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古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

「土屋塚古墳」その2 ―狛江市指定史跡―

狛江市「土屋塚古墳」

 今回も引き続き、狛江市の古墳最新レポート!ということで、狛江市岩戸南1丁目に所在の「土屋塚古墳(駄倉明神塚古墳)その2」です。

 この古墳は過去に一度、平成24年(2012)9月11日の回で取り上げていますが、その後の平成26年に、個人所有であった墳丘の西側半分の敷地が寄付されており、狛江市の市有地となっています。これにより、繁殖してが西側の市道にはみ出した樹木は伐採。市道側の万年塀は撤去されて新たな擁壁が整備され、翌年には狛江市教育委員会による説明板が設置されています。

 画像は、北西からみた、整備後の土屋塚古墳です。


狛江市「土屋塚古墳」

 狛江市は、多くの古墳が密集して築造された地域であるといわれており、古くは「狛江百塚」とも呼ばれていました。現在残存する古墳は十数基を数えるほどになりましたが、本来は70〜80基ほどの古墳が形成されたと推定されており、古墳の位置や立地から、和泉支群、猪方支群、岩戸支群という三つの支群に分割できると考えられています。このうち、岩戸面で確認されている古墳は現状4基と比較的少数であり、このうちの1基が「土屋塚古墳」です。

 画像は、西から見た土屋塚古墳です。
 中央右寄りに、新たに設置された説明板も見えます。
 道路添いの塀が以前よりも低くなったので、見学しやすくなっていますね。
 何よりも綺麗になったし。笑。


狛江市「土屋塚古墳」

 狛江市教育委員会により設置された説明板。
 次のように書かれていました。

狛江市指定文化財(市史跡)
土屋塚古墳
指定年月日 昭和61年1月4日

 土屋塚古墳は、狛江古墳群のうち岩戸の地に残された数少ない
古墳のひとつとして、また墳丘の遺存状態が良好な古墳として、
昭和61年に市史跡に指定されました。
 平成16年には、墳丘の南側から東側にかけて発掘調査が行われ、
古墳築造の時期や当初の形態・規模が明らかになりました。直径
33メートル、高さ4.5メートルを測る円墳で東側に造り出し部を有し、
その外側に幅1.5メートルほどのテラスと幅10メートルほどの周溝が取
り巻くことが判明しました。
 周溝からは、もともと墳頂や墳端に並べられていた埴輪が、
周溝内に転落した状態で出土しました。これら埴輪は、製作技
法から上野(現在の群馬県)に拠点をおく工人集団が、この付
近で採取される粘土で製作したものと考えられます。また、河
内地方を起源とする装飾が施された朝顔型円筒埴輪や鳥付円筒
埴輪なども出土しています。造出部付近からは、土師器の大型
壺、高坏などが出土しており、造出部で墓前祭祀が行われたも
のと考えられます。
 土屋塚古墳は、出土遺物から5世紀第3四半期頃に築造され
た古墳と考えられます。多摩川流域では、5世紀に入ると、そ
れまで古墳が築造されなかった野毛(世田谷区)の地に、野毛
大塚古墳に代表される大型の帆立貝形古墳が築造されはじめま
す。これは畿内における王権の変遷と関連するものと考えられ
ますが、狛江の地でも、野毛地区の動向と連動して、5世紀半
ばから古墳の造営がはじまります。土屋塚古墳は、そのなかで
も比較的早い時期に築造された古墳で、帆立貝形を模した造出
部を有するなど、多摩川流域の古墳文化の動向や、当時の地域
間関係を知るうえで、大変貴重な古墳です。
平成27年3月
                    狛江市教育委員会



狛江市「土屋塚古墳」

 南西から見た土屋塚古墳の様子です。
 この古墳は平成16年(2004)、墳丘の東側にマンションの建設が計画されたことから、建設予定範 囲を対象に発掘調査が行われ、古墳の周溝が検出されています。
 ちなみに報告書には古墳の規模について、外径約55m、内径約36m、墳端テラスを含む墳丘は径約35.2m、高さは4.4mで、墳丘東側の造出部は幅4.4m、長さ2.2mと書かれています。報告書と現地の説明板で、微妙に規模についての数字が違っていることがあるのは、どうしてなんでしょうね?
 土屋塚古墳は5世紀半ばに築造された古墳ということで、狛江古墳群の中でも築造時期が比較的古い古墳であることがわかっています。


