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古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

宇都宮市「伊勢塚」

宇都宮市「伊勢塚」1

 画像は、宇都宮市中岡本町に所在する「伊勢塚」です。
 この塚は、三重県伊勢市に鎮座する伊勢神宮の信仰集団である「伊勢講」が、参宮を記念して何回かに分けて塚を築いていったといわれています。
 伊勢神宮は皇室の信仰を受けて広大な神領を有していましたが、室町時代以降、核豪族の領地吸収によって次第に伊勢神宮の維持が困難になり、祈祷師などが各地に出かけて神礼を配り、初穂料によって経営するようになったそうです。
 結果として各地に伊勢講が組織されていきました。

 言い伝えによれば、この台岡本の伊勢塚は伊勢神宮の参拝の記念に築造されたといわれており、現在は墓地の南西隅にひっそりと残されdています。


宇都宮市「伊勢塚」2

 規模は直径14.2m、高さ5.7mと立派な塚が残存するのですが、なぜか『宇都宮市遺跡分布地図』には登録されていないようです。
 塚の北側の一部は墓地によって削平されているようです。

<参考文献>
河内町『河内ふるさと探訪』


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  1. 2022/07/15(金) 00:02:43|
  2. 宇都宮市の古墳・塚
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宇都宮市「おしどり塚」

宇都宮市「おしどり塚」1

 今回は、宇都宮市一番町に所在したといわれる「おしどり塚」の探訪の記録です。

 宇都宮の市街地の一角に「おしどり塚」と刻まれた石碑が建てられています。この石碑のある路地を南に入った奥に「おしどり塚史跡公園」という公園があり、この敷地内に現在のおしどり塚が存在します。


宇都宮市「おしどり塚」2

 「おしどり塚公園」です。

  鎌倉時代よりも以前のころ、古多橋の北方に求食川 (あさり川) という川があって、この付近を狩場にしている猟師がいたそうです。
 ある日、求食川の水源である求食沼でおしどりのうちの雄鶏を射止めて、首を切り落として家に持ち帰りました。
 そして翌日、同じ場所に雌のおしどりがうずくまっていたので、すぐに射止めて拾い上げると、雌のおしどりは昨日射止めた雄鶏の首を抱えていたそうです。
 長く鳥獣を射止めてきた漁師もさすがに驚き、雌鳥を川岸に手厚く埋葬しました。
 そして、それでも気が咎めた猟師はその後、頭をまるめて仏門に入り、おしどりを埋めた場所に塚を築き、供養のための石碑を建立しました。

 この物語は、無住 (鎌倉後期の禅僧) の著作『沙石集』に、説話「鴛殺事」として掲載されています。


宇都宮市「おしどり塚」3

 現在の塚の様子です。

 『沙石集』の作者である無住法師は梶原景時の孫で、梶原氏滅亡後に五代城主宇都宮景時の妻となった叔母を頼って宇都宮を訪れた時、里人から聞いた話を後年、『沙石集』に収めたという不確かな伝承によるものであるとされています。
 この沙石集に記載の「あそ沼」とは下野国安蘇郡安蘇郷、つまりは現在の佐野市浅沼町にあった安蘇沼であり、仮に無住法師が宇都宮を訪れていたとしても、「あそ沼」を「求食川・求食沼」に解釈するのは無理があるようです。

 ただし、この説話に類似したお話は『古今著聞集』や『今昔物語集』などにもあり、『古今著聞集』では奥州の赤沼の名が見え、『今昔物語集』では鴨の物語となっているそうです。

 元々史実である可能性も低く、求食川周辺におしどり塚伝承地を比定するにも無理があるということのようですが、私としてはこの伝承の由来となるような塚がこの地域に存在したのかどうか、そちらが気になるところかも。。。笑。


宇都宮市「おしどり塚」4

 現在の塚は、昭和63年に公園の整備が行われた際に再建されています。
 塚は、栃木県の遺跡番号3260番、宇都宮市の遺跡番号347番に登録されており、宇都宮市の文化財としても指定されています。


宇都宮市一番町7

 元々の「鴛鴦塚之略記」の石碑の左横に建てられている、明治27年建立の「おしどり塚」の石碑です。


宇都宮市「おしどり塚」5

<参考文献>
塙静夫『うつのみやの歴史再発見』
宇都宮市教育委員会『宇都宮の遺跡』
宇都宮市教育委員会『宇都宮市遺跡分布地図』


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  1. 2022/07/13(水) 23:08:38|
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宇都宮市「観音塚古墳」

