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古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

「江古田庚申塚」

江古田庚申塚

 さてさて、前回紹介した「小関庚申塚」に引き続き、今回は練馬区栄町に所在する「江古田庚申塚」を紹介しようと思います。

 この庚申塚について、現地に設置されている説明板には、次のように書かれていました。

庚申塚の謂れ
 平安時代の初めに、人間の豊かで、
長生きをしたい、その気持ちが庚申信仰
に成った。
 人間の体の中の三戸の虫が、庚申の夜
寝ている間に天に昇り、天命に告げ口
をして寿命を奪われない様にする為に
庚申の日に、皆んなで夜通し楽しく過
ごして、三戸の虫に昇天の機会を与え
ない様にする。
 この庚申塚は一七六五年の明和二年
十月八日に建立されました。

 もともとあった古墳を流用して造られたとされる「江古田の富士塚」や、古墳だったのではないかといわれている「瓢箪塚」の「武蔵野稲荷神社」から直線距離にして2~300mほどに位置しているので、この庚申塚がかつて古墳を流用した可能性はないものかと妄想してしまいます。。。
 立地的にも、あ、やっぱり道路が交差する、Y字路の間の三角地なんだ?という場所ですが、かつてこの一帯が畑地か田園として利用されていた頃には、マウンドが存在したのかもしれませんが、このあたりの真相はわかりません。
 古墳とは無関係かとは思うのですが、「××塚」と塚の名称を見るとやはり気になってしまって、ついつい足を止めてしまいます。。。笑。


江古田庚申塚

 お堂に祀られている庚申塔は、明和二乙酉歳十月十八日(1765)の駒形の青面金剛像です。

<参考文献>
東京都練馬区『練馬区史 歴史編』
東京都練馬区『練馬区公式ホームページ』


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  1. 2018/08/11(土) 23:18:51|
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「小関庚申塚」

「小関庚申塚」

 『東京都遺跡地図』によると、練馬区内には古墳は1基も登録されていません。昭和32年に発行された『練馬区史』の「区内古墳地名表」にはかろうじて7ヶ所が挙げられているようですが、これも発掘調査を経たものは一基もなく、「確実に古墳であるとは断言できない」という状況です。ただし、色々調べてみると、庚申塚や入定塚といった「塚」の名のつく場所は少なくなく、中にはなかなか興味深い伝説が残されている塚も存在するようです。

 というわけで、今回紹介するのは、練馬区石神井台7丁目に所在する「小関庚申塚」です。

 塚は南側を道路に、その他の三方を宅地により削られており、石垣により方形を呈しています。開発の進んだ住宅地の中にあってこの場所だけ周囲よりも一段高くなっています。
 元々の塚の形状は不明ですが、これが塚の名残である可能性は高そうです。実際に練馬区内を散策していると、道路が交差した辻の角に残されている庚申塚を、かなり頻繁に見かけましたが、実際に塚が残されたものは少なくなっているようですので、この「小関の庚申塚」は希少な存在かもしれませんね。。。


「小関庚申塚」

 ちょっと角度を変えて、南東から見た小関庚申塚です。
 昭和57年(1982)に発刊された『練馬区史』によると、練馬区内には136基もの庚申塔が残されており、これは東京23区内ではかなり多く、かつては農村信仰の中心をなしていたようです。庚申塔が道端に多く存在するのは、講中など信仰上の結衆を誇示する意味もあったようですが、道祖神と混交した結果、路上にあることによって、ついでに道中の安全をも願うようになったのではないかと言われています。ちなみに練馬区内には道祖神が見当らないそうです。この結果、辻などに建立されたものは道しるべをも兼ねたものが多く、特に区内庚申塔で道しるべ兼用は17基ほど存在するようですが、この中には道標の方が主目的で、庚申は付け加えられた感じのものも少なくないようです。


「小関庚申塚」

 塚上にはお堂が建てられていて、庚申塔は元禄四辛未八月十五日(1691)の方形笠付の青面金剛像が祀られています。


「小関庚申塚」


 青梅街道の関町南交差点から北に向かい、西武新宿線の武蔵関駅東側の踏切を百メートルほど過ぎると、西から東に流れる石神井川を渡ります。この橋が「庚申橋」で、道路は「関町庚申通り」です。さらにこの橋を渡った10メートルほどの「庚申橋北」交差点を右折したすぐ左側が、小関庚申塚の所在地です。周辺には、庚申塚にちなむ名称が多く残されているようです。

 この小関庚申塚が、かつて石神井川流域に築造された古墳を流用して造られているなんてことは……… ないですよね、たぶん。。。

<参考文献>
東京都練馬区『練馬区史 歴史編』
練馬区『練馬区公式ホームページ』


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  1. 2018/08/08(水) 09:13:14|
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「二ツ塚」

