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古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

「甲州街道万願寺一里塚」ー日野市指定史跡ー

「甲州街道万願寺一里塚」ー日野市指定史跡ー

 画像は、日野市万願寺2丁目に所在する「甲州街道万願寺一里塚」を南から見たところです。
 東京都内に残る数少ない一里塚のうちの1基で、日野市の指定史跡となっています。


「甲州街道万願寺一里塚」ー日野市指定史跡ー

 江戸日本橋から9里目の一里塚で、ここから10里目の日野台を通り、八王子市内で11里目に至ります。塚を越えると日野宿であることから、この周辺は「塚越」という地名で呼ばれていたそうです。
 造られた当初の甲州街道は、国立市の青柳付近から「万願寺渡船場」で多摩川を渡り、この一里塚を経て日野宿に至るものでしたが、その後に再度整備が行われ、上流の「日野渡船場」を渡る道筋へと変更されました。ただし、万願寺渡船場と道も廃止されることなく、その後も利用されたようです。


「甲州街道万願寺一里塚」ー日野市指定史跡ー

 東から見た万願寺一里塚です。

 この周辺もかなり宅地化が進んでいるようなのですが、23区内のように密集していないので圧迫感がないし、見上げると空が綺麗だったりして、暮らすには良いところですよね、きっと。
 一里塚の前の道は「多摩モノレール通り」と命名されており、その名の通り路上から見上げるとモノレールの高架が走っています。江戸時代に造られた一里塚の高まりと多摩モノレールのコントラストが絶妙で、とても現代らしい光景です。


「甲州街道万願寺一里塚」ー日野市指定史跡ー

 これは、以前に訪れた時に撮影した説明板の写真で、現在は撤去されています。
 この一里塚は昭和54年に日野市の史跡として指定されていますので、おそらくこの時期に設置されたものと思われます。平成15年(2003)に行われた発掘調査については何もふれられていません。

市史跡 甲州街道万願寺一里塚
 江戸時代初期の甲州街道は、現在の国立市青柳あたりから多摩
川を渡り、市内源平島に通じ、万願寺を経て日野宿に入った。こ
の一里塚は、日本橋から9里目のもので、慶長年間甲州街道が開
枯れた折につくられたものと伝えられ、日野市内に現存する唯一
のものである。もとは街道をはさんで2基あり、北側の1基はと
り崩された。かつては両方ともに径7~8m、高さ3mくらいあ
り、塚上には大きな榎が植えられ、旅人にとっては心身の憩いの
場であった。
   昭和54年2月1日          日野市教育委員会



「甲州街道万願寺一里塚」ー日野市指定史跡ー

 こちらは最近訪れた時の、新しく設置された説明板の写真。
 平成15年(2003)の発掘調査についてもふれられており、内容が詳しくなっています。
 

日野市指定史跡
甲州街道万願寺一里塚
昭和五十四年二月一日指定
 万願寺一里塚は、慶長年間(一五九六~一六一五)に甲州街道が開かれた際に造られたと伝えられ、都内に現存する数少ない
一里塚の一つとして大変貴重なものである。
 江戸時代初期の甲州街道は、青柳(国立市)付近から多摩川を渡り、万願寺一里塚を経て日野宿に入った。その後、貞享元年(一六八四)に上流の日野渡船場を通る道路へ改められたが、その後もこのルートは利用された。
 万願寺一里塚は日本橋から九里目にあたり、参勤交代の大名や甲州勤番、お茶壺道中の役人、八王子千人同心や甲府定飛脚が行き来し、また富士講や身延詣の人々が往来する道筋にあった。
 平成十五年(二〇〇三)に行われた発掘調査では、道に沿ってやや楕円形の、直径九メートル、高さ三メートルの塚が検出された。塚の崩落を防ぐため、道との境に三段の石積みがなされ、その上に宝永の火山灰(宝永四年、一七〇七年の富士山の噴火による)があることから、塚はその年代よりも古いものであることが確認できた。塚の北側に隣接する甲州街道は、三
間(約五、四メートル)の幅があり、道普請の痕跡も見つかっている。




「甲州街道万願寺一里塚」ー日野市指定史跡ー

街道の一里塚
 江戸幕府は江戸日本橋を基点に街道を整備し、慶長9年(1604)に大久保長安
が一里(約4km)ごとに塚を築かせました。一里塚という名称は、一里ごとに存
在したことに由来します。
 一里塚は道を挟んで両側に造られ、平面規模は五間四方(約9m)を基準とし、
高さは1丈(約3m)と大きなものです。
 一里塚は旅人には距離の目安となり、塚の頂上には榎(えのき)が植えられるこ
とが多く、大きく成長すると夏場には木陰を与えるものでした。
 今の日野市域には、万願寺と現在の日野台に一里塚が築かれましたが、現存する
のは、万願寺の一里塚のうち甲州街道(甲州道中ともいう)の南側の一基だけです。
北側の塚は昭和43年(1968)に取り壊されました。

