古墳なう

ご〜ご〜ひでりんの古墳探訪記

「一里塚のエノキ」―青梅市天然記念物―

「一里塚のエノキ」―青梅市天然記念物―

 画像は、青梅市今寺2丁目、今寺交差点の北東角にある「一里塚のエノキ」です。青梅市の天然記念物に指定されているこの一里塚は、青梅駅からちょうど一里(約4km)の距離にあり、山根道(根通り道)と伝馬街道が交差するところにあります。「根通り道」の一里塚として江戸時代に植えられたと伝わる、青梅市内に残されている唯一の一里塚です。

 江戸時代の八王子代官である大久保石見守長安は、この周辺地域の水田開発や堤防や橋の築造、また甲州街道、五日市街道、青梅街道といった街道造りにも貢献しているそうです。街道の改修工事を行っていた長安は、見渡す限りの原野であった武蔵野に目印になる山や大きな木がなかったため、一里塚に目印になるような大きな木を植えようと考えたそうです。時の将軍秀忠公にお伺いに上がり、「一里塚に木を植えたいが、松の木ではスギやヒノキと紛らわしいのですが、いかがいたしましょうか?」と尋ねたところ、秀忠公は「”余の木”(他の木)を植えたらよかろう」と答えたのだそうです。この頃少し耳が遠くなっていた長安は、「上様の言われた通り、早速一里塚に”榎(エノキ)”を植えよ」と 、「余の木」と「榎」を聞き間違えて榎を一里塚に植えさせたと言われています。何のことはない、オチはオヤジギャグかよという感じですが(笑)今寺の榎はこの時に植えられたようです。。。


「一里塚のエノキ」―青梅市天然記念物―

 榎の根元は盛り上がっていて、塚の面影を残しています。青梅市教育委員会による説明板が立てられており、次のように書かれています。

市天然記念物 一里塚のエノキ
 江戸時代、街道の里程標
として植えられたという。
いわゆる「一里塚の榎」の
今に残る一本である。ここ
では川越街道とよばれた道
路の里程を示すために植え
られたものである。
植物名 ニレ科 エノキ
幹の太さ 三四七センチメートル
 昭和三十二年十一月三日 指定
    青梅市教育委員会


<参考文献>
青梅市教育委員会『青梅を歩く本』
現地説明版


人気ブログランキングへ

  1. 2016/12/15(木) 01:36:19|
  2. 青梅市
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

「佐藤塚」―青梅市指定史跡―

「佐藤塚」

 画像は、青梅市成木8丁目に所在する「佐藤塚」を北西から見たところです。『東京都遺跡地図』には青梅市の遺跡番号5番の近世の「石灰窯跡・墓地」として登録されている遺跡です。

 この塚について、江戸時代の地誌『新編武蔵風土記稿』には「松木峠の麓にて往還の傍にあり、天正年中北條氏照が家臣佐藤助十郎と云もの此地へ来り住し、上成木村にすめる木崎某川口某ら三人とはかりて始めて石灰を製せしよし、この家も今はたえてなし」と書かれています。『斎藤地誌』には「土人は塚と呼べども平地なり」とあるものの、『武蔵名勝図会』には「高さ六、七尺、上に雑木生ぜり」とあり、築造当時、塚状のマウンドは存在したのかどうかはよくわかりません。


「佐藤塚」

 画像は南西から見た佐藤塚です。現在の佐藤塚は高さ30mほどの大きなヒノキの根本に2基の五輪塔が建てられており、青梅市教育委員会による説明板が設置されています。この説明板には次のように書かれています。

市指定史跡 佐 藤 塚
 文政三年(一八二〇)に著された『武蔵名勝図会』に、「佐藤助十郎とて、上成木村木崎治右衛門、川口弥次郎等の先祖と同じく、北條家落魄のものどもなり。この辺にて石灰を焼きだすことを始めたる、その佐藤が塚なりと云。いまは断絶しければ、住居のあたりに築きたる塚なりと云。高さ六、七尺、上に雑木生ぜり」と記されている。
 江戸初期にはじまるこの地方の石灰産業史をかたるうえに重要な史跡である。また、檜の大木の前にある五輪塔の地輪には正保二年(一六四五)と解読できる年号が記され、本市における石造遺物の一つとして貴重である。
 昭和三十年十一月三日 指定
 青梅市教育委員会



