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古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

那須烏山市 (旧南那須町)「行屋古墳」

旧南那須町「行屋古墳」1

 画像は、那須烏山市小河原に所在する「行屋古墳」です。

 荒川右岸の低位段丘面に築造された古墳で、南東に蛇行する荒川とその沖積地に面する地点に立地しています。
 径約20m、高さ2.5mほどの円墳で、現存するのはこの古墳1基のみであるようです。


旧南那須町「行屋古墳」2

 ここは、訪れる前に草刈りが行われたらしく、墳丘をよく観察することができたのは運が良かったかな、と。
 立地的には塚である可能性も感じられるところですが、学術的な調査は行われていないようなので真相はわかりません。。。


旧南那須町「行屋古墳」3

 墳丘上の様子。

 葺石があったのかな?
 まさか残土の山だったりして。。。

<参考文献>
南那須町史編さん委員会『南那須町史・資料編』


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  1. 2023/11/06(月) 23:52:08|
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那須烏山市 (旧南那須町)「久保前古墳」 ー那須烏山市指定文化財ー

旧南那須町「久保前古墳」]

 画像は、那須烏山市藤田に所在する「久保前古墳」 です。

 荒川左岸の段丘延辺部に築造された比較的大きな円墳で、個人の敷地内の屋敷森に存在することからか墳丘には盗掘の痕跡もなく、非常に良好に残されています。

 規模は東西25m、南北27m、高さ3m前後です。

 現在5基が残存する大和久古墳群の林先支群や、かつて7基の古墳が存在したとされる、現在の大和久学園の敷地内にあたる寺田支群の存在を考えると、久保前古墳は大和久古墳群と繋がっていて同一の古墳群なのではないか?とも考えてしまいますが、この久保前古墳の周囲には古墳の存在はなく、大和久古墳群の終焉後に最後の首長墓として築造された単独墳であると考えられているようです。

 うん。確かにこの地域ではかなり立派な古墳。。。

 
旧南那須町「久保前古墳」2

 私が最初に訪れた日は古墳の所在地がよくわからず、季節が夏で草ボウボウである可能性も想定できましたし、あまり深追せずに諦めました。

 その後、今年5月6日の「ブラリなすから」の古墳巡りに参加、さらには今年9月30日の文化財巡りにも参加して、無事に古墳を見学することができました。

 久保前古墳はきれいに整備されて古墳の全貌を把握しやすい状況ですが、個人の敷地内にあるので当然ながら個人的に訪れれば土地の所有者の許可は必要です。勝手には入っちゃいかんですよ。。。


旧南那須町「久保前古墳」3

 墳丘裾には那須烏山市による標柱が建てられていますが、解説文などは書かれていないようです。。。


旧南那須町「久保前古墳」4

 墳頂部には小祠があり、それに伴い墳頂部と墳丘東に若干の改変が見られる以外は、ほぼ原形を保っているのではないかと思われます。


旧南那須町「久保前古墳」5

 祠の周りに河原石があって、まさか石室の石材じゃないよな?と感じますが、少なくとも大規模な盗掘は受けていないようですし、関係ないのかな。。。

 後世まで残して欲しい、立派な古墳ですね。

<参考文献>
南那須町史編さん委員会『南那須町史・資料編』


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  1. 2023/11/05(日) 20:31:15|
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那須烏山市 大和久古墳群 その3「大和久5号墳(林先支群)」

那須烏山市「大和久古墳群 林先支群5号墳」1

 前回に引き続き、今回も那須烏山市南大和久に所在する「大和久古墳群」、その第3回となります。
 今回は、密集して存在する1号墳から4号墳までの4基の古墳からは若干離れた、5号墳を紹介しようと思います。

