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古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

狛江市「狛江古墳群地名表60番 無名古墳」の現状

狛江古墳群地名表60番 無名古墳1

 前回に引き続き、今回も狛江古墳群の未確認残存古墳かもしれない塚の現状、ということで、今回は「狛江古墳群地名表」の60番に掲載されている無名古墳の探訪の記録です。

 この塚も、「狛江古墳群地名表」に掲載されている旧住所「和泉2582番地」を『狛江村土地宝典』と照らし合わせることで、個人の民家内に存在する高まりを発見することができました。
 前回取り上げた古墳表67番の無名古墳と同じく、地元に長く暮らす地主さんかな?という印象のお家で、敷地内には大きな蔵も残されており、広いお庭の築山として高まりが存在します。

 塚状地形は区画の奥まったところにあるためなかなか近寄ることができず、お家を訪ねてみてもいつも不在という状況で、これまでは遠巻きに高まりの存在を確認するのみ、という状況でした。
 しかし、今年10月に訪れてみるとなんと!宅地開発のために塚の西側にあった「和泉湯」の建物が壊されて塚が丸見えになっていました。
 しかも運のいいことに、塚のあるお宅のお庭に植木屋さんが入って庭木の伐採までしているという状況です!

 というわけで、画像が「狛江古墳群地名表」の60番の無名古墳です。


狛江古墳群地名表60番 無名古墳3

 想像したよりもずっと大きな築山です。

 これが古墳であるかどうかはもちろんわかりませんが、少なくともこの築山のために土を盛ったというよりは、元々あった古墳(塚?)を築山に流用した可能性は十分に考えられるのではないか?と感じます。

 むむむ、ぜったい怪しい。。。


狛江古墳群地名表60番 無名古墳4

 南西から見たところ。
 塚上には祠が祀られています。

 この屋敷神が祀られていることにより、塚も壊されずに残されたのかもしれませんね。。。


狛江古墳群地名表60番 無名古墳5

 北西から見たところ。

 敷地内に入れたわけもありませんし、表面観察のみで古墳かどうかの判断はつきかねますが、前回紹介した古墳表67番の塚も無くなっちゃったりしている中、こちらはきちんと調査が行われるといいですよね。


狛江古墳群地名表60番 無名古墳6

 いつも閉ざされていた門が庭木の伐採のために開かれていたので、パチリとやっちゃいました。

 古墳の可能性、高いと思うがな〜。。。

<参考文献>
狛江市教育委員会『狛江市の古墳(Ⅰ)』


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  1. 2021/11/10(水) 23:10:39|
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狛江市「狛江古墳群地名表67番 無名古墳」について

狛江古墳群地名表67番 無名古墳1

 今回、久しぶりに(といっても1年半ぶりですが)狛江古墳群を探訪するにあたり、カード化された古墳のみならず、気になっていた古墳跡もひと通り巡ってみました。


 昭和10年(1935)に狛江村より発行された『狛江村誌』の著者でもあり、鳥居龍蔵氏の「武蔵野会」にも属していたという地元狛江市の郷土史家、石井正義氏は、昭和初年度に「狛江百塚は墳陵の一にして、此地国造国司の墳墓なり。九十九塚とも車塚とも云う。其の数多く故に百塚と呼称す」として『狛江百塚の記』という手書きの草稿をまとめており、さらに昭和33年にその子息である石井千城氏が補訂、『狛江百塚』としてまとめられています。
 その後、昭和35年にこの石井千城氏の協力のもと、当時の狛江町教育委員会により狛江古墳群の分布調査が行われ、この際に137基もの古墳が記されている「狛江古墳群地名表」が作成されました。

 当時、学術的な調査が行われた古墳の存在はほとんどなく、この地名表には後世の塚や自然地形が誤認されたというものも含まれているようではあるのですが、当時の古墳の様相を知る上では数少ない貴重な文献です。
 この地名表には、137基中120基の古墳に当時の住居表示による所在地が記されています。

 私は狛江古墳群を散策するにあたり、記載されている旧番地の所在地を『狛江村土地宝典』で照らし合わせ、さらに当時の空中写真とも照らし合わせて、古墳のおおよその所在地を想定しました。

 画像は、「狛江古墳群地名表」の67番に掲載されている無名古墳の所在地周辺の現在の様子です。

 記載されている「和泉2642番地」に当てはまり、偶然にも個人の民家の敷地内に怪しい高まりを発見したという場所なのですが、久しぶりにこの地を訪れたところ、更地になっていて愕然としました。。。