「佐藤塚」

 画像が塚に立てられている2基の五輪塔です。
 この塚へは最寄りのJR青梅線軍畑駅からでも2~3kmほど歩かなければならず、また榎峠をを越えなければならないので、見学に訪れるにはなかなか難易度の高い塚です。車で訪れても山の中の一本道ですので付近に駐車場はありません。東京都内であることを忘れてしまいそうな自然の豊かな地域ですが、この周辺では消石灰の大量生産が行なわれ、江戸時代から明治時代にかけてかなり裕福な地域であったそうです。


「佐藤塚」

 塚の横にある橋には「佐藤塚橋」と塚の名前が使われています。。。

<参考文献>
青梅市史編さん実行委員会『定本市史 青梅』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』
青梅市教育委員会『青梅を歩く本』


人気ブログランキングへ

  1. 2016/12/14(水) 01:02:37|
  2. 青梅市
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

「天皇塚」

「天皇塚」

 現在の青梅市藤橋2丁目周辺は、古くは今寺天皇塚という字名で呼ばれており、『東京都遺跡地図』によると、古墳や塚といった遺構は存在しないものの「天皇塚遺跡」の名称で青梅市の遺跡番号136番の包蔵地として登録されています。画像は、この天皇塚遺跡内に所在する「天皇さま」の祠を南から見たところです。

 『皇国地誌』の『今寺村誌』にはこの天皇塚についての記述があり、「天皇塚 元標ヨリ子ノ方、字天皇塚五百七十四番茅野壹反七畝十五歩、築地誠五郎所有地ノ内ニテ高サ(記述なし)、回リ(記述なし)、冢上ニ速進男命、神武天皇二柱ヲ祭ル。名義之ニ因レリ。側ノ字モマタ同義ナリ。」と書かれています。『皇国地誌』は、当時の明治政府によって行われたものの未完に終わった官撰地誌編纂事業で、正本は関東大震災により焼失したとされているものの、残存する草稿や副本などをまとめた『皇国地誌・西多摩郡村誌』が青梅市教育委員会より刊行されています。未刊に終わったためか「記述なし」や「草稿缺落」などと書かれている記事も多く、この天皇塚に関しても塚の規模については「記述なし」とされています。これは、塚の存在を想定して執筆したものの未完成の原稿であるために記述がないのか、それとも塚そのものが削平されて存在しなかったためなのか、詳細はわかりません。
 この周辺で地元の人にお聞きしたところでは、かなり以前よりこの場所に塚はなく、塚があったという話も聞いたことがないという事でしたので、少なくとも戦後くらいにはすでに塚は消滅していたようです。江戸時代の地誌である『新編武蔵風土記稿』や『武蔵名勝図会』にはこの天皇塚は記載されていないようなので、かつて塚が存在したとしてもそれほど知られた存在ではなかったのかも知れません。
 皇国地誌には他に「無名冢 元標ヨリ子ノ方、字常磐木平、路傍ニアリ。藤橋城没(以下記述なく草稿缺落)」とも書かれていますので、この周辺にはいくつかの塚が存在していたことは間違いないようです。。。

<参考文献>
青梅市郷土資料館『青梅市の埋蔵遺跡』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』
青梅市教育委員会『青梅市史史料集第五十五号 皇国地誌・西多摩郡村誌』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図情報インターネット提供サービス』


人気ブログランキングへ

  1. 2016/12/12(月) 01:45:55|
  2. 青梅市
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

「入定塚」

「入定塚」

 画像は、青梅市塩船に所在する「大悲山塩船観音寺」の山門を南東から見たところです。山号を大悲山と称すこの塩船観音寺は、周囲の地形が小丘に囲まれて舟の形に似ていることから、仏が衆生を救おうとする大きな願いの舟である『弘誓の舟』になぞらえて塩船と名づけられたといわれています。大化年間(645~650)に若狭国の八百比丘尼が一寸八分の紫金の観音像を安置したのが開山と伝えられており、貞観年間(859~877)には安然和尚が十二の坊舎を建て興隆を極めたと伝えられています。このお寺の敷地内には青梅市の遺跡番号119番の「入定塚」という名称の中世の塚が登録されています。


