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古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

北区 「富士塚古墳」その8

富士塚古墳 202108-2

 今回は久しぶりに、北区中十条2丁目に所在の「富士塚古墳」の、その後の探訪記録です。
 訪れたのは8月の終わり頃で、発掘調査も大詰めとなる時期かと思われます。


富士塚古墳 202108-1

 道路となる予定地の覆土はほとんど取り払われた状態で、塚の周辺の調査が行われていました。

 まだ調査報告書を見たことがない(刊行されていないものと思われますが。。。)ので、古墳の規模や埋葬施設、出土した遺物などの詳細はわかりません。
 戦時中には防空壕が掘られたという記録も目にしたことがあるのですが、調査の結果が気になります。。。


富士塚古墳 2021083

 墳丘の断面の様子です。
 版築層がはっきりと見て取れるのですが、ちょっとわかりづらいでしょうか。。。

【このブログの過去の関連記事】
http://gogohiderin.blog.fc2.com/blog-entry-67.html(2012/10/16「富士塚古墳」)
http://gogohiderin.blog.fc2.com/blog-entry-1287.html(2021/03/22「富士塚古墳 その2」)
http://gogohiderin.blog.fc2.com/blog-entry-1288.html(2021/03/23「富士塚古墳 その3」)
http://gogohiderin.blog.fc2.com/blog-entry-1289.html(2021/03/25「富士塚古墳 その4」)
http://gogohiderin.blog.fc2.com/blog-entry-1290.html(2021/03/26「富士塚古墳 その5」)
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  1. 2021/11/17(水) 23:53:58|
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東京都北区 「富士塚古墳」その7

北区「富士塚古墳」7-1

 今回も、ついに6回連続企画。
 北区中十条2丁目所在の「富士塚古墳」の探訪の記録です。


北区「富士塚古墳」7-2

 前回は、残念ながら墳丘がシートに覆われていましたが、やはり墳丘を調査している場面を、たとえ離れた場所からでもみたい!という気持ちが強くなってしまって、あらためて平日に訪れました。

 この日は、JR京浜東北線の東十条駅北口から歩きましたが、発掘現場はかなり大掛かりにクレーン車まで導入されていて、遠方からでも一目でわかる状況でした。


北区「富士塚古墳」7-3

 いわゆる「富士塚」の部分はすでに撤去されています。
 古墳の部分だけが残るイメージでしょうか。。。


北区「富士塚古墳」7-4

 版築の様子が確認できます。
 やっぱり古墳だったんだー!


北区「富士塚古墳」7-5

 調査範囲の限られた都心部の発掘調査は大変ですよね。
 周囲は民家が立ち並んでいますし、古墳の前の旧岩槻街道は交通量も多いです。。。


北区「富士塚古墳」7-6

 版築の様子。。。


北区「富士塚古墳」7-7

 埋葬施設や、崩落したといわれる防空壕は発見されたのでしょうか。
 気になりますね。。。

【このブログの過去の関連記事】
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  1. 2021/03/30(火) 23:39:31|
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東京都北区 「富士塚古墳」その6

北区「富士塚古墳」6-1

 今回も引き続き、北区中十条2丁目所在の「富士塚古墳」の探訪の記録、その6です。

 時期的にそろそろ発掘調査が始まっているのではないか、ということで今年の2月に立ち寄りました。が、週末に訪れたため、シートで覆われていて墳丘の様子を見ることができませんでした(がっくし…)。
 ただし、調査はすでに始まっているとみられ、黒ボク石や石碑、参道となっていた石段や頂上の石祠は撤去されているのがシート越しにもわかります。
 発掘の様子はまた平日に出直したわけですが、これはこれで楽しめました。笑。


北区「富士塚古墳」6-2

 さて、北区内には、現在はすでに消滅してしまったものの、古い郷土史本などを紐解くと、伝承としてのみ残る古墳は少なくないようです。
 これについてはこれまでに色々と調べていたのですが、結局わからないことも多く、最近はコロナの影響などもありなんとなく放置になっていました。

