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古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

下野市「下古山北原古墳」その2

下野市「下古山北原古墳」2-1

 先日、下野市の国道4号線沿いにある、ユニクロ石橋店に立ち寄りました。
 お店の駐車場に車を停めて、車から降りて何気なく向かい側に目をやりました。

 「まままま、まじか!」と固まること数十秒。。。

 実はかつて、このお店の道路を挟んで向かい側に「下古山北原古墳」なる古墳が存在したのですが、古墳は完全に削平され、また敷地内にあった建物も含めて整地されて更地になっていました。


下野市「下古山北原古墳」2-2

 画像の、地面の色が濃くなったあたりが古墳の跡地です。
 もはや何の痕跡も見当たりませんな、こりゃ。


下野市「下古山北原古墳」2-3

 かつての下古山北原古墳の姿です。

 すぐに報告書が刊行されているとも思えないし、下野市に電話にて問い合わせてみました。


下野市「下古山北原古墳」2-4

 文化財の担当の方によると、試掘調査が行われたものの古墳の遺構は検出されず、周溝も存在しなかったそうです。
 つまりは下古山北原古墳は近世の塚であり、古墳ではなかったのです。

 広大な更地を見たときには呆然となりましたが、とりあえずは納得。

 田川右岸の台地縁辺部には、宇都宮市から下野市にかけて多くの古墳が分布しているのですよ。
 この下古山北原古墳は、立地的には古墳なのかなと思いつつ、見学した印象は塚っぽいなとも感じていたのですが、やっぱり塚だったのですね。。。

【このブログの過去の関連記事】
http://gogohiderin.blog.fc2.com/blog-entry-1351.html(2021年09月19日号下野市 「下古山北原古墳」)



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  1. 2022/05/19(木) 23:08:16|
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下野市 「橋本神社古墳群」

橋本神社

 今回取り上げるのは、栃木県下野市の「橋本神社古墳群」です。

 画像は「橋本神社」の一の鳥居の様子です。

 この神社の主祭神は天照皇大神で、明治35年(1902)の大暴風雨により、字内の11社(字天神の天満宮、神明宮、愛宕神社、稲荷神社、神明宮、八坂神社、稲荷神社、大杉神社、諏訪神社、雷電神社、猿田彦神社)が倒破。
 このため、明治37年(1904)にこれらを合祀して現在地に社殿を造営、地名をとって橋本神社として創建されたそうです。


 この台風は栃木県内の被害が大きく、特に足尾付近の被害が甚大だったようですが、それにしても11社もの神社が倒壊してしまうとは、どれほど大きな台風であったのかとびっくりしますね。。。

 東には姿川低地、西に浅い谷が入る舌状台地上に立地する古墳群で、現在2基の古墳が残存します。


橋本神社古墳群1号墳

 これが2基あるうちの1基、「橋本神社古墳群1号墳」です。

 社殿の東に残存する古墳で、規模は東西11m、南北12m、高さ2.6mで、周囲が若干削平されて墳形が損なわれているものの、比較的良好に残されているようです。

 墳丘上で少量の土師器片が採集されているものの、埴輪は含まれていないようです。


橋本神社古墳群2号墳

 これがもう1基、神社の参道西側に所在する「2号墳」です。
 低墳丘で、墳端部が明確ではない古墳ですが、直径約15m、高さ約1mの円墳であるとされています。


橋本神社古墳群2号墳2

 墳丘上には古い墓石や石塔が建てられています。

 小さな円墳が2基という少々マニアックな古墳群ではありますが、誰でもいつでも見学しやすい古墳ですね。。。

<参考文献>
栃木県神社庁『栃木県神社誌』
石橋町『石橋町史 第一巻 史料編(上)』


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  1. 2021/10/03(日) 23:19:35|
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下野市 「下古山北原古墳」

下古山北原古墳1

 画像は、下野市霜小山に所在する「下古山北原古墳」を南から見たところです。
 田川右岸の台地縁辺部から西に約150mほど入った平坦部に位置しており、盗掘の跡も見られない、良好に保存されている古墳です。

 この下古山周辺から宇都宮市西原町あたりにかけては、田川右岸の台地縁辺部に沿ってJR宇都宮線と国道4号線(日光街道)が平行に走っており、このJR宇都宮線(当時の東北本線)の敷設や、その後の複線化に伴う工事により多くの古墳が消滅したといわれています。

 かつての旧日光街道を歩けば、かなり多くの古墳を見る事ができたのではないかと妄想しますが、現在では残された古墳はわずかなものです。


下古山北原古墳2

 規模は、南北約22m、東西約21m、高さ約3.5mで、墳形は円墳であるとされています。
 墳丘上には東側から石段が設けられており、墳頂部のわずかな平坦面には明神・愛宕・天神の祠が祀られています。


