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古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

「あきる野市№59-8(草花古墳群8号墳)」

「草花古墳群8号墳」

 画像は、あきる野市草花にある「草花古墳群8号墳」を南から見たところです。あきる野市の遺跡番号59-8番の古墳です。

 草花には、四八塚があったという古老の言い伝えがあるそうで、明治の初め頃までは現在よりはいくつかの古墳が残されていたようです。近年の開墾や宅地化により多くの古墳は失われたようですが、『東京都遺跡地図』のインターネット公開版には現在、1号墳から11号墳までの11基の古墳が記載されています。

 「草花古墳群8号墳」は、南に張り出した舌状台地の突端部西側に所在しています。この古墳は平成4年に行われた確認調査により把握されており、平成7年(1995)に発行された『多摩地区所在古墳確認調査報告書』に、この古墳について次のように書かれています。


3-8.(草花古墳群)
遺跡地図番号…秋川・五日市(あきる野)59-8
所在地…………秋川市草花1333付近
占地状況………台地縁辺。7号墳と同じ舌状台地の突端部東側に位置する。
墳丘……………残存?
主体部…………南側に向かって下がる台地の斜面に、北側の住宅と南側の栗林とを区画するための河原石による高さ50cm程の石垣が設けられているが、この石垣の一部に南側の栗林に向かって半円状に突き出した高さ50cm程の河原石の塊が認められる。この部分は他の部分と石の積み方が異なり、変則的になっている。規模等、詳細は不明だが、この突出部分が石室の石積み部分と思われる。
(『多摩地区所在古墳確認調査報告書』52ページ)


 画像は、現存する「半円状に突き出した河原石の塊」を南から見たところです。果たしてこの地下に石室が残されているのでしょうか。
 この古墳の西50mには「草花古墳群7号墳」も存在しています。

<参考文献>
秋川市史編纂委員会『秋川市史』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』

  1. 2015/05/10(日) 00:51:33|
  2. あきる野市/草花古墳群
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「あきる野市№59-9(草花古墳群9号墳)」

「草花古墳群9号墳」

 画像は、「草花古墳群9号墳」の跡地を西から見たところです。『東京都遺跡地図』にはあきる野市の遺跡番号59-7番の古墳として登録されています。

 この古墳は、秋川市教育委員会により平成5年(1993)に行われた市道敷設工事に先立つ緊急発掘調査により発見された古墳で、埋葬施設が検出されています。この石室は、瀬戸岡古墳群等この周辺に多くみられる、地面を長方形に掘り、川原石を小口積みにして主体部を形成するという手法が用いられています。石室内からは直刀1振、刀子3本、その他鉄製品数点が出土しており、特に直刀は鍔(つば)や鞘金具が残されており、良好な状態で出土したようです。
 石室は、画像中央の道路と駐車場の境目あたりから発見されたようですが、現在もまだ地中に残されているのでしょうか。

「草花古墳群9号墳」

 南東に40m程の地点には畑地の隅に大きな石がいくつか置かれている場所があります。最初に訪れたときにはこの箇所が古墳の跡地かと思いましたが、そうではないようです。発見された9号墳のかなり近い位置に「草花古墳群3号墳」が存在したといわれていますが、ひょっとしてこの3号墳となにか関係があるのでしょうか。手前の道路の部分は発掘が行われており、古墳に関係する遺構は見つかっていないようですが、ちょっと気になる場所です。。。

<参考文献>
秋田3・4・6号線草花地区調査団『草花遺跡』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』

  1. 2015/05/09(土) 01:23:33|
  2. あきる野市/草花古墳群
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「あきる野市№59-10(草花古墳群10号墳・仮称草花6号墳)」

「草花古墳群10号墳(仮称草花6号墳)」

 画像は、「草花古墳群 10号墳」の跡地と思われる周辺を南から見たところです。『東京都遺跡地図』にはあきる野市の遺跡番号59-10番の古墳として登録されています。

 この古墳は、平成4年(1992)に行われた住宅建設に先立つ発掘調査により発見された古墳です。残存状態は悪く、盛土はすでに失われて周溝のみが検出されています。埋葬施設(石室等)もすべて失われていましたが、川原石が若干残されていたことと、この地域で古墳の石組みを崩して工事を行ったという伝聞もあることから、元々は礫による石室が存在したのではないかとも考えられているようです。規模は約10mの円墳で、6世紀後半の築造と推定されています。

