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古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

さいたま市中央区「富士塚」

さいたま市中央区(旧与野市) 富士塚1

 画像は、さいたま市中央区八王子1丁目にある「八王子神社」です。

JR埼京線与野本町駅から北西へ約1300メートルの場所で、与野支台の西側台地端から300メートルほど東へ入った台地上平坦部に所在します。

 この神社の境内には大きな富士塚が1基、存在します。
 早速参拝しましょう!


さいたま市中央区(旧与野市) 富士塚2

 境内の様子です。

 この地域の「八王子」という地名はこの神社の鎮座に由来しています。

 祭神は田心姫命・湍津姫命・市杵嶋姫命・正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命・天之穂日命・天津彦根命・活津彦根命・熊野橡樟日命の八柱で、創建については明らかでないものの、『融通念仏縁起』(京都清涼寺所蔵)によれば、正嘉年間(1257〜1259)のころに、「全国的に疫病が流行した時、与野郷のある名主が、念仏を修し、家内の老若男女もろともに疫病を免れた」と伝えています。

 江戸時代には八王子村の鎮守となっていたほか、明治6年には村社に列格していました。


さいたま市中央区(旧与野市) 富士塚3

 富士塚の様子です。

 塚に祀られている浅間神社は、『新編武蔵風土記稿』に記述が見られ、江戸時代後期にはその存在が知られていたようですが、富士塚として塚が築造されていたかどうかは不明です。
 しかし、『武蔵国郡村誌』の八王子村の条に「富士塚」という小字名があることから、少なくとも明治初年には塚は存在していたと考えられています。

 塚は、八王子神社の北側に隣接しており、本殿は塚の南西部分を一部削平して造られています。
 規模は、東西25m、南北24m、高さは5mで、ほぼ円形を呈しています。


さいたま市中央区(旧与野市) 富士塚4

 塚には石段が設けられており、頂上の浅間神社を参拝することができます。

 塚の中腹には「富士小御嶽大神」の石碑が建てられており、これは富士講の人々によって建てられた石碑です。
 さらには浅間神社の御由緒の説明板が建てられており、次のように書かれています。

 浅 間 神 社 御 由 緒
⬜︎ 御 縁 起( 歴 史 )
 当社は、鎮守である八王子神社の西北に隣接した、高さ約5メートル、
径約一二メートルの堂々とした塚上に鎮座している。
 創建については明らかでないが、江戸後期に庶民の間に広まった富士
浅間信仰の影響が考えられる。富士浅間信仰は、戦国末期に長谷川角行が
信者を富士講としてまとめ、次いで江戸中期に食行身禄が富士講身禄派を
興した。更に、江戸末期に身禄派の小谷三志が不二孝を興し、勤労の重視、
孝道の実践などを教義の中心に据えたことで庶民の間に広まり、後に隆盛
を極める基礎となった。その後、江戸を中心として急速に広まった富士講
の影響は当地周辺にも及び篤信者を生んでいる。寛政十二年(一八〇〇)
から安政四年(一八五七)の間に五八回の富士登山を果たした沢田屋平左
衛門は、その代表的な人物であろう。このような富士浅間信仰の高まりを
機に、八王子神社の別当であり、富士浅間信仰とかかわりの深い天台系
修験の東覚院が、当社を勧請したのであろう。
 東覚院は、本山派修験中尾村玉林院配下で、寛永年間 (一六二四 - 四四)
に当地へ土着した。神仏分離により東覚院は廃寺となった。
⬜︎ 御 祭 神
 ・木花咲耶姫命 ・大山咋命
⬜︎ 例 祭 日
 ・例祭…七月一日




