
画像は、宇都宮市下岡本町の「日枝神社南古墳」の跡地周辺のようすです。
ここにはたいした下調べもせず、『宇都宮市遺跡分布地図』の分布図だけを頼りに、近くを通りかかった際にぶらりと歩いてみたという感じですが、Googleマップで調べれば現地の様子は前もって確認することができますので、古墳が残存しないであろうことは想定していました。
残念ながら古墳の跡地は平らに整地されて地形が変わってしまっていて、痕跡はまったく残されていません。
しかしその後、図書館にて『日枝神社南古墳』という調査報告書を見つけて確認したところ、なんと!日枝神社南古墳は古墳ではなく、「経塚」でした。。。笑。
発掘調査の結果、塚は溝状遺構の上に盛り土されていることがわかり、溝状遺構の年代より新しいことが判明。また盛土中から五輪塔の一部や経石が出土。この五輪塔の火輪を示す三角形の形状から考えると、屋根状の端部に反りが認められることから鎌倉時代や室町時代のものではないことが判り、おそらくは江戸時代の新しい時期のものと想定されるそうです。
なら、「日枝神社南経塚」とか名称を変更すればいいじゃん、と思宇野ですが、なぜか『宇都宮市遺跡分布地図』でも名称は日枝神社南古墳のままです。

消滅した経塚の周辺には「第二公園内古墳群」という名称で2基の古墳が登録されています。
こちらは発掘調査が行われないまま消滅しており、塚の性格はわからないようですが、調査報告書では「近接した第二公園内古墳群(円墳2基)も古墳ではなかった可能性が高い」としています。
画像は跡地周辺の様子ですが、宅地化が進み、塚の痕跡はまったく残されていないようです。

画像は第二公園内古墳群のもう一基の跡地周辺の様子です。
あくまで『宇都宮市遺跡分布地図』に記載されている位置であり、正確な跡地まではわからないのですが、周辺は宅地化が進み、やはり塚の痕跡はまったく見ることはできません。

こちらは、日枝神社です。
祭神は大山咋命、配神は火産霊命・大山祇命・木花咲耶姫神です。
訪れた日はまだ日枝神社南古墳が経塚であるとは知りませんでしたので、同じ台地の縁辺部にあるこの神社になにか古墳らしき遺構があるかもしれないし、チェックしておかなければ!という感じで参拝しました。。。

塚は経塚だったんだから、この日枝神社と何か関係があったんじゃないかな?と疑っていますが、真相はわからず。。。

境内は広く、森の中になにか遺構が残っていそうに感じましたが、古墳や塚らしき高まりはありませんでした。

おまけ。
こちらは日枝神社南古墳の南方で見かけた塚状地形です。

田園の一角にある塚で、真新しい石祠が祀られています。
たぶん、古墳じゃないっすよね。。。

こちらは「十二社権現神社」。
十二社とは天神七代・天御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神・可美葦彦舅神・天常立神・国常立神・豊雲野神、地祇五代は天照大神・天忍穂耳尊・瓊々杵尊・鸕鷀草葦不合尊の十二の神を祀る神社です。
古事記や日本書紀の国生み神話を起源とする、古代人の信仰概念の中で、高天原に天神、葦原中国(国土)に地祇とし、神の生じた地位によって分けたとされています。
創建年代は不明ですが、明和初期から昭和15年の紀元二千六百年に向けて整備されたそうです。
通称「辰街道」の路傍にある神社で、通りすがりに塚っぽい高まりに見えたことから、車を停めて参拝しました。
こちらも古墳とは関係ないですね。たぶん。。。
<参考文献>
河内町『河内ふるさと探訪』
河内町教育委員会『日枝神社南遺跡・日枝神社南古墳 発掘調査報告書』
宇都宮市教育委員会『宇都宮市遺跡分布地図』
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- 2023/04/15(土) 19:39:59|
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今回は、宇都宮市下荒針町に所在する「長坂南古墳」です。
宇都宮市の遺跡番号470番、栃木県の遺跡番号7143番に登録されている古墳で、姿川右岸の台地縁辺部に位置しており、宇都宮短期大学の道路を挟んだ向かい側に残存しています。
切り通しとなった道路の石垣の上に残る円形の古墳の断面が見えるでしょうか。。。