 せっかくなので、今わかっていることを書き記しておこうと思います。

 この周辺のかつての地名は上十條の小字の「大塚」で、これはこの地域に所在した大きな塚が由来であるとされています。
 この大塚は、この地域が室町時代の太田道灌と豊島氏との間の古戦場であったことから、道灌が板橋氏を攻めるために城中をうかがうべく、一夜にして築いた塚である、ともいわれているようですが、塚はかなり大きなもので、古墳であったともいわれているようです。

 また、同じ十條の小字大塚には「平塚」と呼ばれる塚も所在しました。
 この塚は明治初年に発掘され、武器の類がかなり出土したようですが、そのまま埋め戻されたようです。
 この塚も、室町時代後期の豊島泰経と太田道灌との間で行われた合戦の戦死者を埋葬した塚であるともいわれているようですが、やはり古墳であるとも考えられていたようです。

 ちなみにおとなりの、十條の小字仲原には「遠藤塚」と呼ばれる塚が所在しました。
 近世の領主遠藤角右衛門の祖麁先の墳墓であるとといい伝えられていましたが、これも古墳であったと考えられているようです。

 残念ながらどちらの塚もすでにまったく跡形はなく、正確な所在地を突き止めることはできなかったのですが、この中十条2丁目の「富士塚古墳」の旧番地を調べてみると、神社の境内地が上十条1415番地、塚の部分が同1416番地と、小字大塚の町内に当てはまっており(小字大塚は1413番地から1597番地までで、十条富士は小字大塚の東端にあります)とても興味深いです。

 十条富士と同じ中十条2丁目の住宅地から、密集する3基の小円墳が検出されている(十条台古墳群)あたりから考えても、この地域に存在した大古墳群を妄想してしまいますね。。。


北区「富士塚古墳」6-3

 頂上にあった石祠は仮宮ということで、歩道に移設されていました。
 以前は「中十条二丁目児童遊園」として砂場があったあたりですね。
 仮宮とはいえ、周囲よりも若干小高くして祀られているところが興味深いです。


北区「富士塚古墳」6-4

 石祠の現在の様子です。
 基壇の部分が新しいことが、逆に祠の長い歴史を感じさせますね。。。


北区「富士塚古墳」6-5

 北区教育委員会による説明板も、この仮宮を覆うフェンスに移設されていました。


北区「富士塚古墳」6-6

 「十条富士塚の再整備(現状変更)のお知らせ」が設置されていました。

 以前に貼られていた掲示からすると、墳丘はほぼすべてが一度削平されてしまい、そのあとに新しい富士塚を築造するものだと解釈していましたが、このお知らせには「富士塚および古墳を可能な限り保存する。」と書かれており、どうやら古墳は消滅してしまうわけではなさそうです。

 ていうか、この段階ですでに古墳であると断言されていますね。笑。

【このブログの過去の関連記事】
http://gogohiderin.blog.fc2.com/blog-entry-67.html(2012/10/16「富士塚古墳」)
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http://gogohiderin.blog.fc2.com/blog-entry-1288.html(2021/03/23「富士塚古墳 その3」)
http://gogohiderin.blog.fc2.com/blog-entry-1289.html(2021/03/25「富士塚古墳 その4」)
http://gogohiderin.blog.fc2.com/blog-entry-1290.html(2021/03/26「富士塚古墳 その5」)

<参考文献>
東京都北区役所『新修 北区史』


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  1. 2021/03/28(日) 21:05:29|
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東京都北区 「富士塚古墳」その5

北区「富士塚古墳」5-2

 今回も引き続き、北区中十条2丁目所在の「富士塚古墳」の探訪の記録です。

 一昨年、2019年の東京文化財ウィークにて、大田区の企画事業の「羽田富士」の見学会に参加しました。
 この日、偶然にも北区の学芸員も参加しておられて、十条の富士塚古墳で行われる調査についてのお話もお聞きすることができました。

 「現地説明会は絶対に開催してくださいね!」などと無理を言って、「考えておきますねー」みたいな会話で終わったのですが、その後の新型コロナウイルスの感染状況を考えると、現地説明会の開催はおそらく不可能であろうと思われます。
 「十条富士塚」の中身は高い確率で古墳であろうと思っていますが、許されるなら版築の様子や石室等が見られないかなあと思っています。

