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古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

「上郷古墳群 Ⅰ支群(しらみ塚古墳)」

上郷4号墳(しらみ塚古墳)

 今回は、上郷古墳群中Ⅰ支群に属する古墳を紹介しようと思います。
 画像は、この支群の中で唯一残存する古墳とされる「しらみ塚古墳(上郷4号墳)」です。

 この古墳は、『上三川町史 資料編 原始・古代・中世』の分布調査により確認された古墳で、当時は円墳と考えられていました。しかしその後、平成3年11月に行われた発掘調査により、全長36.5mの帆立貝形前方後円墳であることが確認されています。

 埋葬施設については不明であるようですが、円筒埴輪や形象埴輪が採集されているようです。

 この古墳が残されているのかよくわからなかったのですが、少なくとも古墳の北側、後円部の先端は残されているのではないかと考えて見学に行きました。

 画像は、このあたりかなと想定した場所で見つけたそれらしき高まりです。
 かなりな藪の中なので全体の形状ははっきりと認識できず、かなり近寄って撮影した写真です。
 果たしてこれがしらみ塚古墳の残存部分であるかどうか、確信は持てません。。。

 『上三川町の古墳Ⅰ』に掲載されている「一覧表」でも湮滅とは書かれていないので、これがしらみ塚古墳なのかなーとは思っていますが、はっきり言って自信なし!


上郷古墳群25-27号墳

 Ⅰ支群に属する古墳は、しらみ塚古墳以外はすべて消滅しています。

 画像は、25号古墳から27号古墳までの3基の古墳の跡地の様子で、発掘調査で周溝が検出されたことにより、その存在が確認されたという場所です。

 T字路となる、道路がぶつかった画像中央のあたりが25号古墳の所在地で、規模は直径22.8mの円墳で、横穴式石室が確認されています。画像左の26号古墳は11.6m×12.4mの方墳、画像中央奥の27号墳は14m×11mの方墳です。

 さらには、しらみ塚古墳と26号古墳の間からも方形の溝が検出されており、これも古墳の周溝である可能性が指摘されているようです。
 かなり多くの古墳が密集する古墳群であった可能性が伺えます。。。


上郷古墳群22-23号墳

 画像の手前あたりが「23号古墳(権現塚古墳)」、右奥あたりが「22号古墳」の跡地です。両古墳ともに農地として開墾されており、痕跡は見られません。


上郷古墳群24号墳

 画像は「24号古墳」の跡地周辺の様子です。
 やはり痕跡はまったく見られません。。。


上郷23号墳近くの石造物

 23号古墳の跡地近くにあった石造物。
 帰宅してから、古墳と関係があったかな?とも思いましたが、詳細は不明です。。。

<参考文献>
上三川町『上三川町史 資料編 原始・古代・中世』
上三川町教育委員会『上三川町の古墳Ⅰ』


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  1. 2021/01/25(月) 18:13:54|
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「上郷古墳群 Ⅱ支群 (笹塚古墳と上郷瓢箪塚古墳) 」

上郷2号墳(笹塚古墳)1

 上郷古墳群は、鬼怒川西岸の上三川町の西蓼沼から上郷にかけての台地上を占める古墳群です。古墳の分布は東西の幅約800m、南北約200mという広い地域に及び、上三川町より発行された『上三川町史 資料編 原始・古代・中世』では、便宜上5つの支群に分けて把握されています。

 今日は、そのうちのⅡ支群に属する古墳を紹介します。

 最初の画像は、上三川町西蓼沼字高田に所在する「笹塚古墳(上郷2号墳)」です。

 江川東岸の台地上に残存する古墳で、田んぼの中にポツリと残されているのですぐに見つけることができます。
 川の土手沿いに近寄ることができそうなので、早速近寄ってみました。


上郷2号墳(笹塚古墳)2

 北西から見た上郷2号墳です。

 学術的な調査は行われていないことから詳細はわかりませんが、測量図から方墳であると考えられているようです。現状の規模は一辺が6m、高さは5mで、中期古墳と推定されているようです。


上郷2号墳(笹塚古墳)3

 古墳の周囲が農地として使用されていることから墳丘裾部は削り取られているようですが、基本的には良い状態で残されているかも。
 埴輪が採集されているようなので、古墳であることは間違いないようです。
 

上郷3号墳(上郷瓢箪塚古墳)1

 画像は、「上郷瓢箪塚古墳(上郷3号墳)」の所在地を南から見たところです。

 古墳の規模は、全長68m、後円部径約38m、前方部の幅約36m、前方部、後円部ともに高さは約6mという上三川町最大の前方後円墳で、町の史跡として指定されています。

