
宇都宮市長岡町に所在する「瓦塚古墳群」の第4回目。
今回は、四つの支群のうちの「C支群」に属する古墳を紹介しようと思います。
最初の画像は、瓦塚古墳群15号墳を東から見たところです。
整備された「調査保存ゾーン」ではありませんが、写真でもおわかりの通り、農道沿いにあるので容易に確認できますし、見学しやすいと思います(でも見学は真冬がいいと思う)。
規模は直径17m、高さ2.5mで、円墳とされています。

同じく15号墳です。
墳丘上はかなり多くの落ち葉が堆積しているし、倒木も多いので登るのはちょっと大変かも。
当然ながら、真夏はクモの巣だらけでしょうな。きっと。。。

瓦塚14号墳です
直径14m、高さ2mという比較的小さな円墳です。
この古墳も農道から確認できるので、見学は比較的容易かも。
この先、古墳の番号が減るにしたがって尾根の先端に向かっていくことになります。

こちらは13号墳です。
直径22m、 高さは3mという円墳です。
実際に見学したところでは大きな古墳という印象です。。。

こちらは瓦塚12号墳です。
規模は直径7.5m、高さ0.5mとかなり小さな円墳で、調査報告書にある一覧表には「石室の一部露出」とあるのですが、落ち葉の堆積が激しく、確認することができませんでした。。。

10号墳と思われる高まりです。
ちなみにC支群は、最も高い位置にある15号墳から14号墳→13号墳→12号墳と尾根を下ってきましたが、12号墳と10号墳の間にあるはずの「41号墳」、「11号墳」は位置がよくわからず、確認できませんでした。
この10号墳は、Y崎さんから「古墳だよ」とお教えいただいた場所で、実際に歩いてみた距離感と、報告書にある分布図と照らし合わせた感じでは、この高まりが10号墳である可能性が高いかな、と思います。
41号墳は直径8m、高さ0.5mで、11号墳は直径9.5m、高さ0.5mとどちらもあまり高さのない円墳なので、見逃してしまったのかも。
一応、41号墳と11号墳の跡地として撮影しておいた写真が何枚かあったはずなんだけど、見当たらなくなってしまったので写真もなしです。。。

同じく10号墳です。
切り通された道路の上が古墳の所在地ですが、道路を切り通したことにより、古墳の一部は削られてしまっているのではないか?という印象です。
規模は直径12m、高さ2mの円墳とされています。

おまけ。
Y崎さんにお教えいただいた、古墳の跡地であるという場所です。
「俺が子供の頃はあったんだけど、土地の所有者が壊しちゃったんだよね。人の土地のことだし口を挟むことじゃないからあれだけど…」みたいな感じのお話でした。
報告書に掲載されている瓦塚古墳群の分布図からすると「7号墳かな?」とも感じますが、少々位置がズレているようにも感じますし、ひょっとしたら未確認の古墳なのか、はたまた単なる塚だったのか真相は不明です。
7号墳であれば、鉄刀が出土しているということなので、古墳で間違いないのではないかと思いますが。。。
山の尾根沿いだけではなく、山の麓にも何基かの古墳があったようですが、こうした分布の状況はとても興味深いです。
写真は、この古墳の跡地といわれる地点を南東から見たところですが、若干の高さがあるようなので、ひょっとしたら古墳の基底部が残されている、なんてこともあるかもしれません。。。
次回からいよいよA支群に移ります。
<参考文献>
宇都宮市教育委員会『瓦塚古墳』
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- 2023/10/02(月) 20:12:39|
- 宇都宮市の古墳・塚
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今回は、宇都宮市長岡町に所在する「瓦塚古墳群」の第3回。
四つの支群のうちの「B支群」に属する古墳を紹介しようと思います。
最初の画像は、瓦塚古墳群28号墳の所在地周辺の様子です。
この28号墳は、墳丘はすでに消滅しているとされている古墳ですが、このあたりかな?と思われるあたりに若干の地膨れのような高まりが見られたので、そこを狙って撮影しました。
近年に、地中に残存する石室が調査されていて埋め戻されているはずです。
しかし、図書館でコピーしておいた資料が見当たらなくなってしまったので、詳細はわかりません。。。↓´・ω・`↓ショボーン
後日、所領が出てきて詳細がわかったらこっそり書き加えることにしますが、とりあえずこの高まりが28号墳と関係があるのかどうかは自信なし。。。(関係ないかもしれない、、、)

