古墳なう

ご〜ご〜ひでりんの古墳探訪記

「本橋塚」

「本橋塚」

 「本橋塚」は、狛江市中和泉3丁目に所在したとされる古墳です。この古墳は昭和35年(1960)の分布調査時には把握されており、狛江市教育委員会より発行された『狛江市の古墳(Ⅰ)』に掲載されている調査当時の『狛江古墳群地名表』には、No.7番の古墳として取り上げられています。当時の現状については「平夷」とあり、また形状についても不明とされており、この当時すでに墳丘は削平されて消滅していたようです。

 同書の「Ⅳ 白井塚古墳の調査」の項にある遺跡地図にはこの本橋塚の推定地が記されています。画像が本橋塚の推定地周辺を南西から見たところです。「白井塚古墳」の西北西150mに所在したとされるこの古墳の周辺はすでに開発が進み、かつての田園風景を見ることはできませんが、古墳に向かう一本道は現在も道路として残されています。。。

<参考文献>
狛江市史編さん委員会『狛江市史』
狛江市教育委員会『狛江市の古墳(Ⅰ)』

  1. 2015/02/02(月) 23:56:56|
  2. 狛江古墳群-和泉支群
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「箕輪田塚」

「箕輪田塚」

 「箕輪田塚」は、狛江市西野川4丁目に所在したとされる古墳です。この箕輪田塚は昭和35年(1960)の分布調査時には把握されており、『狛江市の古墳(Ⅰ)』に掲載されている当時の『狛江古墳群地名表』には、No.136番の詳細不明の古墳として取り上げられています。その後の昭和51年(1976)の調査の際には「現存しない古墳」の項に「1976年の調査時点で現存していないが、存在の可能性の高い古墳」として紹介されています。この調査の記録には「高さ5.3m」と規模についての記述があり、またかつて土師器と勾玉が出土したことも記されているのですが、『狛江市史』にはこの塚が古墳であるかは疑問であるとも書かれています。
 その後、平成7年(1995)に多摩地区所在古墳確認調査団により発行された『多摩地区所在古墳確認調査報告書』にはこの古墳は取り上げらず、『東京都遺跡地図』にも未登録となっています。

 画像は、『狛江市史』で跡地とされている狛江市西野川4丁目8番地にあたる地点です。空き地になっているこの場所は旧狛江第七小学校の跡地なのですが、残念ながら塚の痕跡はまったく残されていないようです。発掘調査等は行われたのか気になるところですが、平成26年12月の時点では児童公園の整備のための工事が行われているようです。ぜひとも「箕輪田塚」の名前を付けてほしいと思うのですが、それはないでしょうね、多分。笑。


「丸塚」

 さて、同書の『狛江古墳群地名表』のNo.6番には「丸塚」が掲載されています。旧狛江第2小学校の校庭にあたる地点に所在したとされるこの古墳も「校地 平夷」とあり、当時すでに消滅していたようです。
 狛江市内には、旧第1小学校の「大六天塚」、旧第2小学校のこの「丸塚」、第3小学校の「大塚(矢崎山)」、旧第7小学校の「箕輪田塚」、和泉小学校の「圦上石塚」等、学校の敷地となり消滅した古墳も数多く存在しているようです。学校の敷地となった古墳が多いというよりも、狛江市内に相当な数の古墳が存在していたということであると思います。

<参考文献>
狛江市史編さん委員会『狛江市史』
狛江市教育委員会『狛江市の古墳(Ⅰ)』

  1. 2015/02/01(日) 01:22:28|
  2. 狛江古墳群-和泉支群
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「圦上峡塚(いりうえきょうづか)古墳」

「圦上峡塚(いりうえきょうづか)古墳」

 「圦上峡塚古墳」は、狛江市中和泉4丁目に所在したとされる古墳です。『東京都遺跡地図』には遺跡番号66番の古墳(円墳)として登録されています。

 この古墳は、和泉字圦上の旧川田男爵邸内に所在しており、大正の中頃には整地工事によりほとんど削平されたといわれています。その後、昭和35年(1960)の分布調査時には把握されており、当時の『狛江古墳群地名表』には、No.9番の「峡塚」という名称の円墳として取り上げられています。当時の現状については「畑・宅地 平夷」とあるものの、「規模・その他」の項には「わずかに形状の起状あり 附近土器出土 台地東側縁辺」とあり、この時点ではなんらかの痕跡が残されていたようです。さらに昭和46年(1971)にはこの周辺が発掘調査されており、高さ1mのマウンドが測量されているものの周溝等の遺構は検出されず、直径10m以内の小規模な円墳だったのではないかと考えられているようです。
 昭和51年(1976)の調査の際には「圦上峡塚(いりうえはざまづか)古墳」と名称が変わり、「現存しない古墳」の項に「1976年の調査時点で現存していないが、その存在が確認できるもの」とされています。この時点で古墳は完全に削平され、宅地化されていたようです。平成7年(1995)に多摩地区所在古墳確認調査団により発行された『多摩地区所在古墳確認調査報告書』には消滅した古墳として掲載されています。

