
今回は、大田原市のお蕎麦屋さんのお話。
この「やすらぎの里 柚」というお店のお蕎麦が好きで、何度も食べに行きました。
自宅からは遠いのでそれほど頻繁には行けませんでしたが、湯津上周辺の古墳や資料館を訪れたり、上侍塚の現地説明会に訪れたりしたときに、わりと高い確率で食べに行ってました。
とにかくお蕎麦が美味しくて好きだった!です。

今日は「上侍塚古墳」の現地説明会だったので、昼食に合わせて食べに行ったのですが、、、
なんと「9月30日をもって閉店いたします。」の張り紙が!
ショック。。。

今日は奮発してソバは大盛り。
かき揚げも一緒に頼みました。

お蕎麦、美味しそうでしょ?
口の中で蕎麦の風味がふわっと広がる感じが好きです。

小鉢もたくさんついてきます。

食後のデザートは梨でした。

蕎麦湯はこんな感じ。
「下侍塚古墳」や「大田原市なす風土記の丘湯津上資料館」から西に向かった段丘延辺部にお店はあります(古墳かよ)。
あと一週間あるし、お蕎麦が好きな方は行ってみては?と思います。
お店は金土日しかやっていないかもですが、お昼の早い時間にいかないと、お蕎麦がなくなったら閉店です。
純粋にお蕎麦が好きで食べに行ってました。
女将さんがいつも忙しそうでした。
いつも美味しいお蕎麦をありがとうございました!
- 2023/09/23(土) 23:43:01|
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今回はまたもや脱線。
私のようなオッサンからすると、カキ氷ってのはさ。
氷の上にピンクとか黄色とか青いシロップがかかっててさ。
盆踊りとか縁日なんかで食べるやつ、っていう印象だったんですよね。
ここ何年かはコロナでお祭りもやってなかったし。
ずいぶん長いことカキ氷も食べていなかったのですが。。。
2、3年前にカンセキスタジアムが完成して、ここが栃木SCっていうJリーグのチームの本拠地になってさ。
それで、ちょくちょくサッカーの試合を観に行くようになったのですよ。
そんな中、スタジアムのすぐ東側に「果ん露」っていうカキ氷屋さんがあってさ。
いや、もう今年なんてほんと試合を観に行くたびに暑いでしょ?
カキ氷なんて子供の頃以来食べていなかったような気がするんだけどさ。
「いいね!」と思って食べてみたわけ。
画像が、メロンのカキ氷。
惜しげもなくメロンの果肉を使って、カップすら瀬戸物とかじゃなくて本物のメロンでさ。
もうこれ、どう思うよ???

写真は途中まで食べたところ。
この後、「追い氷」とか言って氷のおかわりができるシステムがあって、おかわりしました。笑。
とんこつラーメンの替え玉みたいに、氷を足してもらって食べるわけなんだけどさ。
いや〜。。。
カキ氷がこんなに進化しているなんて全然知らなかったよ。。。

食べ終わったところ。
ストローを何に使うんだヨ、と思ってたらさ、最後に汁を飲むんですって。
いやもう、汁だけでも飲んでほしいよ。笑。
美味いから。

試合が始まる前のカンセキスタジアムの様子。
まだ完成して数年だし、ピカピカです。。。

隣県の水戸ホーリーホックとの試合は「北関東ダービー」というんですよね。
試合終了間際に、新加入のペレイラがPKを決めて、なんとか引き分けに持ち込みました。
過酷な降格争いが続きますが、続報はまたいずれ。
- 2023/08/27(日) 20:05:45|
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今回は、栃木県下野市下長田にあるお蕎麦屋さん、「梅山食堂」を紹介します。
ここはちょうど1年ほど前に知ったお蕎麦屋さんで、地元の人のみぞ知る素朴なお蕎麦屋さんかもしれませんが、私は好きでワリと何度も食べに行ってます。
下野市は古墳がたくさんありますし、このお蕎麦屋さんの北には「長田塚古墳」、東には「 太夫塚古墳群」、南には「星宮神社古墳」と「上台北原古墳群」という感じでしょうか。。。
西に向かえば壬生町内にもたくさんの古墳がありますし、お蕎麦を食べたら古墳を見ないとね!

