府中市の「白糸台古墳群」を、この『古墳なう』で最初に取り上げたのは4年前ほど前になります。
当時、調査により確認されていた1号墳から15号墳までの15基の古墳と、未調査であるために古墳であると断定はされていないものの、古墳の可能性が考えられるという4ヶ所の塚を探訪しました。
しかし、実はこの時期、この白糸台古墳群の中でかつて存在したと考えられる古墳の所在地をもう一ヶ所、訪ねていました。残念ながら土地の所有者がご不在で見学することはできなかったのですが、いつかもう一度訪問して古墳の跡地の写真を撮らせていただけたら、この『古墳なう』で公開しようと考えていました。
そして昨年の秋の終わり頃、ついに、この古墳の所在地を訪れてみたのですが、土地所有者のお宅に向かって歩いているときにブワーっと1台の車が!
「うわー出かけちゃったかな」と慌ててピンポンしてみたのですが、時すでに遅し。やっぱり御不在でした。(がっくし。。。)
というわけで、今回は古墳の跡地がどうなっているかは不明なまま、探訪記録を紹介しようと思います。

まず最初の画像は、白糸台5丁目に所在する本願寺です。
このお寺の境内にはなんと、この白糸台の古墳から出土したといわれる石塔が残されています。

画像が、古墳の石材とされる石塔です。
この大石とかつて存在したという古墳について、猿渡盛厚著『武蔵府中物語 第22編』には次のような記述を見ることができます。
車返部落の西部、旧道から北方約十四、五間の畑中にある古墳であるが、全体に草木が繁茂して居る時期だから調査が困難であるためによく判らないが、形は円墳で高さ約二間位、直径が七、八間位あるように見えた。聞くところによれば四、五十年以前はもっと高くも大きくもあったとのことである。
地所の持主は、車返の××という方だそうだが、西隣にある××氏の庭先になっている。某所の老婆の話によれば、私の若い頃は塚ももっと高くて頂上に稲荷様があって登り降りにも困難であった。其の頃は中腹に穴が明いてあって通りぬけが出来た。まわりには二三尺位の玉石がごろごろしており、又長さ七尺巾四尺位の大石が一枚があったが、それは府中新宿の港屋さんが庭石に持っていった。なほ、本願寺本堂の西側にある大石もここから掘り出したものであるそうである。塚の中からは甲冑や刀剱類も出て、ある玉石には血が朱くついているのもあったそうでこれらの石を使用すると祟られるというので誰も恐れて持ち去る人はなかったが、近頃は誰が持って行くか、皆なくなってしまったと談られた。
さて本願寺本堂の西側にある大石は、石塔に利用されてあって碑面はかすかに「三界萬霊等」「誉上人」「延享元甲子」などの文字が読み得られるが、延享とすると今から二百十一年以前になるが、其の墳既に発掘されたことと見える。石の大きさは長さ約六尺、巾一尺八寸、厚さ八寸位あって、形が石塔に利用して適当なものである。
さてこの古墳はこれまであまり人に知られなかったからここに紹介して置く次第であるが、又冬期になって草木が枯落して墳形がよくはっきりするのを待って再調査して見たいと思う。古墳の時代は発掘物がないから判然言えないが、大方奈良期末か平安期初期の一千二百年から一千年位のものであろう。(『武蔵府中物語 第22編』6~8ページ) こうして古墳の石材がお寺や神社に残されているというパターンは、よ~く探すと多摩川沿岸ではまだ他にもあるんじゃないかと睨んでるんですけどね。
府中市以外でも、狛江や調布、世田谷区や大田区あたりにはありそうな予感がします。。。

ちょっと角度を変えて、正面から見た石塔のようす。
塀際にコンクリートで固められているため、石塔の背面の写真は撮れませんでした。
甲冑や刀剱類が出土したようですし、玉石が朱く塗られていたということですので、古墳の存在は間違いないものと思われますが、跡地はどうなっているのでしょうか。。。

さて、結論として、古墳の跡地を見ることはできていません。
が、跡地となるお庭に石材に使われたと思しき河原石が積み重ねられている様子を、路上から垣間見ることができました(いや、石材ではないかもしれませんが)。
ちなみにこの道を挟んだ西側では発掘調査が行われており、「白糸台16号墳」が確認されています。
ひょっとしたら、この無名古墳と16号墳は同一のものである可能性も考えられますが、報告書を未見であるため真相はわかりません。とりあえずは、かなり数多くの古墳が密集して存在した古墳群であったことは間違いなさそうです。

隙間から見た様子。
地膨れ程度の高まりなら、まだ残されているんじゃないかとも思いますが、このあたりもよくわからず。
墳丘上に祀られていたというお稲荷さんも、お庭に残されているのかどうかわかりませんでした。

