古墳なう

ご〜ご〜ひでりんの古墳探訪記

「神明塚古墳」

「神明塚古墳」

 画像は、国立市谷保栗原にある「神明宮」を南から見たところです。
 この神社は段丘縁辺に所在しており、周辺にはかつて古墳ではないかと考えられる塚が存在したといわれています。『東京都遺跡地図』には「神明塚古墳」の名称で、国立市の遺跡番号16番の”古墳時代の円墳(?)”として登録されています。学術的な調査は行われていないために詳細は不明で正確な所在地もわからないようですが、江戸時代の地誌『武蔵名勝図会』に記述があることからこの古墳の存在が知られているようです。


「神明塚古墳」

 画像は神明宮境内のようすです。少なくともこの神社の敷地内には古墳らしきマウンドは存在しないようですが、「神明塚古墳」はどこに存在したのでしょうか。

 『武蔵名勝図会』は、千人同心組頭で『新編武蔵国風土記稿』の編纂にも参加した植田孟縉著作の江戸時代後期の地誌で、多磨郡の名所や旧跡が挿絵入りで描かれています。同書には「この神明塚と城山の間に、神明の社地あり。往古よりの鎮守社にてもありしや。いま城山の地は神明の除地免なり。又伝この塚は百姓屋敷の内にて折廻したる土手の鼻の少し高き地にて、榎の古木一株あり。その下に板石の古碑一基土中に埋まりて、二尺程出たり。その上に雨覆いをなし、この碑を神明に祀れり。祟りしことあるゆえなりとぞ。土俗この石碑の謂われも不知。この塚の前の平らかなるところに大なる平面ありて、その下に石函の如きもの埋まりてありと数百年の言伝えなり。」とあり、城山とともに描かれた神明社の南西に「古塚」として古墳らしきマウンドが描かれています。


「神明塚古墳」

 武蔵名勝図会の挿絵を参考にすると、画像の周辺が古墳の跡地ではないかと推測されます。一部は宅地化されている区域もあるようですが、これまで古墳の周溝や埋葬施設が検出されたという記録は見当たらないようですので、農地となっているどこかに「石函の如きもの」が残されているのかもしれません。残念ながら、地上には古墳の痕跡は何も残されていないようです。


「神明塚古墳」

 古墳のあるところにお稲荷さんが祀ってあると、かつては墳丘上に祀られていたのではないかと気になってしまいます。多摩川流域の小円墳が単独で存在するとは考え難いですし、四軒在家古墳群のように、将来の発掘調査により群集する古墳群が検出される可能性もあり得るかもしれませんよね。周囲には畑地もかなり残っているし。。。。

<参考文献>
東京都国立市遺跡調査会・東京都国立市教育委員会『下谷保一号墳』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』


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  1. 2016/06/30(木) 23:43:02|
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「南養寺古墳」

南養寺古墳

 「南養寺古墳」は、国立市谷保に所在するとされる古墳で、『東京都遺跡地図』には国立市の遺跡番号14番の遺跡として登録されています。

 この南養寺古墳は昭和29年(1954)、甲野勇氏と国立第一中学校有志により行われた「矢川遺跡」の発掘の際に発見されています。当時の記録によると、「南養寺南側の台地にあって、縄文遺跡の中に存する。外部を多摩川の礫をもって築造した積石塚で、内部主体は長方形の竪穴式石室であり、礫を持送り状に積み、その断面はアーチ状を成していた。遺物は何も発見されなかった。」と報告されており、石室の写真も残されているのですが、古墳の所在地は現在はわからなくなっているようです。
 『町勢要覧 昭和32年』では、滝乃川学園の東側の畑で発見されたと記載されており、また南養寺遺跡のの西側の「青柳古墳群」内に所在するという説もあるそうなのですが、これまでに行われた南養寺遺跡の発掘調査からは古墳は検出されなかったこともあり、現在のところは詳細不明とされています。

 画像は、南養寺南側の段丘上を南から見たところです。ちょうど国立郷土文化館と南養寺の敷地の境のあたりで、『東京都遺跡地図』にはこの辺りを古墳の所在地として登録しているようですが、残念ながら古墳の痕跡を見ることはできないようです。。。

<参考文献>
東京都国立市遺跡調査会・東京都国立市教育委員会『下谷保一号墳』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』


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  1. 2016/06/28(火) 00:36:04|
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「梅林1号横穴墓」

「梅林1号横穴墓」

 「梅林1号横穴墓」は、下谷保10号墳の東方8m程の立川段丘斜面地から検出された横穴墓です。玄室と羨道、墓前域から構成されており、墓前域の先端から玄室奥壁までの全長は4.7mを測ります。出土遺物がなく、人骨等も出土しなかったものの、玄室の規模が小さいことや多摩地域の横穴墓の変還等から、終末期である7世紀後半から8世紀前半に築造されたものと推測されています。