「入定塚」

 この塚について、昭和52年(1977)に青梅市教育委員会より発行された『青梅市の埋蔵遺跡』には「塩船観音寺阿弥陀堂裏」とあり、また平成7年(1995)に多摩地区所在古墳確認調査団により発行された『多摩地区所在古墳確認調査報告書』には「残存、径10m」と書かれています。
 『東京都遺跡地図』の分布図を確認すると、青梅市内の古墳や塚に関しては比較的正確に所在地が記されているのですが、この入定塚に関しては、実際に現地を訪れてみても分布図に記されたあたりには塚らしきマウンドは全く存在しません。塩船観音寺でお聞きしたところでは「阿弥陀堂裏手の丘陵裾部の墓所の場所が昔から入定塚と呼ばれている」ということなので、早速引き返してその墓所を訪れてみました。画像がその墓所のようすです。
 多くの石造物が祀られているようですが、自然地形である丘陵の斜面を平らに削った場所であるようで、特に塚らしきマウンドは存在しないようです。入定塚という名称からしてかつては行者や修験者の入定伝説が残されていたのか、それとも供養塚の一種であるのか、というところですが、塚の由来については塩船観音寺でもわからないということのようです。。。


「入定塚」

 入定塚と呼ばれる墓所から南西側にさらに下った場所には、塚状のマウンドが存在します。『青梅市の埋蔵遺跡』にある「塩船観音寺阿弥陀堂裏」と、『多摩地区所在古墳確認調査報告書』の「丘陵裾部」、「残存、径10m」という記述からするとこの塚が「入定塚」ではないかと考えられますが、特に説明板などは存在しないようです。。。

 八百比丘尼が紫金の千手観音像を安置したことにより開山したと伝わるこの塩船観音寺ですが、八百比丘尼とは、若狭国(現在の福井県)に暮らしていた漁師の娘が、人魚の肉を食してしまったことにより不老不死となり、その後娘は出家して八百比丘尼と呼ばれる僧侶となって諸国をを行脚したといわれており、全国各地に八百比丘尼にまつわる伝説が残されています。八百比丘尼は800歳まで生きた後、若狭に渡って死んだと伝えられており、福井県小浜市の空印寺には八百比丘尼が入定したとされる洞窟が残されているそうです。果たしてこの八百比丘尼の伝説と入定塚には何か関連があるのかもしれませんが、真相はわかりませんでした。


「入定塚」

 塩船観音寺境内のようすです。本当に舟のような形をしています。『東京都遺跡地図』には、この小丘の斜面に「青梅市№118遺跡」という名称の横穴墓が登録されています。。。

<参考文献>
青梅市教育委員会『青梅市の埋蔵遺跡』
青梅市史編さん実行委員会『定本市史 青梅』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』
塩船観音寺『塩船観音寺公式ホームページ』


人気ブログランキングへ

  1. 2016/12/09(金) 09:24:49|
  2. 青梅市
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

「塚(2基)」

「塚(2基)」

 『東京都遺跡地図』によると、青梅市内には発掘調査により確認された古墳は存在しないようですが、数多くの塚が登録されています。青梅市塩船の塩船寺裏手の墓地にはかつて2基の塚が存在したといわれており、『東京都遺跡地図』には青梅市の遺跡番号125番に「塚(2基)」という名称で中世に築造されたと推定される塚が登録されています。画像はその墓地周辺を南から見たところです。

 この塚についてはあまり多くの情報を入手することができなかったのですが、昭和52年(1977)に青梅市教育委員会より発行された『青梅市の埋蔵遺跡』には「塩船寺裏尾根上、墓地造成のため破壊」と書かれており、また平成7年(1995)に多摩地区所在古墳確認調査団により発行された『多摩地区所在古墳確認調査報告書』でも「消滅」とされています。残念ながら2基の塚を姿を見ることはできないようです。
 この塚は、青梅市の遺跡番号124番として登録されている「K-18遺跡」の包蔵地に含まれているようですが、この遺跡の時代は旧石器時代、縄文時代(早期~前期)、平安時代とあり、出土した遺物も尖頭器、縄文土器とありますので、やはりこの2基の塚も古墳ではなかったようです。。。

