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古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

東京都北区「赤羽台第3号古墳石室」その2

北区「赤羽台第3号古墳石室」1

 今回は、北区十条台1丁目の「赤羽台第3号古墳石室」の探訪の記録です。

 この施設は以前にも見学に訪れていて、この『古墳なう』でも一度取り上げたことがあるのですが、この周辺を散策するのがかなり久しぶりだったこともあって、あらためて見学に立ち寄りました。

 画像のように、北区立中央公園内の文化センターの東隣に造られたドーム型の施設の中に、赤羽台第3号古墳の横穴式石室が移設、保存されて公開されています。

【このブログの過去の関連記事】
http://gogohiderin.blog.fc2.com/blog-entry-77.html(2012/11/17「赤羽台第3号古墳石室」)


北区「赤羽台第3号古墳石室」2

 施設の横の塀に、古墳と石室についての解説が書かれたタイルが設置されています。
 次のように書かれていました。。。

赤羽台第3号古墳石室
 この古墳の石室は、昭和57年7月、東北新幹線工事に伴う発掘調査により発見されたものです。ほかに10数基の古墳、横穴墓群、多数の竪穴住居跡が見つかっています。
 北区の歴史を知る上で貴重な資料であるため、石室をそのまま切り取って移設し、展示しているものです。

石室の概要
 この石室は、今から約1400年前の古墳時代に作られた横穴式石室です。現在は、石積みが2段しか残っていませんが、当時は数段積まれ、その上に天井石をのせたものと推定されます。石材は、凝灰質砂岩で海浜の自然石を用いたものです。また床面には全面に小石が、一部にカキ殼も敷かれていました。
 石室の中には、人骨とともにガラス玉・碧玉製の管玉・耳飾りなどの装身具と直刀・矢の先に付けられる鉄鏃などの武器類が、副葬品として納められていました。




北区「赤羽台第3号古墳石室」3

 これが内部の石室の様子です。

 東北新幹線敷設工事にともなう発掘調査により発見されたもので、調査が行われたのは昭和57年(1982)7月ですので、もはや40年前ということになります。
 40年前とはいえ、東京の、しかも23区内でこれだけの遺構が発掘されたわけですからかなり貴重な発見ですよね。。。

 あえて文句を(ばっかり)言わせてもらうと、この場所は、通りがかった人が興味を持ってのぞいてみる可能性はかなり低いように感じますし、どうせ跡地から離れた場所へ移設されるのであれば飛鳥山公園内に移せば良かったのに!とずっと思っています。笑。

 飛鳥山公園もかつては多くの古墳が築造された場所で、公園内には今も飛鳥山1号墳が現存します。また、何よりも公園内には北区の博物館があるので同じ敷地内に石室が公開される意味も出てきます。
 また、もし移設が可能なら、この施設は正面からしか見学できないので、横からも石室を見学できるような窓があったらいいなあとも思います。

 いや、戯言ですけどね。。。


北区「赤羽台第3号古墳石室」7

 赤羽台第3号古墳の所在地はだいたいこのあたり。
 北に向かって突き出た舌状台地の先端部に所在した古墳で、現在は星美学園の敷地内となっています。


北区「赤羽台第3号古墳石室」8

 星美学園の敷地内に今も残されている「赤羽台古墳群1号墳」です。

 2012年11月10日に現地を訪れて見学させていただいた時の写真です。。。


北区「赤羽台第3号古墳石室」6

 2号墳か3号墳の跡地だと思われるのですが、地面が掘り返されたよにゴツゴツとした状況で、とても気になった記憶があります(古墳とは無関係かもしれませんが)。

 いったいなんだったんだろう。。。


北区「赤羽台第3号古墳石室」4

 3号古墳の石室の話題に戻りますが、久しぶりに訪れてみたらなんと!少々様子が変わっていました。
 石室が展示されているドーム型施設の北側に、前回見学時にはみられなかった遺構が設置されています。

 奥にある蒸気機関車みたいな形状のが東京砲兵銃包製作所のボイラー(部品)で、手前に見えるのが鋼製耐震煙突銘板です。

 日露戦争を機に弾薬の増産が必要になったことから、小石川地区よりこの地に移転・拡張され、明治38年(1905)に現在の十条台1丁目一帯に開設された「東京砲兵工廠銃包製作所」の近代産業遺産です。(雨ざらしで大丈夫なのかと少々心配になってしまいますが。。。)
 