ここは、お蕎麦を注文するとまず小鉢が出てきて、それをつまみながら待ちます。
今回はおでんとお新香だったけど、小鉢はその日によっていろいろですよ。。。

お蕎麦はこんな感じ。
もりそばは600円で大盛りは100円増し。
安くて美味しい!これに限るよね。
ちなみに画像のお蕎麦は大盛りです。。。

最後に小鉢でバナナが出てくるのが印象的。
姿川右岸の台地縁辺部にあるこのお蕎麦屋さん、お薦めですわ。。。
- 2023/07/01(土) 23:30:41|
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今回は、栃木県日光市長畑にあるお蕎麦屋さん、「三たてそば 長畑庵」を紹介します。
ここは最近、地元に住む友人に連れて行ってもらって初めて知りました。
日曜日に訪れましたが、駐車場では他県のナンバーの車も多く見られ、かなり知られているようです。
市街地ではなく、農地が広がるのどかで自然豊かな場所で、このお店のお昼時が賑わっていて、面白いですよね。
おそらく、土日や祝日はかなり混むんじゃないかな?という印象ですね。。。
最近、なかなか好みのお蕎麦屋さんに行き当たらなかったのですが、久しぶりにここはとっても美味しかったです。

このお蕎麦屋さんの所在地である長畑は、日光東照宮の造営とともに日光神領に含まれ、蕎麦や朝鮮人参の産地として指定されたそうです。
お蕎麦は元来、山間冷涼な痩地を好み、とくに朝霧、夕霧が立ち籠める土地柄が最高級の品質とされていて、つまりはこの長畑地区ということになるのでしょうか。。。笑。
「三たてそば」の名称は、一に挽きたて、二に打ちたて、三に茹でたて、これが「三たて」の由来なんだそうです。

お蕎麦はちょっと多めに「二合打」をいただきました。
1,150円也。
口の中でそばの風味がふんわり広がる、美味しいお蕎麦特有のあの感じですね。
看板に偽り無し!

ネギがとっても多めでした。笑。

ちょっと写真では分かりにくいのですが、蕎麦湯はトロッとした濃厚な感じ。
正直、栃木県の飲食店は当たり外れは大きい印象ですが、美味しいお店もたくさんあるし、事前にちゃんと調べてから行くべきかなと思います。(私はそれができずに、飛び込みで入ってはハズレもたくさん引くわけですが。。。(。•́ - •̀。)ショボーン…)
- 2023/04/24(月) 20:16:33|
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今回は、下国府塚の「そば処 季楽」にあるお蕎麦屋さん、「そば処 季楽」です。
このお蕎麦やさんの存在はつい最近知ったばかりなのですが、とっても気になっていました。
まあなんというか、古墳かもしれないような塚が集中している地域の真っ只中にあるお蕎麦屋さんだし(笑)、というのはさておき、立地的にお蕎麦屋さんがありそうもない集落の一角にあるのが逆に目をひいたし、かなり立派な長屋門の前に看板がでているのも目を引きました。
栃木県内では長屋門は珍しくはありませんが、都心部で暮らしているとなかなか見ないですよね。
ここはかなり立派な長屋門です。。。

建物は、築400年の古民家を流用した建物なんだそうです。。
「とちぎのふるさと田園風景100選」に選ばれていて、建物や敷地は小山市の文化財に指定されてもいます。

お勘定するところは土間なんですよね。
私が訪れたのは13時もすぎていましたので、比較的すんなり入れましたが、込み合う時間帯はここで待つことになるのだと思います。
私は行列は好きではないのですが、うんうん。ここなら待てる。笑。

建物の中には当然ながら靴を脱いで上がります。
もちろん畳。
よさそうな着物が壁にかけられています。。。

私が注文したのは「ざるそば大盛りセット」、1300円なり。
石臼手挽き手打ちそばにしらす山椒ごはんの他に小鉢がついています。

蕎麦好きな人はこの写真を見て判断してくださいね。
おそば、私は美味しかったです。

そばつゆはあっさりした感じ。
蕎麦と古墳と両方好きな人で(どんだけいるんだよと)、下国府塚を訪れたら絶対ここですわ。。。
次回!この周辺の古墳と塚状地形!
- 2022/11/08(火) 23:59:56|
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さてさて。
最近は仕事の都合で、週に2、3日は矢板市方面に向かっています。
その道すがらずっと気になっていたお蕎麦屋さんがあって、先日やっと食べに行くことができました。
矢板市乙畑にある「ダッタンそば寿庵」です。
栃木県内で「ダッタンそば」の文字を見かけることは多くはない気がしていましたが、ここはお店の名称に「ダッタンそば」の文字が入っています。
Googleマップに投稿されているお蕎麦の写真もとっても美味しそうです。
最初に、うっかり定休日である木曜日に訪れてしまったのですが、その後はちゃんと営業日に食べに行きました。笑。