墳丘の断面の様子です。
ちょうど墳丘の半分が道路により切断されてしまったようです。。。
残存する墳丘からすると、高さはあまりないもののかなり大きな古墳だったのかもしれません。
前回の道祖神の塚の回でもふれましたが、この古墳の北方には「宗円塚古墳群」や「上の原古墳群」、東方には「亀が窪古墳群」、南方には前回紹介した「稲荷古墳群」や「亀岡前古墳群」、「聖山公園古墳群」など数多くの古墳群に囲まれながら、この丘陵上には長坂南古墳のみが単独で残されています。

南東側から見たところ。
自転車が捨てられていました。。。
<参考文献>
宇都宮市教育委員会『宇都宮市遺跡分布地図』
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- 2023/04/05(水) 23:39:50|
- 宇都宮市の古墳・塚
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今回は、宇都宮市下荒針町に所在する正体不明の塚を取り上げます。
かなり以前より、この近くを車で通り過ぎながら、塚らしき怪しい高まりがあるなあと気がついていました。
ただし、『宇都宮市遺跡分布地図』の分布図と照らし合わせてみても、所在地周辺に古墳や塚のマークはなく、一体何の塚だろうと疑問に思いながらも、実際に確認することなく時間が経過してしまっていました。
昨年、時間の余裕のあるよく晴れた日にすぐ横を通ったことから、車を停めて近くまで見に行ってみました。

これが塚の様子。
人工的に造られた塚であることは疑いようもなく、塚上にはなんと!巨大な男根の石碑が建てられています。
ちなみにこの塚の北方には「宗円塚古墳群」や「上の原古墳群」、東方には「亀が窪古墳群」、南方には前回紹介した「稲荷古墳群」や「亀岡前古墳群」、「聖山公園古墳群」などなど、けっして古墳の少ない地域ではないものの、この塚の周辺だけは古墳空白地帯という感じで古墳群は存在しないようです。
ただし、これは最近気が付いたのですが、『宇都宮市遺跡分布地図』にはこの塚から鹿沼街道をはさんだ南側の丘陵上に「長坂南古墳」という古墳が1基、記載されています。
なら、この塚が古墳である可能性もありそうじゃないかよ、という薄っぺら〜い思考なわけですが、塚は盗掘を受けた痕跡もなくキレイな形状で、逆にそれが近世に造られた塚なのかな?とも感じます。

道祖神は、かつての村境や峠などの路傍にあり、外部からの疫病や悪霊などを防ぎ止めたり追い払ったりする神として、また行路の神、旅の神となる道祖の信仰も加わり、さまざまな性格を持って習合されるようになりました。
道陸神(どうろくしん)、塞神(さいのかみ)、岐神(ふなとのかみ)などと呼ばれ、人里から離れた山間の辺地には男根を金精神、性神として祀ったものもあるそうです。

この道祖神と塚について市内の図書館で調べてみましたが、詳しい記述を見つけることはできていません。
周辺で地元の方にお聞きしてみても詳細はわからず、残念ながら塚の性格を突き止めることはできませんでした。
これだけ巨大な道祖神ですし、塚も明らかに人工的に盛られたものであると想定されますし、もう少し深追いすればなんらかの記録を見つけることができるのではないかとも思いますし、このあたりは今後の宿題ですね。。。
道祖神はかなり斜めってしまっていて、倒れやしないか心配です。笑。
いや!もしかしたらあえてこの角度に建てたのかもしれないけれど。。。

この塚に関しては本当に何もわからず、地元で聞き取り調査をも行う中、近隣にある大運寺を訪ねて住職さまにお聞きしてみました。
実はこのお寺は平成の時代にこの地に移転してきたお寺で、住職さまはあまり周辺地域の歴史には詳しくはない、ということではありましたが、お寺の北方に「琴平神社」という神社があり、そこから道が塚まで続いていて、ひょっとしたらその道はかつての参道であり、塚の場所も境内で、塚(道祖神)と神社は関係があるかも知れない、、、というお話をお聞きすることができました。
そこで、琴平神社にも参拝することにしました。

確かに、塚のすぐ横にも供養塔らしき石碑が1基、ポツリと残されていて、その奥に塚が見えます。
塚から画像の左に向かうと琴平神社、ということになります。
距離にすると5〜600メートルほどでしょうか。
やはり神社と何か関係がありそう。