狛江古墳群地名表67番 無名古墳2

 こちらは昨年10月の同地点の画像です。
 地元に長く暮らす地主さんのお宅なのかな?という感じの、立派な門構えが印象的なお家で、この敷地内に古墳と思しきマウンドが存在しており、塚の上にはなんらかの石碑が建てられていました。

 この一帯は、昭和62年(1987)に小田急線の高架化工事に伴う発掘調査が行われており、それまでの分布調査で把握されていなかった9基の古墳が発見されています。

 この区画の周囲からも「東和泉5号墳」、「同2号墳」の2基の古墳の周溝が検出されており、残存する古墳の一部である可能性は非常に高かったと思われます。


狛江古墳群地名表67番 無名古墳3

 これが、残存当時の高まりの様子です。
 塚の頂部になんらかの石碑が建てられている様子が確認できます。


狛江古墳群地名表67番 無名古墳4

 これが塚のあった場所の現状です。
 立地的に小田急線和泉多摩川駅のすぐ目の前という状況で、いずれは開発が進んでしまうのかなとは感じていましたが、ここまではなんの調査も行われていないということです。

 都内でも貴重な未確認の残存古墳ではないかと睨んでいましたが、完全に削り取られて更地になってしまってボー然。。。
 まだこれから調査が行われる可能性は残されているのかもしれませんが、古墳の可能性は高いと睨んでいた私にとっては衝撃的な光景でした。。。


狛江古墳群地名表67番 無名古墳5

 敷地の片隅には思わせぶりな祠が。

 せめて周溝の確認だけでも行われるといいのですが。。。

<参考文献>
狛江市教育委員会『狛江市の古墳(Ⅰ)』


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  1. 2021/11/09(火) 23:17:37|
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狛江古墳カード編 その4 「亀塚古墳」

亀塚古墳20211018-1

 狛江市で発行されている古墳カード特集その4。
 今回は狛江市元和泉1丁目所在の「亀塚古墳」です。

 この古墳は、昭和26年(1951)と同28年にかけて3次に渡る発掘調査が行われ、前方部を西に向けた全長約40mの帆立貝形前方後円墳であることが確認されています。後円部から木炭槨2基、前方部から石槨1基が検出されています。
 前方部の一部と前方部南側に沿った周溝部分にあたる場所が整備され、「亀塚古墳公園」として公開されています。

 令和2年(2020)12月7日の会の『古墳なう』にて探訪記を掲載していますが、その後は大きな変化はないようです。
 閑静な住宅街にある落ち着いた公園ですね。。。

【このブログの過去の関連記事】
http://gogohiderin.blog.fc2.com/blog-entry-48.html(「亀塚古墳」2015年4月7日)
http://gogohiderin.blog.fc2.com/blog-entry-1241.html(「狛江百塚コンプリート2020 その9」2020年12月7日)


亀塚古墳20211018-2

 公園内にかろうじて残された前方部上には、昭和31年12月1日に建立されたという「亀塚」の碑が建てられています。

 この亀塚古墳の前方部の残存部分とされる墳丘ですが、残存する前方部であるという説、また古墳を削平した際に出た残土を積み上げたものであるという説もあり、真相はわからなくなっていました。
 今回の公園化に伴い試掘調査が行われているそうなのですが、その結果、この高まりは残存する前方部ではなく、残土を積み上げたものである可能性が高いのではないか?と想定されているそうです。
 やっぱりか〜という感じですが、でもこの高まりはかつては古墳の墳丘を構築していた土であるわけで、モニュメントとしては元古墳として意味のある高まりなのではないでしょうか。。。

 また、当時発掘された石棺の石材がこの高まりに埋められているのではないか?という淡〜い期待もありましたが、これもどうやら可能性はないそうです。

 残念。。。


亀塚古墳20211018-5

 説明板に掲載されている亀塚古墳の実測図です。
 狛江古墳群中、唯一確認されている前方後円墳ですね。

 保存されずに壊されてしまったことは残念です。。。


亀塚古墳20211018-6

 これが「亀塚古墳」の古墳カードです!
 4種類目ゲット!


