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古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

「立石様」(葛飾区指定史跡)

「立石様」(葛飾区指定史跡)

 画像は、葛飾区立石8丁目にある「立石祠」を東から見たところです。
 葛飾区の遺跡番号11番として登録されている「立石様」は、画像の鳥居の奥、「立石児童遊園」内に所在しており、昭和51年3月6日に葛飾区の史跡に指定されています。


「立石様」(葛飾区指定史跡)

 この立石様を最初に学術的に紹介したのは鳥居龍蔵氏で、鳥居氏はこの立石様を「古代メンヒル説」、つまり宗教上のシンボルとして古くから住民に深く信仰され、現在にいたったものであるとしました。
 立石様の石質は凝灰岩という堆積岩で、表面に孔が存在するのが特徴です。この石はこの周辺には存在しないもので、「房州石」と呼ばれる房総半島から運び込まれたことがわかっています。これは、「柴又八幡神社古墳」の石室に使われた石と同じものであるそうで、古墳時代後期に古墳の石室の石材として使用されていました。このため、永峯光一氏は「古墳石室か石棺説」を唱えていました。
 また、立石様は「立石」の地名の起こりにもなっていますが、この地名は官道の分岐点などに道しるべとして設置することがあり、この場所を「立石」と呼んだそうです。木下良氏は「官道の標識的なもの説」を唱えていました。本来、古墳の築造のために持ち込まれた房州石が、後に古代東海道の道しるべに転用された可能性も考えられているそうです。


「立石様」(葛飾区指定史跡)

 立石様は古くから奇石として名が知れていたそうで、江戸時代の多くの書籍類に紹介されています。掘っても掘っても石の根っこが出てこないという伝承から「根有り石」、また寒い時期に収縮して暑い時期にもとに戻ることから「活蘇石」とも呼ばれていたそうです。
 『新編武蔵風土記稿』などではこの立石様の高さを一尺(約30cm)、大きさを二尺(約60cm)としており、『江戸名所図会』に描かれている挿絵には地上に大きく露出している立石様が描かれています。しかし現在は、南北約65cm、東西約27cmの大きさで、高さ僅かに2~3cm程が露出しているに過ぎません。これについて鳥居龍蔵氏は「立石の石はだんだん減少して行くのは、固より名所図会に書いて居る如く石質の柔弱も関係しますが、實は或種の病気を直さんとして、此の石を少しづづ缺いて行くのです。」と、また大場磐雄氏は「戦争中に―日清・日露戦争ですが―この石を欠いてお守りに持っていくと弾に当たらないという。妙な信仰なのですが、そういう関係で皆欠いて持っていったというのです。」と記述しています。これは『葛西志』にも同様の記述があり、近世以降に立石様を打ち欠いてお守りのように所持する信仰があったようです。
 また、立石様の石は寒い時期に石に含まれる湿気が氷結し、それが繰り返されることにより表面が剥離するという減少が確認されています。これが、寒い時期に収縮して暑い時期にもとに戻る「活蘇石」と呼ばれるようになった要因であるとともに、現在のように露出する部分が小さくなってしまった一因でもあると考えられているようです。


「立石様」(葛飾区指定史跡)

 立石様は、その後の調査により周辺の地下に古墳の石室や石棺の痕跡はなく、この地点が古墳ではないことがわかっているそうです。また、この周辺の表層は弥生時代頃に陸化しており、縄文文化が営まれることはなかったため、鳥居龍蔵氏の唱える「古代メンヒル説」も成り立たないことも判明しています。ただし、この石が古墳築造を目的として房総の鋸山の海岸部から運ばれた房州石であることはほぼ間違いないそうで、これを古代東海道の道標として再利用されたものであると考えられているそうです。
 葛飾区郷土と天文の博物館が発行した『立石遺跡 Ⅳ』では、「かつて立石様の近くに所在していた南蔵院裏古墳は埴輪を伴う6世紀後半の古墳で、柴又八幡神社古墳よりも古く位置づけられる。鳥居氏は南蔵院裏古墳の主体部を粘土槨と想定されているが、時期的には房州石を用いた石室を備えていてもおかしくはない。おそらく南蔵院裏古墳の石室の構築石材が立石様の正体である可能性が高いと思われる。…」としています。