供養塔。

こんな感じの道を延々と歩きます。
琴平神社までは10分ほどでしょうか。
あまり人が歩かなくなったからなのか、道の真ん中まで雑草が茂ってきていて歩きにくいです。
これからこういう道は増えていくんだろうなと思ったり。。。

途中でもう1基、塚らしき高まりを発見。
特に塚上に何か祀られている様子はないようです。
まままさか古墳じゃないのか。。。

琴平神社です。
主祭神は高龗大神、大物主大神、素戔嗚命で、旧城山村の村社です。
『栃木県神社誌』には、「創立年代は不詳。御祭神に大物主大神を奉納斎する。農業・殖産・医薬に霊験ある大神の御威徳を称え、氏子一同崇拝して、年々報賓の意を表し、祭典を執行している。大正二年十二月、無各社八坂神社を合祀し、大正三年八月、城山村大字荒針字東耕地の無各社高龗神社を合祀した。」と書かれており、特に道祖神や塚に関する記述はありませんでした。。。

崩壊した石祠。
かつてはここが社殿だったのかな。。。

結局のところ、な〜んにもわからなかったということで薄っぺら〜い記事になってしまいましたが、とりあえず更新しておかないとそのまま放置になってしまったりするので、今回はわからないまま更新しました。
古墳ではなく、塚なのではないかな?と感じてはいますが、発掘調査が行われていないので、塚の性格はわかりません。
また何かわかったら続報しようと思います。。。
<参考文献>
宇都宮市教育委員会『宇都宮市遺跡分布地図』
栃木県神社庁『栃木県神社誌』
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- 2023/04/03(月) 23:13:01|
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今回は、以前にも一度紹介した、宇都宮市上欠町に所在する「稲荷古墳群」です。
毎年、4月1日を「姿川歴史と文化の日」として、姿川地区内の歴史・文化スポットの清掃が実施されています。
今年は「かけがえのない姿川地区の歴史を守ろう!」をテーマに、「きらきら大作戦」と称して、宇都宮市指定史跡である「稲荷古墳群」の清掃が行われました。
画像の山の尾根沿いに前方後円墳が1基、円墳が3基と、計4基の古墳が保存されています。

説明板に掲載されていた稲荷古墳群の分布図です。
今回は2号墳である前方後円墳の敷地を中心に、雑草の伐採が行われました。

2号墳はフェンスで覆われているので、フェンスの内部の草刈りも必修です!
当日は姿川歴史と文化の会、地区市民センターの職員のほか、姿川地区の住民の方の参加もありました。
ラッキーなことに雲ひとつない晴天に恵まれました。。。

昼間はもうすっかり暖かいですからね。
汗びっしょりになりました。笑。

今年は暖かくなるのが早いですし、4月1日なのにけっこう大きく育ったバッタがいたり、アマガエルがいたり。
今年の夏も暑くなるのかな。。。

こんな感じで、2号墳はかなり見学しやすくなりました。
古墳はほとんど崩れた形跡もなく、キレイに残されています。
夏になればまた草ボウボウになってしまうかもしれませんが、とりあえず見学は今がお勧めですね。

南西から見たところ。
右手前が前方部、左奥が後円部となります。

前方部から後円部を見たところ。
清掃に参加したおかげで、フェンスの中を撮影することができました。
役得役得。笑。

後円部から前方部を見たところ。

後円部上には国土地理院による三角点が。。。

1号墳の石室です。
限られた時間と人員の事情もあり、2号墳以外はまた次回の課題ですね。。。

3号墳はまったく手が及ばず。
ここはボウボウのままです。。。悔しいぜ。。。

4号墳の周囲は比較的雑草が少なく、見学しやすい状況です。。。

お隣の丘陵上にある「うつのみや遺跡の広場資料館」には、稲荷2号墳から出土した埴輪が展示されています。
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- 2023/04/02(日) 20:41:10|
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わりと最近、この古墳の横の道を車で通り過ぎました。
「あ、あれ?なんかいつもと風景が違うな?」と感じて、「げ!まさか古墳がなくなってる?」と思って振り返ったら、墳丘自体は残されていましたが、墳丘上の樹木が伐採されて丸裸になっていました。笑。
古墳がなくなっちゃったかとびっくりしましたが、むしろ見やすくなったわけだし、写真撮りを撮らなきゃ、というわけで、次に近くを通る際にはちゃんとカメラを持参しました。笑。

