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古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

那珂川町「首長原古墳(しゅちょっぱらこふん)」

首長原古墳1

 画像は、那珂川町三輪字七所原に所在する「首長原古墳」を南から見たところです。

 直径17メートルの円墳で、個人の墓地となっているこの古墳は土地所有者の協力により史跡公園として整備され、横穴式石室が公開されています。
 この古墳の周湟は2重に廻っており、これは極めて稀な事例であるようです。

 周辺にはほかに6基の古墳が存在したとされ、首長原古墳と合わせて「七所原古墳群」と呼ばれています。
 昭和28年(1953)には、このうちの「東山古墳(通称宝塚古墳)」のトレンチ調査も行われているようですが、その後の食料増産により削平され、首長原古墳1基のみが残存しています。

 この7基の古墳の存在が「七所原」の地名の由来ではないかとも考えられているようです。


首長原古墳2

 画像は、首長原古墳の開口した石室付近のようすです。
 那珂川町教育委員会により設置された案内標識には次のように書かれていました。


首長原古墳
首長原古墳について
 この古墳は那珂川町三輪字七所原にあり、那珂川により形成された中位の河岸段丘上面である小川
面の東端に位置しています。周辺には7基の古墳からなる七所原古墳群があったことがわかっていま
すが、残念ながら本墳を除き消滅してしまいました。
 昭和10年代、平成4年の発掘調査により横穴式石室内から豊富な副葬品が出土したことから史跡
保護の機運が高まり、地権者の快諾を得て、保存整備を実施しました。
 首長原古墳は以前より、前後2つの塚の存在から全長約40mの前方後円墳ではないかと考えられ
ていましたが、周囲の削平により確認することができませんでした。しかし、墳丘斜面には川原石に
よる葺石がみられ、石室をもつ墳丘は直径17mの円形墳であることがわかりました。周堀は墳丘裾
をめぐる二重の周堀が確認され、県内でも極めてまれなものです。
 石室は全長5m、幅1.7m、高さ1.7mあり、その構造から無袖式川原石小口積みの横穴式石室と
呼ばれ、この裏側には川原石による裏込めがみられます。石室には天井石と呼ぶ大きな石の蓋があり
ますが、入口部の1枚を除き、全て崩れていました。奥壁の基底部には鏡石と呼ばれる大きな石が横
に3枚置かれ、床面には礫を敷き詰め、入口付近には石室のうちと外を区画する石列がみられます。
 石室入口には閉塞石が天井部まで積み込まれ、厳重に閉じていたことがわかります。石室へと通じ
る墓道は削平により石室付近のみしか確認できませんでしたが、この墓道は階段状となることが推定
されます。
 出土遺物としては石室内から大刀、鉄鏃、刀子、耳環、銅釧、勾玉、管玉、切子玉、ガラス玉など
の副葬品が多数出土し、これらは出土状況や閉塞石の状態から複数の埋葬者の副葬品と考えられます。
また、墳頂からは祭祀に使用された土師器や須恵器の甕が発見されました。
 首長原古墳はこれらの出土遺物や石室の形態から那須地域に見られる横穴式石室でも比較的古い様
相をもつものと考えられ、時期的には6世紀後半(今から約1,450年前)の豪族の墓と推定されます。

整備の概要
石 室 側壁、奥壁、裏込め部、床面、天井石は樹脂により補強し、崩落した天井石は擬石により復
    元しています。
墓 道 削平部を復元し、樹脂により表面を補強しました。
墳 丘 直径17mの円形墳丘を盛土により復元し、墳丘には本来葺石がみられますが、古墳保護の
    ため表土上に張り芝を行っています。また、周辺の削平による旧地表面との差を解消するた
    め墳丘よりゆるやかな傾斜により、景観を調整しています。
                             那珂川町教育委員会



首長原古墳3

 画像は石室内部のようすです。

 墳丘と石室は復元されているようですが、葺石は復元されなかったようですね。

 私は腰に不安があり、また訪れた当時は五十肩が酷くて、狭い石室内に無理矢理入ってみることはしなかったのですが、石室内のきれいな写真を撮りたかったなあと少し後悔。
 でも、石室内で動けなくなったら怖いし、地震がきても怖いし、無理はよそう。。。


首長原古墳4

 西から見た首長原古墳。墳丘上は墓地となっています。

 この古墳は、見学した当時に『古墳なう』に掲載していたような気になっていたのですが、どこを探しても存在はなく、どうやら掲載していなかったようなのですが、最近こうした物忘れが増えてきた気がする。。。
 
