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古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

「御堂上古墳群 4号古墳」

「御堂上古墳群 4号古墳」

 「御堂上古墳群 4号墳」は、あきる野市草花上御堂に所在するとされる古墳です。『東京都遺跡地図』にはあきる野市の遺跡番号47-4番の古墳として登録されています。

 この古墳は、平成4年(1992)に多摩地区所在古墳確認調査団により行われた確認調査、分布調査により把握されています。その後、平成7年(1995)に発行された『多摩地区所在古墳確認調査報告書』にはこの古墳について次のように書かれています。

 1-4 (御堂上古墳群)
遺跡地図番号:秋川・五日市(あきる野)47-4
所在地:秋川市草花上御堂
占地状況:平井川左岸の段丘崖下
墳丘:消滅。林の中に石が円形状に残っている。
主体部:内容不明。
備考:古墳か否か不明。
(『多摩地区所在古墳確認調査報告書』50ページ)


 この4号古墳は、あきる野市立御堂中学校北側の段丘崖下の、御堂中学校側のフェンスと崖の間のわずかな敷地の林の中に所在するものと思われます。画像の崖際のあたりが古墳の所在地であると思われますが、この場所も冬に訪れても藪の中で、円形に残された石がどこに存在するのかさっぱりわかりません。『東京都遺跡地図』には「古墳(円墳) 径9.8m [古]葺石?」と規模についても明記されており、径9.8mといえばかなり大きな痕跡であるはずなのですが、残念ながら痕跡を見ることはできませんでした。この古墳だけ崖下に存在するということには違和感を感じるのですが、古墳は消滅してしまったのでしょうか。

 農作業をしていた地元の古老の男性からお聞きしたところでは、この4号古墳の東側、現在のあきる野市立多西小学校の南側から南西側あたりの畑からは、未確認の古墳が発見されたようなこともあったそうですが、こういった古墳のほとんどは埋め戻されていて正確な所在地はわからなくなっているそうです。このお話からすると、東方に所在する「北小宮古墳」から4基の御堂上古墳群まで連続する古墳群が形成されていたのではないかと推測されます。この周辺も宅地化が進んでいるようですが、今後、調査が行われることがあれば、未確認古墳発見の可能性は高そうです。。。

<参考文献>
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』


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  1. 2017/03/11(土) 20:26:08|
  2. あきる野市/御堂上古墳群
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「御堂上古墳群 3号古墳」

「御堂上古墳群 3号古墳」

 画像は、「御堂上古墳群(みどううえこふんぐん) 3号古墳」を南から見たところです。あきる野市草花に所在する古墳で、『東京都遺跡地図』にはあきる野市の遺跡番号47-3番の古墳として登録されています。

 昭和58年(1983)に秋川市より発行された『秋川市史』にはこの古墳について「(前略)台地の南には、深さ10メートルの谷をはさんで平井川によって切り取られた様相を示す。独立した台地の一部が残っており、あたかも、その景観はさながら前方後円墳のごとき残形を偲ばせ、平井川面に張り出している。この古墳状の自然地形を利用して、その頂部の雑木林には、円墳状の古墳が所在しており、葺き石と思われる石が所々に露出している。現況での古墳の大きさは、東西約14.8メートル、南北14.5メートル、高さ1.4メートルをはかり、標高は海抜154.3メートルであり、直下の平井川との比高差は約14メートルである。」と書かれています。

 その後、平成4年(1992)には多摩地区所在古墳確認調査団により確認調査、分布調査が行われています。平成7年(1995)に発行された『多摩地区所在古墳確認調査報告書』には次のように書かれています。

遺跡地図番号:秋川・五日市(あきる野)47-3
所在地:秋川市草花2776付近
占地状況:台地(平井川左岸の段丘突端部だが、北側に深さ約10mの谷が存在するために独立丘
     の様になっている。)
墳丘:雑木林の中に円墳上の墳丘が残存。径約14m、高さ約1.4m。墳丘上には葺石と思われ
   る石が見られる。
主体部:内容不明
(『多摩地区所在古墳確認調査報告書』49~50ページ)



