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古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

「瓢箪塚」

「瓢箪塚」1

 画像は、練馬区栄町に所在する「武蔵野稲荷神社」です。

 この神社は通称「江古田のお稲荷さん」とも呼ばれており、祭神は宇迦之御魂神、月日十天上大神、弥栄天神で、創建は不詳とされています。明治、大正から昭和と商家、歌舞伎役者、馬主、事業家等の信仰を集め、平成となった現在でも除災招福、病気平癒、商売繁昌の祈願が多いといわれます。

 この神社の境内には、「瓢箪塚」と呼ばれる塚が所在します。
 ネットで公開されている最新の『東京都遺跡地図情報インターネット提供サービス』では、練馬区の遺跡番号115番の「近世の塚」として登録されているようですが、かつては古墳の跡ではないかとも考えられていたようです。


「瓢箪塚」2.

 武蔵野稲荷神社の二の鳥居です。


「瓢箪塚」3

 武蔵野稲荷神社の拝殿の様子です。

 昭和50~55年にかけて整備されたもので、かなり個性的な拝殿です。
 『練馬の神社』によると、この拝殿のさらに奥にある「本殿」の建っている場所が「瓢箪塚」となるようです。
 ただし、残念ながら本殿の場所まで立ち入ることはできず、また神社の周囲からも本殿を見渡せる場所はなく、塚を見学することはできませんでした。

 塚は、後が二個に割れているところから「割塚」。
 また塚には白狐が十数匹も棲んでいたので「白狐塚」とも呼ばれていたそうです。
 「瓢箪塚」は前方後円墳に良くみられる名称ですので、この塚が古墳であった可能性も捨てきれないところですが、真相はわかりません。周囲には空堀がめぐらされており、以前は千川上水の水を引き入れていたそうですので、これはひょっとしたら古墳の周溝の可能性もあるのかもしれません。。。

 一説には、文明9年(1477)の江古田・沼袋の合戦で太田道灌によって滅ぼされた豊島軍の死者を葬った豊島塚であるとの言い伝えもあるようで、他に石器時代の遺跡であるとか、先住民族であるコロボックルの遺跡であるともいわれているそうです。


「瓢箪塚」4

 武蔵野稲荷神社境内にある「子守塚」です。
 塚に住んでいた古狐が死んだとき、近所の人がこれを哀れに思い供養して、子供がよく育つようにと祈って建てたのがこの「子守塚」であるそうです。

<参考文献>
練馬区教育委員会『練馬の伝説』
練馬区郷土史研究会『練馬の歴史』
練馬区教育委員会『練馬の神社』
練馬区立石神井公園ふるさと文化館『ふるさと練馬探訪』


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  1. 2020/05/03(日) 18:14:44|
  2. 練馬区の古墳・塚
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「練馬区No.77遺跡(谷原町古墳)」

練馬区No.77遺跡」1

 画像は、練馬区高野台1丁目に所在する「練馬区No.77遺跡」を南西からみたところです。

 その名の通り、練馬区の遺跡番号44番の遺跡として登録されているこの塚は、かつては古墳ではないかとも考えられていました。
 昭和32年に発行された『練馬区史』の78ページ、「区内古墳地名表」には「円墳」として掲載されており、次のように書かれています。
 「谷原町二丁目二、四四一番地横山政雄氏宅地内の高塚古墳は、現在同家の築山として利用されている。現形は実測図で見るように東西に長い楕円状であつて、横山氏の談によれば土蔵、家屋を建築の時に、南側を削りとつた由で、したがつて旧形は直径八米ほどの円墳であつたことが想像される。また高さは前庭との比高四米ほどであるが大正十二年の震災の時、三尺ほど墳頂の土砂が崩れたといわれるから、もとの高さは五米位であつたろう。ここは石神井川の沖積地を南に見晴す景勝地であつて、地方有力者の奥津城としては格好の土地である。しかし、この高塚が確実に古墳であるということは発掘しない限り断定できない。恐らく古墳と思われるが断定は後日の発掘を待たなければならない。」

