査が行われています。

 昭和58年に発刊された『宇都宮の遺跡』によると、残存する後円部の直径は約18m、高さ約4mとされていますが、発掘調査の結果、墳丘裾部は近現代の攪乱が及んでいることがわかっており、実際の墳丘はもう一回り大きいことが想定されています。

 また、これまでこの双子塚古墳には埴輪は伴わないとされてきましたが、周溝内からは円筒埴輪片が3点出土しています。
出土量が少ないことから、双子塚古墳に伴うものであるかは微妙であるようですが、墳頂部の調査では埴輪は確認されていないようなので、現在のところは本古墳は積極的に埴輪や葺石を持つ古墳とは言い難いと判断されているようです。


宇都宮市「双子塚古墳」4

 墳頂部の様子です。
 三日月様と千勝様の祠が祀られています。

 三日月様は文と失せ物が当たるということで、失せ物があった時にお参りすれば必ずそのお告げがあって、失せ物が現れるといわれ、参拝者が後を絶たなかったそうです。

 しかし、前方部が削平されて、残る後円部が小学校の校庭の一部となるとたちまち子供達の遊び場となり、子供たちが乗って遊んでしまうことから神社の扉などは何度直しても壊されてしまったそうです。

 小学校の合併、移転により、ようやく古墳に静寂が戻ったという状況なのかもしれませんね。。。


宇都宮市「双子塚古墳」5

 三日月様と千勝様の祠の様子。

<参考文献>
吉野益太郎『今昔雀宮』
宇都宮市教育委員会『宇都宮の遺跡』
宇都宮市教育委員会『宇都宮市遺跡分布地図』
栃木県教育委員会『栃木県埋蔵文化財保護行政年報 41』


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  1. 2021/07/12(月) 23:08:28|
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宇都宮市 東谷古墳群その7 「原古墳群」

宇都宮市「原古墳群」1

 今回は、宇都宮市東谷町に所在する「原古墳群」の探訪の記録です。
 古来より「東谷十塚」と呼ばれる東谷の古墳群に属する支群で、笹塚古墳の東に位置しており、円墳2基から成る古墳群です。

 画像は、南側の1基である「原塚」と呼ばれる古墳です。
 福田家や五月女家の墓石が建っていて、地元では通称らん塔場と呼ばれる場所で、かなり古い時代から墓地となっていたようです。

 規模は直径約20m、高さ3mの円墳とされています。


宇都宮市「原古墳群」5
 出典:国土地理院ウェブサイト(https://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=216186&isDetail=true)

 画像は、国土地理院ウェブサイトより公開されている、昭和22年10月25日に米軍により撮影された、原古墳群の所在地周辺の空中写真です。
 わかりやすいように跡地周辺を切り取っています。

 一説には前方後円墳ではないかという説もあるようで、この戦後の空中写真で確認すると、2基の塚は繋がっているようでもあり、確かに前方後円墳のようにも感じられます。

 しかし、実際に現地で見学した印象としては、墓地化により塚の改変が進んでおり、果たしてこれが前方後円墳なのか、それとも2基の円墳なのか判然としません。


宇都宮市「原古墳群」2

 東から見た原塚古墳です。

 この古墳の西側には北関東自動車道が南北に走っていますが、平成8年度から10年度にかけてこの道路の建設工事に伴う発掘調査が行われており、権現山遺跡B区からは、周溝を含めた径が9〜26mの円墳10基が検出されています。

 これは「権現山古墳群」と呼ばれているようなのですが、原古墳群の2基のうちの「原塚」が、権現山古墳群の10基のうちの1基である「SZ-067」で、原古墳群のもう1基(名称のない古墳)が「SZ-062」ではないかと考えられるのですが、調査報告書ではこれについて何も触れていません。

 つまり、原古墳群と権現山古墳群は重複しているのではないかということですが、ひょっとしたら原古墳群は権現山古墳群に取り込まれて「権現山古墳群」のうちの2基として解釈されているのかもしれませんが、よくわかりません。。。