「御堂上古墳群 3号古墳」

 画像は、御堂上古墳群3号古墳を東から見たところです。古墳はちょうど小宮久保会館の北側の丘陵上にあり、素人目に見てもこのマウンドは自然地形ではなく、人工的に造られた盛り土のように感じられます。段丘突端部に存在するため南側から見るとかなり大きな古墳に見えますが、地元の人にお聞きしたところでは、平井川は何度も氾濫していて周辺の崖が崩れたこともあったそうです。古墳を大きく見せるために計算して造られたようにも感じられますが、築造当時はこの段丘がもっと南に張り出していてその台地上に造られていたという可能性もあり得るように思います。
 古墳の形状は、『秋川市史』にあるように、南に後円部、北に前方部という前方後円墳のようにも感じられるのですが、この地域の前方後円墳の存在は考え難いところですし、やはり円墳なのでしょうか。表面観察したところでは、確かに葺き石と思われる河原石が見られるのですが、積石塚である可能性も考えられるように思います。
 私が最初に訪れたのは真夏でしたが、古墳の周囲は物凄い藪で、しかも蜘蛛の巣だらけでとても近寄る気になりません。画像は冬の終り頃に撮影した画像ですが、冬でもすごい藪で、墳丘全体を把握できるような写真を撮ることが出来なかったのが残念なところです。

<参考文献>
秋川市史編纂委員会『秋川市史』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』


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  1. 2017/03/09(木) 23:27:05|
  2. あきる野市/御堂上古墳群
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「御堂上古墳群 2号古墳」

「御堂上古墳群 2号古墳」

 画像は、あきる野市草花に所在したとされる「御堂上古墳群 2号古墳」の跡地と思われる周辺です。『東京都遺跡地図』にはあきる野市の遺跡番号47-2番の古墳として登録されています。

 昭和58年(1983)に秋川市より発行された『秋川市史』にはこの古墳についての記述が見られ、「また、前述した、台地上の破壊された古墳の東、約150mの南西向の緩斜面にも、古墳が存在していたという。この古墳は昭和9年当地点を開墾のおりに破壊され、この開墾を記憶されている、羽ケ田の小林泰男氏の語るところによれば、詳細についての記憶は、おぼろげであるが、墳頂の高さは約3~4メートルあり、円周も約30メートルぐらいで、こんもりと盛り上がって一見目立って見えたといわれる。出土遺物は、直刀4振は現存しており、鉄鏃がこいざる(径50cm、高さ50cmのカゴ)一ぱい分も出土したという。」と書かれています。

 『東京都遺跡地図』に記された位置からすると画像の周辺が跡地ではないかと思いますが、この台地の上は整地されて送電線の鉄塔が建てられており、古墳の痕跡を見ることはできません。ただし、『秋川市史』の「破壊された古墳の東、南西向の緩斜面」という記述には一致する場所であるように思いますが、距離については破壊された古墳から約50m足らずの場所で、”約150m”という秋川市史にある距離とは一致せず、古墳の正確な跡地はよくわかりませんでした。
 地元の人の口伝や遺物が残されていることからすると、少なくともこの周辺に古墳が存在したことは間違いないと思われ、また墳丘の残る3号墳や石室の石材が残されている1号墳の存在を考えると、古墳群が形成されていたことも間違いないと思われます。今後、未発見の古墳が発見される可能性もあるかもしれませんね。。。

<参考文献>
秋川市史編纂委員会『秋川市史』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』

  1. 2015/05/04(月) 23:08:59|
  2. あきる野市/御堂上古墳群
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「御堂上古墳群 1号古墳」

「御堂上古墳群 1号古墳」

 「御堂上古墳群」は、平井川と支流鯉川が合流する地点の東の台地上、あきる野市草花に所在する古墳群で、現在4基の古墳が登録されています。このうちの1基、「御堂上古墳群 1号古墳」は破壊されて消滅したとされている古墳ですが、多くの痕跡が残されています。『東京都遺跡地図』には、あきる野市の遺跡番号47-1番の古墳として登録されています。

