FC2ブログ

古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

「狛江百塚コンプリート2020」最終回


 「狛江百塚コンプリート2020」、いよいよ今回が最終回です。
 
 昭和35年に作成された「狛江古墳群地名表」には、和泉支群、猪方支群、岩戸支群の3つの支群以外にも、小足立地区に2基の古墳が記されています。古墳が密集した狛江古墳群の中心部からは少々北に外れた地域となりますが、小足立地区にも古墳が存在したのでしょうか。


357 136 箕輪田塚古墳(番地不明)

 昭和35年(1960)に行われた分布調査により作成された「狛江古墳群地名表」の136番には「箕輪田塚」が記載されています。

 ただし、不思議なことにこの古墳は名称まで記載されているにも関わらず、所在地の欄にはなにも記述がありません。したがって正確な所在地はわからず、古墳の詳細も不明です。

 しかし、昭和51年(1976)の調査の際には「1976年の調査時点で現存していないが、存在の可能性の高い古墳」として紹介されており、「高さ5.3m」という規模と、土師器と勾玉の出土の伝承について記載されています。そして、所在地についても「小足立1036番地」と記載されています。

 画像はこの、小足立1036番地周辺の現在の様子です。
 この区画はなぜか周辺の区画と比べて面積が広く、ピンポイントに塚の跡地を特定することはできません。果たして箕輪田塚は古墳だったのでしょうか。。。


358 136 箕輪田塚古墳(番地不明)

 実はこの箕輪田塚は、以前に一度取り上げました。

 『狛江市史』に記載されている箕輪田塚の所在地は「西野川4丁目8番地」で、当時はこの場所を散策して写真を掲載しました。
 この頃はまだ広い空き地だったのですが、これは旧狛江第七小学校の跡地であり、古墳らしき痕跡はまったく見当たらないという状況でした。

【このブログの過去の関連記事】
http://gogohiderin.blog.fc2.com/blog-entry-312.html(「箕輪田塚」2015/02/01)


356 136 箕輪田塚古墳(番地不明)

 この旧第七小学校の跡地は開発が進み、大きく景観が変わっています。 
 「西野川4丁目8番地」が箕輪田塚の所在地で間違いなければ、画像の児童遊園の奥の大きなマンションのあたりが跡地となるかと思われますが、古墳らしき痕跡は皆無という状況です。。。

 結論として、昭和51年(1976)の地名表にある「小足立1036番地」と『狛江市史』にある「西野川4丁目8番地」は異なる地点となるようですが、箕輪田塚の正確な所在地は判明せず。詳細も不明です。


358 137 無名古墳(小足立790、小足立八幡神社)1

 画像は、西野川2丁目に所在する「八幡神社」です。
 小足立の鎮守社で、岩戸の総鎮守社である八幡神社と区別して「小足立八幡神社」とも呼ばれています。

 この神社の創建は明らかではないものの、仁徳天皇の頃、この地に住した強頸直(こわくびあたち)という人物が初めてこの社を祀ったといわれ、その居館が強館と呼ばれたため、小足立という地名が生まれたともいわれています。

 昭和35年に作成された「狛江古墳群地名表」の137番には、無名称の古墳が記載されており、古墳の所在地「小足立790番地」を『狛江村土地宝典』と照らし合わせると、この神社の社殿の背後、東側あたりとなるようです。

 古墳の痕跡は残されていないものでしょうか。。。


359 137 無名古墳(小足立790、小足立八幡神社)2

 江戸時代の地誌『新編武蔵風土記稿』には小足立の八幡神社について、次のように記されています。

 八幡社 除地四畝、小名箕輪田ニアリ、村ノ鎮守ナリ、ワツカナル社ニテ、東向、上屋ハ茅葺ニテ一間半余、村持。

 記述からすると、当時の八幡神社は幅一間半ほどの茅葺の覆屋をかぶせた小さな祠であったようです。

 ひょっとしたら塚上に祠が祀られていたのか、祠に隣接して塚が存在したのか真相はわかりませんが、この地に存在したと考えられる塚については、残念ながら何も記されていません。
 その他、江戸時代から昭和にかけての狛江の郷土誌類を調べてみましたが、塚について記述のある文献は見つけることはできませんでした。


360 137 無名古墳(小足立790、小足立八幡神社)3

 古墳の所在地とされる「小足立790番地」は大体このあたり。
 この一帯も宅地化が進んでおり、古墳らしき痕跡は見当たらないようです。


361 137 無名古墳(小足立790、小足立八幡神社)4

 唯一「ここは?」と感じたのは、八幡神社社殿の北側にある境内社の祀られている場所です。
 祠の周囲がわずかに高くなっているようにも感じられますが、う~ん、、、古墳ではなかったかな。。。