北区「赤羽台第3号古墳石室」5

 北区教育委員会によ理設置された説明板です。


 とりあえず、北区の古墳や塚の話題はひと段落。
 でもまだ東京の話題が続きます。。。

<参考文献>
現地説明板


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  1. 2021/05/03(月) 20:45:07|
  2. 北区/その他の古墳・塚
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東京都北区「庚申観音塚」

北区「観音塚(庚申塚)」1

 画像は、北区王子5丁目に所在する「庚申観音塚」です。

 東京メトロ南北線の王子神谷駅を地上に降りた、北本通りから庚申通り商店街に入る左側に小さなお堂があり、「庚申塔」と書かれた大きな看板が掲げられています。お堂の中には2基の庚申塔と観音像が安置されています。
 この場所にはかつて塚があり、その塚上に観音堂が建てられていたことから「観音塚」と呼ばれていたそうです。この塚には色々と言い伝えも残されており、境内に建てられている『観音塚之由来記』にはその伝承について詳細に書かれています。


北区「観音塚(庚申塚)」2

 お堂の内部の様子です。
 画像の左に見えるのが『観音塚之由来記』です。

 この由来記は昭和5年に書かれたものなので、表面の塗装が剥がれてしまっていて判読し難い部分もあるのですが、塚にまつわる記述も見られるようです。

 四条天皇の時代の寛永年間に、30代の女性の修業者がこの地にささやかな庵を建てて住み着き、苦しむ村人の救済に勤めていたそうです。しかし、晩年には身体を動かすこともままならなくなり、読経ばかりを唱える日々となりました。
 そして、この尼が亡くなってからも庵からは読経と鐘の音が夜毎に聞こえてきたことから、村人たちが尼を弔うために庵の傍らに庚申塔の石碑を建てて祀ったそうです。


北区「観音塚(庚申塚)」3

 この『観音塚之由来記』の中には、「此ノ古墳ニ対スル奇蹟ハ実ニ枚挙ニ遑アラズ…」と「古墳」という記述が出てくるのですが、これは学術的な意味での古墳ではなく、「尼を埋葬した墳墓」と考えられていたこの塚を「古墳」と表現したものかと考えられます。

 しかし、豊島寛彰著『隅田川とその両岸補遺(下巻)』159ページにはこの観音塚について、「はじめここに古墳があり、鎌倉時代に至って古墳上に観音堂を建立し、江戸時代初期の寛文九年石碑を建てた……という順序であるが」と、はっきりと「古墳」という記述が見られます。

 荒川沿岸の低地であるこの地域での古墳の存在は今のところ確認されていないようですが、下流の荒川区域では低地にも古墳が存在したのではないかと考えられており、東尾久6丁目の下尾久石尊や南千住6丁目の素盞雄神社にある「瑞光石」と呼ばれる奇岩も古墳の石材であるといわれています。
 果たしてこの観音塚が古墳であったのか、とても興味深いところです。。。


北区「観音塚(庚申塚)」4

 昔は今よりも境内は広く、現在の郵便局のあたりも境内の一部であったそうです。樹木が鬱蒼と茂り、荊棘も蔓延ってジャングルさながらの子供達も寄り付かなかいようなものすごいところで、その中に庚申塔がポツンと1基建っていたそうです。
 それが大正時代の大震災以降になって次第に移住してくる民家も増え、塚の大木も切り倒されて荊棘も刈り取られ、路傍に庚申塔が崩れ傾いていました。
 これを嘆いた古老たちが発起して、昭和5年に新しく庚申塔を1基建立して旧碑に並べ、堂宇を建てて供養するとともに、毎年10月18日を縁日と定めて商店街の守り仏としました。その後、昭和48年10月18日には堂宇が再建されて観音像をも加えて盛大な供養な執行され、商店街もこの堂宇にちなんで「庚申通り商店街」と命名されたそうです。


 東京を調べてみると、どこの街にも歴史があって面白いです。

 でも、今や幹線道路である北本通り沿いの王子神谷駅前に塚があって、かつては鬱蒼とした治安の良くない場所だったなんて、今となっては全く信じられませんよね。

 時の流れ、おそるべし。。。

<参考文献>
豊島寛彰『隅田川とその両岸補遺(下巻)』
小野磐彦「北区聞書抜書控」『北区の社会教育 第217号』
『観音塚之由来記』


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  1. 2021/04/29(木) 01:41:53|
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東京都北区「稲付一里塚」

