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古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

「千住の一里塚」

「一里塚と高札場跡」1

 画像は、足立区千住仲町の大踏切通りと旧日光街道が交差する地点です。この場所には、日光・奥州道中2里目の「千住の一里塚」が所在したといわれています。
 足立史談会より平成4年(1992)に発刊された『足立区史跡散歩』にはこの一里塚について「一里塚は本来道の両側に築かれるものであるが、町中なので片側だけになったようである。それでも古図によると定法通り土を盛り上げ、その上に榎が植えられ、「是より日本橋に二里八丁」の道標が立っていたとある。」と書かれています。


「一里塚と高札場跡」2

 東側の1ヶ所のみ存在する、片側だけの一里塚だったというのが定説であるようですが、両側にあったとする文献も存在するようで、真相はよくわかりません。
 現在は、鶴亀飯店という中華料理屋さんの前の歩道の植え込みの中に、「一里塚跡」と刻まれた石碑がひっそりと立つのみで、塚の痕跡は何も残されていないようです。。。


「一里塚と高札場跡」3

 反対側の、交差点の南西角には「千住高札場跡」の碑が建てられています。
 記録によると、「尾州檜材で高さ二間幅三間奥行一間半」の規模で、五街道の初宿にふさわしい高札場であったようです。


「一里塚と高札場跡」4

 「千住高札場跡」の碑のさらに反対側、交差点の北西角の足立成和信用金庫本店前には「芭蕉像」が。
 木製なのがすごくいいなあと思うのですが、この像の素材は栃木県の鹿沼産の杉で、小林哲二さんというチェーンソーアーティストが、チェーンソーだけで彫り出した作品なのだそうです。鹿沼や日光は杉が有名ですもんね。。。


「一里塚と高札場跡」5

 現在の日光街道の様子。
 栃木県内の一里塚も古墳巡りの傍ら訪ね歩いたので、いずれ紹介できたらいいなと思っています。。。

<参考文献>
足立史談会『足立区史跡散歩』


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  1. 2020/04/20(月) 21:29:47|
  2. 東京の一里塚
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「志村一里塚」 ー国指定史跡ー

「志村一里塚」ー国指定史跡ー1

 今日は古墳ではなくて、都内に残る貴重な一里塚です。
 都営三田線の志村坂上駅を、A1出口もしくはA2出口から地上に出たところが、現在の中仙道(国道17号)で、この道の両側に対になって残されているのが「志村一里塚」です。
 江戸日本橋を出発して一里目の塚は岩槻街道の分岐点にあたる本郷森川宿に、そして2里目の塚は板橋宿の入り口にあたる平尾宿にあったといわれていますが、この2箇所の塚はすでに消滅しており、板橋区内では唯一国指定史跡となっている一里塚です。

 画像は、中山道の「志村一里塚」交差点で、塚を北西からみたところです。
 左に見えるのが北東側の塚、右が南西側の塚です。


「志村一里塚」ー国指定史跡ー2

 画像は南西側の塚です。
 この志村の一里塚は、かつては塚が崩れて道にはみ出して通行も不自由な有様であったようですが、新中仙道の建設に伴い塚はやや移動され、三段の石積みを施し、土が崩れ落ちるのを防ぎ、規模も江戸時代の昔に復し、その後、さらに石積みを行い現在の姿に改築されています。


「志村一里塚」ー国指定史跡ー3

 南西側の塚を北から見たところ。
 この塚上の二代目の榎は昭和42年(1967)に枯死しており、三代目の若木に植え替えられています。
 現在は、地元町内会などの手によって塚上に樹木などを含め、塚全体がきれいに保護、管理されています。


