古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

「八王子市№86遺跡・№87遺跡」

八王子市 №87遺跡(西中野古墳)

 『東京都遺跡地図』には、八王子市中野上町5丁目に「八王子市№86遺跡」と「八王子市№87遺跡」という2基の塚が登録されています。
 この2基の塚は、古くは古墳ではないかとも考えられていたようです。八王子市史編さん委員会により昭和42年(1967)に発行された『八王子市史 下巻』掲載の「八王子市内古墳分布一覧表」には「西中野古墳」という名称で記載されており、「現存2基」と書かれているこの西中野古墳が、現在の『東京都遺跡地図』に記載の「№86遺跡」と「№87遺跡」であると思われます。ただし、八王子市史には埋葬施設や出土遺物等についての記録はなく、「円墳」とのみ書かれているようです。
 その後、平成7年(1995)に発行された『多摩地区所在古墳確認調査報告書』の「多摩地区所在の塚」の項には、多摩地区に所在する「古墳か塚かの区別が不明瞭な」塚について取り上げられており、この№86遺跡と№87遺跡の2基の塚が記載されています。同書によると、2基の塚の所在地は「中野上町5丁目3307番地」と、2基ともに同じ番地内に所在とされ、昭和36年に行われた調査により「富士塚かあるいは境塚」ではないかと推定されています。また、規模について、№86遺跡は径40m、高さ1.5m。また№87遺跡は径10m、高さ1.5mとされています。

 画像はこのうちの1基、「№87遺跡」の跡地と思われる地点を西から見たところです。この塚は、戦後の空中写真等でもはっきりとその姿を確認することが出来ますので、この場所が跡地である可能性は高そうです。塚は完全に削平されて消滅しているようですが、道路が二股にわかれているあたりは塚の痕跡といえるのかもしれません。


八王子市 №86遺跡(西中野古墳)

 画像は、「八王子市№86遺跡」の跡地周辺のようすです。『東京都遺跡地図』に記されている位置からすると、画像の周辺に№86遺跡が存在したのではないかと思われますが、こちらの塚は戦後の空中写真等でも塚の影がはっきりと確認できず、正確な所在地がわかりません。
 2基の塚の発掘の記録であるとされる、昭和40年(1965)発行の『武蔵野』や翌年発行の『日本考古学年報』を確認してみました。同書によると、塚は東京都教育委員会により浅川流域文化財総合調査の一環として、昭和40年8月10日から13日にかけて発掘調査が行われており、所在地は「3126番地」とされています。また、塚の規模についても、直径約15m×17m、高さは南側裾部より1.5mとされ、『多摩地区所在古墳確認調査報告書』に記載されている地番や規模とは若干の違いが見られるようです。
 塚は截頭円錐形に近い墳形を示していたとされ、土質は黒褐色有機土を主としていたようです。墳丘中央部の墳頂下65cmの位置に、径1m範囲に不整形に河原石が敷き詰められていたようですが、配石の状態は埋葬施設とするには雑な小形の遺構であり、また副葬品に類するものも何も出土しなかったことから、このマウンドは古墳ではなく、近世に築造された塚であると考えられているようです。
 この記述からすると、発掘された塚が「№86遺跡」と「№87遺跡」のどちらかにあたるのか、または全く別の3基目の塚が存在したのかよくわからなかったのですが、少なくとも複数の塚がこの周辺に存在したことは間違いないようです。


八王子市 №86遺跡(西中野古墳)2

 戦後の空中写真を参考に、画像の道路の突き当たりあたりが「№86遺跡」の所在地ではないかとも推測しました。
 まっすぐに道路が延びて突き当たるという形状や、突き当たりの場所が一段高い台地の縁辺部にあたるあたりも塚の跡地を思わせるのですが、痕跡は何もなく、真相はわかりません。


八王子市 №87遺跡周辺0
出典:国土地理院ウェブサイト(http://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=412518&isDetail=true)

 画像は、国土地理院ウェブサイトより公開されている、昭和36年に国土地理院により撮影された空中写真で、中野上町5丁目周辺を見たところです。あくまで空中写真ですので、地上の立体的な地形まではわかりませんが、2基の塚の他にも、古墳か塚なのかな?とも思えるような円形の木立が見られます。画像の右側あたりに、南側からまっすぐに伸びた道が木立に突き当たって止まっているようすを複数箇所、見ることができます。
 これらの木立の存在が気になってしまって、2基の塚跡の見学のついでにぶらりと廻ってみました。