狛江市「土屋塚古墳」

 画像は、昨年の東京文化財ウィークの文化財めぐり「狛江の古墳を歩こう」に参加した時の土屋塚古墳です。学芸員の先生のお話を聞くチャンスはなかなかありませんし、私にとっては楽しいひとときです。
 当日は、参加した人たちが真剣にお話に聞き入っていました。


 いずれはこの土屋塚古墳も古墳公園として整備、公開される予定であると聞いています。
 急速に開発の進む狛江市内にあって、亀塚古墳、白井塚古墳、猪方小川塚古墳、そしてこの土屋塚古墳と、多くの古墳が保存、整備されて公開されていくようです。狛江市の文化財課の方々の尽力も大きいことと思います。
 2、3年後には、狛江の古墳の様相も大きく変わっていることと思います。
 心から楽しみにしています。。。

【このブログの過去の関連記事】
http://gogohiderin.blog.fc2.com/blog-entry-54.html(土屋塚古墳―狛江市指定史跡―)

<参考文献>
狛江市教育委員会『土屋塚古墳発掘調査報告書』
狛江市教育委員会『市内遺跡発掘調査報告書Ⅴ』


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  1. 2019/11/14(木) 00:45:37|
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「橋北塚古墳(三角塚古墳)」その2

狛江市「橋北塚古墳(三角塚古墳)」

 画像は、狛江市岩戸北3丁目の「橋北塚古墳」の所在地を南東から見たところです。
 『東京都遺跡地図』には、狛江市の遺跡番号25番に登録されている古墳です。

 この橋北塚古墳は、我が『古墳なう』でも過去に一度掲載しました。
 数年前までは、この場所にはかなり改変された墳丘が残存しており、周辺は宅地化が進んでいる中、この場所だけが深い竹藪となっていました。

 昭和35年(1960)に行われた狛江古墳群の分布調査において、東西径22m、南北径21m、高さは2.85~3mの墳丘が計測されており、この状況は近年まで大きな変化はなかったようですが、その後、平成27年から28年にかけて調査が行われ、周囲の駐車場も含めた古墳の敷地には保育園が建設され、その園庭として墳丘の一部が現状保存されています。


狛江市「橋北塚古墳(三角塚古墳)」

 橋北塚古墳は、確認された周溝から、外径約40m、内径約28m、幅約5mの周溝が取り囲む中にテラスを有する直径約26mの墳丘が存在したと推定されています。
 古墳が所在した場所の保育園の塀には、小さな説明板が設置されており、次のように書かれています。

三角塚園庭
三角塚古墳〈橋北塚古墳〉
 狛江には、5世紀の半ばから6世紀の半ばにかけて、60〜70基ほどの古墳が
築造されたと考えられ、橋北塚古墳(三角塚古墳)も6世紀前半に築造された古墳
であると考えられています。
 この古墳には、墳丘(ふんきゅう)に葺石(ふきいし)はなく、埴輪(はにわ)も
確認されていませんが、平成2年の調査において、古墳を取り巻く周溝(しゅうこう)
の一部が確認されています。墳頂(ふんちょう)付近に円礫(えんれき)が集中して
残されていることが確認され、古墳の主体部は、木棺(もっかん)のまわりを挙大
ほどの丸い石を集めて覆った礫槨(れきかく)であったと考えられています。



狛江市「橋北塚古墳(三角塚古墳)」

墳丘の北側の一部と南側の一部は削平されたようですが、主体部が存在する墳丘の部分が現状保存されているようです。また、保育園の地下には周溝も現状保存されているそうです。

 画像は、保育園の塀の奥に見える橋北塚古墳です。
 いや、古墳というよりは、墳丘上に生えている草ですね。草。


狛江市「橋北塚古墳(三角塚古墳)」

 北東から見た草。

【このブログの過去の関連記事】
http://gogohiderin.blog.fc2.com/blog-entry-120.html(「橋北塚古墳」その1)

<参考文献>
狛江市教育委員会『狛江市の古墳(Ⅰ)』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』
狛江市教育委員会『市内遺跡発掘調査報告書Ⅰ』
狛江市教育委員会『市内遺跡発掘調査報告書Ⅵ』


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  1. 2019/11/12(火) 23:21:50|
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「八幡塚(明神塚)」