続いてこちらは瓦塚29号墳。
直径20m、高さ3mの円墳です。
点在する円墳の中では比較的大きな印象です。。。

29号墳の墳丘上には、石材かと思われる石が露出しているのが印象的。

こちらは瓦塚42号墳。
直径12m、高さ1.5mと、比較的小さな円墳です。

こちらは瓦塚16号墳です。
直径10m、高さ1mという小形の円墳です。
42号墳とこの16号墳までは農道に沿って存在しますので見学は容易ですが、ここから17号墳→18号墳→19号墳と番号が増えるにしたがって尾根の先端へと向かっていき、藪の中に突入します。。。

こちらは17号墳です。
直径20m、高さ2.5mの円墳です。

こちらは18号墳。
直径23m、高さ2mの円墳です。
発掘された跡なのか盗掘の跡なのかよくわかりませんが、石室に沿うような形状でザックリとえぐられています。
ちょっとわかりにくいかもしれませんが、写真中央から右に向かって削られているのがおわかりでしょうか。。。

同じく18号墳を多分西から見たところ。
写真の奥に向かってベッコリ凹んでいますね。。。

こちらは19号墳です。
直径20m、高さ2mの円墳です。
尾根の先端に向かっているので、このあたりまで来るとかなり傾斜がキツくなってきます。

同じく19号墳を南西から見たところです(多分)。
墳丘の南東側に鳥居があり、墳頂部に祠があります。
瓦塚古墳群は、お知り合いになったY崎さんに声をかけて見学しましたが、ここは少なくともY崎さんのお宅の氏神様ではないと思われますし、お参りして写真を撮ってから早々に退散しました。。。

墳丘上の様子です。
帰宅後に調べたところでは、鎮座しているのは星の宮神社ということです。
30基前後が残存しているという、宇都宮市内ではもっとも大きな古墳群ということでかなり見どころがあります。
さらに次回に続きます。
<参考文献>
宇都宮市教育委員会『瓦塚古墳』
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- 2023/10/01(日) 21:22:06|
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今回は、宇都宮市長岡町に所在する「瓦塚古墳群」の第2回。
最初の画像は、24号墳である「瓦塚古墳」を北から見たところです。
この古墳群は、宇都宮市の中心部から北方に約4kmほどの、長岡町内の丘陵上に所在します。
円墳を主体とした40基以上の古墳のうち、約30基以上が現存する、宇都宮市内最大規模の古墳群です。
このうち、瓦塚古墳は丘陵頂部にある、古墳群中唯一の前方後円墳です。
この瓦塚古墳は、平成13年度から15年度の3次にわたっての発掘調査が実施されており、周溝を持つ二段築成の前方後円墳で、墳丘上段には葺石が施され、中断の平坦面には埴輪列が囲続していることがわかっています。(ちなみに、この埴輪の存在が「瓦塚」の名称の由来となっているようです。)
規模は全長48m、前方部前端幅38m、後円部径28mで、3.3m〜9.6mの幅の周溝を持つことが確認されています。
写真は右が前方部、左が後円部で、古墳を北から見たところです。

前方部の南側に宇都宮市教育委員会による説明板が設置されています。

後円部から前方部を見たところ。
宇都宮丘陵に所在する古墳のほとんどは、凝灰岩を使った石室であるそうですが、その中でも、瓦塚古墳の石室の構造は、「北山古墳群」に属する「権現山古墳」に類似するそうです。
さらには円筒埴輪も類似することがわかっており、またいずれの古墳群も田川流域に位置することから、この2つの古墳群には関連があったと考えられています。

前方部から後円部を見たところ。

現状の墳丘はなだらかで、前方後円墳らしき形状ははっきりとはわかりにくいのですが、説明版に築造時の古墳の形状が描かれていました。
円筒埴輪は、墳丘中段のテラス面に墳丘の周りを囲饒して並べられていたことがわかっています。
これらの円筒埴輪は間隔が狭く、口縁部はほぼ接触して並べられていたようです。
また、円筒埴輪とともに朝顔形埴輪も墳丘を囲続するように並べられていたと推測され、円筒埴輪と朝顔形埴輪の墳丘上に並べられた個数の比率は不明であるものの、円筒埴輪数本の間に朝顔形埴輪が1本並べられていたと考えられています。
そして、人物埴輪は最低でも7個体であったと推測されています。
ちなみに、墳丘に並べられていた埴輪も、北山古墳群に属する権現山古墳から出土した円筒埴輪と類似しているようです。