八王子市 №87遺跡周辺1

 1ヶ所目は、おそらくは個人の墓地であると思われます。この一角だけは宅地化されずに残されており、かなり古い石造物も見られるようですが、特に塚状に高くなっているような状況は見られないようです。


八王子市 №87遺跡周辺2

 墓地の敷地の内部のようすです。かなり古い石造物が残されているようですが特に塚状に盛り上がったようすは見られないようです。


八王子市 №87遺跡周辺4

 2ヶ所目も、同じように個人の墓地であるようです。特に塚状のマウンドは見られませんが、背後に鳥居が立てられており、祠が祀られているあたりは気になるところです。。。


八王子市 №87遺跡周辺5

 2ヶ所目の墓地の背後に祀られている祠です。このあたりは多少の段差があり、墓地と祠の地点が高くなっているのは気になります。。。


八王子市 №87遺跡周辺6

 3ヶ所目は画像の道路の突き当たりの場所です。やはり墓地となっているようですが。。。


八王子市 №87遺跡周辺7

 3ヶ所目の敷地内のようすです。
 墓石が並ぶ背後がマウンド状に小高くなっており、塚跡かな?とも考えられますが、詳細はわかりません。。。


八王子市 №87遺跡周辺8

 最後の場所は一番西側の木立ですが、開発により集合住宅の建設が行われ、すでに整地されてしまっていました。が、木立のあった場所が小公園となっており、敷地内に円形の塚状のマウンドが!どういう意味があるのか(ないのか)、この一帯は長らく発掘調査が行われていたようですが、現地には特に説明板等もなく、図書館で調べたところでも、調査報告書の類も見つけることができず、やはり詳細は不明です。


八王子市 №87遺跡周辺9

 探訪の最後に、喉を潤すために立ち寄った駄菓子屋さんです。懐かしのラムネをいただきました。
 私の少年時代には、こういった駄菓子屋さんがたくさんあったんですけどね。


八王子市 №87遺跡周辺10

 駄菓子屋さんの中には驚きの事実が!なんと、駄菓子屋さんなのに、あ店の中には、憧れの「ヘラクレス大カブト」や「アトラス大カブト」の実物が売られているではありませんか!(もちろん生きている)
 お店の奥様にお聞きしたところでは、周辺地域の少年少女や、その親御さんに売れていて、商売としてバッチリ成り立っているそうです。時代は大きく変わっているなぁと、ぶっ飛んでしまいました。笑。
 私の少年時代にこれを見たら、やっぱり買ってしまうんじゃないかなぁ。
 うん、いい時代かもしれないです。このお店、お薦め!!!

<参考文献>
梅沢重昭「八王子市中野町所在の円墳形態を示す遺構について」『武蔵野 第44巻 第1号』
日本考古学協会『日本考古学年報14』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』


人気ブログランキングへ

  1. 2018/04/05(木) 00:12:20|
  2. 八王子市
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

「五輪塚」

「五輪塚」

 画像は、八王子市楢原町にある「神明神社」を南から見たところです。楢原町の最も東にある神社で、創建年代は不明であるようですが、延宝丙辰年当村中村七左衞門が再建、其の後明治9年2月橋本義篤起元となりて改築す、と記録されています。
 この神明神社の背後の台地上には、「五輪塚」と呼ばれる、古墳ではないかとも考えられる塚があったといわれています。


「五輪塚」

 五輪塚は、合戦で死んだ武士を埋葬したところであるとの言い伝えが残されており、また、刀が出土したことがあることから「刀塚」であるともいわれているようですが、学術的な調査が行われていないことから塚の性格まではわかりません。地元の人の話では、往時には大きな土盛りの塚の上に五輪塔が祀られており、この塔は「五輪様」と呼ばれ、塚は「五輪塚」と呼ばれていたようです。
 『川口の郷土史』によると、この五輪塔は、かつて塚のあった場所からは少し移されて、楢原町223番地の畑の一角に祀られていると記されています。同書が刊行された昭和63年からは周囲の状況は変わり、宅地化が進んでいるようですが、223番地の一角には塚跡らしき墓地が残されています。「五輪様」と思われる古い五輪塔は見られないようですが、ここが五輪様の場所なのでしょうか。。。