 というわけで、最初の写真は5号墳の墳丘を北西から見たところです。

 前方後円墳である1号墳から東に約150mに位置する古墳で、この5号墳も前方後円墳である可能性が考えられているという疑惑の古墳です。


那須烏山市「大和久古墳群 林先支群5号墳」2

 南から見たところ。
 墳丘の状態から、残存する前方部の一部であると考えられているようです。


那須烏山市「大和久古墳群 林先支群5号墳」3

 墳頂部の様子です。
 特に祠が祀られているようなこともないようです。


那須烏山市「大和久古墳群 林先支群5号墳」4

 驚きのこの写真!
 土地の所有者の旦那様に声をかけて見学させていただきました。

 1、2枚目の高まりが写真の左奥にあたるのですが、なんと、後円部にあたると思われる位置には円形を呈する石積みが存在します。
 想像力豊かにすると、かつてはここに後円部の高まりがあり、その土留めのためにこの石が敷かれていた、と妄想することもできます。


那須烏山市「大和久古墳群 林先支群5号墳」5

 くびれ部北側あたりに、後円部を崩した際の残土の山ではないか?という高まりがあり、そこには石室を構築していた石材ではないか?とも考えられる河原石が散在しています。
 いや、もちろんすべては妄想なわけで、残存する高まりが円墳である可能性も否定はできませんし、ただの塚である可能性だってあるわけで、学術的な調査が行われてみないと真相はわからないわけなのですが、ただ現状の状況からして前方後円墳だったのではないかという妄想は広がりますね。。。


 旦那様との雑談の中で、「最近野生動物の活動が活発だから気をつけろよ?」みたいな話をお聞きしました。
 見学したのは、「ブラリなすから」の史跡巡りに参加した頃なので、5月の前半だったと思います。
 それで、「確かに、つい先日も栃木市内の山中で古墳を巡っていた際、3頭のシカがすぐ近くを走り抜けていって肝を冷やしました。」みたいな話をしたら、「真名子だろ?」と即答されて「なな、なんでわかるんですか?」みたいな会話になりました。
 いや、本当に真名子だったんですが、ひょっとしたら農家の方々だけに伝わる情報網でもあるのかな?とか妄想して楽しくなりました。。。


 あちこちで古墳巡りをしていて、野生動物に気をつけろという話はたくさん聞きましたが、それでも山の中の古墳は突撃するしかありませんし、暗くなる前に切り上げるしかないですよね。。。


「大和久古墳群 寺田支群」1

 こちらはところ変わって、「寺田支群」の所在地周辺の様子です。
 現在の大和久学園の敷地内には、かつて7基の古墳が存在しており、調査報告書も残されています。

 写真の周辺では、昭和34年の大和久学園の建設の際に栃木県立烏山高等学校郷土史研究クラブによる発掘調査が行われ、1〜5号墳までの5基の円墳の存在が判明しています。


「大和久古墳群 寺田支群」2

 古墳は調査後にすべて削平されているはずなのですが、駐車場に古墳かのような築山が存在しており、びっくり。
 今年9月30日の文化財巡りではここが駐車場になっていたので、すぐ横に車を止めて撮影しましたが、古墳ではないんでしょうね。多分。


「大和久古墳群 寺田支群」3

 築山の様子。

 報告書には分布図が掲載されていなかったので、当然ながら5基の古墳の正確な位置まではわかりません。
 駐車場に位置していた古墳だけが壊されずに残された、なんてこともありそうじゃないかと思いますが、謎です。。。


「大和久古墳群 寺田支群」4

 その後、昭和60年には、立正大学考古学研究室による発掘調査が行われ、2基の円墳が調査されています。
 写真は、2基の古墳が所在したとされる周辺で見かけた、


「大和久古墳群 原の前支群」

 こちらは、「原の前支群」周辺の現在の様子です。
 古くは数基の古墳の存在が確認されていますが、現在ではすべて消滅。
 古墳の姿を見ることはできません。

 昭和44年に2基の古墳の調査が行われたそうですが、報告書は未刊行で、残念ながらすべての資料は散逸してしまったようです。

<参考文献>
南那須町史編さん委員会『南那須町史・資料編』


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  1. 2023/10/30(月) 18:45:47|
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那須烏山市 大和久古墳群 その2「大和久2〜4号墳(林先支群)」

