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古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

「小野路の富士塚」

「小野路の富士塚」

 画像は、町田市小野路町の「小野路の富士塚」を南から見たところです。
 『東京都遺跡地図』には町田市の遺跡番号234番の遺跡として登録されている塚です。


「小野路の富士塚」

 ちょっと角度を変えて、東から見た小野路の富士塚です。
 昭和63年(1988)発行の『東京都遺跡地図』、平成8年(1996)発行の『東京都遺跡地図』ともに、丘陵に築かれた古墳であると書かれていたのですが、現在ネットで公開されている『東京都遺跡地図情報インターネット提供サービス』では、「時代不明」の「塚」であるとされています。
 出土品もなく、どんな性格の塚かなのかよくわからなかったのですが、実際に現地で見学したところでは、素人目に古墳のようようにも感じられます。


「小野路の富士塚」

 墳丘上には、何らかの祠が祀られていたような痕跡が残されています。
 「富士塚」の名称の由来に関係するのではないかと思われるのですが、詳細は不明です。。。


「小野路の富士塚」

 塚の北側には、土塁?のような正体不明の盛土も見られるのですが、何なんだろう?
 このさらに北側は野球のグランドとして整地されているようですので、工事の際のただの残土の山なのかもしれませんが、これも詳細は不明です。

 要するに、この塚(古墳?)については今のところ何もわかっていないのですが、見学したまま写真が古くなってしまうし、とりあえず掲載してみようと思いました。何かわかったら、後でこっそり書き足します。。。

<参考文献> 
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』


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  1. 2019/02/16(土) 21:21:57|
  2. 町田市/その他の古墳・塚
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「馬駈古墳」

「馬駈古墳」

 「馬駈古墳」は、町田市図師町に所在したといわれる古墳です。『東京都遺跡地図』には、町田市の遺跡番号214番の遺跡として登録されている古墳です。

 昭和36年(1961)に東京都教育委員会より発刊された『南多摩文化財総合調査報告』には、残存した当時の馬駈古墳について、
 西方から延びる丘陵の突端部の頂部、府中~淵野辺間都道の西備に近く位置する径約10mの円墳である。かなり変形していて、諸施設とも不明であるが、1と同様、後期終末期の築造になるものであろう。
 と書かれています。
 その後、平成6年度に多摩地区所在古墳確認調査団による古墳の分布調査が行われており、翌平成7年(1995)に発刊された『多摩地区所在古墳確認調査報告書』では、この馬駈古墳については、墳丘、主体部ともに「消滅」としており、
 古墳として遺跡登録されているが、現在では現地調査、聞き取り調査、文献確認を行っても明確な地点はわからなくなっている。
 と書かれています。

 画像は、馬駈古墳の跡地周辺の現在の様子です。
 『東京都遺跡地図』の分布図に記された位置と、残存当時の空中写真等を見比べて、だいたいこのあたりではないかと想定した場所です。手前の原っぱから、奥に見える民家にかけてのどこかに古墳が存在したと思われますが、残念ながら痕跡は何も見られません。


「馬駈古墳」
出典:国土地理院ウェブサイト(https://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=230033&isDetail=true)

 画像は、国土地理院ウェブサイトより公開されている、昭和31年(1956)4月13日に米軍により撮影された馬駈古墳跡地周辺の空中写真です。わかりやすいように跡地周辺を切り取っています。
 画像の中央下に見える円形の塚が、前々回に取り上げた「かぶと塚」と思われ、中央上にぼんやりと見える高まりらしき影が「馬駈古墳」ではないかと思われます。少なくとも昭和30年代に入る頃までは、古墳は残されていたようですが、その後、平成に入るまでには消滅してしまったようです。