<参考文献>
青梅市教育委員会『青梅市の埋蔵遺跡』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』


人気ブログランキングへ

  1. 2016/12/06(火) 10:08:34|
  2. 青梅市
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
次のページ

カテゴリ

足立区 (4)
伊興古墳群 (4)
その他の古墳・塚 (0)
葛飾区 (6)
立石古墳群 (3)
その他の古墳・塚 (3)
墨田区 (0)
荒川区 (28)
尾久の微高地 (4)
町屋-三河島の微高地 (19)
南千住の微高地 (3)
日暮里の台地上 (2)
台東区 (11)
上野台古墳群 (5)
その他の古墳・塚 (6)
北区 (26)
赤羽台古墳群 (2)
十条台古墳群 (2)
飛鳥山古墳群 (8)
田端西台通古墳群 (1)
その他の古墳・塚 (13)
板橋区 (46)
志村古墳群 (10)
その他の古墳・塚 (36)
練馬区 (7)
杉並区 (12)
中野区 (9)
豊島区 (2)
新宿区 (0)
渋谷区 (17)
目黒区 (8)
文京区 (3)
千代田区 (3)
港区 (4)
品川区 (22)
品川大井古墳群 (7)
その他の塚 (15)
大田区 (85)
田園調布古墳群 (25)
鵜の木・久が原古墳群 (8)
その他の古墳・塚 (52)
世田谷区 (54)
野毛古墳群 (13)
砧古墳群-殿山古墳群 (9)
砧古墳群-大蔵古墳群 (0)
砧古墳群-砧中学校古墳群 (2)
砧古墳群-喜多見古墳群 (13)
砧古墳群-その他 (6)
その他の古墳・塚 (11)
三鷹市 (4)
狛江市 (43)
狛江古墳群-和泉支群 (17)
狛江古墳群-岩戸支群 (3)
狛江古墳群-猪方支群 (23)
その他の古墳・塚 (0)
調布市 (55)
国領南古墳群 (2)
下布田古墳群 (16)
上布田古墳群 (7)
下石原古墳群 (2)
飛田給古墳群 (17)
その他の古墳・塚 (11)
府中市 (77)
白糸台古墳群 (14)
高倉古墳群 (32)
御嶽塚古墳群 (19)
武蔵府中熊野神社古墳 (2)
府中市内の塚 (10)
国立市 (19)
下谷保古墳群 (11)
青柳古墳群 (3)
その他の古墳・塚 (5)
立川市 (13)
稲城市 (0)
多摩市 (4)
和田古墳群 (4)
多摩市内の塚 (0)
日野市 (33)
平山古墳群 (7)
西平山古墳群 (5)
七ッ塚古墳群 (8)
万蔵院台古墳群 (4)
その他の古墳・塚 (9)
町田市 (5)
能ケ谷香山古墳群 (0)
その他の古墳・塚 (5)
八王子市 (4)
昭島市 (3)
浄土古墳群 (1)
その他の古墳・塚 (2)
あきる野市 (47)
森山古墳群 (3)
草花古墳群 (14)
御堂上古墳群 (4)
瀬戸岡古墳群 (7)
牛沼古墳群 (3)
その他の古墳・塚 (16)
日の出町 (2)
青梅市 (11)
古墳空白地域 (17)
西東京•清瀬•東久留米市 (0)
小金井•小平•国分寺市 (0)
東村山•東大和•武蔵村山市 (7)
福生市•羽村市•瑞穂町 (10)
栃木県の古墳 (5)
宇都宮市・上三川町 (0)
壬生町・鹿沼市 (5)
大田原市・那須町・那珂川町 (0)
群馬県の古墳 (0)
茨城県の古墳 (5)
神奈川県の古墳 (2)
千葉県の古墳 (1)
長野県の古墳 (6)
未分類 (1)

最新記事

最新コメント

検索フォーム

リンク

このブログをリンクに追加する

QRコード

QR