古墳跡地前には「道祖神」の石塔が立てられています。
<参考文献>
猿渡盛厚『武蔵府中物語 第22編』
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- 2020/04/08(水) 20:42:32|
- 府中市/白糸台古墳群
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「白糸台古墳群」は、京王線多摩霊園駅東南方から調布市境にかけて府中崖線に沿う立川段丘上に存在する古墳群で、調布市側に展開する飛田給古墳群とは一連の古墳群であると考えられています。
白糸台13号墳と14号墳が確認された府中市小柳町1丁目は武蔵国府関連遺跡の白糸台地域に位置しており、この調査地区から南東約35mの地点には、昭和46年に府中市立郷土館に寄贈された大刀3本が出土したとされる「白糸台10号墳」が位置しています。この2基の古墳はともに墳丘がすでに削平されて存在しない古墳で、平成23年(2011)に行われた1560次調査により周溝が確認されています。
「白糸台13号墳」は推定径14.5mの墳丘の周囲に1.0~1.5m幅の周溝が廻る円墳で、土師器片のほか、縄文土器片も出土しています。また「白糸台14号墳」は推定径21.5mの墳丘の周囲に幅1.7mの周溝が廻る円墳であるとされており、土師器の甕が出土しています。
画像は、小柳町1丁目に保存されている「府中崖線小柳町緑地」を下から見上げたところです。この崖線上の、奥に10mほどの地点が古墳の跡地となるようですが、残念ながらこの古墳も地上に痕跡を見ることは出来ません。。。
<参考文献>
府中市教育委員会・府中市遺跡調査会『武蔵国府の調査 39』
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- 2016/02/03(水) 00:23:41|
- 府中市/白糸台古墳群
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「白糸台古墳群」は、京王線多摩霊園駅東南方から調布市境にかけて府中崖線に沿う立川段丘上に存在する古墳群で、調布市側に展開する飛田給古墳群とは一連の古墳群であると考えられています。
画像は、府中市白糸台4丁目の「白糸台12号墳」の跡地を南東から見たところです。この古墳は武蔵国府関連遺跡の第1329次調査により確認された古墳で、墳丘はすでに存在せず、周溝の南東側が検出されています。検出された周溝は全体の4分の1ほどで、規模は墳丘内径約15.5mほどの周囲に幅2.3mの周溝が廻る円墳であると考えられており、古墳の中心部にあたる位置が調査されたものの、主体部は検出されなかったようです。周溝より土師器片や須恵器の瓶、縄文土器などが出土しています。また、この古墳の周辺から円筒埴輪や形象埴輪が出土しているものの、周溝から埴輪の出土がないことからこの12号墳に伴うものであるかは明らかにされていないようです。

画像は、「白糸台古墳群」から出土したとされる埴輪片です。西府町2丁目の国史跡武蔵府中熊野神社古墳展示館で見学することが出来ます。
<参考文献>
府中市教育委員会・府中市遺跡調査会『武蔵国府の調査 39』
現地説明版
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- 2016/02/02(火) 00:46:30|
- 府中市/白糸台古墳群
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「白糸台古墳群」は、京王線多摩霊園駅東南方から調布市境にかけて府中崖線に沿う立川段丘上に存在する古墳群で、調布市側に展開する飛田給古墳群とは一連の古墳群であると考えられています。
画像は、府中市白糸台5丁目の「白糸台11号墳」の跡地を南西から見たところです。この古墳は武蔵国府関連遺跡の第1207T1次調査により確認された古墳で、墳丘はすでに存在せず、周溝のみが検出されています。規模は内径22mの周囲に幅3〜3.5mの周溝が廻る円墳で、古墳の中心部にあたる位置が調査されたものの、主体部は検出されなかったようです。
画像の円形に見える建物のあたりが古墳の跡地にあたるようですが、痕跡は全く残されていないようです。。。

同じ敷地内からは、武蔵国府関連遺跡の1573次調査によりもう1基の古墳も確認されています。白糸台古墳群の15号墳にあたる古墳で、推定墳丘径18.5mの周囲に幅2〜3mの周溝が廻る円墳で、土師器、須恵器片、縄文土器が出土しています。残念ながら、この古墳も痕跡を見ることは出来ないようです。

遠くから観察すると残存する古墳ではないかと見間違えてしまいそうなマウンドですが、実はこの白糸台幼稚園の敷地は東京都の旧跡に指定されている「浅野長政の隠棲の地」にあたり、このマウンドは残存する土塁であるそうです。戦後に米極東空軍により撮影された航空写真には方形に区画された土塁が確認できるそうですが、白糸台15号墳の墳丘は、この土塁のコーナー部に流用されていたのではないかとも考えられているようです。

