
飛田給古墳群は、調布市の最西端に位置しており、府中崖線上の立川段丘面縁辺部に所在する古墳群です。東には下石原古墳群が、西には府中市の白糸台古墳群が隣接しており、飛田給古墳群と府中市白糸台古墳群は主体部や墳丘の規模、構造等がほぼ共通しており、行政区分は異なるものの一連の古墳群であると考えられています。
飛田給地区には相当数の古墳が存在したと思われますが、その多くは開墾により畑地となり墳丘が消滅、その後の市街地化により、ほとんどの古墳は後の発掘調査により周溝のみが確認され、墳丘はおろか主体部もすでに消滅している場合が多いようです。
調布市飛田給2丁目で確認された「桜塚17号墳」も墳丘や埋葬施設は存在せず、周溝のみが検出された古墳です。飛田給古墳群中府中崖線に最も近い位置に占地する古墳で、『東京都遺跡地図』には未登録(?)であるようですが試掘調査により確認されており、規模は外径16.5m、内径12.5mのブリッジ付円墳で、覆土上層から土師器坏が1点出土しています。遺物の年代から6世紀後半の築造と推定されています。

「桜塚18号墳」も墳丘は存在せず、周溝のみが検出された古墳です。『東京都遺跡地図』には未登録(?)の古墳ですが発掘調査により確認されており、規模は外径20m、内径14.5mのブリッジ付円墳で、周溝北側から土師器坏がまとまって出土しています。埋葬施設はすでに削平されて皆無の状況で、遺物の年代から6世紀後半から7世紀初頭の築造と推定されています。
画像は17号墳、桜塚18号墳ともにただの道路の写真となってしまいましたが、この場所が古墳の検出された地点です。すでに宅地と道路となり、古墳の痕跡を見ることは出来ません。。。
<参考文献>
(株)リクルートコスモス・(有)山武考古学研究所『飛田給遺跡』2005
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- 2016/01/15(金) 23:25:16|
- 調布市/飛田給古墳群
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飛田給古墳群は、調布市の最西端に位置しており、府中崖線上の立川段丘面縁辺部に所在する古墳群です。東には下石原古墳群が、西には府中市の白糸台古墳群が隣接しており、飛田給古墳群と府中市白糸台古墳群は主体部や墳丘の規模、構造等がほぼ共通しており、行政区分は異なるものの一連の古墳群であると考えられています。
「桜塚15号墳」は調布市飛田給2丁目で確認された古墳です。墳丘は削平されてマウンドは存在せず、発掘調査により周溝と石室が検出されています。墳丘の規模は推定径8m、外径は13mと飛田給古墳群の中ではかなり小さな円墳であり、埋葬施設は南側に開口する河原石積横穴式石室が確認されています。石室の構造から、7世紀前半に築造されたと推定されています。
一連の古墳群であると考えられている飛田給古墳群と白糸台古墳群は、飛田給古墳群の古墳の密度からするとかなり大きな古墳群であったのではないかと推定されていますが、ほとんどの古墳が消滅して見ることが出来ない現状は残念です。
この古墳も他の多くの古墳と同様に宅地と道路となり、その痕跡を見ることは出来ません。。。
<参考文献>
調布市遺跡調査会『飛田給遺跡 -第67地点(宅地造成工事)の調査-』2001
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- 2016/01/14(木) 10:13:42|
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飛田給古墳群は、調布市の最西端に位置しており、府中崖線上の立川段丘面縁辺部に所在する古墳群です。東には下石原古墳群が、西には府中市の白糸台古墳群が隣接しており、飛田給古墳群と府中市白糸台古墳群は主体部や墳丘の規模、構造等がほぼ共通しており、行政区分は異なるものの一連の古墳群であると考えられています。
東京都教育委員会により公開されている『東京都遺跡地図情報インターネット提供サービス』で飛田給古墳群に関して確認すると、「飛田給1号墳~5号墳」と「桜塚1~9号墳」の14基の古墳が登録されているのみで、なぜか「飛田給6号墳」と「桜塚10号墳」以降の古墳は登録されていません。調布市内には相当数の古墳が存在したと思われますが、その多くは開墾により畑地となり墳丘が消滅、その後の市街地化により、ほとんどの古墳は後の発掘調査により周溝のみが確認され、墳丘はおろか主体部もすでに消滅している場合が多いようです。そんな中、今回紹介する「桜塚10号墳」は調布市内では数少ない墳丘の残る古墳です。
画像は、調布市飛田給2丁目にある「桜塚10号墳」を南西から見たところです。この古墳は、平成7年(1995)に行われた共同住宅建設のための調査により確認されています。調査当時に残されていた古墳墳丘の残存部分とされる高まりからは埋葬施設である河原石積横穴式石室が検出されており、石室から金環、玉類、鉄鏃等が出土しています。周溝が検出されていないために古墳の規模は不明で、築造時期は7世紀中頃と考えられているようです。

