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古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

「明楽院塚」

「明楽院塚」

 「明楽院塚」は、稲城市矢野口に所在する塚です。『東京都遺跡地図』には、稲城市の遺跡番号63番の塚として登録されており、1号・2号と2基の塚が存在するようです。
 画像は、東京都道・神奈川県道124号稲城読売ランド前停車場線から、明楽院塚の所在地となる丘陵を見上げたところです。画像中央の小高くなった頂部が塚の所在地となるようですが、現在この一帯で行われている宅地造成工事により道路は封鎖されており、塚の東側からは立ち入ることは出来ないようです。
 ちょっとわかり難いですが、画像左に、塚の所在地付近に向かう細い道が存在します。この道を進んでみましょう。


「明楽院塚」

 画像は、先ほどの細い道を入ったところです。左側は「よみうりゴルフ倶楽部」というゴルフ場となっています。右側の丘陵頂部に塚が存在する筈なのですが、切り通しとなっている道路の右側は切り立った崖となっており、侵入できる場所は見当たらないようです。
 さらに道を進んでみましょう。


「明楽院塚」

 この2基の塚は、江戸時代にはすでにかなり知られた存在だったと考えられ、『新編武蔵風土記稿』には「小名中峯ニアリ、其間十間ホドヲへタテゝ二ツアリ、ソノ来由ヲ詳ニセズ、又小松葉ノ内ノ田間ニモ無名ノ塚アリコレモイカナル故ト云ウコトヲシラズ」とあり、また『武蔵名勝図会』には「字中峯の南に二つあり。十間程の間を置きて高さ四尺程。修験明楽坊が塚なりと云。」と書かれています。

 相変わらず、道路の右側は崖になっていて突入するにはなかなか厳しい状況です。
 丘陵上に登ることの出来る場所はないのでしょうか。。。


「明楽院塚」

 先ほどの道路の突き当たりを右に折れたところです。道路の一番高くなった場所です。
 唯一、山の中に入っていけそうな場所なで、塚への距離も比較的近いのではないかと考えられるのですが、残念ながらこの場所も杭が立てられてロープが張られており、「立ち入り禁止」の看板が立てられています。
残念ながら、塚を見学するにはなかなか厳しい状況であるようです。。。


「明楽院塚」

 明楽院塚の所在地を、西側の遠方から見たところです。
 塚は、昭和27年(1952)9月に内藤政恒・竹内秀雄両氏により発掘が行われており、規模は2基ともに径3m、高さ1.2mほどで、1基からは錫杖の頭部、古銭、人骨が、またもう1基からは鉄刀が出土したとされています。
 『多摩地区所在古墳確認調査報告書』によると、現在の残存状況はわからなくなっているようですが、少なくともなんらかの痕跡は残されているのではないかとも考えられます。現状は残念ながら塚を確認することは出来ないようですが、チャンスを待ってもう一度訪れて見たい塚です。。。

<参考文献>
稲城町誌編纂委員会『稲城町誌』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』


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  1. 2018/02/21(水) 00:28:42|
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「弁天洞窟」

 さて、これまで東京都内の多くの古墳や塚を廻ってきましたが、存在する筈の古墳や塚を見つけることができなかった、所在区域が立ち入り禁止で近寄ることが出来なかった、等々、実際に現地を訪れてはみたものの、色々な事情により目にすることが出来なかったものも少なからず存在します。
 今回紹介するのは、気になったときにすぐ見に行けば見ることが出来たのに、まごまごしていたばっかりに閉鎖されて見ることが出来なくなってしまったという、「弁天洞窟」を紹介します。。。

「弁天洞窟」

 画像は、京王線相模線のよみうりランド駅の南約300mほどの、稲城市矢野口にある、真言宗豊山派の古刹威光寺を西から見たところです。草厚山小澤院と号し、坂浜の高勝寺の末寺です。江戸時代の地誌『新編武蔵風土記稿』には、延宝3年(1675)より穴澤天神社の別当寺として存在したことが記されており、『江戸名所図会』には、天明年間(1781~1789)に火災のために堂舎や記録類を消失したことが記されています。
 このお寺の境内には、新東京百景にも選ばれていたという「弁天洞窟」が所在します。この弁天洞窟は、元々この場所に存在した横穴墓を改造して造られたといわれています。


「弁天洞窟」

 画像は、威光寺境内のようすです。まっすぐ進んだ奥に弁天洞窟は存在します。
 稲城市内には、高塚古墳は存在しないとされており、『東京都遺跡地図』にも古墳は登録されていません。これに対して、横穴墓は、坂浜、平尾、大丸の3箇所で発見されており、発掘調査も行われているようなのですが、残念ながらこれらの横穴墓は調査後にすべて消滅しており、見学できる横穴墓は残されていません。
 そんな中、横穴墓を改変して造られたといわれるこの弁天洞窟はとても興味深く、いつか訪れて見学したいと考えていたのですが、古墳が存在しないという稲城市内にあって何となく後回しになってしまっていました。昨年訪れた際には時すでに遅し、崩落の危険があるということで弁天洞窟は閉鎖されており、見学は出来なくなっていました。残念!