 この写真に見られる森の形状からすると、右側が前方部、左側が後円部という印象を持つのではないかと思いますが、帰宅してからあらためて『上三川町史』を読んで確認したところでは、古墳は南面しているということなので、おそらく手前に前方部、奥に後円部という状況ではないかと思われます。

 訪れた日の古墳の周囲はものすごい藪で、その藪をかき分けて入っていけるような入り口が見当たらず、残念ながらこの日は、そのお姿を拝むことはできませんでした。

 (いや、こうした篠竹が生い茂った場所も、森の中に入ると案外中は視界がひらけてきたりするのですが、ここは森の中に入り込む余地がまったくなく、夕方冷え込んできたこともあって諦めました。思い返すと、川の土手を進めば藪の中に入れたのではないかと悔いが残っているので、そのうち通りがかった際にもう一度チャレンジしようと思っています。。。)


上郷3号墳(上郷瓢箪塚古墳)2

 道路沿いには上三川町教育委員会による説明板が設置されているのですが、ご覧の通り、説明板の周囲にもびっしりと篠竹が生い茂っていて、突入できる隙がありません。


上郷3号墳(上郷瓢箪塚古墳)3

 説明板です。

 ちなみに笹塚古墳(上郷2号墳)は、上郷瓢箪塚古墳(上郷3号墳)の北方約100mという近距離にありますが、両古墳の間にはかつてもう1基古墳が存在したようです。
 大正末年頃に破壊されたといわれる伝承にのみ残る古墳で、現在、跡地は江川の流路となっており、痕跡は残されていないようです。。。

<参考文献>
上三川町『上三川町史 資料編 原始・古代・中世』
上三川町教育委員会『上三川町の古墳Ⅰ』
現地説明板


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  1. 2021/01/23(土) 20:06:01|
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「上郷1号墳(愛宕神社古墳)」

上郷1号墳(愛宕神社古墳)1

 さてさて、ここ最近ちょっとサボり気味でしたので、気合を入れ直して。笑。
 今回から、上三川町の上郷地区の古墳に移ります。

 まず今回は、上郷地区の1号墳である「愛宕神社古墳」です。
 磯川に臨む台地西縁部を占める古墳で、広大な敷地を持つ日産上三川工場の東側の森の中にあり、墳丘上には愛宕神社が鎮座します。

 昭和43年4月1日には上三川町の史跡として指定されています。


 画像は愛宕神社の一の鳥居です。

 早速見学に向かってみましょう。。。


上郷1号墳(愛宕神社古墳)2

 ちなみに一の鳥居の手前には、「愛宕神社(古墳)」の立て札とともに「県祭百選子供相撲土俵場入口」と書かれた看板が立てられています。

 子供相撲の土俵があるのは訪れてみて初めて知りましたが、後で調べてみると、現在は子ども相撲として奉納されており、平成12年(2000)までは8月24日に開催されていましたが、平成13年(2001)からは8月の第4日曜日に開催されているそうです。

 この奉納相撲は、200年もの間継続して行われている伝統行事であるそうですから、歴史がありますね。


上郷1号墳(愛宕神社古墳)3

 森の中の長い参道を歩くと、この奥に「愛宕神社古墳」が所在します。


上郷1号墳(愛宕神社古墳)4

 二の鳥居です。

 奥にはすでに古墳が見えていますね。。。


上郷1号墳(愛宕神社古墳)5

 これが愛宕神社古墳です!

 直径約42m、高さ約5mの截頭円錐形状を呈する円墳とされています。
 墳丘裾から頂部に向かって直線状の石段が設けられています。


上郷1号墳(愛宕神社古墳)6

 墳丘の手前には、近年に建てられた説明板が設置されています。


上郷1号墳(愛宕神社古墳)7

 墳頂部の様子です。

 直径約10mほどが平らに整地されており、愛宕神社の社殿が南面します。
 埋葬施設は竪穴式構造と推定されており、中期古墳であると考えられているようですが、学術的な調査は行われていないことから詳細はわかりません。


