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古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

「塚原古墳群 3号墳」

「塚原古墳群 3号墳」

 画像は、多摩市和田に所在する「塚原古墳群3号墳」の跡地周辺のようすです。正確な地点ではなく、だいたいこの辺り、という場所です。『東京都遺跡地図』には「塚原古墳群」が多摩市の遺跡番号208番の遺跡として、また3号墳が208-3番の古墳として登録されています。

 3号墳は、昭和59年に多摩市遺跡調査会・多摩市教育委員会により、また昭和59・60年多摩市計画道路事業1・3・1号線関連遺跡調査会により発掘調査が行われています。主体部は発掘当時すでに消滅しており詳細は不明ですが、内側の周溝が陸橋部を有するという、二重の周溝が検出されており、墳丘径約10mの円墳であることがわかっています。築造は6世紀中葉と推定されているようです。


「塚原古墳群 3号墳」

 切り通しとなった野猿街道から、塚原古墳群が所在する台地を見上げたところです。
 2号墳、3号墳、7号墳は、この台地の上のちょうど道路の淵あたりに存在したものと思われますが、3基ともに野猿街道の整備により台地ごと削り取られてしまったようです。地上には、古墳痕跡を見ることはできないようです(ていうか地上がもうない)。

<参考文献> 
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』
多摩地域史研究会『多摩川流域の古墳時代 ー国府以前の様相ー』


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  1. 2018/09/10(月) 00:26:11|
  2. 多摩市/和田古墳群
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「塚原古墳群 2号墳」

「塚原古墳群 2号墳」

 前回に引き続き、多摩市和田に所在する「塚原(つかっぱら)古墳群」中の、今回は2号墳を紹介します。

 2号墳は、昭和59年に多摩市遺跡調査会・多摩市教育委員会により、また昭和59・60年多摩市計画道路事業1・3・1号線関連遺跡調査会により調査が行われています。主体部は消滅しており詳細は不明ですが、陸橋部を有する周溝が検出されており、墳丘径約19mの円墳であることがわかっています。幅2.4~2.8m、深さ80~140cmの周溝からは土師器甕が出土しているようです。

 画像は2号墳の跡地周辺のようすです。正確な地点ではなく、だいたいこの辺り、という場所です。発掘調査時には墳丘は一部残存していたようなのですが、画像の奥は野猿街道の切り通しとなっており、この街道の整備工事により、残念ながら古墳は消滅、墳丘を見ることはできないようです。

<参考文献> 
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』
多摩地域史研究会『多摩川流域の古墳時代 ー国府以前の様相ー』


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  1. 2018/09/06(木) 23:05:31|
  2. 多摩市/和田古墳群
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「塚原古墳群 1号墳」

「塚原古墳群 1号墳」

 さて、今回は、多摩市和田に所在する「塚原(つかっぱら)古墳群1号墳」を紹介しようと思います。
 「塚原古墳群」は、これまでに11基の古墳が確認されています。京王線聖蹟桜ヶ丘駅の南東、多摩市和田から百草にかけて存在する古墳群は、総称として「和田古墳群」と呼ばれており、「塚原古墳群」はこのうちの一支群と捉えられているようです。かつてはかなり多くの古墳が存在する群集墳であったといわれ、古くは江戸時代の地誌類に記述を見ることができます。
 『新編武蔵風土記稿』には「塚原 村の中ほどなり、元禄の此までは塚の数四五十もありしが、年をおふて陸田をおこし、今はわずかに十四五のこれり、いづれも塚のわたり三間許、この塚ある故に小名に呼べりと伝」とあり、『武蔵名勝図会』には「塚原 上和田村の小名となれり。関戸の南の隣邑なり。この塚原というところは古塚数ケ所ありて、山谷にあり。大なる塚もなく、いまは十四、五ケ所なり。もとは四、五十ケ所ありて大抵列をなせりと云。或は元弘の合戦のとき、鎌倉の軍勢の屯したる旗塚なるべしとも云。前条にいえる塚も、同じ頃の旗塚なるべし。」と書かれています。
 これらの記述から、元禄の頃には40~50基ほど存在したという塚が、江戸時代後期にはすでに14基から15基ほどになってしまっていたことがわかります。また、関戸合戦の伝承が残されている点も、興味深いところです。この多くの塚が存在したことが、塚原(つかっぱら)の地名の起こりにもなっているようです。
 その後、開発や耕作により多くの古墳は姿を消し、幻の古墳群とされていましたが、昭和58年以降の調査により多くの古墳の存在が確認されています。『東京都遺跡地図』には、多摩市の遺跡番号208番の遺跡として登録されており、現在公開されている『東京都遺跡地図情報インターネット提供サービス』には9号墳まで登録されていますが、現在は発掘調査により、10号墳や11号墳の存在も確認されているようです。


「塚原古墳群 1号墳」

 画像は、「塚原古墳群1号墳」を南から見たところです。昭和51年度に多摩市埋蔵文化財包蔵地分布調査団により「多摩市No.208遺跡(塚)」として登録されていたもので、塚原古墳群中唯一墳丘の残る古墳が個人宅内に保存されています。
 径約10m、高さ約2mの円墳と考えられており、墳丘上には羨道の門柱石と考えられる石材が露出している様子を見ることができます。主体部は横穴式石室と推定されています。
 土地の所有者が遺跡に理解のある方なのか、古墳は敷地内に良い状況で保存されているようです。塚原古墳群唯一の残存古墳が今後も引き継がれていくことを祈るばかりです。。。

<参考文献> 
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』
多摩地域史研究会『多摩川流域の古墳時代 ー国府以前の様相ー』
多摩地域史研究会『多摩川流域の古墳』


