古墳なう

ご〜ご〜ひでりんの古墳探訪記

「千部塚」

「千部塚」

 画像は、世田谷区深沢5丁目にある「千部塚」を南東から見たところです。『東京都遺跡地図』には、世田谷区の遺跡番号212番の”中世から近世の塚”として登録されています。

 『東京都遺跡地図』にはこの塚の規模について径3m、高さ1mと掲載されていますが、塚は東側を道路等に、また北側も宅地により削平されており、原型は大きく損なわれているようです。
 「千部塚」という名称からして何か伝承や由来が残されているのではないかと調べてみたのですが、情報は非常に少なく、詳細は分かりませんでした。ちなみに神奈川県相模原市には同名の「千部塚」があり、大塔宮護良親王の三十三回忌に法華経千部を修し、供養塔を建立した場所であると伝えられているようですので、この深沢の「千部塚」にも何か宗教的ないわれがあるのかもしれません。


「千部塚」

 もう少し近くで見るとこんな感じです。近所のご主人との立ち話によるとこの周辺は昭和の初め頃までは一面に田園が広がっていたそうで、その中にぽつりとこの塚が所在したそうです。周辺には「鎧塚」、「侍塚(侍の首塚)」といった複数の塚が周辺に存在したようですが、所在はわからず、また現在の日体大の校庭あたりにも無名の塚があったといわれているようですが、こちらも所在がわからなくなっているようです。さらにこの周辺の「将軍塚」という塚は現存しているようなのですが、これも残念ながらどこにあるのかわかりませんでした。。。

「千部塚」

<参考文献>
世田谷区教育委員会・世田谷区民俗調査団『深沢 世田谷区民俗調査第11次報告』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』


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  1. 2015/12/07(月) 03:23:52|
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「栗原塚」

栗原塚

 「栗原塚」は、世田谷区代田3丁目に所在する塚です。『東京都遺跡地図』には世田谷区の遺跡番号204番の塚として登録されています。

 この栗原塚は、「代田広場」という世田谷区立の公園内に残されています。かつてマウンドが存在したのかどうか不明ですが、現在は公園内の築山のような中に石碑が立てられており、碑には「狐塚之霊?」と刻まれています。
 かつてのこの敷地は「栗原稲荷神社」という広い境内の神社が祀られていました。180坪余りの社有地と墓地があり、150mもある参道が鳥居の前から東に向って延びていたそうです。この神社にはある言い伝えが残されており、世田谷区生活文化部文化課より発行されている『ふるさと世田谷を語る』には次のように書かれています。

(前略)今ではその大半の土地には住宅が建っていて、神社は公園の片隅に祀られているのです。
 この公園の中央には高さ一メートルほどの「狐塚の碑」と書かれた碑が建てられています。これは、昔この辺りが雑木林やスギ、マツ、ヒノキ、キリ、ウメなどの林、竹やぶなどの多かった所で、キツネ、タヌキ、イタチ、ノウサギなどが住みついていた場所であることと関係あるのです。
 これら小動物の中で、キツネは稲荷信仰の神使として稲荷神社では大切に祀られていましたが、その一方で悪さをしたりする動物でもありました。
 明治五年頃、この栗原では、病気になったり、不慮の事故にあったりする人が続出しました。行者にみてもらったところ、これはキツネに取りつかれたためだということになりました。そして行者の祈祷によって、人間に取りついたキツネの魂を引き離して、稲荷神社の境内に封じ込めたのです。狐塚の霊碑は、キツネの霊魂を祀った石碑なのでした。
 今でも地域の有志の人々によって、建碑の明治三十二年三月六日に因んだ毎年三月六日には、交代で供物を捧げ、お参りしているということです。(『ふるさと世田谷を語る』54~55ページ)



栗原塚

 実は私は20年以上も昔、狐に憑かれた人を見たという話を母から聞いたことがあります。それはかなり恐ろしい話で、鳥肌を立てながらその話を聞くとともに、そんなことが実際にあるんだなあと思っていました。「狐憑き」の話は全国各地に見られるようですが、母の話では、狐に憑かれた人は後ろから強く顔を引っ張られたように異様に吊り上がった目で、膝から下を折り曲げて膝で歩きながら「コーンコーン」を鳴きながら室内を徘徊したそうです。これが欧米であれば人に取り憑くのは悪魔(サタン?)となるのでしょうが、日本ではなぜ狐なのでしょうか。

 画像は、塚上に立てられている石碑です。一部が欠損しており判読し難い状況ですが、「狐塚の霊碑」と刻まれています。『東京都遺跡地図』には栗原塚は近世の塚であるとされていますのでどうやら古墳ではないようです。。。

<参考文献>
世田谷区生活文化部文化課『ふるさと世田谷を語る』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』

  1. 2015/04/30(木) 00:25:42|
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「あたご山横穴墓」