「八幡塚(明神塚)」

 旧和泉村と岩戸村にまたがる一帯、和泉の東端と岩戸の西端にあたる地域は、かつては駄倉(だぐら)という小字で呼ばれていました。
 現在の狛江市岩戸北3丁目11番地、旧番地の岩戸1084番地には、この地名を冠した「駄倉明神」と呼ばれる神社が存在しました。昭和15年(1940)の『土地宝典』では、「八幡神社」の名称で、南向きの境内と参道を確認することができます。
 『新編武蔵風土記稿』には記載されていない神社で、近世における村の鎮守としての地位は与えられなかった一社であるようですが、523坪の社地が除地として認められた、立派な境内を持つ神社であったといわれています。
 現在、駄倉明神は岩戸八幡神社の境内摂社となっていますが、旧社地を訪れてみると、今だに境内と参道らしき地形が残されています。
 画像手前が「いちょう通り」で、中央から奥に伸びる細い道路が駄倉明神のかつての参道です。この参道を30メートルほど歩いた奥が、旧境内となります。


「八幡塚(明神塚)」

 画像が、駄倉明神(八幡神社)の旧社地の現在の様子です。
 まだ広い敷地が残されているようですが、この旧社地の中心に円形の噴水が造られていることには驚きました。地元の人にお聞きしたところでは、駄倉明神が岩戸八幡神社に移された跡、何か訳あってこの噴水が造られたそうです。

 さて、昭和54年(1979)に狛江市教育委員会より発行された『狛江市の古墳(Ⅰ)』に『狛江古墳群地名表』の119番には、所在地「岩戸1084番」、つまり、駄倉明神の旧社地に、「八幡塚(明神塚)」という名称で古墳が記載されています。「明神塚」の名称は当然ながら駄倉明神からの命名と考えられますが、分布調査が行われた昭和35年(1960)当時、既に古墳は削平されて消滅していたようです。


「八幡塚(明神塚)」
出典:国土地理院ウェブサイト(https://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do#1)

 画像は、国土地理院ウェブサイトより公開されている、昭和23年(1948)3月29日に米軍により撮影された空中写真です。わかりやすいように周辺を切り取っています。
 画像の中央が駄倉明神の旧社地です。もちろん上空からの写真ですので高低差まではわかりませんが、多少改変されている古墳と思しき形状が見られます。この空中写真から想像すると、境内全体が古墳の高まりとなっており、墳丘上に祠が祀られていたのではないかと推測されますが、真相はわかりません。

 付け加えると、『狛江市の古墳(Ⅰ)』の『狛江古墳群地名表』の127番には、「八幡塚(明神)」と1番地違いの岩戸1085番地に「第4明神塚」という古墳が記載されています。近接した場所にさらに1基、古墳が存在したのかもしれませんが、こちらは正確な所在地は不明です。
 画像をじーーーーっと眺めて、南西に前方部、北西に後円部という前方後円墳では?もしくは前方部にあたるところが「第4明神塚」では?と妄想。。。

<参考文献>
狛江市『狛江市史』
狛江市教育委員会『狛江市の古墳(Ⅰ)』
狛江市農業協同組合史編纂委員会『狛江市農業協同組合史』


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  1. 2019/11/11(月) 23:59:58|
  2. 狛江市/狛江古墳群(岩戸)
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「宿屋敷西1号墳」

「宿屋敷西1号墳」

 「宿屋敷西遺跡」は、旧野川の左岸の台地縁辺部に位置する遺跡です。
 過去に、昭和64年(1989)から平成3年(1991)にかけて行われた第1地点の発掘調査では「古屋敷塚古墳」の周溝が検出されており、さらに近年、平成30年(2018)に行われた第5地点の発掘調査により、「宿屋敷西遺跡1号墳」が確認されています。

 古墳は、周溝の約2/3が調査され、内径約13m、外径約17.5mの規模で、北西部に幅約1mのブリッジを持つ円墳であると推定されています。出土遺物より、古屋敷塚古墳からやや遅れて、土屋塚古墳とほぼ同時期である5世紀第3四半期に築造されたと考えられているようです。
 特筆すべきは、有袋鉄斧・鉄鐸・刀子などの鉄製品が出土していることで、これまでの鉄鐸の出土は名古屋以西、近畿、岡山など西日本に集中していて、東日本では群馬と長野に1例ずつ認められるのみなのだそうです。
 もちろん、この鉄鐸や有袋鉄斧の出土は狛江市内で初めてのことであり、特に鉄鐸の出土が全国的に見ても希少な事例であるようです。
 いったいどんな人物が埋葬されていたのか、とても興味深いですね。

