古墳なう

ご〜ご〜ひでりんの古墳探訪記

「港区№49遺跡(有栖川宮記念公園内の古墳 その2)」

「港区№49遺跡(有栖川宮記念公園内の古墳 その2)」

 前回は、港区芝南麻布5丁目の有栖川宮記念公園内に所在する前方後円墳ではないかとされるマウンドを紹介しましたが、『東京都遺跡地図情報インターネット提供サービス』には、同じ敷地内にもう1基、古墳が登録されています。画像はその、古墳ではないかと思われるマウンドを西から見たところです。2基の古墳が「港区№49遺跡」という名称で登録されているわけですが、東京都遺跡地図には「前方後円墳?」としか記述がなく、この円形のマウンドに関しては出土品等の情報はないようですので学術的な調査は行われていないのかもしれません。
 この周辺は、かつて鳥居龍蔵氏が調査に訪れていると思われる場所です。目敏い鳥居氏がこの古墳を見落とすだろうかとも考えてしまいますが、雑誌『武蔵野』にはこのマウンドに関しての記述は残されていないようです。昭和60年(1985)に発行された『都心部の遺跡』にもこの古墳は掲載されていませんので、かなり近年になって把握された古墳のようですが、詳細はよくわかりませんでした。

 この周辺は「陸奥盛岡藩南部家屋敷跡遺跡」として調査が進んでいるようですので、このマウンドの調査もいずれは行われることと思います。その日を楽しみに待ちたい古墳です。。。

<参考文献>
鳥居龍蔵「麻布の有史以前と原始時代」『武蔵野 第20巻 第5号』
東京都教育委員会『都心部の遺跡』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』


人気ブログランキングへ

  1. 2016/07/08(金) 09:53:57|
  2. 港区
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

「港区№49遺跡(有栖川宮記念公園内の古墳 その1)」

「港区№49遺跡(有栖川宮記念公園内の古墳 その1)」

 『東京都遺跡地図』には、港区芝南麻布5丁目に「港区No.49遺跡」という名称で古墳が登録されています。場所は有栖川宮記念公園公園内、現在の東京都立中央図書館の敷地内に所在しており、東京都遺跡地図には全長41.6mの”前方後円墳?”とされています。

 昭和8年に発刊された『武蔵野 第20巻 第5号』に掲載されている「麻布の有史以前と原始時代」には、この「港区№49遺跡」について、鳥居龍蔵氏による記述を見ることができます。同書には次のように書かれていました。

 區内盛岡町(同町名は明治二十五年から稱する)もと高松宮御庭内に左の圖の如き前方後圓の高塚が存在する。これはその形狀から見ても、瓢箪型を呈して前方後圓墳であることが推知せされる。この高塚は全長直經一百二十六尺で稍や東西に面し、東西に兩隆起し、東の方は高さ十三尺三寸、長さは四十八尺、幅六十尺で稍や圓形を呈するが、西の方の高さは東より低い、けれども長さは七十七尺、幅三十四尺(端で二十四尺)で長圓を呈して居る。そして兩者のあいだは十二尺の比例で凹み凹みの幅は六尺を呈して居る。私はこの高塚の周圍を精密に調査したが、何物の破片だも得なかつた。位置は低地を控へた丘陵上にあり、風景最もよろしく當事にあつては高貴の人のオクツキであることが察しられる。(『武蔵野』295ページ)


「港区№49遺跡(有栖川宮記念公園内の古墳 その1)」

 『都心部の遺跡』の174ページに掲載されている「古墳分布図 第2図」や『東京都遺跡地図』の「遺跡地図」を参考に、この地点ではないかと思われたのが画像のマウンドです。この場所は東京都立中央図書館の敷地となっており、周囲は図書館の駐車場と道路により舗装されているために残されているのはかなり小さなマウンドでもはや残骸という状況です。鳥居龍蔵氏により調査が行われた当時はもっと大きなマウンドが残されていたと思われますが、果たしてこれがかつて全長41.6mもあったという前方後円墳古墳なのでしょうか。
 「港区史 上巻」ではこの古墳は「有栖川宮記念公園内の古墳」として紹介されていますが、この中で「周囲は綿密に検されたが遺物は全くない。(中略)もつとも江坂輝爾氏によれば、これはこれは古墳ではないらしいとのことである。」という記述があり、また『港区史跡散歩』にも「園内に古墳らしいものがあるというのは誤認らしい」とあります。果たしてこのマウンドが古墳であったかどうかについては疑問も残るようです。