亀塚古墳20211018-7

 これは、古墳公園の周辺で見かけた光景。
 電柱に「想定浸水深」なる表示板が設置されていました。


亀塚古墳20211018-8

 狛江市は、「あばれ川」とも呼ばれる多摩川の中流域左岸に位置しており、過去にも多摩川の堤防が決壊して甚大な被害が出ています。
 表示板のとおりに直立した私の首まで水に浸かってしまうとは、にわかには信じられませんが、災害はいつ起こるかわかりませんし備えは必要です。。。

<参考文献>
現地説明板


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  1. 2021/11/07(日) 20:27:05|
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狛江古墳カード編 その1 「猪方小川塚古墳」ー東京都指定史跡ー

猪方小川塚古墳20211030-1

 今年の春から狛江市で開催されている「歩こう!狛江の古墳」というウオークラリーに、ようやく参加することができました。

 狛江市内の5カ所の古墳を巡って古墳カードを手に入れよう、という企画で、ポイントとなる古墳を訪れて古墳の写真を撮影し、その写真を狛江市役所社会教育課、もしくは古民家園で提示すると古墳カードを手に入れることができます。
 カード化されているのは「兜塚古墳」、「経塚古墳」、「土屋塚古墳」、亀塚古墳」、「猪方小川塚古墳」の5箇所で、カードを全5枚集めると、特典となる6種類目のシークレットカードを手に入れることができます。

 近年では群馬県で「古墳カード」が発行され、古墳マニアのみならずカードマニアも含めてかなりざわついていましたが、東京の古墳どころである狛江市でもついに、待望の古墳カードが発行されました!(待望なの、私だけかもしれませんが…)

 狛江古墳群のカード化は、実は情報としては昨年から知ってはいたのですが、コロナ禍における緊急事態宣言の発令などもありなかなか訪れるチャンスがなく、緊急事態宣言が解除された10月に入ってようやくゆっくりと散策することができました。

 というわけで、今回まず最初の古墳(カード)は「猪方小川塚古墳」です。


猪方小川塚古墳20211030-2

 毎年開催されていた「東京文化財ウィーク」も昨年はコロナ禍により中止の憂き目となり、今年も中止なのかな?とあきらめムードでしたが、緊急事態宣言が解除されてから急に動き出しましたよね。。。

 昨日、10月30日にはなんと!「猪方小川塚古墳公園」にて現地説明会が行われ、無事に参加することができました。

 猪方小川塚古墳は、平成23年の宅地造成工事に伴う発掘調査により、横穴式石室を伴う古墳であることが判明しています。
 このため、狛江市は現地保存のために石室を含む墳丘部分を買収し、狛江市の史跡としてして指定した後、令和2年にかけて保存整備を行い、令和2年4月に古墳公園として公開しました。

 そして、今年3月19日には東京都の史跡として指定されてたことから、今回改めて現地説明会が行われました。


猪方小川塚古墳20211030-16

 多くの人が集まっていて真剣そのものという感じ。。。

 当日は、社会教育科の宇佐見先生による現地解説が行われました。


猪方小川塚古墳20211030-4

 当日は、施設内がライトアップされていて、石室の奥まで見えやすくなっていました。

 石室を構築する石材は「泥岩」と呼ばれる泥の塊のような岩で、乾くと崩れて粉になってしまうし、逆に濡れるとドロドロになってしまうというなかなか厄介なものです。保存、公開するために長い時間をかけて少しずつ薬剤を染み込ませて固めたそうです。


猪方小川塚古墳20211030-5

 公開されていた出土品。

 9世紀後半の灰釉陶器長頸瓶で、埋まりかけた周溝に据え置かれ多様な状態で出土したそうです。

 この出土品により、7世紀半ばに築造された古墳が、9世紀後半になっても信仰の対象、あるいは何らかの儀式の場となっていたことがわかっています。(ちなみにこの古墳の東方、現在の猪方1丁目周辺では、どこを掘っても9世紀(平安時代頃)の集落が出てくるそうです。。。)


猪方小川塚古墳20211030-6

 こちらは須恵器長頸瓶です。

 8世紀前半のもので、石室が埋まりかけた中ほどから出土しており、もともと石室内に副葬されたものではなく、墳丘上に置かれていたものが、天井が崩落した後に転落したものと考えられているそうです。


猪方小川塚古墳20211030-7

 多くの鉄鏃や刀子、耳環とともに中世の銅銭も出土しています。


猪方小川塚古墳20211030-8

 発掘調査の進展の様子が、写真とともに解説されていました。


猪方小川塚古墳20211030-9

 公開されていた、発掘調査前の猪方小川塚古墳の写真です。

 宅地造成予定地の北西の一角に、約10m弱、高さ1mほどの高まりが残されている、という状況です。

 狛江の古墳の大半は、5世紀半ばから6世紀半ばにかけて造られた竪穴系の主体部を持つ古墳です。
 しかし、猪方小川塚古墳は、狛江古墳群において横穴式石室を有する古墳として初めて具体的に確認されたもので、7世紀半ばに築造された古墳であることがわかっています。