さいたま市中央区(旧与野市) 富士塚5

 頂上の様子です。
 一辺約2mの八角系のコンクリート造りの平坦部が設けられており、「浅間社」の石造の祠が祀られています。


さいたま市中央区(旧与野市) 富士塚6

 境内社である稲荷社の背後に見える富士塚です。

 ちなみにこの塚、『埼玉県古墳詳細分布調査報告書』には古墳として記載されているのですが、現在ネットで公開されている『さいたま市遺跡地図』には記載されていません。

 『与野市史 自然・原始古代資料編』の762ページに、この富士塚についての記載が見られるのですが、「地方によっては、古墳の墳丘を利用してその上にさらに土を盛り、浅間塚・富士塚などとする場合があるが、この塚にその可能性はないと考えられる。」ときっぱりと書かれています。

 現在ではこの塚は、古墳ではないのではいないかと考えられているようです。
 いや、紛らわしいな。笑。塚だと考えられているようです、だ。。。


さいたま市中央区(旧与野市) 富士塚7
 
 北西から見た塚の様子。
 やはりかなり大きな塚で、古墳を流用したかのようにも感じられますが、違うのですねー。。。


さいたま市中央区(旧与野市) 富士塚8

 南東から見たところ。

<参考文献>
与野市『与野市史 自然・原始古代資料編』
埼玉県神社庁『埼玉の神社 北足立 児玉 南埼玉』
さいたま市教育委員会『さいたま市の塚調査報告』
現地説明板


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  1. 2022/04/03(日) 19:06:10|
  2. 埼玉県の古墳・塚
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さいたま市桜区「白鍬塚山古墳」ーさいたま市指定史跡ー

桜区 白鍬塚山古墳1

 この古墳はさいたま市内で確認されている中で最も古い古墳であるとされています。昭和62年(1987)に行われた発掘調査により、周溝の一部と、古墳に隣接する2基の円形周溝墓が検出されています。

 古墳は、墳丘径約30メートル、周溝外形約45メートルの円墳であると推定されていますが、調査が行われたのが周溝の一部であるため、前方後円墳である可能性も残されているのだそうです。。。


 古墳の周囲は開発が進んでおり、四方を建物に囲まれています。
 私はご近所の奥様に場所をお聞きして、「古墳の前まで行って大丈夫ダヨ」ということで、近寄ることができました。

 敷地内には浦和市教育委員会による説明板が設置されており、次のように書かれています。


浦和市指定史跡
 白 鍬 塚 山 古 墳
昭和四十六年二月1十二日指定
 白鍬地区の鴨川沿いの地域には、かつて多くの古墳が
あり、現在も四基の古墳が残っている。白鍬塚山古墳は
このうちの一基で、墳丘は大きく削られてしまっている
が、現在残されている部分は径約十五m、高さ約三mで
ある。昭和六十三年に古墳西側の部分で発掘調査が実施
され、最大幅九mに及ぶ古墳の周堀の一部が確認された。
その結果をもとに墳丘の規模を復元すると、径三十m以
上となることが判明した。
 この調査の際に、周堀の中から多くの埴輪が出土した。
それらの埴輪は五世紀後半の特徴を持つことから、古墳
の築造もこの時期と考えられる。また、西側の小古墳か
らは小型の銅鏡も出土している。
 五世紀後半の築造時期は、県南部ではかなり早い段階
である。荒川下流域における古墳文化の成立過程を解明
する上で、白鍬塚山古墳は欠くことのできないものであ
る。
平成十年三月
                 矢 作  知 英
                 浦和市教育委員会




桜区 白鍬塚山古墳2

 古墳は、南北に連なる「大久保古墳群」のうち、北側に分布する「白鍬支群」に属しており、この白鍬塚山古墳の他に「かね山古墳」、「権現塚古墳」を含めて3基の墳丘を見ることができます。

 また周辺地域では、発掘調査により周溝などの多くの古墳の痕跡が確認されています。

<参考文献>
塩野博『埼玉の古墳 北足立・入間』
さいたま市立博物館『第32回 特別展 さいたまの古墳』
現地説明板


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  1. 2022/04/02(土) 22:53:05|
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さいたま市桜区「御嶽山古墳 (遊び塚古墳)」

