
今回は、愛知県名古屋市熱田区に所在する「断夫山古墳」です!
今回の名古屋散策で最初に見学した古墳がこの断夫山古墳だったのですが、デカすぎて全貌を捉えることができず、写真は駐車場から捉えた一枚です。
左が前方部、右が後円部で、中央の低くなったあたりがくびれ部になります、多分。。。
この古墳については『古事記』や『日本書紀』に記述があり、ヤマトタケルが東征の際、この尾張の地で豪族の娘ミヤズヒメと結婚の約束を交わしたと書かれているそうです。
その後、東征」」の帰途に病気で亡くなってしまったヤマトタケルは白鳥になって飛び立ったとあり、この白鳥となったヤマトタケルの墓が白鳥古墳であり、ヤマトタケルへの想いを抱いて亡くなったミヤズヒメの墓が断夫山古墳であると伝えられています。
どこまでが史実なのか、昔のことですからなんとも言えませんが、少なくとも断夫山古墳と尾張氏とが深い関わりがあったことを暗示している、と考えられているそうです。

後円部の一角に「断夫山古墳 入山入口」という箇所があって、公園の管理事務所に断れば見学できる、ということなので、さっそく管理事務所に顔を出して見学させていただきました。

墳頂部まで、後円部を登って行くことができます。
この断夫山古墳は、永く熱田神宮の所有地として管理されてきましたが、第二次大戦後に名古屋市の戦災復興事業として仮換地され、昭和55年に愛知県の所有となったそうです。
名古屋の市街地にある古墳ですし、壊されずに保存されて良かったですよね。。。

途中に葺石かな?と思える光景が。。。
古墳は全長150mという、東海地方最大の前方後円墳です。
後円部径約80m、高さ13m、前方部幅約120m、高さ16.3mと、かなりデカいです。
後円部に比べて前方部が3mほど高くなっているのは特徴的です。。。

後円部上の様子です。

後円部から前方部を見たところ。
やっぱりさ。真冬に訪れていれば樹木の葉が落ちてもう少し形状を見ることができたんじゃないかな、とちょっと後悔。
この日は気温がいきなり38度を超えてクラクラするくらい暑かったし、セミもわしゃわしゃ鳴いていたし。
まあ、はあはあ言いながら古墳を登ることでその大きさを体感できるわけだし、墳丘に登れることに感謝ですね。。。

前方部方後円部を見たところ。

途中で、くびれ部のあたりに、モリッとした高まりがあって、見に行きました。
もう1基の円墳でもあるのかな?とも思いましたが、これ、造り出しでした。
さすがに古墳がでかいと造り出しもデカいです!

造り出しの様子です。
この造り出しには円筒埴輪が周囲に沿って建てられ、須恵器も採集されているそうです。
この造り出しで、祭壇として墓前祭が行われていたと考えられているそうです。

墳丘裾は石垣で覆われていることが、前方後円墳としての形状が見やすい状況でした。
左奥が前方部、右手前が後円部です。

公園の管理事務所の前に、古墳の1/27スケールのミニチュアがありました。
実際の古墳はデカすぎて全貌が見られないし、いいですね、これは。。。

御墳印は公園の管理事務所でいただけます。

じゃ〜ん。
これが断夫山古墳の御墳印です。。。.゚+.(・∀・)゚+.

しだみ古墳群ミュージアムに展示されていた、断夫山古墳から出土した埴輪です。
灰黒色の色が特徴的ですが、これは名古屋市東部の東山丘陵の古窯で焼かれたものだそうです。
断夫山古墳には、1000個を超える埴輪が並べられていたと考えられています。
<参考文献>
名古屋市教育委員会『断夫山古墳発掘調査成果(速報)現地説明会資料』
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- 2023/08/26(土) 23:04:31|
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今回は、愛知県犬山市に所在する国指定史跡「青塚古墳」を紹介します。
愛知三大古墳といわれる3基のうちの1基で、全長123m、後円部径約78m、後円部の高さ12m、前方部の長さ45m、前方部の高さ7mという前方後円墳です。
前方部は二段、後円部は三段に築かれており、訪れた日は真夏であったこともあり雑草が青々と茂っていましたが、かつての墳丘の表面には葺石が厚く葺かれていたそうです。
この日は天気も良かったしさ。
映える古墳ですわ。。。