 多摩川流域における横穴式石室の展開を考える上でも極めて貴重な古墳ですね。。。


猪方小川塚古墳20211030-10

 周溝は、外径30m、内径21〜22mを計ります。

 南武蔵の終末期の首長墓は「墳丘:周溝内径:周溝外径」が「1:√2:2」の規格で築造されたと考えられており、この企画が適用されたとすれば、本来の墳丘は径15mとなるそうです。。。


猪方小川塚古墳20211030-11

 残されていた石室は、玄室の長さ2.7m、奥壁の幅1.32m、玄門部の幅1.14mを測り、玄門部の幅がやや狭い長方形を呈しています。

 また、前室は、長さ1.8m、幅1.1mの端正な長方形を呈しています。


猪方小川塚古墳20211030-12

 これは、2012年10月に行われた現地見学会の際に撮影した写真です。

 前室の床面に大きな河原石が敷き詰められている様子がわかります。
 玄室では手前側に大きな河原石が、奥側には細かな円礫が敷き詰められています。


猪方小川塚古墳20211030-13

 同じく、現地見学会の際に撮影した石室の様子です。

 石室内からは、耳環2点、鉄鏃14点、鉄鏃の一部と考えられる棒状鉄製品8点、刀子2点が出土しています。

 周辺の横穴式石室墳と比べると副葬品が少ない印象ですが、これはおそらく早い時期に盗掘に遭って目立つ副葬品は持ち出されてしまい、比較的小さな副葬品だけが残されたものと考えられています。
 

猪方小川塚古墳20211030-14

 説明板にはまだ「狛江市指定文化財」と書かれていました。

 いずれは付け替えられるのかな。。。


猪方小川塚古墳20211030-15

 というわけで、これが「猪方小川塚古墳」の古墳カードです!

 まずは1枚ゲット!

<参考文献>
現地説明板


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  1. 2021/10/31(日) 23:27:29|
  2. 狛江市/狛江古墳群(猪方)
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「前原塚古墳(久保塚)」

「前原塚古墳(久保塚)」

 画像は、狛江市猪方3丁目に所在する「前原塚古墳」を南西から見たところです。『東京都遺跡地図』には、狛江市の遺跡番号38番の古墳として登録されています。

 この古墳は古くは、昭和35年(1960)に当時の狛江町全域で行われた古墳の分布調査により把握されています。狛江市教育委員会より刊行されている『狛江市の古墳(Ⅰ)』には、分布調査当時の『狛江古墳群地名表』が掲載されており、前原塚古墳は「久保塚」の名称で、97番の古墳として取り上げられています。
 調査当時、墳丘はけやきのある雑木林で、周囲には畑地がひらけていました。墳丘は南側から西側の裾部が削られているものの、全体の形状はよく残されており、規模は東西径19m、南北径18m、高さは2.45mを計測されています。主体部は不明であるもの、横穴式石室の存在が想定されていたようです。
 その後、昭和51年(1976)に行われた古墳分布調査でもこの古墳は確認されており、長径21.4m、短径18.6m、高さ2.4m、墳頂平坦部6mと計測されています。雑木林となっている墳丘上には挙大の礫がみられ、これは葺石ではないかと考えられていたようです。


「前原塚古墳(久保塚)」

 南東から見た前原塚古墳のようすです。
 平成5年(1993)2月には、多摩地区所在古墳確認調査団により墳丘の測量と周溝の確認、地下レーダー探査などの調査が行われました。『多摩地区所在古墳確認調査報告書』によると、この当時の規模は直径約18m、高さ2.1 ~ 2.6 mの円墳で、墳丘上には葺石と考えられる挙大の円礫が散在しているとされています。周溝を復元すると、内径は約23.5m、外径約31.5mで、発掘調査により陸橋部が検出されています。埋葬施設を確認する為の発掘は行われなかったものの、レーダー探査の結果、墳頂部からほぼ並ぶように存在する主体部が2箇所確認されたことから、竪穴式の主体部が2基存在するとされ、それまで考えられていた横穴式石室の存在の可能性は否定されています。


「前原塚古墳(久保塚)」

 画像は墳頂部のようすです。
 訪れた当日は、土地の所有者の方に許可を得て墳丘に登らせていただきました。「挙大の円礫が散在している」という葺石と考えられる状況を確認したかったのですが、かなり落ち葉が積もっている状況で、古墳をほじくり返しているように見えてもいけないしなあとビビってしまったかもしれません。落ち葉をよけてみたりはしましたが、葺き石らしき円礫を写真におさめることは出来ず、です。笑。