瓦塚古墳の北に接する円墳が「瓦塚25号墳」です。
墳丘はかなり破壊が激しく、わずかな地膨れという状況です。
墳丘の原形は、直径18m、高さ1.4m前後に復元され、中心に横穴式石室の奥壁が位置します。

北西から見たところ。
この角度が一番古墳らしく見えるようです。
奥に瓦塚古墳が見えていますが、25号墳と瓦塚古墳の周浬との距離は約4mと、かなり近接しています。

石室の位置が窪みになっていて、石材らしき河原石が散らばっています。

瓦塚古墳は古くは明治31年(1898)、地元の人たちによって発掘されており、翌年に八木奨三郎氏により『東京人類学会雑誌』に「下野國河内郡長岡の古墳」として発表されています。このため、瓦塚古墳の名は中央学会に知れ渡りました。
この発掘の際、直刀・鉄鏃・刀子・などの武器のほか、金環・管玉・切子玉・小玉などの装身具、轡・雲珠などの馬具、ほかに土師器・須恵器などが出土しました。
このうちの主な出土品は東京帝国博物館に収蔵されたようですが、それ以外の出土品は写真の場所に埋納され、供養されているそうです。
これは、少なくとも私がこれまでに目を通した郷土史本には書かれていませんでしたし、私もその存在をまったく知らなかったのですが、地元のY崎さんとの出会いにより、幸運にもこの塚の存在を知ることとなりました。

以前も取り上げましたが、この瓦塚古墳群の近隣に小さな塚が1基存在しており、この塚は『宇都宮の遺跡』や『宇都宮市遺跡分布地図』に掲載されていないうえに郷土史本などにも記述が見つからず、なんの塚なのかずっとわからないままでした。
真相を知るには地元の人に聞き取りをするしかないかな?と思っていたのですが、昨年にたまたま塚の横を通りかかった際に、田んぼを耕運機で耕している地元の方らしき姿が目に入り、これは今しかないなと思い、車を近くに停めて話しかけてみました。
その時は、塚の性格まではわからなかったのですが、塚の土地の所有者のお宅をお教えいただき、また「なんの塚なのかきっとわかるから尋ねてみて聞いてごらん?」と、古くからこの地域で暮らす地元の名士である某氏のお宅もお教えいただきました。
そしてなんと!「その某氏の敷地に瓦塚の出土品を埋めた塚があるから、それも見せてもらうといいよ。。。」という信じられないお言葉。
私はもうびっくりして、「え?え?なんすか?か、かわらづか?」とかいって2度聞きしちゃいましたよ。笑。
Y崎さんとは、その後に何度も再会することになるのですが、かなり色々なことをお教えいただいて感謝です。。。
こうして知ることとなった、瓦塚古墳の出土品を埋納した供養塚が写真の場所です。
わずかながら塚状に高くなっているように感じられますし、石碑も建てられています。

供養塚の石碑の様子です。
赤とんぼがとまっていますが、季節は秋だったんですね。。。
せっかく教えていただいたのに、場所を書いて誰かが尋ねて迷惑がかかったり、イタズラされたりしたらいけないので場所は書きません。ただ、色々な古墳をもっと深追いすれば、こうした事例は知られていないだけでもっとたくさんあるかもしれないなあと、しみじみ感じます。
次回も「瓦塚古墳群」の続きです。
<参考文献>
宇都宮市教育委員会『宇都宮の遺跡』
塙静夫『探訪 とちぎの古墳』
宇都宮市教育委員会『瓦塚古墳』
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- 2023/09/29(金) 21:41:17|
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今回から何回かに分けて、宇都宮市長岡町に所在する「瓦塚古墳群」を紹介しようと思います。
この古墳群は、宇都宮市の中心部から北方に約4kmほどの、長岡町内の丘陵上に所在します。
円墳を主体とした40基以上の古墳のうち、約30基が現存する、宇都宮市内最大規模の古墳群です。
このうち、前方後円墳である24号墳は宇都宮市の文化財として指定されています。
分布状況を分析すると、主墳である前方後円墳 (24号墳)を中心にみると、南南西に伸びる尾根上のA支群 (20〜23・25号墳)、南に伸びる尾根上のB支群 (16〜19・27〜30・42号墳)、その東に平行して伸びる尾根上のC支群 (10〜15・41号墳)、そして少し離れて南東に伸びる尾根上のD支群 (1〜6・31〜40号墳)となります。
また、北西尾根上の26号墳のように単独で支群を形成しないものや、C支群と D支群に挟まれた谷間部の一群 (7〜9号墳)のように尾根筋からはずれたやや異質なものも存在します。
今回はまず、調査保全ゾーンとして公開されているA支群を取り上げようと思います。