席に着くとすぐにお茶が出てくるのですが、そのお茶の急須がこれですよ。。。
おしゃれなカフェのような雰囲気というか、食器にこだわっているのが素敵です。

お箸もこ〜んな感じ。
使い捨てではないお箸で、最近流行りのエコ箸でもない木製のお箸でした。
私はエコ箸でお蕎麦やラーメンを食べるのは好きではないのですが、ここのはオシャレでしかも食べやすかったです。

今日食べたのは普通のもりそば。(大盛りです)

お蕎麦。

蕎麦湯は鉄瓶というこだわり。
鉄瓶で蕎麦湯が出てくるのは初めてだ。。。

前回食べたダッタンそば。
こちらも美味かった。。。

写真にすると、普通のお蕎麦と区別がつきにくいのですが、色も風味も全然違います。

当然ながらダッタンそばの蕎麦湯が出てくるわけです。
蕎麦湯の鉄瓶は何種類あるんだろう。笑。
ルチンが通常のそばの100倍以上あるそうですよね。
なんというか、私向きだと思う。。。

かなりメニューが豊富で、実は女性向きだと思います。
お昼は11:30~14:30ということですが、お蕎麦がなくなると閉めてしまうそうなので早めに行くのがいいかも。
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- 2022/09/06(火) 18:00:20|
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今回は脱線して蕎麦屋探訪企画。
港区赤坂4丁目の「蕎麦きり みまき」です。
お蕎麦のみならず、セットのカツ丼や天丼も絶品で、しかもリーズナブルなお値段というこのお店。。。
人気店なので平日のお昼時は少々並ばないといけませんが、昼食をガッツリ食べて仕事に挑むぜ!という人には絶対お勧め!ちなみに、私は赤坂でのお仕事は昼の12時からなので、ちょっと早めに赤坂を訪れて、混雑前の11時台に食しています。

3日ほど前に訪れましたが、カウンターにて「昨日から新そばに切り替わったんですよ」とお聞きして、「お。ラッキー!」と嬉しくなりましたが、よくよく考えると8月のこの時期に新そばって、かなり早いですよね?
それを聞いてみたら、そういう早い時期に収穫できるお蕎麦があって、長野の安曇野から取り寄せているんだそうです。
おお!私の愛する信州のお蕎麦。。。笑。
カウンターでね。そんなふうにお声をかけていただくだけでも嬉しい気持ちです。。。

私は信州の、特に戸隠のお蕎麦が大好きなのですが、「あ、今年は新蕎麦の季節に戸隠に行きたいな〜」とかね。
思ってしまいました。
というわけで、今回な都内のお蕎麦屋さんの話題でした。
次回はまたいずれ。。。
- 2022/08/26(金) 23:10:24|
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今回は脱線して、私の好きなお蕎麦屋さんの話。
浅間塚古墳近くのお蕎麦屋さんが美味しかったので書き記しておこうと思います。

古墳を散策中に「下野茶屋」という看板が目に入り、お食事をしました。
初め入ったお店ではついつい守りに入ってしまって「もりそば」を頼んでしまうことが多いのですが、この日はメニューに「大根そば」という文字が目に入り、ちょっと迷いました。
お店のお姉さんに「大根そばともりそば、どちらがお勧めですか」と尋ねたところ、「大根そばがイチ押し!」ということだったので、注文してみました。
これがもう、私好みでバカうま!
口の中で蕎麦粉の風味がブワッと広がるあの感じね。
細切りの麺に大根がまぶしてあって、とっても美味しかったです。
蕎麦好きだったら、この写真を見ただけでわかりますよね?
ちなみに大根そばは720円、大盛りは100円増しで820円です。
次、もう一度行った時にはもりそばを注文しようと考えていますが、これはまだ実現していません。