 狛江市内では、「兜塚古墳」とこの「前原塚古墳」の2基が、最も良い状況で残されているようです。
 近年、急速に開発の進む狛江市内にあって、このままよい環境で保存されると良いなあと心から願います。

<参考文献>
狛江市史編さん委員会『狛江市史』
狛江市教育委員会『狛江市の古墳(Ⅰ)』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』


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  1. 2018/02/05(月) 23:33:15|
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「清水塚1号墳」

「清水塚1号墳」

 画像は、狛江市猪方1丁目に所在する「清水塚1号墳」を南西から見たところです。『東京都遺跡地図』には、狛江市の遺跡番号33番の古墳として登録されています。

 この古墳は昭和35年(1960)に行われた、当時の狛江町全域で行われた古墳の分布調査の際に把握されており、『狛江市の古墳(Ⅰ)』に掲載されている『狛江古墳群地名表』には、101番に「清水塚古墳」という名称で「円墳」として紹介されています。
 この調査当時に実測調査が行われており、同書には「円墳。西側から南側にかけて、墳丘裾部が削平され、崖状を呈しているほかは比較的形状をよく残していた。残存部は東西径14m、南北径17mで、墳頂部の平坦面は東西径5.5m、南北径4.0mで、祠が祀られていた。高さは、北側裾部で2.6m、東側で2.4mであるが、西側から南側にかけて遠まきに3.0mコンタが走っており、このことから、構築時の墳丘規模は径20m、高さ3.0m前後を推定したい。」と書かれています。また墳丘南側に凝灰岩石材が露出していたようで、横穴式石室の存在が推定されています。


「清水塚1号墳」

 画像は、墳丘を南から見たところです。石段が設けられており、墳頂部に登ることが出来ます。鳥居をくぐるとお稲荷さんと観音様が祀られています。
 昭和51年(1976)に行われた分布調査の調査記録には、「東側の墳端部が新たに削られたものの、1960年当時とほぼ同じ保存状態にある。現状は長径19.9m、短径17.4m、高さ2.5mで、墳頂平坦部には挙大の円礫が見られる。」と書かれているようですが、平成4年(1992)の多摩地区所在古墳確認調査団による調査では、露出する凝灰岩の石材は確認されなかったようです。
 ちなみに見学に訪れた当日も、この露出するとされる石材については確認することはできませんでした。


「清水塚1号墳」

 墳頂部のようすです。
 昭和51年の調査時の記録には、墳頂平坦部には挙大の円礫が見られるとの記述があるようです。散在するような円礫は見られませんでしたが、祠の周囲に並べて置かれている石がこの円礫なのでしょうか?

 この稲荷祠は、個人の屋敷内にある講中稲荷としては唯一のもので、大きな塚の上に祀られていることから「大山稲荷」と称されているようです。京都の伏見稲荷から分霊を分けてもらい、当地に勧請された稲荷であると伝えられているそうです。また、かつてこの古墳の横を泉龍寺の弁天池を水源とする「清水川」が流れていたそうですが、古墳はこの清水川を掘り下げた土を盛って造った塚であるといわれ、これによって古くから「清水塚」と呼ばれてきたようです。

 当日は、土地の所有者に声をかけてお参りさせていただきました。ありがとうございました。

<参考文献>
狛江市教育委員会『狛江市の古墳(Ⅰ)』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』
多摩地域史研究会『多摩川流域の古墳』


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  1. 2018/02/04(日) 22:13:33|
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「猪方(いのがた)小川塚古墳」その2

「猪方(いのがた)小川塚古墳」

 さて、狛江市猪方3丁目所在の「猪方小川塚古墳」は、現地説明会のようすを平成24年(2012)12月31日(月) の『古墳なう』にて取り上げましたが、今回はその後の状況を掲載しようと思います。

 画像は、現地説明会が行われた平成24年(2012)10月21日に撮影した古墳のようすです。現地説明会はかなり盛況で、多くの人が訪れていました。古墳は平成25年6月には狛江市の文化財に指定され、敷地は狛江市により買収されて古墳は現状保存されています。


「猪方(いのがた)小川塚古墳」

 続いて、現地説明会から2年後の、平成26年12月に訪れた時の猪方小川塚古墳のようす。敷地はフェンスで囲まれていて立ち入りは出来ず、墳丘にはシートが被せられています。
 敷地内には、新たに狛江市教育委員会による説明板が設置されており、次のように書かれていました。