176 3196 観音塚古墳1

 画像は、宇都宮市鶴田町に所在する「観音塚古墳」です。
 栃木県の遺跡番号3196番、宇都宮市の遺跡番号176番に登録されている古墳で、姿川第二小学校の北側の田圃の中に残存します。


176 3196 観音塚古墳2

 1枚目の写真は冬。2枚目は春の写真です。
 田植えが始まっていますね。。。
 規模は、南北14m、東西8mの塚で、高さは2mほどです。
 立地的には、古墳かな?とも思える塚ですが、古墳なのかな。。。


176 3196 観音塚古墳3

 再び冬の写真で、南東から見たところです。。。


176 3196 観音塚古墳4

 墳丘上には、真新しい千手観音の像が安置されています。

<参考文献>
宇都宮市教育委員会『宇都宮の遺跡』
宇都宮市教育委員会『宇都宮市遺跡分布地図』


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  1. 2022/07/11(月) 23:57:42|
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宇都宮市「羽下薬師堂裏古墳」

147 3167 羽下薬師堂裏古墳1

 画像は、宇都宮市駒生町にある「羽下薬師堂」です。

 はかつて、宇都宮市指定文化財でもある薬師如来が安置されていたというお堂で、この境内には「羽下薬師堂裏古墳」と称する古墳が存在します。


147 3167 羽下薬師堂裏古墳2

 石段を登ったところが羽下薬師堂です。

 この石段は段丘縁辺部に造られており、この傾斜が古墳の墳丘というわけではなさそうです。
 さらに進みます。


147 3167 羽下薬師堂裏古墳3

 羽下薬師堂のお堂です。

 お堂の背後、北側が若干小高くなっているのですが、これが古墳の痕跡なのでしょうか。。。


147 3167 羽下薬師堂裏古墳5

 多気山南麓から延びる台地の東南端に立地しており、すぐ東側を赤川の支流が南流しています。

 宇都宮市西部には比較的古墳の分布が希薄であるとされる中、赤川を挟んだ対岸の丘陵上には「天神台古墳」、「宗円塚古墳群」、「上の原古墳群」が分布しています。
 『宇都宮の遺跡』による羽下薬師堂裏古墳の規模は、径約9m、高さ1.5mとされているのですが、お堂の周囲に残る高まりが古墳であるとすればもっと大きな古墳であったと想定できます。

 『宇都宮の遺跡』にある規模からすると、この高まりが古墳というわけではないのかも。。。


147 3167 羽下薬師堂裏古墳6

 高まりの上は墓地となっています。
 『宇都宮の遺跡』には「墳頂部が削られて河原石が散乱しており横穴式石室の石と考えられる。」と書かれているのですが、この河原石がどこにあるのかを深追いできませんでした。。。

<参考文献>
宇都宮市教育委員会『宇都宮の遺跡』
宇都宮市教育委員会『上の原古墳群・向山根遺跡・二ケ山遺跡』
宇都宮市教育委員会『宇都宮市遺跡分布地図』


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  1. 2022/07/10(日) 20:45:41|
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宇都宮市「宗円塚古墳群」

146 3166 宗円塚古墳群の塚群

 今回は前回の続き。
 宇都宮市下荒針町に所在する「宗円塚古墳群」の探訪記録です。

 同じ丘陵上に地続きで存在する上の原古墳群と宗円塚古墳群は、同一の古墳群と捉えてもいいのではないか?ともいわれているようですが、分布図を見ると、両古墳群の間は谷で区切られたようになっていて少々距離もあるようなので、やはり別々の古墳群なのではないか、とも感じます。

 わからないことが多かったのはこの宗円塚古墳群のほうで、平成29年に宇都宮市教育委員会より発行された『宇都宮市遺跡分布地図』には宇都宮市の遺跡番号146番に登録されていますが、名称は「宗円塚古墳群」としながらも、備考欄には「古墳4基、高塚10基」とあり、時代も「古墳・近世」、種別も「古墳・塚」と書かれています。
 つまり、近世の塚と古墳がまとめて「古墳群」として登録されているという状況です。

 分布図を確認すると、宗円塚古墳群は南東から北西にかけて細長く分布しています。(番号は栃木県の遺跡番号で、3166番が宗円塚古墳群、3165番が天神山古墳です。)

 『上の原古墳群・向山根遺跡・二ケ山遺跡』という報告書の分布図と照らし合わせると、南東側に点在する4基が元々宗円塚古墳群と呼ばれた古墳群であり、北西側に直線的に並ぶ10基が高塚群であるようです。

 前回、同じ丘陵上に存在する「天神山古墳」を紹介しましたが、そこからさらに東に向かうと、まず10基の塚群が見えてくるはずです。
 ここはやっぱり自分の目で確認しなきゃね!