那須烏山市「大和久古墳群 林先支群2号墳」1

 前回に引き続き、今回も那須烏山市南大和久に所在する「大和久古墳群」、その第2回となりますが、今回は1号墳の南に近接する3基の円墳を紹介しようと思います。

 最初の写真は、「大和久古墳群林先支群2号墳」です。
 北東方向から古墳群に向かうと、最初に視界に入るのがこの2号墳になるかと思います。

 墳丘は良好に残されており、南北径は約8m、東西径は約9m、高さ1.5mという小円墳です。

 ここも、私が最初に訪れたときはかなり草ボウボウだったのですが(夏だったし仕方がないけど)今は草が刈られて墳丘全体が見渡せる状況になりました。。


那須烏山市「大和久古墳群 林先支群2号墳」2

 2号墳の墳丘裾には「那須烏山市指定文化財・大和久古墳群」と書かれた標柱が設置されています。
 が、解説文は無し。

 このあたりもこれから整備されていくといいですよね。。。


那須烏山市「大和久古墳群 林先支群2号墳」3

 墳頂部には特に祠が祀られていることもなし。
 また石室が露出することもなし。 
 盗掘を受けたような様子もなく綺麗な墳丘です。


那須烏山市「大和久古墳群 林先支群4号墳」1

 こちらは3号墳を南東から見たところ。
 荒川沿いの崖に最も近接した古墳で、崖崩れが起こったら古墳も崩壊してしまいそうです。

 規模は、南北径は約8m、東西径は約9m、高さ1.7mという小円墳です。
 こちらも墳丘遺存状況は良好で、盗掘痕も見られません。


那須烏山市「大和久古墳群 林先支群4号墳」2

 今年9月30日の文化財巡りの様子。
 3号墳に向かう参加者です。
 この日のために、栃木県立博物館名誉学芸員の柏村氏が4基の古墳の草刈りを行ったそうで、すべての古墳の墳丘が確認できるようになりました。。。


那須烏山市「大和久古墳群 林先支群4号墳」3

 3号墳の墳頂部。


那須烏山市「大和久古墳群 林先支群3号墳」1

 4号墳を西から見たところ。
 1号墳の前方部南に築造された円墳で、直径約10.5m、高さ約2.5mと、2号墳、3号墳より若干大きな古墳です。


那須烏山市「大和久古墳群 林先支群3号墳」2

 2号墳横から4号墳を観察する参加者。
 こちらも9月30日の文化財巡りの様子です。


「大和久古墳群 林先支群 正体不明塚」1

 さて、この林先支群の敷地内にはもう一箇所、正体不明の高まりが存在します。
 北東方向から古墳群に向かうと、2号墳の手前に農道の左側、墓地の手前に高まりが存在します。
 むしろこの高まりが一番気になるぜ。。。

 
「大和久古墳群 林先支群 正体不明塚」2

 謎の高まりを2号墳の墳丘上から見たところ。
 古墳の残骸のようにも感じますが、ただの残土の山にも見えます。
 う〜ん、、、古墳じゃないのかな。


「大和久古墳群 林先支群 遠景」1

 荒川を挟んだ対岸、西側から古墳群が所在する段丘を見上げてみました。
 大木の左側あたりに前方後円墳である1号墳、大木の奥に2号墳〜4号墳が存在します。


「大和久古墳群 林先支群 遠景」2

 川って蛇行しますよね。。。

 古墳群は、天狗の鼻のように突き出た先端の対岸に存在します。
 もちろん、古墳時代の川の流れが現在と同じであったかどうかはわかりません。。。


「大和久古墳群 林先支群 遠景」3

 お、おえおえ、滝だよ。。。
 数メートルほどの小さな滝ですが、古墳群のすぐ横から流れ落ちていてびっくりしました。

<参考文献>
南那須町史編さん委員会『南那須町史・資料編』


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  1. 2023/10/29(日) 02:08:45|
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那須烏山市 大和久古墳群その1「林先支群1号墳」

那須烏山市「大和久古墳群 林先支群1号墳」1

 今回から、那須烏山市南大和久に所在する「大和久古墳群」を紹介しようと思います。

 那須烏山市は、平成17年(2005)10月1日に那須郡烏山町と南那須町が合併することにより誕生した市です。

 大和久古墳群は、旧南那須町にある古墳群です。
 寺田、原の前、林先という3つの支群の総称で、かつては30基以上の古墳が存在したといわれていますが、現在では林先支群の5基が残るのみです。