<参考文献>
塙 静夫『探訪 とちぎの古墳』
有限会社 随想舎『那珂川と八溝の古代文化を歩く』 
現地説明版


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  1. 2022/05/15(日) 22:16:25|
  2. 那珂川町の古墳・塚
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那珂川町「谷田1号墳」

那珂川町「谷田1号墳」1

 画像は、那珂川町谷田に所在する「谷田1号墳」です。
 「谷田古墳群」に属する1基で、古くはさらに多くの古墳が存在したようですが、現在は2基のみが残存するようです。
 古墳は、墳丘の北、西、南側が削平を受けて墳丘裾が直線的になっており、昭和57年(1982)に行われた測量調査により、規模15×14.5m、高さは3.2mで、方墳状を呈していることが確認されています。
 墳頂部からは東西に2基の箱式石棺が確認されています。


那珂川町「谷田1号墳」2

 この古墳、同じ角度でもう少し引いてみてみるとこ〜んな状況。
 墳丘の北側が畑になっているのですが、この畑地にも若干の高さがあり、ここを前方部と想定すると、まるで前方後円墳のような趣きです。
 前方後円墳じゃないのかな。。。?


那珂川町「谷田1号墳」3

 ほらほら、こ〜んな感じ。笑。


那珂川町「谷田1号墳」4

 その後、那珂川町の「なす風土記の丘資料館」を訪ねてお聞きしてみたのですが、この谷田1号墳に前方後円墳説に関しては「わからない」ということでした。。。


那珂川町「谷田1号墳」5

 墳丘上には河原石が露出しています。


那珂川町「谷田1号墳」6

 墳丘上には小さな祠が祀られているのですが、激しく傾いて今にも倒れそうでハラハラしました。。。笑。

 この北側にはもう1基、2号墳があるはずなのですが、正確な場所がわからずに見学することができず。
 よく調べてから行けばよかったのですが、残念なことをしました。

 大体の位置は把握したので、これは次に再訪した時の宿題かな、と。。。

<参考文献>
小川町教育委員会『小川町遺跡分布調査報告書』
日本窯業史研究所『栃木県小川町 大森遺跡・谷田1号墳』
有限会社 随想舎『那珂川と八溝の古代文化を歩く』 


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  1. 2022/05/14(土) 23:12:24|
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那珂川町「上人塚古墳」

那珂川町「上人塚古墳」1

 画像は、那珂川町谷田に所在する「上人塚古墳」です。

 小川町教育委員会より発行の『小川町遺跡分布調査報告書』には「一部残存」する「古墳」として記載されています。
 昭和39年に発掘調査が行われていて、古銭6枚が出土しているようなのですが、この時の調査報告書を実見するに至らず、詳細はわかりません。

 調査が行われたにもかかわらず、規模や墳形、埋葬施設等について『小川町遺跡分布調査報告書』には何も書かれていませんので、ひょっとしたらこの調査では古墳である確証が得られなかったのかも知れませんよね。。。?

 「上人塚」の名称の通り、この古墳には伝承が残されているようです。。。


那珂川町「上人塚古墳」5

 上人塚
昔、谷田村に旅の僧が住みつき「上人様」と呼ばれた。或る年、はやり病で死人が続出し、見かねた上人様が仏の加護を念じ祈祷したが治まらず、この上は我が身を犠牲にしても村人を救わんと穴に身を埋め七日七夜の間、治癒を念じる行に入るから近寄るなと戒め、色も水も断っての荒行、村人はその日を待ちかねて行ってみると上人様は既に亡く一命を投げ打っての慈悲に、村人は感泣し塚を築いて供養を怠らなかった。
「おがわの昔語り」より



那珂川町「上人塚古墳」2

 南東から見たところ。


那珂川町「上人塚古墳」3

 この古墳も、所在地がわからずにさんざん探しましたが、地元の人にお聞きした時に最初は「知らないなあ?」という感じだったのですが、思い出したように「あ!あすこの立て札を見てみて?」とお教えいただいて、その立て札が「上人塚」と書かれた説明板でした。

 感謝しています(*^o^*)/


那珂川町「上人塚古墳」4

 伝承が史実であるならば、古墳ではなく「塚」なのではないかとも考えられますよね。
 地域に伝説が残るこの上人塚が、今後も長く保存されることを願います。。。

<参考文献>
小川町教育委員会『小川町遺跡分布調査報告書』


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  1. 2022/05/13(金) 21:21:30|
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那珂川町「谷田上の原古墳」