 この当時、学術的な調査が行われていなかったことから断定はされていないものの、この当時は古墳ではないかと想定されていたようです。


練馬区No.77遺跡」2

 その後、平成2年11月から12月にかけて、この「築山」を保護するため、確認の発掘調査が行われています。
 塚は長軸約18m、短軸約15mの楕円形を呈しており、東側から頂上までの高さは4.8m、西側から頂上までは2.8mであることが確認されています。ただし、土質は軟弱で、古墳の盛土にみられる「版築」は確認されなかった、つまり古墳ではないことがわかっています。
 また、この塚の盛土は宝永テフラ(1711年に起こった宝永山の噴火による降下火山灰)を含む層を切って構築されていることが確認されており、つまり塚は1711年以降に築造されたことがわかっていますが、これ以外の塚の性格についてはまったく不明で、また塚に関する伝承等も一切わからなかったようです。

 現在は塚の周囲の開発が急速に進んでいます。
 塚の周辺は開発が進んでおり、見学するにはなかなか難易度が高い状況です。

 この場所は、植え込みが茂っている真夏に見に行ってしまったので、撮影した写真では塚のようすがよくわからないのですが、実際に現地で見学すると植え込みの隙間からわずかに塚の様子を見ることができます。
 塚は良好な状態で残されているようですが、残念ながら古墳ではなかったようですね。。。

<参考文献>
東京都練馬区『練馬区史』
練馬区教育委員会社会教育課『埋蔵文化財調査報告 6 平成2年度』


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  1. 2020/04/16(木) 20:12:16|
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「練馬区No.44遺跡(芸術大学寮裏古墳・比丘尼塚)」

「練馬区No.44遺跡」(芸術大学寮裏古墳)1

 画像は、練馬区上石神井3丁目に所在する「練馬区No.44遺跡」を南から見たところです。
 その名の通り、練馬区の遺跡番号44番の遺跡として登録されているこの塚は、かつては「芸術大学寮裏古墳」、「比丘尼塚」といった名称で呼ばれており、古墳ではないかと考えられたこともあったようです。


「練馬区No.44遺跡」(芸術大学寮裏古墳)2

 少々角度を変えて、東から見た塚の様子です。
 こちらから見た方が、塚の形状が把握できそうですね。
 この場所、何年か前に、東京芸術大学の石神井寮が取り壊されるということでニュースで取り上げられていました。塚の南側にあった石神井寮の跡地は今後は公園として活用されるということで、整備が進められています。開発が進む住宅街の一角に、塚はぽつりと残されています。


「練馬区No.44遺跡」(芸術大学寮裏古墳)3

 昭和32年に発行された『練馬区史』78ページの「区内古墳地名表」には、この塚は円墳として記載されており、同書には「上石神井一丁目芸術大学寮裏の円墳は、明治三十三年発行の「古墳横穴及同時代遺物発見地名表」所載の上石神井村上石神井の円墳にあたると思われるが今日では見るかげもない。」と書かれています。
 さらには「地名表には7基をあげたが、発掘調査を経たものは一基もなく、そのすべてを確実に古墳であるとは断言できない状況である。」とも書かれています。
 練馬区内では、古墳ではないかと考えられた塚はいくつか存在したようですが、現在では古墳は1基も存在しなかったとされているようです。このNo.44遺跡も、学術的な調査は行われていないものの、ネットで公開されている最新の『東京都遺跡地図情報インターネット提供サービス』では「近世の塚」とされており、古墳ではないと判断されているようです。


