古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

「鐙塚」

「鐙塚(あぶみづか)」

 画像は、稲城市坂浜に所在する「鐙塚」を北西から見たところです。
 『東京都遺跡地図』には登録されていない塚ですが、この塚から「鐙塚」の小字が起こったともいわれており、この地域ではかなり古くから知られた存在だったようです。江戸時代の地誌『新編武蔵風土記稿』に、この塚につい手の記述が見られ、「中央ヨリ南ニヨレリ コノ所ノ畑中に鐙塚トテ 高サ總ニ七尺ハカリノ塚アリ イカサマ由アル塚ナルへケレトモ伝ヘヲ失ヘリ コノ塚ヨリ鐙塚ノ名モ起コリシナルヘケレ」と書かれています。
 今でも地元ではいくつかの伝説が残されており、武蔵鐙を作った高麗人の墓であるとか、鎌倉攻めに上野武士の新田義貞が戦死者を埋めた塚であるという俗説があるようです。私が地元の人にお聞きしたところでは、この場所は馬捨て場になっていたところだと伝わっているようですが、特にこのあたりの真相はわかりませんでした。


「鐙塚(あぶみづか)」

 東から見た鐙塚です。塚の南側は道路により削られているようですが、残存する部分からすると、元は方形の塚なのではないかと思われます。どんな性格の塚なのでしょうか。
 鐙塚の周辺地域は「鐙野原(あぶのっぱら)」と呼ばれているようですが、アブは低湿地、ノは野原、ハラは原野で、アブノとは低湿地の原野の意であるといわれています。『新編武蔵風土記稿』にも「鐙野」という地名があり、周辺にアブノの屋号を持つ旧家があることから、稲城市教委委員会発行『稲城市の地名と旧道』では「アブノの地名に鐙野の当て字をした為に鐙塚の俗説が生まれたものであろう」としているようです。

<参考文献>
わいわい探訪隊「すばる」『ひらお散策 ―足もとの小さな物まで―』
稲城市教育委員『稲城市の地名と旧道』


人気ブログランキングへ

  1. 2018/04/11(水) 21:42:00|
  2. 稲城市
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

「稲城市№84遺跡」

「稲城市№84遺跡」

 「稲城市№84遺跡」は、稲城市長峰に所在したとされる塚です。『東京都遺跡地図』には稲城市の遺跡番号84番の塚として登録されています。画像は、この塚の跡地周辺を南西から見たところです。

 この塚の所在地は現在は稲城市長峰の稲城市立長峰小学校の敷地内となっており、残念ながらすでに消滅して痕跡は見られないようです。まだ塚が存在した当時のようすが、稲城町誌編纂委員会より発行された『稲城町誌』に記されており、次のように書かれています。

 坂浜の経塚は、宝蔵院西方の寺院所有地内にあリ、昭和三十八年、東京大学某氏が無断発掘し、出土品は住職の要請によって、宝蔵院に変換されている。その内容は、銅鏡(菊花散し双鳥鏡か)一面・鉄刀片一箇・古銭二十一枚・数珠玉五十余顆・籾米若干その他であり、古銭は唐の開元通宝がもっとも古く、ついで北栄の咸平元宝・景徳元宝・祥符元宝・元禧通宝・皇宋通宝・至和元宝・熙寧元宝・元豊通宝・元祐通宝・紹聖元宝・元符通宝・皇宋元宝・大観通宝・政和通宝・金の正隆元宝があり、元の至大通宝(武宗。一三〇八~一二鋳)がもっとも新しい。このうちの至大通宝と鎌倉時代の製作と思われる和鏡とが、この塚構築年代の最上限を示すものである。そして室町初期以来さかんに日本で流通し た明の永楽銭を含んでいないことからいえば、この塚はそれ以前の遺構と考えられる。発掘を見た方の話では、この他に経筒に類するものがあったというが、宝蔵院保管の遺品中には、この塚が仏教経典を埋蔵した経塚であったことを示すものはない。(『稲城町誌』41ページ)

 大学の先生が塚を無断で発掘してしまうとはちょっとびっくりですが、今よりはずっとのんびりした時代だったのかもしれませんね。
 同書の記述からするとやはりこの塚は「経塚」で、古墳とは無関係であるようです。ニュータウンとして開発の進んだこの場所に、残念ながら塚の痕跡は全く残されていないようです。。。

