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古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

「野盗塚(経塚・武藤塚)」

「野盗塚(経塚・武藤塚)」

 「野盗塚」は、町田市中町1丁目に所在したといわれる塚です。
 残念ながら、塚は開発により削平されて消滅しており、『東京都遺跡地図』にも未登録となっているようですが、塚にまつわる多くの伝承が残されているようです。

 画像は、この野盗塚の跡地周辺を西からみたところです。


「野盗塚(経塚・武藤塚)」

 野盗塚は、少なくとも昭和40年代までは痕跡が残されていたようです。
 町田市原町田6丁目の「日蓮宗浄運寺」の境内には、この塚のものであるという「武藤塚」と刻まれた石碑が移されており、町田市教育委員会による説明板が設置されています。この説明板には、在りし日の野盗塚の姿を見ることができます。
 この写真は昭和43年(1968)のものとされているようですが、この時点でかなり小さくなっているようにも見えます。


「野盗塚(経塚・武藤塚)」

 浄運寺境内の、「武藤塚」の石碑です。
 説明板には次のように書かれています。

野 盗 塚 物 語
 これは武藤家が名主の時のはなしである。
 ある日、武士の一隊が武藤家を訪ね、御用長持ちを預かってくれるよう申し入れ、家の中に置いて立ち去った。その夜半頃、下女が勝手にいた時、長持ちの蓋がギギーッと持ち上がった。下女が主人にこのことをはなすと、大石を運ばせ、長持ちの上に置かせたので、隠れていた武士はなすこともなく、翌日、空しく長持ちは運び出された。しかし武藤家では、いつか必ず復讐に来ると思い、警備を厳重にしていた。
 はたして数日の後に、五、六名の武士がのりこんできて主人に面会を求め、いかめしい様子で金子の借用を申し入れた・・・・ものかげで待ちかまえていた家人や村役人、剣術指南の侍が、槍、刀を振るって突き入った。
 野盗達もおおいに防ぎ戦ったが、逃げ出した。ところが路地や家の角は、大石をゆわえつけた梯子でふさがれていた。そこへ竹槍を持った村人達も駆けつけ、戦いに加わった。
 戦いはしばらく続いたが、野盗達は枕を並べて倒されてしまった。野盗塚(武藤塚ともいう)は、この武士達の亡骸を葬い、塚を築いて供養したものであるという。この塚は以前は中町一丁目(旧町田警察署のあったところ)にあった。
 (町田の民話と伝承 第一集・町田市文化財保護審議会編から)
一九九八年三月 町田市教育委員会



 前回紹介した「太刀山古墳」から北方300mほどに位置するこの野盗塚は、古墳ではなかったか?と妄想したくなるところですが、学術的な調査が行われることなく開発により消滅。残念ながら塚の性格等の真相はわかりません。。。

<参考文献> 
町田市文化財保護審議会編『町田の民話と伝承 第一集』
現地説明板


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  1. 2019/08/21(水) 01:33:38|
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「太刀山古墳」

「太刀山古墳」

 JR横浜線と小田急小田原線が交差する、町田市原町田6丁目には、なんと!前方後円墳が存在したという伝承が残されているようです。『東京都遺跡地図』にも登録されていない、言い伝えにのみ残る古墳です。

 立地的には境川左岸の台地上縁辺部にあたり、確かに古墳が築造されてもおかしくないようにも感じられますが、今では駅前の繁華街として大勢の人で賑わっており、古墳の痕跡は全く残されていません。

 平成19年(2007)に町田法人会より発行された『町田法人会報』には、この古墳について次のように書かれています。

「小田急線町田駅の東側交叉路「太刀山古墳跡」切通し風景」
三橋園民
解 説/町田駅東側に隣接している交叉路(マクドナルド・マルカワジーンズ・銀行)上にあるマンホールの鉄蓋は、この稽の手前、犬のいるところに当たる。
ほんの八十年前には、赤土の切通しがある雑木林だった 。昔から「太刀山(たちやま)と呼ばれ、子供達には兵隊ごっこをする格好の丘でもあった。戦後(昭和30年頃)開発 で切通しが崩されたとき、交叉路に大穴が聞いたと、文化財委員会に知らせがあった。駆けつけたが既に大穴はブルドーザーで跡形も無く壊され、出土したらしい金環も持ち去られていた。この時点で「太刀山」1500年のロマンは、あえなく潰えた。



「太刀山古墳」
出典:国土地理院ウェブサイト(https://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=1183432&isDetail=true)