「あたご山横穴墓」

 「あたご山横穴墓」は、世田谷区奥沢1・7丁目に所在したとされる横穴墓です。『東京都遺跡地図』には世田谷区の遺跡番号120番に登録されている横穴墓です。

 この横穴墓について、『世田谷ふるさとめぐり てくたくぶっく 九品仏コース』に次のように書かれています。


⑧横穴墳(よこあなふん)奥沢1-27
 奥沢台地から吞川に下るあたりは湿地でした。昭和3年(1928)ごろ、この湿地や田や畑を埋立てるため、奥沢台地の東の斜面を切りくずしていました。その時、その斜面に50cm位の穴があきました。工事をする人と地主の和田さんが穴の中に入ったところ中には石をしきつめてあり、二体の人骨が発見されました。それがいつの時代のものかはっきりとはわかりません。現在は元の場所より5m離れたあたりに瓶に人骨をおさめて埋めてあります。(『世田谷ふるさとめぐり てくたくぶっく 九品仏コース』7ページ)


 画像が「横穴墳」の石柱です。ゴミ収集の場所になってしまっているのは残念なところですが、今生きている人の生活を考えるとこれも仕方のないところなのでしょうか。。。

<参考文献>
玉川石標を守る会『世田谷ふるさとめぐり てくたくぶっく 九品仏コース』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』

  1. 2015/04/28(火) 01:01:22|
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「愛宕塚」

「愛宕塚」

 「愛宕塚」は、世田谷区奥沢1丁目に所在したとされる古墳です。『東京都遺跡地図』には未登録の古墳です。

 この古墳について、『世田谷ふるさとめぐり てくたくぶっく 九品仏コース』に次のように書かれています。


⑨愛宕塚(あたごづか)奥沢1-27
 奥沢台地の東南にあり、その下は涌水がありたんぼや畑が広がっていて、その向こうに吞川があります。村の人びとはこのこんもりと高くなったところを愛宕山と呼んでいました。塚の上にはツゲ、ツバキ、ヒイラギなどの大木が茂っていました。この塚の下から横穴墳の人骨が出たことなどから、古墳であろうと思われますが今では人家が建てられているので調べようがありません。塚の高さは奥沢台地で一番高いところでした。(『世田谷ふるさとめぐり てくたくぶっく 九品仏コース』7~8ページ)


 この『てくたくぶっく』とは、「てくてく歩いて拓本をとろう」という意味なのだそうで、世田谷区各地の名所・旧跡には拓本をとるための石柱が立てられており、「玉川の郷土を知る会」より地域ごとに全5巻発行されたA6版の小冊子には石柱の場所が記された地図や、解説が書かれています。一ヶ所1ページごとに拓本を取るページがあり、1冊すべての拓本をとると記念品がもらえるそうです。この愛宕塚のような言い伝えでのみ残されている消滅古墳がこういう形で取り上げられているのはなかなか良い企画だと思います。

 画像が「愛宕塚」の石柱です。この石柱はてくたくぶっくに書かれているように奥沢台地の一番高いあたりにあり、かなり近い位置に古墳が所在したように思いますが、正確な古墳の跡地まではわかりませんでした。。。

<参考文献>
玉川石標を守る会『世田谷ふるさとめぐり てくたくぶっく 九品仏コース』

  1. 2015/04/27(月) 00:19:40|
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「法教上人塚」

「法教上人塚跡」

 画像は、世田谷区用賀2丁目にある「法教上人塚」の跡地を北東から見たところです。『東京都遺跡地図』には未登録の塚です。

 この塚に関しては発掘調査等の記録は見当たらず、多くの情報は入手できなかったのですが、江戸時代の地誌『新編武蔵風土記稿』には「上人塚 村ノ南、畑中ニアリ。由来ヲ伝ヘズ。」との記載があり、古くから存在は知られていたようです。この地点が正確な塚の跡地であるかは確認出来なかったのですが、現在「世田谷区立 用賀2丁目西広場」という公園の敷地内に「法教上人塚跡」という石標が建てられています。

 玉川石標を守る会より発行された『世田谷ふるさとめぐり てくたくぶっく 用賀・馬事公苑コース』には次のように書かれています。

 ここは、今から300年以上も昔、寛文4年(1664)に亡くなった『お上人様』のお墓(塚)があった所です。このお上人様は人々の信望がとても厚かったようですが、不思議なことに、その名前も出身地も伝わっていません。いい伝えでは、その塚にお参りすると百日咳が治るとの事で、村人は治った時には、お礼に甘酒を供えました。そして、近所の子ども達は、その甘酒が温かいうちに、こっそり飲んでしまう事もあったようです。
今、その塚もなくなってしまい、お上人様を伝える石碑などは真福寺境内に移されて建っています。


「法教上人塚跡」

 巨大な虫が木にたかっているのかと思ってビックリしました。。。笑。


「法教上人塚跡」

 画像は、真福寺境内にある現在の「上人塚」です。耕地整理の関係で昭和の初め頃に現在地に移されたそうです。
 『新編武蔵風土記稿』には「ヒジリ塚 村ノ北ニアリ。是モ由来ヲ伝ヘズ。」とあり、この上人塚以外にも塚が存在したことを記していますが、この塚に関しての詳細はわからなくなっているようです。

<参考文献>
玉川石標を守る会『世田谷ふるさとめぐり てくたくぶっく 用賀・馬事公苑コース』
下山照夫『史料に見る江戸時代の世田谷』
世田谷区教育委員会『用賀 世田谷区民俗調査第9次報告』

  1. 2015/03/26(木) 02:47:10|
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