北区「稲付一里塚」とその周辺0

 前回に引き続き北区内の一里塚ということで、今回は「稲付一里塚」です。

 一里塚は慶長九年(1604)、徳川家康により、江戸日本橋を起点として全国の主要街道の一里毎に榎を植えた塚が築かれました。一里目の本郷追分で中山道と分かれ、二里目が西ヶ原、そして三里目の一里塚がこの稲付となります。

 画像は、北区赤羽西2丁目の稲付一里塚の跡地周辺の様子で、旧岩槻街道を南から見たところです。
 この周辺の道路の両側に塚は存在したようですが、残念ながら痕跡は見られません。
 幕末までにすでに破壊されて残っていなかったといわれ、江戸時代の地誌である『新編武蔵風土記稿』にも記載されていません。

 ちなみに近年まで北区教育委員会による説明板が設置されていたようなのですが、これも旧岩槻街道の拡張工事により撤去されてしまったようです。。。


北区「稲付一里塚」とその周辺1

 塚は早くから破壊されてしまったようですが、明治中頃までは村の掲示場があり、字吉原のほうに九歩、字番場のほうには六歩の官有地をなしていてその趾を残していたようです。
 『北区史』にはこの一里塚の所在地について、「字吉原103番地」と「字番場499番地」であるとはっきりと記載されています。

 画像は、江戸から向かって右側の塚の所在地である、字吉原103番地周辺の現在の様子です。


北区「稲付一里塚」とその周辺2

 道の反対側、字番場499番地周辺の様子です。
 ちなみにこのあたりに説明板が設置されていたようです。

 旧岩槻街道の拡張によりかなり印象が変わっており、あの狭かった旧街道のイメージはもはやまったく見られません。
 十条周辺よりも、この赤羽周辺の整備が進んでいるようですね。。。

 自転車でも走りやすいですし、歩行者も安全に歩けるようになったと思いますが、こうした整備が進むとどこも同じような眺めになってしまうようで、ちょっと味気ない気もしてきます。(綺麗で気持ちいいけど。。。)


北区「稲付一里塚」とその周辺3

 一里塚との関係は不明ですが、西側の塚の跡地近くでこんな祠を見かけました。

 旧岩槻街道は日光御成道ですので、江戸幕府の要人が家康をまつる日光東照宮に参詣するためにここを通ったことと思います。きっと、この一里塚の木陰で疲れを癒すために休憩したのでしょうね。。。

 この地には「壱里塚」という字名も存在したようです。。。


北区「稲付一里塚」とその周辺4

 とっても立派な蔵を見かけました。
 たまたまこのお家の方とお話ができたのですが、この蔵は農業のためのものではなく酒蔵なのだそうで、100年ほどの歴史があるそうです。

 開発が進む中、こうした光景はとても心が和みますし、長く残って欲しい北区の風景です。。。


 この日は、JR埼京線の板橋駅を降りて、西ヶ原→滝野川→王子→十条→赤羽、と自転車でぶらぶらと走ってきました。
 この稲付一里塚に到着したところではまだ十分に明るかったのですが、少々疲れてきたこともあり無理はせず、帰宅の途につきました。(北区だけに)

 ミタマ古墳や天王塚古墳の跡地も見たかったので、またいずれ遊びに行こうと思っています。。。

<参考文献>
東京都北区役所『北区史』


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  1. 2021/04/25(日) 18:24:08|
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東京都北区「狸塚(重吉稲荷神社)」

北区 重吉稲荷神社01

 以前、北区滝野川5丁目に所在したといわれる「狐塚」を取り上げたことがあります。
 現在の滝野川消防署三軒家派出所にあったといわれる塚で、狐が住み着いていたことから狐塚と呼ばれ、かつては祟りの言い伝えも残るかなり知られた塚であったようです。

 その後、北区内の図書館で調べ物をしていて、大正12年に発行された『文化の滝野川』という郷土史本の357ページに「狐塚、狸塚は夫婦塚である。今重吉稲荷の境内」という記述を見つけました。

 え!重吉稲荷も塚だったんだ?しかも狐塚と夫婦塚で狸塚???

