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古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

ぐんま古墳カード その12「塚廻り古墳群第4号古墳」ー群馬県指定史跡ー

太田市「塚廻古墳群4号墳」1

 ぐんま古墳カードその12。
 第一弾の最終回である今回は、太田市龍舞町に所在する「塚廻古墳群4号墳」です。

 昭和51年度に行われた土地改良事業に伴う発掘調査の際に偶然に水田下から発見された7基の古墳のうちの1基で、調査後にその重要性から群馬県の史跡として指定され、古墳公園として整備されて保存、公開されています。


太田市「塚廻古墳群4号墳」2

 これが「塚廻り古墳群第4号古墳」で、北から見たところです。

 カード化された古墳は大型の前方後円墳が多いようなのですが、この古墳は小型の帆立貝式古墳で、墳丘の全長は22.5m、円丘部の直径17.7m、造り出し部は幅8.7m、長さ4.8m、周囲には幅4.5mの堀を持っています。


太田市「塚廻古墳群4号墳」3

 南西から見た塚廻古墳群4号墳。

 この小さな帆立貝式古墳がたった12枚しかない「ぐんま古墳カード」の仲間入りをしたのは理由があります。

 この第4号古墳の墳丘部には、円筒埴輪のほか、家形埴輪、楯形埴輪、大刀など多くの埴輪が配置されていました。特に造り出し部には円筒埴輪のほか、馬や人物などの形象埴輪が配置されていました。西端には四体の女子像が配置され、その東部には椅子に座った男子、ひざまづく男子など七体の男子像が配置され、その北部には飾り馬と馬子が配置されていました。

 これらの埴輪は表情も豊かで造形が非常に優れており、また出土位置もほぼ明確であり、この第4号古墳出土の埴輪類を含め「上野塚廻り古墳群出土埴輪」として国の重要文化財に指定されています。

 つまり、埴輪配列は築造されたときのまま、正確に復元されているということになるわけです。ちなみに埴輪は、群馬県立歴史博物館や群馬県埋蔵文化財調査センターに保管・展示されているそうです。


太田市「塚廻古墳群4号墳」4

 第4号墳の造り出し部の様子です。

 群馬県は、関東有数の古墳県として知られていますが、実は日本一のハニワ県でもあるそうです。巨大古墳のみならず、中小のかなり多くの古墳にも埴輪が立て巡らされています。

 埴輪を持つ古墳が多いということは当然ながら埴輪の生産数も多くなってくるわけで、藤岡市や太田市では埴輪窯跡が数多く見つかっているようですし、埼玉県本庄市周辺で生産された埴輪も上毛野地域入ってきているようです。

 実際に、群馬県内では各地域の郷土資料館に素晴らしい埴輪が展示されていますし、数多くの埴輪を生産する中で、技術的にも芸術的にも飛び抜けてくるような埴輪職人が少なからず存在したのかもしれませんね。。。

 いや、才能以前に、数をこなすということはとっても大事ですねー。。。


太田市「塚廻古墳群4号墳」5

 墳丘上の家形埴輪と楯形埴輪です。

 広がる田園風景の中に存在するこの史跡公園がとても安らぎます。

 好きだなー。。。


太田市「塚廻古墳群4号墳」6

 これが「塚廻り古墳群第4号古墳」のぐんま古墳カードです!

 とりあえず、第1弾で発行された12箇所の古墳はこれで終了です。

 次回、すぐに第2弾に移行しないで、他県の古墳に寄り道しようかなあ。

 迷うなあ。。。

<参考文献>
上毛新聞社『群馬の古墳物語〈上巻〉』
現地説明板


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  1. 2020/10/17(土) 23:53:59|
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ぐんま古墳カード その11「太田天神山古墳」

太田市「天神山古墳」1

 ぐんま古墳カード、その11。
 今回は、太田市内ケ島町に所在する「太田天神山古墳」です。

 ここまでカード化された古墳の中でもっとも大きな古墳、そして東日本でももっとも大きな古墳です。

 別名男体山とも呼ばれるこの太田天神山古墳の規模は、墳丘長が210m、後円部直径120m、後円部の高さ16.8m、前方部前端幅126m、同高さ12mという、巨大前方後円墳です。

 これほど大きな古墳が市街地にあると、全貌を捉える写真を撮ることはなかなか難しいのですが、この古墳の南側に東武鉄道の線路を渡る大きな陸橋があり、そこから古墳の全貌を捉えることができました。٩(๑❛ᴗ❛๑)۶ ヤッタ~!

 古墳時代の群馬県が豊かな土地であったことを知ることができる、素晴らしい古墳です!