「港区№49遺跡(有栖川宮記念公園内の古墳 その1)」

 画像は墳頂部のようすです。いくつも置かれている大きな石が埋葬施設を連想させますが、特に石室に利用された石材という訳ではないようです。

<参考文献>
鳥居龍蔵「麻布の有史以前と原始時代」『武蔵野 第20巻 第5号』
東京都港区役所『港区史 上巻』
東京都教育委員会『都心部の遺跡』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』
学生社『港区史跡散歩』


人気ブログランキングへ

  1. 2016/07/04(月) 01:04:13|
  2. 港区
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

「猫塚(オセンチ山)」

猫塚

 港区三田1丁目にある、赤羽小学校から三田高等学校にかけて、塚が一基現存します。この塚は、「オセンチ山(猫塚)」と呼ばれ、古くから古墳ではないかと考えられてきたそうです。塚本体は三田高等学校内に存在しますが、赤羽小学校内の塚の裾部に「猫塚」の碑が建てられています。

 平成21年(2009)に試掘、確認調査が行われましたが、明らかに保護措置の対象となるような埋蔵文化財は検出されなかったようです。塚本体の発掘調査はまだされていないものの、この「猫塚」がこれまで言われてきたような古墳である可能性はかなり低いようで、近世(江戸時代)の大名屋敷時代に築造された塚の可能性が高いようです。


猫塚猫塚

 左は「猫塚」の全景です。1985年に東京都教育委員会から発行された「都心部の遺跡」、「東京都遺跡地図」のインターネット公開版共に、直径19mの円墳と書かれています。

 右が「猫塚」の碑です。現地説明板には下記のように書かれています。


猫塚
 「今から百六十年ほど前に有馬藩の殿様に気に入られた女中がいました。その女中は、周りの者が嫉妬したせいで自殺してしまったのです。その女中の飼っていた猫が主人の敵をうつ為に、いじめた老女を食い殺してしまいました。そこで山村典善と小野川喜三郎という武士が、その猫を退治しました。この猫をともらうために建てられたのが、体育館裏の「猫塚」です。誰がいつ建てたのかは不明ですが、講談や歌舞伎で面白おかしく語り継がれています。」





  1. 2012/08/15(水) 02:41:20|
  2. 港区
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

「亀塚」(東京都指定史跡)

亀塚(東京都指定史跡)

 画像は、港区三田4丁目にある「亀塚」を西から見たところです。規模は、南北軸で34.3m、東西軸で35.3m、高さは4.4mです。塚の北側に27.8〜28.8mの等高線が伸びていて、張り出し部もしくは帆立貝式古墳の形状を呈する可能性もあるそうです。「東京都遺跡地図」のインターネット公開版では円墳となっています。

 この亀塚の所在地は、亀塚伝説が伝えられています。平安時代に源孝標の娘が著わした『更級日記』に見える、都の皇女と武蔵国出身の兵士である武蔵竹柴が夫婦となり住み着き、後にそこに竹柴寺が建てられたという伝説のの場所なのだそうです。
 また、「亀塚の山頂にある酒壷から出てきた亀を神として祀っていたが、ある風雨の夜に酒壷が石と化した」という言い伝えもあり、亀塚は神亀が憑く場所である、と言われているそうです。

 江戸時代になると、この場所は上野国沼田3万5千石土岐家の下屋敷となり、亀塚伝説も土岐家に語り継がれ、享保4年(1719年)に土岐氏が自ら亀山碑を建てて、伝説の概要と亀塚の由来を記しました。
 その後、この土岐家の屋敷は明治以後に華頂官邸となり、さらに内大臣の官邸となった後、廃墟となりました。戦後しばらくの間は一面の空き地となり、皇室林野局の所管でしたが後に亀塚公園として整備され、その他は宅地となって現在に至っているそうです。

 
亀塚(東京都指定史跡)

 発掘調査の結果、亀塚の周辺には弥生時代の集落跡が発見され、亀塚はその上に人工的に築造されていることがわかったそうです。また、土の中から近世以降の遺物が全く見つからなかったことから、亀塚は弥生時代以降、中世以前に造られたと考えられているようです。ただし、埋葬施設や明確な周溝が確認出来ないことから、古墳と断定はされていないようですが、その可能性は高いようです。