「弁天洞窟」

 画像の、桟橋を渡った奥に見えるのが「弁天洞窟」です。
 残念ながら洞窟は扉が閉じられており、手前の桟橋のところから立ち入り禁止となっているので洞窟に近寄ることもできないのですが、何年か前までは、入場料300円を払って受付でロウソクとマッチをもらうと、内部を見学することができたようです。
 弁天洞窟は、元々は古墳時代である7世紀頃に造られた横穴墓であったといわれており、明治17年(1884)に和算の指導者小俣勇造が設計して、洞窟内部を掘り拡げて現在の形となったようです。
 洞窟内には、江戸・明治期に造られた23体の石仏、石碑が安置されており、洞窟内の池の回りには、彩色された大蛇の彫刻が彫られています。石仏は、童子立像、大日如来像、大黒天立像、弘法大師立像、龍神像、弁財天像などで、元々は穴澤天神社北側の洞窟内にあったものをこの場所に移したといわれています。


「弁天洞窟」

 現在の、弁天洞窟入り口のようすです。閉ざされた鉄の扉は錆び初めているようです。
 整備されて再度公開される可能性はないのでしょうか。。。


「弁天洞窟」

 威光寺境内には、矢野口南部の庚申塚に建てられていたという庚申塔が祀られています。昭和13年(1938)にこの地に移されたというもので、六角柱に笠をつけた石幢形の塔形が大変珍しく、稲城市の文化財として指定されています。稲城市教育委員会により設置された説明板には次のように書かれています。

稲城市指定文化財
 庚 申 塔
所在 稲城市矢野口二四一一
威光寺
指定 昭和五十一年二月十九日
 六十日ごとにめぐってくる庚申(かのえさる)の
日になると講の人たちが集まって飲食を共にし、
眠らずに夜を明かして健康、長寿を願う庚申信仰
が江戸時代には広く農村で行われるようになった。
こうした講の継続を記念して多くの人たちの協力
によって造立されたのが庚申塔である。
 この庚申塔は、貞享元年(一六八四)に現在地の
近くの山頂に造立されたもので、造立者の藤原能
成は、当時この地を支配していた旗本加藤太郎左
衛門能成と思われる。こうした領主による造塔は、
六角柱に笠をつけた石幢形の塔形とともに、ごく
一般的な庚申塔とは異なる珍しい貴重な作例であ
る。
 平成3年十二月十日
              稲城市教育委員会



「弁天洞窟」

 墓地の入り口には、手書きですが「弁天洞窟閉鎖」と書いてあるんですよね。
 もっと早く来ればよかったですね。。。


「弁天洞窟」

 お寺の入り口付近にも庚申塔が祀られています。
 こちらは元々あった場所に今も祀られているのでしょうか。


「弁天洞窟」

 弁天洞窟からの帰り道、妙覚寺南側の丘陵斜面にある「ありがた山」と呼ばれる石造物群を見学しました。この場所には、墓石のほかに地蔵菩薩塔、観世音菩薩塔、五輪塔、宝篋印塔といったさまざまな石塔、石仏が整然と並べられており、総数は4000体を越すといわれています。
 元々は駒込(豊島区)あたりの寺院にあったもので、関東大震災(大正12年)の時に無縁仏となったものを供養するために、昭和15年(1940)から昭和18年(1943)頃にかけてこの地に運ばれたものといわれています。
 それにしても、私は山頂付近の場所に登っただけで息が切れてしまいましたが、これだけの石物群を山頂まで運ぶには相当な労力が必要だったと思います。当時の慈善団体の人びとがこれを行ったそうですが、どういう経緯があったのか、とても興味深いですね。。。


「弁天洞窟」

 ありがた山は、南山東部土地区画整理事業による宅地開発のために一部が消滅の危機にあるそうです。ちなみに、ありがた山の西隣に位置する南山は、平成6年(1994)に公開されたスタジオジブリの映画「平成狸合戦ぽんぽこ」の舞台となった場所です。
 古墳や塚が見たくて、これまで都内のほとんどの区市町村を巡りましたが、どこに行っても未だに開発、開発、開発ですね。。。


「弁天洞窟」

 矢野口の路傍で見かけた張り紙。かつて同じものを何処かで見かけた記憶があるのですが、どこで見たのかどうしても思い出せません。(八王子方面だったか、横浜方面だったか…)
 ツチノコ、私も見たいです。。。

<参考文献>
稲城市教育委員会社会教育課『文化財ノート No.45 弁天洞窟』
稲城市教育委員会『稲城市の歴史と文化財』


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  1. 2018/02/19(月) 01:27:54|
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