狛江市指定文化財(市史跡)
猪方小川塚古墳
指定年月日 平成25年6月24日

 猪方小川塚古墳は、狛江古墳群のなかでは、横穴式石室墳であることがはじめて具体的に確認されたものです。
 墳丘は大部分が削平されていましたが、墳丘を取り巻く周溝は良好な状態で遺存しており、外径30m、内径22~23mを測ります。石室の正面となる南側では周溝が途切れ、陸橋状となっています。周溝の規模から、本来の墳丘は径15~20m程度と想定されます。
 石室は天井部を失っていますが、玄室と前室からなる復室構造です。玄室は、長さ2.7m、奥壁幅1.36mを測る長狭な長方形で、壁面は約1.2mほどの高さで遺存していました。前室は、長軸1.8m、幅1.1mほどの長方形で、本来はその手前に羨道、前庭部が備わっていたものと想定されます。
 石室の築造にあたっては、「唐尺」(1尺≒30cm)が利用されたと考えられ、玄室は、長さ9尺、幅4.5尺で、前室は、長さ6尺、幅4尺で築造されたものと考えられます。
 奥壁、側壁はともに泥岩による切石切組積みで築造されており、切石表面には石室の構築や仕上げにともなう工具や調整の痕が観察出来ます。床面は、前室から玄室手前側には長楕円形の大礫が敷き詰められているのに対して、玄室奥側では泥岩の板石を敷いた上に小円礫が敷き詰められ、玄室を前後に区分する意図が窺えます。副葬品の多くは、玄室奥側の小円礫上から出土しました。
 また、残された墳丘の土層堆積状況からは、石室と墳丘の具体的な築造の方法・手順等を復元することが可能となりました。
 石室内からは、被葬者の頭部付近から2個1対の状態で金銅製の耳環が、また被葬者の両脇に束ねられるようにして鉄鏃が出土しています。鉄鏃の形態等から、この古墳は7世紀第2四半期頃に築造されたと想定されます。
 猪方小川塚古墳は、これまで5世紀半ばから6世紀半ばにかけて集中的に造営されたと考えられてきた狛江古墳群の造営時期について見直しを迫るもので、狛江古墳群の全体像、さらには多摩川中・下流域における横穴式石室墳の成立と展開や、7世紀における多摩川流域の地域社会の様相を考えるうえで、きわめて貴重な古墳といえます。

平成26年3月 狛江市教育委員会



「猪方(いのがた)小川塚古墳」

 そして画像が、今年に入ってからの猪方小川塚古墳のようすです。墳丘にシートが被せられて見学できない状況は変わっていないようですが、古墳の状況には変化が!
 昨年12月には、次の建築許可をするための公聴会が行われたようですので、いよいよ古墳の整備が行われるのかもしれません。鉄骨造の遺跡(石室)保存覆屋が新築されるようですので、楽しみに待とうと思います。

<参考文献>
現地説明版


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  1. 2018/02/03(土) 22:04:03|
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「猪方673番地古墳」

「猪方673番地古墳」

 「猪方673番地古墳」は、狛江市猪方1丁目に所在したとされる古墳です。
 この古墳は、昭和35年(1960)に当時の狛江町全域で行われた古墳の分布調査時に把握されており、『狛江市の古墳(Ⅰ)』に掲載されている「狛江古墳群地名表」には、100番の名称のない古墳として取り上げらています。同書によると、当時の古墳は林地に残存するとされ、「径11m 高さ1~1.2m 台地東北縁辺に近い地」と記されています。昭和35年当時は、まだ猪方673番地古墳は残されていたようです。
 その後、昭和51年(1976)に行われた古墳分布調査による資料では、古墳は消滅扱いとなり、「現存していないが、その存在が確認できる古墳」として取り上げられています。その後、平成7年(1995)に多摩地区所在古墳確認調査団により発行された『多摩地区所在古墳確認調査報告書』には、この古墳は取り上げられず、『東京都遺跡地図』にも未登録となっているようです。

 画像は、「猪方673番地古墳」の跡地周辺のようすです。
 ちょうど画像中央の、道路が左に折れ曲がった右側あたりが猪方673番地古墳の推定地ではないかと思われますが、残念ながら特に古墳の痕跡は見当らないようです。


「猪方673番地古墳」
出典:国土地理院ウェブサイト(http://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=193508&isDetail=true)

「猪方673番地古墳」
典:国土地理院ウェブサイト(http://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=430101&isDetail=true)