最初の古墳は20号墳を南から見たところです。
尾根の先端の最も低い位置にある古墳です。

ちょっと角度を変えて、北東から見た20号墳です。
規模は、直径15m、高さ1.5mの円墳で、横穴式石室の石材の一部が露出しているということでしたが、私が見学した時はどこなのかよくわからず、写真に収めることはできませんでした。

こちらは21号墳。
20号墳のすぐ東にある古墳です。
こちらは直径29m、高さ4mとかなりデカくて、急勾配な感じ。

同じく21号墳。
やっぱり古墳は下から見上げないとね。笑。

こちらは22号墳。
直径16m、高さ1.4mの円墳です。

同じく22号墳。
ちなみに私が最初に訪れた日は真夏で、その時はもっと下草が多い感じで樹木の葉も生い茂っていました。
何よりも保全ゾーン以外の古墳がかなりの藪の中であることが想定できたので、「こりゃダメだ、、、」と心折れて、その日はあまり深追いせずに出直すことにしてしまいました。
それでも一応、20号墳から前方後円墳である瓦塚古墳までの保全ゾーンは見学したのですが、それだけでもう汗びっしょり。
この10年ほどでかなり暑さが増しているように感じますし、その間に私自身もどんどん歳をとって体力が落ちていくわけで、最近はもう無理をしないように気をつけていますが、出直すことにすると、再訪するまでに何年も経過してしまったりするので、私のよくないところです。。。。
ただ、後回しにしたおかげで色々素敵な出会いもあったりもしたので、それは良かったかな。。。
とりあえず見学は冬がお勧めです。

23号墳です。
直径22m、高さは2mの円墳です。

同じく23号墳。

遠景。
左が21号墳で、右が22号墳かな。多分。。。

ここからさらに遊歩道を登った丘陵頂部に、24号墳である「瓦塚古墳」があります。
続きはまた次回。。。
<参考文献>
宇都宮市教育委員会『瓦塚古墳』
現地説明版
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- 2023/09/28(木) 19:22:59|
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画像は、宇都宮市下岡本町の「日枝神社南古墳」の跡地周辺のようすです。
ここにはたいした下調べもせず、『宇都宮市遺跡分布地図』の分布図だけを頼りに、近くを通りかかった際にぶらりと歩いてみたという感じですが、Googleマップで調べれば現地の様子は前もって確認することができますので、古墳が残存しないであろうことは想定していました。
残念ながら古墳の跡地は平らに整地されて地形が変わってしまっていて、痕跡はまったく残されていません。
しかしその後、図書館にて『日枝神社南古墳』という調査報告書を見つけて確認したところ、なんと!日枝神社南古墳は古墳ではなく、「経塚」でした。。。笑。
発掘調査の結果、塚は溝状遺構の上に盛り土されていることがわかり、溝状遺構の年代より新しいことが判明。また盛土中から五輪塔の一部や経石が出土。この五輪塔の火輪を示す三角形の形状から考えると、屋根状の端部に反りが認められることから鎌倉時代や室町時代のものではないことが判り、おそらくは江戸時代の新しい時期のものと想定されるそうです。
なら、「日枝神社南経塚」とか名称を変更すればいいじゃん、と思宇野ですが、なぜか『宇都宮市遺跡分布地図』でも名称は日枝神社南古墳のままです。