上郷1号墳(愛宕神社古墳)8

 墳頂部から見下ろしてみたところ。
 かなり高さが残されていますね。。。


上郷1号墳(愛宕神社古墳)9

 愛宕神社古墳の全貌です。
 ところどころに小さな窪みが見られはするものの、かなり良好な状態で保存されています。


上郷1号墳(愛宕神社古墳)10

 子供相撲土俵場はこんな感じでした。
 相撲が開催される8月には大瀬の人で賑わうことと思います。
 8月に来ればよかったかな。。。
 
<参考文献>
上三川町『上三川町史 資料編 原始・古代・中世』
上三川町教育委員会『上三川町の古墳Ⅰ』
現地説明板


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  1. 2021/01/22(金) 23:00:06|
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「上三川5号墳」

上三川5号墳1

 画像は、上三川町上三川4987番地に所在する「正清寺」です。
 このお寺の境内には、「上三川5号墳」なる古墳が存在します。

 さっそく、見学に入ってみましょう。。。


上三川5号墳2

 これが上三川5号墳といわれる塚です。
 古墳は鐘楼の基壇となっており、墳丘西側には石段が設けられています。

 前回は、上三川1号墳である「八龍塚古墳」を取り上げましたが、この中で、八龍塚古墳にまつわる有名な伝説も紹介しました。
 八龍塚古墳からかなりの近距離に存在するこの上三川5号墳が、かつて八龍塚の周辺に存在したという、7つの塚のうちの1基であるという可能性を考えたいところですが、そもそもこの鐘楼の基壇となっている塚は古墳なのでしょうか。。。

【このブログの過去の関連記事】
http://gogohiderin.blog.fc2.com/blog-entry-1258.html(「八龍塚古墳(上三川1号墳・普門寺西古墳)」2021/01/14)


上三川5号墳3

 西から見た上三川5号墳です。
 上三川町教育委員会より発行された『上三川町の古墳Ⅰ』によると、古墳の規模は全長12m、高さは2mで、墳形は「方墳」とされています。


上三川5号墳4

 上三川町教育委員会より発行された『八龍塚古墳』の7ページには「周囲に存在したと思われる塚については、現在その存在は全く認められない。比較的近距離において2基の塚(古墳)の存在が指摘されているが、これも古墳として良いか疑問が残る。」と書かれています。

 この2基のうちの1基が上三川5号墳であると考えられますが、学術的な調査が行われた記録はなく、古墳であるかどうかは分かっていないようです。(ちなみに「2基の塚」のもう1基は、八龍塚の北に存在した「上三川4号墳」であると思われますが、この古墳は近年の宅地化により消滅してしまったのか、見ることはできませんでした。。。)

 今後、この塚が古墳であることが確認されれば、八龍塚の伝承にある7つの丸い塚の1基はこの5号墳であるということになると思われますが、それは今後の調査の進展を待たなければならないようです。


上三川5号墳5

 いろいろと不明な点も多い「上三川5号墳」でしたが、秋の紅葉の時期に訪れたこともあって、青い空と紅葉を背景に塚の上に設置された鐘楼が絵になっていました。

 上三川は古墳の散策のために初めて訪れましたが、とても良いところです。。。

<参考文献>
上三川町『上三川町史 資料編 原始・古代・中世』
上三川町教育委員会『上三川町の古墳Ⅰ』
上三川町教育委員会『八龍塚古墳』


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  1. 2021/01/17(日) 18:53:58|
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「八龍塚古墳(上三川1号墳・普門寺西古墳)」

八龍塚古墳(上三川1号墳)00

 画像は、上三川町上蒲生に所在する「八龍塚古墳」です。

 「八龍塚古墳」は、栃木県上三川町の市街地北西部に位置する前方後円墳です。宇都宮市から伸びる岡本台地の西側平坦面に立地しており、古墳の東方には鬼怒川が、また西側には田川が南流しています。
 上三川町の役場と交差点を挟んで向かい側という、街の中心地に残存する前方後円墳です。

