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古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

「塚(2基)」(大塚・焼塚)

「塚(2基)」(大塚・焼塚)

 青梅市内には現在のところ、発掘調査により確認された古墳は存在しないようですが、『東京都遺跡地図』には多くの塚が登録されており、この中には古墳ではないかと考えられていたものも存在するようです。青梅市の遺跡番号151番には「塚(2基)」という名称で時代不明の塚が登録されており、画像はその青梅市今井町の塚の所在地周辺を西から見たところです。

 この塚については、江戸時代の地誌『武蔵名勝図会』に記述が見られ、「二ヶ所。一ヶ所は大塚と唱う、一ヶ所は焼塚と唱う。高さ六、七尺、大抵相同じ。川越より青梅辺へ往還する道の側にあり、その由来を伝えず。」と書かれています。同書は文政3年(1820)頃に完成したといわれていますので、少なくともこの2基の塚はすでに存在しており、周辺地域では名の知れた塚であったようです。その後、昭和52年(1977)に青梅市教育委員会より発行された『青梅市の埋蔵遺跡』には「矢端堀南方、字馬場崎雑木林中」とのみ書かれており、また平成7年(1995)に多摩地区所在古墳確認調査団により発行された『多摩地区所在古墳確認調査報告書』では「残存状況不明」とされています。
 『東京都遺跡地図』の分布図から推定すると、2基の1基は画像中央の一番高くなったあたりに所在したようですが、塚は削平されてしまったのか、すでに見ることはできなくなっているようです。


「塚(2基)」(大塚・焼塚)

 『青梅市の埋蔵遺跡』で塚の所在地とされた雑木林の一部は、現在は駐車場として整地されています。『東京都遺跡地図』の分布図から推定すると、残る塚のもう1基はこの辺りに所在したのではないかと思われますが、やはり塚は存在せず、見ることはできません。実は雑木林の中の写真を撮り忘れてしまったのですが、林の中にも塚らしきマウンドは残されていないようでした。
 どちらが「大塚」でどちらが「焼塚」なのかはわからなかったのですが、塚の名称からして何か由来があるのではないかと考えられるのですが、詳細は不明です。周辺の地形や立地から考えるとこの塚はやはり古墳ではなく塚だったのではないかと思われますが、削平された際の遺物の出土等の伝承も残されていないようで、こちらも詳細はわかりませんでした。。。

<参考文献>
青梅市教育委員会『青梅市の埋蔵遺跡』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』


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  1. 2016/12/04(日) 23:15:54|
  2. 青梅市の古墳・塚
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「稲荷塚(大山)」

「稲荷塚(大山)」

 画像は、青梅市新町1丁目に所在する「稲荷塚」を北西から見たところです。『東京都遺跡地図』には青梅市の遺跡番号152番の遺跡として登録されている、”時代不明”とされる塚です。

 稲荷塚は「大山公園」という街区公園内に保存されています。青梅市教育委員会により設置された説明板には次のように書かれています。

大山(稲荷塚)の由来
 新町の開拓は、下師岡村(現師岡一丁目地内)の名主吉野織部之助が、慶長十五年(一六一〇年)幕府の新田開発の奨励をうけて、この地に村をつくったことに始まる。
 武蔵野の原野に村づくりを始めた織部之助は、協力の農民と屋敷を整え、元和二年(一六一六年)村を完成した。吉野氏は出身が大和国吉野郷であることから、その地の蔵王権現を勧誘して、同家の鬼門に御岳神社を祀ったのが、この稲荷塚のいわれである。今でも九月二十九日の御岳神社の例大祭の際は、まず稲荷社をお祀りしてから始めるしきたりがあるほど密接なつながりがある。境域は樹木に覆われ、武蔵野の山林を象徴する森となっており、地元の人々はこれを大山と呼んで親しんでいる。
平成元年一月九日 青梅市教育委員会


 この説明板からは、稲荷社を祀るために築造された稲荷塚であったのか、それとも元々あった塚を流用して稲荷社を祀ったのかはわからないのですが、少なくともこの塚は古墳ではないようです。。。


「稲荷塚(大山)」

 塚の頂部には「新町開村三百八十年記念 武蔵野台地西端の地 平成八年三月吉日 青梅市」と刻まれた石碑が立てられています。

<参考文献>
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』
現地説明版


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  1. 2016/05/26(木) 02:05:10|
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「富士塚」

