
画像は、北区赤羽台4丁目にある「赤羽台1号墳」を南から見たところです。北区の遺跡番号6-1番にあたる古墳です。
この古墳の所在するこの一帯は、かつては隣接する八幡神社の境内の森だったそうですが、砲兵連隊の駐屯地として整地された後に戦後の宅地開発などもあり、ほとんどの墳丘は削平されていたそうです。その後、東北新幹線建設に関連する工事に先立つ発掘調査が行われて、合計15基の円墳が確認されました。現在はそのほとんどが星美学園の敷地になっており、この古墳群は「赤羽台古墳群」と呼ばれています。「赤羽台1号墳」はこの中で唯一墳丘の痕跡の残っている古墳で、径31mの円墳とされていますが、削られてかなり小さくなっているようです。

敷地内には、他にも古墳かもしれない痕跡が残されています。画像左下の4号墳があったと思われる地点には小さな盛土が残されています。また、画像右下の7号墳があったと思われる地点にも塚状地形が見られます。


下の画像の9号墳があったと思われる地点は、学校の築山となって保存されているのでしょうか。。。

学校の受付で許可を得て見学させていただきました。ありがとうございました。
<参考文献>
北区史編纂調査会『北区史 通史編 原始古代』
品川区立品川歴史館編『東京の古墳を考える』
- 2012/11/18(日) 11:30:18|
- 北区/赤羽台古墳群
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画像は、北区十条台1丁目にある「赤羽台第3号古墳石室」を南から見たところです。北区赤羽台4丁目の「赤羽台古墳群」で確認された15基の円墳の中の1基である「赤羽台第3号古墳(北区の遺跡番号6-3番)」の石室を、北区十条台の中央公園内に移設保存したものです。
「赤羽台古墳群」では、5基の古墳で埋葬施設が確認されています。この3号墳は、東方向に開口する全長4.1mの横穴式石室で、側壁も下部を残すのみで天井石も失われていましたが、床面は良好に残されていました。石室側壁には「房州石」が用いられていて、石室内からは多くの遺物が出土したそうです。また他に4号墳、5号墳、6号墳、7号墳の石室が確認されており、4号墳からは古墳群中唯一埴輪が出土しているようです。

上のドーム状の施設の中に移設展示されていてガラス越しに見学出来るようになっていますが、中が薄暗いのとガラスが汚れていてよく見えないのが惜しいところです。飛鳥山公園など、もう少し目立つところに移設しても良かったのではないでしょうか。。。
<参考文献>
北区史編纂調査会『北区史 通史編 原始古代』
現地説明版
- 2012/11/17(土) 19:55:22|
- 北区/赤羽台古墳群
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