真岡市根本に所在する「大根山古墳群」、今回はいよいよ最終回となります。
今回紹介するのは13番から15番までの3基の古墳です。
画像は13番の古墳。
比較的小さな円墳かな、と。。。
これも13番の古墳。
こちらは14番の古墳。
比較的大きな円墳だと思います。
遊歩道沿いにあるのですぐにわかります。。。
14番の古墳。
墳頂部の様子。
祠や石碑などはありませんでした。。。
最後は15番の古墳です。
おそらく盗掘は受けているんだろうな、と思いますが、まあまあ良好に残されている様子。
周囲には、石材なのかな?と思しき巨石が散乱していました。
これは墳丘南側で見かけた巨石。
こちらは墳丘北側で見かけた巨石。
この大根山古墳群。
激しい藪の中なんだろうなと想定して二の足を踏んでいたのですが、思ったよりも見学しやすい古墳群で、楽しめました。
地元の里山という感じで遊歩道も整備もされているし、散歩している人もいるので、誰もいない山林を散策するより安心感もあります。
山の麓から攻めないで、根本山自然観察センターに車を停めて山の上から攻めるのがいいんじゃないかと思う!
<参考文献>
真岡市『真岡市史 第一巻 考古資料編』
真岡市教育委員会『真岡市遺跡分布調査報告書』
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- 2024/03/09(土) 23:47:18|
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前回に引き続き、今回も真岡市根本に所在する「大根山古墳群」の探訪の記録、第6回目となります。
この古墳群は「根本山古墳群」や「山崎古墳群」とともに丘陵南端近くの西斜面に立地しており、15基の古墳により構成されています。
「××号墳」のような古墳の名称がわからなかったので、簡易的に分布図に順番に番号をつけてみました。
今回紹介するのは10番から12番までの3基の古墳です。
まずは10番の古墳です。
丘陵の麓のあたり、おそらく残存する中ではもっとも低い位置にある古墳かもしれません。
かなり良好に残されている感じ。。。
下から見上げてみました。
参道らしき道があり、墳頂部には祠が祀られていました。
墳頂部の様子。
立派な石祠が2基祀られていて、覆屋がかけられていました。
こちらは11番の古墳です。
やはり墳頂部に祠が祀られているようです。
神様が祀られているおかげで古墳が良好に残されているパターン、多いですね。。。
南西から。
西から見たところ。
墳頂部に大木が根を張っていて、そこに祠が祀られているのでとても神々しく感じました。
しめ縄が張られていて、地元の人に大切に祀られている様子です。
12番の古墳はこのあたりか。
画像では少々わかりにくいのですが、道が弧を描いている内側に若干の高まりが見られ、これが古墳かな?と感じましたが、あまり確信はないです。
一日中、いろいろな場所を散策したのちにこのあたりで夕方になり、体力的にグダグダでこれ以上藪の中を散策する気力がない!という状態でした。
次回がいよいよ「大根山古墳群」の最終回です!
<参考文献>
真岡市『真岡市史 第一巻 考古資料編』
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- 2024/03/08(金) 22:54:24|
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前回に引き続き、今回も真岡市根本に所在する「大根山古墳群」の探訪の記録、第5回目となります。
この古墳群は「根本山古墳群」や「山崎古墳群」とともに丘陵南端近くの西斜面に立地しており、15基の古墳により構成されています。
「××号墳」のような古墳の名称がわからなかったので、簡易的に分布図に順番に番号をつけてみました。
今回紹介するのは7番から9番までの3基の古墳です。
最初の画像は7番の古墳ではないかと思われる地点。
墓地として使用されており、かなり削平されているのではないかと思われますが、墓地の背後 (北側) には古墳らしき若干の高まりが残されています。
多分です。。。
墓地の背後、墳丘北側の様子です。
この角度から見るほうが、多少は古墳らしく感じますよね。。。
これは古墳とは無関係かもしれませんが、不思議な地形がありました。
7番の古墳の東側あたりに、小さな土手状の高まりが円を描いていて、その中央に小さな円形の高まりが存在します。
つまりは二重丸を描いているような状況ですが、いったい何の遺構なのかは不明。。。
偶然の自然地形ではなく、あくまで人為的に造られたような印象ですが、私は初めてみました。
なんらかの宗教的な儀式にでも造られた塚なのかな?