太田市「天神山古墳」2

 墳丘南側のくびれ部のあたりには鳥居が建てられており、その横には太田市教育委員会による説明板が設置されています。

 周囲には二重の周堀が巡らされ、墓域は長さ364m、幅288mに及びます。

 墳丘は三段築造で、表面には渡良瀬川系の河原石による葺石が存在します。


太田市「天神山古墳」3

 くびれ部にある神社。

 訪れた日にご近所にお住まいの旦那さまにお聞きしたのですが、戦時中に行われた米軍機による空襲の際、太田市街地を狙って落とされた爆弾が強い風に流されて、天神山古墳の周辺にまで到達したそうです。

 墳丘上が少々ボコボコしているのはこの爆弾によるものかもしれないそうですが、戦争をすると(特に負けると)遺跡や文化財もみんな壊されてしまうし、やっぱり戦争はいかんですよ。。。


太田市「天神山古墳」4

 後円部から前方部を見たところです。

 太田天神山古墳の被葬者は後円部の中心部の直下に埋葬されているといわれ、かつては後円部頂部から前方部に向かって下ったあたりに大きな石棺の破片が見られたのですが、これは江戸時代に掘り出された石棺が転げ落ちたもので、現在は保護のために埋められているそうです。

 元文三年1783に作成された絵図によると、長さが3メートル近い長持形石棺で、これは5世紀の畿内の最有力前方後円墳に限って採用された石棺形式で、ヤマト王権の有力者層の石棺であるとされています。


太田市「天神山古墳」5

 右奥が前方部、左手前が後円部です。


太田市「天神山古墳」6

 太田天神山古墳のぐんま古墳カードは、太田市世良田町の「新田荘歴史資料館」にて配布されています。

 新田荘遺跡を構成する、隣接する「長楽寺」「東照宮」の貴重な文化財をはじめとして、古墳や埴輪などの資料も保管、展示されています。


太田市「天神山古墳」7

 撮影が禁止だったことから内部の写真はありませんが、古墳時代の展示も多く見られました。

 資料館前には「新田義貞公之像」が建てられています。


太田市「天神山古墳」8

 「長楽寺遺跡」からは、発掘調査により古墳時代の住居跡30軒のほか、古墳5基が確認されています。

 このうち1号墳は直径約18メートルの円墳で、墳丘が失われていたために高さは不明ですが、全周する周溝と遺骸が埋葬された石槨が検出されています。

 新田荘歴史資料館の建物の前に、石槨の原位置が記されています。


太田市「天神山古墳」9

 これが「太田天神山古墳」のぐんま古墳カード!
 この巨大古墳の内堀が宅地化されずに残されているのが素晴らしいですが、後円部の先端が前橋館林線の道路によって削られているのは残念なところですね。
 道路、少しぐらいカーブしていてもいいじゃん?とも思いますが、地元で暮らしたらそうもいかないですよね。きっと。。。

<参考文献>
上毛新聞社『群馬の古墳物語〈上巻〉』
現地説明板


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  1. 2020/10/16(金) 19:17:21|
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ぐんま古墳カード その10「大室古墳群・前二子古墳」ー国指定史跡ー

前橋市「前二子古墳」1

 ぐんま古墳カード、その10。
 今回は、前橋市西大室町に所在する「前二子古墳」です。

 画像は北西から見た前二子古墳です。
 左奥が前方部、右点前が後円部という状況です。

 この一帯は「大室公園」という広大な史跡公園として整備されており、公園内には「前二子古墳」、「中二子古墳」、「後二子古墳」、「小二子古墳」があり、国の史跡として指定されています。
 このうち、前二子古墳は古墳群中最初に造られた前方後円墳で、墳丘長93.7m、後円部の高さ13.6m、周堀と外周溝を含めると全長148mという、かなり大型の前方後円墳です。


前橋市「前二子古墳」2

 上毛野国の先祖とされる豊城入彦命の墓ではないかと古くから言い伝えられており、この伝承の存在により古墳は大切に保存されてきたようです。明治11年(1878)3月に村人により石室が開かれた際には多くの副葬品が発見され、記録に残されています。

 その後、昭和60年ごろから大室公園の大規模な整備のための動きが始動し、平成4年からこの前二子古墳の発掘調査が実施されることとなります。


前橋市「前二子古墳」3

 最初にこの古墳を訪れた10年ほど前の写真。

 古墳の上半身は青々と草が生えているのに対して、下半身は草が刈られて茶色く枯れた色となっているという独特なツートーンカラーとなっています。なぜかこの風貌が個性的に思えて、頭にインプットされていました。