362 西野川3-5の稲荷神社

 画像は、西野川3丁目5番地に所在する稲荷神社です。
 何度かこの横を通り過ぎながら、祠の周囲が若干高くなっているような印象があり、「怪しい!」と感じていました。
 特に古墳や塚にまつわる伝承はないようですし、気のせいだったかな。。。


364 正体不明の盛土

 これは、以前にも一度取り上げた、東野川4丁目の謎のマウンド。
 正直、古墳ではないかもしれないなあとは思っているのですが、何かの塚かもしれないし、農地だった頃の残土の山かもしれないし、単なる自然地形かもしれない、正体不明のマウンドです。

【このブログの過去の関連記事】
http://gogohiderin.blog.fc2.com/blog-entry-1043.html(「謎の塚状地形」2019/11/04)


365 正体不明の盛土

 ちょっと角度を変えると、小形の前方後円墳のように見えなくもないのですが、ま、それはないですよね。。。

 狛江市は、都内では最も古墳が残されているとても貴重な地域で、散策するたびに新たな発見があり、これを調べてみるとまた新たな発見があり散策する、ということを繰り返して、その結果多くの忘れられた古墳を掘り起こすことにもつながりました。

 これで、狛江市の古墳について調べたことはすべて吐き出したので、すっきりした気持ちで新年を迎えられそうです。

 引き続き、来年もよろしくお願いいたします。

<参考文献>
塩澤栄八郎『東京府北多摩郡狛江村土地宝典』
狛江市史編さん委員会『狛江市史』
狛江市教育委員会『狛江市の古墳(Ⅰ)』
狛江市農業協同組合史編纂委員会『狛江市農業協同組合史』
狛江市『新狛江市史民俗調査報告書4 小足立の民俗』


人気ブログランキングへ

  1. 2020/12/30(水) 13:32:27|
  2. 狛江市/その他の古墳・塚
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

「狛江百塚コンプリート2020」その22

346 129 第2明神塚(岩戸1032)

 「狛江百塚コンプリート2020」、いよいよ今回は”その22”です。


 最初の画像は、昭和35年の地名表の129番、「第2明神塚」の所在地周辺の様子です。
 所在地は旧番地の「岩戸1032番地」で、画像中央の道路が右に折れ曲がった左側のマンションのあたりが所在地かと思われます。残念ながらすでに古墳らしき痕跡は見られません。。。


347 130 第1明神塚(岩戸921)

 画像は、昭和35年の地名表の130番、「第1明神塚」の所在地周辺の様子です。

 所在地は旧番地の「岩戸921番地」で、道路と道路の間の角地が古墳の跡地かと思われますが、こちらも残念ながらすでに古墳らしき痕跡は見られません。。。


屁ッピリ塚(岩戸899)

 画像は「屁ッピリ塚」の跡地周辺の様子です。

 「第1明神塚」の道路を挟んだ南隣りで、道路が微妙にカーブしているあたりは塚の痕跡を感じさせます。
 かつては田んぼの中で繁みになっていて、田んぼ仕事の時にそこを共同のトイレにしたのだそうです。それで、土地の人からは「屁ッピリ塚」と呼ばれていたそうなのですが、現在、痕跡は残されていません。

 昭和35年、昭和51年の地名表ともに未掲載という塚で、古墳であったかどうかもよくわからないのですが、念のため書き記しておこうと思います。。。


348 131 田中塚(岩戸950)

 画像は、昭和35年の地名表の131番、「田中塚」の所在地周辺の様子です。
 所在地は、昭和35年の地名表では「岩戸950番地」、昭和51年の地名表では「岩戸970番地」で、正確な跡地を特定することは少々困難な状況です。ちなみに写真は、『狛江市の古墳(Ⅰ)』の分布図を参考に訪れた場所です。。。

 耕地整理区域となり水田となった場所ですが、埴輪片や土器片が出土したという伝承もあり、古墳であった可能性はかなり高そうです。

【このブログの過去の関連記事】
http://gogohiderin.blog.fc2.com/blog-entry-847.html(「田中塚古墳」2018/01/23)


349 133 駄倉明神塚(土屋塚古墳)