さいたま市桜区 御嶽山古墳(遊び塚古墳)

 画像は、さいたま市桜区白鍬に所在する「御嶽山古墳」です。

 この古墳、詳細がよくわからないまま訪れました。
 四方を建物に囲まれているので、ぼんやりしていると気がつかずに通り過ぎてしまいそうですが、民家と民家の間にちらりと見える墳丘を運よく見つけることができました。

 地元では別名、「遊び塚古墳」とも呼ばれているそうですが、その由来はわかりません。
 名称が「御嶽山」だし、山岳信仰に伴う塚である可能性も考えられるかもしれませんが、このあたりも真相は不明です。

 墳丘の頂部に電柱がぶっ刺してあるのですが、いいのかな。。。

<参考文献>


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  1. 2022/04/01(金) 23:59:18|
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さいたま市桜区「権現塚古墳」ーさいたま市指定史跡ー

さいたま市桜区 権現塚古墳

 画像は、さいたま市桜区白鍬に所在する「権現塚古墳」です。

 昭和35年に当時の浦和市の史跡として指定されており、現在はさいたま市の史跡として指定されています。



 民家の敷地内にあり、周囲を宅地に囲まれていることから、古墳の全貌を捉えることは難しい状況で、写真はこの角度からの1枚のみです。
 特にピンポンしたりもしなかったんですよね。なぜか。。。

 直径約10メートル、高さ約1.5メートルの小円墳で、詳細はわからないようです。



 墳丘頂部には蔵王権現が祀られています。

<参考文献>
塩野博『埼玉の古墳 北足立・入間』
さいたま市立博物館『第32回 特別展 さいたまの古墳』


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  1. 2022/03/31(木) 23:52:09|
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さいたま市桜区「かね山古墳」ーさいたま市指定史跡ー

さいたま市桜区 かね山古墳1

 「かね山古墳」は、さいたま市桜区白鍬に所在する古墳です。
 さいたま市内西部、鴨川流域に位置する「大久保古墳群」に属する1基で、昭和35年(1960)に当時の浦和市の史跡として指定されています。

 古墳には、当時の浦和市教育委員会による説明板が設置されており、次のように書かれていました。

浦和市指定史跡
か ね 山 古 墳    一基
        昭和三十五年三月三十一日指定
 かね山古墳は、大久保古墳群に属する円墳で、
現在の規模は高さ二・五m、直径一五mである。
 大久保古墳群は、古墳時代後期の古墳群で、荒
川の自然堤防上に立地している。現存する古墳は
前方後円墳及び円墳からなる一〇基ほどであるが、
かつては二〇基以上あったといわれている。
 かね山古墳は、昭和四十六年に実施された北側
周堀部の発掘調査により、周堀内直径が四〇mに
及ぶことが判明している。またこの調査の際に、
周堀内から円筒埴輪の破片が多数出土しており、
これらからこの古墳は六世紀後半ころのものと考
えられる。
 平成十年三月
            田 中  富 雄
            浦和市教育委員会



さいたま市桜区 かね山古墳2

 この古墳は、古墳群の中で墳丘が残っている古墳としてはもっとも北側に位置しています。
 開発が進んだ閑静な住宅街の中に古墳は残されています。。。


さいたま市桜区 かね山古墳3

 周溝は、深さ1.3m、幅9mで、二段にわたって掘られています。
 主体部は確認されていないようです。

<参考文献>
塩野博『埼玉の古墳 北足立・入間』
さいたま市立博物館『第32回 特別展 さいたまの古墳』
現地説明板


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  1. 2022/03/30(水) 23:26:55|
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さいたま市中央区「円阿弥(えんなみ)古墳」ーさいたま市指定史跡ー

さいたま市中央区(旧与野市) 円阿弥古墳1

 「円阿弥古墳」は「側ヶ谷戸古墳群」に属する1基で、さいたま市中央区に所在します。

 昭和54年(1979)に大宮市考古学研究会による実測調査が行われており、直径約16m、高さ2mの円墳であるとされていますが、墳丘全体に耕作による撹乱と削平がみられることから、築造当時はもう少し大きな古墳であったと考えられます。