こちらの画像だとわかりやすいですかね?
真ん中に小さな塚があって、周囲を円形の盛り土が取り巻いていますよね。。。
これは、円形の森どの中心にある塚状の高まり。
うん。古墳よりもむしろこの地形が一番気になったかもしれないな。笑。
とても興味深いです。
こちらは8番の古墳です。
比較的小さな円墳という印象ですが、むしろすべてが古墳ではなく後世の塚も混ざっているかもしれないですよね。
8番の古墳を角度を変えて。
盗掘された跡は見当たらず、良好に残されている印象です。。。
9番の古墳は、実はどこにあるのかわからなかったです。。。
山の斜面には農道らしき道があって、その両側は土手状に高くなっています。
おそらく道を造るために削った残土なのかなと思われますが、もしそこに古墳があれば、土手に同化して
ひょっとしたらこちらが8番の古墳かも。
土手に同化しているものの、若干周囲よりも小高くなっていて、祠が2基、祀られています。
怪しい。。。笑。
塚上の祠の様子です。
「大根山古墳群」、まだまだ次回に続きます。
<参考文献>
真岡市『真岡市史 第一巻 考古資料編』
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- 2024/03/07(木) 22:37:29|
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前回に引き続き、今回も真岡市根本に所在する「大根山古墳群」の探訪の記録です。
この古墳群は「根本山古墳群」や「山崎古墳群」とともに丘陵南端近くの西斜面に立地しており、15基の古墳により構成されています。
「××号墳」みたいな名称がわからなかったので、分布図に当日に巡った順番に番号をつけてみました。
今回紹介するのは4番から6番までの3基の古墳です。
とりあえず、15基で構成される古墳群中見学しやすいのは1番から3番までの3基で、4番から15番までの12基の古墳はヤブの中という状況ですが、とはいえ、見学しやすい部類のヤブかなとは思います。。。
まずは、4番の古墳です。
頑張って古墳らしく見えるような角度で高まりを撮影しましたが、実際には盗掘による破壊が著しく、かなり変形していて原型を留めていない印象。
素人目に、墳形は円墳かな?と感じますが、埋葬施設等の詳細は不明。
4番の古墳を角度を変えて。
ついつい、古墳がキレイに見えるように写真を撮ろうと頑張ってしまうのですが、ベコベコな様子をもっとリアルに撮るべきだったよな、と今になって反省しています。
4番以降の12基の古墳はすべて丘陵西端の斜面地に密集しているのですが、ここはすべてまあまあなヤブです。
なので、古墳巡りの初心者にはあまりお勧めしないかも。。。
ちなみに、周囲にはちゃんと整備された遊歩道があるのですが、そこで遠くに真っ黒で大きな動物を見かけました。
クマかと思ってびっくりして転けましたが、後でわかったのですがこれは地元の人が一緒に散歩していた大きなワンちゃんで、胸を撫で下ろしました。
思えば訪れたのは真冬なわけだし、クマがいるはずはないですよね。。。笑。
4番の古墳の南側に小さな高まりがあって、これも古墳かな?とも考えましたが、思えば4番の古墳はかなり削平されている状態なので、その際に出た残土の山なのかな?とも思えますし、後世に造られた塚なのかもしれません。
真相は不明。。。
5番の古墳です。
ここは比較的視界が開けていて、墳丘全体を写真に収めることができました。
比較的大きな古墳で、キレイに見える角度で撮影してしまいましたが(笑)、やはり盗掘は受けており、墳丘上はベッコリと窪みができています。
墳丘の斜面に2基の石碑が建てられていました。
左は「加波山大権現」と刻まれており、右側は不明。
どちらも「万延」と刻まれていましたので、1860年から1861年頃に建てられたものであるようです。
5番の古墳の墳頂部の様子。
ベッコリと大きな窪みができているのがおわかりでしょうか。。。
こちらは6番の古墳です。
4番や5番の古墳と比べると小さな印象ですが、その分盗掘は受けていない様子で、墳丘は良好に残されているようです。
「大根山古墳群」、まだまだ次回に続きます。。。
<参考文献>
真岡市『真岡市史 第一巻 考古資料編』
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- 2024/03/06(水) 18:18:03|