 最初の写真は林先支群に属する1基で、「大和久古墳群1号墳」です。


那須烏山市「大和久古墳群 林先支群1号墳」2

 古墳の周囲を一周してみましょう。
 写真は、北西から見た1号墳です。

 古墳は前方部を西に向けた前方後円墳で、墳丘北側、前方部前端が水田造成により若干破壊されている以外は、かなり良好に残されています。
 墳丘長は約30m、後円部径は推定約22m、前方部前端は推定22mを図ります。
 学術的な調査は行われていないようなので古墳の詳細は不明ですが、前方部の発達は著しく、後円部と前方部の高さはどちらも約3.5mとほぼ同数値です。


那須烏山市「大和久古墳群 林先支群1号墳」3

 南西から見たところ。
 左手前が前方部、右奥が後円部です。

 この1号墳のすぐ南に密集する3基の円墳もかなり良い状態で残されており、那須烏山市内でも貴重な古墳群と言えると思います。


那須烏山市「大和久古墳群 林先支群1号墳」5

 ちなみに、最初にここを訪れたときはまだびっしりと雑草が生い茂っていて、早々に退散しました。

 今年に入って地元の史跡巡りに誘われて参加したのですが、その時に「秋に草刈りをやるから、その後に見学するといいよ」ということをお聞きしていまして、それで秋の史跡巡りにも参加しました。

 1号墳のみならず、2〜4号墳も綺麗に草が刈られていてびっくり。
 というわけで、見学するなら今です。笑。


那須烏山市「大和久古墳群 林先支群1号墳」5

 南から見たところ。
 左が前方部、右が後円部で、墳丘を真横から見た状況です。。。


那須烏山市「大和久古墳群 林先支群1号墳」6

 南東から見たところ。
 墳丘周辺からは埴輪片が採集されており、埴輪は存在するようです。


那須烏山市「大和久古墳群 林先支群1号墳」7

 墳丘上の様子。
 前方部から後円部を見たところです。。。


那須烏山市「大和久古墳群 林先支群1号墳」8

 これは墳丘の北西側、前方部の先端に散乱する思わせぶりな石。笑。
 
 この古墳群は6世紀後半から7世紀にかけて築造されたと考えられているそうです。
 見学したところでは大きな盗掘痕もないようですし、今後の調査の進展が楽しみな古墳群だと思います。
 これからさらに整備が進めばいいなと思いますが、ゆくゆくは古墳公園として、市民の憩いの場になればいいですよね。。。

 大和久古墳群、次回に続きます。

<参考文献>
南那須町史編さん委員会『南那須町史・資料編』


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  1. 2023/10/28(土) 01:51:08|
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那珂川町「首長原古墳(しゅちょっぱらこふん)」

首長原古墳1

 画像は、那珂川町三輪字七所原に所在する「首長原古墳」を南から見たところです。

 直径17メートルの円墳で、個人の墓地となっているこの古墳は土地所有者の協力により史跡公園として整備され、横穴式石室が公開されています。
 この古墳の周湟は2重に廻っており、これは極めて稀な事例であるようです。

 周辺にはほかに6基の古墳が存在したとされ、首長原古墳と合わせて「七所原古墳群」と呼ばれています。
 昭和28年(1953)には、このうちの「東山古墳(通称宝塚古墳)」のトレンチ調査も行われているようですが、その後の食料増産により削平され、首長原古墳1基のみが残存しています。