 カード収集のために今年の夏に訪れた際に、「あれ?こんな古墳だったかな?」と違和感を感じたのですが、草の刈り取り状況の違いだったのですね。。。


前橋市「前二子古墳」4

 石室内部も公開されており、見学することができます。

 かなり細くて長い石室です。


前橋市「前二子古墳」5

 石室はベンガラで赤く塗られており、複数の副葬品が復元的に並べてあります。

 発掘調査により、石室奥部の壁面の二カ所に差し込まれている鉤状の鉄製品が発見されており、さらに四カ所で鉤状の鉄製品が差し込まれている痕跡が発見されています。これは、高崎の「綿貫観音山古墳」や「八幡観音塚古墳」、さらには奈良県の「藤ノ木古墳」でも見つかっているそうです。

 遺体の上に天蓋を吊るすか、周りに幔幕状の布を吊り下げて巡らすためのフックであった可能性が指摘されています。


前橋市「前二子古墳」6

 これが「前二子古墳」のぐんま古墳カードです!

 やはり、草が刈り取られている箇所と刈り取られていない箇所があるのか?と思われるのですが、ツートーンカラーで下半分が刈り取られている風貌が好きだな〜?個人的には。。。

<参考文献>
上毛新聞社『群馬の古墳物語〈上巻〉』
現地説明板


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  1. 2020/10/14(水) 23:53:37|
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ぐんま古墳カード その9「総社古墳群・蛇穴山古墳」ー国指定史跡ー

前橋市「蛇穴山古墳」1

 ぐんま古墳カード、その9。
 今回は、前橋市総社町に所在する「蛇穴山古墳」です。

 「総社古墳群」の中で最も後期である7世紀末に築かれた古墳で、発掘調査により一辺が約40メートルの方墳であることがわかっています。宝塔山古墳に続いて築造されたこの蛇穴山古墳は、宝塔山古墳と比べるとかなり小型化していますが、同時期に造られた古墳の中ではかなり大きい部類に入る古墳です。


前橋市「蛇穴山古墳」2

 南から見た蛇穴山古墳。

 横穴式石室が開口しています。


 ちなみに、真冬に訪れた時には墳丘上の草がきれいに刈られていて、古墳の形状をはっきりと見ることができたのですが、やはり真夏は草ボウボウですね。

 雑草の生命力は凄まじいですからね。。。


前橋市「蛇穴山古墳」3

 『史跡 蛇穴山古墳』と刻まれた石柱と、解説文が刻まれた石碑が設置されています。
 説明文は次のように書かれています。

 史跡 蛇穴山古墳

 一辺の長さ約四〇mの方墳であ
る。埋葬主体部は横穴式石室であ
るが、羨道を欠き、玄門と玄室と
からなる特殊な形をとっている。
玄門の前には、羨道の痕跡ともみ
られる構造とハの字形にひらく前
庭がある。石室は天井、奥壁、左
右壁ともにみごとに加工した各一
枚の巨石で構成されている。天井
石、奥壁などの縁はL字形に切り
込んで壁の石と組み合わせている。
精巧な細工をほどこした玄門とと
もに、当時の石材加工技術の優秀
さを物語っている。石室の規模は
玄室長(西)三m、同幅二・六m
同高さ一・八mである。
 隣接する宝塔山古墳とともに、
県内古墳の最終末期に造られたも
ので、八世紀初頭の頃に位置づけ
られよう。



前橋市「蛇穴山古墳」4

 蛇穴山のみならず、「蛇塚」等々、蛇にまつわる名称を持つ古墳もこれまで少なからず見てきましたが、この古墳の名称の由来は、他の古墳とは少々異なるようです。
 この古墳の横穴式石室は近世に弁天様の祠として再利用されており、その際に奥壁の中心に古代インドのサンスクリット文字で弁天のイニシャルが刻まれており、これが蛇のように見えることから「蛇穴山」と呼ばれるようになったそうです。(実はこの話は、撮影した石碑の説明文を帰宅してから読んで知ったので、不覚にも石室内では奥壁をあまりよく観察しませんでした。残念。。。)


前橋市「蛇穴山古墳」5

 石室内の様子です。
 羨道が省略されていますので、すぐに玄室へと入ることとなります。

 牛伏砂岩製の大きな切石が中央に見られますが、これは棺を安置するための棺台と考えられています。

 この「蛇穴山古墳」を同じ時間帯に男性二人で見学しされていた方々がいて、どうやら私と同様にカード収集のために古墳を巡られていたようなのですが、この蛇穴山古墳の後、総社歴史資料館→三津屋古墳→南下E号古墳→埋蔵文化財調査センター→井出二子山古墳→八幡塚古墳→かみつけの里博物館→観音塚古墳→観音塚考古資料館→簗瀬二子塚古墳→安中市学習の森ふるさと学習館まで、す~~~っと同じコースを同じタイミングで巡っていて、すべての場所ですれ違いました。

 「効率よく巡ろうと考えれば自然とこのコースを組みますよね?」という感じですごく親近感を持ちました。笑。

 思えばメール交換ぐらいしておけばよかったのに、私はいい年こいてシャイでそういうのが全然ダメなんですね〜。。。


前橋市「蛇穴山古墳」6

 これが、「蛇穴山古墳」のぐんま古墳カードです!