 画像は八龍塚古墳を北西から見たところで、ちょっとわかりにくいのですが右手前が前方部、左奥が後円部という状況です。


八龍塚古墳(上三川1号墳)01

 画像は、西から見た後円部の様子です。

 八龍塚古墳は、別名「八郎塚古墳」、また「八郎山」とも呼ばれ、古くから知られた存在でした。
 この古墳にはある伝説が残されています。

 昔、蒲生村の百姓の喜右衛門という人が歩いていて大きな森に差し掛かったとき、森の中から大きな音とともに大蛇が首を出し始め、真っ赤な舌を炎のように燃え盛らせながら八つの頭をもつ龍となり、喜右衛門さんに向かってきました。
 気も狂わんばかりに驚いた喜右衛門さんが信俊和尚のもとに駆け込むと、和尚は五鈷という仏器を手にして早速その場に向かいました。これを見た八つの頭の龍は、大きな口を開けて和尚に襲いかかってきました。
 和尚は気後れもせずにまっすぐに進み、猛り狂う龍に向かって法華経に出てくる龍女の話を聞かせながら、持っていた五鈷を真っ赤に燃える炎を吐き出す龍の口に差し出しました。
 龍は五鈷の一部を噛み切ると、満足げに深く八つの頭を下げ、大きな胴体を横にした1つの塚と7つの丸い塚になってしまいました。
 喜右衛門さんは信俊和尚の深い大きな徳に感動して、供養のために一つのお堂を建てて和尚に寄進しました。
 その後、喜右衛門さんの家は大層お金持ちになり、建立したお堂を宝蔵院と名付け、普門寺の門末に加えたそうです。


 この「大きな胴体を横にした1つの塚」というのが現在の八龍塚古墳で、さらにこの周辺に7つの塚が存在したというあたりは、古墳群の存在の可能性も想起させるところですが、周辺地域は比較的早くから開田・開発が進んで景観は著しく変わっており、残念ながらそのほとんどは消滅してしまったようです。。。

八龍塚古墳(上三川1号墳)02

 訪れた当日は、土地の所有者の方に声をかけて古墳を見学させていただきました。

 紅葉の時期と重なったため、墳丘上が色とりどりに美しく染まっていて印象的でした。
 これで個人のお宅のお庭ですからね。羨ましいです。笑。

 墳丘の南側には鳥居があり、墳頂部まで石段が設けられています。


八龍塚古墳(上三川1号墳)03

 墳丘はかなり高さが残されています。

 この古墳は、中世上三川城の物見塚として使用されたという伝承があるため、後世に盛り土された可能性も考えられるようです。

 現状規模は、全長40.0m、後円部径29.5m、くびれ部幅10.0m、前方部長10.5m、前端部幅10.0m。高さは後円部で4.6m、前方部高1.0mです。
 墳丘北側の裾部からは埴輪列が検出されており、大部分が普通円筒埴輪であるものの、一部は朝顔形埴輪も検出されているようです。
 また、葺石は認められないようです。


八龍塚古墳(上三川1号墳)04

 墳丘上から見下ろしてみたところです。

 この古墳は、前方部の長さ、幅ともに後円部径の1/2以下であり、周溝が馬蹄形に巡ることが特徴であり、宇都宮市の塚山古墳群の「塚山西古墳」に類似しているそうです。「造り出し付き円墳」というよりは「帆立貝形前方後円墳」となるようで、この特徴を栃木県内に限ると5世紀末から6世紀前葉にかけての築造となるようです。
 出土した埴輪から、八龍塚古墳の築造は5世紀後半と推定されています。


八龍塚古墳(上三川1号墳)05

 墳頂部の様子です。
 北側の隅に祠が祀られているのが見えますが、もう一箇所、西側に屋根のような不思議な形状の物体が見えます。一体なんだろう???


八龍塚古墳(上三川1号墳)06

 こちらは墳頂部の小祠。

 表面観察したところでは、盗掘などによる墳丘の大きな崩れもなく、キレイに残されてた古墳だなという印象です。
 そこで気になるのはやはり屋根のような施設の存在です。


八龍塚古墳(上三川1号墳)07

 最初は「開口した石室を保護するための施設かな?」とも思いましたが、それにしては位置が不自然ですし、なによりもどこから覗いても施設の内部を見ることができません。

 一体なんの施設なんだろう???


八龍塚古墳(上三川1号墳)08

 わずかな隙間からスマホを差し込んんで、内部を撮影してみました。
 なんと!コンクリートで固められた竪穴がまっすぐ真下まで続いています。

 どうしても正体が気になってしまって、「うざいですよねー」と思いつつ、もう一度ピンポンして土地の所有者の奥様にお尋ねしてみました。

 結論としては、奥様の祖父の代に築かれた「空気穴」であるということです。
 後で考えてみても、なぜ空気穴を設ける必要があったのかはよくわかりません。後円部南側の裾部にはこの空気穴が通じる出入り口が設けられているのですが、こちらは写真を撮っておくのを忘れてしまいました。

 先もし墳丘内部に石室が存在すれば、石室に接触した可能性も考えられるのではないかとも思われますが、このあたりも真相も不明です。。。


八龍塚古墳(上三川1号墳)08

 というわけで、色々と興味深い八龍塚古墳でした。
 ゆっくりと見学させていただいて資料までいただき、所有者の方には感謝しております。
 ありがとうございました。

<参考文献>
上三川町『上三川町史 資料編 原始・古代・中世』
上三川町教育委員会『八龍塚古墳』
上三川町教育委員会『上三川町の伝説と民話』
現地説明板


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  1. 2021/01/14(木) 23:35:54|
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「愛宕塚古墳(上三川隠滅1号墳)」