 昭和58年(1983)に秋川市より発行された『秋川市史』にはこの古墳について、「(前略)この地点に、草花陽向寺開山の、玉仲大和尚が応永年中創立したという地蔵堂があり、この地蔵堂の南の台地の縁部には、現在は墓地が何基かがある。この墓地の崖上の南縁にずり落ちそうな状態で、青苔の密生した、石灰岩の高さ1.50メートル、幅1.20メートル、厚さ約30センチの平板な石があり、その近くにも大きな自然石が転んでいる。この石が明治の初めのころか破壊された古墳の石蓋又は奥壁の石として使用されたものであると伝えられているが、詳かなことは不明である。」と記載されています。これは、平成4年(1992)の多摩地区の分布調査、確認調査の詳細が載せられている『多摩地区所在古墳確認調査報告書』にも同様の記述がみられます。

 最初の画像は、応永年中創立したといわれる地蔵堂を南西から見たところです。


「御堂上古墳群 1号古墳」

 画像は、地蔵堂を北から見たところです。この地蔵堂の南側(右奥)に墓地が見えますが、(秋川市史に書かれた当時よりはかなり広くなっている印象)さらにその奥に石材と思われる石が残されています。恐らくこの墓地の辺りに古墳が存在したのではないかと思いますが、正確な跡地はわかりません。


「御堂上古墳群 1号古墳」

 画像が、秋川市史にある”地蔵堂の南側にある墓地の南側”のようすです。”崖上の南縁にずり落ちそうな状態”で存在したといわれる石室材は、現在は多くの石造物とともに立てられて祀られています。一番右側の自然石が奥壁で、真ん中と左が天井石か?と勝手に妄想してしまいますが、よくぞ残っていた!という感じですね。

 平成7年(1995)に発行された『多摩地区所在古墳確認調査報告書』にはこの古墳について次のように書かれています。


 1-1 (御堂上古墳群)
遺跡地図番号:秋川・五日市(あきる野)47-1
所在地:秋川市草花
占地状況:台地縁辺
墳丘:消滅
主体部:消滅?1.5×1.2m、厚さ約30cmの扁平な石があり、その近くに大きな河原石が転がっていることによる。
(『多摩地区所在古墳確認調査報告書』80ページ)



「御堂上古墳群 1号古墳」

 画像は、真ん中の天井石と思われる一番大きな石材です。見下ろすように撮ったために実際より小さく見えますが、土中に埋まっている部分も考えると「高さ1.50メートル、幅1.20メートル、厚さ約30センチ」は妥当な印象です。同じあきる野市内の瀬戸岡に残されている、埋葬施設の天井石であるといわれている「亀の子石」によく似ている気がします。。。


「御堂上古墳群 1号古墳」

 現地で見学していた時には全く気が付かなかったのですが、左側の石にはよく見ると後世に刻まれたらしき文字が見えます。


「御堂上古墳群 1号古墳」

 ”墓地の崖上の南縁”には現在、祠が祀られています。この祠が古墳の墳丘上に祀られていたものか、それとも古墳が破壊された後に祀られたものかはわかりませんが、祠の土台の部分とその周辺には、これも古墳の石室材の可能性を感じさせる多くの河原石が見られます。このあたりが古墳のかつての所在地なのでしょうか。


「御堂上古墳群 1号古墳」

 祠の数メートルほど北側には、河原石が集められている場所が見られます。破壊された石室に使われた河原石がここに集められているのか、それともこの場所が石室の存在した地点となるのか、それとも全く関係ないのか、何とも思わせぶりな場所でした。。。

<参考文献>
秋川市史編纂委員会『秋川市史』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』

  1. 2015/05/02(土) 21:43:39|
  2. あきる野市/御堂上古墳群
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