 画像は、狛江市岩戸南1丁目に所在する「土屋塚古墳」です。
 昭和35年の地名表には、「駄倉明神塚古墳」の名称で133番に記載されています。

 狛江市内で、次に整備、公開されるのはおそらくこの土屋塚古墳であると思われますが、整備後には墳丘上に登ることもできるようになるそうなので、公開が楽しみです。

 この古墳は過去に取り上げていますので、詳細はそちらを参照してくださいませ。。。

【このブログの過去の関連記事】
http://gogohiderin.blog.fc2.com/blog-entry-54.html(「土屋塚古墳 ―狛江市指定史跡―」2012/09/1)
http://gogohiderin.blog.fc2.com/blog-entry-1049.html(「土屋塚古墳 その2 ―狛江市指定史跡―」2019/11/14)


350 134 古屋敷塚古墳

 画像は、岩戸北3丁目の「古屋敷塚古墳」の跡地周辺の様子です。

 昭和35年の地名表には134番に記載されており、この調査当時は残存していました。
 すでに開発により削平され、消滅してしまいましたが、その後には発掘調査が行われており、存在の間違いない古墳です。

 周溝の内径は39m、外径は52mの円墳で、5世紀第2四半期の築造と推定されています。

 この古墳も過去に取り上げていますので、詳細はそちらを参照してくださいませ。。。

【このブログの過去の関連記事】
http://gogohiderin.blog.fc2.com/blog-entry-594.html(「古屋敷塚古墳」2016/07/14)


351 135 三角塚

 画像は、岩戸北3丁目に所在する「橋北塚古墳」です。
 昭和35年の地名表には「三角塚」の名称で135番に記載されている古墳です。

 以前は竹藪の中に墳丘が残存するという状況でしたが、数年前からは保育園が開園しており、この園内に奇跡のごとく園庭として残された古墳です。
 墳頂付近に円礫が集中して残されていることが確認され、主体部は木棺の周りを挙大ほどの丸い石を集めて覆った礫槨であったと考えられています。この主体部の部分が保護されているようです。
 この古墳も過去に取り上げていますので、詳細はそちらを参照してくださいませ。。。

【このブログの過去の関連記事】
http://gogohiderin.blog.fc2.com/blog-entry-120.html(「橋北塚古墳その1」2013/04/21)
http://gogohiderin.blog.fc2.com/blog-entry-1048.html(「橋北塚古墳(三角塚古墳)その2」2019/11/12)


352 宿屋敷西1号墳1

 画像は、岩戸北1丁目の「宿屋敷西1号墳」の所在地周辺の様子です。
 2018年10月の東京文化財ウィークの関連事業の際、文化財課の方の解説を聞きながら撮影しました。
 発掘調査が終了した後の、区画整理が行われた状態です。

 この古墳も過去に取り上げていますので、詳細はそちらを参照してくださいませ。。。

【このブログの過去の関連記事】
http://gogohiderin.blog.fc2.com/blog-entry-1046.html(「宿屋敷西1号墳」2019/11/08)


353 宿屋敷西1号墳2

 その後、今年に入って「宿屋敷西1号墳」の跡地を見に行ってみました。
 閑静な住宅街に変貌していてびっくりしました。笑。


354 宿河原稲荷神社

 さて、今回の「狛江百塚コンプリート2020」は、昭和35年の「狛江古墳群地名表」の、所在地が記載されている古墳(塚?)120基と、その後の発掘調査により確認された古墳を含めて、狛江古墳群の全貌を解き明かそうというコンセプトで進行しました。
 ここまで記事をまとめてみて判明したのですが、91番の「小川塚(猪方504番地)」、106番の「無名古墳(猪方844番地)」、132番の「境塚(岩戸2022番地)」の3箇所は廻っていないことが判明。全ての古墳を廻ったつもりになっていたのですが、抜かりがありました。。。

 画像は、狛江市駒井町3丁目の「宿河原稲荷神社」です。
 古墳めぐりの最中に参拝した神社で、古墳とは特に関係のないかもしれない神社ですが、めぐり忘れてしまった、地名表91番の「小川塚古墳」はここから北西に数十メートルほどと、かなり近い位置に所在したようです。


355 宿河原稲荷神社

 今回で猪方支群も終了です。

<参考文献>
塩澤栄八郎『東京府北多摩郡狛江村土地宝典』
狛江市史編さん委員会『狛江市史』
狛江市教育委員会『狛江市の古墳(Ⅰ)』
狛江市農業協同組合史編纂委員会『狛江市農業協同組合史』
狛江市『新狛江市史民俗調査報告書3 岩戸の民俗』


人気ブログランキングへ

  1. 2020/12/28(月) 14:21:22|
  2. 狛江市/その他の古墳・塚
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:4

