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古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

下砥上古墳群その4「下砥上愛宕塚古墳」

185 3201「下砥上愛宕塚古墳」1

 画像は、宇都宮市下砥上町に所在するに所在する「下砥上愛宕塚古墳」です。

 姿川左岸の低丘陵上に立地しており、下砥上中通り沿いの西側の畑中に残る古墳です。残存する古墳の形状から現状は円墳であると考えられており、墳丘上には下砥上の鎮守である砥上神社が祀られています。

 『宇都宮の遺跡』や『宇都宮市遺跡分布地図』によると、この古墳は「下砥上古墳群」には属さない単独の古墳として扱われており、下砥上愛宕塚古墳は宇都宮市の遺跡番号185番に、3基の古墳で形成される「下砥上古墳群」は同187番に、別々に登録されています。
 ただし、この愛宕塚古墳も下砥上古墳群に属するものとして書かれている文献もあり、このあたりの真相はよくわかりませんでしたが、4基ともに同じ姿川左岸の台地縁辺部に並ぶように存在しています。

 では早速、古墳を見学してみましょう。


185 3201「下砥上愛宕塚古墳」3

 まずは神社に参拝しましょう。
 この愛宕塚古墳の墳丘上には「砥上神社」が鎮座しています。

 「愛宕塚」が名称ですので愛宕神社が祀られているのかと思いきや、墳丘上に祀られているのは「砥上神社」で、不思議なことに古墳名と神社名が一致していません。
 これをあとで調べてみて色々わかってきました。

 『栃木県神社誌』によると、元々は「星宮神社」と称する神社であったようですが、明治2年4月に、当時行われた神仏分離により砥上神社と改称されています。星宮神社は虚空蔵菩薩を祀っていましたが、神仏分離の際に「仏」としての姿を拭い去る、という理由で岩析根析神を祭神として併せて砥上神社と改称したということです。(当時のこの神仏分離という企画は、少々無理があったように感じますね。。。)

 この砥上神社は往古の十神を祭祀した十社のうちの下の宮で、神域は愛宕塚の西側の姿川寄りの水田の中に位していたといわれ、その後、明治44年12月に愛宕塚上に移転して、そこにあった愛宕神社に合祀して砥上神社と呼称するようになりました。
 地元の砥上自治会には、明治44年の姿川村長宛の合併許可願い書が残されているそうですが、この許可願いには愛宕塚古墳のあるところが風致上優秀で、かつ旧来の星宮神社からも距離が近く集落からあまり離れていなかったことが書かれているそうです。

 私はあまり詳しくはありませんが、愛宕塚古墳の築造された場所が風致上優秀であるという記述はとても興味深いです。。。


185 3201「下砥上愛宕塚古墳」4

 南東から見た古墳の様子です。
 墳丘はかなり良好に残されているように感じられます。

 規模は直径約25m、高さ5mで、埴輪や葺石当の外部施設は確認されていないようです。
 墳丘南面に横穴式石室が開口しており、内部を見学することができます。


185 3201「下砥上愛宕塚古墳」5

 神社の拝殿を南から見たところ。
 古墳はこの背後にあります。


185 3201「下砥上愛宕塚古墳」6

 墳丘の様子。


185 3201「下砥上愛宕塚古墳」7

 墳丘の裾のあたりには、姿川地区まちづくり協議会による説明板が建てられています。

 この古墳を最初に訪れた時に、「石室内部に人が暮らしていた痕跡がある」みたいなことが書かれている説明板を見た記憶があります。(当時は写真を撮っておかなかったらしく、記録が残っていなくてちょっと曖昧です。)

 仕事もなく住む家もなくなってしまった際に一時的に古墳の石室内で暮らすというのは、とりあえず目先の雨風はしのげるかもしれないので悪くないアイデアなのかもしれません。ただ、夏は虫がすごいだろうし(いろいろヤバいのが侵入してきそう)、梅雨時や秋の台風シーズンには水が流れ込んでくることもあるかもしれないし、家賃はかからないなりに大変ですよね。

 うーむ。石室かあ。。。


185 3201「下砥上愛宕塚古墳」8

 墳頂部の様子。
 直径約5mほどの平坦地となっており、お堂が建てられています。


185 3201「下砥上愛宕塚古墳」9

 画像に見える、拝殿と古墳の間のわずかな隙間を入っていくと、石室が開口しています。

 石室の見学がメインイベントですからね。
 早速見学しましょう!