「練馬区No.44遺跡」(芸術大学寮裏古墳)4

 練馬区教育委員会より昭和52年(1977)に発行された『練馬の伝説』には、この塚について次のように書かれています。

比丘尼塚と半六稲荷
 上石神井の東京芸大石神井寮の北、道をへだてた所に、大木におうわれた小高い塚がある。頂上に稲荷がまつってある。比丘尼塚とも山の神ともよんでいる。高橋家の畑の中に以前からあったもので、いろいろなたたりがあるとのことで、初牛の日の祭りはたやさないと言う。以前、鳥の絵馬を上げたとのことなので稲荷であるかどうか疑問が残る。
 古老の話では、石神井城落城の時、金の鞍をおいて池にとびこみ、落ちのびようとした豊島泰経は、金の重みで馬が沈んでしまったので、馬と鞍を捨てて逃げたと伝えている。その馬を供養したのがこの塚であるという。豊島泰経生存説は他にもあるのでうなづける点もある。
 山の神とは大山祇の神であり、岩上、古木の株、古墳の上にまつる。又田の神でもあるというが、この塚を将来汚さぬようにとの配慮から言いつたえられたものであろう。
 塚の木を切るとたたりで死ぬと言われ、その通りになったという家があり、塚の方へ防空壕をほったり、いたずらをして死んだ話が残り、雪で折れた杉の木を切るにもおはらいをしたという。
 この塚の西に半六稲荷という北向きの稲荷がある。半六さまと言われた高橋家の守護をしているという。(『練馬の伝説』123ページ)


 やはり、祟りの言い伝えや、塚上に祀られた祠の存在があるがゆえに、現代まで塚が壊されずに残されたということになるようですね。
 確か、5、6年ほど前に、この東京芸大石神井寮が閉寮となり取り壊されるというニュースが話題になっていたと思います。私が最初にこの塚を見学した時は、まだ学生寮の建物が残っていた記憶があるのですが、「新しいカメラで写真を撮ろう!」ということで何年か後にもう一度ここを通りかかった時にはすでに寮は跡形もなく、塚の隣も駐車場になっていました。東京の景観はどんどん変わりますからね。。。

 『練馬区史』の79ページには、「芸術大学寮裏古墳」という名称で往時の写真が掲載されており、この時期すでに墳頂部に小さな祠を確認することができます。興味のある方は、練馬区内の図書館で閲覧できます。。。


「練馬区No.44遺跡」(芸術大学寮裏古墳)5

 現在の塚の頂部の様子です。

<参考文献>
練馬区教育委員会『練馬の伝説』
東京都練馬区『練馬区史』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』


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  1. 2020/04/15(水) 21:08:59|
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「和田稲荷神社の塚」

「和田神社の塚」1

 画像は、練馬区石神井1丁目に所在する「和田稲荷神社」です。

 祭神は「倉稲魂命」であるこの神社の創立年代は不詳といわれています。
 昔は「伝五郎稲荷」として知られており、旧字和田地区の鎮守であったようです。『北豊島郡誌』には「由緒、社記ニ京都伏見稲荷ノ分社ナル由伝フ。」また「氏子石神井村大字下石神井和田全部、300戸」と記されています。
 地元の人からは「和田稲荷」と呼ばれて親しまれているようですが、この「和田」とはこの周辺の旧地名で、創建は豊島氏の家臣、渡辺氏であるといわれています。


「和田神社の塚」2

 石神井公園駅周辺は再開発が進められており、この神社の前の道も拡張工事が進められています。
 これから景観も大きく変わりそうですが、木々に覆われた神社境内は静けさを保っているようです。
 境内の中央にある御神木の白樫は、練馬区内最大といわれています。


「和田神社の塚」3

 本殿の北側、左手奥に塚があります。
 朱い鳥居が建てられており、塚の上には境内社として、荷田春満を祀っているという「荷田神社」が鎮座しています。
 立地的に、石神井川左岸の台地縁辺部ということになるこの塚が古墳を流用した可能性はないのだろうかと考えました。
 塚の周囲の石垣に使われている河原石も、石室の石材を流用したものではないだろうかといろいろ妄想が膨らんでしまいます。
 現状のこの塚は、『東京都遺跡地図』にも登録されていないという状況で、学術的な調査も行われていないようです。。。


「和田神社の塚」4

 西から見た荷田神社の塚。

<参考文献>
練馬区教育委員会『練馬の神社』
練馬区立石神井公園ふるさと文化館『ふるさと練馬探訪』


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  1. 2020/04/14(火) 20:16:40|
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「石神井台4丁目の正体不明の塚」

「練馬区石神井台の正体不明塚」1

 さて今回は、正体を突き止めることができなかった無名の塚を取り上げようと思います。

 練馬区石神井台4丁目、新青梅街道沿いの墓地となっている三角地内には2基の塚が残されています。
 『東京都遺跡地図』にも未登録であることから私はこの塚の存在を知らずに、この横を偶然に通り掛って見つけました。

 まず最初の画像は、2基あるうちの南側の1基です。
 円墳状の塚がかなり良好な状態で残されている様子で、塚の周囲には多くの石造物が建てられているのが見えます。塚の頂部にも1基の石造物が建てられており、これはおそらく庚申塔ではないかと思われるのですが、敷地内に入れないことから近くで観察することができず、よくわかりません。
 庚申塔であれば「庚申塚」ということになるのかな???