「馬駈古墳」

 画像の周辺が古墳の跡地と思われます。
 道路がS字にクランクしているあたりが、ひょっとしたら古墳の痕跡なのかもしれませんが、詳細は不明です。


 「馬駈古墳」

 私が最初にこの馬駈古墳の所在地を訪れたのは実は8〜9年ほど前なのですが、その頃は今よりもずっと民家が少なくて、畑というか空き地みたいな場所でした。当時、古墳はすでに消滅しているであろうと想定していたので、周囲をぶらりと一周したのみであまり深追いもせず、やはり古墳はなかったなと自分を納得させて、早々に次の場所に移動したのです。
 そして後日、さらに古墳について書かれている文献を調べていたところ、古墳の所在地について『南多摩文化財総合調査報告』に、「西方から延びる丘陵の突端部の頂部」と書かれているのを発見しました。以前に古墳の跡地と想定して見学した場所は、決して「丘陵の頂部」ではなく、少々下った斜面だったという記憶があり、これがずっと気になっていました。
 というわけで前置きが長くなりましたが、昨年再訪して「丘陵の頂部」らしき場所で撮影した、塚状の高まりです。
 空中写真で見られる古墳らしき高まりとは少しズレた場所にあたるので、この高まりが古墳であるならば、複数の古墳が存在するということになるのかもしれませんが、真相は謎です。周辺に「かぶと塚」や「よろい塚」といった塚の伝承地があるあたりからしても、とても気になる場所です。
 (草ぼうぼうで形状がわかりにくいのが残念な写真なのですが、真冬に行けばよかったなあと後悔。もう一回、冬のうちに行ってみようかな。。。)

<参考文献>
東京都教育委員会『南多摩文化財総合調査報告』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』


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  1. 2019/02/12(火) 23:14:18|
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「よろい塚」

「よろい塚」

 「よろい塚」は、町田市忠生3丁目に所在したといわれる塚です。
 このよろい塚は、前回取り上げた「かぶと塚」と同様に、すでに開発により削平されて存在しない塚です。旧忠生小学校校庭の東の隅にあったといわれる塚で、小学校の開校間もない大正3年(1914)頃に学校側の都合で取り除かれており、その後、昭和9年(1934)に塚の跡地に奉安殿(戦時中に天皇、皇后両陛下の写真や教育勅語等を納めた、軍国主義の象徴的建造物)が建てられたといわれています。やはり『東京都遺跡地図』にも登録されていないようです。

 小山田の歴史を知る会より発刊された『小山田のむかし』には、この塚の往時を知る地元の古老のとても興味深いお話が記載されています。

わし、よくいうんだけど、忠一の体育館のちょっとはずれに、よろい塚というのがあったんだよ。
六年の時に、あの塚ぶっこわせというんで壊したんだ。そうすると刀が出てきた。
その時、淵野辺の亀ちゃんが最初にさわったんだ。そうしたら、学校の帰りに亀ちゃんが現在の根岸の火の見やぐらの下で急に死んじまったんだ。走っておっかぁさんを呼びに行ったけど間に合わなかったよ。
それで大騒ぎになって、それじゃあって、内山校長が、その刀をうちにもってかえったんだ。三日目に、おくさんが死んじゃったんだよ。だから、塚なんてものには、さわるんじゃないって、おりゃあよくいうんだ。(『小山田のむかし』103ページ)


 画像は、現在の忠生小学校の様子です。
 すでに塚の痕跡は残されていないようです。
 果たしてよろい塚はどんな性格の塚だったのでしょうか。。。

<参考文献> 
小山田の歴史を知る会『小山田のむかし』
町田市教育委員会『町田の民話と伝承 第一集』


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  1. 2019/02/08(金) 22:12:20|
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「かぶと塚」

「かぶと塚」

 「かぶと塚」は、町田市忠生3丁目に所在したといわれる塚です。
 このかぶと塚は、すでに開発により削平されて存在しない塚で、『東京都遺跡地図』にも登録されていないようです。しかし、塚にまつわる多くの伝承が現代まで伝えられており、塚の跡地は「かぶと塚公園」として整備され、公園名に塚の名称が残されています。
 画像は、現在のかぶと塚公園の様子です。


「かぶと塚」

 平安時代末期、壮絶な持久戦となった源義賢と義平の戦いは両軍和睦となり、箭幹八幡宮前でお互いに和睦の誓いをしたとされています。この際、戦場となった柄沢北の台地に塚を築き、周辺に散乱していた武具や弓矢を集めて塚の下に納めたといわれ、これがかぶと塚であるとの言い伝えが残されているようです。また、形が兜に似ているから兜塚とも言うともいわれており、一説には古代に築造された古墳だったのではないかとする説もあるようです。
 この付近には、他に「よろい塚」と呼ばれる塚の伝承が残されており、またわずか200mほど北方は、町田市の遺跡番号214番の「馬駈古墳」の所在地です。そして周辺にはさらに複数の塚の存在も伝えられており、古墳の存在も考えられるとても興味深い地域です。