元々は前方部を西に向けた前方後円墳だったのですが、前方部が削平されて現在はまるで円墳のようです。
古墳の詳細は、前回の記事を読んでみてくださいね。
【このブログの過去の関連記事】
http://gogohiderin.blog.fc2.com/blog-entry-1332.html (2021年07月12日号「東谷古墳群その8 双子塚古墳」)
前方部は消滅しましたが、後円部はとてもきれいに残っていますね。

な、なんか墳丘上に重機の跡が見られますな。。。

以前はこの古墳の墳丘上は森でした。笑。
それはそれで厳格な感じがして古墳らしいのですが、そうなるとやはり真夏の見学はなかなか厳しいですからね。
これから暖かくなったらまた草ボウボウになってしまうかもしれないし、見学は今がお勧めかも。。。

墳頂部には、三日月様と千勝様の祠が祀られています。
さっそく参拝します。

こちら側に前方部が伸びていたはずですが、痕跡は見られませんね。。。

墳頂部の様子です。

これは2014年8月の写真です。
真夏だったから古墳には登りませんでした。。。笑。

こうして、状況が変わってきたなという古墳もちょくちょく見かけます。
引き続きコツコツと更新します。。。
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- 2023/03/22(水) 21:49:02|
- 宇都宮市の古墳・塚
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前回に引き続き、宇都宮市下栗町に所在する「さるやま城古墳群」のその3。
最初の画像は、唯一の前方後円墳である「本郷山古墳」です。
画像の左手前が前方部、右奥が後円部という状況ですが、わかりませんよね。笑。
この古墳は、昭和63年4月から7月にかけて測量調査が行われており、全長47m、後円部径26m、前方部幅35mの前方後円墳で、高さは前方部が3.6m、後円部が3.4mと後円部に比べて前方部が発達した古墳であることがわかっています。

南から見た本郷山古墳。
左が前方部、右が後円部という状況で、くびれ部の辺りを写している状況でしょうか。。。
この画像はうっすらとその形状が確認できるかと思います。
葺石は確認されていないようですが、円筒埴輪の破片が採集されており、この遺物により、古墳は6世紀後半の築造と推定されています。
ちなみにこの古墳群の中では12号墳からも埴輪編が採集されているようですが、12号墳よりも本郷山古墳が先行するものであるそうです。

こちらは南東から見た本郷山古墳。
画像右側、後円部には祠が祀られていて、窪みとなっているのが参道です。
後円部は下草が少なく、比較的形状が見やすいようです。
左奥が前方部、右手前が後円部という状況です。

後円部を南から見たところ。
頂部に祠が祀られています。
さっそく参拝しましょう。

2本の大木が鳥居の役目を果たしていて、なかなか幻想的な雰囲気。

後円部上の様子。
左側が「猿山神社」、右側が「八坂神社」の祠です。

同じく後円部上の様子。
右奥の前方部がかなり高くなっているのがわかると思います。

前方部上から後円部を見たところ。
前方部側はかなり藪が激しく、全体像を捉えるのは厳しい状況です。

前方部を西から見たところ。
なかなか立派な前方後円墳が残っていますし、周囲のさるやま城の遺構もかなり良好に残されているという状況で、藪になって荒れ果てているのがなんだかもったいないなあと思ったりします。

さて、ここからは本郷山古墳の周囲に点在する円墳です。
まずは「さるやま城古墳群13号墳」。
本郷山古墳のすぐ東側に隣接する古墳で、かなり鬱蒼とした藪の中に存在するため、古墳の全貌を捉えるのは難しい状況でした。
画像は、かなり近づいて撮影した状況です。。。

続いて「さるやま城古墳群10号墳」。
13号墳とそっくりですが違うんですよ。
もうね、古墳群東側の円墳はすべてボウボウの藪の中ですわ。。。

こちらはやっと見つけた「さるやま城古墳群7号墳」です。

「さるやま城古墳群2号墳」と思われる高まり。
この周辺は城跡の土塁がかなり高く積まれていて紛らわしいのですが、おそらくこれが2号墳であると思われます。
墳丘の北側は生コンの会社の敷地に切られていて、残存するのは南側の半分ほどです。

