
王子神社を参拝した後、飛鳥山公園を散策しました。
画像は、飛鳥山公園内に保存されている「飛鳥山1号墳」です。
飛鳥山公園といえば桜の名所ですからね。
満開の桜と飛鳥山1号墳のコラボ写真を撮りたいと期待しましたが、古墳の周囲には思ったほど桜がなく、普通の古墳写真となりました。。。
こ~んな感じ。。。

飛鳥山1号墳
古墳時代後期の直径31mの円墳。平成元年の調査で周圍には幅3.8mの周溝が廻ること
が確認された。また、平成5年の埋葬施設の調査で、切石を使用した横穴式石室が確認され
ている。石室は玄室の左側壁の最下段と床石の一部が原位置を留めている他は、大きく壊さ
れていた。石室の形態は残された側壁から「胴張型横穴式石室」と判断できた。石室内から
は大刀や刀子の破片、鉄蔟•耳環•管玉•切小玉•ガラス小玉が出土している。公園内では他
にも古墳の周溝が確認されており、古墳群が形成されていたようである。

桜はド満開でした。ヽ( ´¬`)ノ ワ~イ

お昼近くなると、意外と人出が増えてきてびっくり。
一応、緊急事態宣言は解除されましたが、並んじゃって大丈夫かな。。。

もはや子供達だらけですな。

狭いところに大勢で入っちゃって大丈夫かな。。。

十条の富士塚古墳の記事を何度も書いていて、これまで実際に見学に訪れて色々と調べておきながらも、更新せずに放置になってしまっている古墳がまだまだたくさんあったことを思い出しました。
あまり時間が経過すると記憶が薄れてしまうし、しばらくは未掲載の北区の古墳を取り上げようと思います。
次回は狐穴かな。。。
<参考文献>
現地説明版
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- 2021/04/02(金) 21:35:25|
- 北区/飛鳥山古墳群
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「飛鳥山古墳群」は、武蔵野台地の東端部をなす本郷台、JR京浜東北線の王子駅を眼下に臨む崖線上に立地する、北区の遺跡番号46番の古墳群です。
この古墳群の所在する飛鳥山公園は「飛鳥山遺跡」と呼ばれており、昭和11年以来の発掘調査により遺跡が発見されています。しかし、古墳に関しては古くは江戸時代の地誌『新編武蔵風土記稿』や『江戸名所図会』等にも記述は見当たらず、明治42年の旧帝国陸地測量部作成の地図にも存在は記されず、昭和60年に東京都教育委員会により発行された『都心部の遺跡』にも飛鳥山古墳群の記載はありませんでした。これは、残されていた古墳が旧渋沢庭園の築山として認識されていたためと考えられているようです。その後、平成元年に行われた発掘調査によりようやく「飛鳥山1号墳」の存在が明らかになりました。
画像は、北区王子1丁目にある「飛鳥山1号墳」を南西から見たところです。飛鳥山古墳群中唯一墳丘が残されているこの古墳は、飛鳥山公園内に現状保存されており、いつでも見学することが出来ます。

現地に設置された説明版には次のように書かれています。
飛鳥山1号墳
古墳時代後期の直径31mの円墳。平成元年の調査で周圍には幅3.8mの周溝が廻ること
が確認された。また、平成5年の埋葬施設の調査で、切石を使用した横穴式石室が確認され
ている。石室は玄室の左側壁の最下段と床石の一部が原位置を留めている他は、大きく壊さ
れていた。石室の形態は残された側壁から「胴張型横穴式石室」と判断できた。石室内から
は大刀や刀子の破片、鉄蔟•耳環•管玉•切小玉•ガラス小玉が出土している。公園内では他
にも古墳の周溝が確認されており、古墳群が形成されていたようである。
<参考文献>
東京都北区『北区史 通史編 原始古代』
東京都北区教育委員会『文化財研究紀要 第4集』
現地説明版
- 2014/04/04(金) 00:32:16|
- 北区/飛鳥山古墳群
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「飛鳥山古墳群」は、武蔵野台地の東端部をなす本郷台、JR京浜東北線の王子駅を眼下に臨む崖線上に立地する飛鳥山公園内に所在する、北区の遺跡番号46番の古墳群です。
画像は、飛鳥山公園内にある「飛鳥山2号墳」が検出された地点を南から見たところです。墳丘や主体部は検出されず円形の周溝のみが検出されており、規模は推定で内径20.30m、外径26.40mとされています。築造時期は、6世紀後半と考えられています。
この飛鳥山公園は、江戸時代中期に八代将軍徳川吉宗が桜を植樹して以来、桜の名所として知られています。明治6年(1873)に公園となった飛鳥山公園は当時の東京市で公園として定められた5つの公園のうちの1つで、日本で初の公園なのだそうです。いつも大勢の人で賑わっている素敵な公園です。
飛鳥山2号墳の前には「飛鳥山の歴史」という大きな石碑が立てられており、次のように書かれています。
飛鳥山公園の歴史
飛鳥山公園は、明治六年に定められたわが国最初の公園の一つです。
この公園のある台地は、上野の山から日暮里、田端、上中里と続いている丘陵の一部です。
このあたりは、古くから人が住んでいたらしく先土器時代(日本で最も古い時代)縄文時代、弥生時代の人々の生活の跡が発見されています。
ここを飛鳥山と呼ぶようになったのは、昔この丘の地主山(現在の展望台の所)に飛鳥明神の祠が祀られていたからと伝えられています。
江戸時代の中ごろ元文二年(1737)徳川八代将軍吉宗が、この地を王子権現に寄進し、荒地を整備して、たくさんの桜や松、楓などを植えたので、それからは桜の名所として有名になり付近に茶屋などもできました。その説明は、右手の大きな石碑に詳しく刻まれていますが、この文章がとても難しく、すでにその当時から読み難い石碑の代表になっていました。
飛鳥山のお花見は、向島とともに仮装が許されていたので、まるで落語にでてくるような、仇討の趣向や、変装などのためにたいへんな賑わいでした、又、東側の崖からは、カワラケ投げも行われ、土皿を風にのせて遠くまで飛ばす遊びも盛んでしたが、明治の末になって、危険防止のため禁止されました。
この山は、東から西へのなだらかな斜面でしたが、道路拡張のにためにせばめられ、さきに中央部につくられていた広場の跡地に噴水ができ、夜は五色の光に輝いています。
昭和五十五年二月吉日
東京王子ロータリークラブ