 古墳は画像の植え込みの中にあるり、墳頂に祀られている祠が路上から見られます。


さいたま市中央区(旧与野市) 円阿弥古墳2

 墳丘上には小さな桜がありました。

 これは、ちょうど2年ほど前の写真です。。。


さいたま市中央区(旧与野市) 円阿弥古墳3

 北から見た円阿弥古墳の墳丘。

 それにしても、東京在住の頃、新大宮バイパスは何度も車で走りましたが、そこから少し入ったところにこんなに古墳が残されているなんて、知らなかったなあ。。。


さいたま市中央区(旧与野市) 円阿弥古墳4

 墳頂部の様子です。
 稲荷社が祀られています。

 調査により墳丘南側から凝灰岩と粘土が多量に確認されており、これらは石室を構築していた石材であったと想定されています。

<参考文献>
塩野博『埼玉の古墳 北足立・入間』
さいたま市立博物館『第32回 特別展 さいたまの古墳』
さいたま市教育委員会『さいたま市の塚調査報告』


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  1. 2022/03/28(月) 23:17:45|
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さいたま市大宮区「台耕地稲荷塚古墳」ーさいたま市指定史跡ー

さいたま市大宮区 台耕地稲荷塚古墳1

 画像は、さいたま市大宮区三橋4丁目に所在する「台耕地稲荷塚古墳」です。

 側ヶ谷戸古墳群中、南方に位置する古墳で、現状の規模は東西約24メートル、南北約21メートル、高さ2メートルの円墳です。周溝は内径30メートル、不整形で墳丘を一周せず、馬蹄形を呈するものと考えられています。

 主体部は、南に開口する弱い胴張りのある両袖型横穴式石室で、石材は凝灰岩の切石が使われています。
 昭和40年(1965)に行われた発掘調査の際には、太刀や鉄鏃、水晶製の切子玉、ガラス製小玉等が出土しています。

 石室の構造や出土品から、7世紀前半の築造と考えられています。


さいたま市大宮区 台耕地稲荷塚古墳2

 古墳の北側の様子です。

 墳丘はほぼ原型をとどめていると考えられ、昭和32年(1957)に大宮市の史跡に、また昭和44年(1969)には埼玉県の重要遺跡に指定されています。


さいたま市大宮区 台耕地稲荷塚古墳3

 墳丘上には稲荷社が祀られています。
 多くの鳥居が建てられているのが特徴的です。


大宮区 台耕地稲荷塚古墳5

さいたま市大宮区 台耕地稲荷塚古墳4

 墳頂部の様子。


大宮区 台耕地稲荷塚古墳8

 古墳の周囲には多くの説明板が設置されており、現在のさいたま市による説明板も存在する中、旧大宮市による説明板も残されていました。
 画像は、おそらく一番最初に設置されたと思われる、大宮市教育委員会による説明板です。

古墳を大切にしましょう
 鴨川の東側にあたるこのあたり
(三橋4丁目)は、古墳が多く集
まっている地域で、側ヵ谷戸古墳
群と呼んでいます。六世紀後半~
八世紀初頭にかけて築造されたも
ので、大宮市指定史跡に指定され
ています。
 大宮市の古代史を刻む、学術・
教育上の貴重な文化財ですので、
指定区域内に入らないで見学して
ください。
昭和五十六年三月 
       大宮市教育委員会