 この7基の古墳の存在が「七所原」の地名の由来ではないかとも考えられているようです。


首長原古墳2

 画像は、首長原古墳の開口した石室付近のようすです。
 那珂川町教育委員会により設置された案内標識には次のように書かれていました。


首長原古墳
首長原古墳について
 この古墳は那珂川町三輪字七所原にあり、那珂川により形成された中位の河岸段丘上面である小川
面の東端に位置しています。周辺には7基の古墳からなる七所原古墳群があったことがわかっていま
すが、残念ながら本墳を除き消滅してしまいました。
 昭和10年代、平成4年の発掘調査により横穴式石室内から豊富な副葬品が出土したことから史跡
保護の機運が高まり、地権者の快諾を得て、保存整備を実施しました。
 首長原古墳は以前より、前後2つの塚の存在から全長約40mの前方後円墳ではないかと考えられ
ていましたが、周囲の削平により確認することができませんでした。しかし、墳丘斜面には川原石に
よる葺石がみられ、石室をもつ墳丘は直径17mの円形墳であることがわかりました。周堀は墳丘裾
をめぐる二重の周堀が確認され、県内でも極めてまれなものです。
 石室は全長5m、幅1.7m、高さ1.7mあり、その構造から無袖式川原石小口積みの横穴式石室と
呼ばれ、この裏側には川原石による裏込めがみられます。石室には天井石と呼ぶ大きな石の蓋があり
ますが、入口部の1枚を除き、全て崩れていました。奥壁の基底部には鏡石と呼ばれる大きな石が横
に3枚置かれ、床面には礫を敷き詰め、入口付近には石室のうちと外を区画する石列がみられます。
 石室入口には閉塞石が天井部まで積み込まれ、厳重に閉じていたことがわかります。石室へと通じ
る墓道は削平により石室付近のみしか確認できませんでしたが、この墓道は階段状となることが推定
されます。
 出土遺物としては石室内から大刀、鉄鏃、刀子、耳環、銅釧、勾玉、管玉、切子玉、ガラス玉など
の副葬品が多数出土し、これらは出土状況や閉塞石の状態から複数の埋葬者の副葬品と考えられます。
また、墳頂からは祭祀に使用された土師器や須恵器の甕が発見されました。
 首長原古墳はこれらの出土遺物や石室の形態から那須地域に見られる横穴式石室でも比較的古い様
相をもつものと考えられ、時期的には6世紀後半(今から約1,450年前)の豪族の墓と推定されます。

整備の概要
石 室 側壁、奥壁、裏込め部、床面、天井石は樹脂により補強し、崩落した天井石は擬石により復
    元しています。
墓 道 削平部を復元し、樹脂により表面を補強しました。
墳 丘 直径17mの円形墳丘を盛土により復元し、墳丘には本来葺石がみられますが、古墳保護の
    ため表土上に張り芝を行っています。また、周辺の削平による旧地表面との差を解消するた
    め墳丘よりゆるやかな傾斜により、景観を調整しています。
                             那珂川町教育委員会



首長原古墳3

 画像は石室内部のようすです。

 墳丘と石室は復元されているようですが、葺石は復元されなかったようですね。

 私は腰に不安があり、また訪れた当時は五十肩が酷くて、狭い石室内に無理矢理入ってみることはしなかったのですが、石室内のきれいな写真を撮りたかったなあと少し後悔。
 でも、石室内で動けなくなったら怖いし、地震がきても怖いし、無理はよそう。。。


首長原古墳4

 西から見た首長原古墳。墳丘上は墓地となっています。

 この古墳は、見学した当時に『古墳なう』に掲載していたような気になっていたのですが、どこを探しても存在はなく、どうやら掲載していなかったようなのですが、最近こうした物忘れが増えてきた気がする。。。
 
<参考文献>
塙 静夫『探訪 とちぎの古墳』
有限会社 随想舎『那珂川と八溝の古代文化を歩く』 
現地説明版


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  1. 2022/05/15(日) 22:16:25|
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那珂川町「谷田1号墳」

那珂川町「谷田1号墳」1

 画像は、那珂川町谷田に所在する「谷田1号墳」です。
 「谷田古墳群」に属する1基で、古くはさらに多くの古墳が存在したようですが、現在は2基のみが残存するようです。
 古墳は、墳丘の北、西、南側が削平を受けて墳丘裾が直線的になっており、昭和57年(1982)に行われた測量調査により、規模15×14.5m、高さは3.2mで、方墳状を呈していることが確認されています。
 墳頂部からは東西に2基の箱式石棺が確認されています。


那珂川町「谷田1号墳」2

 この古墳、同じ角度でもう少し引いてみてみるとこ〜んな状況。
 墳丘の北側が畑になっているのですが、この畑地にも若干の高さがあり、ここを前方部と想定すると、まるで前方後円墳のような趣きです。
 前方後円墳じゃないのかな。。。?