この古墳は墳丘に登れないし、似たような角度からの写真しか撮れなかったのですよ。。。
しかも日陰がなくて、めっちゃ暑かったし。。。。゚(゚´Д`゚)゚。(ノ゚ω゚)ノ*.オオォォォォォォォー

古墳の周囲には通常の埴輪ではなく、「壺」を形どった大きな焼き物が並べられていたことがわかっています。
「壺形埴輪」と呼ばれているこの埴輪は各段に2m間隔で並べられていたそうで、綺麗に復元されていました。

これ、説明版に掲載されていた、整備前(1965年頃)の青塚古墳の写真です。
え!全然崩れてないじゃん、、、とびっくりしますが、古墳は「大縣神社」が鎮座したことにより、地元の人々によって守られ、残されてきたそうです。
古墳の名称は「青塚」、「茶臼山」、「王塚」など様々な名称が伝えられているようですが、現在は「青塚古墳」の名称で国史跡に指定されています。

じゃ〜ん。
これが青塚古墳の御墳印です。。。.゚+.(・∀・)゚+.
御墳印は、青塚古墳史跡公園内のガイダンス施設で頂くことができます。
他に、古墳カードもいただいちゃったしね。
マニアにはたまらんっすわ。。。(((o(*゚▽゚*)o)))
<参考文献>
特定非営利活動法人 古代邇波の里・文化遺産ネットワーク『愛知県犬山市 青塚古墳』
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- 2023/08/18(金) 19:44:57|
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今回は、名古屋市守山区に所在する「志段味古墳群」の特集の最終回、画像は「白鳥塚古墳」です。
実は、今回名古屋を訪れたのは、愛知三大古墳といわれる熱田区の「断夫山古墳」、犬山市の「青塚古墳」、守山区の「白鳥塚古墳」を巡って、「御墳印」をいただこう!という企画でした。
この古墳には、ヤマトタケルノミコトにまつわる伝説が残されています。
ヤマトタケルが伊吹山の賊を征伐に行く途中、伊吹山麓で蛇に足を噛まれてしまいます。
傷口は痛みが激しく、川で足を洗っていたところ、一羽の白鳥が現れました。
ヤマトタケルは白鳥に尾張まで連れて行ってくれと頼みます。
ヤマトタケルを乗せた白鳥は、尾張の東谷山の山麓に着いたところで死んでしまいました。
ヤマトタケルはその場所に白鳥を葬りましたが、そこが白鳥塚であると言い伝えられています

これは、古代体験広場の大塚古墳から見た白鳥塚古墳。
左が前方部、右が後円部という状況です。

左手前が前方部、右奥が後円部です。
この古墳には、後円部頂部に石英が敷かれ、斜面の葺石の上には多量の石英が撒かれていたそうです。
多量の石英で墳丘が装飾されていて白く輝いていたことが「白鳥塚」の名の由来であるともされています。

左奥が前方部、右手前が後円部です。
ね。墳長115mよりも大きく感じますよね。
前方部長は約43m、後円部径は約75mと、前方部に比べて後円部がかなり大きいんですよね。
それが古墳が大きく見えた要因かと思いますが、肌感覚としては150mぐらいあるかと思いました。。。

後円部には石段が設けられていて、登ることができます。
古墳は、昭和の初めに後円部墳頂中央部の発掘調査が行われましたが、埋葬施設や副葬品は見つからず、その後、正式は発掘調査は行われていません。
ただし、平成18年(2006)に行われたレーダー探査、電気探査では、南北に主軸を持つ2基の埋葬施設が東西に並んで存在する可能性が指摘されているそうです。

墳頂部には、発掘調査で出土した石英の転落石を使って、石英の敷石が推定復元されています。

後円部の西側に「渡土手」と呼ばれる土手状の高まりがあり、斜面には葺石が積まれていたそうです。
古墳の外から墳丘へ渡るための通路であったと考えられています。
多分このあたりのはず。。。。。