 画像は、昨年2018年の東京文化財ウィークの狛江市の企画事業「狛江の古墳を歩こう」に参加した際に撮影したものです。発掘調査は終了して、区画整理が進行していた頃と思われます。
 現在は宅地となり、古墳の痕跡は見ることはできません。。。

<参考文献>
狛江市教育委員会『市内遺跡発掘調査報告書Ⅵ』


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  1. 2019/11/08(金) 23:24:19|
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「古屋敷遺跡 第7地点」

「古屋敷遺跡第7地点」

 「古屋敷遺跡」は、西側に旧野川沿いの低地を、南側には旧野川と旧岩戸川沿いの低地から多摩川沿いの低地を望む、台地の南側縁辺に広がる遺跡です。この遺跡の第7地点の発掘調査では、トレンチ内から土師器片や須恵器片のほか、円筒埴輪片が出土しています。
 出土した埴輪片は1点のみで、古代以降の土地利用に伴う混入の可能性もあることから、古墳の存在が断定されているわけではないようですが、この遺跡の西寄りには5世紀半ばに築造されたとされる「土屋塚古墳」が所在しており、また周辺には多くの古墳の伝承が残されています。
 当然ながら古墳の痕跡は全くなし!ということになりますが、今後の調査の進展次第では新たな古墳発見の可能性も高い、楽しみな地域ですね。。。

<参考文献>
狛江市教育委員会『市内遺跡発掘調査報告書Ⅵ』


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  1. 2019/11/07(木) 23:15:15|
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「岩戸八幡神社」

「岩戸八幡神社」1

 画像は、狛江市岩戸南2丁目に所在する「八幡神社」です。
 通称「岩戸八幡神社」とも呼ばれるこの神社の祭神は品陀和気大神です。明治三年から四年に社殿改築して岩戸村総鎮守となり、明治三十七年には駄倉明神ならびに神明社を合祀、その後昭和三十七年に社殿改築されています。

 この神社の創建のエピソードがなかなか興味深く、境内に建てられているが八幡神社の「由緒」には次のように記されています。

由 緒  当社は狛江市岩戸の総鎮守にして、往古は的矢庄石井郷にて、
後に岩戸となまり、此の地に在り。
 社伝に曰く、岩戸の地士に秋元仁左衛門と言う怪力無双の勇士あり。人
呼んで鬼五郎左衛門と称し恐れられていた。
 今を隔てる四百有余年前、即ち永禄元年(一五五八)四月、相州小田原
の北條陸奥守の召しに応じた足利左馬頭義氏という腕自慢の勇士があった。
一方、当岩戸の領主にして世田谷城主吉良左兵衛佐頼康も又、義氏同様召
しに応じ、諸大名と共に鎌倉鶴岡八幡宮に参詣した。遇々、腕自慢の義氏が、
世田谷城主吉良頼康と力競べをする事となり、頼康は家来の中より岩戸の
住人仁左衛門をして、其の相手となさしめる事になった。勝負は相撲によ
り決し、懸賞として勝者には鶴岡八幡宮の御神体を懸け、諸将きら星の如
く居並ぶ社前において勝敗を争ったが、仁左衛門はこの大相撲に見事腕自
慢の義氏を倒し、遂に勝利を得て、その賞として鶴岡八幡宮の御神体を当
所に持ち帰り、八幡神社を勧請したと伝えられ、以来四百有余年の歳月を
重ね、今日に至るまで、その名残を近郷にとどめて、今でも世田谷八幡宮
の祭礼には此の相撲が行われている。
 御神体は神秘の木の坐像、束帶、身丈二四・七五糎にして、参詣者の無
病息災と子孫繁栄に霊験ありて、近郷近在の老若男女競うて参詣するもの
多し。
 社殿は明治三年改築し、更に昭和三十七年八月、木造一部鉄筋コンクリ
ート造り、向拝付拝殿、銅板葺、総建坪二十五坪余、近代的にして崇厳を
極めた神殿である。附近には千古を伝う湧水あり。又、社前の池中には末
社厳島神社あり、市杵嶋姫命を祀る。総社地三百九十坪余、氏子は二千有余。
昭和四十九年九月、時代の推移に伴い境内に神楽殿を建設し、以って氏子
の人々を始め、一般の参集に便ならしめ、参詣又容易にせんとす。社殿改
築時には大鳥居を、今又手水舎を寄進する有志あり、神殿の崇厳輝き、神
の鉾榧の大木天を摩し、氏子の繁栄と、敬神の念を極めている。