146 3166 宗円塚古墳群の塚群2

 わかるでしょうか。
 画像の左手前から右奥にかけて、小さな塚が直線的に並んでいます。

 昭和58年発刊の『宇都宮の遺跡』には、「 (宗円塚古墳群) の地点からさらに北にのぼると径3〜4m高さ1.5mほどの高塚が、約20基ほど南北にならんでおり、供養塚と考えられる。」と書かれています。
 『宇都宮市遺跡分布地図』では「高塚10基」とあり、塚の数は減ってしまっているようですが、現状はこの『宇都宮市遺跡分布地図』の記述が正しいように思います。

 実際に現地で見学した印象は、ひょっとしたら十三塚ではないか?とも感じますが、真相は不明。(そもそも私も、完存する十三塚をまだ見たことかがないのですが、こうした2列に並ぶ十三塚も存在するらしいですよね。。。)

 ってか、やっぱり古墳群に塚が含まれているのは、違和感があるなあ。。。


146 3166 宗円塚古墳群の塚群1

 これは塚群のうちの、比較的大きな1基。
 これぐらいの大きさがあると古墳っぽくも見えてしまいます。。。


146 3166 宗円塚古墳群 西から1

 ここからが古墳となります。
 画像は、4基の古墳のうちのもっとも北側の1基。
 良好に残されているようです。


146 3166 宗円塚古墳群 西から2

 北側から2基目の古墳。


146 3166 宗円塚古墳群 西から3

 北側から3基目の古墳。
 楕円形っぽい形状で残されています。


146 3166 宗円塚古墳群 西から41

 これが「宗円塚」と呼ばれる古墳です。
 古墳群中もっとも南に位置しており、規模は径約18m、高さ3mと古墳群中最大です。


 この塚の名称の由来である「藤原宗円」とは、平安時代から安土桃山時代までの約550年間、宇都宮の城主として活躍した宇都宮氏の祖となる人物です。
 一条天皇の摂政だった藤原兼家の次男である道兼の孫、兼房の次男といわれており、日光山輪王寺の座主や宇都宮の神社寺院をとりしきり、その勢力は下野国だけでなく常陸 (現在の茨城県) まで及んだといわれています。

 この、藤原宗円の墓といわれている場所は宇都宮市内に二ヶ所あり、一ヶ所は新里町日枝神社正面にあるオカザキ山と呼ばれているところで、もう一ヶ所がこの下荒針町の山中にある宗円塚です。
 ただし、この宗円塚が古墳であれば、当然ながら宗円が死んだ年代とは千年程の開きが出てきます。(宗円は天永2年(1111)に69才、または79才出なくなったと伝えられています。)

 埋葬塚ではなく供養塚のような類であるならともかく、宗円ほどの人物を、元々あった古墳を流用してそこに埋葬するというのはちょっと考えにくいように感じます。

 宗円の伝説はあくまで史実ではなく、塚は古墳なのではないかとも感じますが、真相は、今後の学術的な調査の進展をまたなければなりません。。。


146 3166 宗円塚古墳群 西から42

 この宗円塚古墳群の散策にあたっては、最も北にある天神山古墳を始めとして南に向かって歩いてきましたので、この宗円塚古墳を最後に見学しました。

 当日は、4基中のうちのどの古墳が宗円塚なのかを把握せずに見学したのですが、最後にこの塚にたどり着いた時、急に雲の合間から陽がさして古墳を照らしました。
 まるで後光が差したかのようなその光景に感動して、「うわ、、、絶対ここが宗円塚だよ」と感じたのですが、帰宅して資料を確認してみたら、やっぱりここが宗円塚でした。

 たくさん古墳を巡っているとね。
 けっこうたま〜にそういうことが起こるんですよね。。。

<参考文献>
宇都宮市教育委員会『宇都宮の旧跡』
宇都宮市教育委員会『宇都宮の遺跡』
宇都宮市教育委員会『上の原古墳群・向山根遺跡・二ケ山遺跡』
宇都宮市教育委員会『宇都宮市遺跡分布地図』