これは前方部から後円部を見たところ。
埴輪は存在せず、この地域に埴輪を並べる文化が伝わる以前に造られた古墳であると考えられています。
渡土手があることや墳丘が石英で飾られていることは、奈良県の大型前方後円墳と共通点が認められ、この白鳥塚古墳の被葬者はヤマト王権と強い結びつきがあった人物と考えられています。

じゃ〜ん。
これが白鳥塚古墳の御墳印です。。。.゚+.(・∀・)゚+.
御墳印は、近くの「体感!しだみ古墳群ミュージアム」で頂くことができます。
<参考文献>
名古屋市教育委員会 文化財保護室『志段味古墳群ガイドブック』
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- 2023/08/17(木) 23:47:51|
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今回も、名古屋市守山区に所在する「志段味古墳群」の特集の第七回、画像は「東谷山白鳥古墳」です。
東谷山の麓、庄内川を見下ろせる標高約43mの河岸段丘上にある古墳ですが、古墳の北側を東西に「名古屋多治見線」という道路が走っていて、その道路沿いに古墳が存在するので、一眼で「こりゃ古墳だよ」とわかります。

古墳はキレイに整備されていて、「史跡 志段味古墳群 東谷山白鳥古墳」と刻まれた石碑が建てられています。
6世紀以降、志段味古墳群の中でも東谷山の西側一帯で横穴式石室をもつ小型の古墳が約50基造られましたが、この「群集墳」と呼ばれる小型古墳の集まりの中で唯一、横穴式石室が完全な形で残されており、貴重な古墳です。
古墳は径約17mの円墳で、石室内からは馬具、刀、鉄鏃、須恵器などが出土しており、古墳は6世紀末から7世紀初めに築造されたと推定されています。

石室内は照明器具が設置されていて、見学しやすくなっています。
石室の平面形は、石室の幅が奥から入り口に向かって徐々に狭まっていくもので、床面に並べた人頭大の石の石列で、被葬者を納める玄室と通路の羨道を区別しています。

東谷山白鳥古墳の西側に「お。こりゃ5号墳なんじゃないか」という高まりが見えましたが、ホントに5号墳なのか自信なし。。。
志段味古墳群の東のエリアは、未整備ながらもまだかなり多くの古墳が残されているようですが、今回は訪れたのが真夏であったこともあり、深追いはしませんでした。
次回はぜひとも冬に訪れて、尾張戸神社古墳や中社古墳、南社古墳といった、東谷山のの尾根沿いに造られた古墳も見学したいと考えています。
<参考文献>
名古屋市教育委員会 文化財保護室『志段味古墳群ガイドブック』
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- 2023/08/15(火) 16:23:31|
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今回も、名古屋市守山区に所在する「志段味古墳群」の特集の第七回、画像は「勝手塚古墳」です。
古墳の墳丘上は勝手社が祀られていて、その墳丘上が境内となっているので、こんもりとした森になっています。
森の木の形状がなんとなく前方後円形になっているので、「あ、あそこが古墳だな」と、すぐにわかります。笑。
画像の左側が前方部、右側が後円部という状況ですね。。。
全長約55mの帆立貝式前方後円墳で、画像の左側が前方部、右側が後円部という状況です。

画像は、西からみた勝手塚古墳です。
右手前が前方部、左奥が後円部という状況で、墳丘上には神社が祀られたにも関わらず、古墳自体は良好な状態で残されていることがわかります。

前方部の南端に石段が設けられています。
前方部上にも祠が祀られているようなので、まずは前方部から参拝しました。

前方部上の様子です。
多少は、墳丘上は平らに整地されているのかな?とは感じますが、前方部としての形状はっよく残されているように感じます。

前方部から後円部を見たところ。
かなり大きな古墳ですよね。
さすが国指定。笑。

素晴らしいのは、墳丘周囲をめぐる濠と堤が良好な状態で残されていることです。
愛知県内で堤をもつ古墳は少ないそうで、堤の高まりが残されているというだけでも貴重です。

後円部にも石段が設けられていて、勝手社を参拝することができます。

後円部の平坦面に埴輪列が復元されていました。
この古墳からは円筒埴輪、朝顔形埴輪、蓋形埴輪、人物埴輪が出土しており、埴輪列はかなり密に並べられていたそうです。。。
古墳は6世紀初めの築造と推定されています。