最後は「さるやま城古墳群3号墳」です。
コレも、ボウボウの藪の中をかき分けて進んで、やっと見つけました。
とりあえずは、残存する古墳の写真はここまでです。
よほどの古墳マニアでない限りは、この藪をかき分けて古墳を探す必要はないんじゃないかなと思いますが、城跡としても見どころが満載な場所でもあるので、こういう場所を整備して公園などにできればいいのになあと思ったりします。。。

最後に1枚だけ、城址の堀の写真です。
直線的に綺麗に残されていますよね。。。
都心部には城跡はほとんど残されていなかったこともあり、これまであまり深掘りすることもありませんでしたが、お城がこんなに身近にたくさんあったんだということを最近になって知りました。
深掘りすると面白いんだろうなと感じていますが、当面は浮気せずに古墳一筋ということで。。。
<参考文献>
宇都宮市教育委員会『宇都宮の遺跡』
宇都宮市教育委員会『宇都宮市遺跡分布地図』
宇都宮大学考古学研究会「宇都宮市下栗町本郷山古墳墳丘測量調査報告」『峰考古 第7号』
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- 2023/03/05(日) 23:43:07|
- 宇都宮市の古墳・塚
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前回に引き続き、宇都宮市下栗町に所在する「さるやま城古墳群」のその2。
最初の画像は「さるやま城古墳群8号墳」です。

この古墳、現地で見学すると二段築成の円墳のようにも感じられるのですが、さるやま城築造の際の土塁の残骸かもしれないし、真相はよくわからず。
さるやま城内の古墳群は、築城の際に故意に残されたものと考えられており、特に外堀沿いの古墳が残されていることから見張りのための櫓に使われたのではないかとも考えられています。
ちなみにこの8号墳は外堀沿いではありませんが、すぐ横には堀のような遺構が見られました。

墳丘南側には鳥居が建てられており、扁額には「岩室稲荷神社」と刻まれています。
また、墳頂部の覆屋の中には祠が祀られており、覆屋には「正一位稲荷大明神」と書かれています。
画像の右端(墳丘の東側)に大きな窪みがあるのがわかるでしょうか?
ここに横穴式石室が開口しています。

開口する横穴式石室の様子。
当然ながら、内部に入ることはできませんでした。。。笑。
天井石や奥壁に凝灰岩が使われており、側壁は河原石を小口積みしたものであるそうですが、開口部は狭く、内部を見ることはできませんでした。。。

こちらは9号墳です。
小さな円墳ですが保存状態は比較的良さそうです。

こちらは11号墳。
かなり大きな古墳です。
墳形は円墳であると思われますが、西側にある城跡の土塁と繋がっています。

11号墳の墳頂部の様子。
特に何もありませんでした。。。

12号墳。
こちらも比較的大きな円墳です。

12号墳の墳頂部の様子。
こちらも特に何もありません。。。
次回に続く。。。
<参考文献>
宇都宮市教育委員会『宇都宮の遺跡』
宇都宮市教育委員会『宇都宮市遺跡分布地図』
宇都宮大学考古学研究会「宇都宮市下栗町本郷山古墳墳丘測量調査報告」『峰考古 第7号』
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- 2023/03/04(土) 23:11:03|
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「さるやま城古墳群」は、宇都宮市下栗町に所在する古墳群です。
宇都宮市東部の江川左岸段丘上に位置しており、同じ段丘上の「さるやま城遺跡」内に存在します。
さるやま城は、今のところ詳細な文献資料は確認されていないものの、中世宇都宮氏の支城であったといわれ、室町期の構築であると考えられているそうです。
さるやま城古墳群はこの城跡内にあり、径3m~20mの小円墳13基と前方後円墳1基が残存します。