画像は北西から見た「桜塚10号墳」です。飛田給古墳群における多くの古墳が消滅していった中、この10号墳は土地所有者の協力により遺跡を後世に残すために埋め戻して保存されることになったようです。

墳丘内には石碑が置かれており、調布市教育委員会による説明板が設置されています。「桜塚1号墳」以外に墳丘の残る古墳が存在するとは思っていなかったので、この古墳の存在にはびっくりしました。
同じ調査区内で検出された「桜塚11号墳」は墳丘や埋葬施設は存在せず、周溝のみが検出された古墳です。平成7年(1995)の飛田給遺跡第39地点の調査により周溝の北側が検出され、その後の第106地点の調査により周溝の西側が検出されています。規模は外径15~16mのブリッジ付円墳で、集溝から土師器坏が5点出土しています。遺物の年代から6世紀後半の築造と推定されています。この古墳は「10号墳」と同じ集合住宅の敷地内から確認されているようですが、写真は無しです。。。
<参考文献>
調布市教育委員会『埋蔵文化財年報 -平成7年度-』
(株)リクルートコスモス・(有)山武考古学研究所『飛田給遺跡』2005
現地説明版
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- 2016/01/12(火) 00:11:24|
- 調布市/飛田給古墳群
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飛田給古墳群は、調布市の最西端に位置しており、府中崖線上の立川段丘面縁辺部に所在する古墳群です。東には下石原古墳群が、西には府中市の白糸台古墳群が隣接しており、飛田給古墳群と府中市白糸台古墳群は主体部や墳丘の規模、構造等がほぼ共通しており、行政区分は異なるものの一連の古墳群であると考えられています。
明治初年の地租改正の際に作成された『地籍図』をみると、現在削平されてしまった古墳ではないかと思われる地割りが残されています。この周辺の地割りは長方形か方形の整然とした区画が基本であるようですが、この中に不規則に小さな区画を見ることができます。このうち、上石原字柳谷戸364の地番にあたる地点が「桜塚9号古墳」にあたります。地籍図が作成された時点では古墳の墳丘の高まりが残されていたのではないかと考えられているようですが、現在は墳丘が削平されて消滅しており、地籍図によってのみ存在が推定されている古墳です。
画像の道路の左側あたりが「桜塚9号墳」の推定地とされています。『東京都遺跡地図』には調布市の遺跡番号51-14番に登録されている古墳です。残念ながら、地上に古墳の痕跡はにも残されていないようです。
<参考文献>
調布市市史編纂委員会『調布市史 上巻』
調布市教育委員会・調布市遺跡調査会『桜塚古墳 -2号墳・3号墳・5号墳・6号墳-』2000
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査団報告書』
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- 2016/01/11(月) 00:12:54|
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飛田給古墳群は、調布市の最西端に位置しており、府中崖線上の立川段丘面縁辺部に所在する古墳群です。東には下石原古墳群が、西には府中市の白糸台古墳群が隣接しており、飛田給古墳群と府中市白糸台古墳群は主体部や墳丘の規模、構造等がほぼ共通しており、行政区分は異なるものの一連の古墳群であると考えられています。
明治初年の地租改正の際に作成された『地籍図』をみると、現在削平されてしまった古墳ではないかと思われる地割りが残されています。この周辺の地割りは長方形か方形の整然とした区画が基本であるようですが、この中に不規則に小さな区画を見ることができます。このうち、上石原字柳谷戸411の地番にあたる地点が「桜塚8号古墳」にあたります。地籍図が作成された時点では古墳の墳丘の高まりが残されていたのではないかと考えられているようですが、現在は墳丘が削平されて消滅しており、地籍図によってのみ存在が推定されている古墳です。
画像の道路の右側あたりが「桜塚8号墳」の推定地とされています。『東京都遺跡地図』には調布市の遺跡番号51-13番に登録されている古墳です。残念ながら、地上に古墳の痕跡はにも残されていないようです。
<参考文献>
調布市市史編纂委員会『調布市史 上巻』
調布市教育委員会・調布市遺跡調査会『桜塚古墳 -2号墳・3号墳・5号墳・6号墳-』2000
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- 2016/01/10(日) 01:47:48|
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飛田給古墳群は、調布市の最西端に位置しており、府中崖線上の立川段丘面縁辺部に所在する古墳群です。東には下石原古墳群が、西には府中市の白糸台古墳群が隣接しており、飛田給古墳群と府中市白糸台古墳群は主体部や墳丘の規模、構造等がほぼ共通しており、行政区分は異なるものの一連の古墳群であると考えられています。