 画像は、国土地理院ウェブサイトより公開されている、昭和22年に米軍により撮影された太刀山古墳周辺の空中写真です。わかりやすいように跡地周辺を切り取っています。画像の中央に前方後円墳らしき形状を見ることが出来ます。
 ざっと、40m前後の小形の前方後円墳というところでしょうか。前方後方墳のようにも感じられますが、この画像だけではなんとも判断できません。
 『町田法人会報』の、「大穴が開いた」という表現からして、やはり横穴式石室の存在を想像してしまいますし、金環が出土したということですので、どうやら「太刀山」が古墳であった可能性は高そうですが、ブルドーザーで跡形も無く壊されたということで、当然ながら報告書の類は存在せず、詳細はわかりませんでした。

 町田駅周辺の繁華街に前方後円墳が存在したとは、もはや誰も想像ができませんね。。。

<参考文献> 
社団法人 町田法人会『町田法人会報 91』


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  1. 2019/08/17(土) 22:22:12|
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「西谷戸横穴墓群 その2」ー東京都指定史跡ー


 今回は、町田市三輪緑山に所在する「西谷戸横穴墓群」の探訪の記録です。『東京都遺跡地図』には、町田市の遺跡番号449番の遺跡として登録されている横穴墓群です。

 さて、この横穴墓群については、『古墳なう』の平成25年(2013)05月15日の回で一度取り上げました。見学した時期がちょうど再整備が行われている最中という状況で、横穴内部には土嚢が積まれていました。
 その後、整備が終わってどんな状況になっているのか、ずっと気になっていましたが、昨年の冬、ようやく見学に訪れることができました。
 今回は、あらためて西谷戸横穴墓群を振り返ってみようと思います。


「西谷戸横穴墓群 その2」ー東京都指定史跡ー

 画像は、最初に見学に訪れた時の西谷戸横穴墓群です。
 右から4、5、6、7号墓です。
 横穴はすべて開口している状況でしたが、すでに敷地はフェンスで囲まれていて、内部を覗くことはできませんでした。
 町田市のホームページでは、横穴内部の写真が公開されているようです。


「西谷戸横穴墓群 その2」ー東京都指定史跡ー

 当時、町田市教育委員会により設置されていた説明板です。

 西谷戸横穴墓群
 西谷戸横穴墓群は、昭和58、59年に発掘
調査が行われ、9基の横穴墓が、3つのグ
ループを形成して存在していることが明ら
かになりました。
 横穴墓とは、古墳時代後期(6〜7世紀)
に多くつくられた古墳の一種で、本州に広
く分布しています。通常、群れをなしてつ
くられることが多く、各地域における有力
者の一族の墓と考えられています。西谷戸
横穴墓群もそうしたものの一つでしょう。
 なお、9基のうち、5基の横穴墓から、人
骨・直刀・鉄鏃・ガラス玉などが出土してい
ます。
           町田市教育委員会



「西谷戸横穴墓群 その2」ー東京都指定史跡ー

 これは前回紹介した画像ですが、あらためて大きなサイズで。
 右から1、2、3号墓。左にチラリと見えるのが8号墓です。


「西谷戸横穴墓群 その2」ー東京都指定史跡ー

 これは、3号墓を間近で見たところ。
 土嚢が積まれていますね。


「西谷戸横穴墓群 その2」ー東京都指定史跡ー

 当時、こんな説明板も設置されていました。


「西谷戸横穴墓群 その2」ー東京都指定史跡ー

 西谷戸横穴墓群の最新の画像です。
 右から1、2、3、8、9、4、5、6、7号墓です。
 すべての横穴は塞がれており、もはや玄室内部を見ることはできないようですが、以前と比べてすごい存在感ですね。(笑)


「西谷戸横穴墓群 その2」ー東京都指定史跡ー

 右から1、2、3号墓です。
 この3基は完全に塞がれているようです。


「西谷戸横穴墓群 その2」ー東京都指定史跡ー

 右から8、9号墓。
 この2基も完全に塞がれています。


「西谷戸横穴墓群 その2」ー東京都指定史跡ー

 右から4、5、6、7号墓。
 3つの支群が、それそれ違った方法で埋め戻されているのが、とても興味深いところですが、この4基は小さな扉が設けられていて、内部を見学できるのではないかと思われます。将来、見学会でも行われれば公開されるのでしょうか。。。