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前回に引き続き、今回も真岡市根本に所在する「大根山古墳群」の探訪の記録です。
この古墳群は「根本山古墳群」や「山崎古墳群」とともに丘陵南端近くの西斜面に立地しており、15基の古墳により構成されています。
「××号墳」みたいな名称がわからなかったので、分布図に当日に巡った順番に番号をつけてみました。
今回紹介するのは③番の古墳です。
墳丘上には金刀比羅神社のお堂や石碑が祀られており、また墳丘斜面には石段も設けられています。
墳形は円墳かな?と感じますが、真岡市より発行された『真岡市史 第一巻 考古資料編』に詳しい記述はなく、詳細は不明です。
以前は、南側の麓から金刀比羅神社へ向かう山を登る参道があったそうなのですが、今はなくなってしまったそうです。
私は、根本山自然観察センターから遊歩道を歩いて②番の古墳の見学ののち、北側から丘陵を登って到達しました。
墳丘上の様子です。
金刀比羅神社のお堂が建てられています。
多くの古墳が密集する西側の丘陵斜面からは少々離れた場所で、おそらく古墳群中もっとも高い位置に存在します。
どんな被葬者が埋葬されているのか、とても興味深いです。。。
墳頂部はかなり平坦面が広く、かなり削られているのかな?と感じます。
画像は、お堂の中に祀られている祠の土台の部分です。
ひょっとしたら、主体部に使用された石材が使われているのかな?とも思われますが真相は不明。
お堂の横には大きな供養塔が建てられているのですが、この石碑の土台も石材なのではないか?と妄想。
こんな感じ。
ということは、この古墳の埋葬施設は横穴式石室だが、金刀比羅神社の建立によりかなり破壊されているのかな?と妄想。。。
<参考文献>
真岡市『真岡市史 第一巻 考古資料編』
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- 2024/03/05(火) 23:58:34|
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今回も前回に引き続き、真岡市根本に所在する「大根山古墳群」の探訪の記録です。
この古墳群は「根本山古墳群」や「山崎古墳群」とともに丘陵南端近くの西斜面に立地しており、15基の古墳により構成されています。
「××号墳」みたいな名称がわからなかったので、当日に巡った順番に、分布図に番号をつけてみました。
今回紹介するのは②番の古墳です。
②番の古墳を東から見たところです。
墳丘はかなり破壊されていてボコボコでした。
この古墳群も、多くの古墳が盗掘を受けて変形しているものが多いです。
画像の奥が残存する墳丘で、手前には複数の塚状の小山が見られるというかなり変な形になってしまっていますが、これは土取りの結果の残土の山なのかな?と感じます。。。。
残存する墳丘は約三分の一程度であるようです。
南西から見たところ。
形状がよくわからないですよね。。。笑。
元々は直径約20m、高さは約1.8mほどの円墳であったと想定されています
墳丘には版築がほとんど見られず、ロームに近い黄褐色土を主体とする土層からなっているそうです。
散乱している石材と思しき残骸はやはり内部主体に使われた硬砂岩の板状割石で、主体部は箱式石棺であったようです。
築造時期は不明ですが、主体部が比較的高い位置に設置されていることから、横穴式石室出現以前の古い時期の古墳であると考えられているようです。
墳丘上から見下ろしてみたところ。
ベッコリ窪んでいるのがお分かりでしょうか。。。
<参考文献>
真岡市『真岡市史 第一巻 考古資料編』
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- 2024/03/04(月) 19:07:38|
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今回は、真岡市根本に所在する「大根山古墳群」の探訪の記録です。
この古墳群は、「根本山古墳群」や「山崎古墳群」とともに丘陵南端近くの西斜面に立地しています。
画像の左側の丘陵上に大根山古墳群はあり、この丘陵は地元では「根本山」と呼ぶらしいのですが、どちらの山が根本山なのか、それとも両方が根本山なのかはわかりません。