 平成29年に発行された『宇都宮市遺跡分布地図』には「原古墳群」は”円墳2基”として記載されており、権現山古墳群は記載されていません。

 とってもわかりにくいのですが、このあたりは、今後整理が必要かもしれませんね。。。


宇都宮市「原古墳群」3

 原古墳群の北側の1基です。

 こちらは、古墳であると言われなければもはやよくわからない状態で、墓地化が進んでいますが、まだ僅かな高まりを見ることができます。

 『宇都宮の遺跡』では、直径約16m、高さ3mの円墳と記載されています。


宇都宮市「原古墳群」4

 東から見た北側の古墳。

<参考文献>
吉野益太郎『今昔雀宮』
宇都宮市教育委員会『宇都宮の遺跡』
宇都宮市教育委員会『宇都宮市遺跡分布地図』
栃木県教育う委員会・(財)とちぎ生涯学習文化財団『権現山遺跡・百目鬼遺跡(本文編Ⅱ)』
栃木県教育う委員会・(財)とちぎ生涯学習文化財団『権現山遺跡・東谷北浦遺跡』


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  1. 2021/07/10(土) 18:16:55|
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宇都宮市 東谷古墳群その6 「車塚古墳群」

宇都宮市「車塚古墳群」1

 今回も「東谷古墳群」に属する支群、ということで、宇都宮市東谷町に所在する「車塚古墳群」の探訪の記録です。
 5基の円墳により形成されている古墳群で、画像はこの中で一番大きな「車塚古墳」を西から見たところです。

 笹塚古墳からは東南東に約500m、松の塚古墳からは約200mほどに位置しており、規模は直径約35メートル、高さ約6メートルの円墳で、画像の木立の中に完存する古墳です。




 ちなみに栃木県内には、壬生町にもかなり大きな「車塚」なる古墳が所在しますが、多くの古墳は、高いところから見ると荷車を倒したかの如く見えることから「車塚」と命名されているそうです。

 壬生町の車塚は大きな横穴式石室が開口していますので、見学したことがないという方にはぜひ一度は訪れてほしい古墳ですが、この東谷の車塚もかなり良好な状態で残されており、周囲の樹木を伐採すれば、墳丘の周囲の周溝の跡もはっきりと確認できるのではないかと思います。


宇都宮市「車塚古墳群」2

 車塚古墳の墳丘の様子です。



 訪れた当日、ご近所の奥様との立ち話にて車塚の話題になりました。
 奥様曰く「今でも墳頂に祠があるわよ。私が案内するから。」ということで、車塚に向かいました。

 「い、いや、お、奥さま、すごいヤブですから」という私の声も届かず、奥さんは全く動じずにヤブを掻き分けてズンズン入っていきます。
 私は「あっああ、ちょ、ちょっとまって、、、」みたいな感じで必死についていきましたが(私はまるっきりへなちょこなんです。)、藪を物ともせずに無事に墳頂部に到達。

 祠が祀られている様子を見学することができました。笑。



 奥様に先導していただかなければ、藪に突入していなかったかもしれませんし、感謝です。


宇都宮市「車塚古墳群」3

 これが車塚古墳の墳頂部の現在の様子です(4年前のですが)。

 実は、吉野益太郎著『今昔雀宮』に「以前は権現様が祀ってあったが現在は祠もない」と書かれているのですが、実際には墳頂部にはちゃんと祠が祀られています。

 これが権現様なのかな?


宇都宮市「車塚古墳群」4


 私が最初にこの古墳群を訪れたのは、もうかれこれ10年以上前でした。

 当時はこの車塚古墳を含む5基すべてがものすごいヤブの中にあり、しかも訪れたのが真夏の夕方で、遠くでは稲光がゴロゴロしている状況の中、無理をせずにあっさりと退散しました。(栃木や群馬の夏の夕立は半端じゃないですからね。笑。)

 その後、いずれ再訪したいと思いながらも6~7年ほどが経過してしまい、4年前にようやく再訪した際には車塚以外の4基の古墳が所在する林(ヤブ)は樹木が伐採され、かつて私の行く手を阻んでいた篠竹がもキレイに刈られて更地となっていました。


 しくったぜ、、、と後悔しても後の祭り。


 古墳群中3基の円墳は、調査後に消滅してしまったようでした。。。


 ご近所にお住いの奥様がこの様子を見ていたそうで、お話をお聞きできたのですが、この1年ほど前に大勢の人がきて発掘調査を行い、調査が終わると4基の古墳のうちの3基は無くなっていたそうです。