亀塚(東京都指定史跡)

 墳頂部の画像です。左奥に見えるのが亀山碑です。


三田台公園三田台公園


 近くには「三田台公園」があります。
 公園内には、付近の伊皿子遺跡で発見された縄文時代の住居跡が復元されています。竪穴式の住居内部では縄文人の姿が再現されています。




  1. 2012/08/12(日) 04:24:01|
  2. 港区
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:4

カテゴリ

足立区 (4)
伊興古墳群 (4)
その他の古墳・塚 (0)
葛飾区 (6)
立石古墳群 (3)
その他の古墳・塚 (3)
墨田区 (0)
荒川区 (28)
尾久の微高地 (4)
町屋-三河島の微高地 (19)
南千住の微高地 (3)
日暮里の台地上 (2)
台東区 (11)
上野台古墳群 (5)
その他の古墳・塚 (6)
北区 (26)
赤羽台古墳群 (2)
十条台古墳群 (2)
飛鳥山古墳群 (8)
田端西台通古墳群 (1)
その他の古墳・塚 (13)
板橋区 (46)
志村古墳群 (10)
その他の古墳・塚 (36)
練馬区 (7)
杉並区 (12)
中野区 (9)
豊島区 (2)
新宿区 (0)
渋谷区 (17)
目黒区 (8)
文京区 (3)
千代田区 (3)
港区 (4)
品川区 (22)
品川大井古墳群 (7)
その他の塚 (15)
大田区 (85)
田園調布古墳群 (25)
鵜の木・久が原古墳群 (8)
その他の古墳・塚 (52)
世田谷区 (54)
野毛古墳群 (13)
砧古墳群-殿山古墳群 (9)
砧古墳群-大蔵古墳群 (0)
砧古墳群-砧中学校古墳群 (2)
砧古墳群-喜多見古墳群 (13)
砧古墳群-その他 (6)
その他の古墳・塚 (11)
三鷹市 (4)
狛江市 (43)
狛江古墳群-和泉支群 (17)
狛江古墳群-岩戸支群 (3)
狛江古墳群-猪方支群 (23)
その他の古墳・塚 (0)
調布市 (55)
国領南古墳群 (2)
下布田古墳群 (16)
上布田古墳群 (7)
下石原古墳群 (2)
飛田給古墳群 (17)
その他の古墳・塚 (11)
府中市 (77)
白糸台古墳群 (14)
高倉古墳群 (32)
御嶽塚古墳群 (19)
武蔵府中熊野神社古墳 (2)
府中市内の塚 (10)
国立市 (19)
下谷保古墳群 (11)
青柳古墳群 (3)
その他の古墳・塚 (5)
立川市 (13)
稲城市 (0)
多摩市 (4)
和田古墳群 (4)
多摩市内の塚 (0)
日野市 (33)
平山古墳群 (7)
西平山古墳群 (5)
七ッ塚古墳群 (8)
万蔵院台古墳群 (4)
その他の古墳・塚 (9)
町田市 (5)
能ケ谷香山古墳群 (0)
その他の古墳・塚 (5)
八王子市 (4)
昭島市 (3)
浄土古墳群 (1)
その他の古墳・塚 (2)
あきる野市 (47)
森山古墳群 (3)
草花古墳群 (14)
御堂上古墳群 (4)
瀬戸岡古墳群 (7)
牛沼古墳群 (3)
その他の古墳・塚 (16)
日の出町 (2)
青梅市 (11)
古墳空白地域 (17)
西東京•清瀬•東久留米市 (0)
小金井•小平•国分寺市 (0)
東村山•東大和•武蔵村山市 (7)
福生市•羽村市•瑞穂町 (10)
栃木県の古墳 (5)
宇都宮市・上三川町 (0)
壬生町・鹿沼市 (5)
大田原市・那須町・那珂川町 (0)
群馬県の古墳 (0)
茨城県の古墳 (5)
神奈川県の古墳 (2)
千葉県の古墳 (1)
長野県の古墳 (6)
未分類 (1)

最新記事

最新コメント

検索フォーム

リンク

このブログをリンクに追加する

QRコード

QR