消滅した経塚の周辺には「第二公園内古墳群」という名称で2基の古墳が登録されています。
こちらは発掘調査が行われないまま消滅しており、塚の性格はわからないようですが、調査報告書では「近接した第二公園内古墳群(円墳2基)も古墳ではなかった可能性が高い」としています。
画像は跡地周辺の様子ですが、宅地化が進み、塚の痕跡はまったく残されていないようです。

画像は第二公園内古墳群のもう一基の跡地周辺の様子です。
あくまで『宇都宮市遺跡分布地図』に記載されている位置であり、正確な跡地まではわからないのですが、周辺は宅地化が進み、やはり塚の痕跡はまったく見ることはできません。

こちらは、日枝神社です。
祭神は大山咋命、配神は火産霊命・大山祇命・木花咲耶姫神です。
訪れた日はまだ日枝神社南古墳が経塚であるとは知りませんでしたので、同じ台地の縁辺部にあるこの神社になにか古墳らしき遺構があるかもしれないし、チェックしておかなければ!という感じで参拝しました。。。

塚は経塚だったんだから、この日枝神社と何か関係があったんじゃないかな?と疑っていますが、真相はわからず。。。

境内は広く、森の中になにか遺構が残っていそうに感じましたが、古墳や塚らしき高まりはありませんでした。

おまけ。
こちらは日枝神社南古墳の南方で見かけた塚状地形です。

田園の一角にある塚で、真新しい石祠が祀られています。
たぶん、古墳じゃないっすよね。。。

こちらは「十二社権現神社」。
十二社とは天神七代・天御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神・可美葦彦舅神・天常立神・国常立神・豊雲野神、地祇五代は天照大神・天忍穂耳尊・瓊々杵尊・鸕鷀草葦不合尊の十二の神を祀る神社です。
古事記や日本書紀の国生み神話を起源とする、古代人の信仰概念の中で、高天原に天神、葦原中国(国土)に地祇とし、神の生じた地位によって分けたとされています。
創建年代は不明ですが、明和初期から昭和15年の紀元二千六百年に向けて整備されたそうです。
通称「辰街道」の路傍にある神社で、通りすがりに塚っぽい高まりに見えたことから、車を停めて参拝しました。
こちらも古墳とは関係ないですね。たぶん。。。
<参考文献>
河内町『河内ふるさと探訪』
河内町教育委員会『日枝神社南遺跡・日枝神社南古墳 発掘調査報告書』
宇都宮市教育委員会『宇都宮市遺跡分布地図』
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- 2023/04/15(土) 19:39:59|
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今回は、宇都宮市下荒針町に所在する「長坂南古墳」です。
宇都宮市の遺跡番号470番、栃木県の遺跡番号7143番に登録されている古墳で、姿川右岸の台地縁辺部に位置しており、宇都宮短期大学の道路を挟んだ向かい側に残存しています。
切り通しとなった道路の石垣の上に残る円形の古墳の断面が見えるでしょうか。。。

墳丘の断面の様子です。
ちょうど墳丘の半分が道路により切断されてしまったようです。。。
残存する墳丘からすると、高さはあまりないもののかなり大きな古墳だったのかもしれません。
前回の道祖神の塚の回でもふれましたが、この古墳の北方には「宗円塚古墳群」や「上の原古墳群」、東方には「亀が窪古墳群」、南方には前回紹介した「稲荷古墳群」や「亀岡前古墳群」、「聖山公園古墳群」など数多くの古墳群に囲まれながら、この丘陵上には長坂南古墳のみが単独で残されています。

南東側から見たところ。
自転車が捨てられていました。。。
<参考文献>
宇都宮市教育委員会『宇都宮市遺跡分布地図』
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- 2023/04/05(水) 23:39:50|
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今回は、宇都宮市下荒針町に所在する正体不明の塚を取り上げます。
かなり以前より、この近くを車で通り過ぎながら、塚らしき怪しい高まりがあるなあと気がついていました。
ただし、『宇都宮市遺跡分布地図』の分布図と照らし合わせてみても、所在地周辺に古墳や塚のマークはなく、一体何の塚だろうと疑問に思いながらも、実際に確認することなく時間が経過してしまっていました。
昨年、時間の余裕のあるよく晴れた日にすぐ横を通ったことから、車を停めて近くまで見に行ってみました。

