
今回は「市ヶ尾横穴古墳群」の探訪の記録です。
市ヶ尾横穴古墳群は、横浜市青葉区市ケ尾町に所在します。
鶴見川上流域である市ケ尾周辺にはかなり多くの横穴墓が築造されたようですが、この市ケ尾横穴古墳群はその代表的なもので、昭和32年(1957)に神奈川県の史跡として指定され、昭和58年にA群、平成6年にB群の保存整備が実施され、「市ケ尾遺跡公園」として保存、公開されています。
昭和8年(1933)と昭和31年(1956)に行われた発掘調査により、前庭部と呼ばれる横穴墓の入口前の広場部分から刀・土器類などの遺物が発見されており、ここで死者を祀る儀式が行われていたのではないかと考えられています。
19基の横穴内部の構造にはいろいろな形式がみられ、時代とともに次第に変化していった様子もうかがえるようです。

画像は、「A群」と呼ばれる支群の様子です。
6世紀後半から7世紀後半にかけて造られたという計12基の横穴墓から成り立っています。

それぞれの横穴が様々な形で保存されているのが面白いのですが、A-1号横穴は蓋してあるような感じです。
ちなみにA-2号横穴も似た感じ。。。

A-3号横穴はこんな感じ。
やはり横穴は塞がれていますが、A-1号となちょっと違う感じです。
ちなみにお隣のA-4号横穴の前庭部からは、須恵器の甕の破片が並べられたような状態で出土しているそうです。

A-6号横穴。
ここはガラス越しに内部を見学できるようになっています。

A-8号横穴。
ここは開口した状態で公開されており、横穴内部に入ることができます。

A-8号横穴を内部から見たところ。
アーチ状をしているのがよくわかりますね。

「立ち入り禁止」の看板が設置されていて、入ることのできない横穴もありました。
崩落の危険があるのでしょうか。。。

A-12号横穴。
ここもガラス越しに内部を見学することができます。

A-12号横穴内部の様子。
ちゃんと内部には照明が取り付けられていて、明るく照らされるようになっています。
さて、ここからは「B群」に移ります。
B群はA群から南へ約40メートル離れた丘陵西側斜面に造られており、計7基の横穴墓から成り立っています。
6世紀後半から7世紀後半にかけて造られたことが明らかになっており、それぞれの横穴入口部の前面には、比較的狭い前庭部がほぼ平坦に造られていることがわかっています。

同じく、角度を変えて見たB群の様子。

B-2号横穴は内部に入って見学することができます。
このB-2号とB-5号横穴からは、横穴の各部から装身具、土器などの豊富な副葬品が出土しており、当時の葬られた人々の姿をそのままうかがい知ることができます。

B-2号横穴内部の様子。
棺座、玄室と羨道の間には間仕切りの段がみられます。

内部から見たところ。
都心部とその周辺で、石室や横穴の内部に入って見学することができる古墳は多くはありませんので、貴重ですね。。。

B-4号横穴は、玄室内部の床に十文字の排水溝がつくられているそうなのですが、ガラス板の汚れがバリバリに固まっていてよく見えないという残念な状況。古墳あるあるですね。。。

B-7号横穴は、蓋の部分に解説が書かれていました。
玄室内部の床は羨道よりも一段高く、周囲には排水溝が設けられているそうです。
他に「C群」としてもう一箇所、横穴が存在したはずなのですが、2度も訪れていながら2度ともすっかり存在を見落としました。目につかなかったわけですから、整備されて公開されているような状況ではないのかもしれませんが、これはいつかまた訪れるチャンスがあったら、その日までの宿題ということで。。。
<参考文献>
現地説明板
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- 2020/05/29(金) 00:07:49|
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今回は、横浜市青葉区大場町に所在する「稲荷前古墳群」です。
この古墳群は、昭和42年から同44年にかけて発掘調査が行われています。
同じ丘陵上から前方後円墳、前方後方墳、方墳、円墳などの様々な形状の10基の古墳と9基の横穴墓が発見されたことから、「古墳の博物館」とも呼ばれました。
画像は、この稲荷前古墳群の所在地を南西から見たところです。
現在は、この丘陵上に15、16、17号墳の3基の古墳が保存、公開されており、昭和45年に神奈川県の史跡に指定されています。

古墳の所在する丘の前には、「県史跡 稲荷前古墳群」と看板が設置されています。
なんと、ここには駐車場が完備されていて、無料で車を止めて古墳を見学できるという、都心部では希少な史跡なのです!

前方後方墳である16号墳の墳丘が、木立の間にチロっと見えていますね。笑。
早速、丘の上に登ってみましょう!