「二ツ塚」

 画像は、練馬区関町南4丁目の慈雲堂病院です。『東京都遺跡地図』によると、この病院の敷地内には、練馬区の遺跡番号34番の「二ツ塚」が登録されています。

 この塚について、昭和32年に発行された『練馬区史』の「区内古墳地名表」には円墳として記載されているようです。ただし、「地名表には7基をあげたが、発掘調査を経たものは一基もなく、そのすべてを確実に古墳であるとは断言できない状況である。」とも書かれており、同書が編纂された当時、学術的な調査が行われることもなく消滅してしまっていたこの塚の詳細はわからなくなっているようです。
 ちなみに『東京都遺跡地図情報インターネット提供サービス』で確認すると、2基存在したはずの塚は慈雲堂病院内に一箇所のみ登録されており、「近世の塚」ではないかとしているようです。
 そこで、もう少しこの塚の詳細がわからないものかと、調べてみました。


「不動塚」

 「二ツ塚」は、「不動塚」と「物見塚」という2基の塚の総称であるようです。
 「不動塚」は、青梅街道の「慈雲堂入口」の信号(おそらく現在の「関町四丁目」の交差点と思われる?)の南西方面に存在したといわれているようです。これは慈雲堂病院の敷地内ではなく、現在の武蔵野グリーンタウンのあたりではないかとも思われます。塚には不動尊が祀られていたといわれているようですが、正確な所在地を特定するまでには至りませんでした。。


「物見塚」

 画像は、今も残されている関村の鎌倉道といわれた古道で、この道路沿いの西側のどこかに「物見塚」が所在したといわれています。この物見塚は関の番所か見張所だったのではないかとも考えられているようですが、やはり詳細はわかりません。江戸時代の地誌、『新編武蔵風土記稿』には、関村の小名として「二ツ塚」が記されていますので、この2基の塚はかなり知られた存在だったようです。
 ここから西側にかけての関町南4丁目周辺が練馬区内で一番標高が高いところであるようなので、立地的に塚を築造しやすい場所だったのかもしれませんね。。。


「鉄砲塚」

 「二ツ塚」のさらに東側にはもう1基、「鉄砲塚」と呼ばれる塚が存在したといわれています。この鉄砲塚も、『新編武蔵風土記稿』に関村の小名として記されており、延宝2年(1674)の関村検地帳にも掲載されています。
 現在の関町交番前交差点の周辺の地名は、かつて角屋と呼ばれており、鉄砲塚はこの角屋の南側、現在の石神井西中学校のあたりに存在したようです。鉄砲塚の「てっぽう」とは真っすぐという意味であるそうですが、鉄砲塚は南北に細長い塚で、昭和初期までは塚は残されていたようです。


「三ツ塚けやき緑地」

 不動塚、物見塚、鉄砲塚は、合わせて「関の三ツ塚」と呼ばれていたそうです。
 地元には「三ツ塚」の名称が区立公園に残されています。。。


「千川上水」

 この辺りは、武蔵野市と練馬区の境界に沿って千川上水が流れています。青梅街道を越えたところで暗渠となるまではちゃんと地上を流れているのですが、特にこの二ツ塚のあたりは住宅街の緑道になっていて、牧歌的で良い感じです。
 実は私は、2年ほどこの近くで暮らしたことがあるのですが、私が暮らしたアパートは残念ながらなくなってしまったようでした。あの頃はまだかなり畑が残されている印象だったのですが、少しずつ宅地化も進んでいるようです。それにしても、まさか塚を探しにもう一度来るとは思わなかったなあ。。。

<参考文献>
東京都教育委員会『東京都遺跡地図』
東京都練馬区『練馬区史』
練馬区教育委員会社会教育課『ねりまの文化財 第23号』
練馬区公式ホームページ


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  1. 2018/08/04(土) 23:14:26|
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「江古田の富士塚」(国指定文化財)

「江古田の富士塚」(国指定文化財)

 画像は、練馬区小竹1丁目にある「茅原浅間神社」を南から見たところです。この境内には「江古田富士」と呼ばれる富士塚が所在します。この「江古田富士」は『東京都遺跡地図』には、練馬区の遺跡番号117番の名称のない塚として登録されています。


「江古田の富士塚」(国指定文化財)

 かつてこの周辺が一面の茅の原であったために「茅原浅間神社」と呼ばれるようになったそうですが、江戸時代には「富士浅間社」とも呼ばれていたようです。西武池袋線の「江古田駅」の北口を降りて徒歩1分と近いところにあり、富士塚は拝殿の後ろ側に残されています。この「江古田富士」は、元々あった古墳を流用して造られた富士塚であるといわれており、高さ約8m、直径約30mの墳丘には富士山から持ち帰った溶岩が盛られています。 

 (財)日本常民文化研究所より発行されている『富士講と富士塚 ―東京・神奈川―』には、古墳が富士塚に改変されたようすについて次のように書かれています。

 (前略)塚の形態は、饅頭形をした頂部に富士形の土盛りをかさ上げしている。饅頭形の部分は、古墳時代の古墳と伝えられているように、古墳の墳丘の形態をみせており、とくにその特徴は北半において顕著である。(中略)塚の形態も南側が平坦的であることを考えると、富士塚を構築するときには、古墳の封土を切り剥いで頂上部に積み上げたことを知ることができる。なお、塚の頂上部から縄文時代早期の押形文土器が採集された。(後略)」(『富士講と富士塚 ―東京・神奈川―』144〜146ページ)