<参考文献>
稲城町誌編纂委員会『稲城町誌』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』


人気ブログランキングへ

  1. 2018/04/09(月) 23:42:18|
  2. 稲城市
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

「稲城市№155遺跡(どうしょう塚)」

「稲城市№155遺跡(どうしょう塚)」

 画像は、稲城市坂浜に所在する「稲城市№155遺跡」を北から見たところです。

 平成7年(1995)に発行された『多摩地区所在古墳確認調査報告書』には記述が見られないことから、江戸時代の地誌である『武藏名称図会』と『新編武蔵風土記稿』には少なくともこの塚は記載されていないようです。また、私の所有している、昭和63年(1988)に発行された『東京都遺跡地図』には、稲城市の遺跡が129番までしか記載されていないことから詳細はわからなかったのですが、現在、東京都教育委員会により公開されている『東京都遺跡地図情報インターネット提供サービス』には、「稲城市№155遺跡」の名称で「時代不明」の「塚」として登録されているようです。
 地元では「どうしょう塚」と呼ばれていることまでは判明しました。塚の東側はかなり急な崖になっていて、丘陵の尾根沿いの道の一番高い位置に塚は所在します。おそらくは、道しるべのような役割を果たしていたのではないかと考えられますが、周囲には塚の性格を推定できるような石造物はなく、説明板等も存在しないようです。その由来や伝承、出土遺物等についての詳細はまったくわかりませんでした。

 実際に現地を訪れて見て、少なくともこの塚は古墳ではなかったかなという印象で、高塚古墳の可能性のある塚は今のところは稲城市内には存在しないようです。
 せっかく見学することのできた塚の画像を何年も寝かせてしまうことなく、どんどん掲載しようということで取り上げてみましたが、新たな情報を入手した際にはあらためて更新し直そうと思っています。。。

<参考文献>
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』
稲城市教育委員『稲城市の地名と旧道』


人気ブログランキングへ

  1. 2018/02/26(月) 23:58:08|
  2. 稲城市
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

「大塚」

「大塚」

 「大塚」は、稲城市百村に所在したといわれる塚です。すでに消滅して正確な所在地がわからなくなっており、『東京都遺跡地図』にも未登録となっているようですが、江戸時代の地誌『新編武蔵国風土記稿』にはこの大塚について、「東の方なり」と記載されており、古くからその存在は知られていたようです。
 名称からしてかなり大きな塚だったのではないかと考えられる大塚は、現在の稲城第一中学校あたりに所在したといわれているようですが、残念ながらその痕跡を見ることはできません。出土遺物や、由来等の言い伝えも見つけることはできませんでした。。。

<参考文献>
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』


人気ブログランキングへ

  1. 2018/02/23(金) 22:50:55|
  2. 稲城市
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

「稲城市№89遺跡」

「稲城市№89遺跡」

 「稲城市№89遺跡」は、稲城市坂浜で発見された奈良時代の横穴墓です。『東京都遺跡地図』には、稲城市の遺跡番号89番の横穴墓として登録されています。

 この横穴墓は昭和50年、旅荘内の下水排水溝工事中に前室の一部が掘り抜かれたことにより発見され、緊急調査が実施されています。遺構は、後室部天井の一部の剥落を除いてほぼ完全な形で残されており、玄室、羨道部、閉塞施設等がほぼ原型を保った状態で確認されています。玄室からは、被葬された3体の人骨が発見されています。横穴墓は7世紀後半頃の築造と推定され、周辺地域に存在した小集落の長的な人物の墓ではないかと考えられているようです。
 画像の、坂道を登った奥のあたりが横穴墓の所在地であると思われます。


「稲城市№89遺跡」

 坂道を登ると、一見行き止まりのようにも見えるのですが、尾根沿いに極端に狭い道が続いています。この日は折りたたみ式の小さな自転車で散策していましたので、この人ひとりがやっと通れるような道を、草に体をこすりながらよたよたと進んでみました。


「稲城市№89遺跡」

 発見された横穴墓は1基のみであるようですが、横穴墓の性格や周囲の地形から考えてさらに数基の存在が想定されているようです。横穴墓は、調査後に埋め戻されているようですので、何か痕跡だけでも見学することができないものでしょうか。さらに道を進んでみました。


「稲城市№89遺跡」

 実は右側は急勾配の崖になっていてフェンスがなかったらとても自転車で進めるような状況ではなく、どうなってしまうのかと多少不安になりましたが、150メートルほど進むと舗装された車道が見えてきます。