16号墳です。
左手前が前方部、右奥が後方部となります。
15~17号墳の3基の古墳は昭和57年に保存整備事業に伴う発掘調査が行われており、その結果、この16号墳は前方後方墳と呼ばれる珍しい墳形の古墳であることが判明しています。そして、この前方後方墳は、正方形をした2つの墳丘を撥形をしたくびれ部で連結しているという、かなり特異な形の古墳であることがわかっています。
規模は、全長37.5m、後方部幅15.5m、前方部幅14.0m、くびれ部幅10.0~11.5mを計ります。周囲には、幅1.2~1.4mを測る周溝が確認されています。

北から見た16号墳です。
浜田普介氏による「前期前方後円墳と円墳」という論文の中では、この16号墳を「前方後方形周溝墓」とも呼称しています。
果たして、当時に築造に関わった人たちにとってこの古墳は「前方後方墳」なのか、それとも「双方墳」なのか、はたまた「前方後方形周溝墓」なのか、興味の尽きないところです。。。

墳丘上で見た16号墳。
前方部から後方部を見たという状況でしょうか。

逆に、後方部から前方部を見たところ。
奥に小さく見えるのが17号墳です。

17号墳です。
調査の結果、16号墳と同様に大量の盛土で造られている方墳であることがわかっているそうです。

15号墳です。
16号墳の北側に隣接している古墳で、調査時にすでに墳丘の大部分が削平されていたものの基底部が残存しており、一辺約12mを測る方墳であることがわかっています。つまりは、現在見られる墳丘は復元されたものとなるようです。。。
周溝の切り合いにより、16号墳より新しい時期に造られたことがわかっています。
ちなみに実はですね、最初にこの古墳群を訪れたのは9年前になります。
真夏に訪れたのがよくなかったのですが、なんと巨大なスズメバチがこの15号墳の上空をず〜っと旋回していて、まったく近寄ることができません。
それでも写真を撮りたかったので恐る恐る近づいてみると、スズメバチがぶわーっと降下してくるので慌てて逃げる、ということを3〜4回繰り返してですね。最後に意を決して15号墳に早足で近づいて行くと、怒ったスズメバチがすごい勢いで襲いかかってきて、もはや命からがら泣きながら逃げ出した(大人なのに)、ということがありました。
「もうここは『古墳なう』には掲載しない!」とすっかりあきらめていたのですが、1年半ほど前、今度は真冬に訪れて、ゆっくりと写真を撮ることができました。
ま、私ってヒマなのかもしれませんよね。。。
<参考文献>
浜田普介「前期前方後円墳と円墳 ー川崎・横浜市域を例としてー」『川崎市市民ミュージアム紀要 第13集』
現地説明板
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- 2020/05/27(水) 01:17:14|
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横浜市青葉区あざみ野南3丁目の赤田西公園内には、「赤田2号墳」という名称の古墳が復元、公開されています。
今回は、この復元古墳の探訪の記録です。

画像は、復元された赤田2号墳を南から見たところです。
この古墳がかつて所在した荏田周辺は古くは赤田と呼ばれ、起伏に富んだ丘陵地帯で、縄文時代から中世までの集落や古墳・横穴墓など14カ所の遺跡があり、昭和60年から63年にかけて発掘調査が行われました。
赤田2号墳は自然地形を利用して築かれた古墳で、規模は径約20mの円墳で、北側と南西側から周溝が検出されています。石室は、泥岩の切石を用いた両袖型の横穴式石室で、玄室は床面が3つに区切られて川原石が敷かれていました。遺体はこのいちばん奥に安置されていたようで、この部分は一段高く川原石の下には泥岩の切石がきれいに敷かれていたそうです。

画像は、これも復元された埋葬施設の様子です。
この古墳は本来はこの場所から東へ410m、北へ310m、標高56.8mの丘陵上にあったそうですが、これは現在のあざみ野南1丁目あたりであると思われます。石室はGRTにて造形保存復元して、墳丘を調査結果に基づいて復元されたそうです。
調査の結果、玄室の中からは耳環、勾玉、管玉、切子玉、棗玉等の首飾り、鈴釧(腕輪)、太刀・鉄鏃等の武器、刀子(ナイフ)、須恵器の𤭯、坏が出土しました。墳丘からは須恵器の堤瓶、甕の破片、北側の周溝からは土師器の坏が出土しており、墓前祭が行われたと考えられています。

この古墳の築造は6世紀後半と推定されており、この地域の横穴式石室の中でもっとも古いもののひとつです。
古墳は1号墳から4号墳まで4基が調査されており、2号墳の南側斜面には42基の横穴墓があり、同じ場所に古墳と横穴墓が造られていることは、古墳と横穴墓の被葬者の関係を知るうえで貴重です。
<参考文献>
現地説明板
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- 2020/05/25(月) 21:45:07|
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今回は、横浜市青葉区荏子田1丁目に所在する「荏子田横穴」の探訪の記録です。
別名「荏子田かんかん穴」とも呼ばれているこの横穴は、早渕川上流南岸の丘陵西斜面に位置しており、古墳時代後期から奈良時代にかけての有力者の家族墓と考えられています。平成5年11月1日には横浜市の史跡として指定されています。
画像の丘陵斜面が「荏子田朝日公園」として整備されており、2基の横穴が保存、公開されています。