 富士塚は通り沿いにありますし、すぐ横には歩道橋もあります。
 見たければ頻繁に見に行くしかない!
 ということで、画像は昨年の8月に訪れた時の富士塚古墳の様子です。


北区「富士塚古墳」5-1

 すでに墳丘上の樹木はすべて伐採されており、塚の形状がよく観察できました。

 鳥居や石碑などの石造物から塚上に置かれた富士の黒ボク石のすべてに番号が振られて、これらの調査と撤去が終わればいよいよ塚本体の発掘調査が始まる、という状況です。

 なんだかちょっと名残惜しい気持ちになりますね。。。


北区「富士塚古墳」5-3

 鳥居です。
 「富士神社」と刻まれた神額にも番号がふられています。


北区「富士塚古墳」5-4

 塚上の様子です。
 黒ボク石の一つ一つにまで番号がふられています。

 ミスの許されない、細かい作業ですね。。。


北区「富士塚古墳」5-5

 歩道橋からの撮影。
 古墳としての墳丘は、東側が比較的よく残されている状況でしょうか?

 塚の前面はコンクリートで覆い、南側斜面から後ろ側斜面に土の流れを防ぐためにコンクリート板を上から下にかけて縦に並べて土留めをしています。これは、第二次大戦中にこの塚に防空壕が掘られており、この影響でその後に山が崩れたことによるそうです。

 この防空壕の様子も、調査により判明するのでしょうか。。。


北区「富士塚古墳」5-11

 北東から見た富士塚古墳。

 そういえば、この日は平日だったように記憶していますが、調査が行なわれていなかったため、ゆっくり見学できました。笑。


北区「富士塚古墳」5-12

 北西から見た富士塚古墳。


北区「富士塚古墳」5-9

 富士塚の再整備のお知らせの掲示が貼られていて、整備前の富士塚と整備後の富士塚の比較図がCGによるイラストで掲載されていました。

 これは整備前の富士塚です。


北区「富士塚古墳」5-10

 こちらは整備後の様子。
 石碑類は極力同じ位置に設置されるようです。

 富士塚の石段はさらに急斜面になる予感がしますな。。。笑。

 以下、次回の「その6」に続く。。。

<参考文献>
現地説明板


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  1. 2021/03/26(金) 23:30:27|
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東京都北区 「富士塚古墳」その4

北区「富士塚古墳」4-1

 さて、今回も引き続き、北区中十条2丁目所在の「富士塚古墳」の探訪の記録です。
 お山開きに参加した翌年である平成31年(2019)4月に、この富士塚古墳を訪れました。

 そろそろ発掘調査が始まる頃かな?という妄想を抑えることができず、出勤前に朝イチで出かけ他のですが、富士塚自体はまだ手付かずで残されていたものの、すでに塚の前のブロック塀は撤去され、周辺道路の整備は着々と進められていました。


北区「富士塚古墳」4-2

 東側の正面から見た富士塚古墳の様子。
 結果的に、この日で富士塚のこの姿は見納めとなりました。。。


北区「富士塚古墳」4-3

 歩道橋の上から見たところ。


北区「富士塚古墳」4-4

 北東から見たところ。


北区「富士塚古墳」4-5

 墳丘北側の様子。

 発掘調査が行われる範囲次第では、古墳を取り巻く周溝までは検出されないのではないかとも考えられますので、古墳の規模までは判明しない可能性がありますが、元はかなり大きな古墳だったように感じられます。。。


北区「富士塚古墳」4-6

 富士講による掲示板もまだ健在でした。
 説明文が書かれた紙がいつも張り替えられていて、富士講の方々の意欲が伝わる掲示板でした。

<参考文献>
現地説明板


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  1. 2021/03/25(木) 20:13:20|
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東京都北区 「富士塚古墳」その3