那珂川町「谷田上の原古墳」1

 今回は、正体がわからなった古墳ということで、「谷田上の原古墳」を紹介したいと思います。

 この古墳、小川町教育委員会より発行の『小川町遺跡分布調査報告書』には掲載されていないのですが、その後の調査報告書、例えば『那須吉田新宿古墳群』に掲載されている分布図などには人知れずひっそりと「谷田上の原古墳」の名称で記載されていて(しかも消滅扱いになっていない)、どこにあるんだろう?とずっと疑問に思っていました。

 那珂川町内には、もう1基「上の原古墳」という名称の、『小川町遺跡分布調査報告書』にも記載されている古墳が存在するのですが、こちらは那珂川町小川にあり、谷田からは北にかなり離れています。
 こちらは「谷田」とわざわざ地名をつけているぐらいなので、何かの間違いというわけでもなく、別の「上の原古墳」が存在するのでは?と考えました。

 それで、報告書の大雑把な分布図から「だいたいこのあたり」とあたりをつけて周辺をぶらぶら走ってみたわけですが、なんと、谷田地区の段丘縁辺部に古墳らしき塚上地形が!

 画像が、「谷田上の原古墳」と考えられる塚上地形です。

【このブログの過去の関連記事】
http://gogohiderin.blog.fc2.com/blog-entry-1470.html (2022年04月26日号「那珂川町 上の原古墳」)


那珂川町「谷田上の原古墳」2

 墳丘上には篠竹が生い茂っていて草ぼうぼう。墳丘全体の形状までは撮影することができません。
 そこで、草をかき分けて墳丘内に入ってみました。
 すると、墳丘北東側は比較的草が少ないことがわかりました。

 古墳自体はかなり良好に残されている印象ではありますが、この周辺の那珂川右岸の古墳はもう一段下がった段丘縁辺部に集中しています。

 単独墳なのかな?それとも塚かな?


那珂川町「谷田上の原古墳」3

 墳頂部から撮影した1枚。
 かなり高さも残されている様子がわかりますよね。

 その後、那珂川町の「なす風土記の丘資料館」を訪ねてお聞きしてみたのですが、やはりどなたも「そんな古墳は知らない。。。」という状況。

 情報としては「円墳」としかわからない古墳でしたが、今後の調査の進展に期待したいです。

<参考文献>
栃木県小川町教育委員会『那須吉田新宿古墳群』


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  1. 2022/05/12(木) 20:21:37|
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那珂川町「親鸞聖人蛇身済度御経塚」ー那珂川町指定文化財ー

那珂川町「親鸞聖人蛇身済度御経塚」1

 画像は、那須郡那珂川町片平に所在する「親鸞聖人蛇身済度御経塚」です。
 那珂川町の文化財として指定されている経塚で、この塚には今も地元に伝わる伝説が残されています。


親鸞聖人蛇身済度御経塚 町指定文化財
常円寺が初熊野神社の峯にあったころ、字内に住む弥
惣の娘おとき邪見嫉妬妄執により邪身と化して人々を
惑わし、城主義隆これを鎮めんが為、建暦三年(一二
一三)親鸞聖人を招請した、聖人一行は、法要を営み
三部経の経文を一石に一字を念写して水中に投げ入れ
これを済度し得たので、その池沼を埋めて塚を築いた
のがこの塚であるという。また、昭和七年の道路改修
の折りこの地より経石が出土している。
 ※邪神ー邪神でよこしまな心をもつといいう意。
  経石は公民館に保管している。
               那珂川町教育委員会



那珂川町「親鸞聖人蛇身済度御経塚」2

 実は、最初に訪れてこの横の道を通った際に、森の中に塚があることに気がついていたのですが、この時は日が暮れかかっていたし、先を急いでもいたので素通りしてしまいました。
 それが、昨年にここを通って、森の木が刈られてむき出しになった塚の姿が視界に入ってびっくり。笑。
 すぐに車を停めて見学しました。