まず最初の古墳は「さるやま城古墳群 1号墳」です。
東西に走る「横川むつみ通り」という市道により墳丘北側を削平されており、墳丘断面が石垣で固められた塚状の地形が見られます。
古墳のコレ、たま~に見かける光景ですよね。。。笑。
この市道は、平成16年度の道路改良工事に伴う発掘調査が行われており、おそらくこの1号墳と思われる周溝が検出されているようです。
「おそらく」というのは、私が閲覧した『栃木県埋蔵文化財保護行政年報 28』には「××号墳」みたいな古墳の名称に関する明確な記述がなく、「円墳の周溝は幅4m程で墳丘と周溝の間に平坦面が確認された。道路の拡張部分に周溝の一部がかかっており、拡張部分まで墳丘を削り、断面の調査を行った。断面の調査では、下から何層にも土を積み重ねている様子が確認できた。」とのみ書かれています。(道路に削られて断面が存在するという古墳はこの1号墳のみなので、1号墳で間違いないと思われますが。。。)
さらに同書にはこの古墳群について、「中世の城であるさるやま城と、その城内前方後円墳1基と円墳10基ほどの古墳が点在している」と大まかな記述しかされていないのですが、さらにその後の平成29年に発行された『宇都宮市遺跡分布地図』では「ほど」という記述はなくなって「前方後円墳1基、円墳10基」と言い切っています。
私が閲覧したさるやま古墳群の分布図は『峰考古 第7号』に掲載されているものですが、ここでは円墳に関しては1号墳から13号墳まで、また前方後円墳に関しては残存する「本郷山古墳」と、消滅した「本郷山西古墳」ときちんと名称がつけられていました。
私が実際に現地を見学したところでは、分布図の通りに本郷山古墳と円墳13基はすべて残存していました。
現状を記録しておくという意味でこの『古墳なう』にて掲載することにしましたが、この古墳群は運良く分布図を入手できたのでよかったですが、宇都宮市の多くの古墳は「××号墳」のような古墳の番号すらもわからなかったりして、把握するにはなかなかにハードルが高かったりします。。。

1号墳を南から見たところ。
実は、最近に見学した際に土地の所有者の方とお話しすることができました。
現在は埋められていて見ることができないようですが、この1号墳には第二次大戦中に防空壕が掘られていたそうです。
『栃木県埋蔵文化財保護行政年報 28』には「周溝の周りに方形の堀方の遺構が2基確認できた。1基には階段状のものがついており、内部は中心が一段低く作られていた。」とも書かれており、これが防空壕に関係する記述なのではないかと思えますが、真相はわかりません。
墳丘頂部には、土地の所有者の氏神様の祠が祀られていました。

墳丘上の様子です。
墳丘南に向かって参道が伸びていて、ここが若干の窪みとなっています。
防空壕、見られるものなら見たかったな。。。

同じく1号墳の墳丘上の様子。
北側は市道が走り、急崖になっています。

墳丘斜面には若干の河原石が見られます。
葺石なのか石材なのか不明。。。

残るは、当日に見て回った順に紹介しようと思います。
画像は「さるやま城古墳群 4号墳」です。
墳形は円墳で、古墳群中もっとも小さな印象ですね。。。

4号墳の墳頂部。
特に祠が祀られているわけでもありませんが、比較的良好に残されている印象。
大規模な盗掘穴も見られないようです。

「さるやま城古墳群 5号墳」です。
これも比較的小さな円墳です。

「さるやま城古墳群 6号墳」です。
この古墳はかなりの藪の中ですが、西側を走る道路からうっすらと見えます。
次回、「さるやま城古墳群その2」続く。。。
<参考文献>
宇都宮市教育委員会『宇都宮の遺跡』
宇都宮市教育委員会『宇都宮市遺跡分布地図』
宇都宮大学考古学研究会「宇都宮市下栗町本郷山古墳墳丘測量調査報告」『峰考古 第7号』
栃木県教育委員会『栃木県埋蔵文化財保護行政年報 28』
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- 2023/03/03(金) 22:10:07|
- 宇都宮市の古墳・塚
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この塚、かなり前からず〜っと気になっていました。
宇都宮市長岡町の宇都宮環状道路沿いの南側、ちょうど交番のとなりの空き地にあって、車でここを通りかかればイヤでも視界に入ります。
ちなみにすぐ東方には「谷口山古墳群」、西方には「瓦塚古墳群」や「長岡百穴古墳」のほか「大塚古墳群」や「大ジノ古墳群」などもあり、周囲は古墳や塚だらけ、という状況の中、この塚は古墳が多く分布する丘陵上ではなく低地に単独で存在するのですが、おそらくは自然地形などではなく人工的に盛られた塚であろうとは思われるものの、宇都宮市教育委員会より発行された『宇都宮市遺跡分布地図』にはなんの記載もありません。
塚上にはとくに石塔などは建てられていないようです。
素人目になんの塚なのかを判断できる材料はないようです。。。