 この本を読んだときはびっくりしました。
 この重吉稲荷は、消防署の横に設置されている「狐塚の坂」の標柱に書かれている解説文でもふれられていて、7年前に訪れた際にも参拝した記憶もあるのですが、当時はまさか塚跡とはつゆ知らず、不覚にも一枚の写真も撮りませんでした。

 往時の「狐塚」にはぽっかりと横穴が開いていて、そこには狐が住み着いていたといわれていますが、これは、開口する横穴式石室を連想してしまいます。
 ひょっとしたら狐塚も狸塚も古墳で、古墳群を形成していた?などといつものように妄想が始まってしまうのですが、なにか古墳らしき痕跡が残されていないものか、もう一度見に行きたい!と思いながら7年も経過してしまいました。

 画像は今年に入ってからのもので、緊急事態宣言の解除を待って見学に訪れました。(緊急事態宣言はまた発令されるようですが。。。)


北区 重吉稲荷神社02

 重吉稲荷境内の様子です。

 祠が祀られている土台の部分が周囲よりも一段小高くなっています。
 これが狸塚の痕跡かな?とも感じますが、よくわかりません。

 『北区史 民俗編1』によると、この神社は大正四年に移転しているようです。
 大正12年発刊の『文化の滝野川』に「今重吉稲荷の境内」と書かれていますので、この移転の際に狸塚の塚上に移された、ということになるのでしょうか。。。
 
 

北区 重吉稲荷神社03

 ちなみに神社の境内には、かつて狐塚の入り口にあったという廻国塔が道路拡張記念碑として建てられているそうなのですが、せっかく再訪しておきながら私はこれをすっかり見落としてしまいました。

 道標としてして付近の地名の銘が見られ、十条富士塚へ通じる道として「おふじみち」と刻まれているそうです。

 う〜ん。それらしき石碑は見当たらなかったような気がするのですが、忘れてしまっていたのは不覚でした。。。


北区 重吉稲荷神社(狐塚)04

 狐塚の跡地とされる、現在の滝野川消防署三軒家派出所の様子です。石神井川右岸の、川から坂道を上がった台地の縁辺部に位置しています。
 石神井川沿岸では、王子総合高等学校の敷地にあった「滝野川古墳」は、発掘調査の記録を見る限りでは、古墳ではなく塚だったのではないかという印象ですが、立地的にはこの狐塚のほうが古墳であった可能性を感じますね。。。


北区 重吉稲荷神社(狐塚)05jpeg

 「伏見稲荷大明神」です。
 狐塚を削平したことによる祟りを鎮めるために祀られたといわれている神社です。

【このブログの過去の関連記事】
http://gogohiderin.blog.fc2.com/blog-entry-200.html(2014/02/23「狐塚」)


北区 重吉稲荷神社(狐塚)06

 狐塚の名前は周辺に地名や施設名として残されています。

 画像は、消防署横を北東にくだる「狐塚の坂」です。
 北区教育委員会による標柱も設置されており、地元ではかなり知られた坂であるようです。。。


北区 重吉稲荷神社(狐塚)07

 この通りは「キツネ塚通り」で、商店街の名称も「きつね塚商店街」と、塚の存在が名称として残されています。
 このT字路となる交差点から北東に向かうと中山道にぶつかりますが、この左手前が狸塚跡である重吉稲荷神社、右奥が狐塚跡地となる滝野川消防署三軒家派出所、ということになります。

 ちなみにこの中山道とは新道のことで、写真を撮影するために私が立っている、東西に走る道路が旧中山道です。
 この地点が、かつて中山道2番目の一里塚である「平尾一里塚」の所在地となるわけですが、それはまた次回に。。。

<参考文献>
荒木筑洋『文化の滝野川』
現地説明板


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  1. 2021/04/21(水) 21:39:46|
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東京都北区「道音塚」

道音塚と道音坂1

 さて、最近ちょっと私の妄想が先走り気味でしたが、今回はれっきとした塚の跡地で、画像は北区西ケ原4丁目の「道音塚(どういんづか)」の所在地とされる場所です。
 『新修 北区史』の44ページに「西ヶ原560番地」という旧番地での住所が記載されていたことから、おおよその所在地を推定することができました。

 少々地形が変わっているのですが、かつてのこの場所は分かれ道の三角地のような形状を呈しており、この三角地が塚の跡地であるならば画像のマンションのあたりが跡地であるか、そうでなければ画像の左奥のあたりが跡地となるかもしれません。

