古墳なう

ご〜ご〜ひでりんの古墳探訪記

「鵜の木一丁目15番古墳」

「鵜の木一丁目15番古墳」

 画像は、大田区鵜の木1丁目に所在する「鵜の木一丁目15番古墳」を北西から見たところです。『東京都遺跡地図』には大田区の遺跡番号157番の古墳(円墳)として登録されています。
 
 この古墳は、東京都心部遺跡分布調査団により行われた昭和58年度の分布調査で存在が確認されています。古墳の残存部分は南北径17m、東西径10mで、周囲を道路や民家により切られているものの円墳であると推定されています。発掘調査等は行われていないようなので埋葬施設や出土品等についてなどの詳細はまったくわかりませんが、比較的良い状態で残されているようです。住所がそのまま古墳の名称に使われているという、東京都内では珍しい古墳ですね。


「鵜の木一丁目15番古墳」

 画像は、西から見た「鵜の木一丁目15番古墳」です。墳丘上に祀られている熊野社を見ることができます。古墳はかなり高さが残されているようにも見えますが、元の地面の高さがわからないので何ともいえないところです。
 

「鵜の木一丁目15番古墳」

 墳丘上のようすです。埴輪片が落ちていたり、また埋葬施設が露出しているようなことはないものかと観察してみましたが、敷地内に無断で入るわけにもいかず、確認することは出来ませんでした。。。

<参考文献>
東京都教育委員会『1985 都心部の遺跡』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』


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  1. 2015/12/03(木) 23:43:22|
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「三島塚古墳1号墳」+「三島塚古墳2号墳」

「三島塚古墳」

 「三島塚古墳」は大田区鵜の木1丁目に所在した古墳です。『東京都遺跡地図』には大田区の遺跡番号158番の”古墳”として登録されています。

 現在は宅地化されて墳丘の存在しないこの「三島塚古墳」は大正時代末年に墳丘が削平されており、この際に出土した人物形埴輪(女子)の頭部、耳環、直刀は近くの「増明院」に保管されているそうです。その後、この古墳の正確な位置はわからなくなっていたようですが、平成5年(1993)の共同住宅建設工事中に埴輪片が発見されたことにより発掘調査が行われ、なんと2基の古墳の周溝が検出されています。
 1号墳は確認部分がわずかであったため形状が不明であるものの、確認部分はくびれ部の一部である可能性が考えられており、墳形は前方後円墳か帆立貝形古墳ではないかと想定されています。「三島塚古墳」とはこの1号墳であるようです。また、隣接して検出された2号墳は直径約25mほどの円墳であると推定されています。1号墳は出土した埴輪片から6世紀の古墳時代中期の、また2号墳は出土した五領期の壺形土器により、6世紀の古墳時代後期に属する古墳であると考えられているようです。

 画像は大田区鵜の木1丁目の「三島塚古墳」周辺のようす。この右側あたりが古墳の跡地となりますが、舌状台地の一番高い位置に古墳が存在したことがわかると思います。
 画像の左側、坂道を下ったところにはこの「三島塚古墳」の 遺物が保管されている「増明院」があり、またここから100mほど北西には遺跡番号157番の「鵜の木一丁目15番古墳」が、南東には「光明寺荒塚古墳」が現存しています。

<参考文献>
太田区立郷土博物館『大昔の大田区 原始・古代の遺跡ガイドブック』
太田区教育委員会『大田区の埋蔵文化財 第14集』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』


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  1. 2015/12/02(水) 11:50:02|
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「光明寺荒塚古墳1号墳」

光明寺荒塚古墳1号墳

 大田区鵜の木1丁目、光明寺本堂右手に残る上墓(ウワンバカ)地区に残存するのが「光明寺荒塚古墳1号墳」です。『東京都遺跡地図』には大田区の遺跡番号90-2番に登録されている古墳です。

 この周辺地域には、新田義興の墳墓であるとされる「新田義興塚」、義興公とともに矢口の渡しで討死した従者が祀られているとされる「十騎明神塚」や「妙蓮塚」、義興公を荼毘にふした灰で築いたとの伝承がある「灰塚」のほか、「大桜大塚」や「女塚古墳」など、新田義興公にまつわる伝説に関係する古墳や塚が数多く残されており、これまでにも紹介してきましたが、この古墳と、古墳の所在する光明寺にも新田義興伝説が残されています。
 このお寺の敷地内にある「光明寺池」は昔の多摩川の名残で、新田義興が死んだのは矢口とこの池のあたりであるといわれており、また新田義興が切腹したときにほうり投げた内蔵が引っかかったのが光明寺の一番高い木で、そこにはよく雷が落ちるのだともいわれています。また、学生社より発行された『大田区史跡散歩』には、光明寺にある「十一面観世音菩薩立像(雷留観音)」について、「新田義興が謀殺された後の延文4年(1359)頃、その怨霊の雷火がしばしば起こり、人びとをおびやかしたので、鵜ノ木村の浄心という者がこの観音に”かみなりどめ”の祈願をしたところ、それ以来おさまったので、世に雷留観音とよぶようになったとも伝える。また、この観音が安置されていたお堂が、義興の怨霊に追われて江戸遠江守が逃げこんだ辻堂であるとする伝説もある。」とも書かれています。
 また、「荒塚」と呼ばれる古墳にも新田義興にまつわる伝説があり、義興公を謀殺した江戸遠江守は義興にたたられて雷にうたれ落馬、もがき苦しんだ末に死んだとされていますが、その江戸遠江守や、義興をあざむいた竹沢右京亮の墓がこの塚であるという説や、江戸氏一族の墳墓であるという説も残されているようです。