 画像は、国土地理院ウェブサイトより公開されている、猪方673番地古墳周辺の空中写真です。1枚目は、昭和23年(1948)03月29日に米軍により撮影されたもので、2枚目は、昭和38年(1963)6月26日に国土地理院により撮影されたものです。どちらも、わかりやすいように猪方673番地古墳が写真の中央となるように切り取っています。(ちなみに左端に見えるのが「中村石塚」と思われます。)
 昭和23年の画像は、古墳の周辺は樹木が生い茂る林となっており、これはほかの昭和20年代の写真を確認しても似たような状況です。しかし、昭和38年の写真では樹木は伐採されたのか、東西にはしる古道が「く」の字に折れ曲がった南側にはっきりと円形の影を見ることが出来ます。もちろん、あくまで古い空中写真で確認するしか手段がなく、この円形の影が絶対に古墳であると断言はできませんが、可能性は高いように思います。
 この円形の影が古墳であれば、昭和50年代前半頃までは残されていたのではないかとも考えられるのですが、真相はわかりません。


「猪方673番地古墳」

 気になるのが、画像の地点です。
 古墳の跡地と推定した地点から北東に20m程の位置にT字路となる交差点があり、この南角に庚申塔が祀られています。画像がこの庚申塔です。
 この庚申塔の背後の個人の敷地内に、わずかながら塚状に盛り上がるマウンドが存在します。


「猪方673番地古墳」

 実は、土地の所有者の方に許可を得て見学をさせていただきつつ、お話を聞かせていただくことが出来ました。
 T字路南角の庚申塔は、かなり古くからこの場所に存在したそうですので、ひょっとするとこのマウンドは庚申塚である可能性も考えられそうです。そして、周囲の道路は舗装する際に砂利が敷かれていることから、農地だった頃よりも若干高くなっているそうですので、つまりはこのマウンドはかつてはもう少し高さがあったということになるようです。そして、このマウンド上には大きな木があったそうですが、これは最近伐採されたということです。そして、土地の所有者の方によると、敷地内に673番地古墳が存在した(する?)という認識もなかったようです。
 可能性としては、
① 「く」の字に折れ曲がった円形の影が古墳ではなく、このマウンドが猪方673番地古墳である。
② このマウンドは673番地古墳とは別の古墳で、2基の古墳が近距離に存在する。
③ このマウンドは古墳ではなく、庚申塚である。
④ このマウンドは単なる自然地形で古墳でも塚でもない。
 といったところかと考えられますが、今のところ真相は謎のままです。。。

 この猪方673番地古墳について現状でわかったことはここまでですが、まだ引き続き調べてみようと思っています。詳細がわかったところで追記します!

<参考文献>
狛江市史編さん委員会『狛江市史』
狛江市教育委員会『狛江市の古墳(Ⅰ)』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』


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  1. 2018/02/02(金) 23:58:06|
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「猪方稲荷塚(山本稲荷)」その2

「猪方稲荷塚(山本稲荷)」

 今回は、狛江市猪方に所在する「猪方稲荷塚」です。実は、最近たまたまこの塚の横を通りがかったときに、墳丘の敷地内に建てられていたはずの火の見櫓が無くなっていることに気がついて、「あれ?なくなってる!」とびっくりしました。しかも、南側にあった、確かアパートらしき2階建ての建物も無くなっている!
 この猪方稲荷塚は、以前一度、この『古墳なう』で取り上げているのですが、火の見櫓のない古墳の残存部分(?)の写真を撮り直してきたので、続編ということであらためて紹介しようと思います。

 画像は、南西から見た現在の猪方稲荷塚のようすです。この古墳は、学術的な調査は行われていないようなので、詳細はわかりません。現在も『東京都遺跡地図』には未登録のままです。
 昭和35年(1960)に、当時の狛江町全域で行われた古墳の分布調査において把握されており、『狛江市の古墳(Ⅰ)』に掲載されている「狛江古墳群地名表」には99番に、「稲荷塚」という名称で掲載されています。「現在火の見櫓 稲荷祠あり 径10~15mという 台地中央」と記されており、この時期にはすでに稲荷祠とともに火の見櫓が建てられていたことがわかります。そして、その後の昭和51年(1976)の調査の際にはすでに墳丘は削平されており、「1960年調査では削平されているものの径10~15mを推定された。今回の調査でも、宅地化されてほとんど原状をとどめていなかったが、わずかに30cmの微高を示し、稲荷祠を祀っていた。」と書かれています。現在の古墳の状況を見たところでは、この時期から大きな変化はみられないようです。


