
「白糸台古墳群」は、京王線多摩霊園駅東南方から調布市境にかけて府中崖線に沿う立川段丘上に存在する古墳群で、調布市側に展開する飛田給古墳群とは一連の古墳群であると考えられています。
白糸台13号墳と14号墳が確認された府中市小柳町1丁目は武蔵国府関連遺跡の白糸台地域に位置しており、この調査地区から南東約35mの地点には、昭和46年に府中市立郷土館に寄贈された大刀3本が出土したとされる「白糸台10号墳」が位置しています。この2基の古墳はともに墳丘がすでに削平されて存在しない古墳で、平成23年(2011)に行われた1560次調査により周溝が確認されています。
「白糸台13号墳」は推定径14.5mの墳丘の周囲に1.0~1.5m幅の周溝が廻る円墳で、土師器片のほか、縄文土器片も出土しています。また「白糸台14号墳」は推定径21.5mの墳丘の周囲に幅1.7mの周溝が廻る円墳であるとされており、土師器の甕が出土しています。
画像は、小柳町1丁目に保存されている「府中崖線小柳町緑地」を下から見上げたところです。この崖線上の、奥に10mほどの地点が古墳の跡地となるようですが、残念ながらこの古墳も地上に痕跡を見ることは出来ません。。。
<参考文献>
府中市教育委員会・府中市遺跡調査会『武蔵国府の調査 39』
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- 2016/02/03(水) 00:23:41|
- 府中市/白糸台古墳群
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「白糸台古墳群」は、京王線多摩霊園駅東南方から調布市境にかけて府中崖線に沿う立川段丘上に存在する古墳群で、調布市側に展開する飛田給古墳群とは一連の古墳群であると考えられています。
画像は、府中市白糸台4丁目の「白糸台12号墳」の跡地を南東から見たところです。この古墳は武蔵国府関連遺跡の第1329次調査により確認された古墳で、墳丘はすでに存在せず、周溝の南東側が検出されています。検出された周溝は全体の4分の1ほどで、規模は墳丘内径約15.5mほどの周囲に幅2.3mの周溝が廻る円墳であると考えられており、古墳の中心部にあたる位置が調査されたものの、主体部は検出されなかったようです。周溝より土師器片や須恵器の瓶、縄文土器などが出土しています。また、この古墳の周辺から円筒埴輪や形象埴輪が出土しているものの、周溝から埴輪の出土がないことからこの12号墳に伴うものであるかは明らかにされていないようです。

画像は、「白糸台古墳群」から出土したとされる埴輪片です。西府町2丁目の国史跡武蔵府中熊野神社古墳展示館で見学することが出来ます。
<参考文献>
府中市教育委員会・府中市遺跡調査会『武蔵国府の調査 39』
現地説明版
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- 2016/02/02(火) 00:46:30|
- 府中市/白糸台古墳群
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「白糸台古墳群」は、京王線多摩霊園駅東南方から調布市境にかけて府中崖線に沿う立川段丘上に存在する古墳群で、調布市側に展開する飛田給古墳群とは一連の古墳群であると考えられています。
画像は、府中市白糸台5丁目の「白糸台11号墳」の跡地を南西から見たところです。この古墳は武蔵国府関連遺跡の第1207T1次調査により確認された古墳で、墳丘はすでに存在せず、周溝のみが検出されています。規模は内径22mの周囲に幅3〜3.5mの周溝が廻る円墳で、古墳の中心部にあたる位置が調査されたものの、主体部は検出されなかったようです。
画像の円形に見える建物のあたりが古墳の跡地にあたるようですが、痕跡は全く残されていないようです。。。

同じ敷地内からは、武蔵国府関連遺跡の1573次調査によりもう1基の古墳も確認されています。白糸台古墳群の15号墳にあたる古墳で、推定墳丘径18.5mの周囲に幅2〜3mの周溝が廻る円墳で、土師器、須恵器片、縄文土器が出土しています。残念ながら、この古墳も痕跡を見ることは出来ないようです。