道と渡船場そして宿場
 当初の甲州街道は、青柳(国立市)付近から万願寺渡船場で多摩川を渡り、万
願寺一里塚を通り日野宿に入りました。この一里塚は江戸日本橋から九里目にあ
たり、参勤交代の大名・甲州勤番やお茶壺道中の役人も行き来しました。
 その後、貞享元年(1684)に甲州街道は、上流の日野渡船場を通る道路へと改
められました。しかし、満願寺渡船場や日野宿へと至る道は、その後も利用され、
多摩川を渡ってこの塚を越えると日野宿に到着することから、このあたりは塚越
(つかこし)と呼ばれていました。

一里塚の発掘調査と整備
 平成15年(2003)、現存する甲州街道の南側の塚について範囲や構造を探る
ために調査を行いました。
 塚は直径9m、高さ3mと一里塚の基準通りで、平面形は道に沿って長めでや
や楕円形をしています。
 塚の構造にあたっては、砂礫層まで堀崩し外周を一部掘りくぼめ、砂を多く含
む粘土質の土を積み上げました。また、道との境には塚の崩壊を防ぐためか、3
段ほどの石積みが見られます。その石積みの上には、宝永4年(1707)に噴火
した富士山の火山灰が認められたことから、その年代より古いことが確認できて
います。
 この塚の北側に隣接する甲州街道は、三間(5.4m)幅で、道普請の痕跡も見つかっ
ています。
 この調査の後、塚の頂上には榎を、塚全体には保護のために芝を、それぞれ植え、
甲州街道のイメージも可能なように整備しました。ただ、甲州街道は本来の三間
幅(5.4m)ではなく、幅4mで復元しています。
                平成27年(2015)7月 日野市教育委員会


「甲州街道万願寺一里塚」ー日野市指定史跡ー

 塚の裾部には、ステンレス製の「甲州街道万願寺一里塚」の標柱が。


日野市「甲州街道万願寺一里塚」0-1

 画像は多摩モノレール万願寺駅です。
 ここから北西方向に500メートルほど進んだ道沿いの北側に、現存する一里塚を見ることができます。(それにしても多摩モノレールは格好いいですねえ。)

 この一里塚には7年前と今年と、2回訪れたのですが。
 「きっとモノレールに乗れば、車窓から見下ろした写真が撮れるな」と考えていましたが、2回とも忘れました。


日野市「甲州街道万願寺一里塚」0

 国立市側から、「石田大橋」を渡って日野市内に入ったのですが、日野市側の「北川原公園」になにやら怪しげな塚状の築山が3基。

<参考文献>
現地説明版


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  1. 2019/10/02(水) 23:09:58|
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 「落川・一の宮遺跡」

「落川・一の宮遺跡 1号古墳」

 「落川・一の宮遺跡」は、日野市落川に所在する遺跡です。
 『東京都遺跡地図情報インターネット提供サービス』によると、この遺跡は日野市の遺跡番号38番に登録されており、「時代」は「縄文時代(晩期)」、「弥生時代(中期)」、「古墳時代」、「奈良時代」、「平安時代」、「中世」、「近世」という複合遺跡です。この遺跡からは、「1号古墳」と命名されている古墳が1基、検出されています。

 古墳は、北西から南東に延びる通称「田中島」と呼ばれる自然堤防の東側、多摩川に極めて近い低地から発見されています。発掘調査当時すでに墳丘は削平され、古墳の存在は想定されていなかったようですが、古墳の周溝が確認されたことにより存在が明らかとなっています。
 規模は周溝内径14m、外径18mを計り、全体の平面形は、陸橋部を西に持つ六角形、つまり「六角形墳」であると想定されています。

 これまでこの『古墳なう』で東京都内の古墳を中心に追いかけてきましたが、八角形墳は多摩市百草の「稲荷塚古墳」が確認されているものの、六角形墳は今のところ、この「落川・一の宮遺跡1号古墳」が唯一のものではないかと思われます。

 主体部については、墳丘のほとんどが削平されていたことから不明ですが、周溝北側底部の土坑状の掘り込みなどは遺体埋葬部ではないかと想定されているようです。


「落川・一の宮遺跡」

 落川・一の宮遺跡は、隣接する多摩市まで広がる、750.000m2以上の面積を持つと考えられる遺跡です。古墳の周溝は、野猿街道を多摩市、日野市から国立に抜ける日野3・2・7号線の道路により消滅しているようですが、遺跡の一部は落川遺跡公園として整備されています。この地下には各時代の竪穴建物と掘立柱建物が32軒埋もれているそうです。