 『東京府北豊島郡誌』には、「【道音塚】瀧の川西ヶ原境にあり名義詳ならず 此塚今も存す」と書かれており、同書が発行された大正7年にはまだ塚は残されていたようなのですが、残念ながら現在は塚の痕跡はまったくなく、性格な所在地を突き止めることはできませんでした。


道音塚と道音坂2

 画像は「道音坂」と呼ばれる坂です。
 道音塚が名称の由来となっています。


道音塚と道音坂3

 坂の途中には、平成6年に設置されたという、北区教育委員会による標柱が設置されています。

道音坂
 道音坂は、西ヶ原4-29-1地先から滝野川1-32-6地先まで続く坂道で、旧西ヶ原・滝野川の村境に沿った坂道でした。明治時代の「東京府村誌」に「坂名ハ道音塚アルニ由ル」とあり、江戸時代の地誌には西ヶ原村内「滝野川境ニアリ」と塚について記されています。道は浅草道と呼ばれ、本郷と上野の二つの台地を結ぶ道で、中世は鎌倉街道だったと伝えられる古道です。


 学術的な調査が行われた記録はなく、塚が消滅してしまった現在となっては塚の性格は不明で、由来なども詳しくはわかりませんでした。
 ただし、往時には少なくとも塚はかつてはかなり知られた存在であり、その名称は現代にも語り継がれているようです。

<参考文献>
名著出版『東京府北豊島郡誌』
東京都北区役所『新修 北区史』
現地説明板


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  1. 2021/04/20(火) 23:08:34|
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東京都北区「若宮八幡神社」

北区 若宮八幡神社1

 今回は、北区中十条4丁目に所在する「若宮八幡神社」の探訪の記録です。
 
 十条台周辺の伝承に残る古墳の詳細がまったくつかめなかった中、散策しながら視界に入った神社や祠が祀られている場所はすべて参拝する勢いで廻りました。
 この若宮八幡神社も古墳や塚の跡地であってもおかしくないかなあと感じた神社です。

 ここは古くから「八幡山」と呼ばれていたそうですが、周囲は入り組んだ入江のような地形で、現在は三方が切り立った崖となっており(開発が進む以前はもう少しなだらかだったのかもしれませんが)、確かに下から見上げると小山のようです。
 この「八幡山」という名称が気になってしまったのですが、この丘陵自体が八幡山と呼ばれていたのか、実は丘陵頂部に古墳か塚のような遺構があり、そこが八幡山だったのか、色々妄想が広がってしまいます。


北区 若宮八幡神社2

 鳥居の様子です。
 奥の境内の敷地が参道までよりも一段高くなっていて、やはり古墳跡を妄想してしまいます。。。

 古老からの聞き伝えによりますと、この八幡神社は享保年間(1716~1736)に鎌倉の鶴岡八幡宮から分祀して創建したとのことで、それで「若宮八幡神社」といいます。(現存の記録は明治18年6月が最古のものだそうです)


北区 若宮八幡神社3

 ほら。綺麗な円形を呈していて、頂部が削平された円墳跡みたいでしょ。笑。
 いや、もちろん学術的な根拠はまったくなく、すべて気のせいかもしれないのですが。。。


北区 若宮八幡神社4

 山の斜面の様子。

 うーん。ま、古墳じゃないかな。
 気のせいかも。。。

<参考文献>
現地説明板


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  1. 2021/04/19(月) 01:23:04|
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東京都北区「八雲神社」

北区 八雲神社1

 画像は、北区中十条3丁目に所在する「八雲神社」です。

 この神社は、現在の環七通りと旧岩槻街道が交差する「北区中十条三丁目」交差点の南西角に立地します。神社の境内が周囲よりもかなり小高くなっているので、ひょっとしたら塚の跡地なのではないかと、以前散策した時から気になっていました。

 この周辺も旧岩槻街道の拡張工事が行われているので、いずれは十条富士塚と同様に境内が縮小されてしまうのか、それとも移転することになるのかわかりませんが、十条富士塚の見学のついでにこの八雲神社も参拝しておこうと思っていました。


北区 八雲神社2

 北東から見たところ。

 この神社の境内だけがかなり小高くなっていますよね?
 位置的に十条台の台地縁辺部にあたり、古墳跡の可能性も十分に考えられるぜ!と妄想していましたが、古墳じゃないのかな。。。