北区「富士塚古墳」3-1

 前回に引き続き、今回も北区中十条2丁目に所在する「富士塚古墳」の探訪の記録です。

 この古墳は、地元の人には今もなお「十条のお冨士さん」と呼ばれて親しまれている富士塚です。
 年に一度、6月30日と7月1日がお山開きで、両日に行われる「十条富士大祭」ではこの地域一帯が他に類を見ないほどの盛り上がりを見せます。

 画像は、平成30年(2018)6月30日の例祭の様子です。
 かなり木が茂って富士塚の全貌は少々見え難くなっていますが、木立の場所が富士塚です。


北区「富士塚古墳」3-2

 露店をめぐる前に、まずは参拝します。

 普段は特に並ぶことなく参拝できるのですが、この日ばかりはものすごい人出でした。
 うん、今なら完全に三密ですやね。。。


北区「富士塚古墳」3-3

 昨年はぜひとも富士神社の御朱印を拝受したいと考えていましたが、残念ながら新型コロナウイルス感染拡大防止のために例祭自体が中止となってしまいました。
 富士塚の再整備が終わり、コロナ禍が過ぎ去った後にもう一度この賑わいに参加したいなあと思っていますが、いつの日になるのでしょうね。。。

 丸参伊藤同行は現在も存続しており、富士登山や毎月の「拝み」も行なっているそうです。この毎年一回の例祭も、この講が中心となって執行されているそうです。
 例祭当日は、富士塚の登り口の脇に仮屋が造られて(画像左側)、仮屋の中に先達、講元、世話人が詰めているそうです。


北区「富士塚古墳」3-4

 正面の石段を登り、頂上の平坦地に石祠が安置されているのですが、この石祠の台石に「元和二年(1616)」の紀年銘があり、富士塚の築造をこの年にしたり、富士講の創設をこの年にしたりしているようです。

 少なくとのこの400年前に塚が存在したという事実はとても興味深いです。

 この塚の近接地では3基の円墳の跡が確認されており、この十条富士塚も含めて「十条台古墳群」と呼ばれています。
 立地的にこの十条富士が古墳である可能性は高いのではないかと思われますが、その真相ももうすぐ判明するはずです。。。


北区「富士塚古墳」3-5
 
 この富士神社は、熊野より勧請された王子神社(王子権現)の境外社で、神事には王子神社から神主がやってくるそうです。

 頂上の石祠には現在は判読不能となっていますが、かつては正面中央に「富士神社」、向かって右脇に「第六天」、左脇に「稲荷神社」と刻まれていたそうです。


 私が訪れた日には、富士講の講員の方が法螺貝を吹いていました。
 生法螺貝、この日に初めて見ました。。。


北区「富士塚古墳」3-6

 富士塚頂上の様子です。

 この石祠(本殿)に拝礼すると、富士山に登拝したのと同じ利益があるとされています。例祭の期間中、この石祠の横の容器を富士山火口に見立ててお焚きあげが行われています。


北区「富士塚古墳」3-7

 十条富士からJR埼京線の十条駅まで延々と屋台が続き、これを楽しみに、地元の人のみならず遠方からも大勢の人が来るそうです。(かくいう私もそのうちの一人というわけですね。笑。)

 コロナ禍に巻き込まれた現代からはもはや想像もできませんが、なんとか乗り越えて取り戻したい光景ですな、これは。
 みんな楽しそう。。。


北区「富士塚古墳」3-8

 屋台の道の真ん中へんなんか、コレです。。。

 今年は例祭を行うのはまだ厳しいかもしれませんよね。
 オリンピックは行うつもりらしいけれど、ホンマかいな。。。

 いやとにかく、絶やしちゃいけない日本の素晴らしき風景です。

 以下、次回の「富士塚古墳 その4」に続く。

【このブログの過去の関連記事】
http://gogohiderin.blog.fc2.com/blog-entry-67.html(2012/10/16「富士塚古墳」)
http://gogohiderin.blog.fc2.com/blog-entry-1287.html(2021/03/22「富士塚古墳 その2」)

<参考文献>
(財)日本常民文化研究所『富士講と富士塚 ー東京・神奈川ー』
大塚初重/監修 祥伝社新書『東京の古墳を歩くーヴィジュアル版』
有坂蓉子『ご近所富士山の「謎」』