「江古田の富士塚」(国指定文化財)

 画像が、「江古田富士」を南から見たところです。敷地内には東京都教育委員会による説明板が設置されており、次のように書かれていました。

練馬区登録有形民俗文化財
国指定重要有形民俗文化財
 江古田の富士塚


 江古田の富士塚は、富士講の一派小竹丸祓講によって天保10年(1839)に築造されたものと考えられますが、一説には文化年間(1804~1818年)築造ともいわれています。高さ約8メートル、直径約30メートル、関東大震災の時に損壊しましが、その後復旧され、塚全体が富士の溶岩で覆われています。
 頂上の唐破風屋根のついた石祠は、天保10年に造立されたもので、他に経ヶ嶽・太郎坊・小御嶽神社の石碑や大天狗・小天狗・神猿などの石像もあり、元治2年(1865)の講碑、大正12年震災時の御神体修築の碑などが建っています。社殿の前には文化4年(1807)の石灯籠や文化9年(1812)の手水鉢なども残っています。
 都区内の富士塚の中では、大規模な部類に属し、庶民信仰の様相を示すものとして、昭和54年5月21日、国の重要有形民俗文化財に指定されました。

  平成元年3月     練馬区教育委員会


 年3回の一般公開(正月三が日、山開きの7月1日、9月の第二土曜・日曜)の日に登拝することができるそうです。

<参考文献>
練馬区立石神井公園ふるさと文化館『ふるさと練馬探訪』
名著出版『練馬区の歴史』
現地説明版

  1. 2014/11/15(土) 22:33:48|
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「氷川神社富士塚 (大松の富士塚)」(練馬区指定有形民俗文化財)

「氷川神社富士塚 (大松の富士塚)」(練馬区指定有形民俗文化財)

 画像は、練馬区北町8丁目にある「氷川神社」を南から見たところです。この神社の境内に「氷川神社富士塚 (大松の富士塚)」が所在しています。

 この富士塚の北側、板橋区内の東武練馬駅から下赤塚駅にかけて東上線に沿ったあたりは、「金塚」をはじめ「川越みち十塚」と呼ばれる古墳の可能性も考えられる多くの塚が存在したといわれています。このため、北町2丁目に所在する「下練馬の富士塚」と同様に、この「大松の富士塚」も古墳の上に築造した可能性があるのではないかと考えて、現地を訪れてみました。


「氷川神社富士塚 (大松の富士塚)」(練馬区指定有形民俗文化財)

 画像が「氷川神社富士塚 (大松の富士塚)」を南から見たところです。高さ約3.7m、直径15mとされるこの富士塚は平成7年3月9日に練馬区指定有形民俗文化財に指定されており、敷地内には練馬区教育委員会により説明板が設置されています。説明板には次のように書かれていました。
  
氷川神社

 当社は「大松の氷川様」といわれてきました。大松とは下練間村の小字の名です。
 祭神は建速須佐之男命です。境内社に御嶽神社(日本武尊)、富士神社(木之花開邪姫命)、稲荷神社(保食神)、白山神社(伊邪那美命)などがあります。
 さらに、この神社の特徴として参道脇に富士塚があります。江戸時代中頃から、江戸を中心に盛行した、富士信仰の丸吉講によって築かれたものです。頂上の石宮は天保6年(1835)再建、塚中腹の御手洗石は同9年(1838)再建と刻まれていますから、それ以前の築造であることにちがいありません。ほかに明治・大正時代の富士登山記念碑などがあります。ちなみに、鈴原神社の碑は富士山一合目にある同神社の登拝紀念に建てたものです。これらの境内社や石造物から、当社は江戸時代より練馬近在の富士講・御嶽講など民間信仰の中心であったことがうかがわれます。
  昭和61年3月
    練馬区教育委員会


「氷川神社富士塚 (大松の富士塚)」(練馬区指定有形民俗文化財)

 富士塚を下から見上げてみたところ。すごく大きな塚に見えますが…


「氷川神社富士塚 (大松の富士塚)」(練馬区指定有形民俗文化財)

 氷川神社境内から見るとこんな感じ。小高い場所の斜面を生かして造られているようで、下から見上げるととても大きく見えますが、上から見ると小さな感じの富士塚です。頂上に祀られているのは富士浅間神社で、天保6年(1835)に再建されたことが刻まれているそうです。
 従って、この富士塚は古墳を流用したものではないようですね。


庚申塚

 通りがかりに偶然見つけた「庚申塚」です。氷川神社と同じ、北町8丁目の川越街道沿いに所在します。
 明治14年(1881)2月の建立と比較的新しい庚申塔のようですが、この地点にもかつては塚が盛られていたのでしょうか。。。

<参考文献>
練馬区立石神井公園ふるさと文化館『ふるさと練馬探訪』
現地説明版

  1. 2014/11/12(水) 03:30:32|
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