「西谷戸横穴墓群 その2」ー東京都指定史跡ー

 説明板も、新しいものが設置されていました。

東京都指定史跡 西谷戸横穴墓群
所 在:東京都町田市三輪緑山一丁目25-8
指定日:1992年3月30日

 西谷戸横穴墓群は、三輪土地区画整理事業に伴って1983~1984年に発掘
調査が行われ、9基の横穴墓が確認されました。横穴墓とは、崖面に横穴をあけて
埋葬施設とした古墳時代における墓であり、多くは群集してつくられます。
 本横穴墓群は、群集して分布するという横穴墓特有の景観が良好に残っており、
1992年、東京都史跡に指定されました。
 7世紀前半から後半にかけてつくられたと推定される西谷戸横穴墓群は、この
地域において開発を主導した人々の墓と推定されます。特に5号墓から出土した
7世紀初頭に製作されたと推定される金銅製圭頭大刀は、被葬者の社会的地位を
表す威信財として注目されます。また、5号墓の壁面には、横穴墓が使われた
当時に描かれたと推定される人物、船、波状文、三角文の線刻画が確認され、当時
の葬送概念を理解する手がかりが残されています。
 2016年、史跡を保護するために整備工事を実施し、1~3号墓は埋め戻し、
4~7号墓には銅製の扉付密閉施設を設置、8,9墓墳は吹付コンクリートによる
被膜で遺構を保護しています。
                            2016年10月設置
                            町田市教育委員会


 町田市や川崎市域で開口する横穴墓はどこも崩壊が進んでいるようですし、こうして保護する必要がある状況は理解できますが、内部を見学できなくなってしまうのはもどかしいですね。(笑)


「西谷戸横穴墓群 その2」ー東京都指定史跡ー

 庚申塔も健在です。
 お堂が傾いているのもずっとこんな感じです。
 いずれ綺麗に建て替えられたらいいですね。

<参考文献>
町田市教育委員会『発掘された町田の遺跡』
現地説明版


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  1. 2019/07/27(土) 23:28:35|
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「富士塚(提灯塚)」

「富士塚(提灯塚)」

 今回は、町田市木曽東4丁目に所在する「富士塚」の探訪の記録です。

 この塚について、昭和36年に発行された『南多摩文化財総合調査報告』の122ページには「町田市木曽古墳」の名称で、
 木曽の東北端に位置する古墳で、頂部に三角点(106.4m)がある。周辺は畑でかなり変形し、又一部は墓地となっているが、径約15mの円墳で、高さ約2.5m内外であったと思われる。横穴式石室をもつものであろう。恩田川の最上流部に位置している。後期終末期のものであろう。
 と書かれています。
 どうやらこの時期には、この塚は古墳ではないかとも考えられていたようですが、最新の『東京都遺跡地図情報インターネット提供サービス』には、町田市の503番の「時代不明の塚」として登録されており、名称も「富士塚(提灯塚)」となっています。

 画像は、この富士塚を南東からみたところです。
 この角度から見ると、駐車場の向こう側にこんもりとした小山のような塚を見ることができます。かなり良好な状態で残されているようです。


「富士塚(提灯塚)」

 近寄ってみたところです。
 この塚の上にはかつて、それは枝ぶりの見事な、樹齢600年といわれた松の大木がそびえ立っており、「一本松」と呼ばれて地元木曽の名物だったそうです。この一本松は昭和27年、火の不始末により火が松に燃え移り、三日三晩燃え続けたのちに焼け尽くしてしまったといわれています。この際、消防車が駆けつけましたが、木の高さに水が届かずに見守るよりほかなかったそうです。周辺に高層ビルは存在しなかったと思われるこの当時、消防車の放水の高さには限界があっただと思いますが、残念だったと思います。。。


「富士塚(提灯塚)」

 『東京都遺跡地図』では、この塚の名称は「富士塚(提灯塚)」となっているのですが、町田市教育委員会より発行された『町田の民話と伝承』では、一本松の塚と提灯塚とは別々に記載されています。
 『町田の民話と伝承 第一集』には、提灯塚について次のように書かれています。

 提灯塚 本町田の字向村に塚があって、提灯塚と呼ばれていた。
 この塚のまわりを、息もつかずに三べん回ると、塚の中から提灯がヌッと出る…というのが名の起こりだという。
 しかし、この塚は事実「ちょうし塚…銚子塚、とっくり形に似た塚、前方後円墳の別名…」なので、呼び名が訛って「ちょうちん塚、提灯塚」となったのであろうと推測される。
 この塚も数年前にはくずされてしまい、いまは、そのへん一帯が住宅地となっている。(『町田の民話と伝承 第一集』96ページ)