ちなみにこの画像は私には巨大な前方後円墳に見えてしまうのですが、同じような方がいらっしゃるとすればそれは重度の古墳病に犯されているかもしれません。笑。
この古墳群に関しては、山の中の古墳群なので深い藪の中であろうと想像して敬遠していたのですが、実際にはこの周辺は「真岡市根本山いきものふれあいの里」としてウォーキングのための遊歩道が整備されていて、古墳群も比較的見学しやすい状況でした。
ちなみに画像の「根本山自然公園」と書かれたアーチがかかる道を登ると「根本山自然観察センター」という施設があり、そこの駐車場に車を停めることができます。
ここが根本山自然観察センターです。
古墳に関する施設ではありませんが、私が訪れた日にはたまたま古墳群の存在を知る女性フタッフがいらっしゃって、分布図のコピーをいただきました。
ちなみに、真岡市教育委員会より平成17年に発行された『真岡市遺跡分布調査報告書』には「古墳15基確認 大きな物は撹乱あり」と書かれていて、分布図にも15基の古墳の位置が記されているのですが、真岡市より昭和59年に発行された『真岡市史 第一巻 考古資料編』には1基の古墳の詳細が書かれているのみで、15基の古墳の商材まではわかりませんでした。
どの古墳が何号墳なのか名称もわからなかったので、簡易的に分布図に番号をふってみました。
あくまでこれは正式な古墳の名称ではありませんが、当日この順番に巡ったこともあるので、番号の順に紹介しようと思います。
というわけで、まず最初は①番の古墳を南東から見たところです。
根本山自然観察センターのすぐ北側にあり、道路沿いにあるので容易に見学することができます。
古墳が密集する丘陵西端からは少々離れた位置にある古墳で、『真岡市史 第一巻 考古資料編』にはこの古墳については何も記されていないようですが、墳丘はかなり良好に残されている印象です。
同じく①番の古墳。
周溝もよく残っているのかな?と妄想。
真岡市の「大根山古墳群」、次回に続きます。。。
<参考文献>
真岡市『真岡市史 第一巻 考古資料編』
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- 2024/03/03(日) 22:30:57|
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今回は、真岡市根本に所在する「森ノ木古墳群」の最終回です。
昭和59年に真岡市より発行された『真岡市史 第一巻 考古資料編』には「現在確認できるのは神宮寺塚古墳(円墳)・兜塚古墳(円墳)・石室の奥壁を残す古墳・無名墳(円墳)である。」と、4基の古墳の存在について記されているのですが、私が散策した際には「無名墳(円墳)」の所在は不明で、3基を確認したのみでした。
真岡市史が発行された昭和59年当時は、無名墳(円墳)の残骸がどこかに残っていたようなのですが、現在は跡形もなく、跡地もどこなのかよくわかりません。
今回確認できたのは、前回までに紹介した「神宮寺塚古墳」・「兜塚古墳」と「石室の奥壁を残す古墳」の3箇所のみでしたが、兜塚古墳の北方約100mほどの地点に御堂が建てられており、その境内に古墳の石材と思しき巨石が建てられれています。
このお堂の場所をよく見ると、北側が若干高くなったような形状となっており、ひょっとしたら古墳の墳丘の痕跡なのではないか?とも妄想したくなってしまいます。
古墳の奥壁であるとされる巨石。
幅1.1m、高さ1.3mという大きなもので、壁面には「寛延(1748〜1750)」の年号と、「念仏供養塔」の文字が陰刻されており、江戸時代の前半期にはすでに奥壁は露出していたものと考えられます。
『真岡市史 第一巻 考古資料編』の記述からすると、奥壁はどこかから移設されたものではなく、原位置にそのまま建てられているということになるようですが、その周辺にも古墳に由来する石材ではないか?とも思しき石碑が建てられていて、なかなか興味をそそります。
<参考文献>
真岡市『真岡市史 第一巻 考古資料編』
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- 2024/02/24(土) 22:54:16|
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今回は前回に引き続き、真岡市根本に所在する「森ノ木古墳群」の第二回目。