北区 八雲神社3

 境内の南側は用地買収が進んで更地となっており、境内が高くなった様子が観察できます。


北区 八雲神社4

 境内の様子です。

 祭神は建速須佐之男尊で、寛政八年六月の創建と伝えられてる神社です。
 毎年7月15日が祭日で、かつては境内に樹齢三百余年を重ねた老杉があり、古くから天王の一本杉と呼ばれたそうです。


北区 八雲神社5

 社殿の様子。


北区 八雲神社4

 社殿横に設置された「八雲神社略由緒記」です。

    八雲神社略由緒記
 八雲神社は近世には、真言宗智山派無量山龍谷院西音寺持ちであった。江戸時代、文化文政期編纂の「新編武蔵風土記稿」に「牛頭天王社 西音寺持」とある。その後、王子神社の末社として旧宿町(中十条二、三、四丁目辺り)の村持ちの神社となったが、現在は「八雲講」組織の管理運営により祭礼が執り行われている。太平洋戦争以前は環状七号線の真ん中辺りにあったが、昭和十六・七年頃現在の地に遷座となる。社地提供の高木家が代々講元を務める。
 八雲神社は、牛頭天王・須佐之男尊を祭神とする祇園信仰の神社で、総本社は京都の八坂神社である。社名は、須佐之男尊が詠んだ歌「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣作る その八重垣を」に因む。江戸時代までは牛頭天王社と称していたが、明治期の神仏分離令により現社名となる。この地でも昭和十四年以前は、テンノウサマ(天王様)として庶民の崇敬を集めていた。牛頭天王とは、日本の神仏習合における神様であり、元々はインドの祇園精舎の守護神であると言われている。疫病除け、病気平癒、また内緒で賽銭をあげると縁が結ばれる縁結びの御利益あり。昔は諸願成就の丑三つ詣りが盛んに行われていた。北区岩淵町にも日光御成道第一の宿場、岩淵宿鎮守社の八雲神社がある。
                      講中一同



北区 八雲神社6

 略由緒記からすると、戦前までは神社は現在の環七通りの真ん中あたりにあったようです。
 この略由緒記に掲載されている江戸時代の絵図を見ると、旧鎮座地が塚状に高くなっているようにも見えます。
 この塚状地形が古墳であった可能性も十分に感じられますが、跡地は環七通りのど真ん中であり、真相を知るすべは残されていません。

 もちろん旧鎮座地も現在地も両方古墳の跡地であるという可能性も考えられます。
 逆に、すべてが私の妄想である可能性も高いかもしれません。。。


北区 八雲神社7

 境内南側の様子。

 旧岩槻街道の拡張後はどうなってしまうんですかね。
 ちょっと心配。。。

<参考文献>
東京都北区役所『北区史』
八雲神社『八雲神社略由緒記』


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  1. 2021/04/17(土) 21:24:47|
  2. 北区/その他の古墳・塚
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東京都北区「御嶽神社」

北区 御嶽神社1

 今回は、北区上十条5丁目に所在する「御嶽神社」の探訪の記録です。

 実は、以前にこの十条台周辺を散策した際に、北区内の図書館で『北豊島郡王子町全図』という明治期の古地図の復刻版を閲覧しました。
 地図には、現在の王子第三小学校の位置に鳥居のマークが記されています。

 この神社の旧鎮座地と古墳との関係があり得ないものかと、とても気になっていました。(この周辺地域の古墳の伝承は少なくないですからね)
 その後、この神社を参拝した際に、境内に建てられている記念碑に刻まれている神社の由来を読み、第三小学校の鳥居のマークがこの御嶽神社の旧地であることを知りました。
 祀られていたのが御嶽神社ということで、もともとあった塚の上に鎮座していた可能性は十分に考えられますよね。。。

 今でも、第三小学校の敷地となっている御嶽神社の旧地にはかつて古墳が存在しており、この墳丘上に御嶽神社の祠が祀られていたのではないかと妄想してしまいますが、このあたりの真相は今のところ不明です。ヽ(´Д`;)ノ


北区 御嶽神社2

 この神社の祭神は、大名持神・少彦名神です。
 創建年代は不詳ながら、武蔵御嶽神社を勧請して江戸時代後期に創建されたと伝えられています。

 境内には富士塚が築かれていて、塚の上に祠が祀られています(御嶽神社だから御嶽塚か…)。

 早速、参拝しましょう!


