古墳なう

ご〜ご〜ひでりんの古墳探訪記

「無名塚」

「無名塚」

 昭和7年 (1932)に発行された『三河島町郷土史』には、旧三河島村と町屋村における当時所在のわかる16ヶ所(21基)の塚が記載されています。同書には旧番地ながらも当時の所在地が記してあるので、おおよその跡地を推定する事が出来ます。

 『三河島町郷土史』によると、旧大字三河島千住南江川にも1基、名称のない塚が所在したとされており、この塚の所在地に当時の番地までは書かれていないものの「千住南板紙工場材料置場に編入されて取り潰された」と書かれています。古地図で確認すると画像の道路の右側の集合住宅のあたりが「板紙会社倉庫」となっているのですが、こちらは南足立群千住町字管谷にあたり、住所が違います。同書による三河島千住南江川とは画像の左右の道路の間の区画であるようですが、この区画はかなり広く、塚の正確な所在地を推定するには至りませんでした。

 この地点を掲載する画像に選んだのは、人文社より発行されている明治40年の『北豊島郡 日暮里村•三河島村•尾久村 全図』の復刻版のちょうど画像の地点に鳥居のマークが描かれていたからですが、墳丘上に神社が祀られていたかどうかは定かではありません。。。

<参考文献>
荒川区立荒川ふるさと文化館『三河島町郷土史』

  1. 2014/08/06(水) 01:38:35|
  2. 町屋-三河島の微高地
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「村犬塚」

「村犬塚」

 昭和7年 (1932)に発行された『三河島町郷土史』には、旧三河島村と町屋村における当時所在のわかる16ヶ所(19基)の塚が記載されています。同書には旧番地ながらも当時の所在地が記してあるので、おおよその跡地を推定する事が出来ます。
 「村犬塚」は現在の荒川3丁目辺りに所在したとされる塚で、『三河島町郷土史』の335ページにはこの村犬塚について「之れも塚上に人家が稠密して所在は判然とせぬが、前者は町屋243番地にあり、四坪餘の一小丘をなし、村内にて死亡したる犬を葬る所であり、後に之れを塚となし村犬塚と呼ぶ様になつたと云ひ」と書かれています。ここで問題なのがこの村犬塚の所在地なのですが、上記のように本文中には町屋243番地と書かれているのに対して、同書330ページの表には町屋223番地と書かれており、どちらが正しい所在地であるのかわかりません。東京都荒川区教育委員会より刊行されている『荒川(旧三河島)の民俗』ではこの塚の所在地を243番地としているようですが、塚が消滅してしまった現在、正確な推定地はわからなくなってしまっているようです。

 画像は、『荒川(旧三河島)の民俗』で村犬塚の推定地としている、旧大字町屋243番地と思われる地点を南から見たところです。ちなみに所在地を推定するにあたっては、人文社より発行されている明治40年の『北豊島郡 日暮里村•三河島村•尾久村 全図』の復刻版と、荒川ふるさと文化館より発行されている大正14年の『東京府下三河島町日暮里町全図』の復刻版を参考にしました。画像中央の路地の奥が旧243番地であると思われますが、特に塚の痕跡らしいものは見られませんでした。


「村犬塚」

 画像は、旧大字町屋223番地と思われる周辺です。

『三河島町郷土史』の229ページに掲載されている「塚十九ヶ所」の項では、三河島の「庚申塚」の所在地を「三河島243番地」としているので、ひょっとしたら本文中の「村犬塚」の所在地の町屋243番地が間違いで、330ページの塚の一覧表に書かれている町屋223番地が正解なのでは?と考えました。
 旧大字町屋243番地と思われる周辺には特に塚の痕跡も見当たりませんでしたが、旧223番地が含まれると思われる区画には画像のように鳥居と祠が祀られている民家も見られます。祠と「村犬塚」との関係は不明ながら、223番地が怪しいのではないかなとも思います(根拠がないも同然ですね)。。。

<参考文献>
荒川区立荒川ふるさと文化館『三河島町郷土史』
東京都荒川区教育委員会『荒川(旧三河島)の民俗』

  1. 2014/07/30(水) 23:55:01|
  2. 町屋-三河島の微高地
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「下尾久石尊」