 古くは、ちゃんと土で盛られたマウンドが存在したものと思われますが、こうして石垣で固められちゃうと、「塚」と読んでいいものか戸惑ってしまいますよね。

 でも塚ですわ、やっぱり。


那珂川町「親鸞聖人蛇身済度御経塚」3

 塚上に建てられた石碑。
 「親鸞聖人蛇身濟度御経塚」と刻まれています。


那珂川町「親鸞聖人蛇身済度御経塚」4

 境内の隅にもう一箇所小さな塚状な場所があって、「聖徳太子」と刻まれた石碑が建てられていました。

<参考文献>
現地説明板


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  1. 2022/05/11(水) 20:32:30|
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那珂川町「宮内古墳」

那珂川町「宮内古墳」1

 今回は、すでに消滅してしまった古墳、那須郡那珂川町小川に所在したとされる「宮内古墳」です。

 この古墳は、前回取り上げた「温泉神社裏古墳群」に属するのではないか?とも思うのですが、でも古墳の位置は温泉神社の裏ではないし、百歩譲って境内でもないし、でも名称が宮内」ということは、かつては境内だったのかな?とかごちゃごちゃ考えながら歩きました。。。

 古墳は画像の、現在の那珂川町小川武道館の東側に所在したといわれています。


那珂川町「宮内古墳」2

 小川武道館の敷地内に、塚のような地形があってそそられます。
 古墳とは関係ないと思われますが。。。


那珂川町「宮内古墳」3

 しかも、その東側に土塁のような高まりも見られます。

 『小川町遺跡分布調査報告書』に記されている位置とは少々ずれているので古墳ではないかもしれませんが、古墳を崩した際の残土の山かもしれないし、ドキドキします。笑。


那珂川町「宮内古墳」4

 近寄ってみました。


那珂川町「宮内古墳」5

 これがまた、覆土にまるで石室の石材かのような河原石が混じっているんですわ。考えすぎだと思うけど。。。


那珂川町「宮内古墳」6
 
 ピンポイントに正確な跡地は特定できていませんが、おそらく古墳があったのはこのあたりかと思います。
 台地の縁にあたる場所ですよね。

 この地域を深掘りすれば、かつての古墳の痕跡はたくさん残っているのかもしれません。。。

<参考文献>
小川町教育委員会『小川町遺跡分布調査報告書』


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  1. 2022/05/09(月) 23:48:26|
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那珂川町「温泉神社裏古墳群」

124 温泉神社裏古墳群1

 今回は、那須郡那珂川町小川に所在する「温泉神社裏古墳群」の探訪の記録です。

 この古墳群、最初に見学に訪れたのはかれこれ5年ほど前になるのですが、当時は古墳の詳細がまったくわからず、この『古墳なう』にも掲載しないまま時間が経過してしまっていました。

 入手することができた『小川町遺跡分布調査報告書』のコピーが手元にあるのですが、地図上には4基の古墳が登録されており、1、2号墳は残存。3、4号墳は消滅、と記されています。
 しかし、別の報告書の中には、6基の古墳群中3基が残存、という記述も見られますし、3号墳は墳丘が残存しており、近年に発掘調査が行われて報告書が刊行されています。

 『小川町遺跡分布調査報告書』が当時の小川町から発行されたのは1985年で37年が経過していますが、小川町と馬頭町との合併により発足した現在の那珂川町からは遺跡地図は発行されていませんので、全ての古墳の詳細を知るには難しい状況です。。。


 というわけで、今回は、よくわからないまま更新しようという企画ですヾ(〃^∇^)ノ


124 温泉神社裏古墳群2

 小川温泉神社の鳥居をくぐり、参道を歩くと、途中左手に地膨れのような高まりが見られます。
 これも古墳跡ではないのか?と妄想が始まってしまいます。笑。

 若干の高まりであり、『小川町遺跡分布調査報告書』にも記されていない場所ですが、古墳の可能性はないのかな。。。


124 温泉神社裏古墳群3

 温泉神社社殿です。
 『小川町遺跡分布調査報告書』によると、この社殿の右手前あたりに4号墳が記されています。

 実はこの4号墳が、最もよくわからない状況でした。。。


124 温泉神社裏4号墳1

 境内に入って社殿の東側で、最初に視界に入ったのがこの築山です。
 なにやら石碑が建てられているようです。。。


124 温泉神社裏4号墳2

 石碑には「旧本殿跡」と刻まれています。
 かつてはこの小さな高まりの上に本殿が鎮座していたようです。
 小さな祠のような感じだったのか、それとももっと大きな高まりだったのかな?。。。