蕎麦湯です。
この日はね、浅間塚古墳を見学した後、加須市方面の古墳を見学しました。
最も近いのは浅間塚古墳ですね。
このあたりを通りかかることがあるなら、ここのお蕎麦はおすすめしたいですわ。。。
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- 2022/08/13(土) 19:20:52|
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今日はふと思い立って、鹿沼市入粟野にある「賀蘇山神社」にお参りに行ってきました。
私のささやかな趣味である御朱印巡りもさることながら、別にもうひとつ、この神社を訪ねてみたい理由もありました。。。
画像は、賀蘇山神社の一の鳥居です。
地元の人には「尾鑿山(おざくさん)」と呼ばれる(地元でがそやまじんじゃ、と訪ねても知らないといわれてしまったりするらしいです。笑。)神社で、祭神は天御中主神・月読命・武甕槌命で、配神は大国主命です。

石段を登ると二の鳥居が見えてきます。
賀蘇山神社は『日本三代實録』記載の社で、ちなみに山一つ東にある上久我「加蘇山神社」も『日本三代實録』記載の社で,賀蘇山神社と加蘇山神社には共通の奥宮があり、石裂山(地元では尾鑿山とも呼ばれる)の山頂直下の岩屋が奥宮であるそうです。
今日は、家を出るのが遅かったこともあり、加蘇山神社や奥宮への参拝は行いませんでしたが、これは涼しくなってからの宿題です。。。

賀蘇山神社社殿の様子です。
神社の周辺にはほとんど民家もなく、杉林に囲まれています。
この周辺では、天狗の伝説なども残されているようなのですが、うん、天狗、いたかもしれない、と思えてきます。。。

社殿の左側に、鹿沼市指定史跡である「賀蘇山神社大杉切株」が保存されていました。
幹の周囲は14.8メートル、 樹高は70メートルにも及び、御神木として仰がれてきたそうで、一の枝の直径が1メートルほどの巨木の年齢は1800年あまりといわれ、日本一と判定されたそうです。
明治44年(1911)7月20日に落雷を受けた際には、古木ゆえの空洞の幹が大煙突のようになり、凄まじい猛火に三日三晩の消火を要したそうです。大正6年(1917)2月には人家火災の類焼を受け、同年9月に地上2.5メートルを残して伐採されたそうです。
樹齢1800年は、古墳時代をも見てきたわけですよね!
すごい。。。

大杉切株には祠が祀られていました。
神社の名称はもちろん、「大杉神社」でした!

急に賀蘇山神社に行こう!と思い立ったのは、この存在でした。
ひょんなことから入手したもので、縦に長い和紙に「賀蘇山神社」と刷られていて、神社の印も押されています。
時期的には、明治から昭和初期あたりまでのものではないかと想定しましたが、当時の御朱印みたいなものなのかな?と妄想はするものの、果たしてどんなものなのか正体もわからない状態でした。
それで、神社に直接聞きに行ってみよう!と思い立ったわけです。
なんと運よく、神社の神主さまにお話をお聞きできました。
やはり、少なくとも江戸期のものではなく、神仏分離が行われた明治以降から、新しくても戦前のものであるのは間違いないものの、正確な年代まではわかりませんでした。
結論としてはこれはお札みたいなもので、ある種の御朱印みたいなものと言ってもいいかもしれないそうで、おそらくは、例えば当時盛んだった講の集まりなど、何かの集まりがあってそこで配られたとか、または納経の際に配られたかとか、そういうものなのではないかと想定されますが、正確なところまではわからずです。
本来であれば、掛け軸にして飾るようなものだったのかもしれませんし、押された印も現在では神社には残されていないそうですし、希少なものであることは間違いないのかも。。。
神社では貴重なお時間をいただき、色々と勉強させていただきました。
感謝しております。。。

御朱印もいただきました。
印刷の書き置きではなくて直筆なのですが、すごい達筆!
私は、小学校時代に母親に書道を習ったのですが、それ以降はまったく書いていないし、もう書けません。
筆でここまで書けるって憧れますね。。。

さてさて、賀蘇山神社に向かう途中の道沿いに、定期的に石碑が建てられていて説明板も設置されているのを見かけました。気になっていて、神社に行った帰りに止まってみてみようと考えていましたが、最近の私の傾向ですが、すっかり忘れて車を飛ばしていました。
「お〜っと!」と思い出して急ブレーキをかけたわけですが、なんと!石碑は賀蘇山神社までの道標でした。
画像は二十一丁目ものです。

画像は二十七丁目のもの。
昔の人は、遠方の神社へお参りするにも車もなく、大変だったろうなあと思っていましたが、電気や動力がない時代は、水を容易に調達できることは重要で、山間地域は平地より住みやすい場所だったそうですね!
山は水を始め多くの恵みを与えてくれる存在で、神坐す聖域と考えられたのだそうです。。。

