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古墳なう

「大都市、東京の失われた古墳を探せ!」をテーマに、 ご〜ご〜ひでりんが実際に現地に足を運んで確認した古墳や塚の探訪記録。

「土屋塚古墳」その2 ―狛江市指定史跡―

狛江市「土屋塚古墳」

 今回も引き続き、狛江市の古墳最新レポート!ということで、狛江市岩戸南1丁目に所在の「土屋塚古墳(駄倉明神塚古墳)その2」です。

 この古墳は過去に一度、平成24年(2012)9月11日の回で取り上げていますが、その後の平成26年に、個人所有であった墳丘の西側半分の敷地が寄付されており、狛江市の市有地となっています。これにより、繁殖してが西側の市道にはみ出した樹木は伐採。市道側の万年塀は撤去されて新たな擁壁が整備され、翌年には狛江市教育委員会による説明板が設置されています。

 画像は、北西からみた、整備後の土屋塚古墳です。


狛江市「土屋塚古墳」

 狛江市は、多くの古墳が密集して築造された地域であるといわれており、古くは「狛江百塚」とも呼ばれていました。現在残存する古墳は十数基を数えるほどになりましたが、本来は70〜80基ほどの古墳が形成されたと推定されており、古墳の位置や立地から、和泉支群、猪方支群、岩戸支群という三つの支群に分割できると考えられています。このうち、岩戸面で確認されている古墳は現状4基と比較的少数であり、このうちの1基が「土屋塚古墳」です。

 画像は、西から見た土屋塚古墳です。
 中央右寄りに、新たに設置された説明板も見えます。
 道路添いの塀が以前よりも低くなったので、見学しやすくなっていますね。
 何よりも綺麗になったし。笑。


狛江市「土屋塚古墳」

 狛江市教育委員会により設置された説明板。
 次のように書かれていました。

狛江市指定文化財(市史跡)
土屋塚古墳
指定年月日 昭和61年1月4日

 土屋塚古墳は、狛江古墳群のうち岩戸の地に残された数少ない
古墳のひとつとして、また墳丘の遺存状態が良好な古墳として、
昭和61年に市史跡に指定されました。
 平成16年には、墳丘の南側から東側にかけて発掘調査が行われ、
古墳築造の時期や当初の形態・規模が明らかになりました。直径
33メートル、高さ4.5メートルを測る円墳で東側に造り出し部を有し、
その外側に幅1.5メートルほどのテラスと幅10メートルほどの周溝が取
り巻くことが判明しました。
 周溝からは、もともと墳頂や墳端に並べられていた埴輪が、
周溝内に転落した状態で出土しました。これら埴輪は、製作技
法から上野(現在の群馬県)に拠点をおく工人集団が、この付
近で採取される粘土で製作したものと考えられます。また、河
内地方を起源とする装飾が施された朝顔型円筒埴輪や鳥付円筒
埴輪なども出土しています。造出部付近からは、土師器の大型
壺、高坏などが出土しており、造出部で墓前祭祀が行われたも
のと考えられます。
 土屋塚古墳は、出土遺物から5世紀第3四半期頃に築造され
た古墳と考えられます。多摩川流域では、5世紀に入ると、そ
れまで古墳が築造されなかった野毛(世田谷区)の地に、野毛
大塚古墳に代表される大型の帆立貝形古墳が築造されはじめま
す。これは畿内における王権の変遷と関連するものと考えられ
ますが、狛江の地でも、野毛地区の動向と連動して、5世紀半
ばから古墳の造営がはじまります。土屋塚古墳は、そのなかで
も比較的早い時期に築造された古墳で、帆立貝形を模した造出
部を有するなど、多摩川流域の古墳文化の動向や、当時の地域
間関係を知るうえで、大変貴重な古墳です。
平成27年3月
                    狛江市教育委員会



狛江市「土屋塚古墳」

 南西から見た土屋塚古墳の様子です。
 この古墳は平成16年(2004)、墳丘の東側にマンションの建設が計画されたことから、建設予定範 囲を対象に発掘調査が行われ、古墳の周溝が検出されています。
 ちなみに報告書には古墳の規模について、外径約55m、内径約36m、墳端テラスを含む墳丘は径約35.2m、高さは4.4mで、墳丘東側の造出部は幅4.4m、長さ2.2mと書かれています。報告書と現地の説明板で、微妙に規模についての数字が違っていることがあるのは、どうしてなんでしょうね?
 土屋塚古墳は5世紀半ばに築造された古墳ということで、狛江古墳群の中でも築造時期が比較的古い古墳であることがわかっています。


狛江市「土屋塚古墳」

 画像は、昨年の東京文化財ウィークの文化財めぐり「狛江の古墳を歩こう」に参加した時の土屋塚古墳です。学芸員の先生のお話を聞くチャンスはなかなかありませんし、私にとっては楽しいひとときです。
 当日は、参加した人たちが真剣にお話に聞き入っていました。