 この高まり、実はとても思わせぶりは形状をしています。
 ちょっと角度を変えて見てみましょう。。。


124 温泉神社裏4号墳3

 南東から見たところ。

 どう考えても前方後円墳としか思えないこの形状。。。
 実際に残存する古墳であるかどうかは別にしても、塚上の植え込みなんかも古墳を意識して手入れをしているとしか思えないし、出来過ぎなんだけど真相はどうなんだろう。。。


124 温泉神社裏4号墳4

 ご丁寧にも造り出しまで存在するんですヾ(≧▽≦)ノ


124 温泉神社裏4号墳5

 さらに横には円形の築山が!
 これは古墳ではなく築山かなという印象ですが、どうなんだろう。。。


124 温泉神社裏4号墳6

 一番古墳らしいと感じたのが画像のマウンドです。

 これも前方後円墳を連想させる形状なのですが、『小川町遺跡分布調査報告書』によると、4号墳を含めた4基の古墳はすべて円墳であるとされています。
 前方後円墳であれば、画像の右側が前方部、左側が後円部という状況でしょうか。


124 温泉神社裏4号墳7

 北東から見たところ。
 古墳らしき高まりですよね。
 4号墳の可能性が一番高そうなのはここかなと感じます。。。


121 温泉神社裏1号墳1

 1号墳は社殿の北西側に所在したようです。
 『小川町遺跡分布調査報告書』には古墳群中唯一規模が記されており、直径10メートルの円墳であったようです。
 残念ながら痕跡はまったくなく、位置もこのあたりじゃないかな〜と思いますが、真相は不明。。。


122 温泉神社裏2号墳2

 2号墳と思われる高まり。


122 温泉神社裏2号墳1

 こちらは5年前に撮った2号墳らしき高まり。
 今年に見学した際には、こちら側はかなり深い藪になっていたのですが、5年前は運良く草が刈られていました。。。


123 温泉神社裏3号墳1

 3号墳です。
 『小川町遺跡分布調査報告書』では消滅とされていますが、ちゃんと残存しています。

 当日は土地の所有者に許可を得て見学させていただきました。


123 温泉神社裏3号墳2

 北から見たところ。

 平成元年(1989)に、この3号墳の西側で行われた発掘調査により周溝が検出されており、現状の規模は径約17m、高さ約1.8mの円墳とされています。


123 温泉神社裏3号墳3

 墳頂部の様子です。

 墳頂部から東側にかけて溝状の窪みが認められるのですが、地元の人の話によると、以前にこの窪みからひとかかえもある河原石が掘り出されたそうで、主体部は河原石詰みの石室であるものの、すでに壊されている可能性が高そうです。


123 温泉神社裏3号墳4

 周溝内の埋積土中には人頭大の河原石が散在していたことから、葺石が墳丘に置かれていた可能性が想定されています。
 墳丘上にも多くの河原石が見られますが、これは葺石でしょうか?それとも石室の石材でしょうか。。。

<参考文献>
小川町教育委員会『小川町遺跡分布調査報告書』
小川町教育委員会『栃木県小川町 仲の内遺跡』


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  1. 2022/05/07(土) 23:10:22|
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那珂川町「駒形大塚古墳群」―国指定史跡―

那珂川町「駒形大塚古墳群」1

 今回は、那須郡那珂川町小川所在の「駒形大塚古墳群」の探訪の記録です。
 毎年桜の時期になると、どこかに良き桜古墳はなかったかな?とムズムズしたりするのですが、私は計画性がなくて何も考えていなかったし(毎年このとですが)、「駒形大塚は桜古墳だったよね?」と思い出して、那珂川町方面に向かってみた、という状況です。笑。
 というわけで、最初の画像は、北西から見た駒形大塚古墳です。
 後方部上の桜が綺麗に咲き誇っていました。