 画像は「光明寺荒塚古墳1号墳」を東から見たところです。この古墳は、平成5年2月から翌6年8月にかけて都道環状8号線の建設工事に関連した発掘調査により古墳であることが確認されています。規模は直径23.4m、高さ4mの円墳で、墳丘に円筒埴輪が並べられていたと考えられています。


「光明寺荒塚古墳1号墳」

 画像は、「光明寺荒塚古墳1号墳」の墳頂部のようすです。石碑が建てられています。

 私が上京したころの環八はこの光明寺の一帯のみが未開通で、横っちょの細い道を迂回したものですが、まさか当時発掘調査が行われていて、保存された古墳を見学に来ることになるとは思いもしませんでした。これも時の流れですね。  当日は、お寺の方に声をかけて見学と撮影の許可をいただけました。ありがとうございました。。。

<参考文献>
学生社『大田区史跡散歩』
東京都大田区『大田区史 資料編 地誌類抄録』
大田区教育委員会『大田区の文化財第22集 口承文芸(昔話・世間話・伝説)』
東京都大田区「鵜の木光明寺の発掘調査」『大田区史研究 史誌』
環8光明寺地区遺跡調査会『環8光明寺地区遺跡調査報告書』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』


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  1. 2015/11/18(水) 01:59:29|
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「光明寺荒塚古墳2号墳」

「光明寺荒塚古墳2号墳」

 画像は大田区鵜の木1丁目、光明寺境内上墓(ウワンバカ)地区の「光明寺荒塚古墳2号墳」跡地を北東から見たところです。『東京都遺跡地図』には大田区の遺跡番号90-3番に登録されている古墳です。

 この光明寺の墓地からは古くから大量の板碑が発見されており、中世の遺跡の存在が想定されていたそうです。平成5年2月から翌6年8月にかけて行われた都道環状8号線の建設工事に関連した調査により、旧石器時代の生活跡、縄文時代の遺物の出土、弥生時代の方形周溝墓の発見に加えて、「荒塚」が古墳として確認され、またその後の近世にわたる火葬墓や集石墓も大量に発見されており、現代までの2千年にわたる日本の墓制をたどる貴重な遺跡であることがわかっています。

 「光明寺荒塚古墳2号墳」は墳丘はすでに消滅していましたが、発掘調査により「1号墳」の西側から周溝が検出され、直径16.5mの円墳であったことがわかっています。画像の左側に見えるのが「荒塚(光明寺荒塚古墳1号墳)」で、その右奥あたりが2号墳の跡地にあたるようですが、古墳の痕跡は何も残されていないようです。

 文化6年(1809)にこの地を訪れた大田南畝が境内に散乱していた板碑を整理した際、銘文の読めない断碑を一括して塚を築き、そこに埋めて記念碑を建てたと『調布日記』に記されているそうですが、この塚の場所はわからなくなっており、ほかにこの上墓地区には「上人塚」と呼ばれる地点があり、そこからは板碑片のほか火葬墓2か所と埋設された蔵骨器一か所が発見されています。ひょっとしてこの周辺には他にも多くの古墳があり、後世に塚として再利用されていたものも存在するのかもしれませんね。

<参考文献>
学生社『大田区史跡散歩』
東京都大田区「鵜の木光明寺の発掘調査」『大田区史研究 史誌』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』


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  1. 2015/11/17(火) 01:16:56|
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「弁天山」

「弁天山」

 画像は、大田区鵜の木1丁目の光明寺境内に所在する「弁天山」を南東から見たところです。

 この「弁天山」は、光明寺の山門を入ってすぐの参道の左側にひっそりと存在します。同じ敷地内には「荒塚古墳1号墳」が残存しており、また近年の発掘調査により「荒塚2号墳」の存在も確認されていることからこの弁天山が古墳である可能性も充分に考えられると思われますが、発掘調査等は行われていないようなので、埋葬施設や出土品等についてなどの詳細はまったくわかりません。調査が行われた「荒塚古墳」に関する発掘調査報告書等の資料にもこの弁天山に関する記述はほとんどなく、『東京都遺跡地図』にも登録されていないという不思議な存在です。


「弁天山」

 画像のように墳頂部には弁天様が祀られており、塚は「弁天山」と呼ばれているそうです。江戸時代の地誌『新編武蔵風土記稿』には「弁天社 中門を入て左にあり…」と弁天社についての記述が見られるものの、塚の上に祀られていたのかどうかは特に記されていません。この塚が古墳であるならばその名称は「弁天山古墳」、もしくは「荒塚3号墳」といったところかと思われますが、鵜の木の古墳群が存在する舌状台地の先端に位置するこの「弁天山」が古墳であるかどうか、真相はわかりませんでした。。。

<参考文献>
東京都大田区『大田区史 資料編 地誌類抄録』


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  1. 2015/11/14(土) 22:40:01|
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