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  1. 2022/07/09(土) 20:51:08|
  2. 宇都宮市の古墳・塚
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宇都宮市「天神台古墳」

491 3165 天神台古墳1

 さて、前回は宇都宮市大谷町所在の「上の原古墳群」を取り上げましたが、今回は、同じ丘陵上の続きに存在しているという「天神大古墳」と「宗円塚古墳群」を2回に分けて取り上げます。

 上の原古墳群を見学した当時は、当然ながら宗円塚古墳群も見学するつもりでした。地続きなのだし、丘陵上を歩いてすぐ着くだろうと甘く考えていましたが、東電の施設に阻まれて道はなく、仕方がないので丘陵の裾を北側からまわりこむように向かいましたが山を登る道も見つからず、日が暮れてきて断念するという体たらくでした。。。

 その後、Googleマップ等で予習もして、おそらく西側の道から山に入れるだろう!ということで、あらためて宗円塚古墳群に向かいました。


491 3165 天神台古墳2

 1枚目の画像の道を東へ進むと、やがて未舗装の道となりますが、先に進めます。


491 3165 天神台古墳3

 さらに進みます。(ちなみにこのあたりまでは車で来ることも可能かもしれませんが、結局停める場所がないので、車はどこかに停めて徒歩で向かうのが無難ですね。私はこのあたりまで自転車できて、この先は歩きました。)


491 3165 天神台古墳4

 右側に祠が。。。
 特に塚の上に祀られているわけでもなさそうです。。。


491 3165 天神台古墳5

 やがて鳥居が見えてきます。
 お!ここかな?

491 3165 天神台古墳6

 塚らしき景観は確認できません。。。
 ここじゃないかな。。。


491 3165 天神台古墳7

 鳥居の奥に祀られている祠です。
 「天神台」というからには、山のどこかに天神様が祀られているのかな?とは妄想しましたが、それがここなのかどうかは不明。。。


491 3165 天神台古墳8

 倒れてきた木が石の鳥居を直撃した、という状況でしょうか。。。
 近年は巨大台風や激しいゲリラ豪雨も少なくないですし、古墳散策のために山林に突入すると、どこも少々荒れてきている印象はありますね。
 気をつけないと。。。


491 3165 天神台古墳9

 さらに進みました。
 もう天神台古墳は近いはず。
 この先の左手に所在します。


491 3165 天神台古墳10

 これが天神台古墳です!

 昭和58年発刊の『宇都宮の遺跡』にはこの古墳は掲載されていないので、おそらく当時は北側の塚群のうちの1基、と考えられていたのかもしれません。

 宇都宮市教育委員会に発行された『宇都宮市遺跡分布地図』では古墳でとして登録はされているものの、宗円塚古墳群には含まれない古墳とされているようですが、古墳群や塚群とは多少距離があるようですので、単独墳であると考えられているのかもしれません。


491 3165 天神台古墳11

 同じく天神台古墳。
 墳丘周囲にもかなり倒木が見られますし、やはり山林内は気をつけないといかんですな。。。
 次回、「宗円塚古墳群」に続きます。。。

<参考文献>
宇都宮市教育委員会『宇都宮の遺跡』
宇都宮市教育委員会『宇都宮市遺跡分布地図』


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  1. 2022/07/08(金) 20:39:20|
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宇都宮市「上の原古墳群」

上の原古墳群1号墳

 今回は、宇都宮市大谷町に所在する「上の原古墳群」の探訪の記録です。

 この古墳群は、比較的古墳の分布が希薄であるとされる宇都宮西部に位置しており、残存する7基の古墳により構成されています。

 昭和55年、この上の原古墳群の所在地に東京電力により変電所が新設されることとなります。
 これにより、当初は1号墳、2号墳という2基の古墳は消失する可能性があったようですが、東電が変電所敷地を買い足すとともに計画を一部変更。古墳は現状保存されることとなりました。