「富士塚」

 画像は、青梅市新町5丁目に所在する「富士塚」を北西から見たところです。『東京都遺跡地図』には青梅市の遺跡番号155番の”近世の塚”として登録されています。

 この「富士塚」に関して『新編武蔵風土記稿』や『武蔵名勝図会』といった江戸時代の地誌類には記述が見られず、築造の時期については不明とされています。明治16年の『皇国地誌』には「富士塚 現標ヨリ卯ノ方、字富士塚九百五十九番ニアリ。高サ一丈五尺、回リ六十六間。蒙上ニ浅間大神ヲ祭ル。塚ノ名義及ヒ邊リノ小字ノ因テ起ルトコロナリ。」と書かれているため、この時期にはこの塚は存在していたようです。

 青梅市教育委員会により現地に立てられた説明板には次のように書かれています。

      富 士 塚
 霊峰富士山を信仰の対象として朝な夕なに排していた私
たちの先祖は、やがて富士講をつくって富士山に登山した。
しかし、登山には多大の費用と健康な身体が必要で、誰し
もというわけにはいかなかった。そこで、講中では身近な
ところに富士山をかたどった塚山を築き、頂上には浅間社
を祀ってここに誰でも登拝できるようにした。
 新町の富士塚もこのような信仰の対象として築かれ、長
く富士信仰の中心となっていた。現在では富士講も途絶え、
祠も御嶽神社に遷されてしまったが、塚は崩されることも
なく昔の姿を残している。この富士塚は、いつごろ造られ
たかなどという詳しいことは不明である。
 平成二年六月二十九日 建設
                  青梅市教育委員会


「富士塚」

 かつては浅間社が祀られていたということですからこの塚が富士塚である可能性は高いように思いますが、財団法人たましん地域文化財団より発行された『多摩のあゆみ』に掲載されていた「山上茂樹ききがきノート」に次のような気になる記事を見つけました。

 青梅街道が瑞穂町長岡をすぎて青梅市新町の街に入る手前、右手の畑中に大きな塚がみえる。高さ約6メートルほどで富士塚とよばれる塚である。昭和42年、都教育委員会発行の『東京都文化財調査報告19』には、富士塚をこう見る。
 ……フジ塚は中世から近世にかけて盛行した富士講に関する信仰上の塚(祭壇)としての可能性が強く、類例は各地に認められる。おうおう古墳を利用した場合もあるが、周囲の状態から推定すると、最初から信仰上の塚として築かれたものである蓋然性がが強い。
 たしかにこの富士塚から北方の藤橋あたりでは富士浅間信仰が盛んで、前書のように祭壇としても利用されたのだろう。しかし、この富士塚の頂に、かつて長1.5メートル、短80センチほどの平らな石灰岩が露出していた。その石灰岩は私がみたときは、塚の東側に落とされた状態だった。これは秋川市瀬戸岡や草花にある古墳の石棺の蓋とまったく同一のものであった。(『多摩のあゆみ』第39号)

 つまり、この塚は凝灰岩を石材とした埋葬施設が存在する古墳ではないのか、ということのようですが、地元の人には「以前は横穴が存在していた」という話もあり、元々あった古墳を流用して築造された富士塚である可能性も考えられていたようです。

 その後、平成14年7月から8月にかけて発掘調査が行われ、また平成15年には内部施設の有無の確認のため地下レーダー探査が実施されています。この調査の結果が掲載されている青梅市教育委員会発行の『青梅市埋蔵文化財調査概要』には、「トレンチによるいわゆる掘削調査では、塚東側斜面部において版築は行なわれていないことが確認された。また、塚斜面裾部では上部に近代の攪乱が存在するものの、根切りと思われる溝の存在が確認された。一方、地下レーダー調査では頂上部直下2mまでに埋め戻された形跡のある軟弱な層が確認されたが、内部の堆積層からみて近現代による攪乱と判断された。さらに版築についても確認できず、単純な盛土によって構築された塚である可能性が高いと確認された。その他、古墳の施設である横穴や石室は、確認できなかった。」と書かれています。部分的な調査で詳細は不明であるものの、塚は古墳ではなく富士山信仰を目的として築造された可能性が高いと判断されているようです。


「富士塚」

 青梅市内の史跡は整備された公園の名称にそのまま使われているパターンが多く、例えば「青梅新町の大井戸」は「大井戸公園」、「稲荷塚」は「大山公園」という感じで、この富士塚もその名の通り、「富士塚公園」内に残されています。
 それにしても、この富士塚を遠目に見ると角度によっては二段築成の円墳に見えなくもないのですが、やはり古墳ではなかったようですね。。。