  昭和四十九年十月五日
  平成二十二年五月二十七日再建   宮 司  小 町 守 代


 私は七五三を鎌倉の鶴岡八幡宮で行っていますし、成人してからも何度か参詣に訪れているという、とても縁のある神社なのですが、鎌倉から御神体が持ち帰られているというエピソードはなんだか親近感が湧きます。
 それにしても、賭け相撲に勝ってこの八幡神社を勧請したとはちょっとびっくりですね。。。



「岩戸八幡神社」
出典:国土地理院ウェブサイト(https://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do#1)

 この八幡神社は、境内地が周囲よりも一段高くなっているようなのですが、この場所が古墳だったということはないのかな?と疑問に思って、空中写真で調べてみました。

 画像は、国土地理院ウェブサイトより公開されている、昭和23年(1948)3月29日に米軍により撮影された、岩戸八幡神社周辺の空中写真です。わかりやすいように神社周辺を切り取っており、中央に見えるのが岩戸八幡神社です。
 上空からの写真ですので高低差まではわからないのですが、この写真を見ていると、社殿の社殿改築のたびに削られて平坦にならされてしまったものの、元々は大きな円墳だったのではないかとも思えてきます。
 気のせいかな。。。


「岩戸八幡神社」2

 社前の池中に祀られている末社厳島神社です。
 古墳好きとしては、ドキッとさせられる形状ですね。笑。


「岩戸八幡神社」

 岩戸八幡神社境内の様子です。境内には特に古墳らしき高まりは見られないようです。
 『狛江市の古墳(Ⅰ)』に掲載されている「狛江古墳群地名表」には、この周辺に所在したという「境塚」という古墳が掲載されています。平成5年発行の『狛江市農業協同組合史』によると、この境塚は「浅間塚」で、かつて山林部分を岩戸八幡神社に寄付したという記録が残されているようです。
 岩戸の支群に残されている古墳は、和泉や猪方の支群と比べて少ないようですが、かつては多くの古墳が存在したのではないでしょうか。。。


「岩戸八幡神社」4

 境内社の様子です。
 合祀されたという宿屋敷の駄倉明神や神明社は、かつては古墳に祀られていたのではないかと思われるのですが、真相はわかりません。。。


空中写真の古墳かもしれない地形1

 画像は最初の空中写真と同じく、昭和23年(1948)3月29日に米軍により撮影されたものです。
 画像の中央、道路が交差する西側に塚状に盛り上がっているらしき地形がみられます。
 古墳か否かはともかく、なんらかの塚が存在したのではないかな?ということで、念のため見に行ってみましたが…


「岩戸八幡神社」

 時すでに遅し。
 古墳らしき何かが存在したとすれば、画像の道路の左側あたりとなりますが、痕跡は全く残されていません。
 道路が交差するあたりがわずかに狭くなっているようですが、これが塚の痕跡なのでしょうか?


空中写真の古墳かもしれない地形3

 これも最初の空中写真と同じく、昭和23年(1948)3月29日に米軍により撮影されたものです。
 画像の中央に古墳らしき何かがあったのかな?という感じで、横を通る道路が円形の何かを避けるように弧を描いています。ちなみに南西側(左下)の木立の場所が橋北塚古墳です。
 この場所も念のため見に行ってみましたが…


「岩戸八幡神社」

 何かが存在したとすれば、画像の道路の右側あたりです。
 弧を描く道路の形状はとりあえずそのまま残されているようなのですが、周囲は宅地化が進み、やはり古墳(塚?)らしき痕跡は見当たりません。。。


「岩戸八幡神社」

 弧を描いた道路の場所のすぐ近くには竹林が残されており、わずかに地面が盛り上がっていてドキッとしましたが。。。う〜ん。これは古墳ではないかも。

空中写真の古墳かもしれない地形2

 この場所なんて絶対に古墳跡だよ!と思いましたが。


古墳跡?