 画像は、この1号墳を南西から見たところです。


上の原古墳群1号墳2

 1号墳前に設置された説明板には次のように書かれています。

 上の原一号墳
 上の原古墳群には、現在七つの円墳がありますが、
この一号墳は一番規模が大きなものです。
 本墳は、径約二十五、高さ約一・五メートルで宇
都宮市西部地区では最大級の円墳です。
 この一号墳は、発掘調査をしていませんので築か
れた時期はよくわかりませんが、七世紀前後ではな
いかと推定されています。
 なお、本墳の墳丘は宇都宮市教育委員会の指導を
得て、東京電力株式会社栃木支店によって復元した
ものです。
 また、復元前の一号墳の様子は上図の通りで、南
東部には盗掘の跡がありました。
           東京電力株式会社栃木支店
           宇都宮市教育委員会
           ー昭和五十九年七月・建ー



上の原古墳群2号墳2

上の原古墳群2号墳1

 2号墳です。

 墳丘上とその周囲は整備されて芝が刈られているので、大きく改変されているようではあるものの、その改変された様子も含めて見学しやすいです。


上の原古墳群3号墳

 3号墳です。
 整備された区域の南側の山林内に所在します。
 冬でも草ボウボウなので表面観察には厳しい状況ですが、高まりははっきりと確認できます。。。


上の原古墳群4号墳

 4号墳はここ。
 最も藪が深い古墳で、ボウボウの草の中にかすかに墳丘を目視はできるものの、古墳の全貌を写真に収めるのは不可能な状況でした。。。


上の原古墳群5号墳

 5号墳。
 この古墳も藪の中にありますが、意を決して突入してみると藪の中は意外と視界が広い状況。
 なんとか古墳の全貌を捉えることができました。。。


上の原古墳群6号墳

 6号墳です。
 南側以外の3方の墳丘を大きく削られています。

 ちなみにこの古墳の北側からは、昭和59年に畑を深く耕作した際に古墳の石室が発見され、調査が行われました。
 8号墳と命名されたこの古墳は、径約17mほどの円墳で、7世紀代に築造されたと推定されており、主体部は南に開口する半地下式の横穴式石室です。


上の原古墳群7号墳

 7号墳。

 ここ。比較的見学しやすい古墳群であると思います。
 古墳巡りを始めて、史跡公園等の整備された古墳を見飽きた人は、次はこんな感じの古墳群が良きですよね。

 ただし、問題は藪古墳ですな。
 そこに突入するかしないかでしょ。(普通しないだろ。)

<参考文献>
宇都宮市教育委員会『上の原古墳群・向山根遺跡・二ケ山遺跡』
宇都宮市教育委員会『上の原8号墳』
宇都宮市教育委員会『宇都宮の遺跡』
宇都宮市教育委員会『宇都宮市遺跡分布地図』


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  1. 2022/07/07(木) 19:20:14|
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宇都宮市「湯殿山神社」と「城南3丁目遺跡」

宇都宮市「城南3丁目遺跡」1

 画像は、宇都宮市城南3丁目所在の「湯殿山神社」です。

 2年ほど前になりますが、田川右岸の台地縁辺部に古墳が集中していると感じて、「本村古墳群」のある宇都宮市西原町あたりから「茂原古墳群」のある茂原町あたりまで、段丘沿いを自転車でぼんやり流してみました。
 そこで出会ったのがこの神社です。

 主祭神は大山祗命で、創始年代は不詳とされています。
 明治以前には大日如来が祀られており、村民は「大日様」と読んで信仰したそうですが、現在は大日如来像は残っていないそうです。


宇都宮市「城南3丁目遺跡」3

 社殿の様子、北東から見たところです。

 なぜこの神社を取り上げたかというと、境内がなんとなく円形の塚の頂部を削って造ったかのような形状をしていて、ひょっとしたら古墳の跡ではないだろうか?とおおいに疑いました。

 この神社が古墳跡であるとする文献は今のところ発見できていませんが、神社の背後 (東側) の「城南3丁目遺跡」からはなんと2基の円墳の周溝が発見されていることがわかりました。

 あながち私の妄想も的外れではないのかもしれないと思っています。(いや、的外れである可能性も相当なものですな。。。)


宇都宮市「城南3丁目遺跡」2

 南東から見たところ。
 なんとなく塚状に高くなっている様子がわかるでしょうか。
 怪しい。。。


宇都宮市「城南3丁目遺跡」4

 境内の様子です。
 わずかではありますが、円形に高まっています。
 怪しい。。。


宇都宮市「城南3丁目遺跡」5

 ほらね。
 怪しい。。。


宇都宮市「城南3丁目遺跡」6

 ほらね。
 怪しい。。。


宇都宮市「城南3丁目遺跡」7

 湯殿山神社の背後、スケート場の敷地は「城南3丁目遺跡」として登録されており、ここから2基の古墳の周溝が検出されています。
 かつて御本丸公園にあったスケート場が城南3丁目に移転されたもので、この移転に先立ち、平成4年6月24日から26日の2日間において遺跡の確認調査が、また翌平成5年1月11日から5月31日にかけては本調査が行われました。