那珂川町「駒形大塚古墳群」2

 南西から見たところ。
 右奥が後方部、左手前が前方部です。


那珂川町「駒形大塚古墳群」3

 北東から見たところ。
 もうちょっと撮影技術を身につけると綺麗に撮れるんじゃないかなあと思うのですが、なかなか難しいですね。。。


那珂川町「駒形大塚古墳群」4

 後方部上の様子です。
 この時期の那珂川町はまだ寒いぐらいで、私にとってはい感じ。笑。


那珂川町「駒形大塚古墳群」5

 後方部上に祀られているのは稲荷大神です。


那珂川町「駒形大塚古墳群」6

 後方部上から前方部を見たところ。
 かなり改変されていますね。。。


那珂川町「駒形大塚古墳群」7

 墳丘東側に建てられていた説明板は新しいものに変わっています。


那珂川町「駒形大塚古墳群」8

 ここは駐車場があるので、車で訪れても安心です。。。


那珂川町「駒形大塚古墳群」9

 駒形大塚3号墳(駒方大塚古墳陪墳2号)です。
 健在ですね。。。


那珂川町「駒形大塚古墳群」10

 駒形大塚4号墳(駒方大塚古墳陪墳3号)です。
 こちらも健在でした。

<参考文献>
八溝古代文化研究会『那珂川と八溝の古代文化を歩く』


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  1. 2022/05/06(金) 22:31:44|
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那珂川町「梅曽(うめぞ)大塚古墳」

那珂川町「梅曽大塚古墳」1

 「梅曽大塚古墳」は、那須郡那珂川町小川に所在したとされる古墳です。

 残念ながら、昭和44年(1969)に水田化により消滅。現在はその姿を見ることはできませんが、全長50メートルとこの地域最大で、かつ最後の前方後円墳考えられている古墳です。

 画像中央の墓地のあたりが古墳の跡地となります。


那珂川町「梅曽大塚古墳」2

 Googleマップには、なぜかこの梅曽大塚古墳の位置がしっかりと記されています。

 訪れても何もないのになぜこの古墳の位置は記されているのか、とても不思議ですよね。
 というか、記されている古墳と記されていない古墳の違いがなんなのかがそもそも不思議だよ。。。


 画像は跡地とされる墓地の様子です。
 残念ながら古墳の痕跡は特に残されていないようです。。。


那珂川町「梅曽大塚古墳」3

 古墳の跡地近くの段丘縁辺部に思わせぶりな祠が!
 周辺には思わせぶりに河原石が置かれていますが、まさか石室の石材の一部であるとか???


那珂川町「梅曽大塚古墳」4

 梅曽大塚古墳には、横穴式石室が後円部とともに前方部にも存在したそうです。

 これらの埋葬施設については、前方部が河原石積み、後円部が切り石積みのものであると指摘されていますが、前方部のみに石室の写真と実測図が残るほかは詳細は不明であるそうです。

 ちなみに、那珂川町のなす風土記の丘資料館にはこの梅曽大塚古墳の天井石と伝えられる石材が野外展示されています。
 前方部、後円部のどちらの石材なのか、こちらも真相は不明ですが、こうして見学できる状況はありがたいことです。。。


那珂川町「梅曽大塚古墳」3 2

<参考文献>
塙 静夫『探訪 とちぎの古墳』
有限会社 随想舎『那珂川と八溝の古代文化を歩く』 
栃木県小川町教育委員会『国指定史跡 那須小川古墳群』
現地説明版


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  1. 2022/05/02(月) 21:23:29|
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那珂川町「観音堂横穴」

那珂川町「観音堂横穴」1

 那須郡珂川町小川の、那珂川の支流箒川となめり川の合流地点の崖面に立地するのが「観音堂横穴墓」です。

 古墳時代後期に築造されたとされる前方後円墳、「梅曽大塚古墳」の、なめり川を挟んで対岸に所在する横穴墓で、この地は永正17年(1520)に結城義永・岩城常隆の軍勢と那須資房軍勢が激戦を繰り広げた縄吊台合戦の地でもあります。

 昭和60年(1985)に発行された『小川町遺跡分布調査報告書』では2基の横穴墓が記載されているようですが、現在は1基のみが確認できるという状況です。

 画像中央がこの1基であると思われますが、かなり埋没が激しく、内部を見学するのは難しい状況でした。。。


那珂川町「観音堂横穴」2

 むしろ気になったのは、画像に見える個人の民家の敷地内に存在する塚状地形です。

 果たしてお庭に造られた築山か、それとも古墳であるのか真相は不明ですが、「新屋敷古墳」や「梅曽大塚古墳」と同じ箒川右岸の台地縁辺部に所在する築山で、古墳であってもおかしくないな?と感じる、怪しい地形です。
 塚上には石碑の姿も確認できます。

 古墳じゃないのかな。。。

<参考文献>
小川町教育委員会『小川町遺跡分布調査報告書』
栃木県教育委員会・栃木県立なす風土記の丘資料館・那珂川町教育委員会『那須の横穴墓』


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  1. 2022/04/28(木) 23:54:36|
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