 画像は、車塚以外の4基のうちのもっとも南の1基です。

 すでに覆土は取り払われていますが、埋め戻された跡が円形を呈しており、古墳の跡地を確認することができました。


宇都宮市「車塚古墳群」5

 同じく、もっとも南の1基です。

 伐採された木の根の部分の形状から、かつての墳丘の高さを伺うことができます。

 1mほどの、低墳丘な古墳であったようです。



 この地の発掘調査が行われたのは平成27年度から29年度なので、もうすでに調査報告書が刊行されていてもおかしくはないのですが、私は今のところ未見です。

 車塚古墳以外の4基には1号墳から4号墳という名称がつけられているようですが、どれが何号墳なのかは今のところわかりません。。。


宇都宮市「車塚古墳群」6

 南から2基目の古墳。
 やはり埋め戻された円形の跡が見られます。


宇都宮市「車塚古墳群」7

 南から3基目の古墳。
 同じように、残された木の根の部分から、かつての墳丘の高さが偲ばれます。


宇都宮市「車塚古墳群」8
 
 南から3基目の古墳。
 やはり円形の跡が残っています。


 実は、最近近くを通った際に様子を見に行ってみましたが、あらためてものすごい藪となっていました。
 宅地化される様子もなく、なぜ墳丘が削平されてしまったのかは真相不明ですが、いずれは何かが建てられるのでしょうか。。。


宇都宮市「車塚古墳群」9

 唯一墳丘が残る古墳。
 1号墳か2号墳のどちらかかなと思います。。。

 1号墳は埋葬に関係する遺構は検出されませんでしたが、規模は直径24m、高さ2.3mの円墳でありことがわかっています。
 2号墳は直径14m、高さ1mの円墳で、主体部から鉄鏃12点が、周溝から土師器が出土しており、また榛名山二ツ岳火山灰の層が確認されています。
 3号墳からは管玉17点とガラス玉1点が出土しており、これらのことから、いずれの古墳も5世紀末から6世紀初頭に築造されたと考えられています。
 4号墳からも、1号墳同様に埋葬に関係する遺構は検出されなかったようです。

<参考文献>
吉野益太郎『今昔雀宮』
宇都宮市教育委員会『宇都宮の遺跡』
宇都宮市教育委員会『宇都宮市遺跡分布地図』
栃木県教育委員会『栃木県埋蔵文化財保護行政年報39』
栃木県教育委員会『栃木県埋蔵文化財保護行政年報40』
栃木県教育委員会『栃木県埋蔵文化財保護行政年報41』


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  1. 2021/07/05(月) 23:32:13|
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宇都宮市 東谷古墳群その4 「権現塚古墳群」

宇都宮市「権現塚古墳群」1

 今回は、宇都宮市東谷町に所在する「権現塚古墳群」を取り上げてみたいと思います。

 この古墳群は、古来より「東谷十塚」とも呼ばれる「東谷古墳群」に属する古墳群で、2基の円墳の総称です。
 面白いのは、広範囲に分布する「東谷古墳群」と称する古墳群の中に、さらに「権現塚古墳群」や「車塚古墳群」、「原古墳群」といった小古墳群が存在するのですが、これは支群と捉えた方がいいのかもしれません。ただし、主墳とされる前方後円墳「笹塚古墳」には「鶴舞塚古墳」や「糖塚古墳」といった円墳が近接して存在しましたが、ここには「笹塚古墳群」といった名称は存在しないようですし、今後調査が進めば整理が必要かもしれません。
 とりあえず、名称のない古墳が多いと古墳なう的に取り上げにくいので、名称があるといいなあと思っています。笑。