「練馬区石神井台の正体不明塚」2

 角度を変えて、北東から見た塚の様子です。
 『京都遺跡地図情報インターネット提供サービス』によると、この区画は練馬区の遺跡番号57番の「扇山遺跡」の範囲内となるようです。しかし、「遺構」や「概要」の欄には「塚」の文字は見当たらないようです。また、扇山遺跡に関連する発掘調査報告書の類にも、塚の情報は見つかりませんでした。
 見学した印象では人工的に盛られた塚であるように感じられますが、塚の名称や性格、伝承等については不明です。


「練馬区石神井台の正体不明塚」3

 塚上の様子です。
 多くの石造物が残されているにも関わらず、塚の頂部にはこの庚申塔らしき1基のみが祀られているようです。
 そういえば、ここから1kmほど上流には「小関庚申塚」が所在します。
 やはりこの塚も庚申塚なのでしょうか?
 まさか庚申塔1基のためにこんなに大きな塚を???


「練馬区石神井台の正体不明塚」4

 北側にあるもう1基の塚。
 やはり塚の周囲には多くの石造物が見られます。


「練馬区石神井台の正体不明塚」5

 北側の塚を東から見たところ。
 かつては南側の塚と同じくもっと大きな塚だったのではないかと推測されますが、おそらく新青梅街道の建設により削られてしまったのでしょうか?北側は大きく削平されて、塚の1/3ほどが残されているという状況でしょうか。。。

 古い郷土史本の類をもうちょっと掘り下げると、この塚について書かれた文献は存在するのではないかとも思われるのですが、なにせ、コロナの影響で、図書館や郷土資料館等々軒並み閉館中というこのご時世ですからね。
 真相のわからなかった正体不明の塚もどんどん公開していこうという方向です。
 もちろん、何か判明した時には追記する予定です。。。

<参考文献>
東京都練馬区『練馬区史 歴史編』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』


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  1. 2020/04/13(月) 20:06:24|
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「田中の森と稲荷神社」

「田中の森と稲荷神社」1

 画像は、練馬区向山4丁目29に所在する稲荷神社です。
 この神社は移動中に偶然に通りかかって見つけた場所で、大きな塚の上に鎮座するように見えたので、びっくりして写真に収めました。その後、この塚がどういう性格の塚なのかずっと調べていましたが、例えば江戸時代の『新編武蔵風土記稿』や、大正時代の『武蔵野歴史地理』といった郷土史本に記述が見られず、なにより『東京都遺跡地図』にも塚としての登録がなく、すっかり行き詰まってしまっていました。


「田中の森と稲荷神社」2

 画像が、南から見た稲荷神社の社殿の様子です。
 土台となっている高まりが、まるで人工的に盛られた塚に見えますよね。
 私は、こうした高まりを見ると、「まさか古墳では?」とすぐに妄想してしまうわけですが、最近になってようやくこの神社とその高まりについて記述のある文献を見つけることができました。

 この場所は、かつては地元の人に「田中の森」と呼ばれる丘であったそうです。
 練馬区教育委員会より発行された『練馬を往く』には、「川に沿ってさかのぼると、左方に田中の森という小高い丘が見える。川の改修前は、川がその裾を巡って要塞の状を呈していたが、練馬城の出城で豊島の家老がいたところという伝説がある。今は住宅地化が進んでいる。」と書かれています。
 出城だったのかとは驚きですが、大正時代の古地図で確認すると、南から北に向かって突き出た舌状台地の先端が一旦下がって谷となり、その先に島のような地形でもう一度高まるような地形となっています。つまり、現在の小さな塚のような地形ではなく、もう少し広い丘のような地形だったようです。