この2号墳にも盛土が存在しますが、これは古墳とは無関係で公園を造成したときの築山です。この下に古墳の周溝が眠っています。恐らく、この歩道の縁石を取り囲むように周溝が存在しているのではないかと思われます。。。
<参考文献>
東京都北区教育委員会『飛鳥山遺跡Ⅱ』
東京都北区教育委員会『未知しるべ道しるべ 北区文化財ガイドブック』
- 2014/04/01(火) 00:38:39|
- 北区/飛鳥山古墳群
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「飛鳥山古墳群」は、武蔵野台地の東端部をなす本郷台、JR京浜東北線の王子駅を眼下に臨む崖線上に立地する飛鳥山公園内に所在する、北区の遺跡番号46番の古墳群です。
この飛鳥山古墳群から南東約2kmの位置には「田端西台通遺跡」が、反対に北東約2kmの位置には「十条台古墳群」が、また、北北東約2.5kmの地点には「赤羽台古墳群」が所在しており、北から「赤羽台古墳群」「十条台古墳群」「飛鳥山古墳群」「田端西台通遺跡」と北区内の台地上に連なる形で崖線上に4つの古墳群が確認されています。
画像は、飛鳥山公園内にある「飛鳥山碑」を南西から見たところです。この石碑は、八代将軍徳川吉宗が飛鳥山を整備し、遊園として一般庶民に解放したのを記念して元文二年(1737)に建立されたもので、東京都の有形文化財に指定されています。ちょうどこの石碑の後ろ側に所在するのが「飛鳥山3号墳」です。