これが塚の様子。
人工的に造られた塚であることは疑いようもなく、塚上にはなんと!巨大な男根の石碑が建てられています。
ちなみにこの塚の北方には「宗円塚古墳群」や「上の原古墳群」、東方には「亀が窪古墳群」、南方には前回紹介した「稲荷古墳群」や「亀岡前古墳群」、「聖山公園古墳群」などなど、けっして古墳の少ない地域ではないものの、この塚の周辺だけは古墳空白地帯という感じで古墳群は存在しないようです。
ただし、これは最近気が付いたのですが、『宇都宮市遺跡分布地図』にはこの塚から鹿沼街道をはさんだ南側の丘陵上に「長坂南古墳」という古墳が1基、記載されています。
なら、この塚が古墳である可能性もありそうじゃないかよ、という薄っぺら〜い思考なわけですが、塚は盗掘を受けた痕跡もなくキレイな形状で、逆にそれが近世に造られた塚なのかな?とも感じます。

道祖神は、かつての村境や峠などの路傍にあり、外部からの疫病や悪霊などを防ぎ止めたり追い払ったりする神として、また行路の神、旅の神となる道祖の信仰も加わり、さまざまな性格を持って習合されるようになりました。
道陸神(どうろくしん)、塞神(さいのかみ)、岐神(ふなとのかみ)などと呼ばれ、人里から離れた山間の辺地には男根を金精神、性神として祀ったものもあるそうです。

この道祖神と塚について市内の図書館で調べてみましたが、詳しい記述を見つけることはできていません。
周辺で地元の方にお聞きしてみても詳細はわからず、残念ながら塚の性格を突き止めることはできませんでした。
これだけ巨大な道祖神ですし、塚も明らかに人工的に盛られたものであると想定されますし、もう少し深追いすればなんらかの記録を見つけることができるのではないかとも思いますし、このあたりは今後の宿題ですね。。。
道祖神はかなり斜めってしまっていて、倒れやしないか心配です。笑。
いや!もしかしたらあえてこの角度に建てたのかもしれないけれど。。。

この塚に関しては本当に何もわからず、地元で聞き取り調査をも行う中、近隣にある大運寺を訪ねて住職さまにお聞きしてみました。
実はこのお寺は平成の時代にこの地に移転してきたお寺で、住職さまはあまり周辺地域の歴史には詳しくはない、ということではありましたが、お寺の北方に「琴平神社」という神社があり、そこから道が塚まで続いていて、ひょっとしたらその道はかつての参道であり、塚の場所も境内で、塚(道祖神)と神社は関係があるかも知れない、、、というお話をお聞きすることができました。
そこで、琴平神社にも参拝することにしました。

確かに、塚のすぐ横にも供養塔らしき石碑が1基、ポツリと残されていて、その奥に塚が見えます。
塚から画像の左に向かうと琴平神社、ということになります。
距離にすると5〜600メートルほどでしょうか。
やはり神社と何か関係がありそう。

供養塔。

こんな感じの道を延々と歩きます。
琴平神社までは10分ほどでしょうか。
あまり人が歩かなくなったからなのか、道の真ん中まで雑草が茂ってきていて歩きにくいです。
これからこういう道は増えていくんだろうなと思ったり。。。

途中でもう1基、塚らしき高まりを発見。
特に塚上に何か祀られている様子はないようです。
まままさか古墳じゃないのか。。。

琴平神社です。
主祭神は高龗大神、大物主大神、素戔嗚命で、旧城山村の村社です。
『栃木県神社誌』には、「創立年代は不詳。御祭神に大物主大神を奉納斎する。農業・殖産・医薬に霊験ある大神の御威徳を称え、氏子一同崇拝して、年々報賓の意を表し、祭典を執行している。大正二年十二月、無各社八坂神社を合祀し、大正三年八月、城山村大字荒針字東耕地の無各社高龗神社を合祀した。」と書かれており、特に道祖神や塚に関する記述はありませんでした。。。