「狛江百塚コンプリート2020」その21

335 119 稲荷塚(八幡神社跡地)

 「狛江百塚コンプリート2020」、いよいよ今回は”その21”です。

 最初の画像は、「八幡塚(明神塚)」の跡地の様子です。

 昭和35年の「狛江古墳群地名表」には119番に記載されており、所在地は「岩戸1084番地」とされています。
 ここは駄倉明神(八幡神社)の旧社地でもあり、おそらく古墳らしき塚の上に神社が祀られていたのではないかと想定されますが、旧駄倉明神が現在の岩戸八幡神社に移された跡、何か訳あってこの噴水が造られたようです。

 この古墳は以前に取り上げていますので、詳しくはそちらを参照してくださいませ。

【このブログの過去の関連記事】
http://gogohiderin.blog.fc2.com/blog-entry-1047.html(「八幡塚(明神塚)」2019/11/11)


336 127 第4明神塚

 画像の道路を入った奥が駄倉明神(八幡神社)の旧社地となるわけですが、この周囲にはもう1基、古墳が存在したようです。

 「狛江古墳群地名表」の127番の「第4明神塚」の所在地は「岩戸1085番地」と記載されています。これは八幡塚の「岩戸1084番地」とは1番地違いで、かなり近い位置にあったのではないかと想定されます。
 しかし、『狛江村土地宝典』で確認すると、確かに駄倉明神(八幡神社)の旧社地は1084番地で、その西側に1080番地から1083番地が、そして東側に1086番地から1089番地までが並んでいるのですが、なぜか1085番地のみが存在しません。したがって、「第4明神塚」の所在地はよくわからない状況です。

 ひょっとしたら駄倉明神(八幡神社)の境内地に別にもう1基の塚があって、そこにも明神さまが祀られていた?みたいなことなのかもしれませんが、真相は不明です。。。


337 122 無名古墳(屏風塚)(岩戸593)

 画像は「屏風塚」の跡地の様子です。
 現在の岩戸地域センターの地点となります。

 この場所は、昭和35年の「狛江古墳群地名表」では112番に記載されており、所在地は「岩戸593番地」の名称のない古墳とされています。

 そして、『狛江市の古墳(Ⅰ)』の「1976年の狛江古墳群調査」の項に「屏風塚(岩戸593番地)は1977年の東京都教育委員会による調査により古墳ではないことが判明したのでここに附け加えておく)と書かれています。
 この1977年の調査の報告書が見つからなかったので詳細は不明ですが、少なくともこの場所にかつて「屏風塚」という名称の塚が存在したことは間違いないようです。そして、岩戸地域センターの東側に存在する、建物の建設時に削り残されたかのような塚状の地形は、やはり古墳の残存部分ではなかったということになります。。。

 このあたりは、以前「岩戸小川塚」の回で一度取り上げていますので、詳しくはそちらを参照してくださいませ。

【このブログの過去の関連記事】
http://gogohiderin.blog.fc2.com/blog-entry-851.html(「岩戸小川塚」2019/10/17)


338 123 無名古墳(岩戸593〜4)

 画像は、昭和35年の地名表123番の無名古墳の跡地周辺の様子です。
 所在地は旧番地で「岩戸593〜4」となります。

 現在の岩戸地域センター(屏風塚)のすぐ東側で、東京多摩病院の敷地内となります。該当地点に思わせぶりな植え込みがあり、巨石が置かれているのですが、古墳との関係は不明です。。。


339 124 無名古墳(岩戸小川塚古墳?)(岩戸622)

 画像は、昭和35年の地名表124番の無名古墳の跡地周辺の様子です。
 所在地は旧番地で「岩戸622番地」となります。

 駐車場となっている場所が「怪しい(笑)」と感じて狙いを定めました。笑。

 奥に見えている建物が東京多摩病院で、私は「岩戸小川塚古墳」はこの124番の古墳ではないかと想定していますが、真相は不明です。。。

【このブログの過去の関連記事】
http://gogohiderin.blog.fc2.com/blog-entry-851.html(「岩戸小川塚」2019/10/17)


340 125 無名古墳(岩戸621)

 昭和35年の地名表125番の無名古墳の跡地周辺の様子です。
 所在地は旧番地の「岩戸622番地」で、画像の道路の右側あたりが跡地となります。


341 古屋布遺跡第4地点(埴輪編出土時点)