「志村一里塚」ー国指定史跡ー4

 画像が北東側の塚です。
 この塚上に、板橋区教育委員会による説明板が設置されており、次のように書かれています。

 志村一里塚
 江戸に幕府を開いた徳川家康は、街道整備のため、慶長九年(一六
〇四)二月に諸国の街道に一里塚の設置を命じました。これにより、
五間(約九m)四方、高さ一丈(約三m)の塚が江戸日本橋を基点と
して一里(四km弱)ごとに、道を挟んで二基ずつ築かれました。
 志村の一里塚は、本郷森川宿、板橋宿平尾宿に続く中山道の第三番
目の一里塚として築かれたもので、天保元年(一八三〇)の『新編武
蔵風土起稿』では「中山道往復の左右にあり」と紹介されています。
 幕末以降、十分な管理が行き届かなくなり、さらに明治九年(一八
七六)に廃毀を命じた法が下されるに及び多くの一里塚が消滅してい
きましたが、志村の一里塚は昭和八年から行われた新中山道の工事の
際に、周囲に石積みがなされて土砂の流出をふせぐ工事が施されて保
全され、現在に至っています。
 今日、現存する一里塚は全国的にも非常に希なもので、都内では北
区西ヶ原と志村の二ヶ所だけです。そのため交通史上の重要な遺跡と
して、大正十一年(一九二二)に国の史跡に指定され、昭和五十九年
に板橋区の史跡に登録されました。
 平成十七年三月
                       板橋区教育委員会



「志村一里塚」ー国指定史跡ー5

 南西から見た塚です。
 お隣の斎藤商店の建物と一里塚がお互いの存在を引き立たせています。
 何より電線がなくなりましたしね。
 素敵な景観です。。。

 旧中仙道の一里塚で当時の原型をとどめているのは、この志村の一里塚以外では、日本橋から28里目の高崎の一里塚のみだそうです。確か信越本線の群馬八幡駅近くの一里塚で、群馬の古墳を見学に行った際に、この一里塚も見学した記憶があります。


「志村一里塚」ー国指定史跡ー6

 この斎藤商店前にも板橋区教育委員会による説明板が設置されており、次のように書かれています。

     齋藤商店
 齋藤商店は、欅を主に扱う原木商として明治二十
二年(一八八九)に当地で創業しました。現在は竹
材を主とし、箒や笊などの竹製品も商っています。
現在の建物は、昭和八年(一九三三)の中山道(現
国道十七号線)の拡幅工事に伴って新築されたもの
です。
 建物全体は、店舗部分と住居部分が一体となって
おり、下屋庇を廻したL字型平面の入母屋造桟瓦葺
の平家に二階部分を載せた複雑な構造となっていま
す。築材には国産材を使っており、また宮大工が建
手たとも伝わりますが、大工の名前などは不明です。
 建物の外観には、破風を各所に見せる複雑な屋根
の構成や、二階の窓の手すりに高欄風の反りを持た
せるなどの意匠が見られます。さらに外壁には真壁
漆喰塗りが施されています。
 齋藤商店は、郊外の独立住宅の趣を呈する区を代
表する近代和風建築であり、近接する志村一里塚
(昭和十一年国史跡)と一体化した町のランドマー
クとしても親しまれています。また、平成四年には
「活き粋いたばしまちなみ景観賞」にも選ばれてい
ます。
 斎藤商店は、区の歴史や文化に関係が深く、ま
た、意匠的、技術的にも優秀であることから、区の
建築史を明らかにするうえで重要な建築物です。平
成二十四年度に登録文化財となりました。
  平成二十六年二月
               板橋区教育委員会

<参考文献>
学生社『板橋区史跡散歩』


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  1. 2020/04/19(日) 19:41:17|
  2. 東京の一里塚
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「西ヶ原一里塚」ー国指定史跡ー

「西ヶ原一里塚」ー国指定史跡ー

 慶長9年(1604)2月。当時の江戸幕府により、江戸日本橋を基点とした全国の主要街道に一里塚が築かれました。現在の東京23区内では18ヶ所に一里塚が存在しましたが、開発に伴う道路拡張や工事などによりそのほとんどは消滅しており、現在、対になる形で残されているのは、西ヶ原と志村の2ヶ所のみです。

 画像は、北区西ケ原2丁目に所在する「西ケ原一里塚」です。
 右側に見えるのが北側の塚で、左側に見えるのが南側の塚です。南の塚は、「本郷通り」の中央分離帯の一部となって残されています。
 日本橋から数えると、日光御成道では追分一里塚に次ぐ二里目の一里塚です。大正11年3月8日には国史跡に指定されています。


「西ヶ原一里塚」ー国指定史跡ー

 画像は北側の一里塚。
 塚の上には大きな榎の木が植えられています。江戸時代のものは、残念ながら枯れてしまい、今は新たな榎の木が植えられています。塚上には、東京都教育委員会による「西ヶ原一里塚」と「二本榎保存之碑」という2種類の説明板が建てられています。
 説明板によると、都内の日光御成道は現在の本郷通が主要なルートにあたり、岩淵宿から船で川口宿に渡ると鳩ヶ谷・大門・岩槻の各宿場を北上して、幸手宿で日光街道に合流したそうです。将軍が日光東照宮に社参する際の専用街道として使用されたことからこの名称が定着しましたが、岩槻藩主の参勤交代や藩の公用通行路に使われ、「岩槻街道」とも称されました。