「落川・一の宮遺跡」

 舗装された地面には、地下の遺跡の様子がわかるように色分けされていますが、経年劣化により色あせてきていて、ちょっとわかりにくいですね。。。


「落川・一の宮遺跡」

 公園内には、東京都教育委員会による説明板が設置されており、次のように書かれています。

東京都指定史跡
 落 川 遺 跡
所在地 日野市落川八一九
指 定 昭和六十二年二月二十四日

 本遺跡は多摩地区に多く存在する台地、丘陵
上の遺跡と異なり沖積微高地上に立地する稀有
な遺跡である。その沖積微高地上に四世紀末~
五世紀初頭に集落形成が開始され、以降、十四
世紀初頭にいたるまで連続的に集落が営まれて
いる。
 東方約三〇〇メートルに鎮座する武蔵一の宮、
小野神社を中心とする小野郷に比定される地域
に該当すると考えられる。また、『日本紀略』、
延喜十七年に見える「小野牧」と関係する遺跡
と推定されている。
 発掘された遺構は竪穴建物跡、掘立柱建物跡、
井戸跡、鍛冶炉、祭祀跡等である。
 遺物では鎌、鍬、鋤などの農耕具、鉄鏃、刀
装具、短刀などの武器類、馬具などが多量に出
土しており、これらの遺構、遺物は武士集団の
住居関係を解明する上で貴重な手がかりになる
ものと考えられる。
平成十八年三月一日
             東京都教育委員会

 

「稲荷塚古墳」

 私は、残存する六角形墳を実際に見たことはありませんが、八角形墳は関東地方に残存するものに限り、何度か見学する機会に恵まれました。
 画像は、東京都多摩市百草に所在の「稲荷塚古墳」です。
 言わずと知れた、都内唯一の八角形墳ですね。

 八角形の形状をはっきりと認識できる状況ではありませんが、発掘調査により八角形墳であることが確認されています。こうして保存して残されているだけでも、とても貴重な古墳です。


「稲荷塚古墳」

 現地の説明板に掲載されている、横穴式石室の様子です。
 かつては、墳丘に木造の覆屋が建てられて石室が公開されていたそうですが、平成9年度に保存措置を講じたうえで埋め戻されていて、残念ながら現在は見ることはできません。。。


「三津谷古墳」

 画像は、群馬県北群馬郡吉岡町所在の「三津谷古墳」です。
 群馬県の史跡として指定されている古墳で、発掘調査により正八角形墳であることが確認されています。八角形の一辺の長さは、下段で約9.0m、上段で約6.0mを有しており、墳丘の企画設計には唐尺が使用されたと推測されています。
 古墳は、調査時の葺石、列石、盛土を一部修復し、欠失部分は復元されているそうです。
 八角形の形状がはっきりと認識できます!


「三津谷古墳」

 古墳の内部は見学施設となっており、石室の根石状況や土葬断面が発掘調査時のまま展示されています。
 この古墳は、住宅地にひっそりと存在するのですが、なかなか見応えがあってお勧めです!


「伊勢塚古墳」

 画像は、群馬県藤岡市上落合所在の「伊勢塚古墳」です。
 石積みの角の部分をはっきりと見ることができます。。。

 この古墳も群馬県の史跡として指定されている古墳で、当初は円墳ではないかと考えられていたようですが、昭和62年度の範囲確認調査により直径27.2m、高さ6mの二段に築かれた不正八角形墳であると考えられています。


「伊勢塚古墳」

 石室内部の様子です。この古墳の石室は石積みに特徴があり、「模様積み」と呼ばれる独特な技法でドーム状の構造になっています。
 石室内は、薄暗かったことから見学時にはあまり感じませんでしたが、帰宅してからあらためて画像を見ると、むしろ天井石がスゲエなあと。石室内で大地震に遭遇したらと想像すると、ゾッとしますね。。。

 実は、この古墳の2度目の見学の際、ちょうど群馬県のスタッフの方々が調査を行なっており(昨年行われた七輿山古墳の非破壊調査と同時期です…)、わざわざ調査の手を休めてくださって石室の内部を見学させていただきました。また、群馬県立歴史博物館の館長様にお話をお聞かせいただき、記念撮影までしていただきました。大変感謝しております!ありがとうございました!