「富士塚」

 頂上部に建てられていたという浅間大神は大正2年(1913)に御嶽神社に合祀されているそうです。画像はその御嶽神社を南から見たところです。


「富士塚」

 再訪したのは今年のちょうど桜の時期だったのですが、境内には満開の桜が咲き乱れて夢のような光景でした。


「富士塚」

 御嶽神社の社殿のようすです。
 この近辺は「旧吉野家住宅」や「青梅新町の大井戸」等々かなり見どころ満載ですので、ゆっくり廻りたいところですね。桜の咲く初春も悪くないですが、東京文化財ウィークが行われる秋もお薦めです。

「富士塚」

<参考文献>
山上茂樹「山上茂樹ききがきノート」『多摩のあゆみ 第39号』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』
青梅市教育委員会『平成14年度 青梅市埋蔵文化財調査概要』
現地説明版


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  1. 2016/05/24(火) 02:25:40|
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「今井物見塚」

「今井物見塚」

 画像は、青梅市今井4丁目、首都圏中央連絡自動車道(通称圏央道)青梅インター入口付近の岩蔵街道沿いに所在する「今井物見塚」を南西から見たところです。

 もう何年も前の話ですが、青梅市内を車で走行中にまるで古墳かのような塚が視界に入りました。圏央道の青梅インターに向かって高速道路に入る直前の交差点の角で、道路と道路の間にきちんと保存されているようでしたし「××塚」という標識のようなものも見えましたので、間違いなく史跡として整備されている塚(古墳?)だと思い、次のわき道を曲がって引き返そうと身構えました。しかし、残念ながらその道はすでに青梅インターの入口に入っていて引き返すこともできず、後ろ髪を引かれる思いで青梅を後にしました。
 その後、図書館などで調べてみたのですが、なぜかこの塚について書かれている書物を発見できず、築造された時期や塚の性格についてなどはまったくわかりませんでした。名称からして少なくともこの塚は古墳ではないようですが、周囲に説明板が立てられているようすもなく、「今井物見塚」という木造の看板が立てられているのみです。


「今井物見塚」

 画像のように、この周辺ではバスの停留所にこの塚の名称が使われているほか、「物見塚通り」という市道や「物見塚牧場」という牧場も存在しており、地元ではかなり名の知れた塚であるようです。


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  1. 2016/04/25(月) 04:02:38|
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「丸山の塚」

「丸山の塚」

 青梅市藤橋1丁目周辺に所在する「丸山遺跡」は、北方を流れる霞川と平行に東西に広がる加治丘陵から南に突き出した舌状台地に位置しています。この周辺は青梅市内でも有数の遺跡集中地区で、旧石器時代から中世に至る遺跡が点在しています。丸山遺跡の地名は、周囲に所在する城跡と関係する施設があったことによるという説があり、またこの地に所在した塚に起因するのではないかとも考えられていますが、確かなことはわからないようです。

 『東京都遺跡地図』には、青梅市の遺跡番号157番の”時代不明の塚”として「丸山の塚」という2基の塚が登録されています。『東京都遺跡地図情報インターネット提供サービス』にはこの塚について「丘陵、塚群、径5m、高1.5m」とあるのですが、平成7年(1995)に発行された『多摩地区所在古墳確認調査報告書』には「2基、残存、径2m、高1.5m」と書かれており、塚の規模について若干の違いが見られます。
 実は3年ほど前に、プリントアウトした東京都遺跡地図の分布図だけを頼りにこの周辺を歩いてみたことがあるのですが、山の尾根上に記されている2基の塚はどこにあるのかまったく見つからず、確認出来たのは山の麓のあたりに残存する小さな塚1基のみでした。この塚の位置は、東京都遺跡地図の分布図に記された位置とは若干のズレがあるのですが、『丸山遺跡 -Ⅰ~Ⅳ次調査概要-』には「昭和25年頃まで高さ約5m、直径約10mの塚が存在した(中略)台地の奥部に高さ約1m程の小さな塚が1基残っています。」と書かれていますので、おそらくは山の尾根上に存在した大きな塚は消滅して、現在の「丸山の塚」はこの小さな塚1基、ということになるようです。

 というわけで、画像は「丸山の塚」を南東から見たところです。まだ自然が多く残る青梅の住宅街の片隅に、塚はひっそりと残されています。。。

<参考文献>
青梅市教育委員会『丸山遺跡 -Ⅰ~Ⅳ次調査概要-』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図情報インターネット提供サービス』


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  1. 2016/04/24(日) 04:52:59|
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