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  1. 2021/03/23(火) 23:51:21|
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東京都北区 「富士塚古墳」その2

北区「富士塚古墳」2-1

 前回の「鵜の木一丁目15番古墳」に引き続き、今回も東京の古墳をテーマにお届けします。
 今回は久しぶりに、北区中十条2丁目に所在する「富士塚古墳」を取り上げようと思います。

 この場所は、「十条富士塚」の名称で、富士塚として北区の有形民俗文化財にも指定されています。
 『東京都遺跡地図』には、北区の遺跡番号20番の「古墳」として登録されています。

 富士塚の目の前には旧岩槻街道が走っていますが、この道路の整備が進み、この十条富士塚も現在再整備が行われています。この十条富士は、元々存在した古墳を流用する形で築造された富士塚であるといわれてきましたが、すでに発掘調査は始まっており、真相が解明されようとしています。

 ちなみに私が初めてこの塚を訪れたのは2011年で、翌2012年にこの『古墳なう』にて初めて探訪の記録を公開しましたが、この再整備を機にあらためてこの「富士塚古墳」を取り上げてみようと思います。


 というわけで、最初の写真は往時の富士塚古墳です。

 富士塚の前を走る旧岩槻街道は京浜東北線の西側を並行して走っていて、赤羽から富士塚のある東十条、そして王子へと抜ける幹線道路でもあり、また地元の人にとっては生活道路でもあるのかな?という印象の道路でした。

 歩道もほとんどないようなかなり道幅の狭い道路でしたが、当時は富士塚の前だけにブロック塀があり、境内地が歩道っぽくなっていました。


北区「富士塚古墳」2-2

 富士塚の前を走る「旧岩槻街道」は、江戸時代には「日光御成道」と呼ばれ、歴代将軍が徳川家康を祀る日光東照宮に参拝して、年忌法要を営むための道であったそうです。
 また、城下町である岩槻(埼玉県)と江戸とを結ぶ街道でもあったことから「岩槻街道」とも呼ばれました。

 本郷追分(現在の文京区)で中山道と分かれ、北区を横断して、岩渕から川口へは荒川を船で渡りますが、将軍の通行の時には荒川に仮橋が架けられ、この渡り初めを岩淵の子供達が行なったといわれています。

 将軍の通行の際には、将軍に直接供奉する者だけで2000人を越え、沿道の村々ではこれらの荷物を運ぶための大量の人馬を負担させられたそうです。(すごいですね。。。)


北区「富士塚古墳」2-3

 この塚は中腹から上は切り立った形に土盛りされています。
 画像のように、鳥居を潜るとかなり急勾配の直線的な石造りの階段があり、頂上に登れるようになっています。

 私が訪れた時にはすでに、富士塚の頂上まで直線的に登る石段が設けられていましたが、この登山路は一般的な富士塚の築造様式ではなく、本来は正面に「く」の字状か、若しくは電光状に設けるのが一般的で、これは実物の富士山を模しているのだそうです。