 国立市内の同じ立川段丘上からは「谷保東方横穴墓」が発見されています。この谷保東方横穴墓周辺からは、レーダー探査の結果、複数の横穴墓の存在の可能性が想定されています。横穴墓は単独で築造されることは少なく、群集する例が多いことから、梅林1号横穴墓の周辺にも未発見の横穴墓が存在するのではないかと考えられているようです。
 また、多摩川上中流域の古墳群と横穴墓群はそれぞれが独立して存在することが多いようですが、国立市内の横穴墓に関しては、下谷保古墳群の東側の支群に谷保東方横穴墓画存在しており、西側の支群に梅林1号横穴墓が隣接しており、この古墳群と横穴墓群の関係についても注目されているようです。

 画像の周辺が梅林1号横穴墓の跡地となるようですが、すでにこの場所は駐車場として整備されており、残念名がら古墳の痕跡は何も残されていないようです。。。

<参考文献>
国立市教育委員会『東京都国立市 市内遺跡緊急調査報告5 平成21~23年度』
くにたち郷土文化館『くにたち発掘 ~最近の発掘から~』


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  1. 2016/06/24(金) 05:00:52|
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「谷保東方横穴墓」

「谷保東方横穴墓」

 画像は、国立市谷保の「谷保東方横穴墓」の跡地を南西から見たところです。『東京都遺跡地図』には国立市の遺跡番号25番の横穴墓として登録されている古墳です。

 この横穴墓は昭和51年12月の道路改良工事中に偶然に発見され、翌52年3月より調査が行われています。画像の府中崖線上の道路沿いの柵に説明板が設置されているのが見えると思いますが、この説明板のある地上から2〜3mのあたりが横穴墓の跡地となるようです。
 主軸の長さ3.6m、奥壁は底面の幅2.25m、高さ0.65mで半円形を呈しており、床面には河原石が敷き詰められていたそうです。玄室からは人骨が発見されていますが、少なくとも成人4個体が葬られていて、そのうち3人は男性であったと推定されています。副葬品として鉄製の刀子が出土しており、築造の時期は7世紀末から8世紀代と推定されています。発見された横穴墓は1基のみですが、同一斜面に多くの横穴墓が群在していると考えられています。


「谷保東方横穴墓」

 画像は、崖線上の道路沿いに国立市教育委員会により設置された説明板です。残念ながら横穴墓を見学することは不可能で、この説明板のみが古墳の痕跡と言えそうです。

  谷保東方遺跡 横穴墓
 この横穴墓は、昭和五十一年に行われた道路
改良工事の際に発見されたもので、横穴墓とし
ては市内で初めての発見です。
 構造は、段丘の斜面を横に掘削して造られて
おり、奥行き三・六メートル、天井はアーチ型
で高さ一・三八メートル、床面には河原石が敷
き詰められています。このような造り方から、
築造年代は七~八世紀と考えられています。
 また、玄室(墓室)からは四体の人骨と、副
葬品として鉄製刀子(ナイフ、長さ十四センチ
メートル)一口が発見されました。

 平成二年三月      国立市教育委員会


<参考文献>
国立市教育委員会『国立市文化財調査報告書第5集 谷保東方遺跡』
現地説明板


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  1. 2016/06/22(水) 00:35:07|
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「無名古墳」

「無名古墳」

 画像は、国立市谷保にある「無名古墳」を南から見たところです。東京都遺跡地図には未登録となっていますが古墳ではないかと考えられており、個人邸内に若干の高まりが残されているそうです。

 多摩地区所在古墳確認調査団により1995年に発行された『多摩地区所在古墳確認調査報告書』の40ページに下記のように記載されています。


占地状況:台地縁辺。青柳付近に点在する古墳より一段高い段丘上に存在する(立川段丘上)。
墳  丘:残存。台地縁辺に位置する宅地敷地内に若干の高まりが残存している。


 この情報だけを頼りに散策したものの見つからずにあきらめて帰ろうと、甲州街道を歩き始めたときに偶然見つけたのが画像の鳥居と祠です。発掘調査等は行われていないようですので、詳細はわかりません。当日も遠方から眺めただけですので、正確にこの地点が古墳かどうかはわかりませんが、この周辺に1基の古墳が残されているのは間違いないようです。。。
 
<参考文献>
くにたち郷土文化館・国立市教育委員会『国立の古墳-四軒在家遺跡の発掘調査-』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』

  1. 2013/08/07(水) 23:53:20|
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