185 3201「下砥上愛宕塚古墳」10

 ここが入り口。
 石室は墳丘の下から三分の一ほどの位置に開口しており、すでに巨大な天井石が見えています。

 木製の扉が設置されていますが、施錠はされている様子はなく、内部は見学できるようです。
 え狭い入り口が落ち葉で埋没しているようですが、突入します。


185 3201「下砥上愛宕塚古墳」11

 石室内部の様子です。

 説明板によると、石室は玄室と羨道からなり、切石積みの両袖型の横穴式石室で全長は4.95m、玄室は長さ3.65m、幅1.85m、高さ1.9mの大きさです。
 奥壁は大きな凝灰岩の切石一枚を用い、両側の壁は二段積みの大きな切石を用いています。

 実は、この石室内でカメラのフラッシュが使えずに「あれ?フラッシュはどうやったっけ?」ということになりました。
 カメラの設定を変えるために明かりが欲しくなってスマホのライトをつけようとしたのですが、これもやり方がすぐに思い出せず、「あれ?スマホのライトはどうやったっけ?」となりました。

 無理やり入った狭い石室の暗闇の中で独りだったので、かなり焦りましたが、どうも石室内で暮らすのは私には無理かもしれません。。。


185 3201「下砥上愛宕塚古墳」12

 天井石は二枚の切石で覆われています。
 羨道は長さ1.3m、両側の壁はやや小さい凝灰岩の切石を2~3段に積んでいます。

<参考文献>
早乙女覺『姿川村史』
塙 静夫『日曜散歩 うつのみやの歴史再発見』
宇都宮市教育委員会『宇都宮の遺跡』
宇都宮市教育委員会『宇都宮市遺跡分布地図』


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  1. 2021/03/08(月) 18:07:51|
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下砥上古墳群その2「下砥上1号墳・姿川中央小敷地内古墳」

187 3203 下砥上古墳群2「下砥上1号墳・姿川中央小敷地内古墳」1

 前回に引き続き「下砥上古墳群」シリーズということで、今回はその2。
 姿川中央小学校の校内に保存されている「下砥上1号墳」の探訪の記録です。

 この古墳は明治27年(1894)、姿川中央小学校の前身である姿川尋常高等小学校創立における校庭の整地の際に発見、発掘されています。それまでは、人目につかない山林の中の無名の古墳だったようです。
 その際に出土した刀剣などの遺物は、同校に保管されていたそうです。

 その後、平成11年5月に発掘調査が行われ、凝灰岩で造られた横穴式石室が確認されています。石室の規模は、長さ4.5m、幅1.1m、深さ1.5mで、石室の構造や出土品から、古墳は6世紀後半に築造されたと推定されているようです。

 画像は、現在の下砥上1号墳のようすです。
 姿川中央小学校の校庭の東端に、柵が巡らされた中に横穴式石室が保存されており、姿川中央小学校による説明板が設置されています。


187 3203 下砥上古墳群2「下砥上1号墳・姿川中央小敷地内古墳」2

 説明板には次のように書かれています。

 下砥上一号墳
 この古墳は、明治二十七年、本校が姿川尋常高等小学校として
創設された際に、校庭の整地によって発見されたものです。この
時、刀や土器などが出土したと言われていますが、その後古墳は
丁寧に埋め戻されるとともに、石碑と柵が設けられ、学校の文化
財として大切に保管されてきました。
 平成十一年、校庭の整備事業に伴い、改めてこの古墳が発掘調
査されました。この調査では、全長5m近い横穴式石室の様子が
明らかになり、中から轡(馬具)や耳環(イヤリング)などが発
見されました。また、北側で堀の一部が確認され、この古墳がお
そらく直径20mほどの円墳であったことも推定されました。
 以上のようなことから、この古墳は、古墳時代後期の7世紀ご
ろ、この地域を治めていた人物が葬られた墓であると考えられま
す。
             平成二十四年三月 姿川中央小学校




187 3203 下砥上古墳群2「下砥上1号墳・姿川中央小敷地内古墳」3

 策の中の様子です。
 石室の天井に使われた大谷石が露出した状態で公開されています。

 古墳時代後期には、横穴式石室に大谷石が盛んに使われるようになり、これは上流の大谷地区から姿川を利用して運んだものと考えられているそうです。

 よく晴れた週末に、学校の職員の方に声をかけて見学させていただきました。
 ありがとうございました。。。

<参考文献>
早乙女覺『姿川村史』
宇都宮市教育委員会『宇都宮の遺跡』
宇都宮市教育委員会文化課文化財保護係『宇陽ぷれす 創刊号』
宇都宮市教育委員会『宇都宮市遺跡分布地図』