 画像は、かぶと塚公園内の一角にある、正体不明の塚状のマウンドです。町田市により発行された『町田市史』によると「慰霊塔約10メートル西南にある塚は新設されたもので、古くからの「かぶと塚」ではない」と書かれていますので、あるいは破壊してしまったかぶと塚を偲んで造られたものなのかもしれません。
 往時のかぶと塚は、広さ約20平方メートル、高さ3メートルほどの饅頭型の塚だったそうなので、現在ある塚よりもかなり大きな塚だったようです。。。


「かぶと塚」

 『忠生村史』によると、大正3年(1914)にはこの塚上には「忠魂碑」が建立されたようですが、その後昭和30年(1955)頃まで塚は残されていたものの、発掘調査が行われないまま開発が進み、塚は消滅。残念ながら塚の性格は不明なままです。
 かぶと塚公園と道を隔てた北側には、市域旧五ケ町村の碑が集められて慰霊公園として整備されています。塚上に建てられていたという忠魂碑も、この慰霊公園に移されて保存されています。慰霊公園には、昭和46年(1971)に慰霊塔が建立されましたが、その後の老朽化に伴い、塔の高さと外装を変更する改修が行われて現在に至っています。
 画像は、現在の慰霊塔です。


「かぶと塚」

 画像の中央に見えるのが、かぶと塚に建てられていたという忠魂碑と石碑です。


「かぶと塚」

 反対側にも、数多くの石碑がずらりと並んでいます。

 以下、次回の「よろい塚」に続く。。。

<参考文献>
忠生村村誌編さん委員会『忠生村誌』
町田市『町田市史』
小山田の歴史を知る会『小山田のむかし』
町田市教育委員会『町田の民話と伝承 第一集』


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  1. 2019/02/06(水) 02:31:24|
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「こうせん塚」

「こうせん塚」

 画像は、町田市図師町に所在する「こうせん塚」を南から見たところです。
 前回紹介した「乗越八幡跡」と呼ばれる塚から南に200メートルほど、徒歩1分ほどの近距離にあり、同じ丘陵上の尾根沿いに連なるように存在します。どちらの塚にも東京都による木製の案内板が設置されており、乗越八幡跡には「墳丘上の地形や北側の切通し面に見られる土壌の様子から、あるいは古墳ではないかとの説もあります。」と古墳説を唱えているのに対して、こうせん塚の案内板には古墳に関する記述は見られないようです。
 『東京都遺跡地図』には、どちらも塚(または古墳)としての登録はされていないようですが、果たしてこのこうせん塚が、古墳である可能性はないのでしょうか。


「こうせん塚」

 塚の前に設置されている案内板には次のように書かれています。

こうせん塚
 スダジイ(椎ノ木)の大木の根元にある塚は「こうせん婆さん」と呼ばれており小さな石祠には「文政十年(一八二七年)十月、施主天野勘左衛門」と刻まれています。昔、麦こがし(こうせん)にむせて死んだ老婆をまつったもので、咳の病が治まるよう茶椀や竹筒に茶を入れて奉納し祈願するようになったそうです。小野路城の関門があって「通せん場」と呼ばれたのが「関の神」「咳の神」と変したという説や落城のおり、ここで交戦があり、死者を祀った墳墓が「交戦場」と称せられ、その後「こうせん婆」と変じたとする説もあります。 東京都



「こうせん塚」

 ちょっと角度を変えて、東から見たこうせん塚です。スダジイ(椎の木)の大木の根っこが塚の表面を覆っていて、かなりおどろおどろしい雰囲気です。訪れるなら明るい時間をお勧めしたい場所ですね、ここは。


「こうせん塚」

 塚上に祀られた祠の様子。
 小野路町以外に、小山田町や金森にもこのこうせん婆さんの話が伝えられているそうです。

<参考文献> 
多摩市『町田の民話と伝承 第一集』
現地説明板


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  1. 2019/02/04(月) 23:12:38|
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