 画像は「古屋敷遺跡 第7地点」周辺のようすです。

 開発が進み、マンションや戸建て住宅が立ち並ぶこの周辺の古墳の痕跡は見られませんが、発掘調査により埴輪片が出土している区画です。
 伝承のすべてが古墳であったかどうかは別にして、かなり多くの古墳が密集していたことは間違いないようです。。。

【このブログの過去の関連記事】
http://gogohiderin.blog.fc2.com/blog-entry-1045.html(「古屋敷遺跡 第7地点」2019/11/07)


342 126 無名古墳

 昭和35年の地名表126番には無名称の古墳は記載されています。

 画像の駐車場となっているあたりが古墳の跡地と考えられますが、古墳の痕跡はまったく見られません。。。


126 無名称の古墳

 塀を隔てた隣接地には小さな祠が祀られています。
 126番無名古墳との関係は不明ですが、気になってしまいますね。

 
343 128 第3明神塚(岩戸1043の2)

 昭和35年の地名表128番の「第3明神塚古墳」の跡地周辺の様子です。

 所在地は「岩戸1043の2」で、画像の道路の左側あたりが跡地となります。現存する「土屋塚古墳」に南に隣接する位置で、比較的小型な古墳であったようですが、昭和30年ごろには削平されてしまったようです。


344 128 第3明神塚(岩戸1043の2)2

 とても気になるのが、「第3明神塚古墳」の道路を挟んで向かい側(西側)に存在するわずかな土盛りです。道路が造られた際に削り残された古墳の残骸か、はたまた削平された古墳の残土の山か、真相はわかりませんが色々と妄想が膨らんでしまいます。


345 128 第3明神塚(岩戸1043の2)4

 正体不明の盛り土のすぐ横に祀られている2基の祠。
 とても気になって古墳との関係を調べていましたが、今のところ真相はわかりません。。。

http://gogohiderin.blog.fc2.com/blog-entry-852.html(「無名古墳と気になるその周辺」2018/01/29)

<参考文献>
塩澤栄八郎『東京府北多摩郡狛江村土地宝典』
狛江市史編さん委員会『狛江市史』
狛江市教育委員会『狛江市の古墳(Ⅰ)』
狛江市農業協同組合史編纂委員会『狛江市農業協同組合史』
狛江市『新狛江市史民俗調査報告書3 岩戸の民俗』


人気ブログランキングへ

  1. 2020/12/24(木) 23:04:24|
  2. 狛江市/その他の古墳・塚
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

「狛江百塚コンプリート2020」その20

327 114 無名古墳(岩戸385)

 「狛江百塚コンプリート2020」、今回は”その20”です。

 画像は、昭和35年の「狛江古墳群地名表」の114番に記載されている無名称の古墳の跡地周辺の様子です。

 所在地「岩戸385番地」という以外の詳細はまったくわからない古墳で、近年の開発により宅地化が進んでおり、古墳の痕跡はまったく見られません。


328 115 無名古墳(岩戸180)

 画像は、「狛江古墳群地名表」の115番に記載されている無名称の古墳の跡地周辺の様子です。
 この古墳も「喜多見古墳群」に属するかという古墳です。

 やはり、近年の開発により宅地化が進んでおり、古墳の痕跡はまったく見られません。。。


329 116 無名古墳(岩戸175)

 画像は、「狛江古墳群地名表」の116番に記載されている無名称の古墳の跡地周辺の様子です。
 やはり近年の宅地化が進み、古墳の痕跡はまったく見ることができません。。。


330 117 無名古墳(岩戸160)

 画像は、「狛江古墳群地名表」の117番に記載されている無名古墳の跡地周辺の様子です。
 やはり古墳の痕跡はまったく見られません。。。


331 狛江市67 慶元寺7号古墳

 画像は「慶元寺古墳群7号墳」の跡地と想定される周辺です。

 『東京都遺跡地図』には世田谷区と狛江市のどちらにも登録されているという古墳で、墳形は「円墳」で、規模は「径10.6m、高さ1.4m」、主体部も「横穴式石室」とかなり具体的な状況が書かれているのですが、この『東京都遺跡地図』に記載されている以外には特に情報が得られませんでした。
 周辺を散策した印象ではすでに古墳は消滅しているようなのですが、いつ頃削平されてしまったのか、また発掘調査が行われたのかどうか等、所在は不明です。

 所在地とされる地点は道路がS字に曲がっている角地にあたり、手前の舗装されている敷地は世田谷区喜多見4丁目、その奥の宅地となっている敷地が岩戸南3丁目となります。
 おそらく古墳はこの境界にまたがるように存在したのかと想定されますが、すでに痕跡を見ることはできませんでした。