「五輪塚」

 角度を変えて、墓地を東から見てみました。こちらから見ると、塚跡らしき形状にも見えます。

 残念ながら、かつて存在したという五輪塚の所在地も、現在の五輪塔の所在も突き止めることはできなかったのですが、この地域の、古墳かもしれない塚の貴重な伝承ということで、取り上げてみました。
 楢原の古墳群の全貌が解明される日が楽しみですね。。。

<参考文献>
川口地区社教郷土史研究会十周年記念誌編集委員会『川口の郷土史』


人気ブログランキングへ

  1. 2018/04/03(火) 00:49:58|
  2. 八王子市
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

「鹿島古墳」

「鹿島古墳」

 画像は、八王子市楢原町にある「鹿島神社」を東から見たところです。
 楢原全体の村社であるこの神社の祭神は武甕槌命(たけみかづちのみこと、武勇の神様)で、寛永21年(1644)に社殿が造立され、明治7年に改築された現在の社殿は権現造りで、左手に神楽殿を配するものです。
 この神社の境内には、「鹿島古墳」と呼ばれる古墳が残存します。『東京都遺跡地図』には、八王子市の遺跡番号81番に登録されている古墳です。


「鹿島古墳」

 この古墳は、北側を川口川に、また南側を浅川により区切られた台地上に存在します。同じ台地上には、現在も「鹿島北古墳」や「一本松古墳」が残されています。(『八王子市史 下巻』によると、この「鹿島古墳」の東200mの地点には「西中野古墳」と呼ばれる2基の古墳が存在したといわれていますが、この2基は発掘調査により、後世に盛られた「塚」であることがわかっています。)
 この鹿島古墳の最初の発掘は昭和初年(1926)、秋川街道の拡張工事に伴って縄文時代の多数の土器が発見された際に有志の人々の手により行われていますが、残念ながら報告は行われなかったようです。また、この際に直刀、刀子の類いが発見されたと伝えられていますが、これも残念ながら現存していないようです。この石室は掘り起こされたまま放置され、その後はなんと!周辺の人々のゴミ穴となっていたそうです。
 その後、昭和41年(1966)5月に、佐々木蔵之助氏が市内の高校生有志の協力を得て、記録を残すために、石室内部をじん芥の除去と測量調査が行われています。
 古墳の最初の発掘の際には、径5m、高さ0.5mとわずかながらも墳丘が残っていたようですが、この昭和41年の調査時には地表の墳丘部分は遺存しなかったようです。埋葬施設は、奥壁幅1.24m、玄室長さ3.3m、羨道幅0.76m、長さ1.7mの、河原石を積み上げて構築された片袖式の横穴式石室で、遺存状態が良好であった羨道部壁では10段が残り、1.4mの高さが計測されています。

 画像は、鹿島神社の境内のようすです。埋め戻された鹿島古墳の正確な位置はわからなくなっているようですが、どのあたりに残されているのでしょうか。


「鹿島古墳」

 社殿の南側には、稲荷社が境内末社として祀られています。これは、地元の橋本一家の稲荷を境内に移したもので、祭神は倉稲魂命です。
 八王子市郷土資料館から平成21年に発行された『多摩の古墳』によると、「現在でも、鹿島神社の拝殿脇から裏にかけて、わずかな高まりが残っている」と書かれているようですが、確かにこの祠のさらに南側に、わずかな地膨れのような高まりが見られるようです。横穴式石室はこの地下に残されているのでしょうか。


「鹿島古墳」

 社殿西側にも、怪しい河原石が散乱しているようです。いかにも地中から掘り出されたような印象ですが、古墳と何か関係があるのでしょうか。鹿島古墳は、遺物が出土していないことから古墳の築造年代は不明ですが、掘り方内に構築した片袖型式の胴張り石室が船田古墳に類似することから、7世紀中頃の築造が推定されているようです。


「鹿島古墳」

 鳥居をくぐった北側にも、多数の河原石が散乱しています。むむむ、怪しい。。。笑。


「鹿島古墳」

 境内の北側には竹林が残されています。この辺りにも、古墳が残されていないか期待が高まってしまいますね。笑。
 神社の境内に古墳が残存することは間違いがないところなので、再調査が行われる日が待ち遠しい古墳ですが、見学会が行われることを願っています。。。

<参考文献>
八王子市史編さん委員会『八王子市史 下巻』
川口地区社教郷土史研究会十周年記念誌編集委員会『川口の郷土史』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』
八王子市郷土資料館『多摩の古墳』