愛宕塚古墳石室 ー上三川町文化財ー1

 前回に引き続き、今回も栃木県上三川町に所在する古墳石室を紹介しようと思います。

 画像は、栃木県河内郡上三川町上三川に所在する「愛宕山公園」です。
 この公園内に「愛宕塚古墳石室」が保存されています。
 早速、公園内に入ってみましょう。。。


愛宕塚古墳石室 ー上三川町文化財ー2

 これが「愛宕塚古墳石室」です。
 右隣には愛宕神社が祀られています。

 上三川町のHPや、上三川市より発行された『上三川町史 資料編 原始・古代・中世』によると,この石室は、忠霊塔を立てる際に現在の保存場所から南に約30m弱の付近から掘り出され、往時の愛宕塚古墳は40mから50mほどの長い墳丘が西々南面していたということです。
 当時を知る地元の人によると、愛宕塚古墳は前方後円墳であったといわれているようですが、上三川町教育委員会より発行された『上三川町の古墳Ⅰ』では円墳とされており、正確な墳形はわからないようです。


愛宕塚古墳石室 ー上三川町文化財ー3

 これが現在の忠霊塔です。
 ひょっとしたら、忠霊塔の土台となる一段高くなった部分が古墳の残存部分ということになるのでしょうか?
 古墳が削平された後に盛られたものかもしれませんが、気になる存在です。。。


愛宕塚古墳石室 ー上三川町文化財ー4

 愛宕神社の祠と愛宕塚古墳の石室。
 『上三川町史 資料編 原始・古代・中世』によると、石室の規模は、側壁の長さ2.5m、高さ1.6m、奥壁の幅2.2m、高さ1.6m、羡門の幅2.3m、高さ2.1m、天井石の長さ2.95m、幅2.4m、高さ1.2mです。
 石はすべて凝灰岩の偏平な切り石を組合せて造られており、入口が板石をくり抜いてあるのが特徴的です。


愛宕塚古墳石室 ー上三川町文化財ー5

 側面から見た石室の様子です。


愛宕塚古墳石室 ー上三川町文化財ー6

 石室内部の様子。

<参考文献>
上三川町『上三川町史 資料編 原始・古代・中世』
上三川町教育委員会『上三川町の古墳Ⅰ』
現地説明板


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  1. 2021/01/10(日) 23:43:31|
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「かぶと塚古墳」ー上三川町指定文化財ー

新年あけましておめでとうございます。
昨年は御訪問いただき、ありがとうございました。
本年もよろしくお願い申し上げます。


かぶと塚古墳1

 今年最初の古墳は、栃木県上三川町に所在する「かぶと塚古墳石室」です。
 現在は墳丘が削平され、横穴式石室が露出した状態で保存されていますが、元々は全長約45メートル、高さ4.5メートルと推定される円墳で、6世紀後半の築造と推定されています。
 記録によると、墳丘は二段に塚を盛り上げて造られており、形状が「兜」に似ていたことからその名が付けられたといわれています。


かぶと塚古墳2

 南東から見たかぶと塚古墳石室です。
 ちょっとホワイトベースに似ていますね。笑。
 飛ぶかな。。。


かぶと塚古墳3

 北西から見たかぶと塚古墳石室です。
 古墳は、明治13年4月に内務省の支持によって発掘調査が行われ、土師器や埴輪、勾玉などが出土しています。大谷石で築造された石室は、露出完形のものでは県内最大といわれています。
 石室の外形は、側壁の長さは3.7m、高さ2m、奥壁の幅2m、高さ2m、天井石は2.45メートルと幅1.8メートルのもの2個となっています。


かぶと塚古墳4

 平成31年に、上三川町教育委員会により新しく設置された説明板です。


かぶと塚古墳5

 説明板に記載されていた古墳の推定規模。
 平成30年の調査により、幅約14メートル、深さ約1.7メートルの周溝が確認されています。


かぶと塚古墳6

 古墳全体を捉えるつもりで撮ると、こんな感じでしょうか。
 全長約45mということですので、かなり大きな古墳ですね。


かぶと塚古墳7

 切石の間に木の根っこが挟まっていて、長い時の流れを感じます。


かぶと塚古墳8

 石室内部の様子。
 石室には偏平に切った凝灰岩が使われており、特に入り口が板石を四角にくり抜いてあるのが特徴です。

<参考文献>
上三川町『上三川町史 資料編 原始・古代・中世』
現地説明板


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  1. 2021/01/02(土) 23:43:03|
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栃木県壬生町 「壬生愛宕塚古墳」