 ここまでの5基の古墳(塚?)は、所在地は狛江市内ではあるものの、狛江古墳群の「岩戸支群」というよりは世田谷区の「喜多見古墳群(もしくは慶元寺古墳群?)」に属するのではないかという、狛江古墳群の密集地域からは少々東に離れた位置に位置しています。

 喜多見古墳群の西への広がりを想定させる、興味深い分布の様相ですね。。。


332 120 番場塚(岩戸452〜3450)

 画像は、「狛江古墳群地名表」の120番に記載されている「番場塚古墳」の跡地周辺の様子です。

 「狛江古墳群」の岩戸支群と「喜多見古墳群」の間の、古墳が分布しない空白となった地域が所在地となるようですが、やはり古墳の痕跡はまったく見られません。。。


333 岩戸八幡神社3

 狛江市岩戸南2丁目に所在する「八幡神社」です。

 個人的には、この八幡神社は古墳跡なのではないかと想定していますが、まったく根拠はありません。笑。
 狛江市内の古墳めぐりの最後にこの八幡神社でお参りしてからひと息つくというパターンが幾度となくあり、とても馴染みのある神社です。

【このブログの過去の関連記事】
http://gogohiderin.blog.fc2.com/blog-entry-1044.html(「岩戸八幡神社」2019/11/06


334 岩戸八幡神社2

 八幡神社境内の様子です。

 今回の狛江特集は長丁場になりましたが、なんとかゴールが見えてきました。
 残るはあと3回。
 年内に全てを公開できそうです。。。

<参考文献>
塩澤栄八郎『東京府北多摩郡狛江村土地宝典』
狛江市史編さん委員会『狛江市史』
狛江市教育委員会『狛江市の古墳(Ⅰ)』
狛江市農業協同組合史編纂委員会『狛江市農業協同組合史』
狛江市『新狛江市史民俗調査報告書3 岩戸の民俗』


人気ブログランキングへ

  1. 2020/12/23(水) 23:54:18|
  2. 狛江市/その他の古墳・塚
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

「狛江百塚コンプリート2020」その19

314 井伊出森稲荷1

 今回も「狛江百塚コンプリート2020」、その19です。
 まず最初の画像は、狛江市岩戸北3丁目に所在する「井伊出森稲荷」です。

 隣接する蘇我家によって古くから祀られてきたことから、地元では「蘇我稲荷」とも呼ばれるお稲荷さんです。

 この井伊出森稲荷については、2019年10月15日の「野屋敷塚」の回で取り上げましたので、詳細はこちらを参照していただきたいですが、平成8年に現在地に移される以前は広い境内地の中の小丘上に祀られていたといわれており、この小丘が古墳であった可能性はないものかと感じていて、その後も調べていました。

【このブログの過去の関連記事】
http://gogohiderin.blog.fc2.com/blog-entry-850.html(「野屋敷塚」2019/10/15)


315 井伊出森稲荷2

 狛江の図書館で調べましたが有力な情報は得られず、狛江市の文化財課にてお聞きしてみました。

 聞き取り調査の結果などから推測すると、この伊井出森稲荷のもともとの場所は現在地の南隣りのマンションあたりとなるようです。ちなみにこの場所は、昭和35年の「狛江古墳群地名表」には古墳としての記載のない地点です。

 小高い丘の上に祠があったとされていますが、この丘が古墳であったとどうかは不明で、その場所ずばりではなくその近隣で何箇所か試掘調査などが行われているようですが、今のところ古墳の存在を示唆するような情報は得られていないようです。

 位置的に、古墳が存在した可能性も考えられる場所であると思われますが、これ以上の情報は皆無な状況です。


316 井伊出森稲荷3

 井伊出森稲荷境内の様子です。
 特に古墳にまつわる痕跡は見られません。


317 井伊出森稲荷4

 小丘上に井伊出森稲荷が祀られていたと想定される周辺の様子です。
 すでに大きなマンションの敷地となり、かつての面影は見られません。。。


318 110 無名(岩戸1083)

 画像は、「狛江古墳群地名表」の110番に記載されている「無名称古墳」の所在地周辺の様子です。

 道路の突き当たりが跡地となるようですが、痕跡はまったくなし。
 残念ながらすでに削平されてしまったようです。。。


319 112 竜光寺古墳(岩戸1341)1

 昭和35年の「狛江古墳群地名表」の112番には「竜光寺古墳」が記載されています。

 所在地とされる「岩戸1341番地」を『狛江村土地宝典』で確認すると、現在はコンビニエンスストアの敷地となっている、画像の地点が所在地となるようです。すでに古墳らしき痕跡はまったく見当たりません。

