
「田端西台通遺跡」は、赤羽から上野へ続く本郷台の台地上のほぼ中央に存在しています。このうち、平成6年の発掘調査により1号墳から4号墳の4基の古墳が発見されています。4基ともに共通して墳丘はすでに削平されて存在せず、また主体部も検出されず、円形の周溝のみが検出されています。
画像が北区田端3丁目にある調査地点で、手前のT字に交差する道路から右手の集合住宅にかけて4号墳が、その奥1.5mの近距離に道路から建物にかけて3号墳が、さらにその奥に10mほどのちょうど建物の中央付近に2号墳が、さらに5mほど奥に1号墳が検出されています。
「田端西台通 1号墳」の推定規模は内径が13.0m、周溝を含めると16.4mになります。「田端西台通 2号墳」は1号墳よりやや小さく、内径7.5m、外径12.0mの西向きに開口する円墳です。「田端西台通 3号墳」は、内径7.4m、外径8.8mの2号墳よりさらに小さい円墳です。「田端西台通 4号墳」は、1号墳を上回る規模の円墳であると推定されています。遺物は、周溝内から土師器や須恵器が出土しており、これらの出土品の特徴から7世紀初頭の築造であると考えられています。

画像は、北区田端4丁目にある「上田端八幡神社」の拝殿を南西から見たとこです。古墳の探訪の際に周辺にある神社を見学することは比較的多く、これは本殿が古墳の盛土の上に建てられている可能性や境内に古墳が残存する期待もあったりしますが、この神社は「田端西台通遺跡」の4基の古墳群から北西にわずか数十メートルの同じ台地上本殿が所在しており、期待しましたが。残念ながらよくわからずです。。。

画像は、「上田端八幡神社」の本殿を南から見たところです。
この角度から見ると多少古墳跡っぽい感じですよね。。。
<参考文献>
東京都北区『北区史 通史編 原始古代』
東京都北区教育委員会『田端西台通遺跡Ⅲ・田端不動坂遺跡Ⅲ』
- 2014/04/16(水) 23:57:44|
- 北区/田端西台通古墳群
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