 この記事からすると、一本松の塚と提灯塚は別々の塚であり、提灯塚は古墳であった、しかも前方後円墳であった可能性が指摘されています。
 この塚は、木曽からは多少離れた本町田にあったとされているようです。正確な所在地を知るところまでは至らなかったのですが、とても気になる存在です。


「富士塚(提灯塚)」

 塚には石段が設けられており、登ることができます。
 木曽観音堂に関連したものであるとされるこの塚は、吉祥山(観音堂)の鬼門にあたり、堂を造る際の地鎮祭に安全祈願のために造られたとされているようです。つまりは、富士信仰に基づき、富士講により築造された富士塚とは全く異質の塚で、ボク石(溶岩)や講碑等はみられません。


「富士塚(提灯塚)」

 塚の頂部の様子です。
 浅間社の祠と石碑が並んでいます。
 気になるのは、富士塚によくみられる、元々あった古墳を流用した塚である、なんてことはないのでしょうか。。。

<参考文献>
東京都教育委員会「多摩丘陵地域における古墳及び横穴の調査」『南多摩文化財総合調査報告』
町田市教育委員会『町田の民話と伝承 第一集』
町田市教育委員会『町田の民話と伝承 第二集』


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  1. 2019/07/22(月) 00:17:10|
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「つくし野横穴墓」 と、私が実際に経験した怖〜い話 その2

「つくし野横穴墓」

 今回紹介するのは、町田市つくし野1丁目に所在する「つくし野横穴墓」です。
 最新の『東京都遺跡地図情報インターネット提供サービス』によると、町田市の遺跡番号687番の「横穴墓」として登録されており、出土品として「水晶製切子玉」が記載されています。

 画像は、「つくし野殿山特別緑地保全地区」として保護されている緑地の一角を北西からみたところです。以前は複数の横穴が存在したようですが、現在は1基のみが給料斜面に残されています。


「つくし野横穴墓」

 横穴墓の様子です。現在は柵で塞がれているようですが、山崎町所在の「上山崎横穴墓」のようにコンクリートで塞がれてはいませんので、隙間から内部を覗くことはできるようです。


「つくし野横穴墓」

 横穴内部の様子です。
 とりあえず、この場所に横穴墓が存在するとは、事前に調べて訪れない限りは、ほとんど誰も気がつかないと思われるのですが、この「つくし野横穴墓」や、前回取り上げた「上山崎横穴墓」も含めて、説明板があれば良いのになあと思うのですが、難しいのでしょうかね。。。




 さて、話は変わって、今回も古墳とはまったく関係のない、私が実際に経験した怖~い話、その2です。。。

 私が二十代後半くらいの頃だったと思いますが、当時私は、23区内のJR沿線のとある駅近くのワンルームマンションに暮らしていました。

 ある日、地元の親友が泊まりで遊びに来ることになり、夜遅くまで酒を飲みながら話も弾み、そのまま自宅に戻って、さらに買い込んだ酒を飲んで、そのままなんとなく雑魚寝になりました。
 しばらくして、人の気配がして目を覚ますと、私に目の前に友人が仁王立ちしているんですね。肩幅くらいに足を開いて、緑色のカーゴパンツを履いた下半身が目の前に見えるのですが、私は横になっているので上半身までは見えません。いったいこいつはこんな夜中に何をしているのだろうと思いました。
 足の位置からして、壁から30cmくらいの至近距離で壁を見つめるような姿勢で、全く動かずにじっとしています。友人が立っているちょうど正面あたりの壁には時計がかかっていましたので、時計を見ているのかな、とも思いましたが、なんせかなりお酒が入っていましたし、面倒なので声をかけることはせずに寝たふりをして、そのまま本当に寝てしまいました。

 朝、目が覚めてから、なんとなく昨夜のことを思い出し、
 「一体何をしていたんだよ?」
 と尋ねてみましたが、友人曰く
 「あれだけ呑んで、夜中にそんな意味不明な行動をするわけねえだろう?朝まで熟睡してたよ」
 ということなんですね。

 そう言われればそうだよなあ、と思いながらふと友人の下半身を見ると、青いジーンズを履いています。よくよく思い出してみると、昨夜、待ち合わせ場所で会ったときからジーンズ姿だった記憶があります。
 それで、
 「まさか昨夜、寝るときに緑色のカーゴパンツになんて履き替えていないよな?」
 と尋ねると、
 「履き替えとらんわい」
 という返事。

 じゃあアレは一体誰だったんだよ。。。

<参考文献>
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』


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  1. 2019/07/20(土) 01:20:07|
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