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  1. 2018/09/05(水) 01:26:26|
  2. 多摩市/和田古墳群
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「稲荷塚古墳」(東京都指定史跡)

「稲荷塚古墳」(東京都指定史跡)

 画像は、多摩市百草にある「稲荷塚古墳」を西からみたところです。多摩市の遺跡番号5番の古墳です。

 この古墳は、多摩川の支流である大栗川右岸の台地状の丘陵に立地します。初めて発掘されたのは昭和27年で、その後、昭和61年以降に3回の確認調査が実施されています。明治時代に墳頂部が削平されて恋路稲荷神社が建てられており、本来の高さは4mほどであったと推定されています。周溝が直線的で角が意図的に深く掘られていることから、全国でも10例ほどしか報告されてない「八角形墳」であると考えられているそうです。東京都内の7世紀代の古墳としては大型の部類に属する古墳です。


「稲荷塚古墳」(東京都指定史跡)

 規模は、第1段の径34m、第2段の径22mの八角形墳で、周囲には幅約2mの周溝が巡っています。主体部は全長7.7m、玄室の長さ約3.8m、幅約3m、前室の長さ約2.3m、幅約1.7m、羨道の長さ約1.6m、幅約1,2mの横穴式石室で、凝灰岩質泥岩を用いた切石切組積胴張り複室構造です。6世紀から7世紀にかけての多摩地域の古墳は、河原石積の横穴式石室を持ち、径10~20m台の円墳である場合が多いようですが、この「稲荷塚古墳」は切石切組積胴張り複室構造の石室を持ち、石室構築技術や古墳の規模において優位性を持つことから、多摩地域の首長墳と考えられているようです。


「稲荷塚古墳」(東京都指定史跡)

 以前は墳丘に木造の覆屋が建てられていて、この中で横穴式石室が露出公開されていたそうですが、石材の劣化が目立ってきたため平成9年度に保存措置を講じたうえで埋め戻されています。現在では2種類のブロックによって色分けされていて、石室の大きさや位置などが判るようになっています。


「古墳殺人事件」

 昭和32年に発表された『古墳殺人事件』(島田一男著)はこの「稲荷塚古墳」の発掘調査の様子を題材とした小説です。今でも文庫本として出版されています。八王子市郷土資料館から発行されている『多摩の古墳』にこの本の記事があり、購入してみました。ミステリー小説ですが、古墳についてのリアルな描写もあって思わずニヤリとさせられる場面もあります。古墳好きにはお薦めです!!!
 
<参考文献> 
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』
多摩市史編集委員会『多摩市史 通史編 一』
八王子市郷土資料館『多摩の古墳』
たましん歴史・美術館 歴史資料室『多摩の歩み 第137号 特集 多摩川流域の七世紀代古墳』

  1. 2013/04/11(木) 01:10:48|
  2. 多摩市/和田古墳群
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「臼井塚古墳」

「臼井塚古墳」

 「臼井塚古墳」は、多摩川の支流である大栗川右岸の台地状の丘陵に立地する、多摩市の遺跡番号4番の古墳です。多摩市百草に所在します。

 この古墳は昭和27年に発掘されており、墳丘は削平されて残されていないため墳形や規模は不明ですが、全長約5mの凝灰岩切石積の横穴式石室が報告されています。東方約50mに所在する「稲荷塚古墳」の前室壁面が胴張りであるのに対して、この「臼井塚古墳」は直線状になっており、「稲荷塚古墳」に続いて7世紀前半に築造されたと考えられているようです。

 江戸時代の地誌、『新編武蔵風土記稿』にはこの「臼井塚古墳」のほか、「稲荷塚古墳」や「庚申塚古墳」といったこの周辺の古墳も含めての記述が見られます。


 古墳 村の南西の方、小名荒原と云所にあり、この地の山上にて、その広さ二三百坪あるべし、墳の数すべて三ケ所あり、いづれも径り九尺許もあるべし、もとはあまたならびありしが、耕作のさまたげとなるにより、心なき土民なれば、ほりあばきて陸田とせしと云、近き比またその一つをあばきしに、墳の中より出し器物さまざまあり、今松連寺に蔵する数品なり、その余今も此辺に明器とおぼしき磁器の、残欠数多つみて山のごとし、按にこの墳のさまをみるに、径り二尺ばかりづつの丸き石を以て、方四尺ほどに甃にす、深さは一丈余もあるべし、他の古墳を以考ふるに、すべて三等ほどの品ありとおぼゆ、この墳はそれにくらぶれば、尤下等のものなり、内より刀剱等の出るを以てみるに、考徳天皇の御宇、制度さだめられしより、前のものなることは論なし、されば古への直首などといひし役を、つとめし人々を葬せし古墳にや
(『多摩川流域の古墳』79ページ)



 この古墳の北方約500mには「塚原古墳群」が存在しますが、同じ台地上にありながら「臼井塚古墳」や「稲荷塚古墳」が「塚原古墳群」を見下ろすような位置関係にあり、また距離を置いて存在することから、群集墳に葬られた集団とは出自を異にする首長墳と考えられているようです。

  現在は石室は埋め戻されているため、残念ながら見学する事は出来ません。個人の敷地内の畑地の下に眠っています。。。

<参考文献> 
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』
多摩市史編集委員会『多摩市史 通史編 一』
多摩地域史研究会『多摩川流域の古墳』
たましん歴史・美術館 歴史資料室『多摩の歩み 第137号 特集 多摩川流域の七世紀代古墳』

  1. 2013/04/08(月) 02:38:02|
  2. 多摩市/和田古墳群
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