 この古墳も以前に一度取り上げましたが、その後、ご近所のこの地域の歴史を知る方から、とても興味深い情報を得ることができました。。。


321 112 竜光寺古墳(岩戸1341)
出典:国土地理院ウェブサイト(https://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=193509&isDetail=true)

 画像は、国土地理院ウェブサイトより公開されている、昭和23年に米軍により撮影された「竜光寺古墳」の跡地周辺の空中写真です。わかりやすいように跡地周辺を切り取っています。

 道路が交差する辻の北側にはL字の形状の民家が見られ、ここが「岩戸1341番地」となります。そして、むしろ辻の西側にこそ古墳らしき塚状の地形が見られます。。。


320 112 竜光寺古墳(岩戸1341)2

 古墳らしき塚状の地形の場所です。現在、タバコ屋さんになっている場所です。

 ちなみに画像の左側から向かってくると、コインランドリーの位置までと比べてタバコ屋さんの前の道路がわずかに狭くなります。ひょっとしたらこれが古墳の痕跡なのかもしれません。

 地元の歴史を知る、模型屋さんの旦那さまにお聞きしたところによると、「古墳があったかどうかはわからないが、この塚状地形の場所には「タクゾウイン」というお坊さんのお墓があり、その墓石は今も建物と建物の間に残っているよ」という貴重な情報!そして、コンビニの場所にはかつて「お地蔵様があったんだけど今はなくなちゃったんだよ」というお話。

 いかにも、古墳にまつわるエピソードらしく、胸が高まりました。(;◔ิд◔ิ) ドキドキ。。。


321 112 竜光寺古墳(岩戸1341)3

 建物と建物の間にひっそりと残されている、「タクゾウイン」というお坊さんの墓石です。卒塔婆には「宅蔵院成蓮法師菩薩」とあり、現在もしっかりと供養されているようです。

 お教えいただけなければ絶対に気がつかなかったと思われますし、感謝です。。。


322 112 竜光寺古墳(岩戸1341)4

 暮石の様子です。

 コンビニの周囲もぶらりと歩いてみたのですが、かつて建てられていたというお地蔵様はみられず、所在は不明です。(もちろん見落としている可能性もあるかもしれませんが。。。)
 おそらくは、「狛江古墳群地名表」に記載の所在地は間違いで、タバコ屋さんの場所が竜光寺古墳の所在地なのではないかと考えられます。古墳の痕跡は見られませんでしたが、少なくともなんらかの塚が存在した可能性は高そうです。 


323 113 無名古墳(岩戸1344)

 「狛江古墳群地名表」の113番の「無名古墳」の跡地周辺の様子です。
 所在地は「岩戸1344番地」で、竜光寺古墳のすぐ西側に隣接したと考えらますが、マンションとその駐車場となっており、痕跡はまったく見られません。。。


324 118 無名古墳

 「狛江古墳群地名表」の118番の「無名古墳」の跡地周辺の様子です。
 現在、老人ホームらしき建物のあたりです。
 先ほど取り上げた「井伊出森稲荷」のすぐ東側あたり。
 この周辺もかなり古墳が密集していたのかもしれませんね。。。


325 121 野屋敷塚(岩戸1300 岩戸1349)

 「狛江古墳群地名表」の121番には「野屋敷塚」が記載されています。

 この古墳も以前に一度取り上げていますので、くわしくはそちらを参照していただきたいですが、昭和53年の地名表に記載されている「岩戸1349番地」が所在地と想定され、画像の道路の右側あたりが跡地と考えられます。

【このブログの過去の関連記事】
http://gogohiderin.blog.fc2.com/blog-entry-850.html(「野屋敷塚」2019/10/15)

<参考文献>
塩澤栄八郎『東京府北多摩郡狛江村土地宝典』
狛江市史編さん委員会『狛江市史』
狛江市教育委員会『狛江市の古墳(Ⅰ)』
狛江市農業協同組合史編纂委員会『狛江市農業協同組合史』
狛江市『新狛江市史民俗調査報告書3 岩戸の民俗』


人気ブログランキングへ

  1. 2020/12/22(火) 23:42:42|
  2. 狛江市/その他の古墳・塚
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
次のページ