那珂川町「谷田1号墳」3

 ほらほら、こ〜んな感じ。笑。


那珂川町「谷田1号墳」4

 その後、那珂川町の「なす風土記の丘資料館」を訪ねてお聞きしてみたのですが、この谷田1号墳に前方後円墳説に関しては「わからない」ということでした。。。


那珂川町「谷田1号墳」5

 墳丘上には河原石が露出しています。


那珂川町「谷田1号墳」6

 墳丘上には小さな祠が祀られているのですが、激しく傾いて今にも倒れそうでハラハラしました。。。笑。

 この北側にはもう1基、2号墳があるはずなのですが、正確な場所がわからずに見学することができず。
 よく調べてから行けばよかったのですが、残念なことをしました。

 大体の位置は把握したので、これは次に再訪した時の宿題かな、と。。。

<参考文献>
小川町教育委員会『小川町遺跡分布調査報告書』
日本窯業史研究所『栃木県小川町 大森遺跡・谷田1号墳』
有限会社 随想舎『那珂川と八溝の古代文化を歩く』 


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  1. 2022/05/14(土) 23:12:24|
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那珂川町「上人塚古墳」

那珂川町「上人塚古墳」1

 画像は、那珂川町谷田に所在する「上人塚古墳」です。

 小川町教育委員会より発行の『小川町遺跡分布調査報告書』には「一部残存」する「古墳」として記載されています。
 昭和39年に発掘調査が行われていて、古銭6枚が出土しているようなのですが、この時の調査報告書を実見するに至らず、詳細はわかりません。

 調査が行われたにもかかわらず、規模や墳形、埋葬施設等について『小川町遺跡分布調査報告書』には何も書かれていませんので、ひょっとしたらこの調査では古墳である確証が得られなかったのかも知れませんよね。。。?

 「上人塚」の名称の通り、この古墳には伝承が残されているようです。。。


那珂川町「上人塚古墳」5

 上人塚
昔、谷田村に旅の僧が住みつき「上人様」と呼ばれた。或る年、はやり病で死人が続出し、見かねた上人様が仏の加護を念じ祈祷したが治まらず、この上は我が身を犠牲にしても村人を救わんと穴に身を埋め七日七夜の間、治癒を念じる行に入るから近寄るなと戒め、色も水も断っての荒行、村人はその日を待ちかねて行ってみると上人様は既に亡く一命を投げ打っての慈悲に、村人は感泣し塚を築いて供養を怠らなかった。
「おがわの昔語り」より



那珂川町「上人塚古墳」2

 南東から見たところ。


那珂川町「上人塚古墳」3

 この古墳も、所在地がわからずにさんざん探しましたが、地元の人にお聞きした時に最初は「知らないなあ?」という感じだったのですが、思い出したように「あ!あすこの立て札を見てみて?」とお教えいただいて、その立て札が「上人塚」と書かれた説明板でした。

 感謝しています(*^o^*)/


那珂川町「上人塚古墳」4

 伝承が史実であるならば、古墳ではなく「塚」なのではないかとも考えられますよね。
 地域に伝説が残るこの上人塚が、今後も長く保存されることを願います。。。

<参考文献>
小川町教育委員会『小川町遺跡分布調査報告書』


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  1. 2022/05/13(金) 21:21:30|
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那珂川町「谷田上の原古墳」

那珂川町「谷田上の原古墳」1

 今回は、正体がわからなった古墳ということで、「谷田上の原古墳」を紹介したいと思います。

 この古墳、小川町教育委員会より発行の『小川町遺跡分布調査報告書』には掲載されていないのですが、その後の調査報告書、例えば『那須吉田新宿古墳群』に掲載されている分布図などには人知れずひっそりと「谷田上の原古墳」の名称で記載されていて(しかも消滅扱いになっていない)、どこにあるんだろう?とずっと疑問に思っていました。