 画像は、南東から見た権現塚古墳群です。
 左が「権現塚」で、右は名称のない古墳です。


宇都宮市「権現塚古墳群」2

 画像は、昨年冬に撮影した権現塚古墳群です。
 1枚目の写真と同じように、左が「権現塚」で右が名称のない古墳です。

 以前の権現塚は墳丘上に猛烈に樹木が生い茂っていたせいか、かなりデカイ古墳だという印象を持っていましたが、近年に樹木が伐採されたようです。

 等身大な印象になりましたね。笑。。。


宇都宮市「権現塚古墳群」3

 権現塚古墳です。

 規模は直径約30m、高さ5mの円墳です。

 権現塚古墳という名称からして、祠が祀られているの出はないかと四方から観察しましたが、樹木は伐採されたものの相変わらずのヤブで、よくわかりませんでした。。。


宇都宮市「権現塚古墳群」4

 権現塚の北側にある無名古墳。

<参考文献>
宇都宮市教育委員会『宇都宮の遺跡』
宇都宮市教育委員会『宇都宮市遺跡分布地図』


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  1. 2021/06/27(日) 03:50:10|
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宇都宮市 東谷古墳群その3 「松の塚古墳」

宇都宮市「松の塚古墳」2


 画像は、宇都宮市東谷町に所在する「松の塚古墳」です。

 宇都宮市の遺跡番号517番、栃木県の遺跡番号4380番に登録されている古墳で、古来より「東谷十塚」と呼ばれる東谷古墳群に属する1基です。

 古墳は、最新の『宇都宮市遺跡分布地図』でも円墳であるとされていますが、帆立貝型前方後円墳であるという説もあり、今のところ墳形ははっきりとしません。

 地元では別名「松の木塚」、また「冑塚」とも呼ばれるように、古墳は二段築成となっているといわれているようですが、墳丘上はかなり激しい藪となっており、残念ながら墳形を表面観察することはできません。。。

宇都宮市「松の塚古墳」1

 昭和17~18年頃、食糧増産の戦時体制の中、この古墳は墳丘西側の8mほどが削平されて開田されています。かつて墳丘裾部であった地点に畦道が残っており、そこまでが古墳であったことがわかります。

 その後、百目鬼遺跡における平成8年度の発掘調査により、古墳周溝北西部の調査が行われており、古墳は3段築成の墳丘で、周溝外側上端での径は約101m、周溝底面から墳頂部までの高さは約6. 7mであることがわかっています。

 画像は、冬に訪れた松の木塚古墳ですが、下草の枯れた冬に見学すると削平された墳丘の断面を見ることができます。


宇都宮市「松の塚古墳」3

 ここが削平された部分ということになります。

 この地域の大塚さんという人は、昔は姓を「福田」と呼んでいたが、福田の姓よりも塚の方が有名になり、敷地内に塚があることにより「塚のある家」とか「大きな塚の家」などと言われたそうです。このため、先代がなんと!福田の姓を「大塚」に改姓したそうで、このエピソードは語り継がれているそうです。

 古墳が密集する東谷ならではの話としてとても興味深いですね。。。


宇都宮市「松の塚古墳」4

 残存する墳丘の測量図を見ると、墳丘の上段が円形であるのに対して下段が方形っぽく見えるので、上円下方墳であるようにも見えるのですが、このあたりは、今後の調査の進展に期待ですね。。。

<参考文献>
吉野益太郎『今昔雀宮』
宇都宮市教育委員会社会教育課『鶴舞塚古墳』
宇都宮市教育委員会『宇都宮の遺跡』
宇都宮市教育委員会『宇都宮市遺跡分布地図』


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  1. 2021/06/25(金) 00:53:30|
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宇都宮市 東谷古墳群その2 「鶴舞塚古墳」と「糖塚古墳」

宇都宮市「鶴舞塚古墳」1

 宇都宮市東谷に所在する東谷古墳群その2、ということで、今回は「鶴舞塚古墳」と「糖塚古墳」の探訪の記録です。

 東谷古墳群は、大型前方後円墳である「笹塚古墳」を中心として十数基の古墳が分布する、宇都宮市内でも屈指の古墳群です。
 今回紹介する「鶴舞塚古墳」と「糖塚古墳」は、笹塚古墳に接して存在した円墳で、残念ながら墳丘は削平されて消滅してしまいましたが、現在でもその痕跡を見ることができます。