敷地内には、東京都教育委員会により設置された「浅野長政の隠棲の地」についての説明が書かれた石碑が立てられています。。。

「浅野長政の隠棲の地」についての説明文です。許可を得て撮影させていただきました。
ありがとうございました。。。
<参考文献>
府中市教育委員会・府中市遺跡調査会『武蔵国府の調査 38』
府中市教育委員会・府中市遺跡調査会『武蔵国府の調査 45』
現地説明版
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- 2016/02/01(月) 01:45:38|
- 府中市/白糸台古墳群
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画像は、調布市小柳町1丁目の「白糸台古墳群10号墳」の跡地を西から見たところです。
この古墳は白糸台古墳群の西端にあたり、南側は道路を挟んで府中崖線となっています。1960年代にこの周辺から出土した3本の大刀が昭和46年(1971)に府中市立郷土館に寄贈されており(現在は郷土の森博物館に引き継がれている)、この大刀はこの白糸台10号墳の副葬品であるといわれています。平成13年(2001)に行われた発掘調査により河原石積横穴式石室が検出されており、この石室内から鉄鏃や滑石製の勾玉、丸玉が出土しています。調査区域からは周溝が検出されず、古墳の規模はわからないようです。
この古墳の墳丘は残存せず、古墳の痕跡は何も残されていないようです。
<参考文献>
府中市教育委員会・府中市遺跡調査会『武蔵国府の調査 34』
府中郷土の森博物館『遺跡の世界 2005』
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- 2016/01/31(日) 08:50:43|
- 府中市/白糸台古墳群
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画像は、白糸台7号墳、8号墳、9号墳という3基の古墳が確認された、府中市小柳町1丁目の「都市計画道路2・3・1号線地区」を南西から見たところです。画像の中央あたりが9号墳、その左奥が7号墳、右奥が8号墳の跡地となるようです。
この3基の古墳は、昭和57年(1982)から59年にかけて府中市遺跡調査会により行われた都市計画道路2・3・1号線地区における第177次調査において検出されています。これらの古墳が確認された当時は「小柳町付近の仮称1~3号墳」と呼ばれていましたが、その後、白糸台古墳群に属する古墳として、仮称1号墳が「白糸台7号墳」、仮称2号墳がされています。
「7号墳」は、墳丘は残存しない周溝のみが検出された古墳で、内径10m、周溝幅0.7~1.2mの円墳です。その後の平成13年(2001)の調査により、古墳の周溝西側にはブリッジを持つ円墳であることがわかっています。「8号墳」も墳丘の残存しない古墳で、規模は内径12.2m、周溝幅0.6~2.0mの、西側にブリッジを持つ円墳です。「9号墳」も墳丘は残存せず、内径10.6m、周溝幅0.6~2.2mの円墳です。3基ともに古墳時代後期の築造と推定されています。
小柳町1丁目周辺には古墳ではないかと考えられている高塚状の高まりが1基残存しており、さらにもう1基が耕作時に削平されたという話も残されているようです。白糸台古墳群においては今後の調査によりさらに新たな古墳が確認されると考えられているそうですので、楽しみですね。。。
<参考文献>
府中市教育委員会・府中市遺跡調査会『武蔵国府の調査 30』
府中市教育委員会・府中市遺跡調査会『武蔵国府の調査 34』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査団報告書』
府中郷土の森博物館『遺跡の世界 2005』
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- 2016/01/29(金) 23:56:20|
- 府中市/白糸台古墳群
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画像は、府中市白糸台6丁目に所在したとされる「白糸台古墳群6号墳」の跡地を南西から見たところです。『東京都遺跡地図』には府中市の遺跡番号23-6の古墳として登録されています。
この古墳は、戦死者を埋葬した塚であるという言い伝えが残されており、大正時代までは、マラリアに霊験があるといわれて参拝者があったそうです。別名「瘧塚」という名称はそこからついているといわれています。
平成6年に府中市遺跡調査会による調査が行われ、古墳の周溝が検出されたことにより存在が確認されています。府中市の発掘調査概報によると「古墳W32−SZ1は、円墳の周溝と考えられるものであるが、検出部分からは、規模等を復元することはできなかった。近年はこの南に位置する土手状の土盛りを、瘧塚と呼んでいるが、土盛りの築造年代から、本来はこの古墳の墳丘を瘧塚と呼んでいたものと考えられ、大正時代から昭和初期ぐらいまでは墳丘が遺存したようである。」とあり、この周辺に古墳とは別のマウンドが存在したようですが、現在はこのマウンドも存在しないようです。