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  1. 2021/03/06(土) 23:25:49|
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下砥上古墳群その1「鶴塚古墳」

下砥上古墳群「鶴塚古墳」1

 画像は、宇都宮市下砥上町に所在する「鶴塚古墳」を東からみたところです。

 鶴塚古墳は、「下砥上古墳群」を形成する残存する3基の古墳のうちの1基で、古墳群中最も著名な存在です。規模は直径約19m、高さ約2.5mで、円墳とされています。

 この古墳、以前は鬱蒼としたものすごい藪だったのですが、近年になって一部の樹木が伐採され、冬であれば墳形が判別できるようになりました。


下砥上古墳群「鶴塚古墳」3

 これ、初めて見学に訪れた時の写真です。
 真夏だったこともあってものすごい藪です。笑。

 これはこれでむしろ大古墳っぽい風情があって見た目は嫌いではなかったですが、やはり墳丘に登ろうとするとスズメバチやヘビに追われ、また顔に貼りつく蜘蛛の巣やセミにひっかけられる小便にやられて消耗することになります。

 やっぱりある程度は人の手が入っている古墳が望ましいかもですね。。。


下砥上古墳群「鶴塚古墳」2

 田んぼのあぜ道を失礼して、古墳に近づいてみました。

 古墳の裾には「鶴塚古墳 正一位稲荷大明神」の石碑が建てられています。
 「古よりこの地を護る鶴塚古墳 合わせる両手に熱をおぼえる」と刻まれていました。


下砥上古墳群「鶴塚古墳」4

 墳丘には石段が設けられています。
 以前は鳥居が建てられていたようなのですが、現在は崩壊して地面に散らばってしまっています。やはり、311の地震によるものでしょうか?
 最近も大きな揺れの地震がありましたし、用心しないといけませんね。。。


下砥上古墳群「鶴塚古墳」5

 墳頂部の様子です。
 石の祠が祀られています。


下砥上古墳群「鶴塚古墳南方の様子」7
 
 昭和34年に発行された『姿川村史』によると、当時の鶴塚の南方の畑中には開墾により半壊となった古墳跡が残されており、また整地されて消滅してしまった小円墳の存在についても記されています。
 戦後の空中写真で確認すると、確かに畑の中に古墳跡ではないかと考えられる木立が見られるのですが、現在その痕跡はすでになく、古墳は消滅してしまったようです。。。

<参考文献>
早乙女覺『姿川村史』
宇都宮市教育委員会『宇都宮の遺跡』
宇都宮市教育委員会『宇都宮市遺跡分布地図』


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  1. 2021/03/05(金) 01:36:25|
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「亀塚古墳」

192 3115 亀塚古墳1

 画像は、宇都宮市下欠町に所在する「亀塚古墳」です。

 この亀塚古墳は田園の中にぽっかりと浮島のように浮かんでおり、一見すると円墳であるかのように感じられますが、「亀塚」の名称の通り、元々は全長100m前後の大きな前方後円墳であったそうです。
 大正時代初期の耕地整理によって周囲が徐々に削平され、その後、大正10年に行われた姿川の堤防工事における用土として前方部が削り取られ、現在は後円部のみが残存するという状況です。

 残存する後円部の径は約40m、高さ約6mで、墳頂部から下に約1.5mほどの位置に北向きに横穴式石室が開口しているそうです。
 私が最初に訪れたのは真夏で、かなり激しい藪となっていたことからその後、冬に出直したのですが、冬でもやはり鬱蒼とした藪に拒まれ、今のところ石室は確認できていません。。。

 石室は長さ約2m、幅約1.3m、高さ約0.5mほどの長方形で、奥壁と両側壁は平らで小さな割石を積み上げて造られているそうです。


192 3115 亀塚古墳2

 これは冬の亀塚古墳です。

 削平された前方部は後円部に比べて低かったといわれていますので、古い時期に築造された古墳かもしれません。

 南側崩壊面の底部からは、口径二尺、頸部一尺三寸、胴部三尺、深さ三尺五寸というかなり大きな須恵器とも言える甕が出土したようですが、これは残念ながら、掘り出す際に破壊されて散乱してしまったといわれています。
 また、古墳の中腹からは円筒埴輪等が出土しているようですが、これも大部分は破壊散失しているそうです。