<参考文献>
多摩地域史研究会『多摩川流域の古墳時代 ー国分以前の様相ー』
落川・一の宮遺跡(日野3・2・7号線)調査会『落川・一の宮遺跡 Ⅱ 古代編』
現地説明板


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  1. 2019/08/13(火) 23:42:12|
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  1. 2019/04/22(月) 22:17:38|
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「日野市№19遺跡(吹上古墳)」

「日野市№19遺跡」

 「日野市№19遺跡」は、日野市 東豊田2丁目に所在する、『東京都遺跡地図』には日野市の遺跡番号19番に登録されている古墳です。
 この古墳の存在する「豊田寺坂遺跡」は昭和51年(1976)1月から2月にかけて発掘調査が行われています。古墳は調査区のほぼ中央から発見されており、墳丘は完全に削平されて遺存していなかったものの、周溝が検出されたことにより存在が確認されています。規模は、内径12m、外径18mを測る円墳で、主体部は攪乱による破壊で痕跡がなく、詳細不明とされていますが、周溝内からは坏が2点出土しています。

 画像は、豊田寺坂遺跡の所在地を南東から見たところです。中央の切り通しとなった道路を上がった、右上に見える台地上が豊田寺坂遺跡で、古墳が検出された場所となるようです。現在は集合住宅となり、残念ながら古墳の痕跡を見ることはできませんでした。。。

<参考文献>
日野市遺跡調査会・日野市教育委員会『豊田寺坂遺跡』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』


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  1. 2016/04/21(木) 09:35:26|
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「日野市№45遺跡(平山古墳)」

「日野市№45遺跡(平山古墳)」

 「平山古墳群」は浅川沿岸に分布する古墳群で、多摩川との合流点より約5kmほど上流の平山橋北岸周辺の段丘上に位置しています。平山遺跡第2・4・9次調査により平山橋北西側の調査が行われ、これまでに6基の古墳が検出されています。

 昭和29年(1954)に西郊文化研究会より発行された『西郊文化 第10号』には、この平山古墳群の1基と見られる古墳の発掘時のようすについて書かれています。

 中央線豊田駅、又は京王線平山駅を下車し多摩川に至ると、千鳥ケ淵と呼ばれる地点がある。ここには積石塚が数基あるが殆ど知られていない。数年前この一基が発掘され、遺物は直刀十七本、鉄鏃約三〇〇本、刀子若干、馬具、装飾品として勾玉が発見された。石は多摩川の直径二十?位の河原石を用いたもので、内部構造は竪穴式石室が南北に軸をとっている。当地方では数少ない特殊な部類に属する。この例は、近くには神奈川、埼玉両県に存在しわが国からは、十数ケ所より発見されているが、一方大陸に多く存在しており、この影響を受けたものと思われる。

 当時、地名から「平山古墳」と仮称されたこの古墳は八王子在住の某氏と有志により昭和24年(1949)に発掘が行なわれたとされていますが、報告書が未発表であるために正確な所在地は不明で、『西郊文化 第10号』に書かれている以外の詳細はわかりません。平成7年(1995)に多摩地区所在古墳確認調査団より発行された『多摩地区所在古墳確認調査報告書』では、日野市東平山3丁目に残存する遺跡番号45番の古墳をこの「平山古墳」としながらも「平山古墳群のいずれかは不明」であると記しています。

 画像はその「日野市№45遺跡(仮称平山古墳)」を北から見たところです。


「日野市№45遺跡(平山古墳)」

 その後の発掘調査により確認された6基の円墳により形成される「平山古墳群」の中で、墳丘が残されていたのは2号墳1基のみであったとされていますが、この2号墳からは多くの遺物が出土していることから、平山古墳が2号墳である可能性は低いように思われます。やはり、画像の「№45遺跡」が平山古墳であったのか、それとも当時、2号墳以外の5基の古墳の中に墳丘の残されていた古墳が存在したのか、まったく未知なる古墳が存在したのか真相はわかりませんが、№45遺跡が平山古墳であった可能性は十分に考えられるところかもしれません。


「日野市№45遺跡(平山古墳)」

 この古墳は平成5年度の多摩地区所在古墳確認調査により把握されており、『多摩地区所在古墳確認調査報告書』には「大部分は削平されているが、4×2mの範囲で高さ0.5m程の高まりが残存しており、高まりの上には祠が祀られている。」と書かれています。この状況は、現在も大きな変化はないようです。画像は残存する現在の墳頂部のようすですが、小さな祠が祀られており、周囲には石室を構築したと思われる河原石を見ることができます。

 小さな祠ですが、通りがかりのお婆さんが拝んでいく姿も見られました。地元の人々に大切にされているようです。

<参考文献>
今井隆敬「八王子近郊の考古学資料」『西郊文化 第10号』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』


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  1. 2016/04/20(水) 00:25:25|
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