跡地には現在も祠が祀られています。元々この位置に祀られていたものか、それともかつては墳丘上に祀られていたのか、詳しいことはわかりませんでした。
この神様だけはこの地の歴史をずっと見守り続けているのでしょうか。。。
<参考文献>
府中市立郷土館 編「道・坂・塚・川・?・橋の名前」『府中市立郷土館紀要別冊 府中市内旧名調査報告書』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査団報告書』
府中市教育委員会・府中市遺跡調査会『武蔵国府の調査 35』
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- 2016/01/28(木) 00:24:36|
- 府中市/白糸台古墳群
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「白糸台古墳群4号墳」と「同5号墳」は、平成4年(1992)6月から9月にかけて行われた調査により確認された古墳です。『東京都遺跡地図』には4号墳が府中市の遺跡番号23-4番に、5号墳が23-5番に登録されています。
白糸台4号墳は墳丘や周溝は検出されなかったため規模はわからないようですが、河原石積横穴式石室が検出されています。画像はこの白糸台4号墳の石室の跡地を北東から見たところです。主体部は奥壁が2段分と、西側側壁の奥壁寄りの石が残されていたのみですが、玄室中央部から歯と骨片が検出されています。流入土からは埴輪が出土しており、他に10世紀後半と考えられる土師質土器の坏や陶器の皿が出土していることから、10世紀後半頃に石室が開けられたのではないかと推測されているようです。

白糸台5号墳も、河原石積横穴式石室が検出されているものの、墳丘や周溝は検出されなかったため規模はわからないようです。画像は5号墳の石室の跡地にあたる地点のようすですがすでに痕跡はなく、説明板等も立てられていないようです。
かなり近い位置にあるこの4号墳と5号墳の南方からはその後の調査により白糸台12号墳も発見されており、古墳がかなり密集していた地域であるようです。今後新たな古墳が確認される可能性も高いのではないでしょうか。。。
<参考文献>
府中市教育委員会・府中市遺跡調査会『武蔵国府の調査 34』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査団報告書』
府中郷土の森博物館『遺跡の世界 2005』
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- 2016/01/26(火) 23:43:09|
- 府中市/白糸台古墳群
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画像は、府中市白糸台5丁目の「白糸台古墳群3号墳」の跡地を南西から見たところです。『東京都遺跡地図』には「白糸台古墳群」が府中市の遺跡番号23番の古墳群として登録されています。
この白糸台3号墳は、昭和52年(1977)と54年に府中市遺跡調査会により行われた調査により古墳の周溝が検出されています。規模は内径16.8mの周囲に幅1.0m、深さ72~92cmの周溝が廻る円墳で、土師器の破片が出土しています。
この古墳はまず昭和51・52年に行われた武蔵野台道路地区の調査により周溝の一部が検出され、その後、昭和54年の仮称小杉ビル地区の調査により残る周溝の大部分が検出されています。画像の、コンビニエンスストアのあるビルから手前の道路にかけて古墳が存在したようですが、残念ながら地上に古墳の痕跡は何も残されていないようです。
府中市内の墳丘が残る古墳はわずかで、多くは近年の発掘調査により周溝や埋葬施設が検出された古墳ですが、急速に宅地化が進む中で、こうした別々の調査区から時間を経て古墳の全体像が把握されるという事例は増えてきているようです。これも東京らしい現象かもしれませんね。。。
<参考文献>
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』
府中市教育委員会・府中市遺跡調査会『武蔵国府の調査Ⅺ』
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- 2016/01/24(日) 09:36:28|
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「白糸台古墳群」は、京王線多摩霊園駅東南方から調布市境にかけて府中崖線に沿う立川段丘上に存在する古墳群で、調布市側に展開する飛田給古墳群とは一連の古墳群であると考えられています。
画像は、府中市白糸台5丁目の「白糸台古墳群2号墳」の跡地を南西から見たところです。『東京都遺跡地図』には府中市の遺跡番号23-2番の古墳として登録されています。
この古墳は、昭和52年(1977)に行われた都市計画道路2•2•12号線築造に伴う調査により確認されています。1号墳の北東27mに位置しており、1号墳同様に調査当時には墳丘は残存せず、埋葬施設も検出されなかったようです。規模は内径約10.5m、外径約15.1mのブリッジ付円墳で、周溝内からは多くの土師器が出土しています。
切り通しとなっている道路の部分は台地ごと削られていて何も残されていないようですが、側道の横にわずかに存在する緑地に周溝が保存されているのでしょうか。残念ながら地上に古墳の痕跡は何も残されていないようです。。。

<参考文献>
府中市教育委員会・府中市遺跡調査会『武蔵国府関連遺跡調査抄報 Ⅰ』
府中市教育委員会・府中市遺跡調査会『武蔵国府の調査 Ⅳ』
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- 2016/01/22(金) 23:58:59|
- 府中市/白糸台古墳群
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