崩壊した石祠。
かつてはここが社殿だったのかな。。。

結局のところ、な〜んにもわからなかったということで薄っぺら〜い記事になってしまいましたが、とりあえず更新しておかないとそのまま放置になってしまったりするので、今回はわからないまま更新しました。
古墳ではなく、塚なのではないかな?と感じてはいますが、発掘調査が行われていないので、塚の性格はわかりません。
また何かわかったら続報しようと思います。。。
<参考文献>
宇都宮市教育委員会『宇都宮市遺跡分布地図』
栃木県神社庁『栃木県神社誌』
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- 2023/04/03(月) 23:13:01|
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今回は、以前にも一度紹介した、宇都宮市上欠町に所在する「稲荷古墳群」です。
毎年、4月1日を「姿川歴史と文化の日」として、姿川地区内の歴史・文化スポットの清掃が実施されています。
今年は「かけがえのない姿川地区の歴史を守ろう!」をテーマに、「きらきら大作戦」と称して、宇都宮市指定史跡である「稲荷古墳群」の清掃が行われました。
画像の山の尾根沿いに前方後円墳が1基、円墳が3基と、計4基の古墳が保存されています。

説明板に掲載されていた稲荷古墳群の分布図です。
今回は2号墳である前方後円墳の敷地を中心に、雑草の伐採が行われました。

2号墳はフェンスで覆われているので、フェンスの内部の草刈りも必修です!
当日は姿川歴史と文化の会、地区市民センターの職員のほか、姿川地区の住民の方の参加もありました。
ラッキーなことに雲ひとつない晴天に恵まれました。。。

昼間はもうすっかり暖かいですからね。
汗びっしょりになりました。笑。

今年は暖かくなるのが早いですし、4月1日なのにけっこう大きく育ったバッタがいたり、アマガエルがいたり。
今年の夏も暑くなるのかな。。。

こんな感じで、2号墳はかなり見学しやすくなりました。
古墳はほとんど崩れた形跡もなく、キレイに残されています。
夏になればまた草ボウボウになってしまうかもしれませんが、とりあえず見学は今がお勧めですね。

南西から見たところ。
右手前が前方部、左奥が後円部となります。

前方部から後円部を見たところ。
清掃に参加したおかげで、フェンスの中を撮影することができました。
役得役得。笑。

後円部から前方部を見たところ。

後円部上には国土地理院による三角点が。。。

1号墳の石室です。
限られた時間と人員の事情もあり、2号墳以外はまた次回の課題ですね。。。

3号墳はまったく手が及ばず。
ここはボウボウのままです。。。悔しいぜ。。。

4号墳の周囲は比較的雑草が少なく、見学しやすい状況です。。。

お隣の丘陵上にある「うつのみや遺跡の広場資料館」には、稲荷2号墳から出土した埴輪が展示されています。
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- 2023/04/02(日) 20:41:10|
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わりと最近、この古墳の横の道を車で通り過ぎました。
「あ、あれ?なんかいつもと風景が違うな?」と感じて、「げ!まさか古墳がなくなってる?」と思って振り返ったら、墳丘自体は残されていましたが、墳丘上の樹木が伐採されて丸裸になっていました。笑。
古墳がなくなっちゃったかとびっくりしましたが、むしろ見やすくなったわけだし、写真撮りを撮らなきゃ、というわけで、次に近くを通る際にはちゃんとカメラを持参しました。笑。

元々は前方部を西に向けた前方後円墳だったのですが、前方部が削平されて現在はまるで円墳のようです。
古墳の詳細は、前回の記事を読んでみてくださいね。
【このブログの過去の関連記事】
http://gogohiderin.blog.fc2.com/blog-entry-1332.html (2021年07月12日号「東谷古墳群その8 双子塚古墳」)
前方部は消滅しましたが、後円部はとてもきれいに残っていますね。

な、なんか墳丘上に重機の跡が見られますな。。。

以前はこの古墳の墳丘上は森でした。笑。
それはそれで厳格な感じがして古墳らしいのですが、そうなるとやはり真夏の見学はなかなか厳しいですからね。
これから暖かくなったらまた草ボウボウになってしまうかもしれないし、見学は今がお勧めかも。。。