 画像は「圦上峡塚古墳」の跡地と推定される周辺を南から見たところです。
 この地点は最近まで発掘調査されており、画像は調査が終わった後のようすです。古墳の周溝が検出される可能性も期待されていたようですが、結果はやはり何も見つからなかったそうです。
 『狛江百塚』には埴輪、石剣、石棒、蔟、管玉、勾玉が出土したとされる記録が紹介されており、また『狛江市史』にも「整地時発見の石井千城所蔵品中には峡塚出土とされる勾玉(碧玉製)管玉(碧玉製)土師器高杯(鬼高式)がある。峡塚跡の宅地内で泥岩塊を実見しているので、切石積の横穴式石室があった可能性が強い。圦上峡塚の年代は六世紀後半から七世紀前半と推定される」とあり、古墳であることはほぼ間違いないようですが、跡地は特定されていないようです。
 『東京都遺跡地図』では、径10mの円墳として掲載されています。

<参考文献>
狛江市史編さん委員会『狛江市史』
狛江市教育委員会『狛江市の古墳(Ⅰ)』
多摩地区所在古墳確認調査団『多摩地区所在古墳確認調査報告書』
東京都教育委員会『狛江市圦上遺跡』

  1. 2015/01/31(土) 05:07:42|
  2. 狛江古墳群-和泉支群
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「圦上石塚」

「圦上石塚」

 「圦上石塚」は昭和35年(1960)の分布調査時には把握されており、当時の『狛江古墳群地名表』には、No.10番の「石塚」という名称の円墳として取り上げられています。同書には「畑地 平夷、台地南側縁辺」とのみ書かれており、当時古墳がすでに削平されているようすしかわかりません。その後の昭和51年の調査の際には「1960年と1976年の分布調査を総合的に判断した結果、存在のきわめて高い古墳である」と書かれていますので、何か信憑性の高い伝承が残されているのかもしれません。平成7年(1995)に多摩地区所在古墳確認調査団により発行された『多摩地区所在古墳確認調査報告書』にはこの古墳は取り上げられていませんでした。『東京都遺跡地図』にも未登録となっています。

 画像は、狛江市中和泉3丁目にある「和泉小学校」です。『狛江市史』の「狛江古墳群一覧表」にある所在地からすると、この敷地内が古墳の所在地となるのですが、痕跡を見つけることは出来ませんでした。
 この和泉小学校の東には「腰掛塚」が所在したとされる「伊豆美神社」があり、さらに東には東京都の史跡に指定されている「兜塚古墳」が残されています。この周辺にもかなり多くの古墳が存在したようです。。。

<参考文献>
狛江市史編さん委員会『狛江市史』
狛江市教育委員会『狛江市の古墳(Ⅰ)』

  1. 2015/01/17(土) 11:11:51|
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「手向山」

「手向山」

 この「手向山古墳」は昭和35年(1960)の分布調査時には把握されており、『狛江市の古墳(Ⅰ)』に掲載されている当時の『狛江古墳群地名表』には、No.26番の形状不明の古墳として取り上げられています。同書には「工場敷地 平夷」「和泉遺跡付近 遺跡包合地の可能性あり 台地北側寄りの地」とあり、当時古墳がすでに削平されている様子が書かれています。その後の昭和51年の調査の際には「1960年と1976年の分布調査を総合的に判断した結果、存在のきわめて高い古墳である」と書かれています。平成7年(1995)に多摩地区所在古墳確認調査団により発行された『多摩地区所在古墳確認調査報告書』にはこの古墳は取り上げられていませんでした。『東京都遺跡地図』にも未登録となっています。

 だいたい画像の周辺が古墳の推定地かな、という程度で、跡地を特定する事は出来ず、現在この周辺は集合住宅となっていて古墳の痕跡は残されていないようです。

<参考文献>
狛江市史編さん委員会『狛江市史』
狛江市教育委員会『狛江市の古墳(Ⅰ)』
多摩地域史研究会『多摩川流域の古墳』

  1. 2015/01/07(水) 02:57:47|
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