 1号墳は東西12.9m、南北11.7mの円墳で、墳丘は削平されて現存しなかったものの、もともと低墳丘であったと考えられています。

 埋葬施設は2基確認され、古墳の築造は5世紀末であると推定されています。
 また、調査区域西端からは2号墳の周溝の一部が確認されています。

 ね。湯殿山神社、怪しいと思うでしょ。笑。


城南3丁目遺跡近くのふざけた地形1

 今回もっとも気になった案件はこれ。
 もはや2年以上前の話になりますが、JR宇都宮線にて宇都宮駅から東京に向かう車窓より、上円下方墳を発見。
 翌日にすぐさま現地に直行、写真に収めたという状況です。

 『宇都宮市遺跡分布地図』にも載っていない新発見の上円下方墳だし、やべぇよこりゃ。。。
 いや、密かに地球を訪れている宇宙人の乗り物かもしれないし!


城南3丁目遺跡近くのふざけた地形2

 近寄ってみたところ。
 い、いったいどんな人が埋葬されているんだらう。
 ああ。興奮しすぎて気持ち悪くなってきた。。。
 
<参考文献>
宇都宮市教育委員会『宇都宮の遺跡』
宇都宮市教育委員会『宇都宮市遺跡分布地図』
宇都宮市教育委員会文化課『城南3丁目遺跡』


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  1. 2022/07/05(火) 23:08:01|
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宇都宮市「牛塚古墳」

宇都宮市「雀宮牛塚古墳」1

 「牛塚古墳」は、宇都宮市新富町に所在したとされる古墳です。

 この古墳の調査は文政7年、明治10年、昭和44年の計3度行われているそうです。
 明治初年の東北本線敷設工事により、墳丘は大きく削り取られ、その後の明治10年に発掘された当時の記録によると、周囲は百間ほどで古墳の周囲には濠があり、広大なものであったといわれています。

 大正2年の東北本線複線化工事により、墳丘の約半分を残すのみとなっていた牛塚古墳は、昭和44年に墳丘図上復元のためという発掘調査が行われており、規模は全長56.7m、後円部径39m、前方部長17.7m、前方部幅17.7mという帆立貝型前方後円墳であることがわかっています。

 木棺の木片が出土したことから、埋葬施設は木棺直葬であると推定されています。


宇都宮市「雀宮牛塚古墳」2

宇都宮市「雀宮牛塚古墳」5

宇都宮市「雀宮牛塚古墳」6

宇都宮市「雀宮牛塚古墳」7

 残された雀宮牛塚古墳の天井石?と思われる巨石です。
 現在の新富町17番地の墓地内の一角に保存されています。

 古墳からは、明治10年の発掘により鏡や勾玉、土器、刀や鏃、鈴などが出土して大きな話題となりました。
 これらの出土品や塚の規模からして、雀宮神社の祭神である御諸別王となんらかの関係がある墳墓ではないか?ともいわれたようですが、真相はわかりません。

 ちなみに一昨日、7月2日の『古墳なう』で取り上げた「綾女塚古墳」の中で雀宮神社についても触れました。
 昭和45年発行の徳田浩淳氏著『宇都宮の歴史』に書かれている「ここは豊城入彦命の御東征に従った豪族の古墳(大人塚)といわれている。」という記事を紹介しました。
 大人塚とはこの雀宮牛塚古墳のことで、慶長16年に「大人塚(うしづか) 」と呼ばれていたことを示す古文書が残っているそうです。

 雀宮神社が古墳の跡地であるという説はやはり誤りではないかと感じます。。。


宇都宮市「雀宮牛塚古墳」3

 残骸を晒していた牛塚古墳は、昭和44年に行われた最後の調査ののち、昭和48年頃についにブルドーザーの手にかかり、完全に削平されて整地されてしまいます。
 その後、跡地は共同墓地として個人に払い下げとなり、しばらくはこの巨石のみが風雨にさらされていたそうです。