大宮区 台耕地稲荷塚古墳6

 こちらも、大宮市による設置された説明板。

 平成8年のものです。。。


大宮区 台耕地稲荷塚古墳10

 こちらはさいたま市教育委員会によ理設置された説明板です。
 最も新しいと思われる説明板ですが、なぜかもっとも色褪せていてとても読みづらい状況です。

 北向きに建てられていて、直射日光も当たらないと思われるのですが、なぜだろう。。。


台耕地稲荷塚古墳
 大宮市内の鴨川に沿った地域に、植水古墳
群•側ヶ谷戸古墳群があります。この古墳は側
ヶ谷戸古墳群の中では最も南に位置するもの
で、昭和40年の発掘調査で横穴式石室をもつ
古墳であることがわかりました。内部から切
子玉、ガラス製小玉、木製漆塗小玉の装飾品
類と直刀、刀子、鉄鏃の武器類が副葬品とし
て出土しました。出土品は、大宮市立博物館
に展示されています。墳丘の高さは約2m、
直径は周溝の内側で南北21m、東西24mを計
る円墳です。築かれたのは、石室の構造や出
土品から判断して7世紀後半と推測されます。
 鴨川を中心とする三橋4丁目から植水地区
にかけては、古墳時代以降の歴史遺産を数多
く見ることができ、これらを訪ね歩けるよう
に歴史散歩コースをつくってあります。北方
には県南で最大規模を誇る稲荷塚古墳(大宮
西高校内)があり、鴨川を越えた植水地区に
は、林光寺や植水公民館民具収蔵庫など見所
がたくさんあります。
   さいたま市教育委員会
   生涯学習部文化財保護課




大宮区 台耕地稲荷塚古墳9

 説明板に掲載されていた石室の実測図です。

 石室は埋め戻されています。

<参考文献>
塩野博『埼玉の古墳 北足立・入間』
さいたま市立博物館『第32回 特別展 さいたまの古墳』
現地説明板


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  1. 2022/03/27(日) 23:07:19|
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さいたま市大宮区「茶臼塚古墳」ーさいたま市指定史跡ー

さいたま市大宮区 茶臼塚古墳1

 画像は、さいたま市大宮区三橋4丁目に所在する「茶臼塚古墳」です。

 この古墳は「側ヶ谷戸古墳群」に属しており、この側ヶ谷戸古墳群はさいたま市の史跡として指定されています。
 平成12年(2000)には範囲確認調査、主体部確認調査、および墳丘の測量調査が行われましたが、古墳を取り巻くはずの周溝は完全に削り取られており、黒色土で覆われていることがわかりました。つまり、墳丘の周囲はかなり削り取られており、本来の古墳の高さは1メートル以上低いものと推測されています。

 墳丘測量の結果、古墳の規模は高さ3.8m、径30mで、現状では円墳ではないかとされていますが、明治時代初め頃の絵図には前方後円墳の形の土地区画が見られることから、前方後円墳の可能性も考えられているようです。


さいたま市大宮区 茶臼塚古墳2

 南東から見た茶臼塚古墳です。

 ちなみに現代のグーグルマップで上空から確認すると、前方部は南に向いていて、道路により削り取られてしまったもののわずかな痕跡が残っているのではないか?とも思えます。

 画像の右奥が後円部で、左手前に前方部だったのではないかとも妄想したくなりますが、たまたまこの地形となっただけかもしれませんし、よくわかりません。。。


さいたま市大宮区 茶臼塚古墳3

 墳頂部からは、埴輪の破片とともに、石室に使われたと考えられる緑泥片岩の破片が多数出土しています。昭和初期には石室が見えるほど崩壊して、石材が露出していたといわれていますが、この石は古墳の石室の石材であると考えられています。

 荒川下流域の古墳の石材は、7世紀に入ると砂質凝灰岩の切石積み石室のなるのが普通であることから、この茶臼塚古墳は6世紀代に築造された古墳ではないかと想定されています。