下古山北原古墳3

 西から見た下古山北原古墳です。
 遺物は採集されていないようですが、古墳東側の台地縁辺部の畑地からは少量の土師器が採集されているそうです。

 4号線を挟んだ向かい側の「ユニクロ」を目印に向かうと迷わずに着くことができます。
 とても見学しやすい古墳ですね。。。

<参考文献>
石橋町『石橋町史』


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  1. 2021/09/19(日) 18:03:35|
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下野市 「太夫塚古墳群」

太夫塚古墳群1号墳1

 下野市内の、姿川流域の沖積地には島状の微高地が点在しています。
 こうした微高地上の、下野市下古山の姿川左岸には、「太夫塚古墳群」が所在します。
 旧石橋町の遺跡番号22番に登録されていた古墳群で、現在は3基の古墳が残存しており、北から1、2、3号墳と命名されています。

 まず最初の画像は「太夫塚古墳群1号墳」です。
 昭和15年(1940)に栃木県下都賀郡教育会より発行された『紀元二千六百年記念古墳調査』には「太夫墳」の名称で記載されていた古墳で、平成3年(1991)に当時の石橋町より発行された『石橋町史』には、「周囲を耕作により削平されているが、現存の規模は南北21×東西19メートルで円墳と思われる。比高は3.5メートルである。墳頂部はやや平坦で、墓地となっている。」と記されています。
 同書記載の規模については現在も大きな変化はないのではないかとも感じられますが、墳丘の墓地化は当時よりも進んでおり、墳丘の周囲はコンクリートで覆われ、墓地化が進んでいるようです。


太夫塚古墳群1号墳2

 ちょっと角度を変えて、1号墳を北西から見たところ。
 このまま墓地化が進むと、宇宙戦艦ヤマトに出てきた「都市帝国」の上半分か(歳がバレますね)、もしくは軍艦島か、という印象ですが、古墳は残されそうな雰囲気。。。


太夫塚古墳群1号墳3

 コンクリートに埋め込まれたプレートにも「太夫塚」と書かれていました。。。


太夫塚古墳群2号墳1

 続いての画像は、「太夫塚古墳群2号墳」です。
 『紀元二千六百年記念古墳調査』では、「中塚」の名称で記載されていた古墳です。

 残存する墳丘の形状は方形っぽい印象ですが、これは耕作により周囲を削平されたためで、円墳ではないかと考えられています。
 『石橋町史』には、当時の現存規模として、南北18メートル、東西16メートル、比高3メートルと記載されていますが、これは大きな変化はないようです。


太夫塚古墳群2号墳2

 同じく、2号墳の様子。


太夫塚古墳群3号墳1
 
 最後の画像は「太夫塚古墳群3号墳」です。
 『紀元二千六百年記念古墳調査』では「芝塚」の名称で記載されていた古墳です。

 地方ではではものすごい藪の中に残存するような古墳も少なくないのですが、この太夫塚古墳群は農地に残されていますので、ゆっくりと見学できました。。。

<参考文献>
石橋町『石橋町史』


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  1. 2021/09/15(水) 23:06:11|
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下野市 「地蔵塚古墳群」

地蔵塚古墳1号墳1

 今回紹介するのは、下野市細谷に所在する「地蔵塚古墳群」です。
 姿川右岸の台地縁辺部に位置する古墳群で、墓地内に2基の小円墳が残されています。

 最初の画像は、「地蔵塚古墳1号墳」を南西からみたところです。


地蔵塚古墳1号墳2

 北西から見た1号墳。

 う〜ん。確かに塚状の高まりが残されてはいるものの、一見すると、古墳の横の舗装された道路の「土手」のような形状となっていて、何も知らずに訪れたらとても古墳であるとは気がつかないかも。。。


地蔵塚古墳1号墳3

 墳丘上にはお地蔵さまが祀られていて、周囲は墓地となっているようです。

 発掘調査は行われていないようなので、埋葬施設や埴輪、葺石等の外部施設については不明で、出土品などの詳細もわかりませんでした。。。
 規模は、直径約10mほどの円墳であると考えられています。


地蔵塚古墳2号墳1

 こちらは「地蔵塚古墳2号墳」の様子。

 暮石の奥の木立となったあたりが古墳の跡であると考えられます。

 明確な古墳らしき形状は特に見当たらないようなのですが、、、


地蔵塚古墳2号墳2

 暮石の背後に回り込んで見ると、わずかな古墳らしき高まりが!((((;゚Д゚)))))))
 おそらくこれが2号墳であると思われます。

 2号墳も1号墳と同様に、直径約10mほどの円墳であると考えられているようです。

<参考文献>
石橋町『石橋町史』


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  1. 2021/09/09(木) 23:30:49|
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下野市 「上大領東原古墳(御笹塚と御志塚)」