「猪方稲荷塚(山本稲荷)」

 北西から見た猪方稲荷塚です。現在もかわらず、30cm程の微高は保たれているようです。
 かつてのこの場所は、高く盛り上がった小山に鬱蒼と木が茂っていて、誰も近づかないような場所であったそうです。きれいに整備された現在の塚の姿からは、想像ができません。


「猪方稲荷塚(山本稲荷)」
出典:国土地理院ウェブサイト(http://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=194248&isDetail=true)

 画像は、国土地理院ウェブサイトより公開されている、昭和23年に米軍により撮影された猪方稲荷塚の空中写真です。わかりやすいように塚の周辺を切り取っています。まだ戦後のこの時期には塚状のマウンドが残されていたと考えられ、さらには東西に走る道路にまたがるように元々の塚の形状を思わせる円形の影が見えるのですが、これが周溝の跡であるとするならばとても興味深いですね。

 削平の際に遺物が出土したようなことはなかったのでしょうか。。。

【このブログの過去の関連記事】
http://gogohiderin.blog.fc2.com/blog-entry-273.html

<参考文献>
狛江市史編さん委員会『狛江市史』
狛江市教育委員会『狛江市の古墳(Ⅰ)』
狛江市中央公民館『平成14年度 郷土のむかし講座』
狛江市『猪方の民俗』


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  1. 2018/02/01(木) 23:24:25|
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「駄倉塚古墳」

狛江市「銀行町の無名古墳」

 狛江市は、古くから多くの古墳が存在することで知られており、俚伝などによると、和泉、猪方、岩戸の各地区を中心に200基以上にのぼるともいわれてきました。古くは、鳥居龍蔵氏の「武蔵野会」にも属していたという、地元在住の郷土史家である石井正義氏が狛江町に分布する古墳の調査を進め、『狛江百塚の記』を著しています。その後、子息の石井千城氏が補訂して冊子『狛江百塚』にまとめられており、同書に掲載された古墳の数は77基を数え、狛江古墳群を知る最初の手がかりとなっています。
 その後、昭和35年(1960)には狛江町全域の古墳分布調査が行われ、18基の古墳が現存を確認されるとともに、この時期に作成された「狛江古墳群地名表」には137基の古墳が掲載されています。そして、さらに昭和51年(1976)には狛江市内全域の古墳と遺跡の分布調査が狛江市教育委員会により取り組まれ、『狛江市の古墳(Ⅰ)』にまとめられています。
 その後、平成4年度から6年度にかけては、多摩地区所在古墳確認調査団によ狛江市内の古墳の分布調査が行われ、さらには「前原塚古墳」の墳丘の測量と地下レーダー探査が行われています。

 画像は、狛江市東和泉1丁目の「狛江三叉路」交差点周辺を南西から見たところです。この周辺は、明治の終わり頃から大正にかけて狛江唯一の銀行があったところで、銀行町と呼ばれていました。この交差点を中心に、お菓子屋や米屋、下駄屋、蕎麦屋などがあり、画像の角のところには交番もあったようです。小田急線の敷設以前は、このあたりが狛江の中心だったのかもしれません。
 銀行は画像の右側あたりにあったようですが、その背後に倉庫(土蔵)があり、この倉庫に隣接して古墳があったといわれています。
 『東京都遺跡地図』や『多摩地区所在古墳確認調査報告書』には記載されていない古墳ですが、昭和35年(1960)の分布調査による「狛江古墳群地名表」には39番に「駄倉塚古墳」の名称で記載されている古墳です。


狛江市「銀行町の無名古墳」

 このあたりが銀行の跡地でしょうか?この奥に倉庫があり、古墳があったようです。
 古墳の跡地と思われる周辺は宅地化が進んでおり、古墳はすでに消滅していると思われます。
 ただし、民家が建ち並ぶ中に薮となっている怪しい一角があり、ひょっとしたらこの場所が古墳の跡地で、なにか痕跡が残されているのでは?とも考えました。(怪しい一角とは、画像左寄りの木立のことですが)ただし、この場所には近寄ることが出来ず、この茂みの中がどんな状況なのかは確認するまでには至りませんでした。いずれ近くを通るチャンスがきた時に、またチャレンジしようと思います。。。

<参考文献>
狛江市教育委員会『狛江市の民俗Ⅱ』
狛江市中央公民館『平成14年度 郷土のむかし講座』


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  1. 2018/01/31(水) 22:01:02|
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