後円部上の様子です。

古墳ってさ。見上げてみるよりも見下ろしてみたほうが大きさを実感できますよね。
「あ、こんなに高かったか、、、」といつも思います。
それにしてもさ。
名古屋に行ったその日にブワッとさらに気温が上がって、その後ずっと暑いって感じだし。
今年は10月まで暑いらしいけど、紅葉の時期が遅れるほど古墳の散策に適した時期は短くなるし、困ったもんだよ。。。
<参考文献>
名古屋市教育委員会 文化財保護室『志段味古墳群ガイドブック』
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- 2023/08/13(日) 19:04:39|
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今回も、名古屋市守山区に所在する「志段味古墳群」の特集、第六回です。
画像は、志段味古墳群の支群である「大久手古墳群」のうちの1基、「大久手5号墳」です。
墳頂は約38mの帆立貝式前方後円墳で、右手前が前方部、左奥が後円部という状況です。
墳丘南側は、戦後の大久手池の拡張工事により削られていて、現在は土手になっています。
墳丘が比較的よく残っていた北側が修復整備されているという状況で、南側は土手になっちゃっていますね。笑。

こ〜んな感じ。
墳丘の周囲には濠がめぐっており、墳丘斜面には葺石が積まれ、後円部一段目の幅広のテラスで、少し幅を開けて並べられた埴輪列が見つかっています。

北側から見たところ。
当日に解説をしてくださったボランティアの方は、午前中からかんかん照りで気温も35度以上となっているにもかかわらず、汗びっしょりで解説してくださいました。
サラリーマンを引退してから、ボランティアでこの古墳群の解説をするようになったのだそうですが、知識もすごいし話術にも長けていて、最高に楽しい時間を過ごすことができました。(暑かったけど)
すごく良かったです。
<参考文献>
名古屋市教育委員会 文化財保護室『志段味古墳群ガイドブック』
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- 2023/08/10(木) 23:45:08|
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今回も、名古屋市守山区に所在する「志段味古墳群」の特集、第五回。
画像は、志段味古墳群の支群である「大久手古墳群」の1基、「大久手3号墳」です。
志段味古墳群中唯一の方墳で、一辺約14mの墳丘の周囲には周溝が巡っています。
出土した須恵器から5世紀後半に築かれた世推定されています。
墳丘は復元されているそうです。
誰もいないのを見計らって撮りましたが、かなり子供たちの遊び場となっていました。。。

こちらは「大久手4号墳」です。
発掘調査により、盛り土の大部分は江戸時代以降につまれたものであることがわかっています。
江戸時代の塚である可能性も考えられているようですが、盛り土からは古墳時代の須恵器や埴輪も出土しているそうです。
江戸時代に、一度壊してから復元した、みたいなことなのかな。。。?
よくわからんけど。。。

近寄ってみたところ。
整備された「古代体験広場」の南西隅に保存されています。

墳丘上の様子。
今でもちゃんと地元の人に大切に供養されているようです。
<参考文献>
名古屋市教育委員会 文化財保護室『志段味古墳群ガイドブック』
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- 2023/08/09(水) 23:55:20|
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今回も、名古屋市守山区に所在する「志段味古墳群」の特集、第四回です。
画像は、志段味古墳群の支群である「大久手古墳群」のうちの1基、「東大久手古墳」です。
墳頂は約39m、後円部径約27m、前方部長約12mという、帆立貝式前方後円墳です。

訪れた当日は、墳丘の周囲がカラーコーンで囲われていたので、墳丘内には無理に突入しませんでした。
土取りなどでかなり覆土は削り取られていて、なんとか基底部が残されているのかな、という状況です。
築造当時は墳丘は二段に築かれていたと推定されているそうです。。。

ご覧の通り、墳丘上はボコボコ。。。
ちなみに後円部一段目のテラスでは、隙間なく並べられた埴輪列が検出されており、設置された埴輪の本数は170本と推定されています。
また、南側のくびれ部付近では、須恵器を用いた祭司が執り行われていたと考えられています。