 いずれはこの土屋塚古墳も古墳公園として整備、公開される予定であると聞いています。
 急速に開発の進む狛江市内にあって、亀塚古墳、白井塚古墳、猪方小川塚古墳、そしてこの土屋塚古墳と、多くの古墳が保存、整備されて公開されていくようです。狛江市の文化財課の方々の尽力も大きいことと思います。
 2、3年後には、狛江の古墳の様相も大きく変わっていることと思います。
 心から楽しみにしています。。。

【このブログの過去の関連記事】
http://gogohiderin.blog.fc2.com/blog-entry-54.html(土屋塚古墳―狛江市指定史跡―)

<参考文献>
狛江市教育委員会『土屋塚古墳発掘調査報告書』
狛江市教育委員会『市内遺跡発掘調査報告書Ⅴ』


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  1. 2019/11/14(木) 00:45:37|
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「橋北塚古墳(三角塚古墳)」その2

狛江市「橋北塚古墳(三角塚古墳)」

 画像は、狛江市岩戸北3丁目の「橋北塚古墳」の所在地を南東から見たところです。
 『東京都遺跡地図』には、狛江市の遺跡番号25番に登録されている古墳です。

 この橋北塚古墳は、我が『古墳なう』でも過去に一度掲載しました。
 数年前までは、この場所にはかなり改変された墳丘が残存しており、周辺は宅地化が進んでいる中、この場所だけが深い竹藪となっていました。

 昭和35年(1960)に行われた狛江古墳群の分布調査において、東西径22m、南北径21m、高さは2.85~3mの墳丘が計測されており、この状況は近年まで大きな変化はなかったようですが、その後、平成27年から28年にかけて調査が行われ、周囲の駐車場も含めた古墳の敷地には保育園が建設され、その園庭として墳丘の一部が現状保存されています。


狛江市「橋北塚古墳(三角塚古墳)」

 橋北塚古墳は、確認された周溝から、外径約40m、内径約28m、幅約5mの周溝が取り囲む中にテラスを有する直径約26mの墳丘が存在したと推定されています。
 古墳が所在した場所の保育園の塀には、小さな説明板が設置されており、次のように書かれています。

三角塚園庭
三角塚古墳〈橋北塚古墳〉
 狛江には、5世紀の半ばから6世紀の半ばにかけて、60〜70基ほどの古墳が
築造されたと考えられ、橋北塚古墳(三角塚古墳)も6世紀前半に築造された古墳
であると考えられています。
 この古墳には、墳丘(ふんきゅう)に葺石(ふきいし)はなく、埴輪(はにわ)も
確認されていませんが、平成2年の調査において、古墳を取り巻く周溝(しゅうこう)
の一部が確認されています。墳頂(ふんちょう)付近に円礫(えんれき)が集中して
残されていることが確認され、古墳の主体部は、木棺(もっかん)のまわりを挙大
ほどの丸い石を集めて覆った礫槨(れきかく)であったと考えられています。



狛江市「橋北塚古墳(三角塚古墳)」

墳丘の北側の一部と南側の一部は削平されたようですが、主体部が存在する墳丘の部分が現状保存されているようです。また、保育園の地下には周溝も現状保存されているそうです。

 画像は、保育園の塀の奥に見える橋北塚古墳です。
 いや、古墳というよりは、墳丘上に生えている草ですね。草。


狛江市「橋北塚古墳(三角塚古墳)」

 北東から見た草。

【このブログの過去の関連記事】
http://gogohiderin.blog.fc2.com/blog-entry-120.html(「橋北塚古墳」その1)

<参考文献>
狛江市教育委員会『狛江市の古墳(Ⅰ)』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』
狛江市教育委員会『市内遺跡発掘調査報告書Ⅰ』
狛江市教育委員会『市内遺跡発掘調査報告書Ⅵ』


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  1. 2019/11/12(火) 23:21:50|
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「八幡塚(明神塚)」

「八幡塚(明神塚)」

 旧和泉村と岩戸村にまたがる一帯、和泉の東端と岩戸の西端にあたる地域は、かつては駄倉(だぐら)という小字で呼ばれていました。
 現在の狛江市岩戸北3丁目11番地、旧番地の岩戸1084番地には、この地名を冠した「駄倉明神」と呼ばれる神社が存在しました。昭和15年(1940)の『土地宝典』では、「八幡神社」の名称で、南向きの境内と参道を確認することができます。
 『新編武蔵風土記稿』には記載されていない神社で、近世における村の鎮守としての地位は与えられなかった一社であるようですが、523坪の社地が除地として認められた、立派な境内を持つ神社であったといわれています。
 現在、駄倉明神は岩戸八幡神社の境内摂社となっていますが、旧社地を訪れてみると、今だに境内と参道らしき地形が残されています。
 画像手前が「いちょう通り」で、中央から奥に伸びる細い道路が駄倉明神のかつての参道です。この参道を30メートルほど歩いた奥が、旧境内となります。