「飛鳥山3号墳」は墳丘や主体部は検出されず、円形の周溝の約4分の1のみが検出されており、規模は推定で内径18.70m、外径27.00mとされています。まるで、検出された周溝を囲むような形状で盛土が存在しますがこれは古墳とは無関係で、公園を造成したときの築山であるようです。この下に古墳の周溝が眠っています。
<参考文献>
東京都北区『北区史 通史編 原始古代』
東京都北区教育委員会郷土博物館建設準備室『飛鳥山遺跡Ⅱ』
- 2014/03/30(日) 00:25:08|
- 北区/飛鳥山古墳群
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「飛鳥山古墳群」は、武蔵野台地の東端部をなす本郷台、JR京浜東北線の王子駅を眼下に臨む崖線上に立地する飛鳥山公園内に所在する、北区の遺跡番号46番の古墳群です。
画像は、飛鳥山公園内にある「飛鳥山4号墳」が検出された地点を南西から見たところです。墳丘や主体部は検出されず円形の周溝が検出されており、規模は推定で内径30.00m、外径36.40mとされています。周溝は一部がとぎれて陸橋をもち、また、周溝から墳丘内の主体部に通じる墓道が検出されています。周溝からは土師片が多数出土しており、石室の石材を加工した残片と思われる凝灰岩片が出土しています。古墳時代後期に築造されたと推定されているようです。
「飛鳥山1号墳」以外の古墳からの遺物の出土はほとんど見られないようですが、江戸時代の地誌『新編武蔵風土記稿』には「近キ年飛鳥山ヨリ堀得タリト云、古代ノ制ナリ」とあり、古刀がこの飛鳥山から出土したことが記述されています。掲載されている図には、約60cmほどの錆びた大刀のように描かれており、飛鳥山古墳群の中の1基から出土したものではないかと考えられているそうです。
<参考文献>
東京都北区『北区史 通史編 原始古代』
東京都北区教育委員会『飛鳥山遺跡Ⅲ』
- 2014/03/29(土) 00:03:07|
- 北区/飛鳥山古墳群
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「飛鳥山古墳群」は、武蔵野台地の東端部をなす本郷台、JR京浜東北線の王子駅を眼下に臨む崖線上に立地する飛鳥山公園内に所在する、北区の遺跡番号46番の古墳群です。
画像は、飛鳥山公園内にある「飛鳥山6号墳」が検出された地点を南西から見たところです。公園の歩道が交差した舗装された部分が古墳の中心にあたり、円形の周溝の一部が検出されています。墳丘や主体部は検出されず、規模は推定で内径11.00m、外径14.60mとされています。土師器や須恵器が出土しており、古墳時代後期に築造されたと考えられています。残念ながら古墳の痕跡は何も残されていないようです。。。
<参考文献>
東京都北区『北区史 通史編 原始古代』
東京都北区教育委員会『飛鳥山遺跡Ⅲ』
- 2014/03/27(木) 23:50:15|
- 北区/飛鳥山古墳群
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東京都北区にある「飛鳥山公園」にはもう一ヶ所、古墳ではないかと考えられる場所が存在します。
この周辺は、道路の煉瓦色の歩道の部分のみが発掘調査されており、画像の左下あたりの歩道から古墳の周溝ではないかと考えられる遺構が検出されています。ただし、調査された範囲が限られていたために古墳であると断定はされていないようです。将来、例えば反対側の周溝が検出されるようであれば古墳で決定!ということになると思われますが、現時点では古墳である可能性は高いものの、古墳であるとされていないようです。「飛鳥山6号墳候補地」といったところでしょうか。
ちなみに画像中央の、道路脇の盛り上がった部分が前回掲載した「飛鳥山公園内の古墳かもしれない塚 その2」になるのですが、古墳ではないかと考えられたこの周囲からは古墳らしき遺構は検出されなかったそうで、予想もしなかった場所から周溝であると思われる遺構が発見されているのが面白いところです。
飛鳥山公園内や旧渋沢邸内にはまだ未発掘の多くの場所が残されていますので、今後新たな古墳が発見される可能性も大きいかもしれません。。。
<参考文献>
東京都北区教育委員会『飛鳥山遺跡Ⅲ』
- 2014/03/26(水) 01:06:37|
- 北区/飛鳥山古墳群
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「飛鳥山古墳群」は、武蔵野台地の東端部をなす本郷台、JR京浜東北線の王子駅を眼下に臨む崖線上に立地する飛鳥山公園内に所在する、北区の遺跡番号46番の古墳群です。この古墳群は長径200m、短径100mの範囲の中に5基の古墳が確認されており、唯一墳丘の残されている1号墳のほかに2~5号墳の周溝が検出されています。
また、さらにもう一ヶ所、古墳の可能性が考えられている塚状地形が存在しています。画像がその塚を南から見たところです。


この塚は東側を道路によって削られているものの、良好な状態で残されているようです。墳頂部には何かが祀られていたそうですが、何が祀られていたかメモを取り忘れてしまって不明です。墳丘には石段らしきものが残されており、石室材を流用したかのようにも見えますが墳丘そのものは未調査であるそうなので詳細は判りません。

削られている道路の歩道の部分が発掘されていますが、古墳の周溝のような遺構は何も検出されなかったそうです。塚の所在地は旧渋沢邸内ということもあり、後世に土が盛られた築山である可能性も考えられるようです。
素人目にはまるで古墳のように見えるのですが、真相はいかがなものでしょうか。。。
- 2014/03/24(月) 01:17:11|
- 北区/飛鳥山古墳群
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「飛鳥山古墳群」は、武蔵野台地の東端部をなす本郷台、JR京浜東北線の王子駅を眼下に臨む崖線上に立地する飛鳥山公園内に所在する、北区の遺跡番号46番の古墳群です。この古墳群は長径200m、短径100mの範囲の中に5基の古墳が確認されており、唯一墳丘の残されている1号墳のほかに2~5号墳の周溝が検出されています。

画像は鳥山公園の旧渋沢邸内に所在する築山を東から見たところで、古墳である可能性も考えられているそうです。この築山はまだ未調査であるため、現時点では古墳であるか否かはわからないようです。ちなみにこの旧渋沢邸内にはもう一ヶ所、古墳ではないかと考えられた築山が存在していてこちらは調査されたそうですが、周溝や出土品等は発見されず、古墳ではないことが判明しているそうです。

飛鳥山公園内にはこんな築山も存在しますが、これは古墳とは関係ないようです。。。
<参考文献>
東京都北区『北区史 通史編 原始古代』
- 2014/03/16(日) 00:00:07|
- 北区/飛鳥山古墳群
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