「稲城市№89遺跡」

 これまで見学してきた横穴墓と比べると、ずいぶん山の高いところに位置する横穴墓だなという印象なのですが、果たしてまだ未発見の横穴が残されているのでしょうか。
 この道路の左側あたりに横穴墓が存在したのではないかと思われますが、すでに痕跡はなく、正確な所在地まではわかりませんでした。。。
 
<参考文献>
稲城市教育委員会『稲城市 文化財研究紀要 第10号』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』


人気ブログランキングへ

  1. 2018/02/23(金) 00:52:06|
  2. 稲城市
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
次のページ

カテゴリ

足立区 (13)
伊興古墳群 (4)
その他の古墳・塚 (9)
葛飾区 (13)
立石古墳群 (3)
その他の古墳・塚 (10)
江戸川区 (0)
板橋区 (46)
志村古墳群 (10)
その他の古墳・塚 (36)
北区 (26)
赤羽台古墳群 (2)
十条台古墳群 (2)
飛鳥山古墳群 (8)
田端西台通古墳群 (1)
その他の古墳・塚 (13)
荒川区 (28)
尾久の微高地 (4)
町屋-三河島の微高地 (19)
南千住の微高地 (3)
日暮里の台地上 (2)
台東区 (12)
上野台古墳群 (5)
その他の古墳・塚 (7)
墨田区 (4)
練馬区 (7)
豊島区 (2)
文京区 (8)
杉並区 (17)
中野区 (17)
新宿区 (18)
千代田区 (7)
目黒区 (9)
渋谷区 (19)
港区 (8)
品川区 (22)
品川大井古墳群 (7)
その他の塚 (15)
大田区 (94)
荏原台(田園調布)古墳群 (34)
鵜の木・久が原古墳群 (8)
その他の古墳・塚 (52)
世田谷区 (72)
荏原台(野毛)古墳群 (24)
砧古墳群-殿山古墳群 (9)
砧古墳群-大蔵古墳群 (0)
砧古墳群-砧中学校古墳群 (2)
砧古墳群-喜多見古墳群 (13)
砧古墳群-その他 (8)
その他の古墳・塚 (16)
三鷹市 (4)
狛江市 (64)
狛江古墳群-和泉支群 (28)
狛江古墳群-岩戸支群 (7)
狛江古墳群-猪方支群 (29)
その他の古墳・塚 (0)
調布市 (55)
国領南古墳群 (2)
下布田古墳群 (16)
上布田古墳群 (7)
下石原古墳群 (2)
飛田給古墳群 (17)
その他の古墳・塚 (11)
府中市 (77)
史跡 武蔵府中熊野神社古墳 (2)
白糸台古墳群 (14)
高倉古墳群 (32)
御嶽塚古墳群 (19)
府中市内の塚 (10)
国立市 (24)
下谷保古墳群 (12)
青柳古墳群 (3)
その他の古墳・塚 (9)
立川市 (14)
稲城市 (8)
多摩市 (4)
和田古墳群 (4)
多摩市内の塚 (0)
日野市 (33)
平山古墳群 (7)
西平山古墳群 (5)
七ッ塚古墳群 (8)
万蔵院台古墳群 (4)
その他の古墳・塚 (9)
町田市 (5)
能ケ谷香山古墳群 (0)
その他の古墳・塚 (5)
八王子市 (30)
昭島市 (3)
浄土古墳群 (1)
その他の古墳・塚 (2)
あきる野市 (47)
森山古墳群 (3)
草花古墳群 (14)
御堂上古墳群 (4)
瀬戸岡古墳群 (7)
牛沼古墳群 (3)
その他の古墳・塚 (16)
日の出町 (2)
青梅市 (15)
古墳空白地域 (29)
西東京•清瀬•東久留米市 (3)
小金井•小平•国分寺市 (0)
東村山•東大和•武蔵村山市 (14)
福生市•羽村市•瑞穂町 (12)
栃木県の古墳 (13)
那須町•大田原市•那珂川町 (8)
宇都宮市•鹿沼市 (0)
壬生町•上三川町 (5)
長野県の古墳 (6)
群馬県の古墳 (6)
茨城県の古墳 (5)
埼玉県の古墳 (2)
千葉県の古墳 (1)
神奈川県の古墳 (2)
未分類 (4)

最新記事

最新コメント

検索フォーム

リンク

このブログをリンクに追加する

QRコード

QR