北区 御嶽神社5

 御嶽塚です。
 塚の周りは溶岩らしき岩で固められています。

 味があって素敵な塚ですね。。。


北区 御嶽神社3

 境内の記念碑には、この神社の由緒が次のように刻まれています。

記念碑
御嶽神社ハ今ヨリ二百餘年前現東京府西多摩郡
三田村ニ 大名持神 少彦名神 ヲ奉祀シタル
御嶽神社ノ分祠ニシテ武藏國内ノ農民ハ家内安
全五穀豐穣ノ守護神トシテ崇拜ス殊ニ當地ノ農
民ハ崇敬ノ念篤ク分社當時ヨリノ講社ヲ經續シ
毎年代參ヲシテ參詣シツゝアリ古來ノ社祠ハ現
王子第三國民學校ノ門前ニ在リ偶々東京府第七
號環状線新設ニ當リ移祠ノ止ムナキニ至レリ是
ニ於テ各町關係者協議ノ上換地下附申請ニ努メ
新ニ該敷地下附及ビ社殿竝ニ樹木補償料交付ト
ナレリ依テ古昔遷宮當初ヨリ深キ信仰關係アル
地元傳來ノ舊西町住人二十四名ハ工事完成ノ爲
ノ建築費ノ一部ヲ奉納シ且ツ設計及ビ工事一切
ノ責ニ當リ百八十餘人ノ勤勞ヲ奉仕シ以テ竣工
ヲ告ゲ昭和十六年七月三日遷宮式ヲ擧行シタル
モノナリ茲ニ移祠新築完成ヲ記念シ其ノ由來ノ
梗概ヲ石ニ刻シ之ヲ後昆ニ遺ス
 昭和十六年七月三日


 昭和16年にこの場所に移されたようですが、むしろ移転先であるこの地が古墳(塚?)の跡地である可能性も考えられるかもしれませんし、妄想が止まりません。(;゚∀゚)=3ハァハァ


北区 御嶽神社4

 王子第三小学校の現在の様子です。
 環七沿いの、だいたいこのあたりに御嶽神社が祀られていたのではないかと思われますが、当然ながら古墳らしき痕跡はまったくみられません。
 ま、いくら妄想しても、発掘調査が行われないとなんにもわかりませんよね。

 ふ〜。。。

<参考文献>
御嶽神社境内『記念碑』


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  1. 2021/04/16(金) 20:42:28|
  2. 北区/その他の古墳・塚
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東京都北区「山王塚(日枝神社)」

北区 山王塚(日枝神社)1

 これまでにも触れてきましたが、北区の十条台周辺にはかなり多くの古墳が存在したのではないかと考えられています。

 上十條には古墳にちなむ名称の小字として大塚という地名があり、この地域には「大塚」や「平塚」といった塚が知られていました。また、同じ十條の小字仲原には「遠藤塚」と呼ばれる塚も所在しました。
 これらの塚は残念ながらすでに消滅しています。かつての塚の痕跡が見つからないか、また所在地が特定できないかと調べてみたものの、今のところは詳細は不明のままです。

 そんな中、十条台の縁辺部をぶらぶらと散策していて、ひょっとしたら古墳の跡地である可能性も考えられるのではないか?という神社や小祠にもたくさん出会いました。

 今回は、北区十条仲原2丁目に所在する「日枝神社」です。


北区 山王塚(日枝神社)2

 南西から見た日枝神社の様子です。

 最初にここを通りがかった際には、周囲よりもわずかに小高い神社の景観が視界に入り、急ブレーキをかけて自転車を止めてしまいました。笑。

 かつてはこんもりとした高まりの上にお宮が祀られていたといわれ、「山王塚」と呼ばれていたそうです。

 北区してからGoogleマップで位置を確認してみて、環七がまるでこの場所を避けるかのように弧を描いているのがとても気になりましたが、ひょっとしたら大古墳の跡地だったりして、、、と妄想は止まりません。


北区 山王塚(日枝神社)3

 境内に設置されていた木製の由緒書きです。

    日枝神社
 この神社は、古い記録によれば、元禄二年(一六八九年)に創建されたとされ、祭神は大山咋神です。
 かつて、山王塚と呼ばれたこんもりした草地の上の小さいお宮は、字割子沢の何軒かの農家に囲まれ、静かに祀られていました。