墳頂部には、三日月様と千勝様の祠が祀られています。
さっそく参拝します。

こちら側に前方部が伸びていたはずですが、痕跡は見られませんね。。。

墳頂部の様子です。

これは2014年8月の写真です。
真夏だったから古墳には登りませんでした。。。笑。

こうして、状況が変わってきたなという古墳もちょくちょく見かけます。
引き続きコツコツと更新します。。。
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- 2023/03/22(水) 21:49:02|
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前回に引き続き、宇都宮市下栗町に所在する「さるやま城古墳群」のその3。
最初の画像は、唯一の前方後円墳である「本郷山古墳」です。
画像の左手前が前方部、右奥が後円部という状況ですが、わかりませんよね。笑。
この古墳は、昭和63年4月から7月にかけて測量調査が行われており、全長47m、後円部径26m、前方部幅35mの前方後円墳で、高さは前方部が3.6m、後円部が3.4mと後円部に比べて前方部が発達した古墳であることがわかっています。

南から見た本郷山古墳。
左が前方部、右が後円部という状況で、くびれ部の辺りを写している状況でしょうか。。。
この画像はうっすらとその形状が確認できるかと思います。
葺石は確認されていないようですが、円筒埴輪の破片が採集されており、この遺物により、古墳は6世紀後半の築造と推定されています。
ちなみにこの古墳群の中では12号墳からも埴輪編が採集されているようですが、12号墳よりも本郷山古墳が先行するものであるそうです。

こちらは南東から見た本郷山古墳。
画像右側、後円部には祠が祀られていて、窪みとなっているのが参道です。
後円部は下草が少なく、比較的形状が見やすいようです。
左奥が前方部、右手前が後円部という状況です。

後円部を南から見たところ。
頂部に祠が祀られています。
さっそく参拝しましょう。

2本の大木が鳥居の役目を果たしていて、なかなか幻想的な雰囲気。

後円部上の様子。
左側が「猿山神社」、右側が「八坂神社」の祠です。

同じく後円部上の様子。
右奥の前方部がかなり高くなっているのがわかると思います。

前方部上から後円部を見たところ。
前方部側はかなり藪が激しく、全体像を捉えるのは厳しい状況です。

前方部を西から見たところ。
なかなか立派な前方後円墳が残っていますし、周囲のさるやま城の遺構もかなり良好に残されているという状況で、藪になって荒れ果てているのがなんだかもったいないなあと思ったりします。

さて、ここからは本郷山古墳の周囲に点在する円墳です。
まずは「さるやま城古墳群13号墳」。
本郷山古墳のすぐ東側に隣接する古墳で、かなり鬱蒼とした藪の中に存在するため、古墳の全貌を捉えるのは難しい状況でした。
画像は、かなり近づいて撮影した状況です。。。

続いて「さるやま城古墳群10号墳」。
13号墳とそっくりですが違うんですよ。
もうね、古墳群東側の円墳はすべてボウボウの藪の中ですわ。。。

こちらはやっと見つけた「さるやま城古墳群7号墳」です。

「さるやま城古墳群2号墳」と思われる高まり。
この周辺は城跡の土塁がかなり高く積まれていて紛らわしいのですが、おそらくこれが2号墳であると思われます。
墳丘の北側は生コンの会社の敷地に切られていて、残存するのは南側の半分ほどです。

最後は「さるやま城古墳群3号墳」です。
コレも、ボウボウの藪の中をかき分けて進んで、やっと見つけました。
とりあえずは、残存する古墳の写真はここまでです。
よほどの古墳マニアでない限りは、この藪をかき分けて古墳を探す必要はないんじゃないかなと思いますが、城跡としても見どころが満載な場所でもあるので、こういう場所を整備して公園などにできればいいのになあと思ったりします。。。

最後に1枚だけ、城址の堀の写真です。
直線的に綺麗に残されていますよね。。。
都心部には城跡はほとんど残されていなかったこともあり、これまであまり深掘りすることもありませんでしたが、お城がこんなに身近にたくさんあったんだということを最近になって知りました。
深掘りすると面白いんだろうなと感じていますが、当面は浮気せずに古墳一筋ということで。。。
<参考文献>
宇都宮市教育委員会『宇都宮の遺跡』
宇都宮市教育委員会『宇都宮市遺跡分布地図』
宇都宮大学考古学研究会「宇都宮市下栗町本郷山古墳墳丘測量調査報告」『峰考古 第7号』
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- 2023/03/05(日) 23:43:07|
- 宇都宮市の古墳・塚
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