人気ブログランキングへ

  1. 2018/04/01(日) 22:51:36|
  2. 八王子市
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

「鹿島北古墳」

「鹿島北古墳」

 画像は、八王子市楢原町に所在する「日枝神社」を北から見たところです。この神社の境内に所在するとされる古墳が「鹿島北古墳」です。『東京都遺跡地図』には、八王子市の遺跡番号1026番の古墳として登録されています。

 この古墳は、北側を川口川に、また南側を浅川により区切られた台地上に存在します。周辺には鹿島神社境内に所在する「鹿島古墳」や「一本松古墳」が残存しており、また現在は開発により消滅してしまった古墳と思われる塚の伝承も残されており、古墳群が展開していたのではないかとも考えられているようです。
 画像中央の鳥居の奥に見えるのが「鹿島北古墳」です。


「鹿島北古墳」

 この鹿島北古墳については、発掘調査が行われていないために埋葬施設や周溝、出土遺物については不明ですが、平成5年には多摩地区所在古墳確認調査団により確認調査が行われており、『多摩地区所在古墳確認調査報告書』には次のように記されています。

墳 丘:直径約3m、高さ約0.7mの地膨れが残る。
主体部:内容不明
備 考:日枝神社の祠が祀られている。
    付近に存在した古墳を合祀したという地元民の話も伝わる。
(『多摩地区所在古墳確認調査報告書』10ページ)



「鹿島北古墳」

 南西から見たから見た鹿島北古墳。
 「高さ約0.7m」という『多摩地区所在古墳確認調査報告書』の記述よりも、さらに削られてほとんど高さは残されていないように見えます。「付近に存在した古墳を合祀した」という伝承も気になるところですが、かつては、多くの古墳が存在したのでしょうか。。。

<参考文献>
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』


人気ブログランキングへ

  1. 2018/03/29(木) 00:15:55|
  2. 八王子市
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

「一本松古墳」

「一本松古墳」

 画像は、八王子市楢原町にある「一本松古墳」を南から見たところです。『東京都遺跡地図』には、八王子市の遺跡番号1025番の古墳として登録されています。
 この一本松は、周辺地域では古くから知られた場所で、江戸地代の地誌『新編武蔵風土記稿』には「一本松 村の中程なり、ここに一箇の塚ありて其上に老松孤立するを以此名ありと云、さはいえど一株の松にはあらで、雌木雄木の二本あり、ともに周廻一囲半にあまれる、由来は詳かなら」と記されています。同書にあるようにこの一本松は塚の上にあったといわれており、この塚は古墳ではないかと考えられているようです。
 この場所は、北側を川口川に、また南側を北浅川により区切られた台地上に存在します。南東に300~400メートルほどの地点には「鹿島古墳」や「鹿島北古墳」が所在しており、またその周辺には幾つかの古墳らしき塚の言い伝えもあり、立地的にはこの一本松が古墳である可能性は十分に考えられるところです。
 地元の住民の方に聞いたところでは、古くからあった一本松は倒れて朽ち果ててしまったものの、残されていた古株から新しい松が生えてきたのだそうで、地名の由来となった一本松はかなり成長しているようです。
 

「一本松古墳」

 画像は、古墳の残存部分であると思われる、一本松の根元の塚状のマウンドを西から見たところです。この古墳は発掘調査が行われていないため、塚の性格は明らかにされていないのですが、平成5年度には確認調査が行われており、『多摩地区所在古墳確認調査報告書』には、「道路により削平されているが、墳丘東側が残存。残存する高さは1.0~1.3m、直径は10m前後。」と書かれています。


「一本松古墳」

 北西から見た一本松古墳のようすです。以前訪れた時よりも松が大きく成長していてびっくりしました。


「一本松古墳」

 墳頂部(?)周辺に、埋葬施設の石材なのか葺石なのか、挙大の河原石が見られます。
 ちなみにこの写真は2年くらい前のものなのですが、グーグルマップで現在のようすを見ると、この敷地の周囲を柵が囲っていて立ち入れないようになっているようです。いずれは宅地となって消滅してしまうのかもしれませんね。。。


「一本松公園」

 古墳の南東には、「一本松公園」と命名された公園があり、まるで古墳を再現したかのような築山があります。
 私は、この頃はまだタバコを吸っていて、当時はここでゆっくりと一服したことを思い出します。