上大領東原古墳(御笹塚)1

 今回紹介するのは、下野市上大領に所在する「上大領東原古墳」と呼ばれる2基の古墳で、最初の画像は「御笹塚」と呼ばれる南側に所在する1基です。

 現在は小さな塚の上に祠が祀られているという状況ですが、昭和15年(1940)に栃木県下都賀郡教育会より発行された『紀元二千六百年記念古墳調査』によると、古墳の規模は126尺と記載されており、直径37m前後とかなり大きな円墳であったようです。。。


上大領東原古墳(御笹塚)2

 南から見た御笹塚です。
 昭和初期に、周辺の水田整備のために覆土が利用されて墳丘が削平されてしまったようです。

 ここに古墳が存在したことは間違いないようですが、はたして現在の小さな高まりが古墳の残存部分であるのか、整地されたのちにあらためて盛られたものであるのかは不明です。。。


上大領東原古墳(御笹塚)3

 明治43年(1910)3月には、墳丘西側で行われた道路修理中の際に五鈴鏡が発見されており、これは帝都博物館(現在の東京国立博物館)へ寄贈されているそうです。
 他に、勾玉5、管玉32、小玉、馬具片、人骨等も出土しているようです。

 塚上には祠が祀られています。。。


上大領東原古墳(御志塚)4
 
 御笹塚の北方約50mほどに「御志塚」と呼ばれるもう1基が所在します。

 やはり昭和初期の水田整備のために削平されてしまいましたが、かつては御笹塚と同規模の円墳であったといわれています。
 やはり、この小さな高まりが古墳の残存部分であるのか、整地されたのちにあらためて盛られたものであるのかはわかりませんでした。。。


上大領東原古墳(御志塚)6

 わずかな高まりとなった塚上には稲荷社の祠が祀られています。。。

 昭和15年(1940)発行の『紀元二千六百年記念古墳調査』には「オ志塚」の名称で記載されていますが、地元では「オシノヅカ」と呼んだという説があり、「笹」に対して「篠」という対句的な呼び方もされたようです。


上大領東原古墳(御志塚)7

 この古墳の見学から実は3年ほど経過してしまったのですが、当時、御志塚のお宅のご主人からお話をお伺いすることができて、「北の方に孝謙天皇を祭った孝謙神社があるから、お参りしていくといい」といわれました。

 あとで調べてみて理解したのですが、この地には、下野薬師寺に流された道鏡を追って孝謙天皇が下野国へ来られ、当地で亡くなったという孝謙天皇伝説が伝えられているそうです。御笹塚と御志塚はその孝謙天皇の従者の墓であるとされ、その北方600メートルほどの地点に、この孝謙天皇を祭った「孝謙神社」のが存在しているという状況です。

 これが史実であるかどうかは微妙なところですが、なによりも現代までちゃんと言い伝えられていて地元の人が知っているところが素晴らしいなあと感動してしまいました。(東京など都市部ではなかなかこうはいかないですからね。)

 というわけで、画像が「孝謙神社」です。


上大領東原古墳(御志塚)8

 神社の境内に建てられている『孝謙天皇神社由来』にも、御笹塚と御志塚についてもふれられていました。

孝謙天皇神社由来
 今から約千二百余年の昔、下野国薬師寺の
別当に弓削道鏡が配流された。かつて道鏡は
鳳凰として孝謙天皇(女帝)に最も暑い信任
を得ていました。
 女帝は配流された道鏡をあわれみ、この地
にまえり病疫したと言い伝えられていますが、
女帝の崩御後、道鏡と共に女帝に仕えていた
高級女官の篠姫、笹姫の供養につとめた。
 その後、西光寺は廃寺となり、村人達は舎
利塔を御神体に祀り孝謙天皇神社と改め、八
月四日(崩御の日)に女帝を偲び、清楚なお
祭りを催し今日に至っています。
 なお、二人の女官の墓は、ここより南五百
メートル位の所に、篠塚、笹塚として戦前ま
で保存されていたが、残念ながら現在はその
跡しか残っておりません。
                氏  子
一、祭日  九月四日(月遅れで実施)


 この記述では、二人の女官は「篠姫」と「笹姫」だったとされていますので、「御笹塚(オ笹塚)」ともう1基の古墳の名称は、「御志塚」ではなく「御篠塚(オ篠塚)」が正解なのかなとも思われます。

 なによりも、いかなる理由で「上大領東原古墳」という名称になってしまったのか真相はわかりませんが、伝説にちなんで「御笹塚古墳」と「御篠塚古墳」でいいじゃないかよ、と思うのですが、どうなんでしょう。。。

<参考文献>
石橋町『石橋町史』
現地説明板


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  1. 2021/09/02(木) 21:57:55|
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