 古墳が存在したとすれば、画像の左側あたり。
 まるで、かつて存在した塚の跡を取り囲むような道路の形状が怪しい!という感じなのですが、古墳らしき痕跡はまったく見られないようです。。。

<参考文献>
狛江市教育委員会『狛江市の古墳(Ⅰ)』
狛江市農業協同組合史編纂委員会『狛江市農業協同組合史』
東京都神社庁『東京都神社名鑑 下巻』
現地説明板


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  1. 2019/11/06(水) 23:59:22|
  2. 狛江市/狛江古墳群(岩戸)
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「岩戸小川塚」

「岩戸小川塚」

 「岩戸小川塚」は、狛江市岩戸南2丁目に所在したとされる古墳です。現在は削平されて存在しない古墳で、『東京都遺跡地図』にも未登録となっています。

 この古墳は、昭和35年(1960)に当時の狛江町全域で行われた古墳の分布調査時に把握されており、『狛江市の古墳(Ⅰ)』に掲載されている『狛江古墳群地名表』には124番の無名の円墳として紹介されています。同書にはこの古墳の当時の現状について「平夷」とあり、また「規模・その他」の項には「台地の南側縁辺寄り」とのみ書かれており、この時点で古墳はすでに削平されて詳細はわからなくなっていたようです。
 その後、昭和51年(1976)の調査の際には「現存しない古墳」の項に「1976年の調査時点で現存していないが、その存在が確認できるもの」として「岩戸小川塚古墳」の名称で取り上げられており、「1975年、多摩病院の建設により壊滅した」と書かれています。その後の、平成7年(1995)に多摩地区所在古墳確認調査団により発行された『多摩地区所在古墳確認調査報告書』にはこの古墳は取り上げられず、『東京都遺跡地図』にも未登録となっています。
 画像は現在の多摩病院です。この周辺のどこかに古墳の痕跡が残されていないものでしょうか。


「岩戸小川塚」

 画像は、多摩病院の北側に隣接する岩戸地域センターです。一説には、この岩戸地域センターの場所は塚の所在地であったといわれているようです。
 この場所が岩戸小川塚の所在地であるかどうかはわかりませんが、『狛江市の古墳(Ⅰ)』に掲載されている『狛江古墳群地名表』には、多摩病院周辺に何基かの無名の古墳の記載が見られます。かなり多くの古墳の存在が存在したのかもしれません。


「岩戸小川塚」

 ちょっと気になったのがこの場所です。岩戸地域センターの東側には、まるで建物の建設時に削り残されたかのような塚状の地形が存在します。
 この地形が古墳の残存部分であるのか、それとも単なる築山なのかはよくわかりませんが、とても興味深い形状です。

 狛江古墳群中、岩戸の支群に残存する古墳は「土屋塚」と「橋北塚」の2基のみで、和泉や猪方の支群と比べると少ない数となっているようですが、江戸時代の地誌『武蔵名勝図会』では、和泉村、猪方村の塚の数を9基としているのに対して、岩戸村では11基の塚についての記述が見られるようです。つまり、この岩戸面にも当初はかなり多くの古墳が築造されたのではないかと考えられます。
 ただし、岩戸地域では、塚の多くが六郷用水に沿うように存在することから、用水を掘った際に出た残土を積み上げた塚であると伝えられてきたようです。岩戸地域の古墳が消滅するスピードが和泉や猪方と比べて速かったのだと仮定すると、岩戸の塚は残土を積み上げたもので、古墳ではないとするこの伝承も一因となっているのかもしれません。。。


「岩戸小川塚」

 築山の南東側には、ひょっとしたら古墳を崩した時に出てきた石材じゃないの?と疑ってしまいたくなるような巨石が置かれているのですが、いや、すべて私の妄想かもしれません。。。
 一説には、この多摩病院の付近には、「関下稲荷」と呼ばれる、かつて西組の家々がまつっていたという講中稲荷の祠が鎮座する塚があり、この塚は「大山」と呼ばれていたといわれています。その後の開発により宅地造成工事が行われることとなり、塚は崩されて稲荷は岩戸稲荷に合祀されたようです。
 この「大山」は多摩病院の東側にあったといわれているようなので、岩戸公民館の地点の塚とは別物と考えられますが、かつての岩戸小川塚の墳頂部にも稲荷祠が祀られていたといわれており、第二次大戦中にはこの塚の下に防空壕を掘って避難したという伝承も残されています。岩戸小川塚と大山が同一の古墳であるという可能性も考えられるのかもしれません。

<参考文献>
狛江市史編さん委員会『狛江市史』
狛江市教育委員会『狛江市の古墳(Ⅰ)』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』
多摩地域史研究会『多摩川流域の古墳』
狛江市農業協同組合史編纂委員会『狛江市農業協同組合史』
狛江市(企画財政部市史編さん室)『岩戸の民俗』


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  1. 2019/10/17(木) 23:07:53|
  2. 狛江市/狛江古墳群(岩戸)
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「野屋敷塚」