さいたま市大宮区 茶臼塚古墳4

 この古墳は、墳丘を含む敷地が昭和55年(1980)に当時の大宮市の所有となり、墳丘の崩壊を止める工事や、説明板の設置などが行われています。

 パッと見は、かなり良好に残されている古墳かなと感じていましたが、調べてみるとかなり改変されてきた歴史があるようですね。。。


さいたま市大宮区 茶臼塚古墳5

 仮称前方部のあたりに、旧大宮市により設置された説明板が建てられており、次のように書かれています。

   大宮市指定文化財史跡
 側ヶ谷戸古墳群 茶臼塚古墳
         所在地 大宮市三橋四丁目五〇二番地
         指 定 昭和三十二年三月六日

 荒川流域の台地上には、数多くの古墳が築かれており、
それぞれ群としてまとまって分布しています。
 荒川の支流の一つである鴨川に面したここ三橋四丁目の
台地上や自然堤防上にも、いくつかの古墳がまとまってお
り、側ヶ谷戸古墳群と呼んでいます。この古墳群は500
年代から600年代にかけて築かれたものです。
 現在、形の残っている古墳は稲荷塚・上之稲荷・台耕地
稲荷塚とこの茶臼塚の四古墳ですが、石室が残されている
山王山古墳や、墳丘が失われてしまった伊刈・中郷古墳な
ど、当初は多くの古墳が築かれていました。
 茶臼塚古墳は墳丘径約三〇m、墳丘高約三mの形のよい
円墳で、六〇〇年代に築かれたものと思われます。
 平成八年三月
                  大宮市教育委員会



さいたま市大宮区 茶臼塚古墳6

 古墳の傍らには、旧側海䚵村内の水路に掛けられていた石橋の石材が置かれています。

 上の石材には、明和六年(1769)に同村観音講の15人により寄進されたことが記されています。また下の石材には文化九年(1812)の記念銘が記されています。

 この水路と石橋は、昭和4年(1929)から昭和8年(1933にかけて行われた三橋村の耕地整理の際に廃止されましたが、石材は新水路の石橋の場所に移して、昭和40年頃に改修されるまで再利用されていたそうです。


さいたま市大宮区 茶臼塚古墳7

 西から見た茶臼塚古墳の様子です。
 画像の古墳の手前、水田のあたりに「伊刈古墳」と呼ばれる古墳が存在したといわれています。昭和34年の耕地整理の際に人物埴輪や馬形埴輪が出土していることから、古墳の存在は間違いなく、一説には前方後円墳であったともいわれています。
 相当に古墳が密集した地域であったようですね。。。


さいたま市大宮区 茶臼塚古墳8

 これは、同じ側ヶ谷戸古墳群の「側ヶ谷戸11号墳」から出土した馬形埴輪で、さいたま市立博物館で公開されているものです。

<参考文献>
塩野博『埼玉の古墳 北足立・入間』
さいたま市立博物館『第32回 特別展 さいたまの古墳』
現地説明板


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  1. 2022/03/25(金) 22:50:29|
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さいたま市大宮区「稲荷塚古墳」ーさいたま市指定史跡ー

さいたま市大宮区 稲荷塚古墳

 画像は、さいたま市大宮区三橋4丁目に所在する「稲荷塚古墳」です。

 直径35m、地表面からの高さ5.92mという、側ヶ谷戸古墳群で現存する古墳の内最大規模の墳丘を持ち、保存状態も良い古墳です。
 昭和25年(1950)に、当時の三橋中学校の際に墳丘の北側を削平、昭和27年(1952)にも墳丘の東、南、西側が削平されています。また、昭和28年(1953)に周溝と墳丘にトレンチによる発掘調査が行われており、周溝は馬蹄形を呈していることがわかっています。

 ちなみに私が見学したときは、古墳の所在地は「さいたま市立大宮西高等学校」でしたが、なんと現在は閉校となっており、「大宮国際中等教育学校」へと遷り変わっているそうです。