    十条仲原庚申
 この庚申塔の主尊は、青面金剛尊です。
 青面金剛は、人間の体内にひそむ「三戸」という悪い虫のたたりを防ぎ、病魔を退散させると信じられ、人びとは庚申の夜は一睡もしないで祈ったといいます。
 この石塔は、刻文によれば、延宝四年(一六六七年)武州豊島郡十条村の人たちによって建てられています。
 以来、この土地の人びとは、永くこの庚申様を信仰し、守られて生活してきました。
 昭和のはじめごろ続いたという庚申講は、昭和五十一年[1976年]、塔の造立三百年に因んで再び結成され、先祖の人びとの心を継いでお祀りをしているのです。



北区 山王塚(日枝神社)3

 境内の様子です。
 すっかり整地されているので、古墳だったかどうかはわかりませんね。。。

 十条銀座商店街のオフィシャルサイト『十条銀座どっとこむ』によると、日枝神社は「横丁三塚」と呼ばれたズシ(後の仲原町会)の出入り口に当たる場所に祀られたものであるそうです。
 「横丁三塚」という地名からして、複数(3基?)の古墳が存在したのではないかと妄想が止まらなくなってしまいますね。。。


北区 山王塚(日枝神社)4

 日枝神社の祠の様子。

 この周辺は、同じように小さな神社も多いのですが、どこも説明板や石碑などが整備されていて、一見さんでも神社の歴史についてを知ることができます。
 立派な神輿庫もあり、例祭も行われているようです。。。

北区 山王塚(日枝神社)5
 
 三面六臂の青面金剛像の庚申塔です。

 お参りすると「お小遣いに不自由しない」と言い伝えられ、地元の人々に親しまれているそうです。
 私もしっかりとお参りしてきました.゚+.(・∀・)゚+.

<参考文献>
現地説明板


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  1. 2021/04/15(木) 22:30:00|
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東京都北区「十条台小学校横穴墓」

北区 021 十条台小学校横穴墓

 画像は、北区中十条1丁目の「十条台小学校横穴墓」の跡地周辺の様子です。

 北区の遺跡番号21番に登録されている横穴墓ですが、『東京都遺跡地図』と『都心部の遺跡』に名称が掲載されている以外には詳細はよくわかりませんでした。
 ちなみに『東京都遺跡地図』には「人骨」の出土が記載されていますが、これも学術的なものではなく伝承なのかな???

 それにしても、近代的な小学校の建物の横を立体交差の道路が走るこの景観、とても好きです。
 学校のドーム型の内部はなんとプールとなっているそうですが、かつて私が通っていたような小学校とはかなり趣が異なるようですな。。。


北区 021 十条台小学校横穴墓2

 立体交差の道路を登った崖の上に、陸上自衛隊の十条駐屯地や北区中央図書館があります。図書館前の「いなりプレーパーク」という公園の北西隅が四本木稲荷神社の旧社地で、ここも古墳があったといわれている場所です。

 中央図書館に調べ物があるときにたま〜に訪れていましたので、比較的よくみた光景なのですが、それでも4〜5年ぶりかな?
 画像の左側の円形っぽくみえる地面はいつも掘り返されたようになっているのですが、いったい何が行われているんだろう。。。

【この記事の過去の関連記事】
http://gogohiderin.blog.fc2.com/blog-entry-219.html(2014/04/23(水)「四本木(よもとぎ)稲荷古墳」)


北区 021 十条台小学校横穴墓3

 ど満開だった公園内の桜。
 それにしても、お母さんと子供が楽しそうにしている光景って本当に平和でいいよな〜。。。


北区 021 十条台小学校横穴墓4

 公園の前にも分かれ道があって、Y字路の間の三角地に石碑が建てられています。
 私のとても好きな光景です。。。


北区 021 十条台小学校横穴墓5

 かつては原野であった現在の十条駐屯地の敷地を整地する際には、処々に散在していた古墳をいくつも取り壊したといわれています。

 四本木稲荷神社の旧社地にあったという古墳も、そんなうちの1基であったわけですが、ひょっとしたらこの三角地だってかつての古墳の跡なのかもしれませんよね。。。

<参考文献>
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』
東京都教育委員会『都心部の遺跡』
北区史編纂調査会『北区史 民俗編1』


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  1. 2021/04/11(日) 19:48:10|
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