「野屋敷塚」

 狛江市岩戸北に所在したとされる古墳が「野屋敷塚」です。

 この古墳はすでに墳丘は消滅して存在せず、伝承のみに残されているという古墳で、『東京都遺跡地図』にも未登録となっています。
 古くは、59基の古墳が記載されていたという『狛江百塚』に記述があり、「わずかにその形をとどめていた」と記されています。その後、昭和35年(1960)に当時の狛江町全域で行われた古墳の分布調査でもこの古墳は把握されており、『狛江市の古墳(Ⅰ)』に掲載されている、分布調査により作成された「狛江古墳群地名表」には、121番に「野屋敷古墳」の名称で取り上げられています。

 問題なのがこの野屋敷塚の所在地なのですが、昭和35年の地名表には岩戸1300番地とあり、「中央電力研究所内 台地中央」とされています。しかし、その後の昭和51年(1976)の調査では、岩戸1349番地と記されており、昭和60年(1985)に発行された『狛江市史』には岩戸北4-5と書かれています。
 昭和35年調査時の地名表にある所在地の記載の誤りについては、昭和51年調査時の地名表で訂正されているようですし、昭和51年調査の「岩戸1349番地」と昭和60年の『狛江市史』の「岩戸北4-5」は同一地点を指していると思われますので、この野屋敷塚の正確な所在地については、昭和51年の地名表に記載されている表示に信憑性があるように思います。ちなみに『狛江市の古墳(Ⅰ)』の42ページに掲載されている古墳の分布地図にも、野屋敷塚の位置は1349番地あたりに記されているようです。

 画像は、旧番地の岩戸1349番地周辺のようすです。古地図と照らし合わせたところでは、画像の右側あたりが野屋敷塚の所在地となりますが、すでに宅地化が進んだこの地域に古墳の痕跡は見られません。
 残念ながら、野屋敷塚は消滅してしまっているようです。


「野屋敷塚」

 念のため、中央電力研究所も訪れてみました。
 ぐるりと周囲を一周してみましたが、見渡したところでは古墳の痕跡は残されていないようです。
 やはり、昭和35年の地名表の岩戸1300番地の(中央電力研究所内 台地中央)は誤りなのかもしれません。


「伊井出森稲荷」

 画像は、野屋敷塚の跡地に近い、岩戸北4丁目に所在する「伊井出森稲荷」です。
 この稲荷は「曽我稲荷」とも呼ばれて親しまれており、個人持ちの稲荷ではあるものの、地元の五軒屋組の家々から厚く信仰を寄せられている稲荷です。平成8年に現在地に移されて境内地はかつてよりもかなり狭くなったようですが、昭和の時代までは隣接するマンションの敷地にあり、広い境内地に祀られた社殿は小丘上に祀られていたといわれています。
 この小丘が古墳であった可能性も十分に考えられそうなのですが、当初は、かなり近い位置に存在したと考えられる「野屋敷塚」とこの稲荷の関連を考えましたが、どうやらこの社殿が鎮座していたという「小丘」は野屋敷塚とは異なる地点となるようです。


「伊井出森稲荷」


 現在の伊井出森稲荷の祠のようすです。
 この稲荷の所有者宅には、この家に嫁いできたツルさんという霊感の強い女性がおり、幼少の頃から人の見えないものが見える人であったそうです。
 この家に嫁いできてから不思議な夢をみて、伊井掃部頭ゆかりの稲荷を祀るようになり、これ以降、稲荷は伊井出森稲荷と呼ばれるようになりました。ツル氏は明治期から大正初期にかけて、多くの人の身の上相談を受けながら盛んに占いや祈祷を行い、俗に「岩戸の稲荷様」と呼ばれるようになったそうです。
 特に占いは大変よく当たると評判だったそうですが、ご縁があれば私もみてもらいたかったです。。。
 
<参考文献>
狛江市史編さん委員会『狛江市史』
狛江市教育委員会『狛江市の古墳(Ⅰ)』
狛江市農業協同組合史編纂委員会『狛江市農業協同組合史』


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  1. 2019/10/15(火) 23:18:53|
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「無名古墳と気になるその周辺」