「田中の森と稲荷神社」3

 「田中の森」と呼ばれた丘は、昭和から平成にかけて住宅地としての開発が進み、丘陵は削られて平らに整地され、神社の敷地のみが破壊を免れて高さが残された結果、塚のような形状となったというのが真相であるようです。


「田中の森と稲荷神社」4

 神社の境内地から見下ろしてみたところ。
 高さが残されている様子がわかると思います。


「田中の森と稲荷神社」5

 練馬区内には高塚古墳は存在しないといわれていますが、区内の塚の所在地を調べていくと、石神井川流域に集中して分布するように感じられます。この中に古墳が存在しなかったのか、細々と調べていましたが、少なくともこの神社の塚状地形は古墳ではなかったようです。

 この田中の森の丘陵が果たして練馬城の出城であったのか、それとも何らかの大きな塚であったのか、はたまた単なる自然地形だったのか、真相はわかりませんでした。ただ、こうして小高い塚の上に祀られた神社はたくさんありますよね。
 どの神社にも色々な歴史が詰まっているのかもしれません。。。

<参考文献>
練馬区教育委員会『練馬を往く』
練馬区郷土史研究会『練馬区郷土史研究会会報 第364号』


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  1. 2020/04/12(日) 20:11:28|
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「下石神井御嶽神社」

「下石神井御嶽神社」

 画像は、練馬区下石神井4丁目にある「下石神井御嶽神社」です。
 この神社の創建年代は不詳とされているようですが、木曽御嶽講に入った当地の石塚平左衛門(天保六年歿)が分霊を祀ったのが始まりと言われています。御嶽神社の祭神は、国常立命・大己貴命・少彦名命で、本殿は明治30年、拝殿は大正11年の建築されています。神紋は一山系笠印の富士に丸三紋と、十六弁菊花紋です。
 御嶽神社社殿と一山神社の間には御嶽山に見たてたという塚が所在します。


「下石神井御嶽神社」

 画像が、本殿奥に所在する御嶽塚です。3体の石の祭神像が祀られており、霊神碑や中興の先達一山・忠明の顕彰碑なども建てられています。石塚忠明によって組織されたという「一山講」ニには、誠時には1800人もの講員があったそうです。
 西側には、東京都道444号下石神井大泉線が南北に走っており、私もかつてはよく利用した道路なのですが、西武新宿線の踏切で渋滞が発生して、混み合うこともよくある場所です。
 境内にはケヤキやスダジィ、シラカシ、ムクロジなどの大樹が茂り、静寂が保たれているようです。。。


「下石神井御嶽神社」

 塚の頂部のようす。
 かつて、例祭には戦前まで火渡りの行事が行われていたそうです。。。

<参考文献>
練馬区教育委員会『練馬の神社』


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  1. 2018/11/23(金) 23:31:58|
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「練馬区№124遺跡」

「練馬区№124遺跡」

 画像は、練馬区豊玉南2丁目の「氷川神社」を南から見たところです。
 この神社は、創建時期は不詳であるようですが、武蔵国一宮氷川神社の御分霊を奉斎したと伝えられています。練馬区教育委員会より発行された『練馬区の神社』によると、江戸時代の地誌『新編武蔵風土記稿』の中荒井村の項に「氷川社、村の鎮守なり。例祭9月18日。正覚院持。末社牛頭天王、天神、稲荷」とあり、また『東京府志料』には「創建詳ならず。明治5年11月村社となる」、『北豊島郡誌』には「境内老樹林立し風向佳なり、当社の神木老杉は付近に有名なる大木にて包三囲に余れり、外に大杉樹2株社殿の後にあり」と書かれています。社伝によると、この杉が古損のため昭和12年と同20年に伐採された際に、年輪が各700年、600余年を数えたことから、氷川神社の神域が鎌倉時代の開創であるこ とを物語るとされているようです。
 神社の創建は不詳ながらも武蔵国一の宮氷川神社の分霊の社と伝え、現在境内社の北野神社が最も古く主神、次いで須賀神社が主神となり、その後、時期は明らかでないものの氷川神社が主神になったとされています。