栃木県壬生町 「壬生愛宕塚古墳」

 画像は、栃木県壬生町に所在する 「壬生愛宕塚古墳」を南から見たところです。
 この古墳は黒川左岸の台地上に築造された前方後円墳で、大正15年に国の史跡として指定されています。北方500mほどの地点に所在する車塚古墳や牛塚古墳と同様に、栃木県中央部の大型古墳にみられる、二段につくられた墳丘の第一段平坦面(基壇)を幅広くつくる特徴がみられます。規模は、全長65m、周湟の底から高さは後円部で5.5m、前方部で6.5mあり、後円部にくらべ前方部が大きさ、高さとも著しく発達した典型的な後期型の墳形をしているようです。

 画像の、栃木街道から鳥居をくぐった奥に古墳はあり、前方部の墳頂に愛宕神社が祀られています。。。


栃木県壬生町 「壬生愛宕塚古墳」

 画像の、愛宕神社が鎮座するマウンドが前方部で、右奥が後円部ということになります。愛宕神社は、元禄7年(1694)に壬生城主の松平輝定が壬生城の鬼門除けとして建立したと伝えられています。


栃木県壬生町 「壬生愛宕塚古墳」

 周堤上からは多くの埴輪が出土しており、盾持ち人埴輪や四条の突帯を持つ円筒埴輪などが確認されています。また、墳丘の第1段上からも円筒埴輪が確認されているようです。また、埋葬施設については発掘調査が行われていないことから不明であるようですが、墳形や出土した埴輪などから、6世紀代後半に築造された古墳と考えられています。壬生地域の首長墓は「壬生愛宕塚古墳」→「牛塚古墳」→「車塚古墳」の順に築造されているようです。


栃木県壬生町 「壬生愛宕塚古墳」

 前方部上から後円部を見たところです。


栃木県壬生町 「壬生愛宕塚古墳」

 墳丘の周囲に盾形に残る、堀と土塁(周堤帯)のようすです。この愛宕塚に限らず、壬生町周辺の大型古墳は周溝も含めてかなり良い状態で残されている古墳が多いようです。

 壬生町周辺ではまだまだ多くの古墳を見学しましたが、とりあえず栃木編は一旦終了。次回からまた東京都内の古墳に戻ろうと思います。。。

  1. 2017/02/08(水) 08:38:06|
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栃木県壬生町 「ダジロー塚古墳」

ダジロー塚古墳

 画像は、壬生町に所在する「ダジロー塚古墳」を南から見たところです。
 愛宕塚古墳群や車塚古墳群とは少し離れた場所に位置する円墳で、墳丘南側に石造の鳥居があり、この鳥居をくぐり、石段を登った墳頂部には祠が祀られています。

  1. 2017/02/05(日) 19:49:29|
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栃木県壬生町 「車塚3号墳」

「車塚3号墳」

 「車塚古墳」の周辺では、国の史跡として指定されている「車塚古墳」と「牛塚古墳」の他には円墳3基と小さな石室のみからなる小規模な古墳群と考えられていたようですが、近年の「車塚古墳群」の発掘調査により、円墳 9 基、方墳 1 基(?)、小規模な石室のみの古墳 3 基が新たに確認されています。これらの古墳は、川原石積石室の特徴から車塚古墳や牛塚古墳よりも古い時代に築造された古墳であることが明らかになっています。「車塚古墳群」は、6世紀後半に、埴輪を墳丘上に並べた「車塚3号墳」を中心に円墳約20基からなる古墳群が築造され、その後、6世紀末から7世紀前半に「牛塚古墳」、「車塚古墳」が相次いで築造されたとされています。

 画像は「車塚3号墳」を東からみたところです。首長墓である牛塚古墳と車塚古墳の2基以外では、おそらくは唯一墳丘の残る古墳ではないかと思われます。篠竹が生い茂っていて墳丘のようすがよくわからないのが残念ですが、この古墳からは埴輪が出土しているようです。
 墳丘裾に祠が祀られているのですが、この存在により古墳は破壊されずに残されたのかもしれません。。。 

  1. 2017/02/03(金) 01:42:24|
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