「八幡塚(明神塚)」

 画像が、駄倉明神(八幡神社)の旧社地の現在の様子です。
 まだ広い敷地が残されているようですが、この旧社地の中心に円形の噴水が造られていることには驚きました。地元の人にお聞きしたところでは、駄倉明神が岩戸八幡神社に移された跡、何か訳あってこの噴水が造られたそうです。

 さて、昭和54年(1979)に狛江市教育委員会より発行された『狛江市の古墳(Ⅰ)』に『狛江古墳群地名表』の119番には、所在地「岩戸1084番」、つまり、駄倉明神の旧社地に、「八幡塚(明神塚)」という名称で古墳が記載されています。「明神塚」の名称は当然ながら駄倉明神からの命名と考えられますが、分布調査が行われた昭和35年(1960)当時、既に古墳は削平されて消滅していたようです。


「八幡塚(明神塚)」
出典:国土地理院ウェブサイト(https://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do#1)

 画像は、国土地理院ウェブサイトより公開されている、昭和23年(1948)3月29日に米軍により撮影された空中写真です。わかりやすいように周辺を切り取っています。
 画像の中央が駄倉明神の旧社地です。もちろん上空からの写真ですので高低差まではわかりませんが、多少改変されている古墳と思しき形状が見られます。この空中写真から想像すると、境内全体が古墳の高まりとなっており、墳丘上に祠が祀られていたのではないかと推測されますが、真相はわかりません。

 付け加えると、『狛江市の古墳(Ⅰ)』の『狛江古墳群地名表』の127番には、「八幡塚(明神)」と1番地違いの岩戸1085番地に「第4明神塚」という古墳が記載されています。近接した場所にさらに1基、古墳が存在したのかもしれませんが、こちらは正確な所在地は不明です。
 画像をじーーーーっと眺めて、南西に前方部、北西に後円部という前方後円墳では?もしくは前方部にあたるところが「第4明神塚」では?と妄想。。。

<参考文献>
狛江市『狛江市史』
狛江市教育委員会『狛江市の古墳(Ⅰ)』
狛江市農業協同組合史編纂委員会『狛江市農業協同組合史』


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  1. 2019/11/11(月) 23:59:58|
  2. 狛江市/狛江古墳群(岩戸)
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「宿屋敷西1号墳」

「宿屋敷西1号墳」

 「宿屋敷西遺跡」は、旧野川の左岸の台地縁辺部に位置する遺跡です。
 過去に、昭和64年(1989)から平成3年(1991)にかけて行われた第1地点の発掘調査では「古屋敷塚古墳」の周溝が検出されており、さらに近年、平成30年(2018)に行われた第5地点の発掘調査により、「宿屋敷西遺跡1号墳」が確認されています。

 古墳は、周溝の約2/3が調査され、内径約13m、外径約17.5mの規模で、北西部に幅約1mのブリッジを持つ円墳であると推定されています。出土遺物より、古屋敷塚古墳からやや遅れて、土屋塚古墳とほぼ同時期である5世紀第3四半期に築造されたと考えられているようです。
 特筆すべきは、有袋鉄斧・鉄鐸・刀子などの鉄製品が出土していることで、これまでの鉄鐸の出土は名古屋以西、近畿、岡山など西日本に集中していて、東日本では群馬と長野に1例ずつ認められるのみなのだそうです。
 もちろん、この鉄鐸や有袋鉄斧の出土は狛江市内で初めてのことであり、特に鉄鐸の出土が全国的に見ても希少な事例であるようです。
 いったいどんな人物が埋葬されていたのか、とても興味深いですね。

 画像は、昨年2018年の東京文化財ウィークの狛江市の企画事業「狛江の古墳を歩こう」に参加した際に撮影したものです。発掘調査は終了して、区画整理が進行していた頃と思われます。
 現在は宅地となり、古墳の痕跡は見ることはできません。。。

<参考文献>
狛江市教育委員会『市内遺跡発掘調査報告書Ⅵ』


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  1. 2019/11/08(金) 23:24:19|
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「古屋敷遺跡 第7地点」

「古屋敷遺跡第7地点」

 「古屋敷遺跡」は、西側に旧野川沿いの低地を、南側には旧野川と旧岩戸川沿いの低地から多摩川沿いの低地を望む、台地の南側縁辺に広がる遺跡です。この遺跡の第7地点の発掘調査では、トレンチ内から土師器片や須恵器片のほか、円筒埴輪片が出土しています。
 出土した埴輪片は1点のみで、古代以降の土地利用に伴う混入の可能性もあることから、古墳の存在が断定されているわけではないようですが、この遺跡の西寄りには5世紀半ばに築造されたとされる「土屋塚古墳」が所在しており、また周辺には多くの古墳の伝承が残されています。
 当然ながら古墳の痕跡は全くなし!ということになりますが、今後の調査の進展次第では新たな古墳発見の可能性も高い、楽しみな地域ですね。。。

<参考文献>
狛江市教育委員会『市内遺跡発掘調査報告書Ⅵ』


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  1. 2019/11/07(木) 23:15:15|
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