「練馬区№124遺跡」

 氷川神社境内のようす。
 社殿は須賀神社の上屋が本殿となっており、昭和3年の建築です。その際に、元の拝殿は移築して神楽殿となっています。この旧拝殿は江戸時代後期の建築で、昭和59年に新神楽殿が造られると、絵馬堂として使われ、今は「額殿」と呼んでいるそうです。 


「練馬区№124遺跡」

 『東京都遺跡地図』によると、この氷川神社の境内一帯は「練馬区№124遺跡」として登録されており、さらに環七沿いに、「近世の塚」であるとされる「練馬区№124遺跡」が登録されています。
 この塚については、記述のある文献が見当たらなかったので詳細がわからないのですが、『練馬区史 歴史編』には、まず№123遺跡について「中新井川左岸台地にある遺跡で、遺跡地の大部分は環状七号線になっているものと思われる。滝沢浩氏は縄文時代前期の諸磯C式、小田静夫氏は勝坂式を指摘しており、それぞれ地点を異にするが、複合遺跡として取りあつかうことができよう。」とのみ書かれており、№124遺跡(塚)については何もふれられていません。
 画像が、おそらくこれではないかと思われる塚状の地形です。環七沿いの歩道から見ることのできる場所なのですが、神社の境内からは立ち入り禁止となっているので、近くまで行くことはできません。あとから考えると、果たしてこれが124番の塚であるのかどうか、自信がなくなってきたのですが(笑)、少なくとも古墳とはあまり関係がなかったかもしれませんね。。。


「練馬区№124遺跡」

 ちょっと変わったところでは、鳥居をくぐった左側に「ビール麦 金子ゴールデン発祥の地」と刻まれた石碑が建てられています。この石碑の横の説明板には次のように書かれていました。

 江戸・東京の農業 ビール麦の金子ゴールデン
 わが国のビール麦栽培は外国から導入された品種によって始められました。
 最初に導入されたのは江戸時代末期といわれていますが, 本格的に導入されたのは明治に入ってからで, 政府が勧業の一策として諸外国から穀類の種子を導入し, 試作を進めました。
 当時, 輸入された中には大麦も多く, 明治20年(1887)にはゴールデンメロン(米国)の名が記録されています。
 北豊島郡中新井村(現在の練馬区豊玉)の金子丑五郎が明治33年(1900)、六条大麦の四国とゴールデンメロンの自然交雑によって生じた雑種の中から「金子ゴールデン」を育成しました。
 早生で草丈が低いため成熟しても倒れにくく, 一時, 関東一円に栽培が広がりました。この品種を親にエビス1号、ニューヨークゴールデン、アズマゴールデン、ふじ二条等の優良品種が育成され, 初期のわが国ビール醸造に大きく貢献しました。

 私、ビールは大好きなんですけどね。
 練馬でビール醸造のための麦が育てられていたなんて、知らなかったなあ。。。

<参考文献>
東京都練馬区『練馬区史 歴史編』
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』
現地説明版


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  1. 2018/11/20(火) 23:15:11|
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「練馬区No.95遺跡」

「練馬区No.95遺跡」

 画像は、練馬区貫井5丁目にある「須賀神社」を南から見たところです。
 牛頭天王、須佐之男命を祭神とするこの神社の一帯は、縄文時代前期の遺跡の包蔵地として知られており、『東京都遺跡地図』には「練馬区No.95遺跡」として登録されています。実はこの神社の境内には、人為的に盛られたのではないかと考えられる塚が存在するということで、この塚の見学を一番の目的としてこの須賀神社に参拝に訪れました。


「練馬区No.95遺跡」

 画像は南から見た須賀神社境内のようすです。この画像では見えにくいのですが、社殿の背後にマウンド状に盛り上がっている塚状の地形が存在します。この塚についての詳細な記述が見られる文献はあまり多くは見つからなかったのですが、『練馬区史 歴史編』の、この遺跡についての記述の中に、塚についてわずかにふれられており、次のように書かれています。