 実際にこの十条富士にも、築造当初は正面から向かって右下から左上に斜めに上る登山道があり、人々は登山路を登って頂上から富士山を遥拝したと推定されています。

 この階段の横に、北区教育委員会による説明板が設置されていました。

北区指定有形民俗文化財
  十条冨士塚
北区中十条2―14―18
 十条冨士塚は、十条地域の人々が、江戸時代以来、冨士
信仰にもとづく祭儀を行って来た場です。
 現在も、これを信仰対象として毎年6月30日・7月1
日に十条冨士神社伊藤元講が、大祭を主催し、参詣者は、
頂上の石祠を参拝するに先だち線香を焚きますが、これは
冨士講の信仰習俗の特徴のひとつです。
 塚には、伊藤元講などの建てた石造物が、30数基あり
ます。 銘文によれば遅くとも、天保11年(1840)10月
には冨士塚として利用されていたと推定されます。
 これらのうち、鳥居や頂上の石祠など16基は明治14
年(1881)に造立されています。この年は、冨士講中興
の祖といわれた食行身禄、本名伊藤伊兵衛の150回忌に当
りました、石造物の中に「冨士山遥拝所再建記念碑」もあ
るので、この年、伊藤元講を中心に、塚の整備が行われ、
その記念に建てたのが、これらと思われ ます。
 形状は、古墳と推定される塚に、実際の富士山を模すよ
うに溶岩を配し、半円球の塚の頂上を平坦に削って、富士
山の神体の分霊を祀る石祠を置き、中腹にも、富士山の五
合目近くの小御岳神社の石祠を置いています。また、石段
の左右には登山路の跡も残されており、人々が登頂して富
士山を遥拝し、講の祭儀を行うために造られたことが知ら
れます。
平成4年3月
                   北区教育委員会



北区「富士塚古墳」2-4

 階段の途中で、南側を見たところです。
 画像の平坦地が、かつての登山路の痕跡であると思われます。

 富士講により築造された富士塚らしく、塚上には富士講による石造物が30基以上も建てられており、表面には富士山の黒ボク石(溶岩)が配されています。ただし、これは積み上げて全山を覆う形ではなく、要所要所に配されていました。


北区「富士塚古墳」2-5

 階段の途中で北側を見たところ。
 南側の登山路から続いています。

 実際の富士山同様に、五合目付近に小御岳神社の分霊が祀られており、頂上は平坦にして富士山の御神体を祀る石祠が祀られていました。


北区「富士塚古墳」2-6

 こーんな感じで、石室の石材かなあ?と思えるような石が露出していたりもしたのですが、真相は不明です。


北区「富士塚古墳」2-7

 頂上の様子です。

 思えば近年は、311の大震災以降も大きな揺れの地震が続いていますし、ひょっとしたら富士塚の崩落の危険もあったかもしれません。
 このタイミングで再整備が行われることは必然であったのかもしれませんね。。。


北区「富士塚古墳」2-8

 古来、噴煙を上げていた頃の富士山は、火を司る霊山として人々の信仰をあつめていたそうです。
 江戸時代には富士山への参拝を通じた富士信仰は盛んになり、関東地方を中心に庶民の慣習的な信仰団体である「富士講」が結成されて富士山を参拝するようになりました。

 やがて、富士山に登拝できない長旅が困難な人々や入山を禁止されていた女性のために各地に富士塚が築造され、大流行しました。

 この十条富士塚もそのような富士塚のひとつで、江戸時代以降、富士信仰に基づく祭儀を行ってきた場所なのだそうです。


北区「富士塚古墳」2-9

 頂上から東側を見下ろしてみたところ。
 かなり高さがあるのがわかります。


北区「富士塚古墳」2-10

 階段はもう一箇所、塚の南側に下山路がありました。


北区「富士塚古墳」2-11

 最後は、北から見た富士塚古墳です。

 富士塚の周辺は個人の商店などが多く、例えば富士塚の隣はタバコも売っている文房具屋さんでしたし、畳屋さんなどもありました。また周辺を散策すると、古くから続く地主さんかな?とも思えるような立派な民家も残されていて、昭和の風情が残るノスタルジーを感じさせる街並みでした。

 現在の旧岩槻街道は道路拡張のための用地買収も終わり、発掘調査が終了次第、新しい街並みへと変貌するものと思われます。
 ちょっと寂しい気もしますが、これも時の流れなのかな、とも思います。

 以下、次号の「富士塚古墳 その3」へ続く。。。
 
【このブログの過去の関連記事】
http://gogohiderin.blog.fc2.com/blog-entry-67.html(2012/10/16「富士塚古墳」)

<参考文献>
東京都北区役所『新修 北区史』
東京都北区教育委員会『十条富士講調査報告書』
(財)日本常民文化研究所『富士講と富士塚 ー東京・神奈川ー』
大塚初重/監修 祥伝社新書『東京の古墳を歩くーヴィジュアル版』
有坂蓉子『ご近所富士山の「謎」』
現地説明板


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  1. 2021/03/22(月) 22:32:18|
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「十条台古墳群」