遠くから観察すると残存する古墳ではないかと見間違えてしまいそうなマウンドですが、実はこの白糸台幼稚園の敷地は東京都の旧跡に指定されている「浅野長政の隠棲の地」にあたり、このマウンドは残存する土塁であるそうです。戦後に米極東空軍により撮影された航空写真には方形に区画された土塁が確認できるそうですが、白糸台15号墳の墳丘は、この土塁のコーナー部に流用されていたのではないかとも考えられているようです。

敷地内には、東京都教育委員会により設置された「浅野長政の隠棲の地」についての説明が書かれた石碑が立てられています。。。

「浅野長政の隠棲の地」についての説明文です。許可を得て撮影させていただきました。
ありがとうございました。。。
<参考文献>
府中市教育委員会・府中市遺跡調査会『武蔵国府の調査 38』
府中市教育委員会・府中市遺跡調査会『武蔵国府の調査 45』
現地説明版
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- 2016/02/01(月) 01:45:38|
- 府中市/白糸台古墳群
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画像は、調布市小柳町1丁目の「白糸台古墳群10号墳」の跡地を西から見たところです。
この古墳は白糸台古墳群の西端にあたり、南側は道路を挟んで府中崖線となっています。1960年代にこの周辺から出土した3本の大刀が昭和46年(1971)に府中市立郷土館に寄贈されており(現在は郷土の森博物館に引き継がれている)、この大刀はこの白糸台10号墳の副葬品であるといわれています。平成13年(2001)に行われた発掘調査により河原石積横穴式石室が検出されており、この石室内から鉄鏃や滑石製の勾玉、丸玉が出土しています。調査区域からは周溝が検出されず、古墳の規模はわからないようです。
この古墳の墳丘は残存せず、古墳の痕跡は何も残されていないようです。
<参考文献>
府中市教育委員会・府中市遺跡調査会『武蔵国府の調査 34』
府中郷土の森博物館『遺跡の世界 2005』
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- 2016/01/31(日) 08:50:43|
- 府中市/白糸台古墳群
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画像は、白糸台7号墳、8号墳、9号墳という3基の古墳が確認された、府中市小柳町1丁目の「都市計画道路2・3・1号線地区」を南西から見たところです。画像の中央あたりが9号墳、その左奥が7号墳、右奥が8号墳の跡地となるようです。
この3基の古墳は、昭和57年(1982)から59年にかけて府中市遺跡調査会により行われた都市計画道路2・3・1号線地区における第177次調査において検出されています。これらの古墳が確認された当時は「小柳町付近の仮称1~3号墳」と呼ばれていましたが、その後、白糸台古墳群に属する古墳として、仮称1号墳が「白糸台7号墳」、仮称2号墳がされています。
「7号墳」は、墳丘は残存しない周溝のみが検出された古墳で、内径10m、周溝幅0.7~1.2mの円墳です。その後の平成13年(2001)の調査により、古墳の周溝西側にはブリッジを持つ円墳であることがわかっています。「8号墳」も墳丘の残存しない古墳で、規模は内径12.2m、周溝幅0.6~2.0mの、西側にブリッジを持つ円墳です。「9号墳」も墳丘は残存せず、内径10.6m、周溝幅0.6~2.2mの円墳です。3基ともに古墳時代後期の築造と推定されています。
小柳町1丁目周辺には古墳ではないかと考えられている高塚状の高まりが1基残存しており、さらにもう1基が耕作時に削平されたという話も残されているようです。白糸台古墳群においては今後の調査によりさらに新たな古墳が確認されると考えられているそうですので、楽しみですね。。。
<参考文献>
府中市教育委員会・府中市遺跡調査会『武蔵国府の調査 30』
府中市教育委員会・府中市遺跡調査会『武蔵国府の調査 34』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査団報告書』
府中郷土の森博物館『遺跡の世界 2005』
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- 2016/01/29(金) 23:56:20|
- 府中市/白糸台古墳群
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