カテゴリ

足立区/伊興古墳群 (10)
足立区/その他の古墳・塚 (19)
葛飾区/立石古墳群 (3)
葛飾区/その他の古墳・塚 (9)
江戸川区の古墳・塚 (0)
板橋区/志村古墳群 (10)
板橋区/その他の古墳・塚 (36)
北区/赤羽台古墳群 (2)
北区/十条台古墳群 (2)
北区/飛鳥山古墳群 (8)
北区/田端西台通古墳群 (1)
北区/その他の古墳・塚 (13)
荒川区/尾久 微高地 (4)
荒川区/町屋-三河島 微高地 (19)
荒川区/南千住 微高地 (3)
荒川区/日暮里 台地上 (2)
台東区/上野台古墳群 (5)
台東区/その他の古墳・塚 (7)
墨田区の古墳・塚 (4)
練馬区の古墳・塚 (21)
豊島区の古墳・塚 (4)
文京区の古墳・塚 (10)
杉並区の古墳・塚 (17)
中野区の古墳・塚 (19)
新宿区の古墳・塚 (18)
千代田区の古墳・塚 (8)
目黒区の古墳・塚 (11)
渋谷区の古墳・塚 (22)
港区の古墳・塚 (10)
品川区/品川大井古墳群 (7)
品川区/その他の塚 (16)
大田区/田園調布古墳群 (40)
大田区/鵜の木久が原古墳群 (11)
大田区/その他の古墳・塚 (54)
世田谷区/野毛古墳群 (24)
世田谷区/殿山古墳群 (10)
世田谷区/大蔵古墳群 (1)
世田谷区/砧中学校古墳群 (3)
世田谷区/喜多見古墳群 (16)
世田谷区/砧古墳群その他 (8)
世田谷区/その他の古墳・塚 (17)
武蔵野市の古墳・塚 (3)
三鷹市の古墳・塚 (8)
狛江市/狛江古墳群(和泉) (34)
狛江市/狛江古墳群(岩戸) (13)
狛江市/狛江古墳群(猪方) (29)
狛江市/その他の古墳・塚 (24)
調布市/国領南古墳群 (2)
調布市/下布田古墳群 (16)
調布市/上布田古墳群 (7)
調布市/下石原古墳群 (2)
調布市/飛田給古墳群 (17)
調布市/その他の古墳・塚 (13)
府中市/武蔵府中熊野神社古墳 (2)
府中市/白糸台古墳群 (15)
府中市/高倉古墳群 (33)
府中市/御嶽塚古墳群 (19)
府中市/その他の古墳・塚 (17)
国立市/下谷保古墳群 (12)
国立市/青柳古墳群 (3)
国立市/その他の古墳・塚 (10)
立川市の古墳・塚 (14)
稲城市の古墳・塚 (12)
多摩市/和田古墳群 (15)
多摩市/その他の古墳・塚 (7)
日野市/平山古墳群 (7)
日野市/西平山古墳群 (5)
日野市/七ッ塚古墳群 (9)
日野市/万蔵院台古墳群 (4)
日野市/その他の古墳・塚 (11)
町田市の古墳・塚 (25)
八王子市の古墳・塚 (37)
昭島市の古墳・塚 (12)
あきる野市/森山古墳群 (3)
あきる野市/草花古墳群 (14)
あきる野市/御堂上古墳群 (4)
あきる野市/瀬戸岡古墳群 (7)
あきる野市/牛沼古墳群 (3)
あきる野市/その他の古墳・塚 (16)
日の出町の古墳・塚 (2)
青梅市の古墳・塚 (16)
西東京市•東久留米市の塚 (7)
小金井市•国分寺市の塚 (7)
東村山市•東大和市の塚 (10)
武蔵村山市•瑞穂町の塚 (17)
川崎市の古墳・塚 (52)
横浜市の古墳・塚 (11)
相模原市の古墳・塚 (15)
宇都宮市の古墳・塚 (30)
鹿沼市の古墳・塚 (0)
壬生町の古墳・塚 (5)
上三川町の古墳・塚 (16)
下野市の古墳・塚 (0)
小山市の古墳・塚 (0)
栃木市の古墳・塚 (0)
真岡市の古墳・塚 (0)
那須町•大田原市•那珂川町 (8)
埼玉県の古墳・塚 (13)
千葉県の古墳・塚 (1)
群馬県の古墳・塚 (8)
ぐんま古墳カード (12)
茨城県の古墳・塚 (5)
長野県の古墳・塚 (6)
福島県の古墳・塚 (3)
東京の一里塚 (22)
東京の庚申塔 (5)
未分類 (12)

最新記事

最新コメント

検索フォーム

リンク

このブログをリンクに追加する

QRコード

QR