明治初年の地租改正の際に作成された『地籍図』をみると、現在削平されてしまった古墳ではないかと思われる地割りが残されています。この周辺の地割りは長方形か方形の整然とした区画が基本であるようですが、この中に不規則に小さな区画を見ることができます。このうち、上石原字桜塚601の地番にあたる地点が「桜塚7号古墳」にあたり、『東京都遺跡地図』には調布市の遺跡番号51-12番に登録されている古墳です。地籍図が作成された時点では古墳の墳丘の高まりが残されていたのではないかと考えられているようですが、現在は墳丘が削平されて消滅しており、地籍図によってのみ存在が推定されている古墳です。
画像は「桜塚7号墳」の推定地を南から見たところです。残念ながら、地上に古墳の痕跡はにも残されていないようです。
<参考文献>
調布市市史編纂委員会『調布市史 上巻』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査団報告書』
調布市教育委員会・調布市遺跡調査会『桜塚古墳 -2号墳・3号墳・5号墳・6号墳-』2000
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- 2016/01/09(土) 00:27:27|
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飛田給古墳群は、調布市の最西端に位置しており、府中崖線上の立川段丘面縁辺部に所在する古墳群です。東には下石原古墳群が、西には府中市の白糸台古墳群が隣接しており、飛田給古墳群と府中市白糸台古墳群は主体部や墳丘の規模、構造等がほぼ共通しており、行政区分は異なるものの一連の古墳群であると考えられています。
画像は、調布市飛田給2丁目の「桜塚6号墳」の跡地を南から見たところです。『東京都遺跡地図』には調布市の遺跡番号51-11番の古墳です。
この古墳は主体部のみが確認されている古墳で、攪乱によりほとんどの石が抜き取られていましたが河原石積横穴式石室であると考えられており、鉄鏃6点が出土しています。周溝が検出されていないため規模は不明ですが、出土遺物から7世紀中頃に築造された古墳であると推定されています。
この古墳の石室はすでに消滅しており、残念ながら地上に痕跡を見ることは出来ないようです。。。
<参考文献>
調布市教育委員会・調布市遺跡調査会『桜塚古墳 -2号墳・3号墳・5号墳・6号墳-』2000
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- 2016/01/08(金) 01:55:37|
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飛田給古墳群は、調布市の最西端に位置しており、府中崖線上の立川段丘面縁辺部に所在する古墳群です。東には下石原古墳群が、西には府中市の白糸台古墳群が隣接しており、飛田給古墳群と府中市白糸台古墳群は主体部や墳丘の規模、構造等がほぼ共通しており、行政区分は異なるものの一連の古墳群であると考えられています。
明治初年の地租改正の際に作成された『地籍図』をみると、現在削平されてしまった古墳ではないかと思われる地割りが残されています。この周辺の地割りは長方形か方形の整然とした区画が基本であるようですが、この中に不規則に小さな区画を見ることができます。このうち、上石原字桜塚612の地番にあたる地点が「桜塚4号古墳」にあたり、この地籍図が作成された時点では古墳の墳丘の高まりが残されていたのではないかと考えられています。
その後、平成8年(1996)の共同住宅建設のための調査により、この桜塚4号墳の主体部である河原石積横穴式石室が検出され、さらに新たに桜塚12号墳の河原石積横穴式石室も検出されています。4号墳の石室内からは人骨や刀子が出土しています。
さらには、この調査と平行して行われた飛田給遺跡第49地点からは桜塚13号墳の石室1基と同14号墳の周溝も検出されています。
画像右奥に見える集合住宅の西側が12号墳、中央あたりが4号墳、画像手前の駐車場の中央左寄りが14号墳、右寄りが13号墳の跡地となるようですが、4基ともに古墳の痕跡を地上に見ることは出来ません。。。
<参考文献>
調布市市史編纂委員会『調布市史 上巻』
調布市教育委員会『埋蔵文化財年報-平成9年度-』1997
調布市教育委員会・調布市遺跡調査会『桜塚古墳 -2号墳・3号墳・5号墳・6号墳-』2000
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- 2016/01/07(木) 02:31:10|