 まあ、状況は現在もあまり変わらず雨晒しのままなわけで、近年のゲリラ豪雨により大粒の雨があたり、さらには真夏の直射日光までもがあたれば風化も進むなあとか、少々心が痛くなります。。。

 せめて説明板を設置するとか、できることがありそうな気もするのですが。
 ま。なかなか難しいでしょうね。

 画像は10年ぐらい前の同じ場所の写真なのですが、この頃はまだ屋根があって、しめ縄が飾られていたりしました。。。


宇都宮市「雀宮牛塚古墳」4

 雀宮駅南の踏切に「牛塚」の名称が残されています。

<参考文献>
宇都宮市教育委員会『宇都宮の遺跡』
宇都宮市教育委員会『宇都宮市遺跡分布地図』


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  1. 2022/07/04(月) 18:27:42|
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宇都宮市「十里木古墳 (観音北古墳) 」

宇都宮市「十里木古墳」1

 今回は、宇都宮市雀の宮2丁目に所在する「十里木古墳」の探訪の記録です。

 別名「観音北古墳」とも呼ばれるこの古墳の墳形は、前方後円墳であったといわれています。
 現在は古墳の盛土は剥ぎ取られ、石槨のみが民家の敷地内に残されているという状況です。

 現在の国道4号線上に後円部が、民家の敷地内に前方部があり、全長は30~40mほど、高さは3~4mほどもあったといわれています。


宇都宮市「十里木古墳」2

 古い郷土史本によると、古墳の覆土を取り除く際、土工の人たちが掘って行くとやがて硬いものに突き当たり、これをさらに丁寧に掘って行くと玉石を積み固めた小山であることがわかりました。
 さらに玉石を取り除くと今度は白い粘土で固められたものが見えました。この粘土も取り除くと、ようやく現在見られる大谷石製の石槨が露出したそうです。


宇都宮市「十里木古墳」3

 近隣に所在した「綾女塚古墳」からはかつて人物埴輪などが出土しており、また雀の宮神社も近いことから、地元の人はこの古墳が貴人の墓で、必ず何か出土するはずだと期待して、大勢が見学に訪れたそうです。
 厚さ約40cmほどの平石(切石)が用いられて造られた石槨は、高さ約70cm、幅約1m、奥行1.8mと小型で、中には石棺がなく、床には玉砂利がぎっしりと敷き詰められていたそうです。

 確かに、実際にこの石槨を見学してみると、事前に想像するよりも小型な印象ですね、、、


宇都宮市「十里木古墳」5


 工事の際には玉類や剣などが出土し、金環とともに一体の人骨も出土したそうです。
 人骨が出土したことにより、土地の所有者は屋敷の敷地内に塚をつくり、出土した人骨や遺物を一緒に埋めて祠を建て、懇ろに供養したそうです。

 この供養した日が神武天皇祭の日であったことから、この日を例祭として、近所の人達が集まって赤飯を炊いたり、お祈りを続けているそうです。

宇都宮市「十里木古墳」6

 墳丘を覆っていた盛土はすべて取り払われてしまっているのですが、供養のための塚がすぐ横に造られているのが面白いなと思います。
 完全に削平されてからあらためて土を盛ったのか、それとも古墳の残存部分なのか、とても興味深いです。。。


宇都宮市「十里木古墳」4

 この古墳の前を通る国道4号線 (日光街道) が、この古墳のところで「く」の字に折れ曲がっている景観はとても印象的です。
 往時の前方後円墳が道行く人たちの道標になっていたと妄想すると、ワクワクしますね。。。

 現在この国道4号線は拡張工事の真っ最中です。
 おそらく、、、そう遠くない日にこの石槨や祠は消滅してしまうと思います。
 宇都宮は、文化財の保護や活用、という点ではあまり意識の高い地域ではないように感じますし (少なくともお隣の群馬県とは、同じ北関東であるにもかかわらずえらい違いです) 、少なくとも元位置に残される可能性は少なそうです。
 せめてどこかに移設されて残されるといいのですが。。。

 古墳の石槨は、土地の所有者の方に声をかけて見学させていただきました。
 ありがとうございました。

<参考文献>
吉野益太郎『今昔雀宮』
宇都宮市教育委員会『宇都宮の遺跡』
宇都宮市教育委員会『宇都宮市遺跡分布地図』


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  1. 2022/07/03(日) 18:01:27|
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