この塚に関しては、図書館で調べてみてもうまく情報が見つからず、何の塚なのかさっぱりわからないままでした。
そこで、塚の周辺で地元の方に聞き込み調査を行ってみました。
たまたま農作業中であった、この地域の役員でもあるYさんとお話しするチャンスに恵まれて、いろいろお聞きしました。
塚に関しては、「古墳などではなく、ただの残土の山ではないか?」というお話。。。
ただし、近隣に古くから住む、この地域の名主だったような方のお宅に「瓦塚古墳」の出土品を埋納して供養した塚があるから見せてもらうといいし、そこで聞いてみれば塚のこともわかるかもしれない、という素晴らしき情報をいただきまして、今度はそのお宅を訪ねてみました。
古墳の遺物を埋納した塚については、いずれ紹介する予定の「瓦塚古墳群」の回で取り上げることにしますが、塚の真相についてもバッチリお聞きすることができました。
なんと!塚のある場所は「昔から馬捨て場と呼ばれている場所だよ」ということ!
さらに「川を挟んだ向かい側に馬頭観音の石碑があるからもう一度行ってみるといい」とお教えいただきました。
すぐに引き返して馬頭観音の石塔を探しました。

これが馬頭観音の石塔です。
徒歩か自転車であれば見逃さなかったと思いますが、車で走り抜けましたし、石碑の所在地が川を挟んだ対岸であったため見逃してしまったのですね。。。
塚から新向橋を渡った向川の対岸の路傍に建てられています。

ちゃんと「馬頭観世音」と刻まれています。
石塔はもう少し大きなものであったようですが、下半分は欠損しているようです。
塚は、あえて命名するなら「観音塚」ということになるようですね。
ちなみにYさんとはなんと!後日にまた別の場所で再会することになるわけですが、その話もまたいずれ。。。
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- 2023/03/01(水) 19:07:19|
- 宇都宮市の古墳・塚
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今回は、前回の「前坂供養塚群」に引き続き、今回も宇都宮市長岡町の通称「柴山」と呼ばれる丘陵上に所在する「姥ヶ入供養塚群」の探訪記録です。
姥ヶ入供養塚群は、前坂供養塚群から東に300mほど山道を歩いた山林に位置しています。
発掘調査が行われていないので塚の性格についての詳細は不明ですが、南北の道と東西の道が交差する北東側に4基の塚が並んでいるという状況は前回取り上げた「前坂供養塚群」とまったく同じ、しかも、もっとも西の塚と、東に並ぶ3基が多少離れている状況もほとんど同じという、かなり興味深い状況です。
まずはもっとも西にある1基目の塚です。

ちょっと離れた2基目の塚。
これが「4号塚」となるようです。
規模は径約3m、高さ0.5mとされています。

3基目の塚。
これがおそらく「3号塚」。
規模は径約3m、高さ0.5mです。

4基目の塚です。
これがおそらく「2号塚」で、規模は径約5m、高さ0.5mです。

ちなみに宇都宮市教育委員会より発行の『宇都宮の遺跡』の分布図によると、ここに3基の塚が密集していることになっているのですが、実際には4基が道沿いに並んでいます。
もっとも東にある最後の1基は、ここから少々離れた丘陵先端部に単独で所在します。
早速向かってみましょう。

これがもっとも東にある1基です。
ここまでみてきた塚群とは異なるかなり大きな塚で、しかもここまですべての塚が山道沿いに並ぶように造られていたのに対してこの塚は道から離れた丘陵頂部に築造されています。
『宇都宮の遺跡』には「1号は単独で1基のみ構築されており古墳の可能性もある。」と書かれていますが、私もまったく同じ印象を持ちましたし、そもそも西にある4基と同じ塚群として括っていいものかどうか、違和感も感じます。
古墳ではなかったとしても、西側の塚とは違う目的で造られた可能性も感じる、興味深い1基です。

塚上にはかなり落ち葉が積もっていますし、表面観察のみでは素人には塚であるのか古墳であるのかの判別はつきません。
真相は、今後の調査の進展を待つよりほかはありませんね。。。

塚上の様子です。
大きな破壊は受けていないようです。
<参考文献>
宇都宮市教育委員会『宇都宮の遺跡』
宇都宮市教育委員会『宇都宮市遺跡分布地図』
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- 2023/02/26(日) 23:52:36|
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