「無名古墳?」

 昭和35年(1960)当時、狛江町全域で行われた古墳の分布調査により作成された「狛江古墳群地名表」には、計137基の古墳が掲載されています。この中には、名称のない古墳や、所在地すら書かれていない無名古墳も存在しますので、すべての古墳を追い求めるのはナンセンスなのですが、おおよその跡地が特定できた古墳については、一応ぶらりと廻ってみたとこがあります。
 (ちなみに、狛江までは私の脚で休みなく自転車で飛ばすとだいたい30~40分というところで、ぶらぶらして暗くなるまでに帰ってくるというのが本当に良い運動になるのですが、市内には古道がそのまま残されているような道路が比較的多いし、お地蔵様や庚申塔といった石造物が元々あった場所にそのまま残されていたり、古墳の跡地では?と妄想できるような場所も少なくないので、自転車で走るのが本当に楽しいのです。)

 狛江市岩戸北3丁目の、掲載した画像の周辺にも古墳ではないかと考えられる塚が所在したようです。遺物の伝承も由来もわからない無名の古墳で、「狛江古墳群地名表」には126番に取り上げられている古墳です。

 因みに、先日取り上げた「岩戸小川塚」の所在地は、『狛江市の古墳(Ⅰ)』に掲載の「狛江古墳群地名表」によると旧番地の「岩戸622番地」であり、ほかに122番の古墳が「岩戸593番地」、123番の古墳が「岩戸593〜4番地」、125番の古墳が「岩戸621番地」と、計4基の古墳が存在したようです。そして、この126番の無名の古墳も、岩戸小川塚古墳から北に100mほどの地点に近接しており、計5基の古墳が密集していたという状況です。
 残念ながら、古墳の痕跡は残されていないように思いますが、とても気になる地域です。


「無名古墳?」

 画像は、狛江市岩戸南1丁目の、とある三叉路の辻となっている場所です。狛江市の指定史跡となっている「土屋塚古墳」から南に数十メートルほどの地点です。この画像の木立の中には2基の祠が祀られていて、その背後にはわずかな塚状の地形が見られることから、気になって調べてみたという場所です。


「無名古墳?」

 古地図で確認すると、この祠の場所はだいたい岩戸1010番台かなあ?という状況で、正確な番地まではわかりませんでした。『狛江市の古墳(Ⅰ)』掲載の「狛江古墳群地名表」と見比べると、岩戸1032番地の「第2明神塚」や、岩戸1043-2番地の「第3明神塚」あたりは、この祠にかなり近い位置にあったのではないかと思われますが、「第3明神塚」と「土屋塚古墳」が同じ「岩戸1043-2番地」と表記されているなど、この地名表の所在地が当てにならない部分もあり、真相を突き止めるには至りませんでした。果たしてこの祠のどちらかが明神様なのでしょうか???


「無名古墳?」

 祠の背後に残される微妙なマウンドです。

 うーん、よくわからない。
 この場所に古墳が所在したかどうかは不明ですが、祠は古墳と何らかの関係があるような気がする!。。。

<参考文献>
狛江市教育委員会『狛江市の古墳(Ⅰ)』


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「田中塚古墳」

「田中塚古墳」

 「田中塚古墳」は、狛江市岩戸北3丁目18に所在したとされる古墳です。すでに削平されて墳丘の存在しない古墳で、『東京都遺跡地図』には未登録となっています。

 この「田中塚」は、昭和35年(1960)に行われた狛江町全域の古墳の分布調査時に把握されており、『狛江市の古墳(Ⅰ)』に掲載されている『狛江古墳群地名表』には、131番の円墳として紹介されています。同書にはこの古墳の当時の現状について「平夷」とのみあり、また「規模・その他」の項には「台地の南斜面末端」とのみ書かれています。
 その後、昭和51年(1976)の調査の際には「現存しない古墳」の項に「1976年の調査時点で現存していないが、その存在が確認できるもの」として取り上げられており、「かつて、埴輪片、土器片が出土したという」と遺物の伝承について記載されています。その後の、平成7年(1995)に多摩地区所在古墳確認調査団により発行された『多摩地区所在古墳確認調査報告書』にもこの古墳は記載されています。

 田中塚古墳の所在地は「台地の南斜面末端」ということですので、画像の右側あたりが古墳の跡地となるかと思われますが、正確な所在地を特定することはできませんでした。現地では開発が進み、古墳の痕跡はまったく残されていないようです。。。

<参考文献>
狛江市史編さん委員会『狛江市史』
狛江市教育委員会『狛江市の古墳(Ⅰ)』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』
多摩地域史研究会『多摩川流域の古墳』


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  1. 2018/01/23(火) 00:12:05|
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