さいたま市大宮区 稲荷塚古墳3

 画像は、さいたま市立博物館で公開されている、稲荷塚古墳から出土した円筒埴輪です。

 昭和56年(1981)から57年(1982)にかけて周溝の発掘調査が行われており、100本分の円筒埴輪や人物埴輪1体、勾玉などが出土しているそうです。

 これらの円筒埴輪は、6世紀第3四半期に位置付けられることがわかっているそうです。


さいたま市大宮区 稲荷塚古墳2

 同じく、さいたま市立博物館で公開されている、稲荷塚古墳から出土した人物埴輪の頭部と勾玉です。

<参考文献>
塩野博『埼玉の古墳 北足立・入間』
さいたま市立博物館『第32回 特別展 さいたまの古墳』


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  1. 2022/03/22(火) 23:33:46|
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さいたま市大宮区「山王山古墳(慈宝院古墳)」ーさいたま市指定史跡ー

さいたま市大宮区 山王山古墳1

 「山王山古墳」は、大宮区三橋4丁目に所在する古墳です。
 側ヶ谷戸古墳群(鴨川沿いに北から連なる「植水古墳群」、「側ヶ谷戸古墳群」、「大久保古墳群(白鍬古墳群)」といった古墳群の一支群)に属する古墳で、慈寶院の墓地内に石室材が露出した状態で保存されています。

 慈寶院に設置されている説明板にも、この山王山古墳についてふれられています。

   慈  寶  院

 慈寶院は天台宗の古刹で、慈叡山寂光寺と称します。本尊は阿弥陀
如来、明治期の中頃までは、川越仙波中院の客末の寺でしたが、現在
は総本山、比叡山延暦寺の直末となっています。
 平安時代に開創された寺院は市内に六ヶ寺ありますが、いずれも市
域の西部地域に分布しており、当寺もそのうちの一寺です。周辺の鴨
川左岸の台地上には、七世紀頃に構築された側ヶ谷戸古墳群(市指定
史跡。境内には山王山古墳の石室が露出して所在)が連なっており、
早くから開発された地域であることがわかります。
 縁起によると、平安時代の天長年間(八二四〜三四)、淳和天皇の勅
により仏教を教え導くために東国を歩かれた、慈覚大師円仁(第三代
天台座主)によって開かれたと伝えていますが、定かではありません。
しかしながら、当寺の古址(現在地より西の鴨川縁り。小字名は井刈)
の近くからは、平安時代の古代瓦が出土していますし、また元和年中
(一六一五〜二四)に没した住持の宥海和尚は開山から四十世と伝える
とことから、平安時代には既に存在していたことが知られます。
 江戸時代後期に編纂された「新編武蔵風土記稿」では、「古へ七十五
石の寺領ありしが、寛永年中故あって失へり」とあるところから、徳
川家康の江戸入府当初七十五石を寄進された寺院とすれば、中世には
かなり繁栄していたと推察できます。だが、幾多の歴史を刻んだ当寺
は判明しているだけでも、文政十二年(一八二九)、嘉永七年(一八五
四)、明治四十三年の火災によって、本堂、庫裡、宝物のほとんどを焼
失しており、残念ながら往古の面影はなくなってしまいました。
 なお、住職墓地には明治二年建立の五十三世秀応和尚の筆子塔があ
り、江戸時代末期には当寺に寺子屋が開設されていたものと思われま
す。
   昭和五十八年四月吉日
                 贈 大宮南西ロータリークラブ




さいたま市大宮区 山王山古墳3

 慈寶院の墓地内の山王山古墳所在地の様子です。
 古墳はさいたま市の史跡として指定されており、直径20mの円墳とされています。
 すでに墳丘は削平されていますが、石室の一部が露出した状態となっています。


さいたま市大宮区 山王山古墳4

 露出した石材の様子です。
 『第32回 特別展 さいたまの古墳』に掲載されている、石室の平面図と断面図から推測すると、奥壁が露出しているのでは?と感じますが、真相はわかりません。
 昭和9年に調査が行われており、石室内からは勾玉、ガラス玉といった副葬品が出土したといわれています。。。

<参考文献>
さいたま市立博物館『第32回 特別展 さいたまの古墳』
現地説明板


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  1. 2022/03/21(月) 23:45:58|
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