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飛田給古墳群は、調布市の最西端に位置しており、府中崖線上の立川段丘面縁辺部に所在する古墳群です。東には下石原古墳群が、西には府中市の白糸台古墳群が隣接しており、飛田給古墳群と府中市白糸台古墳群は主体部や墳丘の規模、構造等がほぼ共通しており、行政区分は異なるものの一連の古墳群であると考えられています。
明治初年の地租改正の際に作成された『地籍図』をみると、現在削平されてしまった古墳ではないかと思われる地割りが残されています。この周辺の地割りは長方形か方形の整然とした区画が基本であるようですが、この中に不規則に小さな区画を見ることができます。このうち、上石原字柳谷戸416の地番にあたる地点が「桜塚3号古墳」にあたり、この地籍図が作成された時点では古墳の墳丘の高まりが残されていたことがわかります。その後も、墳丘ではないかとされる高まりは残されていたようですが、平成元年(1989)の宅地造成により削平され、この際に主体部である河原石積横穴式石室の調査が行われています。
この古墳には、古墳を崩した際に刀剣が出土したという地元の人の話があるものの、その行方はわからなくなっているようです。
桜塚5号墳は、古墳の墳丘は完全に削平されてマウンドは存在しなかったものの、上石原字柳谷戸418の地番にあたる3号墳の北西27mの地点に古墳と推定される区画が描かれていたことにより、平成元年(1989)の水道管埋設工事の際に試掘調査が行われ、周溝と石室の基底部が検出されています。墳丘の規模は推定径24m、外径は30mの円墳で、埋葬施設は河原石積横穴式石室が確認されています。周溝から土師器坏、石室内からは須恵器片と金属製品が出土しており、出土品から7世紀前半に築造され古墳ではないかと推定されています。また、その後の平成12年(2000)に行われた調査で周溝が検出され、内径24m、外径30mの円墳であることもわかっています。
画像の右奥あたりが3号墳の、左奥あたりが5号墳の跡地でにあたりますが、すでに宅地として開発が進んでおり、古墳の痕跡を見ることは出来ません。。。
<参考文献>
調布市市史編纂委員会『調布市史 上巻』
調布市教育委員会・調布市遺跡調査会『桜塚古墳 -2号墳・3号墳・5号墳・6号墳-』2000
調布市遺跡調査会『飛田給遺跡 -第67地点(宅地造成工事)の調査-』2001
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査団報告書』
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- 2016/01/06(水) 09:31:30|
- 調布市/飛田給古墳群
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飛田給古墳群は、調布市の最西端に位置しており、府中崖線上の立川段丘面縁辺部に所在する古墳群です。東には下石原古墳群が、西には府中市の白糸台古墳群が隣接しており、飛田給古墳群と府中市白糸台古墳群は主体部や墳丘の規模、構造等がほぼ共通しており、行政区分は異なるものの一連の古墳群であると考えられています。
明治初年の地租改正の際に作成された『地籍図』をみると、現在削平されてしまった古墳ではないかと思われる地割りが残されています。この周辺の地割りは長方形か方形の整然とした区画が基本であるようですが、この中に不規則に小さな区画を見ることができます。このうち、上石原字桜塚587の地番にあたる地点が「桜塚2号古墳」で、『東京都遺跡地図』には調布市の遺跡番号51-7番に登録されている古墳です。
古墳はその後、昭和58年(1983)の発掘調査により確認されています。調査当時のこの古墳は、南北約5m、東西約4mの範囲で高さ0.8mほどの低い盛り土状の小山が残されており、埋葬施設が検出されています。主体部は南側に開口する横穴式石室であると想定されており、石室内からは金環、銀環、鉄鏃、刀子、ガラス玉が出土しています。そしてさらに平成7年(1995)に行われ調査では周溝の一部が検出され、河原石積横穴式石室の古墳に周溝が巡っていたことが明らかになっています。出土遺物から7世紀中頃に築造された古墳であると考えられています。
画像は、調布市飛田給2丁目の「桜塚2号古墳」の跡地を東から見たところです。古墳はすでに消滅しており、残念ながら痕跡を見ることは出来ません。

画像は、調布市郷土博物館に展示されている、桜塚2号墳の石室内から出土した「金環・ガラス小玉」です。金環とは、イヤリングのように耳たぶにつける装身具であるそうですが、私はイヤリングをつけたことはありませんが、これを耳につけるのはなかなか重たそうですね。。。
<参考文献>
調布市市史編纂委員会『調布市史 上巻』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』
調布市教育委員会・調布市遺跡調査会『桜塚古墳』2000
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- 2016/01/05(火) 01:48:27|
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