「西ヶ原一里塚」ー国指定史跡ー

 北側の一里塚を接写。
 日光御成道の一里目である「本郷追分」と北区赤羽西2丁目に所在したとされる三里目の「稲付」の一里塚は、どちらも消滅して既に存在しません。
 それだけに、この西ヶ原の一里塚が対になる形で2基ともに残されていることは、とても貴重な存在です。


「西ヶ原一里塚」ー国指定史跡ー

 南側の一里塚です。
 中央分離帯の一部が小高く盛り上がっています。


「西ヶ原一里塚」ー国指定史跡ー

 南の塚の前には、「二本榎保存之碑」と刻まれた大正5年6月の記念碑が建てられています。
 大正初期、この西ヶ原の一里塚と榎が東京市電の軌道延長路線上に位置したことから、工事に伴う道路改修工事により撤去されることとなったそうですが、渋沢栄一氏をはじめ東京市長、滝野川町長、地元住民らの尽力により保存されることとなりました。これを記念して、運動に参加した有志者により建てられたのがこの「二本榎保存之碑」です。


「七社神社」

 北側の塚の横には、同じ西ヶ原2丁目に所在する「七社神社」の、昭和9年(1934)造という大きな一の鳥居が建てられています。この道路が神社の参道なのですね。早速参拝に行ってみました。


「七社神社」

 七社神社の二の鳥居です。
 この神社の祭神は伊邪那岐命、伊邪那美命、天児屋根命、伊斯許理度売命、市寸島比売命、品陀別命(応神天皇)、帝中日子命(仲哀天皇)です。旧別当無量寺持であった寛政五年(1793)の火災により古文書類が焼失しており、創立年月日や由来についてはよくわからないようです。
 末社には神明宮、稲荷神社、熊野神社、菅原神社、三峯神社があり、天照大神を祭神とする神明宮は元々この地にあった神社で、七社神社の移転により末社となったものだそうです。江戸時代に西ヶ原村の鎮守だったという七社神社は、無量寺境内であった現在の旧古河庭園内にあったそうで、明治初年の神仏分離により現在地に移されたそうです。


「七社神社」

 拝殿。


「七社神社」

 境内の様子です。
 この神社の北西には、6基の古墳からなる「飛鳥山古墳群」が所在します。武蔵野台地の東端部をなす本郷台の崖線上に立地するこの神社にもかつて古墳が存在したのではないか?と妄想しましたが、古墳らしき痕跡は見当たらないようです。
 説明板によると、この境内から隣地にかけての一部は七社神社裏貝塚として知られた遺跡で、縄文式土器、弥生式土器、土師器などが出土しているようです。


「七社神社」

 元々この場所に祀られていたという神明宮の祠です。
 古墳の上に祀られていた、ということはなかったかな。。。


「七社神社」

 境内に設置された説明板には、「無量寺」とかつての七社神社が描かれた『江戸名所図会』が掲載されていました。

<参考文献>
現地説明版


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  1. 2019/11/22(金) 23:06:57|
  2. 東京の一里塚
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「瓜生一里塚跡」

「瓜生一里塚」

 多摩市永山2丁目の鎌倉街道沿いには、多摩市内で唯一の一里塚である「瓜生一里塚」が存在しました。
 画像は、「瓜生せせらぎ散歩道」に設置されている「瓜生一里塚跡」の記念碑です。碑には次のような説明文が刻まれています。

瓜生一里塚跡
 一里塚 は、一般的には旅の目印や休憩のために榎などの木を植えた塚を
一里(約四キロメートル)ごとに設けたものである。
 瓜生一里塚は多摩市内では唯一の一里塚で、ここから西南七〇メートル
ほど離れた鎌倉街道を挟んだ両側に、径四・六メートル、高さ三メートル
ほどの塚が存在していた。
 江戸時代初期の元和三年(一六一七年)、駿河国久能山(現在の静岡市内)
に埋葬されていた徳川家康の遺骸を日光東照宮に移すために街道の整備を
行い、この一里塚が造られたと言われている。家康の柩が通ったことから
「御尊柩御成道」とも呼ばれている。
 また、一里ほど離れた町田市小野路にも、この時に造られたと思われる
一里塚が残されている。
                平成七年三月
                            多 摩 市