「下尾久石尊」

 画像は、荒川区東尾久6丁目にある「下尾久石尊」を南東から見たところです。

 この石尊は、暦応年間(1337〜1342)の頃、しばしば起こる地震に不思議に思った村人がこの地をたずねたところ、二尺(約60cm)程の異形な石二つが地中より現れ、里人が石神と崇めて祀るようになったといわれています。「出世石尊」と呼ばれるこの石尊は、掘っても掘っても掘り返すことが出来ないといわれており、また南千住6丁目の素盞雄神社の富士塚上にある「瑞光石」と地面の下で繋がっているともいわれているなど、多くの伝説が残されているようです。

 江戸時代の地誌、『新編武蔵風土記稿』にはこの石尊様は「阿遮院持」と記載されており、関東大震災の時にその阿遮院から発見された「石尊縁起」には次のように書かれていたそうです。

 「慶応年間の頃不思議なる哉此地折々震動して龍燈夜々立登りければ里人あやしく思ひ茅野をわけて尋ぬれば異形なる石地より二尺許生へ立ちしを見つけ祀りて石神と称へ置きたり、其後太田道灌の臣高木隼人は六十一歳の時釈子の門に入り僧名を灌教と名乗り常に神仏を敬拝し信心堅固の人なりしが偶々霊夢を受けて我はもろもろの衆生災難病苦をすくひ出世の衆生を守護し善男女の為地より出現せりと御告を蒙り即ち道教入道其の地を尋ねみれば地より二尺許り出でし異形なる石二つあり入道之を排し是大慈大悲の垂跡なるべしと信じ石の後ろへ一樹を植ゑ注連を引き出世石尊大権現と勧請し奉り二間四面の玉垣を造りしが感応の利益多かりければ灌教入道崇敬し里人鎮守と迎奉し奉る其社より南に当り蓮華寺と申す一字あり本尊は阿遮羅明王なり此尊像は良弁僧都の作にしてあらたかなり、此寺即ち出世石尊別当にしてこれより阿遮羅山蓮華寺阿遮院と号し遺所無双の霊仏となる誰人も敬せざらんや
  元禄二巳年二月 武州豊島郡下尾久村別当阿遮院(『隅田川とその両岸 補遺(下巻)』34〜35ページ)」



「下尾久石尊」

 普段はお堂の扉は閉じられているようですが、扉の小さな穴から内部を覗くことが出来ます。現在ではこの石尊様は房州石であると考えられており、古墳の石材の一部である可能性が指摘されていますが、果たして石尊様が所在するこの地点に古墳が存在していたのか、それとも別の場所から持ち込まれたものなのかは不明です。ちなみに、「砂利塚」などの古墳が存在していたといわれる「十三坊塚」からは極めて近距離に当たります。
 「掘っても掘っても掘り返すことが出来ない」という言い伝えが残されているあたりは葛飾区に所在する「立石様」に伝わる伝説と似ているように思いますが、その立石様も調査の結果、周辺に存在した古墳の石室の構築石材ではないかと考えられています。この石尊様も、かつて周辺に存在した古墳の石材が持ち込まれた可能性も高いかもしれません。


「下尾久石尊」

「下尾久石尊」

 『あらかわ区報Jr.』には、この石尊様の不思議な伝説が掲載されています。
 「昔々、下尾久村の裏の田んぼに鷺が住んでいた。この鷺、相撲が好きで夜な夜な人に化けて出て、村の若者に相撲を挑んでは投げ飛ばし、通行の邪魔をして村人を困らせていたそうだ。一人の武士が、これを退治しようと、迫ってきた鷺の怪物に斬りつけたところ、したたかに石尊さんに斬りつけてしまった。石尊さんに斜めに入っている傷跡は、その時付いた太刀の切り傷だといわれているんだ。このお話に出てくる鷺の怪物は、石尊さんだったんだね。(『あらかわ区報Jr.』平成20年(2008)年 9月17日号 4ページ)


「下尾久石尊」

 敷地内には、元禄11年(1698)11月吉祥日の紀年銘がある庚申塔も残されています。

<参考文献>
東京都荒川区『荒川区史 上巻』
学生社『荒川区史跡散歩』
芳洲書院『隅田川とその両岸 補遺(下巻)』
東京都荒川区教育委員会『尾久の民俗』
現地説明版