画像が「荏子田朝日公園」です。
階段を登った奥に、2基の横穴墓が保存されています。
私の持論として、古墳の見学は、草ぼうぼうになって墳丘が見えなくなってしまう可能性のある夏よりも冬がいい!と思っていますので、この荏子田横穴も寒さのピークである2月に訪れたのですが。
衝撃の結果は。。。

なんと!公園内の芝はきちんと刈られているにも関わらず、古墳を保護するためにフェンスで覆ってしまったことが仇となり、フェンスの内部のみが草ぼうぼうという信じられない状況。横穴内部はまったく見ることができません。
いや、こういうことって意外とあるんですよね。。。がっくし(´⊿`)

この横穴は、昭和3年に学会に紹介され、その後の昭和31年には発掘調査が行われています。
現地説明板によると、1号横穴は内部が切妻造りの家型にかたちづくられ、天井部と壁面には、家屋内部を表した柱・棟木・束柱・桁などが浮き彫りに表現されているそうです。これは、当時の有力者居宅を表現したものとみられ、7世紀前半に造られたものと考えられています。
切妻造りの家型の内部が遠くからでも見られたらと思ったのですが、写真に収めるのはどうにも無理と判断。
せめて横穴の様子だけでもということで、斜面を無理やりよじ登って斜め上から撮影しました。
内部の様子までは写りませんでしたが、これが1号横穴です。

画像が、2号横穴と思われる横穴。
2号横穴は規模が小さく、7世紀後半に造られたものと考えられているようです。
田園都市線沿線は見逃している塚も多々あるので、また遊びに行けたらいいなあとも考えているのですが、とりあえずはこれまでに見学した古墳の写真を更新していく方向です。
次回、「赤田2号墳」に続く。。。
<参考文献>
現地説明板
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- 2020/05/24(日) 23:28:40|
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画像は、横浜市青葉区しらとり台に所在する「神鳥前川神社(しとどまえかわじんじゃ)」です。
祭神は日本武尊、弟橘姫尊というこの神社は、文治元年(1185)3月、武蔵国桝形城主稲毛三郎重成の創建であるとされ、白鳥前川社と称したが、何時の頃よりか白鳥を転じ神鳥と書き、之を「シトト」または「シトトリ」と呼び今日に及んでいるそうです。明治43年12月23日に、無格社神明社(祭神伊弉諾尊、伊弉冊尊)を合祀しています。
この神社には「恩田富士」と呼ばれる富士塚が存在します。

神鳥前川神社社殿の様子です。
恩田川左岸の台地縁辺部にあり、対岸には「北門古墳群」が存在するという、立地的には古墳が存在してもおかしくないような場所ですね。
社殿の左側に富士塚が所在します。

画像が、現在の「恩田富士」です。
この上恩田富士の北西に所在したという「上恩田富士(六角富士)」と「下恩田富士(榎が丘富士)」が合体して移築されたそうですが、何とも愛おしい姿にびっくりしてしまいました。笑。
現在の恩田富士の周囲には多くの石碑が存在しますが、これらはかつて上恩田富士や下恩田富士に置かれていたものが移されているものであるそうです。

富士塚を接写。
以前に、三鷹市中原3丁目所在の中嶋神社の富士塚を取り上げたことがあります。
この中嶋神社の富士塚も塚自体がコンクリートで固められているという、なかなかに異形の富士塚でしたが、この恩田富士は丸石のコンクリート固めという、とても可愛らしい富士塚ですね。。。

実は、神鳥前川神社を参拝する以前に、「上恩田富士(六角富士)」の跡地とされる場所を見学していました。
この富士塚については、「恩田メモ」という郷土研究サイトにとても詳しく書かれています。
同サイトによると、宅地造成が行われる以前は、この地域を南北に縦断していた鎌倉路または登戸道と呼ばれた道沿いに筋塚があり、昭和49年(1974)ごろには開発により破壊され、消滅したようです。

六角形という、とても興味深い形状であったこの上恩田富士なのですが、残念ながら塚の痕跡はまったく残されていないようです。
ただし、跡地付近には、塚にあったという9基の石碑が並べて保存されています。
開発が進んだ地域の一角に民家が存在しない更地があって、その片隅に石碑が集められているというかなりシュールな状況ですが、なぜこういう状況になっているのか、それも興味深いです。。。
<参考文献>
有坂蓉子『富士塚ゆる散歩』
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- 2020/05/22(金) 20:12:46|
- 横浜市の古墳・塚
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