 この古墳の二度目の訪問の際に、お向かいの民家の旦那さんと、なんとなく立ち話になったのですが。「つい一ヶ月程前にもこの場所に車を止めて写真を撮っていた人がいた。」なんておっしゃっていました。古墳の現地説明会なんかに参加しても、最近はすごく人が多かったりしますし、古墳巡りを趣味とするような人も増えてきているのかもしれませんね。。。

<参考文献>
八王子市史編さん委員会『八王子市史 下巻』
八王子市教育委員会『八王子市遺跡地図』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』
多摩地域史研究会『多摩川流域の古墳』


人気ブログランキングへ

  1. 2018/03/28(水) 08:32:08|
  2. 八王子市
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
次のページ

カテゴリ

足立区 (13)
伊興古墳群 (4)
その他の古墳・塚 (9)
葛飾区 (13)
立石古墳群 (3)
その他の古墳・塚 (10)
江戸川区 (0)
板橋区 (46)
志村古墳群 (10)
その他の古墳・塚 (36)
北区 (26)
赤羽台古墳群 (2)
十条台古墳群 (2)
飛鳥山古墳群 (8)
田端西台通古墳群 (1)
その他の古墳・塚 (13)
荒川区 (28)
尾久の微高地 (4)
町屋-三河島の微高地 (19)
南千住の微高地 (3)
日暮里の台地上 (2)
台東区 (12)
上野台古墳群 (5)
その他の古墳・塚 (7)
墨田区 (4)
練馬区 (7)
豊島区 (2)
文京区 (8)
杉並区 (17)
中野区 (17)
新宿区 (18)
千代田区 (7)
目黒区 (9)
渋谷区 (19)
港区 (8)
品川区 (22)
品川大井古墳群 (7)
その他の塚 (15)
大田区 (94)
荏原台(田園調布)古墳群 (34)
鵜の木・久が原古墳群 (8)
その他の古墳・塚 (52)
世田谷区 (72)
荏原台(野毛)古墳群 (24)
砧古墳群-殿山古墳群 (9)
砧古墳群-大蔵古墳群 (0)
砧古墳群-砧中学校古墳群 (2)
砧古墳群-喜多見古墳群 (13)
砧古墳群-その他 (8)
その他の古墳・塚 (16)
三鷹市 (4)
狛江市 (64)
狛江古墳群-和泉支群 (28)
狛江古墳群-岩戸支群 (7)
狛江古墳群-猪方支群 (29)
その他の古墳・塚 (0)
調布市 (55)
国領南古墳群 (2)
下布田古墳群 (16)
上布田古墳群 (7)
下石原古墳群 (2)
飛田給古墳群 (17)
その他の古墳・塚 (11)
府中市 (77)
史跡 武蔵府中熊野神社古墳 (2)
白糸台古墳群 (14)
高倉古墳群 (32)
御嶽塚古墳群 (19)
府中市内の塚 (10)
国立市 (24)
下谷保古墳群 (12)
青柳古墳群 (3)
その他の古墳・塚 (9)
立川市 (14)
稲城市 (8)
多摩市 (4)
和田古墳群 (4)
多摩市内の塚 (0)
日野市 (33)
平山古墳群 (7)
西平山古墳群 (5)
七ッ塚古墳群 (8)
万蔵院台古墳群 (4)
その他の古墳・塚 (9)
町田市 (5)
能ケ谷香山古墳群 (0)
その他の古墳・塚 (5)
八王子市 (30)
昭島市 (3)
浄土古墳群 (1)
その他の古墳・塚 (2)
あきる野市 (47)
森山古墳群 (3)
草花古墳群 (14)
御堂上古墳群 (4)
瀬戸岡古墳群 (7)
牛沼古墳群 (3)
その他の古墳・塚 (16)
日の出町 (2)
青梅市 (15)
古墳空白地域 (29)
西東京•清瀬•東久留米市 (3)
小金井•小平•国分寺市 (0)
東村山•東大和•武蔵村山市 (14)
福生市•羽村市•瑞穂町 (12)
栃木県の古墳 (13)
那須町•大田原市•那珂川町 (8)
宇都宮市•鹿沼市 (0)
壬生町•上三川町 (5)
長野県の古墳 (6)
群馬県の古墳 (6)
茨城県の古墳 (5)
埼玉県の古墳 (2)
千葉県の古墳 (1)
神奈川県の古墳 (2)
未分類 (4)

最新記事

最新コメント

検索フォーム

リンク

このブログをリンクに追加する

QRコード

QR