「十条台古墳群」

 「十条台古墳群」は、北区中十条2丁目に所在する3基の円墳と、付近に存在する「十条富士塚」からなる4基の古墳群です。十条2丁目に所在する3基の古墳は開発が進んでいるために墳丘は残されていませんが、平成2年(1990)に個人住宅建設にともなう発掘調査により周溝が検出され、1号墳、2号墳、3号墳と名称がつけられています。さらに平成9年(1997)には、別の地点の発掘調査にて1号墳の周溝の続きが、平成24年(2012)には2号墳が検出されています。
 画像の道路の突き当たりのあたりが3基の古墳の所在地ですが、周辺は開発が進み宅地が密集しているため、残念ながら古墳の痕跡を観察することは出来ません。

 「1号墳」は、規模直径約23m、周溝の幅は約3mの円墳であるとされています。周溝からは円筒埴輪、朝顔形埴輪のほか、須恵器や土師器も出土しています。「2号墳」は直径約13m、周溝の幅約1.8mの円墳で、覆土中より土師器杯や高杯などが出土しています。また、「3号墳」は周溝の検出範囲が狭いために規模は不明であるものの、円墳ではないかと考えられているようです。

 この3基の古墳から南に100mほど離れた地点に、有名な「十条富士塚」が所在します。この富士塚は発掘調査はされていないため詳細は不明ですが、古墳の上に盛土をして築かれたと考えられており、この富士塚を含めた直径100mほどの範囲が「十条台古墳群」とされているようです。今後の周辺調査次第では、更なる古墳群の広がりも十分に考えられるかもしれません。。。

<参考文献>
東京都北区『北区史 通史編 原始古代』
東京都北区教育委員会『文化財研究紀要 第13集』
東京都北区教育委員会『北区埋蔵文化財調査年報 –平成23年度-』

  1. 2014/04/15(火) 09:27:42|
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「富士塚古墳(十条富士塚)」(北区指定有形民俗文化財)

「十条富士塚」

 画像は、北区中十条2丁目にある「富士塚古墳」を東から見たところです。北区の遺跡番号20番の古墳です。

 古来、噴煙を上げていた頃の富士山は、火を司る霊山として人々の信仰をあつめていたそうです。江戸時代には富士山への参拝を通じた富士信仰は盛んになり、関東地方を中心に庶民の慣習的な信仰団体である「富士講」が結成されて富士山を参拝するようになりました。やがて、富士山に登拝できない長旅が困難な人々や入山を禁止されていた女性のために各地に富士塚が築造され、大流行しました。この十条富士塚もそのような富士塚のひとつで、江戸時代以降、富士信仰に基づく祭儀を行ってきた場所なのだそうです。
 現在でも毎年6月30日と7月1日は祭礼が催されていて、多くの参拝者をあつめているそうです。


「十条富士塚」「十条富士塚」

 この塚は中腹から上は切り立った形に土盛りされています。上記の左の画像のように、鳥居を潜るとかなり急勾配の直線的な石造りの階段があり、頂上に登れるようになっています。階段の両側には溶岩が積み上げられていて、その溶岩の間には多くの石碑が建てられています。この直線的な登山路は一般的な富士塚の築造様式ではなく、本来は正面に「く」の字状か、若しくは電光状に設けるのが一般的で、これは実物の富士山を模しているのだそうです。築造当初は、正面から向かって右下から左上に斜めに上る登山道があったと推定されています。


「十条富士塚」

 上記の画像は、下山路を見上げたところです。

 この塚の近接地では3基の円墳が確認されていることから、この十条富士塚も古墳を再利用して築造されたと推定されています。この古墳群は、「十条台古墳群」と呼ばれています。
 「東京都遺跡地図」のインターネット公開版では、”径18m、高さ5mの円墳”とされています。

<参考文献>
東京都北区教育委員会『十条富士講調査報告書』
大塚初重/監修 祥伝社新書『東京の古墳を歩くーヴィジュアル版』
現地説明板





  1. 2012/10/16(火) 01:48:39|
  2. 北区/十条台古墳群
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