 蛇穴山古墳のカードを配布しているのが古墳のすぐ隣にある「総社歴史資料館」ですので、古墳と2ショットで写真を撮ってそのまま資料館にいけば、すぐにカードをいただけます。

 このカードを見るまで、古墳に桜が植えられているのは知りませんでしたが、次に来る機会があるなら桜の開花の時期ですね、これは。

<参考文献>
上毛新聞社『群馬の古墳物語〈上巻〉』
前橋市教育委員会事務局文化財保護課『東国の雄 総社古墳群』
現地説明板


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  1. 2020/10/12(月) 23:59:21|
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ぐんま古墳カード その8「三津屋古墳」ー群馬県指定史跡ー

吉岡町「三津屋古墳」1

 ぐんま古墳カード、その6。
 今回は、吉岡町に所在する「三津屋古墳」です。

 この古墳は、全国的にも極めて希少であるとされる(正)八角形墳です。

 かつてのこの古墳は南下りの高まりが認められるという状況で、古墳の可能性も考えられるものの断定できるほどでもなかったようです。

 その後、平成5年に行われた発掘調査の結果、この高まりは自然地形ではなく古墳であることが判明、また墳丘表面に施されている葺石が通常のものと大きく異なり、正八角系を呈するものであることがわかってきたそうです。


吉岡町「三津屋古墳」2

 墳丘は二段築成で周溝を持っています。

 規模は墳丘対角間で23.8m、残存する高さは4.5mで、八角系の一辺の大きさは、下段で約9m、上段で約6mを有します。墳丘の企画設計にあたっては唐尺が使用されたことが推測されています。

 石室は破壊されていたようですが、奥壁石や側壁根石の抜き取り状況から、一部切石を用いた自然石乱石積の横穴式石室であったことが推測されています。残念ながら副葬品は何も発見できなかったようです。


吉岡町「三津屋古墳」3

 ああ。なんと美しい八角形墳。
 復元されているとはいえ、惚れ惚れしますね。

 古墳は、7世紀後半の築造と推定されています。

 大和の八角形墳は7世紀中頃前後から8世紀初めにかけての歴代の天皇の古墳であることから、この時期は天皇の古墳のみが八角形を採用されたことが指摘されています。

 この吉岡町の八角形墳である三津屋古墳の被葬者がどんな人物であったのか、とても興味深いところですが、まだ正しい解釈はわからない、というのが真相であるようです。


吉岡町「三津屋古墳」4

 古墳の内部は見学施設として整備されており、石室根石状況や土層断面が発掘調査時のまま展示されています。


「群馬県埋蔵文化財調査センター発掘情報館」

 「三津屋古墳」のカードが配布されているのは、となり町の渋川市北橘町に所在する「群馬県埋蔵文化財調査センター発掘情報館」にて配布されています。

 ここも、群馬県内の各市町村の郷土資料館同様、見所がたくさんです。


吉岡町「三津屋古墳」6

 画像は、「甲(よろい)を着た古墳人と3人の被災者」と称して公開されていたレプリカです。

 甲を着た古墳人は身長164cmの40代の男性で、膝立ちの状態で上半身が前方左側へ倒れ込んだと考えられています。頭蓋骨の形質分析や歯根のストロンチウム同位体比分析から、近畿から北九州古墳人の渡来系統で、西からの移住者である可能性が考えれているそうです。
 また、筋肉を動かす時に骨に残された筋付着部の発達度の観察から、馬に乗ることが多かったのではないかと推定されているそうです。

 いや、ホントに、調査や分析によりそんなことまでわかるのかと心底驚きですよね。。。


吉岡町「三津屋古墳」5

 これが、「三津屋古墳」のぐんま古墳カードです。

 まだ芝が張られていない、おそらくは整備直後の撮影でしょうか。

 八角形の形状がキレイにわかる、上空からの写真が素晴らしいです。。。

<参考文献>
上毛新聞社『群馬の古墳物語〈下巻〉』
現地説明板


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  1. 2020/10/10(土) 23:03:20|
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