 今後も立石様が地元の人々の信仰の対象として大切に祀られていってほしいと思います。。。

<参考文献>
東京都葛飾区役所『葛飾区史 上巻』
葛飾区郷土と天文の博物館『立石遺跡 Ⅳ』
現地説明版

  1. 2014/01/12(日) 01:55:16|
  2. 葛飾区/立石古墳群
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「南蔵院裏古墳」

「南蔵院裏古墳」

  画像は、葛飾区立石8丁目の「南蔵院裏古墳」があったとされる推定地を北東から見たところです。葛飾区の遺跡番号12番の古墳です。

 明治31年、この土地の所有者が墳丘を切り崩したところ、円筒埴輪の破片など数多くの出土品があったそうです。(当時はなんと、そのほとんどが投げ捨てられていたと云われています。)その後、大正12年以来の鳥居龍蔵氏の調査により、この塚が丸塚と呼ばれる古墳であると確認されています。唯一保存されていた人物埴輪の頭部が鳥居博士により東京大学の人類学教室に寄付されており、これは現在でも東京大学に収蔵されているそうです。また土器破片の一部が、同地にある南蔵院に保存されています。

 残されている写真などの資料により、少なくとも明治年間までは墳丘が残されていたことがわかっていますが、その後の開発により古墳の正確な位置や規模はわからなくなっていました。しかし、昭和63年以来の発掘調査によりおおよその位置は推定されるようになったのだそうです。この推定地に散布する埴輪片により、古墳は6世紀後半の築造と推定されています。


「南蔵院裏古墳」

 画像の右手に見えるのが南蔵院で、左手に見える集合住宅の向こう側にこの南蔵院裏古墳の推定地があります。同じ立石8丁目には「熊野神社古墳」の周溝が検出されており、この周辺に古墳群が形成されていたことがわかっています。周辺に散布する埴輪片の形態から複数の古墳が存在していた可能性も考えられているそうですので、今後の調査による新たな発見が楽しみですね。。。

<参考文献>
東京都葛飾区役所『葛飾区史 上巻』
葛飾区遺跡調査会1993『立石遺跡Ⅲ』
葛飾区郷土と天文の博物館『葛飾遺跡探訪』

  1. 2014/01/10(金) 04:38:57|
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「熊野神社古墳」

「熊野神社古墳」

 画像は、葛飾区立石8丁目にある「熊野神社」を南から見たところです。平成4年の調査により古墳の周溝が発見され、隣接する「熊野神社」に因んで「熊野神社古墳」と命名されています。画像の左側のビルのあたりが古墳の所在地です。葛飾区の遺跡番号13番の古墳です。

 熊野神社古墳は墳丘がすでに削平され、また埋葬施設も破壊されていましたが、検出された周溝からは土師器、須恵器などの遺物が出土しており、これらの遺物から7世紀後半の築造と推定されています。同じ遺跡内の西側100mの地点には既に「南蔵院裏古墳」が確認されており、この熊野神社古墳の発見によりこの周辺に古墳群が形成されていたことが明確になっています。


「熊野神社の富士塚」

 画像は、熊野神社の境内にある富士塚です。都内には古墳を流用した富士塚も存在しますがこの富士塚はどうなんでしょうか。「熊野神社古墳」から数十メートルの地点にあり、怪しい!と思い撮っておいた写真です。。。

<参考文献>
葛飾区遺跡調査会1993『立石遺跡Ⅲ』
葛飾区郷土と天文の博物館『葛飾遺跡探訪』

  1. 2014/01/06(月) 01:39:15|
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