 画像のように、古墳の跡地のあたりで道路がクランクになっているあたりがいかにも古墳の跡地っぽく感じてしまうのですが、この形状は古墳には関係ないのでしょうか。この道の右側あたりが古墳の跡地となりますが、すでに宅地化されて道路も舗装されており、痕跡は何も残されていないようです。ただし、平成7年(1995)に多摩地区所在古墳確認調査団より発行された『多摩地区所在古墳確認調査報告書』には「宅地造成により一部破壊」と書かれていますので、周溝の一部は地中に残されているのかもしれませんね。。。

<参考文献>
財団法人 たましん地域文化財団『多摩のあゆみ 第71号』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』
秋多3・4・6号線草花地区調査団『草花遺跡』

  1. 2015/05/08(金) 02:20:37|
  2. あきる野市/草花古墳群
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「あきる野市№59-11(草花古墳群11号墳)」

「草花古墳群 11号墳」

 平成7年(1995)に秋川市と五日市町の合併により誕生したのが現在のあきる野市です。このあきる野市東部に、平井川と秋川により形成された河岸段丘である「草花遺跡」と重複する範囲に所在する古墳群が「草花古墳群」です。『秋川市史』によると、草花地区にはかつて48塚があったという古老の言い伝えが残されており、明治の初年頃までは多くの古墳が残されていたことは確かなようです。そのほとんどは開墾等や後の宅地造成により消滅しており、現在『東京都遺跡地図』に登録されている古墳は11基のみですが、近年には新たに2基の古墳の周溝が検出されており、この一帯にはかなり多くの古墳が存在したと推測されています。
 草花遺跡においては、故塩野半十郎氏によりかなり広範囲で発掘が行われており、昭和11年(1936)に「草花第一遺蹟」、「草花第二遺蹟」と呼ばれる近接する2地区が発掘調査されています。第一遺蹟からは、縄文時代の竪穴住居1軒のほかに周溝内径14.5m、幅1.7m、深さ0.8mの馬蹄形集溝が検出され、また第二遺蹟からは周溝内径10.255m、幅1.5m、深さ1.5m程度の馬蹄形集溝が検出されています。当時これらは謎の遺構として論議の的になったそうですが、現在は古墳の周溝として認識されており、「草花第一遺蹟」のみが「草花古墳群 11号墳」として『東京都遺跡地図』に登録されています。この古墳の正確な跡地はわからなくなっているようですが、近隣住民の情報等により大体の位置が推定されており、周溝は今でもこの畑地のどこかに眠っている可能性が高いようです。

 画像は、「草花古墳群 11号墳」の所在地とされる周辺を南西から見たところです。『東京都遺跡地図』には、あきる野市の遺跡番号59-11番の古墳として登録されています。


あきる野市 59-11 草花古墳群11号墳

 さて、塩野半十郎氏とは西多摩郡多西村草花(現あきる野市草花)の農家出身で、農業のかたわら八王子市の楢原遺跡など多摩地方の縄文時代遺跡を掘り続け、農業知識を生かした独特の研究により実験・復元考古学に軌跡を残した人物です。多摩川の洪水で埋まった水田の復旧事業や、花菖蒲や水仙の品種改良にも取り組み、農民としても業績を残しています。実現はしなかったものの縄文ムラの建設を夢見て準備を進め、加住丘陵の宮下遺跡で発掘した縄文中期の深鉢型土器は昭和49年度の重要文化財に指定されており、亡くなる2年前には自宅に保管中の770件の資料を東京国立博物館に寄贈しており、「塩野コレクション」として収蔵されています。かつて「土の巨人」とも呼ばれた塩野氏はその後、昭和59年9月27日に死去しています。
 故塩野半十郎氏はこの発掘調査の写真撮影の為に個人でカメラマンを雇っているそうですが、この当時の人夫の日当が約1円、土地一坪1円にもならない時代になんと!280円の契約で雇っており、これは現在の500万円以上の金額なのだそうです!
 昔も今も、好きでやっている人の情熱に勝るものはないのかもしれませんね。私ももっと仕事に頑張らなくてはいけません!

<参考文献>
秋川市史編纂委員会『秋川市史』
塩野半十郎『多摩を掘る』
椚國男『土の巨人 -考古学を拓いた人たち-』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』
秋多3・4・6号線草花地区調査団『草花遺跡』

  1. 2015/05/07(木) 00:38:55|
  2. あきる野市/草花古墳群
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