  1. 2014/07/20(日) 02:48:02|
  2. 町屋-三河島の微高地
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「山吹塚」

「山吹塚」

 画像は、京成町屋駅の東側、荒川区荒川7丁目にある「泊船軒」を東から見たところです。この寺内に「山吹塚」の碑があり、太田道灌の言い伝えが残されています。

 『新修荒川区史 上』にはこの道灌の伝説について、次のように書かれています。


 三河島七丁目の泊船軒の寺内に山吹塚という塚がある。太田道灌一日放鷹に興じていると、急雨頻りに降り来つたので、路傍の農家に入つて蓑を借ろうとした時、内から一人の少女が出できて、無言の儘に山吹の花を捧げた。道灌は少女の意を悟り得ず、憤り帰つて近臣にことの由を告げた。家臣の一人に「七重八重花は咲けども山吹の実の(蓑にかけた)一つだになきぞ悲しき」の歌の心をもつて答えたものがあって、道灌はこれから和歌の道を学ぶようになつたという。少女は「後拾遺集」に中務卿兼明親王の詠として、

  小倉の家にすみはべりける頃、雨のふりける日、蓑かる人のはべりければ、山吹の枝を折てとらせはべりけり。心もえでまかりすぎて、またの日山吹のこころもえざりしよしいひおこせてはべりける返事にいひつかはしける。

と出ている先の歌の心をもつて答えたのであつた。文武の嗜深かった道灌が、その歌の心を解き得なかつたというのはおかしいが、この伝説は不思議と人気があつて、諸所にその遺跡と称する場所がある。三河島町の花の木の地もその一つで、当時この付近に居住していた土豪高畑三左衛門の娘が、山吹の花を太田道灌に捧げたと伝えられている。今も荒川沿岸に三左衛門河岸の名が残つており、小字に高畠の名が残つているところから見て、その昔この地の豪家に高畠三左衛門という人の居つたこと事実であろう。そのまな娘に纏る伝説として、優雅な佳話の語り伝えられたことをゆかしいと思う。(『新修荒川区史 上』687〜688ページ)

 豊島寛彰著『隅田川とその両岸 補遺(中巻)』では、この説話は作り話であり以前の住職が名所作りをして寺名の宣伝に資したのであるとしていますので、どうやらこのお話は史実ではないのかもしれませんが、不思議と良い話だなあと思えてしまいますね。


「山吹塚」

 このお寺の山門を入った左手にあるのが、画像の「山吹塚」です。元あった塚は完全に消滅しており、周囲の開発により現在の場所に移動しているようですので、この地点が塚の跡地というわけではないようです。

<参考文献>
芳洲書院『隅田川とその両岸 補遺(中巻)』
学生社『荒川区史跡散歩』
東京都荒川区教育委員会『荒川(旧三河島)の民俗』
現地説明版

  1. 2014/06/27(金) 01:36:40|
  2. 町屋-三河島の微高地
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「蛇塚」

「蛇塚」

 画像は、荒川区西日暮里1丁目にある「蛇塚」を南から見たところです。

 往時は周囲に広がる田畑の中に存在していたといわれる「蛇塚」ですが、現在は開発により塚は削平され、住宅街の一角に石碑のみがひっそりと残されています。敷地内には荒川区教育委員会による説明板が設置されており、次のように書かれていました。


   蛇塚

 新堀村字蛇塚と呼ばれたこの地は、江戸時代は
新堀村と谷中本村との入会地で、塚は両村の境に
位置していた。蛇塚という字名は、この塚に由来
する。
 文政十一年(一八二八)年成立の江戸時代の地誌
『新編武蔵風土記稿』には「蛇塚 陸田の内にあ
り」と記されており、昔は田畑の中に祀られてい
たことが分かる。
 現在の碑は、大正の初めに折田長次郎氏によっ
て再建されたもの。蛇塚の名称を後世に残すため
に建てられたという。「蛇塚弁財天」として祀ら
れている。
              荒川区教育委員会


「蛇塚」

<参考文献>
東京都荒川区教育委員会『日暮里の民俗』
現地説明版

  1. 2014/06/25(水) 00:59:42|
  2. 町屋-三河島の微高地
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