画像は、「兜塚古墳」を西から見たところです。
明治36年に墳丘が削平された際に巨石切石の一枚岩を組み合わせた横穴式石室が確認されており、石室内からは直刀や頭椎大刀把頭、鞘飾り金具、鉄鏃、勾玉、管玉、水晶切り子玉、ガラス製小玉といったかなり多くの副葬品が出土しています。
残存する墳丘は、北側の約5分の1であるそうで、本来は直径約20m、高さ約3mほどであったようです。
お隣の旦那様にお聞きしましたが、やはりかつてはもっと大きな古墳であったそうで、周囲は畑地に、西側は道路により削られて少しずつ小さくなっているそう。
古墳の周囲で耕作が行われると、どうしても少しずつ削られて小さくなってしまいますね。。。
いつの間にか無くなってしまいそうな予感もあるし、うまく保存されるといいなと思います。。。
西側の遠方から撮影した1枚。
右の大きな墳丘が「神宮寺塚古墳」で、左の小さな墳丘が兜塚古墳です。
周辺には他にも多くの古墳が存在したようですが、地上に墳丘が確認できる古墳はこの2基のみでした。
<参考文献>
真岡市『真岡市史 第一巻 考古資料編』
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- 2024/02/23(金) 23:30:25|
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今回は、真岡市根本に所在する「森ノ木古墳群」の第一回。
最初の画像は、「神宮寺塚古墳 」を南西から見たところです。
この古墳群は、小貝川右岸の低河岸段丘上に位置しています。
昭和59年に真岡市より発行された『真岡市史 第一巻 考古資料編』には「現在確認できるのは神宮寺塚古墳(円墳)・兜塚古墳(円墳)・石室の奥壁を残す古墳・無名墳(円墳)である。」と、4基の古墳の存在を記しているのですが、私が散策した際には「無名墳(円墳)」の所在は不明で、3基を確認したのみでした。
神宮寺塚古墳は真岡市の史跡として指定されており、真岡市教育委員会による説明板が設置されています。
墳丘南側に公民館が建てられていて、そのために墳丘は削平されて直線的になっています。
この南側に横穴式石室が開口していますが、フェンスで覆われて施錠されています。
このフェンスの横から石室内部に入ることは可能ですが、無理はしませんでした。
現状の墳丘の規模は、東西24.4m、高さ4.2mほどですが、築造当時は直径30mほどの円墳であったと想定されています。
石室入り口の様子。
この石室からは「塼(せん)」と呼ばれるレンガが出土しているそうです。
この塼は今から約2000年ほど前の、中国が「漢」の時代に墓をつくるときに使われたレンガで、日本で出土している例は少なく、貴重なものだそうです。
どんな人物が埋葬されていたのか、とても興味深いですよね。。。
石室内部の様子です。
羨道部は破壊されているものの、比較的良好な状態で残されています。
胴張りをもつ無袖型横穴式石室で、現存長6.31m、最大幅2.25m、高さ2mです。
側壁が若干膨らんでいるようなので、大きな地震に見舞われたら崩れてしまう可能性があるかも。
この古墳には、少なくとも3回の追葬が行われているそうです。
墳丘の中服に祠が祀られています。
見上げた位置に、もう一ヶ所開講する石室があるのかな?と思ってびっくりしました。
石碑を祀るためのお堂のようなものなのかな。
古墳の石材である可能性は高そうだけど。。。
南東から見たところ。
墳丘に石段が設けられて、中腹には八坂神社が祀られています。
八坂神社の祠。
この祠の建立の際にも墳丘は削られているようです。。。
八坂神社の祠の横に見られる石。
これも古墳に由来する石室材なのではないかと感じますが、真相は不明。
墳頂部にはなんと、くつろぎの場所が造られていました。
石製のテーブルと6人分の椅子が!!!
古墳へ続く道の入り口には、標柱が建てられています。
<参考文献>
真岡市『真岡市史 第一巻 考古資料編』
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- 2024/02/21(水) 23:15:50|
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