 古墳の詳細については、いずれ行われるはずの発掘調査に期待ですね。。。


192 3115 亀塚古墳3

 ちょっとわかりにくいかもしれませんが、前方部が削平された傷跡がザックリと残されています。
 断面からかなり覆土が流失して崩れてきているようなので、なんとか保護していところですね。。。

 この地には「姿川の西八町のところに朱雀天皇の御陵あり」という伝承があり、その御陵とはこの亀塚ではないかともいわれているようです。また、亀塚の北方四、五町ほどの位置にある「釜塚」と呼ばれるところは、亀塚の築造の際に釜を据えた場所であるという伝承もあるようです。
 この「釜塚」の詳細については今のところ不明ですが、亀塚の北方四、五町ほどというのは、前回紹介した大明神南古墳が所在する「鷺宮神社」の位置とも符合しており、興味深いところです。

<参考文献>
早乙女覺『姿川村史』
塙 静夫『日曜散歩 うつのみやの歴史再発見』
宇都宮市教育委員会『宇都宮の遺跡』
宇都宮市教育委員会『宇都宮市遺跡分布地図』


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  1. 2021/03/03(水) 20:33:18|
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「大明神南古墳」

473 7142 大明神南古墳1

 画像は、宇都宮市鷺の谷町に所在する「鷺宮神社」です。

 羽生田街道沿いにあるこの神社の祭神は豊城入彦命で、建長元年(1249)に宇都宮大明神を勸請したと伝えられており、また上三川町の白鷺神社の分社を祀ったとという説もあるようです。

 平成29年(2017)に発行された『宇都宮市遺跡分布地図』によると、この神社の境内には「大明神南古墳」と称する古墳が存在するようです。

 まずは神社を参拝してから、古墳を見学してみましょう。


473 7142 大明神南古墳2

 北に数百メートルほどの地点の宇都宮市と鹿沼市にまたがる「下台原古墳群」と、南側の壬生町に所在する「上原古墳群」との、同じ台地上の中間に位置するこの神社に古墳が存在することは、立地的にはじゅうぶんに考えられそうな気がします。
 ただし、宇都宮の古墳を散策するにあたって最初に入手した、宇都宮市教育委員会より発行の『宇都宮の遺跡』にはこの古墳は記載されていなかったことから、『宇都宮市遺跡分布地図』で確認するまでは存在も知りませんでした。。。

 画像は二の鳥居です。さらに進みます。


473 7142 大明神南古墳3

 拝殿の様子です。

 ここまでは特に古墳らしき高まりは見当たりませんでした。
 『宇都宮市遺跡分布地図』によると、古墳は「円墳」で、現況は「畑、宅地、境内地」と書かれています。これだけでは古墳の現状はよくわかりません。

 参拝後、さらに奥に進んでみました。


473 7142 大明神南古墳4

 本殿の土台の部分が塚状に高まりとなっています。
 ここまで周囲には古墳らしき高まりは見られなかったので、考えられるのはこの塚状地形のみです。
 果たしてこの高まりが古墳なのでしょうか???


473 7142 大明神南古墳5

 ちょっと角度を変えて、北東から見た塚の様子です。
 形状からすると「方墳」ということになるのかもしれませんが、古墳であったとしても神社の建築の際に削られた可能性も考えられますし、よくわかりません。。。


473 7142 大明神南古墳6

 よくよく考えると、「大明神南古墳」という名称からして神社の南側にあったかな?とも思えますが、周辺には古墳らしき高まりは見られませんでした(とはいえ、ちょっと自信がなくなってきたな。記憶がおぼろげになってきたし…)。
 『宇都宮市遺跡分布地図』の地図に記された位置を拡大してみると、この本殿の高まりが古墳であっているようにも思いますが、地図上に正確にプロットされているとも限りませんし、そもそも「現況」の項にある「畑、宅地、境内地」が悩ましいですね。
 真相は最後までわかりませんでした。。。


473 7142 大明神南古墳7

 境内に所在する男根の碑。
 なんと先っちょに穴があいているんです。
 先っちょの写真もしっかり撮ればよかったな。。。

 いずれまた通りがかったら、この先っちょも社殿の南側もよく見てみることにします。。。

<参考文献>
宇都宮市教育委員会『宇都宮の遺跡』
栃木県神社庁『栃木県神社名鑑』
宇都宮市教育委員会『宇都宮市遺跡分布地図』


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  1. 2021/03/02(火) 02:29:30|
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