画像の右側が、東大久手古墳から出土した円筒埴輪です。
埴輪って、窯の中の焼かれた場所によって色が変わるんですよね。
色々知ると面白いです。。。
<参考文献>
名古屋市教育委員会 文化財保護室『志段味古墳群ガイドブック』
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- 2023/08/06(日) 19:48:23|
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今回も、名古屋市守山区に所在する「志段味古墳群」の特集、第三回。
画像は、志段味古墳群の支群である「大久手古墳群」のうちの1基、「西大久手古墳」です。
訪れたこの日は、しだみ古墳群ミュージアムが行っている「古墳ガイドツアー」に参加して、ガイドの方の解説を聞きながら古墳を巡ったのですが、なんとこの西大久手古墳では発掘調査が行われている真っ最中でした。
その週の土曜日に現地説明会が行われる予定であったそうですが、残念ながら私は木曜日に帰宅予定で参加できず。
しかし、担当の学芸員の解説までも聞くことができましたし、なんというラッキーな感じですよね。。。
この調査により、西大久手古墳が前方後円墳であるのか、帆立貝型古墳であるのか判明するそうです。
現状を見学しても、うっすらと前方後円の形状が確認できるような気がしますが、これは復元してあるのかな?
左手前が前方部、右奥が後円部という状況です。

発掘中の写真もバシャバシャ撮ってしまったのですが、このタイミングで公開していいのか微妙だし、ここは忖度しておくことにします。。。
当日は周溝が検出されていましたが、古墳には葺石が葺かれており、周溝に転がり落ちた葺石が確認されていました。
画像は、墳丘横に集められた石材で、ガイドツアーの解説のボランティアの方の足が見えています。。。笑。

古墳は全長約37mで、築造当時は後円部が二段に築かれ、葺石が葺かれて埴輪が並べられていたと考えられています。
5世紀中頃に築造されたと推定されているようです。
ちなみに土曜日に現説があったんだけど、2泊2日の弾丸ツアーだったし、現説はあっさり諦めました。。。

西大久手古墳からは円筒埴輪、馬形埴輪、鶏形埴輪、巫女形埴輪など、さまざまな埴輪が出土しています。
画像は鶏型埴輪ですが、動物埴輪の中で最初に造られたのがニワトリなんだそうです。。。

画像は、巫女形埴輪です。
畿内のものと同様に、意須衣、襷、裳を表現した立派なものですが、埴輪の生成法には東日本の特色も見られるそうです。
地元の古墳ばかりしらみ潰しにまわるのも悪くないけどさ。
やっぱりいろいろな土地をまわるのは楽しいよね。
行きたいところは山ほどあるしな〜。。。
<参考文献>
名古屋市教育委員会 文化財保護室『志段味古墳群ガイドブック』
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- 2023/08/05(土) 21:21:14|
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今回も、名古屋市守山区に所在する「志段味古墳群」の特集、第二回です。
画像は、志段味古墳群の支群である「大塚古墳群」の1基、「大塚2号墳」です。
円墳で、墳丘はあまりよく残っていなかったそうですが、わかりやすく復元されています。
奥の一段高くなった道路と同化しているのがちょっと面白い感じ。。。

ちょっと角度を変えて。
埴輪や須恵器がが出土しており、5世紀末から6世紀初めの築造と推定されています。

こちらは「大塚3号墳」です。
かなり崩されているのですが、復元せずに現状保存されている?のがいい感じ。。。

ほら。
こちら側はかなりガッツリと崩されています。
この3号墳は発掘調査により周溝が検出されており、直径19mの円墳であることがわかっています。
葺石や埴輪はなく、築造時期ははっきりわからないようですが、5世紀後半頃の築造と推定されています。

3号墳の傍らに前方後円形の高まりが!!!
公園整備にあたって出てきた石を、地元の子供達が集めて造ったのだそうです。
全長5mほどの前方後円墳ですな、こりゃ。笑。
訪れた日が今年最高気温みたいな感じで、クラっときながら見学しましたが、きちんと整備が行き届いていて素敵な史跡公園でした。
志段味古墳群、まだまだ続きます!
<参考文献>
名古屋市教育委員会 文化財保護室『志段味古墳群ガイドブック』
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- 2023/08/03(木) 22:29:36|
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