 石神井川右岸の、貫井小支谷の右岸縁辺に位置し、新・旧道路が複雑に入り込んでしまったため、旧地形はほとんど残っていない。№95遺跡は№85・90遺跡に連続する集落跡と理解される。滝沢浩氏はこの地点で縄文時代早期の茅山式土器を採集し、遺跡地と確認された。
 昭和五五年九月四日に踏査したが、三叉路に狭まれた高台(道路の切通しのため、旧地形の残存はこのように感じられる)に須賀神社が位置し、神社裏側には塚が残存している。
 塚にはかつて杉の大木がそびえていたらしく、大きな切株がみられた。神社と塚の周辺で縄文時代早期の土器が三片採集できた。

 この文献からは、塚の性格について知ることはできないようです。
 果たしてこの塚が古墳である可能性はないのでしょうか。。。


「練馬区No.95遺跡」

 画像は、社殿の南側から見た、塚の様子です。
 塚の南側が須賀神社の社殿となっており、西側はマンションに、西側と東側は宅地として開発が進んでおり、塚の全貌を写真に収めることは難しい状況です。


「練馬区No.95遺跡」

 南西から見た塚のようすです。
 図書館で調べた限りでは、この塚の発掘調査の記録は見つけることができなかったので、これ以上の詳細はわかりません。開発の進んだ住宅地に残された、とても気になる塚でした。。。


「練馬区No.95遺跡」

 すが神社の参道前には、「清戸道」と刻まれた石碑と、練馬区教育委員会による説明板が建てられています。
 残念ながら、社殿の背後にある塚についての記述は見られないようです。
 説明板には次のように書かれています。

 清 戸 道
 清戸道は、練馬区の東端から西端まで延長
約十五キロメートル。区のほぼ中央を横断し
テイル道路です。この道を東に行くと目白駅
を経て江戸川橋に達し、西に行けば、保谷、
東久留米を経て清戸(清瀬市)に着きます。大
泉から先、清瀬までの道筋は幾とおりにも分
岐していきます。
 練馬の村々から江戸に出るためには、この
道を通るのが最も近道でした。江戸時代から
練馬のお百姓さんは、朝早く野菜をもって町
に向い、昼頃には下肥を運んで帰ってきまし
た。その下肥を、中農以上の百姓は馬の背で、
それ以下の百姓は天秤棒で運びました。この
ように清戸道は、農産物輸送の重要な道路で
した。
 明治、大正時代には、大八車が発達し、目
白坂には、車の後押しをして金をもらってい
た「立坊」がいたのも有名な話です。金輪の
はまった車の音は、静かな夜明け前の空気を
震わせていたことでしょう。
 平成十三年一月
            練馬区教育委員会


<参考文献>
東京都練馬区『練馬区史 歴史編』


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  1. 2018/11/16(金) 18:14:11|
  2. 練馬区の古墳・塚
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「入定塚」

「入定塚」

 練馬区貫井5丁目に所在するのが「入定塚」です。
 『東京都遺跡地図』には未登録の塚で、路上から見学したところでは「塚」らしきマウンドは存在しないようですが、個人の民家の敷地内には入定塚の石碑が残されています。

 伝承によると、ある旅僧が止宿した際に自ら石を刻み、それが完成すると「これで全ては終わった」と村人に頼んで自分の身体を土中に埋めてもらったそうです。それから七日目、それまで聞こえていた鉦の音がぱったりと止まり、大往生を遂げました。なんとその日は、旅僧が石碑に刻んだ延享五年(1748)四月二十三日であったといわれています。
 入定塚の伝説は東京都内でも各地に残されているようですが、僧が自ら石碑に刻んだ日に大往生を遂げるとは、とても興味深いお話ですよね。。。

 この塚を見学に訪れた日に、土地の所有者のお宅をピンポンしてみたのですが、残念ながらご在宅である様子がなく、石碑の撮影の許可を得ることができませんでした。石碑の写真は、いつかまた近くを訪れるときまでの宿題ということで、乞うご期待。。。

<参考文献>
練馬郷土史研究会『練馬区の歴史』


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  1. 2018/11/14(水) 00:58:58|
  2. 練馬区の古墳・塚
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