 最初の写真は「鶴舞塚古墳」の跡地周辺の様子です。
 水田に周溝の外郭のような形で、畦道が円形に大きく弧を描いており、往時の古墳を偲ぶことができます。

 前回の笹塚古墳の会で紹介した日本武尊の鶴の言い伝えに関係する伝承地で、古墳は大正10年頃までは完存したようですが、現在の上三川街道の建設により墳丘西側が切り崩され、その際に墳丘南半部も削平されて道路の土盛に使用されたそうです。

 昭和20年には、削平された墳丘南半部の宅地化により若干の土取りが行われ、その後の昭和58年、ついに残存する墳丘が家屋の新築に伴い削平され、伝説の鶴舞塚は消滅します。


宇都宮市「鶴舞塚古墳」2

 夏の、鶴舞塚古墳跡地の様子です。
 青々とした稲穂の存在が、周溝に沿って存在する畦道を際立たせます。

 昭和58年には発掘調査が行われましたが、残念ながら埋葬施設はすでに消滅しており、築造時期の推定は難しいようです。
 大正年間の墳丘の削平の際に、墳丘中心部のかなり高い位置から、赤錆びた刀剣の類が固まって出土したことが伝えられており、どうやらこの時期にすでに主体部のほとんどは失われてしまっていたようです。

 興味深いのは、かなり接近した位置に所在する笹塚古墳とこの鶴舞塚古墳との関係です。
 両古墳の周溝は、一部が重複しています。

 笹塚古墳前方部南側の周溝は鶴舞塚古墳の周溝に切られており、笹塚古墳の築造後に鶴舞塚古墳が築造されたことがわかっています。

 東谷古墳群の主墳であろうと考えられる笹塚古墳の周溝を切って築造した、鶴舞塚古墳の被葬者とは一体何者?、ととっても気になるところですが、このあたりは今後の調査の進展によりわかってくるのかもしれません。。。


宇都宮市「鶴舞塚古墳」3
出典:国土地理院ウェブサイト(https://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=216186&isDetail=true)

 画像は、国土地理院ウェブサイトより公開されている、昭和22年10月25日に米軍により撮影された、鶴舞塚古墳の跡地周辺の空中写真です。わかりやすいように跡地周辺を切り取っています。

 画像の中央に見えるのが笹塚古墳で、取り巻く周溝まではっきりと確認することができます。また、その南に隣接する鶴舞塚古墳も、円形に残る墳丘の痕跡と取り巻く周溝がはっきりと写されています。
 当時すでに上三川線が両古墳をぶった切っていますね。笑。

 また、笹塚古墳の北側に隣接する「糠塚」も、小さいですがその形状が確認できます。
 笹塚古墳の南東には、まだ墳丘が削られる以前の「 松ノ塚古墳」の円形の形状が、はっきりと確認できます。

 さらにその東には「権現塚古墳群」の2基の円墳が、さらに東に「車塚古墳」が、笹塚古墳の東には「原古墳群」の2基の円墳が、いずれもはっきりと写されています。

 古墳が群集する地区の空中写真は、見ていて楽しいですね。⸜(*ˊᗜˋ*)⸝ワーイ


宇都宮市「糖塚古墳」1

 もう一箇所、笹塚古墳に近接して存在した「糠塚古墳」の跡地の様子です。

 この古墳は、戦後の農地解放により人手に渡り、倉庫の土盛りに使用するために削平されて、たちまち馬車に積んで運び出されたそうです。

 墳丘からは玉石造りの石槨が確認されており、玉石と粘土で固めたものが出土(粘土槨?)、これを破壊すると、中から尺五寸か二尺ぐらいの鉄拳のくさったものと馬具だと思われるもの、土器などが出土したとされますが、これを報告すると面倒になるということで、関係機関には内緒で片付けられたといわれています。
 したがって、これらの出土品の行方も不明となっているようです。。。

 残念ながら墳丘は削平されて消滅したものの、画像のように円墳の裾部が田んぼのあぜ道として明確に残されており、直径約20m、高さ約3mほどの小さな円墳であったのではないかと想定されています。

<参考文献>
辻光義『歴史の里 雀宮を歩く』
吉野益太郎『今昔雀宮』
宇都宮市教育委員会『宇都宮の遺跡』
宇都宮市教育委員会『宇都宮市遺跡分布地図』


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  1. 2021/06/23(水) 00:31:35|
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