三十五丁目のものです。
ちなみに一里は三十六丁だそうなので、一丁は111メートルほどとなります。
神社に向かう人のために約100メートルおきに道標を建てたわけですから、さすがは賀蘇山神社!という感じ。
この道標の存在は知らなかったけど、ほかの神社にもあるのかな。。。

これは四十一丁目のもの。
この道標は57本建てられたと記録されているそうですが、残存するのはわずか10本で、このうち最も遠くにあるのが、この四十一丁目のものです。
私が見学したのは四ヶ所のみですので、6ヶ所は見落としたわけです。。。

途中で見かけた塚。
『鹿沼市遺跡分布地図』にも掲載されてないやつです。
畑と畑の境にあり、フェンスが塚を避けてここだけ弧を描いています。
何基か石塔が建てられているのが見えますが、近寄れませんでした。。。

同じく途中で見かけた塚。
これは単なる残土の山かも。。。
<参考文献>
栃木県神社庁『栃木県神社誌』
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- 2022/08/06(土) 23:30:38|
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西東京市内の庚申塔シリーズ、いよいよ今回が最終回です!

まずは、柳沢2丁目19番地に所在する青面金剛庚申塔です。
元々は、青梅街道に面した旧上保谷100番地に立っていたそうですが、青梅街道の拡張により昭和45年(1970)2月に現在地の小祠に安置され、柳沢睦会(商店街)の管理のもと初牛祭りが盛大に行われているそうです。

お堂の扉は施錠されていたため、隙間から必死で中を覗きました。笑。
当日は見落としてしまったのですが、祠の中にはもう1基、小青面金剛像が付置されていたそうです。。。

画像は、柳沢1丁目5番地に所在する庚申塔です。

庚申塔は、現在の伏見稲荷通り沿いの小さなお堂の中に安置されています。
この場所はあまり目立たないので、通りを歩いていると気が付かずに通り過ぎてしまいそうです。
(実際に私は一度通り過ぎて周囲を一周。裏側からお堂を見つけました。笑。)

庚申塔は、現在の伏見稲荷通り沿いの小さなお堂の中に安置されています。
上柳沢一帯で庚申信仰が盛んであった江戸時代に、個人「頓覚清心信士」を供養したという、類例の少ない塔碑です。

画像は、保谷町3丁目8番地に所在の青面金剛庚申塔です。
市道353号線に拡張した旧道と富士街道(道者街道)との交差点の西北隅に安置されています。
ちなみに個人的には、やっぱり庚申塔はこうした分かれ道にあって欲しいですよね。
恋愛で二股はいかんですが、庚申塔は二股に限ります(おやじ)。。。

お堂の内部の様子。
右側が庚申塔で、左側は大乗妙典供養塔です。
庚申塔の造立は宝永六年七月吉日で、邪鬼と三猿を踏む三面の青面金剛立像です。



中町3丁目1番地に所在する面金剛庚申塔です。
開発が進み、閑静な住宅街となった地域の一角に、静かに祀られています。

旧保谷市域では、上柳沢の庚申塔と並び立つ秀逸な庚申塔であるとされています。
下手に弓と矢を持つ像容が特色です。。。

西東京市の庚申塔シリーズ、最後は、泉町2丁目3番地に所在する青面金剛庚申像です。
現在の「榎ノ木通り」と「関道」が交差する北方、如意輪寺の旧山門から南下する道と、上宿から東南に向かう旧道が鋭角に交差する北側に、小祠の中に安置されています。
ここは江戸時代には高札場とされていた場所であり、上保谷村の中心であったそうです。

二鶏三猿を刻んだ台石の上にうずくまる邪鬼を踏まえたという青面金剛の全身像で、造立年次と作者が伴っている数少ない例であるそうです。
この日の探訪は「路傍の庚申塔」をテーマに行いました。
古墳が存在しない西東京市をじっくり巡ることができたのは、私にとっては大きな楽しみでしたが、例えば向台町6丁目の持宝院など、お寺に移されたような庚申塔を廻らなかったのは今後の課題かも。。。
色々な場所の庚申塔を散策しましたので、いずれまた機会を見て、紹介できればと思っています。。。
<参考文献>
保谷市教育委員会『保谷の石仏と石塔 一』
保谷市教育委員会『保谷の石仏と石塔 二』
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- 2020/07/05(日) 23:10:56|
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