 那珂川町内には、もう1基「上の原古墳」という名称の、『小川町遺跡分布調査報告書』にも記載されている古墳が存在するのですが、こちらは那珂川町小川にあり、谷田からは北にかなり離れています。
 こちらは「谷田」とわざわざ地名をつけているぐらいなので、何かの間違いというわけでもなく、別の「上の原古墳」が存在するのでは?と考えました。

 それで、報告書の大雑把な分布図から「だいたいこのあたり」とあたりをつけて周辺をぶらぶら走ってみたわけですが、なんと、谷田地区の段丘縁辺部に古墳らしき塚上地形が!

 画像が、「谷田上の原古墳」と考えられる塚上地形です。

【このブログの過去の関連記事】
http://gogohiderin.blog.fc2.com/blog-entry-1470.html (2022年04月26日号「那珂川町 上の原古墳」)


那珂川町「谷田上の原古墳」2

 墳丘上には篠竹が生い茂っていて草ぼうぼう。墳丘全体の形状までは撮影することができません。
 そこで、草をかき分けて墳丘内に入ってみました。
 すると、墳丘北東側は比較的草が少ないことがわかりました。

 古墳自体はかなり良好に残されている印象ではありますが、この周辺の那珂川右岸の古墳はもう一段下がった段丘縁辺部に集中しています。

 単独墳なのかな?それとも塚かな?


那珂川町「谷田上の原古墳」3

 墳頂部から撮影した1枚。
 かなり高さも残されている様子がわかりますよね。

 その後、那珂川町の「なす風土記の丘資料館」を訪ねてお聞きしてみたのですが、やはりどなたも「そんな古墳は知らない。。。」という状況。

 情報としては「円墳」としかわからない古墳でしたが、今後の調査の進展に期待したいです。

<参考文献>
栃木県小川町教育委員会『那須吉田新宿古墳群』


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  1. 2022/05/12(木) 20:21:37|
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那珂川町「親鸞聖人蛇身済度御経塚」ー那珂川町指定文化財ー

那珂川町「親鸞聖人蛇身済度御経塚」1

 画像は、那須郡那珂川町片平に所在する「親鸞聖人蛇身済度御経塚」です。
 那珂川町の文化財として指定されている経塚で、この塚には今も地元に伝わる伝説が残されています。


親鸞聖人蛇身済度御経塚 町指定文化財
常円寺が初熊野神社の峯にあったころ、字内に住む弥
惣の娘おとき邪見嫉妬妄執により邪身と化して人々を
惑わし、城主義隆これを鎮めんが為、建暦三年(一二
一三)親鸞聖人を招請した、聖人一行は、法要を営み
三部経の経文を一石に一字を念写して水中に投げ入れ
これを済度し得たので、その池沼を埋めて塚を築いた
のがこの塚であるという。また、昭和七年の道路改修
の折りこの地より経石が出土している。
 ※邪神ー邪神でよこしまな心をもつといいう意。
  経石は公民館に保管している。
               那珂川町教育委員会



那珂川町「親鸞聖人蛇身済度御経塚」2

 実は、最初に訪れてこの横の道を通った際に、森の中に塚があることに気がついていたのですが、この時は日が暮れかかっていたし、先を急いでもいたので素通りしてしまいました。
 それが、昨年にここを通って、森の木が刈られてむき出しになった塚の姿が視界に入ってびっくり。笑。
 すぐに車を停めて見学しました。

 古くは、ちゃんと土で盛られたマウンドが存在したものと思われますが、こうして石垣で固められちゃうと、「塚」と読んでいいものか戸惑ってしまいますよね。

 でも塚ですわ、やっぱり。


那珂川町「親鸞聖人蛇身済度御経塚」3

 塚上に建てられた石碑。
 「親鸞聖人蛇身濟度御経塚」と刻まれています。


那珂川町「親鸞聖人蛇身済度御経塚」4

 境内の隅にもう一箇所小さな塚状な場所があって、「聖徳太子」と刻まれた石碑が建てられていました。

<参考文献>
現地説明板


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  1. 2022/05/11(水) 20:32:30|
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