 多摩川を渡って府中までたどり着けば、その先の道のりはしばらくは平坦な印象ですが、木曽から小野路、瓜生への道のりは峠を越えるための坂道ばっかりで、自転車でも死にそうになりますからね(私は最後に足がつりました)。
 むかしの人は辛抱強く歩いたものと想像しますが、小野路では御尊櫃を乗せた輿が向坂を下ったときに壊れて、鍛冶屋を呼んで修理したという伝承が残されているそうですからね。大変だったんだと思います。。。


「瓜生一里塚」

 画像は、記念碑の建つ「瓜生せせらぎ散歩道」の様子です。
 実はこの日、古くからこの地に住むという奥様にお話を聞くことができました。
 奥様がお嫁に来た頃(昭和の終わり頃ですよね?きっと)、この場所には乞田川に注ぐ小川が流れていて、この川は現在は散歩道の地下に暗渠となっているそうです。耳を澄ますと、チョロチョロと水の流れる音が聞こえてきます。
 暗渠となる以前の川は蛇行しており、この地点ではもう少し西側を流れていたそうで、そのさらに西側に鎌倉街道が南北に走っており、街道沿いのバス停の奥の竹薮の中に、こんもりと塚が残されていたそうです。
 当時の鎌倉街道は今よりもずっと狭かったそうですが、奥様の記憶では残されていたのは1基のみで、もう1基の記憶はないということでしたので、先に東側の1基が崩され、残された西側の1基が鎌倉街道の拡張工事により取り払われた、ということになるでしょうか。


「瓜生一里塚」

 現在のバス停の様子です。
 バス停の名称は残念ながら「一里塚」ではなく「貝取」です。
 かつてはバス停の目の前に塚があったわけですし、一里塚でいいじゃん?と思うのですが、ひょっとしたら昔は一里塚だったのかな。。。
 ちなみに、お話をお聞かせいただいた奥様のご自宅の屋号は、一里塚にちなんで「一塚」なのだそうです。。。

<参考文献> 
現地説明板


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  1. 2019/11/02(土) 23:53:22|
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「木曽一里塚」

「木曽一里塚」

 画像は、町田市木曽西4丁目に所在する「木曽一里塚」を南東からみたところです。
 野津田町所在の「小野路の一里塚」とともに、町田市内に残る2基のうちの1基で、昭和44年(1969)には町田市の史跡として指定されています。

 現地には町田市教育委員会により説明板が設置されており、次のように書かれています。

町田市指定史跡
 木曽一里塚
所在地 町田市木曽西四丁目一四番
指 定 一九六九年(昭和四十四年)九月二日
 徳川家康は秀忠に命じて慶長九年(一六〇四)に、
日本橋を基点に東海道、東山道、北陸道に一里塚
を築かせ全国に普及させた。その後、付属の街道
である脇往還なども整備された。一里塚は旅行者
の目印として一里(約四キロメートル)の間隔で
道の両側に築かれた塚で、木陰で休憩がとれるよ
うに、榎や松が植えられた。
 町田市内には、木曽町、小野路町に一里塚が残
っている。元和三年(一六一七)に徳川家康の遺櫃
が駿河の久能山から日光東照宮へ移されたとき、
東海道の平塚から、厚木、座間、木曽、小野路、
府中と通過した。この道は、後に御尊櫃御成道
(ごそんびつおなりみち)と呼ばれた。一八世紀に
なると関東各地から相模国大山阿夫利神社へ参詣
する大山講が盛んになり、この道も大山道として
利用され、木曽と小野路は宿場町として栄えた。
木曽の一里塚も小野路と同じく道の両側にあった
が、現在は西側のものだけが残り、塚の上には武
蔵御嶽山の大口真神の小祠がある。
           二〇一一年二月設置
              町田市教育委員会




「木曽一里塚」

 塚上には「一里塚」の石碑が建てられています。。。


「木曽一里塚」

 塚の上には御岳の小祠があり、毎年四月には代参の二人が御岳講に出かけているそうです。以前は東側にも塚があったといわれていますので、一里塚であることは間違いないものと思われますが、御岳塚も兼ねているという、実はなかなか変わり種の塚なのかもしれません。

<参考文献>
忠生村村誌編さん委員会『忠生村誌』
現地説明板


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  1. 2019/10/24(木) 01:38:59|
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